2 「人間の尊厳性」の根拠を求めて
2つの尊厳性
昨年の1月、私は仕事で東京に出かけ、帰りは恵比寿駅から山手線に乗ろうとしました。しかし、新大久保駅で人身事故が発生し、山の手線はまったく動かない状態でした。山手線に人身事故は多いのですが、こんなに長引いているのは珍しいことです。直後の情報では、酔っ払いが線路に転落して、それを助けようとした友人が巻き込まれて3人ともに死亡したというものでした。悲惨だと思いましたが、仕方のない連中だとも感じました。しかし、その後のニュースで、落ちた男性を助けようとした2人はその男性とはまったく関係のない人たちで、線路に落ちてしまった男性をとっさに助けようとしたところ、列車が入ってきてしまい、逃げ場を失って命を落としてしまったことが明らかとなりました。
私たちは身も知らずの他人を助けようとして自らの命を落とした横浜市のカメラマン関根史郎さんと韓国人留学生李秀賢さんの行動を尊いと思います。この2人の行動は、人間の精神または行動の中に「尊厳」という言葉に値するものがあるということを思い起こしてくれたのではないでしょうか。
同時に私たちは、はるかかなたの山々に沈みゆく太陽を眺めたとき、海を遠くまで見晴らせる岬から地球の丸さを感じさせる水平線を見たとき、生命が生まれる瞬間に立ち会ったとき、またその成長を眺めるときなどに尊厳性を感じるのではないでしょうか。
近代に入って「人間の尊厳性」をはじめて明確に示したのは哲学者カント(1724―1804)であるといわれています。彼はその著『実践理性批判』を次のような有名な言葉で締めくくっています。「私たちがそれを考えることしばしばにしてかつ長ければ長いほどますます増大してくる新たな感歎と崇敬とをもって心を満たすものが二つある。それはわが上なる星の輝く空とわが内なる道徳法則とである(1) 。」
わが内なる道徳法則 カントのいう「わが内なる道徳法則」こそ、その後「人間の尊厳性」として人権思想の根底に据えられることになる考え方です。それでは、どうしてカントは、「わが内なる道徳法則」を「尊厳」だとするのでしょうか。
カントは述べます。「それゆえ、道徳性だけが、そして道徳性を備えているかぎりの人間性だけが尊厳をもつ。労働における熟練や勤勉は市場価値をもつ。機知やはつらつとした構想力や諧謔は愛好価値をもつ。それに引き換え、約束における忠実や、原則に基づく善意は内的価値を持つのである (2)。」カントの言い方は少々硬いのですが、道徳的行動を行うことは、それが何かの役に立つからではなく、「良いことを行うこと」自体に価値があるのであり、それゆえに尊厳なのだというのです。言いかえれば、道徳性はそれ自体が目的であるので尊厳だというのです(自己目的性)。
しかし、そうしますと「人間」が尊厳なのではなく、「道徳性」が尊厳だといえばよいわけです。なぜ「人間」が尊厳なのでしょうか。この点についてカントは次のように述べます。「理性的存在者の自律(自己立法)こそ人間存在およびあらゆる理性的存在者の尊厳の根拠なのである(3) 。」これもまた硬い表現ですが、言いたいことは、「道徳性」は外から与えられるものではなく、私たちの内面から湧き上がるものであり、それゆえに私たちは尊厳なのだというのです。この点は、私たちが道徳を自ら創造することができるということですので「人間の自律性」といわれています。
このように、私たちの有する道徳性(良心)の「自己目的性」と「自律性」のゆえに、私たち人間は尊厳であるとカントは考えたのです(4) 。
わが上なる星のかがやく空 人間の道徳性を高らかに謳ったカントは、同時に「わが上なる星の輝く空」にも尊厳性を認めています。「星の輝く空」に尊厳性を感じるとは自然の摂理の中に尊厳性を見ることだといえるでしょう。カントは、心を洗うような満天の星空に感覚的な崇高さを感じると共に、ニュートンによって明らかとされた宇宙を支配する数学的秩序に思いをはせ、この世界の統一性・法則性に尊厳性を認めたのです(5) 。
ところで、「わが内なる道徳法則」に尊厳性を認めることと「わが上なる星の輝く空」に尊厳性を認めることとはどのような関係にあるのでしょうか。「星の輝く空」の尊厳性は、さらに考えると、宇宙の統一性・法則性への敬意であり、それは宇宙秩序の創造またはその創造者に対する尊敬の気持ちといえるでしょう。キリスト教では、創造主たる神が尊厳な至高の存在とされています。多神教の日本では、自然の中に八百万の神々を認めて、そこに尊厳性を認めてきました。つまり、尊厳性の感情とは究極的にはこの宇宙を自ら創造し、一定の法則性を付与している存在、創造者に対する畏敬の念といえるのではないでしょうか。
このように考えれば、「内なる道徳法則」の尊厳性と「星の輝く空」の尊厳性との共通点も明らかになってきます。つまり、両者ともに、それを作り出すこと自体が価値あることであり(自己目的性)、また、人間のまたは創造主の内側から湧き出る創造(自律性)であるのです。その自己目的性および自律性こそが「尊厳性」の根拠なのです(6) 。私たちの道徳性すなわち「内なる良心の声」が尊厳であるという感覚は、この世界秩序の創造に対するあるいはその創造者に対する尊厳性に連なっている感情だといえるでしょう。
生きていても仕方がない ところで、冒頭において私は「自分など生きていても仕方ない」と感じることがあると述べました。この場合、私たちは何に対してそのように感じるのでしょうか。よくよく考えてみれば、「生きていても仕方がない」とか「生きている価値がある」という場合、「世の中」とか「世界」の存在が前提とされています。「世界」や「社会」のなかで「自分は生きている価値がある」とか「生きていても仕方がない」と感じるのです。そして、この見方は、ちっぽけな自分自身と比べると途方もなく大きな世界が存在し、その世界は生きている意義が見つけられない自分と比較すると間違いなく確固として存在しているということが前提となっています。その存在する価値のある世界と比較して、または世界の役に立っていると思われる他の人と比較して自分自身が情けなくなってしまうのです。
「人間の尊厳性」の根拠を求めて こうしてみますと、私たちの尊厳性は、「世界の尊厳性」との関係の中で確認されなければならないのではないでしょうか。というのは、私たちは常識的に「世界の存在」を確かなものと感じ、その確かな世界と比べながら、「自分の存在」の確からしさに疑問を抱いているからです。カントは人間の自己目的性と自律性とが「人間の尊厳性」の根拠だとしましたが、人間の尊厳性は、自己目的性と自律性の点で世界秩序の創造(者)と共通しており、それが尊厳性の感情を呼び起こしているのではないかと考えられます。ただしそれは、私たちの創造性と世界の創造性との共通点から、感覚的に「つながっているのではないか」と推定したに過ぎません。ですから、私たちの創造性と世界の創造性との関連性を科学的に説明することができれば、私たちの尊厳性はゆるぎないものになるように思われます。
さて、私たちの創造性と世界の創造性との関連性を確認することはできないでしょうか。カントの時代には難しかったことですが、今日における人文科学、自然科学の発達は、人間の創造性と世界の創造性とのつながりを強く示唆しているように思われます。そこで次章では主として人文科学の見地から「この世界は私たちが認識する世界である」ということを、次々章では主として自然科学の見地から「外的世界の存在には私たちの知性が関係している」ということを示したいと思います。こうした検討を通じて、世界の創造性と人間の創造性とのつながりを明らかにし、「人間の尊厳性」の意味についてあらためて考えてみようと思います (7)。
(1)波多野精一他訳『実践理性批判』(岩波文庫、1979年)317頁、深作守文訳『実践理性批判』カント全集・第七巻(理想社、1965年)383頁。
(2) 篠田英雄訳『道徳形而上学原論』(岩波文庫、1976年改訳)117頁。
(3) 白井成允・小倉貞秀役『道徳哲学』(岩波文庫、1954年)142頁。
(4) 「わが内なる道徳法則」は、カントにインスピレーションを与えたと考えられるルソー(1712−1778)によって「良心」という言い方で一層分かりやすく示されています。「良心!良心!神聖な本能、亡びることなき天井の声、無知無能ではあるが知性を持つ自由な存在の確実な案内者、善悪の誤りなき判定者、人間を神と同じようなものにしてくれるもの、おんみこそ人間の本性をすぐれたものとし、その行動に道徳性を与えているのだ。」(今野一雄訳『エミール(中)』(岩波文庫、1963年)172頁。
(5)高峯一愚訳『自然の形而上学』カント全集・第10巻(理想社、1966年)189頁参照。
(6)原祐訳『判断力批判』カント全集・第8巻(理想社、1965年)424頁。また、「わが内なる道徳法則」と「わが上なる星の輝く空」の関連性については、本学法学部的場哲朗教授よりアドバイスをいただきました。記してお礼申し上げます。
(7) 人間の尊厳性に関する最も包括的な研究として、西野基継「人間の尊厳の多義性(一)〜(八)」愛知大学法経論集131〜135号、149〜150号、153〜154号(1993年、1994年、1999年、2000年)がある。この他、ホセ・ヨンパルト『法の世界と人間』(成文堂、2000年)137頁以下、井上典之「いわゆる『人間の尊厳』について―その具体的規範内容と現代的課題についての概観―」阪大法学43巻2・3号[下巻](1993年)617頁以下、田口精一「ボン基本法における人間の尊厳について」法学研究(慶応義塾大学)33巻12号(1960年)167頁以下、青柳幸一『個人の尊重と人間の尊厳』(尚学社、1996年)5頁以下、三島淑臣、稲垣良典、初宿正典編『人間の尊厳と現代法理論 : ホセ・ヨンパルト教授古稀祝賀 』(成文堂、2000年)など参照。また、カントの人間の尊厳については、中村博雄「カントにおける『人間性の尊厳』の形而上学的展開」前掲・『人間の尊厳と現代法理論』211頁、同「人格的自律性の哲学的考察―カント研究からの形而上学的解明」法の理論20(成文堂、2000年)111頁以下など参照。