’02秋・高麗の郷(こまのさと)

高麗川駅は、昔と変わらない佇まいだった。20年くらい前、鉄道ファンの貧乏学生だった頃に、東京近郊区間を「100円旅行」した。最も大回りするルートにあったのが高麗川駅。当時は、八高・川越両線ともディーゼル車で、腕木式信号機なんかあって、旅情がかきたてられた。あの頃の、のんびりした片田舎の雰囲気は、今も変わっていなかった。

しかし、混雑は相当なもの。明らかに巾着田目当てだ。改札口を出れば、タクシーがいっぱい。商魂たくましいな、とつぶやきながら、歩き出した。
「高麗神社」の標示に従って、畑の脇を行く。すでに夏の面影は消え、豊穣の秋を迎えていた。金木犀が香り始めている。やがて高麗川を渡り、高麗神社に着く。関東平野の西はずれにひっそりと佇む神社も観光客が流れてきていた。例大祭は10月。その頃には、周辺はどんな色に染まるのかな。

願い事を終えて、神社を後にする。すぐに聖天院。8世紀初頭、古代の渡来人がこの地に根を下ろしてから、脈々と受け継がれてきた精神世界が宿っていた。国難を逃れ異郷の地に渡ってきた高句麗の人々の心境は如何ほどのものだったか・・・
日本人のルーツは、アイヌ民族にその末裔をとどめる縄文系と、大陸から渡ってきた弥生系とに大別され、両者の混血によって現在に至るそうだ。各ステージにおいて大陸からの移民があった。しかし、古代史が明瞭に刻まれる時代の中で移住してきた彼らは、移民としては明らかに新しい存在なのだろう。大陸への思いは尽きなかったに違いない。

巾着田を目指して歩き始めた。道端やあぜ道には彼岸花が目立つようになってくる。まだ蕾も多いが、田んぼの周囲を朱色に染める様は、ひとつの非日常的な光景だ。花の命はわずか10日前後なのだから。
それにしても彼岸花が多い。まるで「彼岸花街道」「曼珠沙華街道」とでも命名したいほど。実際には「かわせみ街道」と名づけられているが。路傍に5体の小さな石仏があった。彼岸花と同じ色の帽子が掛けられていた。

辿り着いた巾着田は人、人、人・・・。噂には聞いていたけれど車の渋滞もすごいし、観光バスも沢山来ている。普段は静かな田園地帯なのだろうが、やはり日本一の百万本と言われる大群落のなせる業だ。

さて、その百万本の彼岸花群生地に入る。楡やクヌギの林の中、幅50mほどの帯となって群落が続く。横を高麗川が流れる。蕾もまだまだ多く、3、4分咲きと言ったところか。さすがに、一面の真っ赤な絨毯ほどではなかったが、緑と朱色のコントラストが素晴らしい。この花の美しさを少しでもよく表現したいと、上から、横から、下から、そして近景、遠景と写真を撮りまくった。曇天で、林の中で暗いので、三脚とレリーズが活躍した。通路の狭いところでは、通せんぼしてしまったり、カメラをずらしたりと、大変だった。
やがて雨が降り出した。合羽にザックカバーを装着。これって、山の装備だな(苦笑)。カメラにも容赦なく雨が掛かる。しかし、撮影をやめようなどという考えはさらさらない。三脚をかかえたカメラマンは大勢いる。なんだか、誰もが同じような構図で撮っているなあ(自分も含めて)、と思ってしまったけど、それはそれでいいんじゃないかな。

巾着田の北には日和田山が聳えている。登って上から巾着田を見下ろしたいなぁ、と思ったけど、雨で霞んできたし、時計も3時を回ってしまったので、今回はパスすることにして、西武線の高麗駅を目指す人波の中にまぎれた。

※写真をクリックすると拡大表示されます。

1. 高麗神社

2. 聖天院雷門

3. 路傍の石仏

4. 巾着田

5. 巾着田

6. 巾着田

7. 巾着田

8. 巾着田

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