第七 本件道路工事の違法性

一 原告らの権利侵害

1 自然の権利とその侵害

(一) オオタカ等が訴訟当事者となることと「自然物の生存の権利」

(1) オオタカ等人間以外の自然物の当事者能力

@  自然物の存在の尊厳(自然物の生存の権利)と自然物の当事者能力 「最高に無知な人とは、あれこれの動植物について、それは一体何の役に立つのか、という人のことである。
 土地の仕組みが全体として上手くいっているのだったら、それのどの部分も上手くいっているのだ。それを我々が理解しているかどうかは関係ない。
 生物の世界が長い年月の間に何か好ましいけれども分からないものを作り上げてきたのだったら、見たところ役に立たない部分を捨てる馬鹿がいるだろうか?どんな歯車だってとっておくのが、賢い修繕屋のまず第一に用心することである。」
 これは、「生物多様性」の全ての要素を含むランドエシック(土地倫理。後述)の最も優れた代弁者の一人である、アルド・レオポルドの言葉である。
 生物多様性の保全は、従来から、種の保護、土地の保護または保存、自然資源の管理といったカテゴリーの中で扱われ、自然保護運動、自然環境保護立法、保全生物学などが展開される中で、定着・発展してきたが、1992年(平成4年)の国連地球環境会議(リオ・サミット)で署名された生物多様性条約の準備作業の中で、環境問題の中の最も重要なキーワードとして登場した。
 生物多様性とは生物とそのプロセスの多様性のことである。すなわち、遺伝子ないし個体差レベルの多様性、個体群ないし種レベルの多様性、群集ないし生態系レベルの多様性、景観または地域レベルでの多様性、およびそれらを絶えず変化させ適応させ続けながらも機能させ続けている生態的なプロセスと進化上のプロセスの多様性を全て含んだものが生物多様性の概念の中身である。
A  現在では、各世代の人類が、限られた地域のレベルから地球レベルに至るまで、生物多様性の保全をなすべき義務ないし責任を負っていることに異論を述べる者はいない。また、この義務ないし責任の根拠が、生物多様性の様々なレベルにおける価値に求められることにも異論は存しない。
 生物多様性の人類にとっての価値は、概ね3つのレベルで捉えられる。第一に生物多様性の構成要素の自然資源としての有用性(例えば、第一次産業が自然資源を重要な拠り所としていること、3000近くの抗生物質が微生物に由来するなど)、第二に多様な自然生態系が果たす生態的機能によるヒトの生活環境の維持(例えば、大気の質の維持、気候の制御、淡水の供給の調節、有機物の分解等)、第三にヒトの精神作用に果たす美的(芸術的)価値、教育的価値、レクリエーション的価値などである。こうした価値は、現世代のみならず、将来世代が等しく享受すべきものである。多様な生物資源は、先祖から受け継いだだけの遺産ではなく、将来世代に残すべき財産なのである。
B  ところで、人類が生物の多様性を保全すべき義務ないし責任の根拠は、実は右に述べた「ヒトが与えた価値」に限定されるものではない。本来、人間がどのように評価するか又は認識するかに関係なく、自然物(多様な野生状態にある生物とそれを取りまく野生状態にある非生物的要素)は厳然と存在するものである(自然物の存在の尊厳)。この事実に基づき、人間の側では、「自然を自然それ自体として理解する」「ヒトのためではなく自然そのもののために理解する」というような「倫理的理解」を持たなければならない。この考えは、レオポルドの著した『野生のうたが聞こえる』というエッセイ集の中で展開された。
 すなわち、ランド・エシック(土地の倫理)とは、「共同体という枠を、土壌や水、植物、動物、つまりはこれらを総称した『土地』にまで拡大した場合の倫理を指す。要するに、ランド・エシックは、ヒトという種の役割を、土地という共同体の征服者から、平凡な一員、一構成員へと換えるのである。これは、仲間の構成員に対する尊敬の念の現れであると同時に、自分の所属している共同体への尊敬の念の現れでもある。」と主張したのである。
 このレオポルドの主張は、その後、一般的な共感を呼び、1982年の国連憲章で採択された世界自然憲章は「生物はすべてそれぞれに独自であって、人間にとっての価値には関係なく尊重に値する。そして、そのような認識を他の生物たちに認めるためには、人間は倫理的な行動規範に導かれなければならない」と宣言するに至ったのである。
C  このような倫理的理解は、現実に、一定の実定法的効果を生み出してきた。それは、人類の生物多様性ないし自然を保全すべき義務の立法であり、我が国においても、個別の自然環境保護立法において具体的に言及され、規定されているところである。これは、自然物の存在の尊厳から一種の権利(自然物の生存の権利)が派生し、こうした権利と表裏をなすものとして、義務規定の形式で人間に義務を課す立法がなされた、と解釈することができる。ここで、人間の自然物(生物多様性、自然環境)を守る実定法上の義務は、自然物の生存の権利を裏返しにしたものであることが留意されなければならない(但し、こうした自然物の生存の権利は、人間の権利と全く同質・同内容である必然性はない)。
D  このように、自然物の存在の尊厳から自然物の生存の権利が派生するのであるが、この権利は一定の実定法上の効果を生じさせる。そして、まさにこの実定法的効果の一つとして、「自然物の訴権」が認められ、「自然物の当事者能力」が肯定されるのである。なぜなら、
 第一に、自然物の生存の究極の救済手段となりうるものが訴訟であり、その訴訟に参加することが自然物の生存を図るために不可欠だからであり、
 第二に、その訴訟に直接参加することが、自然物の生存を図るための最善にして不可欠の手段だからである。
 もし、重要な自然物の生存が危機に瀕している場合、自然物の生存を図るために行動する人間が存在せず、あるいは存在したとしても、彼が自然物の声を代弁する資格(当事者適格)を与えられていない場合には、裁判は得てして自然物に対する侵奪主体の立場のみを尊重する結果となってしまう。そして自然物は自らの生存を喪失していくのを黙って受け容れるしかないという事態に陥る。
 ここで言う自然物とは野生の動植物だけでなく、山や川、海、渓谷、湾など二次的自然も当然含まれる。後述するアメリカの判例上「自然の権利」に言及した、モートン事件の連邦最高裁判決で、ダグラス判事が同公園内にあるミネラルキング峡谷こそ真の当事者であるとしたように、自然物をそのようにとらえているのである。

(2) 自然物の当事者能力を承認することの効能

@  自然物の生存を図ることの人間にとっての意義
 前述したように、生物多様性の構成要素である自然物は、遺伝子レベル、種ないし個体群レベル、生態系レベル、そして景観レベルにおいて、自然資源としての有用性、生態系機能のメカニズムとしての有用性、精神作用を涵養する媒体としての有用性を有している。現世代の人間はこれらの価値を将来世代に承継しなければならないことから、その義務を果たすべき有効な手段を講じなければならない。
 そして、より本質的な義務として、自然物の存在の尊厳を尊重し、その生存を図るために有効な手段を講じなければならない。
A  その場合、極めて有効な手段のひとつが、自然物の当事者能力を承認することである。その理由は以下のとおりである。(水や大気の汚染によって健康被害と自然への加害が同時に起きているケースを想定してみよう。)
 第一は、当事者適格の問題である。具体的ケースについて、自然物の生存のために訴訟を提起しようとする者が現行法上当事者適格を有しない場合があるからである。右のケースの場合、健康被害を受けている人間が提訴して、自然物の被害をも代弁しない限り、自然物への加害は法廷の場に登場する機会がない。
 第二は、本案判断の問題である。自然物の生存のために訴訟を提起しようとする者が、同時に自分自身の健康被害の存在で現行法上当事者適格を有した場合でも、その者自身の健康等の被害が相対的に軽微な場合は、その者の利益と汚染の差し止め等を認めることによる加害者側の負担や社会的影響等が比較衡量された結果、敗訴することがあり得る。そして、この場合、川や森の生態系に例え極めて深刻な影響があったとしても、そのこと自体は直接的に考慮されないのである。
 第三は、判決結果の受益の問題である。損書賠償を命ずる判決においては、当然のことながら、原告自身の損害のみが算定される結果、自然物が被った損害は評価されず、事後的に自然物の生存を回復させることが出来ないのである。それだけでなく、例えば、ある汚染者がその活動によって、年に1億円の割合で川の生態系に損書を与え続けている場合、原告たる住民の損害額の合計がわずか100万円に過ぎないとすれば、汚染者が汚染行為を停止せず、川の生態系は破壊され続けるといった事態は容易に想像できるのである。
 したがって、自然物の生存を図り、人間に課された義務を果たしていくためには、自然物の当事者能力の承認は極めて大きな効能を持ち、かつそれを認めることが、不可欠であることは明白である。

 

(二) 自然物の訴訟能力

(1) ところで、自然物が単独で原告になった場合、自然物自体が単独で訴訟遂行をすることは物理的に不可能である。しかしながら、それは、自然物が原告である場合にのみ現れる特殊な現象ではない。

@  例えば、法人に対する法制度の変遷の歴史をみても、当初から法人は法人格を有していたのではなく、法人が社会に果たす役割の重要性に鑑みて法人自体に当事者能力を認める必要性が生じ、そして、観念の存在である法人にかかる能力を認めることができる法律上の理論構成が可能となったからこそ、法人に当事者能力を認める現在の制度が完成されたのである。
 また、法人に当事者能力を認めたとしても、観念の存在である法人は、それ自身が訴訟遂行を行うことは法人実在説に立っても物理的に不可能である。しかし、法人と委任契約を締結し善管注意義務と忠実義務を負っている(代表)取締役が訴訟行為を行う場合には、当該代表者は会社の利益の為に訴訟遂行を行う事が期待できると価値判断されたが故に、法人とは別個の人格である代表取締役の訴訟行為が、社会科学的な価値判断過程を経て、観念の存在である法人自体の訴訟行為としてみなされているのである。
 このように現代でこそ法人の当事者能力および訴訟能力は当然の如く認められているが、それは決してアプリオリに認められていたものではなかったのである。
A  また未成年者、とりわけ幼児・嬰児は訴訟無能力者とされるが、彼らの欲するであろうところを推察し、それに沿うように訴訟を追行することが期待できる彼らの法定代理人が、幼児・嬰児の利益の為に彼らの訴訟能力が不備な点を補って訴訟行為を行うのである。  ここには、そもそも幼児・嬰児が何を欲しているかについての法定代理人に対する具体的な意思表示はないが、彼らに最も近い存在の訴訟能力者であれば、彼らの最も利益と思われるところを汲み、それに応じた訴訟行為をすることが期待できるという価値判断がある。  さらに、胎児は人の萌芽に過ぎないので当事者能力を有していないが、例外的な場合には当事者能力を有するものとされ、訴訟能力の面については未成年者の場合と同様の価値判断から、母が親権者として訴訟行為を行うことが認められている。

(2) そうであるなら、自然物についても、その当事者能力および訴訟能力を観念する必要性があり、その必要性を実現する法律上の理論構成が可能であるならば、何ら法人等と別異に解する必然性は存在しないというべきである。自然物に当事者能力を認める根拠と必要性については前述したので、以下には自然物の訴訟行為を具体的に実現する理論構成を示す。

@  結論を先に言えば、自然物と共に自然保護団体が原告として名を連ね、自然物を代弁して訴訟を追行するならば、自然物の訴訟能力は実質的に補完されるというべきである。実際、アメリカの同種訴訟においては、自然保護団体が自然物の権利を代弁する形で自然物の訴訟能力の不備な点を補っている。
 すなわち、アメリカの判例上「自然の権利」に言及した嚆矢は、セコイア国立公園を貫く高速道路を含む大規模リゾート計画を認める開発許可の差止等を求めたシエラクラブ対モートン事件の連邦最高裁判決で、ダグラス判事が同公園内にあるミネラルキング峡谷こそ真の当事者であるとし、原告となっていたシエラクラブはその代弁者として訴訟追行しているとの意見を述べた「モートン判決」である(SIERRA CLUB v. MORTON, 405 U.S. 727 (1972))。この1972年のモートン判決以降、東部にあるバイラム川(BYRAM RIVER et al., v. VILLAGE OF PORTCHESTER, NEW YORK et al., 1975 394 F. Supp. 618)、ハワイに生息するパリーラという鳥(PALILA v. HAWAI DEPARTMENT OF LAND AND NATURAL RESOURCES et al., 639 F.2d 495)、西海岸の国有林に生息する北米シマフクロウ(NORTHERN SPOTTED OWL, et al. v. LUJAN, et al., 1991. 758 F. Supp. 621)、西海岸の海鳥であるマレット鳥(MARBLED MURRLET,et al. v. LUJAN, et al., 1992)など、さまざまな自然物が自然保護団体等と一緒に共同原告となって裁判例を賑わしてきており、アメリカの裁判の実務では、すでに自然に原告適格を認めることが当然のことと受け止められている。
A  このような補完関係が認められるのは、その自然物の保護に最も近い存在としての自然保護団体等に、自然物の立場に立って彼らが何を欲しているのかを正しく理解でき、その為には如何なる主張立証が必要かつ有益なのかを最も良く認識し、それらに基づいて自然物の為に将に「代弁者」として最も適切な訴訟遂行をすることが期待できるからである。そして、原告たる自然物の保護に最も近い存在たる団体(最も近いか否かは、そのような団体等が原告たる自然物を保護する上でいかなる活動をしてきたか否か、組織としてどの様に構成されているのか、原告たる自然物が何を欲しているのかおよびその欲するところに沿うための自然物に有利な主張立証をする事が可能な程度に基礎資料・情報を有しているか等の点から実質的に判断される事柄である)であるならば、幼児や嬰児、胎児の場合と同様に、自己の欲するところを言語で表現できない自然物が何を望んでいるのかを正しく推察し、自然物が法廷に立つ以上に彼らの権利利益を実質的に擁護する訴訟行為を行うことが可能となるのである。(逆に、その様な自然保護団体等以外は、自然物が物理的に有している訴訟能力の不備な点を補う資格がないというべきである。何故ならば、およそ自然物の生存を心配する誰でもが、そのような自然物の後見人的地位に付けるとするのであれば、濫訴の弊があるうえに、自然物の権利利益が正しく法廷の場で代弁できないからである。)
B  本件においては、原告高尾山等を現地において継続的に調査し、高尾山等に関する情報を保有しており、その生態を熟知し、その保護および保存に関する調査研究活動を目的として活動してきた原告自然保護団体らがまさに適格な「原告たる自然物の保護に最も関心のある団体」といえ、自らの訴訟行為を行うとともに、相原告たる原告高尾山等の後見人的役割を果たし、十分に自然物のための訴訟行為をすることができるものと考える。

(三) 原告ら自然の権利の侵害
 原告ら自然は、いずれも本件圏央道工事によって、その存在が脅かされ、オオタカはその営巣が、ブナはその生育が、ムササビはその生息が、高尾山はその豊かなで微妙な生態系の自然が、八王子城跡はその歴史的価値及び豊かな自然等が損なわれる危険にさらされている。
 したがって、原告ら自然は、自らの権利の侵害の危険の排除を求めて本件圏央道工事の差止請求権を有する。

2 自然保護団体の権利とその侵害
 本件において各自然保護団体等は、右の通り、それぞれが関係する自然の代弁者として、その訴訟を遂行するとともに、以下の通り独自に固有の権利を有しているので、かかる権利主体として本件の原告となっている。
 環境は個人の利益のためにだけ存在するものではない。また、人類のためにのみ存在するものでもない。生態系に生息する構成員全員のために環境は存在している。
 しかし、ある時期のある地域における環境、とりわけ景観や歴史的な遺産的価値、文化的な価値と言ったその具体的な価値は、現実にその利益・価値を理解し享受する一方でこれを保護・維持している具体的な担い手で、普遍性・継続性のある団体こそ、生態系を代表してその実現を図る適任者の重要な一態様といってもよい。
 したがって、現実の社会においては、かかる価値の実現を図る目的をもって設立・存続する団体が、環境保全の主体としてその権利を主張し擁護する適格性を有するのは当然である。かかる団体が自然保護等の目的をもち、その組織や代表、財産管理の方法が確立している団体であれば、権利能力なき団体として、環境権等の法的な権利主体とすることに問題はない。しかもかかる団体の目的・活動によってその具体的な権利内容、たとえば自然享有権、自然的な景観権や歴史的文化的な景観権、環境権といった内容、その権利の範囲が具体的に特定されるとともに、成熟した内容をもちうるのであるから、権利としての成熟性や不明確性の問題も解消する。
 このような観点から、原告高尾山自然保護実行委員会、同高尾山の自然をまもる市民の会、同高尾自然体験学習林の会、同地権者の会・むさゝび党および同高尾・浅川の自然を守る会は高尾山を中心に、原告国史跡八王子城とオオタカを守る会は八王子城跡を中心に、それぞれ一帯の生態系およびその構成員たる自然について自然享有権、景観権および環境権を有している。
 これらの自然保護団体の権利が、圏央道によって侵害されることは、既に第六項の圏央道がもたらす被害の項で主張したとおりである。

3 自然人の権利とその侵害

(一) 概略
 本件で自然人である原告らが保護を求めている権利は、@土地所有権、A土地利用権、B立木所有権、C人格権、D環境権、E景観権、そしてF自然享有権である。
 右の権利主体となる原告は、圏央道建設予定地に土地を所有している人、同じく建設予定地に土地利用権を有する人、圏央道建設予定地に立木を所有する人、圏央道建設予定地付近で生活する人、原告自然保護団体の構成員であるか高尾山に登った経験のある人で、高尾山・八王子城跡の豊かな自然環境や景観を享受しこれからも享受し続けることを望む人である。
 次に、右の諸権利についてさらに述べる。

(二) 土地所有権、土地利用権、立木所有権  

(1)  別紙土地所有者目録記載の原告は本件圏央道建設予定地の同目録記載の土地を所有している。
(2)  別紙土地利用者目録記載の原告は同目録記載の土地に賃借権を有している。
(3)  別紙立木所有者目録記載の原告は圏央道建設予定地である土地上に立木を所有している。

 これらの原告は圏央道が出来ればその所有権乃至利用権が侵害されることは明らかである。 右各原告らは右所有権等に基づいて本件圏央道工事の差止を求めるものである。

(三) 人格権
 人格権は、生命・身体・精神の安全や自由を享受する権利だけでなく、豊かな自然環境の享受によって、精神の開放感など人間としての豊かさを受ける権利も含まれる。このような意味での人格権が憲法13条(幸福追求権)や憲法25条(生存権)に基礎をおく具体的権利として法的保護を受けることは判例上確立されている。
 原告らは、圏央道が建設される裏高尾町や高尾山又は八王子城跡の自然を享受し精神の解放を受けて来た者である。圏央道が出来れば、大気汚染、騒音・振動・低周波被害、生活環境等による人格権の侵害だけで無く、豊かな自然環境で精神の解放を受ける等の人格権が侵害される危険性が高い。
 したがって、原告らは人格権に基づいて、本件圏央道工事の差止を求めるものである。

(四) 環境権
 人間には、自らを取り巻く環境を支配し、良好な環境を享受する権利があり、みだりに環境を汚染し、われわれの快適な生活を妨げ、あるいは妨げようとしている者に対しては、この権利に基づいて妨害の排除または妨害予防を請求できる。  「環境の恵沢の享受と継承等」について定めた環境基本法第3条は、「環境の保全は、環境を健全で恵み豊かなものとして維持することが人間の健康で文化的な生活に欠くことができないものである」として、憲法第25条に基づき環境保全を健康で文化的な生活をする権利の一内容と位置づけているが、これは環境権の存在を明らかにしている。  原告らは、これまで高尾山又は八王子城跡に登り、その豊かな自然環境を享受し、この環境を守りたいと強く望んでいる者である。 圏央道によって原告らの高尾山及び八王子城跡の良好な環境を享受する権利が侵害される危険性がある。 したがって、原告らは環境権に基づいて、本件圏央道工事の差止を求めるものである。

(五) 景観権
 景観権とはその生活空間における良好な景観的利益を享受する権利である。ここに「景観」とは、或るひとまとまりの地域の自然的・文化的環境を人間の五感でとらえた全体像を意味する(田村明「美しい都市景観をつくるアーバンデザイン」25ページは「人間が地表のあるまとまった地域をトータルに捉えた認識像である。」と表現している)。ここには、眺望的景観のほか、位置、地形、生態系、鳥の声や虫の音、水や風の流れ、歴史・文化・信仰・教育・レクリエーションなどが構成要素として含まれる。したがって、地上のあらゆるものが景観の対象となるが、例えば、都市景観と自然景観、歴史景観と文化景観というように類型的に区分できる。本件で、原告らが保護を訴えている高尾山と八王子城跡の景観は、自然的景観と歴史的景観の性格を併せ持っている。
 ドイツの建設法典や景観計画制度を引き合いに出すまでもなく、自然公園法や古都保存法、風致地区条例などの立法例から窺えるように、「景観」は人間が健康で文化的な生活を送る上での不可欠の要素として、その保全のための施策を国、自治体それぞれのレベルで行ってきている。したがって原告らは景観権が憲法13条、25条に由来する具体的な権利であると考えるものである。
 そして、既に詳述したように高尾山や八王子城跡の景観的な価値は大変に優れたものであり、十分その保護に値すると考える。原告らは、ある景観が保護されるための基準として、@その景観が個性をもっており掛け替えのないものであること(非代替性)、Aその景観が時代を超えて生き延びてきていること(永続性)、Bその景観が多くの人々によって支持されていること(普遍性)の3つを提唱したい。そして、本件の高尾山及び八王子城跡の景観はいずれも右の基準を十二分に充たしているのである。
 (裁判例)
 これまで、自然景観については、眺望侵害が問題となったケースで相当数の判例があり、その景観価値が一定の場合認められてきた。猿ヶ京温泉事件(前橋地裁昭和36年9月14日判決・下民集12巻9号2268ページ)、京都岡崎有楽荘事件(京都地裁昭和48年9月19日決定・判時720号81ページ)、日光太郎杉事件(東京高裁昭和48年7月13日判決・判時710号443ページ)、野比海岸眺望侵害事件(横浜地裁横須賀支部昭和54年2月26日判決・判時97号23ページ)、松島海岸眺望事件(仙台地裁昭和59年5月29日決定・判タ527号158ページ)、木曽駒高原眺望権事件(大阪地裁平成4年12月21日判決・判タ82号229ページ)等であり、いずれも自然景観への眺望侵害ないしその破壊(日光太郎杉事件)が問題とされ、違法と判断されている。
 これに対して、歴史的な景観が争われたケースは多くないが、和歌の浦不老橋景観訴訟事件(和歌山地裁平成6年11月30日判決・判例地方自治145号36ページ)がある。これは、都市計画道路が歴史的景観権を侵害するなどの理由で損害賠償請求の住民訴訟が提起されたもので、裁判所はその権利性を否定して訴えを棄却したものの、「歴史的景観」の存在を肯定し、行政が考慮する必要を認めている。
 原告らは、第五章の高尾山・八王子城跡の貴重な景観の項で述べたような、豊かな景観のある高尾山又は八王子城跡に登り、又は高尾山や八王子城跡付近に住み、その豊かな景観を享受してきた。
 ところが、圏央道は第六章で述べたようにその豊かな景観を破壊するものである。
 したがって、原告らは景観権を根拠として、本件圏央道工事の差止を求めるものである。

(六) 自然享有権
 良好な自然環境を享受する権利であり、日本弁護士連合会が1986年の人権擁護大会で提唱した権利概念である。環境基本法の規定は、(四)の引用部分に続いて、「(環境の保全は)現在及び将来の世代の人間が健全で恵み豊かな環境の恵沢を享受するとともに人類の存続の基盤である環境が将来にわたって維持されるように適切に行われなければならない」と定めている。これは、まさに将来の世代との関わりにおいて、自然環境を良好な状態で保全することが全ての国民の権利であり義務であることを明らかにしているものと解せられる。すなわち、自然の恵沢を享有する権利としての自然享有権の存在も明らかにしている。
 原告らは高尾山及び八王子城跡の豊かな自然環境を享受し、将来世代のためにもその自然の保護を求めてきた。圏央道は、既に述べたように、これら高尾山および八王子城跡の環境を破壊するものである。
 したがって、原告らは自然享有権を根拠として、本件圏央道工事の差止を求めるものである。

二 手続きの違法性

1 都市計画決定手続及び環境アセスメントの違法性

(一) 本件道路計画の都市計画決定手続は、都市計画法に基づく諸手続を経ることを要件とするとともに、併せて東京都環境影響評価条例に定められた環境影響評価手続を経ることを要することとなっている。

(二) 本件道路計画の都市計画決定手続に伴う環境影響評価手続は、東京都環境影響評価条例に基づき、1986年7月29日、評価書案が公示され、これに対する説明会、公聴会の開催および意見書の提出を経て、1988年2月9日、見解書が公示された。さらに、これに対する説明会が開催され、意見書の提出がなされたあと、1988年11月1日、東京都環境影響審議会の審議を経て評価書案・見解書に対する意見としての同審議会の答申が出され、57項目の改善点が指摘された。

(三) 右57項目にわたる改善点の指摘は、地元住民、自然保護団体、その他高尾山の自然を守るため本件道路計画に反対している多くの人々が、各分野の専門家と協力して行った自主アセスメントの調査結果に基づき指摘している主張を踏まえたもので、評価書案・見解書の調査・記述の不十分さを指摘するものとなっている。具体的には、評価書案が「トンネルの掘削に伴う地下水位の変化やトンネルの坑口からの排ガスによる植物への影響は少ない」としたのに対し、答申は、「記述は不十分で、掘削による地形、地質や地下水の状況を踏まえて記述すること」と、再調査を求めるものとなっている。さらに排ガスの影響についても、山間部をトンネルで通る既設の道路など「類似例を用いての説明」を求め、また植物の保護と密接に関係する地下水についても、植物の生育に必要な水を貯めている表層地下水と、トンネルの掘削で影響を受ける岩盤内部の地下水との関連を具体的に記述するよう求めている。大気汚染についても、評価書案は「予定地域が起伏が大きく気象の変わりやすい山間部であるのに、平坦地で使われる予測計算式を使用している」と予測の不備を指摘している。
 また、トンネル掘削で発生する約400万立法メートルといわれる残土についても、発生量や処理・処分方法を明らかにすることを求めている。
 以上にとどまらず、環境影響評価審議会の答申は、評価書・見解書の調査、環境影響評価の不十分さを指摘し、実質的には再調査、再評価を求めるものとなっているのである。

(四) 環境影響評価を行う趣旨は、自然保護・環境保護の立場から、開発事業による自然破壊・環境破壊を事前に防止するために行われるものであり、場合によっては当該開発事業を中止・変更する場合もあり得るのであって、開発事業を当然の前提として、当該開発事業の実施を合理化するための単なる手続きの一つとして行われるものではないのである。いわゆる「合わせメント」になってはならないのである。それ故、環境影響評価は、科学的、客観的、公正に行われなければならないし、その評価は詳細かつ厳格でなければならない。(開発が着手されてからでは、自然・環境の破壊は、元に戻らないことを銘記すべきである。)

(五) ところが、東京都は、1988年12月に圏央道に関する環境アセスを発表し、1989年3月、東京都は圏央道に関する東京都分の埼玉県境の青梅市から高尾山南麓の国道20号までの間22.5kmに関す都市計画決定を行った。
 環境影響評価審議会の答申によっても、十分な環境影響評価とは言えないとの指摘を受けた評価書案・見解書は、再調査を行ったうえ、再評価、再提出されるべきであったのであり、右十分な再調査、再評価を行わないまま、不十分との指摘を受けた評価書案・見解書を多少手直ししただけにすぎない環境アセスに基づき行われた本件環境影響評価手続および都市計画決定手続は、適正な手続を欠き、違法であると言わなければならない。

2 八王子城跡の保護と文化財保護法および八王子市保存管理計画違反

(一) 本件道路計画予定地内には国史跡八王子城跡がある。八王子城跡は天正年間に滝山城主北条氏照が築いた山城で、小田原城とともに、戦国時代最大規模の城域(周囲約11km、面積約400ha)をもつ。豊臣方の猛攻を受け、天正18年(1590)6月23日の朝、落城。この報を聞いた小田原城勢は戦意が揺らぎ、五代目当主北条氏直は戦いを避けて豊臣方に城を明け渡し、ここに秀吉の天下統一が実現した歴史的経緯がある。

(二) 八王子城跡は、1951年6月9日、文化財保護法に基づき国史跡に指定され、文化財としての保護を受けるにいたった。しかし、その後、1960年代後半から、国や民間による開発行為が 急激に進み始めるなか、史跡の保護が危険にさらされるにおよび、1974年、八王子市は、八王子城跡の史蹟を保護・保存するため、文化庁や東京都の指導を受けながら八王子城址保存整備対策プロジェクトを結成し、学識経験者を集めた協議会の協力を得ながら史跡八王子城址・史跡小仏関跡保存管理計画書を策定、発表した。
 右計画書によれば、八王子城跡の史跡としての意義(戦国時代の典型的山城〜「その原形が最もよく保存されている中世の山城としては、我が国屈指のものである。」)を明らかにしたうえで、整備保存計画の原則を定め、「典型的な山城としての現況を、そのまま保存することと、その根小屋としての諸遺構(邸跡、古道、沢等)を極力保存することを原則とする。したがって、観光的開発はこれを禁止し、史跡保存、緑地保存の精神で貫く。」とされるとともに、その史跡的価値および豊かな自然環境を踏まえ「但し、歴史の学習、自然の観察および登山、リクリエーション等都民の憩いの場としての活用をはかる」ともされている。
 そして、史跡を第一保存区域と第二保存区域に分け、第一保存区域は「厳しい管理下に置く。したがって民有地は公有化する。」とされ、第二区域も「新規施設の建設は規制されなければならない。」とされている。

(三) 八王子城跡は都立高尾陣場自然公園地域内に存し、植物の生態としても、高尾山についで種類が豊富で、リンボクやホソバノカナワラビのように高尾山には存在しない植物も自生しており、植物学的にも注目に値する山である。また、城山山頂は高尾山や陣場山に続く登山道ともなっており、自然環境として高尾山と一体の環境を形成しており、高尾山と一体として保護されなければならないものである。

(四) 本件道路計画は、右保存区域内に建設されるもので、国の国史跡指定=文化財保護法および八王子市の保存管理計画に反するものであり、違法である。

3 オオタカの生息と種の保存法違反

(一) 1996年3月11日、本件道路計画予定地内、八王子城跡トンネルの北側坑口から約200m南方にあるモミの木に種の保存法で国内希少野生動植物種に指定されているオオタカが営巣していることが確認された。オオタカは、その後も毎年繁殖を繰り返しており(96年孵化3羽、巣立ち3羽。97年孵化3羽、巣立ち2羽。98年孵化4羽、巣立ち3羽。99年孵化2羽、巣立ち2羽。2000年孵化2羽、巣立ち2羽)、オオタカの営巣を保護、保全することはきわめて重要である。とりわけ、本件道路工事が進み始めた99年、2000年は、孵化数が2羽と減ってきており、緊急を要する事態となっている。

(二) 種の保存法は正式名称「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律」であり、1993年4月1日施行されたが、オオタカは、同法に定められた「国内希少野生動植物種」に指定されている。さらに環境庁は、1996年8月「猛禽類保護の進め方」を発表、イヌワシ、クマタカ、オオタカの3種について、その生態の特徴と保護に関する基本的指針を明らかにした。また、1998年には、レッドデータを見直し、オオタカを絶滅危惧U類に指定した。

(三) 右種の保存法が制定され、「猛禽類保護の進め方」が発表された背景には、人間社会の発展とそれにともなう自然環境の開発・破壊のなかで、絶滅の危機に追いやられている幾種類もの動植物が存在し、すでにこの地球から種の存在を消し去られた動植物も数多くいるという厳然たる事実が存在する。
 そして、オオタカを含む猛禽類の保護が、その生態上、人間社会との関わりが深いため、開発との関係で、とくに重要視されていることは、「猛禽類保護の進め方」からも明らかである。
 失われた種は、2度とその存在を呼び戻すことはできない。トキの例でも明らかなように、僅少となった種を保存することは至難の事業となる。希少動植物の保護は、早すぎるということはないし、まだいいだろうということは許されない緊急の課題なのである。
 自然界は、さまざまな動植物およびその他の自然的要素により構成されており、それらがお互いに支え合い、複雑に関連しあいながら、一つの生態系を形づくっている。そして、その構成部分のごく一部が崩れ、破壊されることにより、生態系全体が緩やかに又は一挙に崩壊する事態に直面する。それは、最終的には、われわれ人類の生存の基盤を失うことを意味するのである。希少動植物の生存の推移は、右生態系存続の指標であり、それゆえ、希少動植物の保護が、今日、強く叫ばれているのである。種の保存法が制定されたのも、このような背景に基づくものである。

(四) 本件道路計画は、右オオタカの発見される前の環境影響評価に基づき計画決定されたもので、オオタカが発見された段階で、当然環境影響評価の見直しがなされるべきであったところ、現在まで再調査、再評価がなされていない。
 オオタカの生息状況等の調査は、一応、「圏央道オオタカ検討会」の名称で、建設省等によってなされたようであるが、本件道路計画がオオタカの生息環境にどのような影響を与えるかについては、なんら検討されていない。とりわけ、「猛禽類保護の進め方」によって、「住宅、工場、鉄塔などの建造物、リゾート施設および道路の建設、森林の開発はさける必要がある。」とされる営巣中心域(営巣木および古巣周辺で、営巣に適した林相をもつひとまとまりの区域(営巣地)、給餌物の解体場所、ねぐら、監視のためのとまり場所、巣外育雛期に幼鳥が利用する場所を含む、広義の営巣地として一体的に取り扱われるべき区域。)については、「オオタカの出現地域については行動圏と高利用域に区分し検討した。」として、意図的に触れておらず、本件道路計画がオオタカの営巣中心域に直接、影響を及ぼすことを隠蔽しようとしているのである。オオタカの営巣が発見されたにもかかわらず、環境影響評価の見直しのされていない本件道路計画は、環境影響評価手続に違反するのみならず、種の保存法「猛禽類保護の進め方」にも違反し、違法と言わなければならない。

 

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