| 第四 | 高尾山、八王子城跡を守るための圏央道反対運動の歴史 |
一 1984年8月、突然、圏央道計画が裏高尾住民に明らかとなった。
裏高尾町は、高尾山と八王子城跡に挟まれた幅約200m、東西約4kmの狭い谷間に約300世帯の住居がある自然が豊かで静かな町である。この静かな町に突如巨大な圏央道の橋梁とジャンクションが出来、静かな裏高尾の生活が崩されようとした。
二 同年11月、裏高尾住民は、直ちに自分たちの環境を守ろうと、「裏高尾圏央道反対同盟」を結成した。
1985年2月には、「八王子自然友の会」などの自然保護団体の主催でシンポジウム「高尾山の自然を考える集い」を開催し約200名が参加した。このシンポジウムで、裏高尾には気温の接地逆転層の形成により大気汚染を悪化させることが明らかになり、裏高尾住民は圏央道が出来ると接地逆転層で大気汚染の谷間と化すことを恐れた。
三 裏高尾圏央道反対同盟は、自然保護団体とともに、高尾山の自然の重要性を訴え、環境庁、建設省、東京都に圏央道計画の見直しを訴えた。
1985年6月には、圏央道から高尾山を守る自然保護団体の連絡機関として「高尾山自然保護実行委員会」が発足した。
建設省が1984年秋に裏高尾における環境影響調査を始めたことから、裏高尾圏央道反対同盟は1985年8月から1年をかけて自主アセスを始めた。この自主アセスは、裏高尾住民150名総出で、多くの学者の協力を受けながら、主として裏高尾における気象観測や大気汚染や騒音の調査を1年間行ったものである。
この自主アセスにより、裏高尾においては冬季に接地逆転層の形成が見られることが明らかになった。これは、日没後、急速な放射冷却により地表の温度が急速に下がると、山の中腹の気温よりも谷間の地表付近の気温のほうが低くなる現象である。この現象のため、自動車排気ガスによる大気汚染は、裏高尾の谷間に充満するのである。
また、自主アセスの騒音調査の結果、静かな山間の谷である裏高尾町は圏央道が出来れば環境基準を超える騒音地域となる事も判明した。
1986年4月、裏高尾圏央道反対同盟はこれらの自主アセスの結果に基づいて中間報告を発表した。
1986年9月、東京都は、国道20号線から埼玉県境までの圏央道に関する環境アセス案を発表し、説明会を行った。
八王子・秋川・羽村・青梅など関係地域での東京都の説明会では、東京都は住民からの自主アセスに基づく鋭い質問に答えられなかった。環境影響評価の杜撰さと出鱈目さが明らかになり説明会は、しばしば紛糾し徹夜騒ぎとなった。
1986年11月、高尾山自然保護実行委員会は、東京都のアセス案に対し3000通の意見書を提出し、計画撤回の要請署名132,000名分を提出した。
四 1987年8月、裏高尾反対同盟は、結成3周年に当たり、1000名の集会を圏央道ジャンクション建設予定地内の梅林で開き、八王子市内をデモ行進した。
以後、この集会は「天狗集会」と呼ばれ、毎年夏開催されるようになり、集会規模も圏央道反対に賛同する人が増え続け3000名規模に拡大していった。
五 1988年1月、裏高尾圏央道反対同盟の山田和也が八王子市長選挙で市長候補に立候補し、市民の憩いの場である高尾山にトンネルを掘る圏央道反対を選挙スローガンに掲げて戦った。結果的には僅少差で惜しくも破れはしたが、45%もの得票を得た。このことは多くの八王子市民が圏央道に反対していることを示すものであった。
六 東京都は、1988年1月、圏央道の環境アセス見解書を発表した。
この見解書に対し、1988年2月、高尾山自然保護実行委員会などが約48,000通におよぶ反対意見書を提出した。
これらの反対住民の意見書の影響から、東京都のアセス案を審議していた東京都環境影響評価審議会は、1988年11月、アセス案が自然保護の観点から不十分であるとして東京都知事に57項目におよぶ改善点を指摘する答申を出した。
七 1988年6月、「高尾山の自然をまもる市民の会」が結成された。
この会は高尾山の自然を守り、緑の街づくりをすすめるために、八王子を始め首都圏、全国の市民団体、住民運動団体、労働組合、婦人団体、自然保護団体、学者、文化人等団体と個人によって結成された。34団体約1000名で構成された。
八 1988年12月、八王子市都市計画審議会は、圏央道に関する市の意見書提出を巡り、反対意見が多いため東京都に提出できない事態が続いた。
九 1989年3月、東京都は、住民の反対が強いにもかかわらず、東京都分に関す圏央道を都市計画決定した。
十 そして、建設省は、1989年7月から圏央道関係地域で測量・地質調査、地元説明会を強行した。特に住民の反対が強い裏高尾地区に関する住民説明会が同年9月25日浅川市民センターで開催されたが、建設省は、裏高尾圏央道反対同盟に結集する住民関係者を排除し地権者約60人のうちわずか4名しか説明会会場に入れないで、説明会を強行した。このため、住民が強く抗議し、結局説明会は流会となり打ち切りとなった。さらに、同年11月、建設省は、反対住民が抗議する中で八王子市下恩方町の圏央道八王子北インターチェンジ予定地で杭打ち式を強行した。
十一 建設省の圏央道工事強硬の姿勢に抵抗するため、1989年10月には圏央道予定地にナショナルトラストを行おうという運動が発展し、「高尾山自然体験学習林の会」が結成された。この会は、裏高尾町の圏央道予定地の土地所有者の賛同を得て借地権を登記し、1992年からは約2500本の梅林、雑木林を購入して立木トラストを展開した。高尾山をフィールドに自然観察会を開き圏央道から高尾山を守る運動を展開している。
十二 1994年3月、高尾山の自然をまもる市民の会は、東京四谷の主婦会館で「圏央道と都市計画法」のシンポジウムを開催し、都市計画法の問題点を明らかにした。
一方、建設省は、1994年8月に、住民説明会が4度も流会になってるにもかかわらず、裏高尾地区での圏央道予定地の路線測量、地質調査を開始すると発表し測量を強行した。
十三 1995年7月、圏央道に反対する市民は、圏央道予定地の土地を購入し圏央道工事を阻止しようと、土地トラストのための原告「地権者の会・むさゝび党」を約89名で結成した。
地権者の会・むさゝび党は1995年および1996年に八王子市南浅川町の圏央道予定地の2ヵ所の土地を購入し、圏央道により高尾山にトンネルが掘られないように反対の拠点とした。
十四 東京都は、1995年3月、圏央道の高尾山南側の計画に関してもアセス案を出した。これに対し、市民の会をはじめ高尾山の自然環境を守る住民は36,568通の意見書を出した。しかし、東京都は、住民の右意見書を十分検討をすることなく、1997年2月には都市計画決定を告示し、建設省は工事を強行しようとしている。
十五 一方、八王子城跡においては、1994年の建設省による圏央道工事のための地質調査のボーリングにより、山上にある「坎井」が、これまで50年間一度も涸れたことがなかったにもかかわらず、涸渇するようになった。また、1996年6月には、市民グループによって、圏央道八王子城跡トンネル北口坑口付近で、絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律により希少生物で絶滅の危機にある危急種としてその保護が義務づけられているオオタカの営巣が発見された。
このようなことから、圏央道八王子城跡トンネル工事が八王子城跡の水脈を破壊し史跡である井戸の涸渇を起こし、この地域のオオタカの営巣を放棄させる危険が出てきた。
十六 1996年7月、裏高尾反対同盟を始め自然保護団体は、八王子市にある建設省相武国道事務所に対し圏央道工事の中止とオオタカの調査を要求した。
しかし、建設省は、オオタカに関する調査をおざなりにしただけで、圏央道工事は八王子城跡の井戸涸れとは関係無いし、オオタカの営巣にも影響を与えないと決めつけて、1999年秋から圏央道八王子城跡トンネル工事および北浅川橋梁工事を強行した。
十七 八王子城跡の保護運動は、従来は歴史研究者らが民間業者の開発による史跡の破壊から八王子城跡を守る運動であったが、以上の経緯をふまえ、2000年1月、「国史跡八王子城とオオタカを守る会」が会員数104名で結成され、八王子城跡とオオタカを守る運動を一層活発に展開するようになった。
十八 このように圏央道計画が明らかになってから16年間、高尾山および八王子城跡の自然環境を守るための様々な計画反対運動が展開されてきた。毎年3000人規模の「天狗集会」を多くの市民や学者などの参加協力を得ながら開催してきたし、この間10冊以上の高尾山の自然保護を求める書籍の出版も行っている。
また1998年6月からは高尾山にトンネルを掘らせない100万人署名の運動を始めて、既に21万人余の署名が集まっている状況である。
十九 しかし、建設省および日本道路公団は、圏央道の工事を強行すべく、1999年秋には八王子城跡トンネル工事および北浅川橋梁工事を始めた。このため、これ以上工事の進捗を認めるわけには行かないと考え、反対運動に結集してきた自然保護団体に所属する多くの市民や高尾山および八王子城跡の自然環境を守ろうという人々が本件工事差止訴訟を提起するに至ったのである。