6 むすびにかえて−世界を変えるということ−


 「自分が変われば、世界が変わる。」最近、こうしたフレーズをよく耳にします。実際のところ、これまで述べてきたように、私たちはこの世界を変えることができます。この世界が自分の外側に存在すると考えると、人間が改造可能なのは宇宙のほんとうに微々たる部分に過ぎません。しかし、この世界は私たちの知性によって1つの統一体として存在しているのであり、誰にとっても自分にいちばん身近な部分が宇宙の中心にあります。ですから、自分があるべき生き方をするならば、世界はあるべき姿になります。自分の心が平安ならば世界は平安です。自分の身近な者たちが幸福なら世界は幸福です。逆に、どんな理想的な社会に暮らしても、その生活を自分が楽しめなければ、その人にとってその世界はユートピアにはなりえません。

 しかし、このように言うと、「あなたは世界の多くの人たちが飢えや戦争で苦しんでいる中で、自分が平安ならば世界は平安だなどと言うのか」というお叱りを受けそうです。ここでもう一度、人権の意味をふり返っておきたいと思います。人権を主張するとは、「私はこの世界を創造する絶対的な主体としてかけがえのない大切な存在だ」として行動することであり、人権を尊重するとは、「他の人もこの世界を創造するかけがえのない大切な存在だ」として行動することです。自分が心安らかでない限り、どんなに人のためになる活動を行ってもこの世界は平安にはなりません。

 自分自身の心がけ次第でこの世界を変えることができるというのはエキサイティングです。ですが、問題は日々の生活の中で「自分自身を大切にする」ことをいかに実践してゆくかということでしょう。「人権のはなし」に感想を寄せていただいた栗原希代子さんが次のように述べています。「本当の意味で自分を大切な存在だと認めるというのは、実は一番難しい事なのではないかとよく思います。自分を正当化したり、変に誇示したりするのではなく、本当の意味で自己肯定し、セルフエスティームを持つというのは、常に自己を見つめていかないとできないことだと私は思います(17)。」

 ですから、本稿の結論は先の「人権のはなし」とまったく同じです。私は日々の生活の中で「自分を大切にする生き方、他人を大切にする生き方」を模索してゆきたいと思います。そしてそれは、本稿で明らかにしてきたように、同時にそれ自体で「世界を変える」ことでもあるのです(18)。


(17)宇宙超出22号(2002年)20頁。

(18)「人権」は歴史的経緯から保護すべき対象を「人間」に限定して考えられてきました。しかし、「知性」を持ち「認識」を行うものは必ずしも人間には限られません。ですから、「世界」を作るのも人間には限定されないように思われます。この点で、近時「自然権」が主張されているように、保護すべき権利の範囲も拡大される必要があるように思われます。

 ※ 本稿で述べられている内容は、沢登佳人の提唱する「自己超出論」「宇宙超出論」という考え方の一部を「人間の尊厳性」という視点からまとめ直したものです。ただし、本稿の叙述には著者自身の考え方が相当含まれています。「自己超出論」「宇宙超出論」の正確な内容については、ぜひ以下の著作をご参照いただければ幸いです。

 沢登佳人『権力止揚論』(大成出版社、1981年)

 同『存在と文化 第一巻・第二巻・第三巻』(風媒社、1971年)

 同『宇宙超出論―人生のむなしさを超えて』(白順社、1990年)

 同『宇宙超出への道―永遠のいのちをたずねて』(白順社、1992年)

 同『臓器移植と人間の生命』(白順社、1999年)

    

[トップへ]