| 4月6日 火曜日 晴れ |
| 明日から、塾が始まります。昨日は、また金魚が1匹死にました。よく数えてみるとまだ6匹が手水鉢の中で泳いでいました。たぶん、密度が高くて酸素が足りなくなるのではないかと思います。大きな水甕の中では、実は、気に入っている金魚が2匹います。水面に上がってきたときに見るのが楽しみです。このまま生きてくれればいいのですが、どうも難しいですね。 今日は、中3のために計算テストを何枚か作りました。どうも1,2年の計算がよくないというのが、わかったからです。少し、気になって正負の数の少し難しいのをテストしたら、まるでできないということが判明しました。まっ、こんなものなのでしょう。なかなか本論の入試指導には入れないということですか。やはりどんどん遅れていきますよね。思った以上に「やらない」ですね。最近の公立の生徒特有の傾向です。やらなくてどうにかなるかというと、まずどうにもならないということです。結果は分かっています。 近い将来やりたいことがある。そのためには、準備が必要だ。最終的に、どこかの出版社から、自分の書いたものを出したい。そのきっかけとなるためにあることを考えている。いつか数学やら英語やら、あるいは今はいえないが、書きたいことがたくさんある。そのときがきたら報告します。竹の会のOBももう相当数に上る。無事合格して竹の会を寿退会した元会員たちにいつか私の本を出版しましたと報告したい。竹の会は私の人生のひとつの証しです。 数式ソフト「カルキング」が、今年の指導の主役です。ようやく使い勝手がよくなったのです。その日に指導したいことを、最も効率よく、プリント化して、理解させるということを考えています。今日は、「日本語の数式化」をマスターさせたいと思ったら、その目的に最も適うプリントを作りたいのです。そして、しっかりと理解させてやりたいですね。長年やってきて、指導の勘所はすべて心得ているつもりです。何がわからないかなんて、よく心得ているつもりです。だから、そんなことを考えながら、プリントを作っています。カルキングのおかげです。 今日は、専門書を熟読しました。いろいろなことを考えます。ようやく頭の中に体系的なシナプスが組みあがってきたような気がします。読むことが、まるで吸い取り紙で吸い取るように頭に沁みこんでいく気がします。きっと、いいことがありますように。 |
| 4月4日 日曜日 雨 |
| 春の指導が終った。中3を鍛えている。例によってすいすいとこなしていく子もいれば、なかなかマスターできない子もいる。まっいつもの風景です。計算はすんなりうまくいっても、理論に入ると途端にストップする子も多い。数学って、DNAの比重が高いと思う。理論的な仮説に基づいて思考をめぐらすという段になると途端にフリーズする子もいる。計算レベルで苦労する子はやはり見通しは暗い。ここは数学はそこそこにしてなんとか他の科目で点がとれるように考えるのが得策だ。新宿、駒場クラスに合格するというのは、それなりに理解力のある子ということだ。が、これが早実とかになるとまた全然違う高い数学的センスを要する。長年やってると、実は、その子がどの程度でどこに受かるかなんてのは、ほぼ正確に言い当てる。 知能が高いだけではだめで、素直な性格、責任感のある生活態度、向学心・向上心などが最後はものをいう。 水甕の金魚は元気に泳いでいる。比較的大きいのが2匹。毎朝、元気かなと覗く。まあ、全身を奮って移動しているという感じだ。 in-putとout-put。パソコン用語だよね。最近の資格試験予備校では、この語が、頻繁に出現する。まず、in-putのカリキュラムをこなして、次に、out-putへというわけだ。資格試験だと答案練習がout-putの中心だ。問題集をやるのももちろんout-putだ。高校受験だとin-putとout-putが交互かな。教科書は平板だから、問題集をやって、問題点を意識しながらやるというのも定番の方法だ。が、問題集ばかりやっていると、脳が荒れてくる。雑になる。in-putに専念するしかないこともある。大学受験のとき、問題集はほとんどやらなかった。ただ、数学は、Z会の問題集1冊が教科書代わりだった。だから、out-putとin-putが重なっていた。数学みたいな科目はこの方法がベストと思う。寝ても覚めてもin-putというのがいい。かつて九州大学の井上教授は高等文官試験司法科を受験するため6ヶ月間下宿にこもったという話である。寝ても覚めても本を読んだとある。試験には2番で合格したとある。そういえば、東京大学の故我妻教授は、東京帝大に元首相の岸信介氏と同期入学であったが、岸信介氏は補欠合格であった。その2人が1学年で同率の首席だったという話も有名であった。我妻先生の著書の中に、自分はノートにまとめて一生懸命勉強して高等文官試験行政科に2,3番で合格したとある。教授というのは、こういった実績が必要だと聞いた。専念して夢中でやるというのが極意と思う。「夢中でやる」ようになることだ。 責任って何なんだろう。官僚主義の弊害のひとつとして、官僚が責任をとらないシステムというのがあげられる。政治的責任とか道義的責任とか、責任にも「何々的」となにやらラベルがつく。親の子に対する責任とは何かな。武士は死をもって責任をとったのかな。突飛すぎるけど、責任って、ほんとうに責任を果たすなら、死を意識しているかもしれない。それくらい必死でやるってこと。夢中でやるってこと。年金制度の破綻がいわれて久しい。官僚は相も変わらず責任をとらないで目先の利権で泥縄政策だ。ドイツは、国家百年の計を実践する国と聞いた。年が変わる度に、政策がころころと変わる日本の政策はいったいなんなんだ。年金財源でどれくらいの御殿が建てられたのか。不要になったといって二束三文で払い下げ、税金は泉のように注ぎこまれてきた。いったいこの責任はだれがとったのか。だれひとりとして責任をとる官僚はなく、そういうことを指揮してきたトップ官僚は天下り先を確保して自分の身分を保障する。そういうシステムって、何。塾長日記では社会的意見は書かないようにしてきた。が、政党といい、マスコミといい、なにひとつとして真摯な心が感じられない。他人のプライバシーを平気で蹂躙しながら、一方では表現の自由の危機だなどという。しかし、表現の自由をいうならマスコミに内在すべきモラルというのもより求められる。どうみても営利主義・商業主義が見え隠れしていて、パブリックな意見を展開しているようには見えない。朝日などの大新聞にしても、どうも信用ができないところがある。例の古賀議員の学歴詐称にしても、彼は曲がりなりにも在籍してかなりの単位を取得しているのに、他の有力議員は単位どころか、ただ遊学していたに過ぎない、日本でいえばノバみたいなところにいただけなのに、留学などと経歴を書いておきながら、新聞は少しも問題にしないという不思議さだ。長野県知事の田中さんが県庁から番記者を追い出したとき、新聞は一斉に攻撃した。が、大新聞の番記者は、県庁内に無償で部屋を与えられ、電話代からフックス代と何から何まで県が持っていたというから、あきれる。県民の税金を使っていたわけだ。大新聞が聞いてあきれる。これでは御用新聞といわれてもしかたあるまい。公平で中立の報道ができるとはとても思えない。今日は、阿部雄彦の政治批評になってしまいました。普段、酒なんか飲んで、誰も聞いてくれる人もいないけど、ひとりで、わあわあいってるわけで、佐高信とか、日垣隆になったような調子で言ってしまったかな。彼らは、偽善をとらえて、批判を展開する。偽善のない人間って、なかなかいないと思うけど、公人の偽善は看過できないということかな。私人レベルでも、偽善はやはり信用性にかかわる。 |
| 4月3日 土曜日 晴れ |
| 明日まで、春講習だ。新中3を指導している。数学と英語。数学は、平方根、多項式、因数分解、二次方程式の計算をまず使いこなすことを目標にしている。多分、平方根と多項式で春は終わるだろう。4年くらい前は、中2の12月から指導開始していたこともあって、大概3月にはすべてを終らせていた。最近はスタートが遅い。親も子もかなりのんびりしている。受験勉強は1学期が始まったらそろそろ始めようかなどという人もかなりいる。実際に指導しながら、指導の具体的方法は生徒の理解の様子、勉強への取り組みを見て、まさに千変万化だ。結局、英語指導案は全面的に絶版することにした。いろいろ考えてのことだ。英語は、新構想のもとに「英語トレーニングペーパー」の開発を始めた。蓄積された資料をさらに練り直して、効率的な英語の修得をめざす。数学も、1テーマプリント主義で確認しながら個々的に進めることにした。テキストを与えて、やるように指示しても中々やらない。やらないままに過ごす。そういう子が多い。 2,3年前から、花粉症だ。目が痒くなり、こすっていると真っ赤になる。お茶の水の井上眼科に月曜日には行きたい。とにかく患者がわんさか来てやたら待つのが嫌でなかなか行く決心がつかない。でも行くしかないか。帰りは水道橋の丸沼書店に寄る。ここは法律書ならなんでも揃っている。しかもすべて1割引だ。 木更津の妻の実家から届いた大きな水甕に水をたっぷり入れて、ただいま比較的おおきな金魚2匹が暮らしています。実は、甕が届いてすぐ8匹ほど放り込んだら、翌朝酸欠でアップアップしてた。結局1匹死んだ。あわててもとの手水鉢に移し替えて、善後策を思案。結局、エアポンプを設置することにした。もとからいた6匹(2匹死んだ)は手水鉢でそのまま飼うことにして、水甕には、新たに2匹比較的大き目の奴を買い込んで放り込んだというわけだ。水がぬるむと酸素が減るらしい。そういえば何年か前にも春になってバタバタ死んだことがあった。 勉強をやらないこどもというのが、昨今の実状だ。やらないで平気だ。不安もなく平然としているのが最近のこどもの特徴だ。入試はそうしたこどもたちに現実の厳しさを教えてくれる。やらないこどもたちにとっては高い代償を払うことになる。はたと考えた。どうしたらいいのか。竹の会で用意したテキストもやらないで放置していて平気な連中だ。塾にきてるのにこのままにしておくわけにもいかない。思案の結果、日々その日にやるプリントを作ることにした。その子の状況、段階を考えて当面の壁をひとつひとつ取り除いていくということにした。塾にきたらあらかじめ作っておいたプリントを渡して、やらせる。そして理解しているかどうかいちいち確認する。こういう作業をしていくしかなさそうだ。 いろいろ本は買い込んでいる。すぐには読めそうにはないので次第に積み重なっていく。「携帯を持った猿」とかいう本を斜め読みした。猿とは今の若者をさす。人前で平気で化粧する女の子、歩きながら、あるいは電車で平気でものを食べる女の子、平気でどこでも携帯をかける若者、そうした連中の意識構造を猿社会と対置して分析した本だ。キィーワードは「内と外」。奴等には、すべて「内」というわけだ。まっ、それなりに面白い本だと思います。最近は、思うところあって、法律書ばかり読んでいます。 日記をしばらくつけていなかった。かみさんの幼馴染のお京さんから、かみさんにメールが入って、今日は書いています。いろいろ考えごとが多くて、考えていると何か書くのがおっくうになっていまうのです。思索する日は中々ブルーです。 |
| 3月28日 日曜日 |
| 数学が苦手の中学生の頭の中はどうなっているのだろうか。高校入試の数学を勉強し始めると、たいてい2次関数のところで、躓く。できる生徒とできない生徒はここで振り分けられる。ここで時間がかかる生徒はたいてい数学で入試を超えられない。逆にできる生徒はとにかく前に進んでいく。昨日は、小学生の乗り越えられないカベみたいなものについて話したが、高校入試ではこの2次関数あたりがカベとなる。過去の指導でこれは何度も実例をもって証明されてきた。計算はなんとかこなしても最後にここでカベに突き当たる。数学は仮定の話だ。ある仮説に基づいていろいろさらに仮説を論理的に積み重ねていく。2次関数では、変化する2つの変数の関係がグラフに視覚化される。入試問題はこの視覚化されたグラフ上での操作に限定されて出題される。グラフだから、点の集合であり、点の住所所在地が座標だ。2次関数の場合、この座標をいろいろ使って問題を解くことになる。そこでその座標の使い方をいろいろ覚えていく。かなりパターン化されている方法が多い。この操作ができるということが数学ができるということなんだ。この座標平面上での数学的な操作、それは相似の関係を使ったり、三平方を使ったりと区々である、が自由自在にできるということなんだ。勉強する側が、この座標世界というマトリックスの中で、自ら考えて動かなければ、このマトリックスを抜けることはできない。正の数だけでなく、マイナスの数をも取り込んだ座標平面の世界で、文字という不思議な魔法を使う魔法使いを味方にして、平面世界の中に意味のあるストーリーを見つけていくことなんだ。特定できない数を文字Xを使って表わす。これは便利だ。どこと特定できないから、まあだいたいこの辺だろうと適当なところに文字の仮の住所を決めてやる。そして、その仮の住所を中心にして、意味づけをしていく。数学というのはそういうことなんだ。そういうことがわかってくると、つまり意味がわかってくると数学はほんとうに面白い得点源となるだろう。 数学はまずある概念の定義なり取り決めなりが仮定される。その仮定の上にマトリックスが作られている。もし迷ったら、マトリックスから現実界つまり定義にもどることだ。数学のできない子はマトリックスの中で迷いウロウロするばかりだ。まずマトリックスを成り立たせている定義を考えることだ。たいていは何題か過去問を解くうちにその処理をマスターしていくものだ。少なくとも都立でいえば新宿レベル以上ならこれはマスターしておかなければ通用しない。 しばらく休みが続いた。疲れた体を休めている。今年の指導は久し振りに授業原稿を準備している。気合入ってます。 今日は、木更津の妻の実家から大きな甕を配送するべく妻が赴いて手配した。妻の実家は130坪くらいの敷地に日本庭園が立派だ。そこにかつて義父が生きていた頃、出入りの大工さんが持ち込んできたおおきな甕があった。ずいぶんと手に入りにくいものらしく、義母に頼んで譲り受けたものだ。何に使うのって。はい。これに金魚を泳がせたいのです。ただそれだけです。 先日は、幼友達のアキちゃんが、浜田山に2号店を出したということで、かみさんと出かけた。そこで30年ぶりに浜田山に住む叔父にあった。忙しい人で同じ東京に住んでいながらなかなか会える機会がなかった。同じ大分県出身の人で、苦学して小野田セメントの役員にまでなった人だ。退職してからは子会社の社長などをして今は悠々自適の生活を送る。久し振りの再会で話が弾んだ。再会を約して別れた。叔父はいつまでも姿が見えなくなるまで私たちを見送ってくれた。 |
| 3月26日 金曜日 どんよりとした曇り後快晴 |
| 「花子さんは所持金の5分の3で本を買い、残りの2分の1でノートを買ったら、100円余りました。最初にいくら持っていましたか」という問題。中学受験をするんであれば、少なくとも、小6になる前に、この問題がわかる必要がある。また、中学受験をしなくても、中学に入るまでには、この問題がわかる必要がある。1あたり量ひいては割合の理解の有無がこの問題を解かせることで推測できる。ここのところを理解しない子はいつまでたっても先へ進めない。というか何を教えても理解しないといっていい。というか自分で考えて解くということができないままに過ぎる。この段階の子、つまりここでわからない子はなかなか算数に面白みを感じられない。それですぐに放り出す。少しやってすぐにほかのことをやったりする。このままに1年が過ぎて、塾に1年もいるのに一向に成績が伸びないなどと塾に不満が出る。こういう子を親は無邪気に進学塾なんかに放り込む。進学塾では、一定のテキストに従い、算数、国語、理科、社会と毎日進んでいく。毎日新しいことを学んでくる。そこで親はとにかく前に進んでいると喜び安心する。テストがあり点数がとれないと、塾の先生に相談する。復習が足りないとか、予習しなさいとか、勉強がたりないとかで話は終わる。1年がたちできないという事態は何も改善されていない。いやこの1年の間に、勉強勉強と追い立てられ、勉強に対する嫌悪感は日増しに大きくなる。最悪なのは、じっくりと考えることをしてこなかったことの代償が大きすぎるということだ。問題をみて、知ってる問題か知らない問題か、知らない問題は解けない、知ってる問題は解き方を覚えているかどうかで決まる。そういう脳にかちんかちんに固定されてしまうのだ。先に出した問題はおそらく覚えていないから解けないということになる。大手の進学塾にいってこういう脳に仕上げられて終わりだ。入試がうまくいくはずはないし、公立にいっても同じことだ。先の問題が本当にわかったといえるまで、時間をかけて考えることが必要だったのに。いったん理解した子は早い。あっという間に進む。竹の会の私の指導に我慢しきれないで去っていった人たちも多い。「先生、だめならまた戻ってきます」などという親もいた。大手でだめなままに戻ってきて、竹の会に何ができるというんですか。いちばん考えさせる時期を奪っておいて、何ができるんですか。先の問題を理解しない子には実は指導時間が短すぎたのかもしれない。3時間、週3回は竹の会にやってきて、わかるまで考えるという時間が必要だったと思う。しかし、そういう子に限って、いつも逃げの姿勢だ。現実を回避する方向ばかりを向いている。まともに正面から取り組もうとはしない。ひとつのたったひとつの問題を与えておいて、何日も何日もわかるまで考えさせることが必要だ。わかるまで自分でわかるまで考えさせる必要がある。夏休みや冬休みはそういう長時間の指導がとれるいい機会だ。しかし、できない子に限って、いろいろ用事をつくってこないんだ。きても、こまぎれに来て、結局、なんの効果ももたらさないままに終わる。親も子もわかっていないんだ。何をしなければならないかということが。これはできない子にとってのひとつの壁だ。この壁を何とか壁でなくさせようと、私は努力しているんだ。こどもに何が必要かということを、いつも何らかの問題を創作し、試す。必要なことを知るために。そして何を理解させなければいけないかを見抜く。こうしてその子の壁を取り除くように指導をしていく。その子がなかなか前を向いてくれない。だから時間がかかる。親は気が短い。だから塾をさっさとやめてしまう。いつまでたってもなんの解決はないままに。竹の会の私の指導の心をほんとうに理解してくれる人は少ない。でも少しだけいる。合格して成功した親たちから、そういった趣旨の感謝のことばをいただくことがある。竹の会がすばらしいところであったとか、すばらしい指導をありがとうございましたとか、先生に出会わなければ今の喜びはなかったとか、いろいろな手紙などをもらった。塾の玄関で手をついてお礼のことばをいわれたこともある。私は、ひとりのこどもを指導するのに、1年、2年、3年単位で考える。指導とは時間のかかる、実に遅々とした緩慢な時間の流れを要する仕事だと思う。1回2時間、月8回を区切りとして考えるのとは相容れない、連続した時間のある期間が指導には必要とされている。 今日は私の指導論の一端を少し紹介してみました。長い間こどもを指導してきました。私なりに指導理論というものがあります。ひとりのこどもをどう指導していくかという私なりの見通しがあります。その子の現状を正確に把握し、適切な具体的処方をしていく、私なりの確信があるわけです。 今日は明け方とても寒かった。どんよりとした天気だ。木更津の妻の実家にある大きな甕をもらうことになった。どうやって運ぶか算段している。 |
| 3月25日 木曜日 どんよりとした曇り |
| 昨日は、映画に行きました。六本木ヒルズにある映画館で設備がいいのに驚きました。 竹の会回顧録。竹の会を始めたのは昭和60年10月のことだった。手書きの募集はがきに3人の代々木中2年の女子が申し込んできた。11月には、評判となりあっという間に生徒が増えた。12月だったと思う、上原中の中2男子が来たのは。それから1年後の昭和62年2月に首都圏で初めての高校入試を体験した。上原中の男子は、青山学院高等部に合格した。代々木中の一期生3人娘は、都立駒場、都立目黒、國學院久我山にそれぞれ合格していった。同期には、驚異的に成績を伸ばしたH君ややはり成績伸長著しく日大櫻丘と都立大に合格したK君がいた。3人の一期生女子は私には思い出深い。いろいろとやりとりがあって、いつも勉強させられた。一期生の合格結果は評判となった。私の指導法も手探りの状態で、とにもかくにも一つの結果を出せてホッとしたものである。竹の会を始めた頃は、得意の数学が評判となった。それで数学が苦手という人がよく来た。英語に関しては、指導法が確立してないままに、過ぎていき、かなり焦っていた時期であった。新中学問題集を使って、しのいだりしたが、効果はよくなかった。様々な英語の本を読み、研究した。そして、ひらめいたアイデアをプリント化していった。いつしか膨大な量のプリントが蓄積されていった。その中から、さらに選び抜いて、珠玉の英語テキストの完成をめざした。現在の竹の会の定番テキスト「英語指導案」が完成した。このテキストができてから、竹の会の会員の英語力は完璧になった。都立駒場、都立青山、都立西、都立目黒と多くの会員たちがこのテキストで育っていった。なかでも思い出すのは、中2の学年末で英語19点であったH君のことだ。彼は知能が高く、数学は優れていたが、英語でどうしていいのかわからない状況にあったのだ。そういう状況で竹の会に来た。彼は、英語指導案をやりこんだ。そして、竹の会の最高傑作「英語ポイント集」をくり返しやるようになってから、英語力を驚異的に伸ばした。本番入試では英語100点をとった。都立目黒に合格。今、「英語指導案」は、絶版中だ。新たな構想のもとに、さらにグレードアップした最高のテキストとして蘇る日は近い。 「英語ポイント集」は、もし市販すれば、全国の中学生の福音書となることは間違いないと確信している。現在、竹の会の受験直前期の切り札的テキストとして使われているが、将来市販化されることがあるかもしれない。 竹の会は、さまざまなテキストを授業の実践の中から、考案してきた。あることを習得させるのに、無駄を一切省いて、要領く教えたい。そういう指導する側のニーズに応えるテキスト作りをしてきた。完成度の高い指導をめざしてきた。竹の会から、東大合格、早稲田合格、慶應合格という結果を出したいといつも思い続けていた。そのために指導技術を磨いてきた。竹の会のような小塾にくるのは、なにやら問題をかかえたこどもばかりだ。大手のように優秀な逸材がくることはめったにない。それでも逸材にめぐりあうこともある。その中から、早稲田や慶應の合格者を出すことができた。竹の会がなにげなく久我山合格だとか、都立目黒合格だとか出しているときも、実は1年前はとても合格なんかできそうになかった生徒を合格させているということが多い。小塾の宿命で、集まる子は普通の子か学校の授業についていけないレベルの子が多い。その中から、合格レベルに仕上げていく。その意味では、竹の会はそのノウハウは豊富だ。 近頃考えること。核家族。年老いた父母は遠く離れて暮らす。こどもは巣立っていく。育てた親のことなどすっかりなかったかのように。まるで自分だけで育ったかのように。私は、田舎を出て、東京に暮らすようになっても、父母のことを思わない日はなかった。小さい頃から、祖母がいたせいなのかな。核家族って壊れやすい。こどもが1人立ちして一所懸命頑張って生きていく。悲しいことや苦しいことで人生が楽しいことばかりでないことを知るだろう。歳をとってわかることも多い。いつか巣立って離れていったこどもたちが、ふと思い出して顔を見せてくれたとき、いつも変わらぬ日常をおくる父と母がいたらホッとするかな、そんなことを考えています。 |
| 3月24日 水曜日 曇り後雨 |
| 昨日はまだ寒かった。月曜日は教室のストーブをまたセットして使うはめになった。春は簡単には来ない。ポカポカ暖かくなってきたかと思うといきなり寒の戻りだ。ガランとした教室。中3の集まりも悪い。冷たい雨のせいか。厳しくなった都立入試のことが頭を過ぎる。 回顧録。いつだったか、その頃は、私の「英語指導案」もまだなく、某社の「新中学問題集」を使っていた。中2の春休みにその男子生徒は入会してきた。その生徒の母親はいきなり迷い込むように竹の会をノックして入ってきた。唐突な感じがした。何の迷いもなく入会申込をして帰っていった。その生徒S君は、春休みからの参加であったが、私がやるようにと渡した新中学問題集を黙々と何のためらいもなく普通にやりはじめた。時間がくると、さっとたちあがり、これまたずいぶん前から竹の会のことを知っているかのように、一礼して帰っていったものだ。彼の学校での成績は、学年200人中の50番くらいだったと思う。それが始まりだった。当時、毎日90分コースというのがあって、彼はそのコースに申し込んでいた。だから、ほとんど毎日来た。やりあげると「次に何をしたらいいですか」と決まって聞いた。この点は、都立西に推薦で合格していった○君と全く同じだった。彼は、新中学問題集の標準編も発展編も完全に終わらせた。でも英語の点数は中々9割を越さなかったのだ。これは数学も同じで70くらいをウロウロしていた。まだ、私の受験指導書シリーズも完成してなく、この時期は私の指導のひとつの壁の時期であったと思う。数学の過去問指導法は竹の会を始めたときからやっていたが今のようにはっきりと確信をもってやっていたわけでもなかった。彼の英語が伸び始めたのは、結局中3の2学期頃からだったように記憶している。夏の長時間指導の後からか。昔から使っていた「高校英文解釈初級」というテキストを終わらせた後だ。ようやく90点を越すようになった。私の数学指導法も、最初は、駿台やら代ゼミやらの市販問題集を使ったり、某社の新中学シリーズを使ったりで迷いがあったと思う。だが、入試直前には決まって、様々な学校の過去問を解いていくのが定番の方法として定着しつつあった。すべての問題を必ず自分で解くようにした。入試問題に真から精通することを目標としていた。市販の解答解説にひどいものがあるというのが次第にわかってきた。そこでできるだけ教科書だけの知識を使って簡単に解くことをポリシーとした。そうした私流の解答を作っては生徒に渡した。このやり方がいつしか竹の会の数学指導の核となっていった。毎日の英語の指導には様々なプリントを作成した。これが集大成されて竹の会の定番指導書「英語指導案TUV」が完成した。さらに、早稲田実業を目指したH君という優秀な生徒がいたおかげて、現在の竹の会の受験バイブル「英語ポイント集」が完成した。さらに慶應女子をめざした女子のために作ったのが「英語合格本」であった。この2つのテキストのおかげで、竹の会の会員たちの受験英語力は完璧となった。多くの使用者たちがそのすごさに感嘆した。その中から同じ問題が出たと毎年のように評判になった。こんな凄いテキストはもう二度と作れないかもしれない。実は、私が高校生を指導していたときに、書いた「高校英語概論」というのがあって、これを使った高校生から「分かりやすい」という定評を得た秘密本があるんだ。先に話したS君の頃にはまだ私のテキスト群も完成してなくて、S君には悪いことをしたと思っている。そのS君だが、実は中3の2学期の業者テストで学年2番をとった。彼は都立青山に合格し、入学後3年間ラグビーに専念した。一浪して某国立大に行った。中3の頃、彼の部屋の電気が朝方まで点灯していたことが近所の評判になったくらいに勉強した。竹の会にいた同期のY君と共にそろって青山に合格し、そのY君は3年間、学年トップで東大に現役合格したのも私には衝撃だった。あのY君も私の指導の洗礼を受けた優秀な生徒であった。英文解釈がうまかった。そのころに片鱗はあったわけだ。私の指導の過渡期を共に過ごした生徒たちのことが目に浮かぶ。竹の会がスタートしたころの指導はどんなものだったのか。家庭教師しか経験のなかった私の手探りの時期だった。よりよい指導を探して、日夜悩み、成績があがらないと親たちに言われては悩み、いろいろ試しては挫折し、真の指導法を追求する日々であった。苦労しながらも、一所懸命やった。幸いに、最初からほんとうによく受かった。ただ一所懸命にやってただけなのかもしれない。今のように確信をもった指導法もなく、がむしゃらに教えていた。授業中心だった。しゃべってばかりいた。しゃべってもそれに正比例して生徒の成績が伸びないということがわかってきた。何が足りないのか。いつも考えた。生徒ひとりひとりで壁は区々であり、ひとりひとりの壁を取り除くしかないということがわかってきた。次第に今のような指導法が出来上がっていった。自分で「わかる」という生徒を育てることが指導だと思うようになっていった。わからないことを教えるよりも、そのわからないことを自分で考えてわかるようにその子を育てることが指導だと思うようになった。この指導法の最終段階では、ほとんどの問題を自分で考えて解く姿がある。私は、ほとんど介入していない。真実難しいというところを解説はする。だから、受験の最終段階では、私は、いつもデスクに座って何もしていないように見える。いきなり来た人が、先生が何もしてないように見えるのは完全な誤解だ。よく小学生が私をみて、「先生、暇ですね」という。彼らにはまだ見えてないんだ。私が何を指導しているのかが。今年、東大付属中に実質倍率6倍の難関を切り抜けた小学生がいる。彼女も入会したての頃はよく「先生暇ですね」といったものだ。私の長時間指導を受け、彼女は変わった。「考える人」になった。そして竹の会の絶大な支持者になった。よく「先生のおかげです」といわれる。「私は何もしてないんですよ。彼が彼女が自分でやったことなんですよ」と私は答える。私が何もしてないようにみえるうちは、まだ実力はついていないよ。まだ「考える人」には変身してないんだから。わたしが真に試みているのは、君達を「考える人」に変身させようとしているんだ。君たちが考える人になってくれたら、私の指導も楽だし、なによりも放っておいても成績が上がっていくからね。私が何をしているのか。分かるとき君達は竹の会の熱烈な支持者になっているよ。よく問い合わせのとき、「どういう教え方をしているのですか」という質問がある。「個別指導です」と答えながら、私は、「何を話したって、竹の会の私の指導をわかってくれやしない」よと心の中で復唱している。何か結果をすぐにだしてもらいたいと考える親にはこんないいことがありますよなんていってやればいいのかも。しかし、「考える人」を育てるなんて時間がかかり、結果が見えにくい指導に納得する親なんてほとんどいない。1年もいて、塾にいても何も変わらないなどといって止めてしまう。その子が真実「考える人」に変身しない限りなんの解決もないのに。待てない親たちがあせって、いろいろ塾を変えてみる。変えてみて何も変わらないことがわかるのが高校入試の時だ。少なくとも「考える人」になっていなければ、スタートの時と同じなのに。 私の指導法の理解者もいた。最近は、高校入試や中学入試で結果が出るせいもあって、私の指導に信頼を寄せる人も増えてきた。指導とは何かといつも考えてきた。短絡的に「教えてもらえばできるようになる」と考えている親たちとの長い格闘の日々であった。 今日は、これから、映画を見に行きます。 |
| 3月21日 日曜日 朝9時過ぎ 晴れ |
| 昨日は寒かった。雪が舞ったらしい。 その子は、小6の夏に一度、竹の会にきた。分数の通分もままならぬ状態であった。それから年が明けて2月のこと、再びその子は竹の会に入会したいといってやってきた。分数の通分はやはりできないままだった。私は市販の計算プリントを使って、まず計算からやり直すことにした。その子はもくもくとやった。おしゃべりひとつしなかった。ただ黙々とやった。人と話をするのが苦手の子だった。2時間通分をやってのけた。やがて中1になった。通分は続いた。ようやく通分ができて、今度は分数のかけ算に入った。来るたびに200題以上を練習した。分数のかけ算をやっているといつのまにか通分になっていることがあった。通分とかけ算を混同したのだ。区別ができないのだ。また通分からやり直し始めた。ようやく通分が身に付いてきたのでまたかけ算にもどった。学校は正負の数から文字式、方程式とどんどん進む。その子はそれどころではない。当然、通知表はほとんど1だった。夏休みもその子は黙々とやった。正負の数を覚えさせるのが大変だった。マイナス×マイナス=プラスというのが中々できなかった。その子は黙々とやった。文字式をマスターさせるときも苦労した。その子はただひとつ私がいった方法をまるで応用もきかない頑な思い込みで黙々とやった。方程式の文章題はメチャクチャだった。わけのわからない数式を書いてきて私を困惑させた。そういえば英語の単語だって、1回目を覚えるのに1年以上かかった。当然英語は1だった。その子は2時間もくもくとやった。夏休みも黙々とやった。中2の終わる頃、その子は指導案を何回終わらせていただろうか。普通に頭のいい子が何もしないのと違って、その子は黙々とやった。単語テストは中1の教科書2冊分を終わり、英単語帳の4段までクリアした。中3の1学期には英検3級に合格し、漢検準2級にも合格した。私は、数学をその子に教えるときはいつもその子が壁に突き当たるのを避けるように問題を選んだ。複雑な思考をとる問題を避け、できるだけ基本がマスターできるような問題のみをやらせた。中3の1学期、その子の通知表はほとんどの科目が4以上だった。中1のとき、ほとんど1だった子である。中3の7月、その子は進学塾に行った。竹の会を去っていった。自信がついたのであろう。が、その子は気づいていない。私が、躓かないようにつまずかないようにと問題を選び選び先導してきたことを。自分の実力がついたと錯覚した。進学塾にいけば、もうそんな配慮なんかはない。難問を、大部な問題集を突きつけられる。私にはわかっていた。いくら努力しても超えられない能力のカベがあるということが。でも、ひたすら努力してきた君には敬意を表したい。なにしろあの悲惨な学力からここまできたんだから。 竹の会は、小塾である。だから、いろんな問題をかかえた子ばかりがやってくる。算数ができない、英語ができない、国語ができないと症状を訴えてくる。私の二十年はこういう子たちとの格闘の二十年であった。問題がない子は大手にいく。たまたま能力のある子がくることもある。そういう子は一度中学入試なんかで大手を経験し失敗した子たちだ。大手に失望した子たちだ。私は、そういう子を育てて早稲田やら慶應やらに合格させてきた。竹の会は小塾である。だから、能力のある子が来るのはこういう特殊な場合に限られる。大半は、学習障害のある子を指導することになる。だからそちらのほうも専門家になってしまった。何度でもいうが、私は難関校の指導のほうが得意だ。でも現実はできない子を仕上げて、都立駒場やら新宿やらに合格させるような仕事がほとんどだ。 このところ自分の指導についていろいろ回顧することが多い。東大なんかになんの苦労もなくすんなりと合格した学生なんかに教えてもらうのはある意味で悲劇だ。彼らは、何がわからないのかわからないんだ。わかってあたりまえということばかりで、当然のことがなぜわからないかがわからないんだ。少なくとも、東大の学生には普通にわからないという子は教えられない。彼らが教えられるのは、能力の高い、わからないというところが高度でわからないと悩む生徒だけだ。東大が売りの家庭教師にはご注意。頭がよければすべてよしなんてことはないんだ。私は、高校時代は県下の御三家というところに入ったものの結局まともに勉強しなかった。数学も英語も古典もすべての科目は独学でマスターした。いつもわからないで悩んできた。だれに教わることもなく苦しんできた。だから人がわからないというとなぜわからないのかよくわかるんだ。算数の文章題のところですでにギブアップしてきた子が中学になって個人指導塾やらなにやらに行って教わったってできるようになるはずがないんだ。じっくり時間をかけて思考させるしかないんだ。塾にきて何ヶ月も結果が出ないと親はすぐに塾を批判するけど、もとはその子が一番時間をかけなければいけないところではしょってきたことにあるんだ。だから、竹の会ではそういうところをじっくりやろうとする。でもそれには、1年や2年はかかる。基礎作りをさせてくれないなら、対症療法をやる塾に行くしかない。なんの解決にもならないけどね。先にあげたあの黙々と何も不平を言わないでやっていた子はめずらしい。親も自分の子ができないとわかりすぎるくらいにわかっていたこともある。だから、その子が進学塾に行くといってきかないとき、その子の母親は竹の会に来て、私の前で、感謝しながらドット泣き伏したんだ。私にはその感謝の気持ちで十分だったけどね。 問題児が来ると、いつも考える。その子をどうしたらできる子にできるかと。できない子には単純に簡単に考えられる方法を与えるようにする。その方法を考える。 |
| 3月20日 土曜日 曇り |
| 金曜日は教室はガランとしていた。3月はまだ教室も静かだ。今年は、新中3のために講義レジュメを作っている。5科目万遍なく指導していくように注意している。ほとんどが都立志望だが、都立そのものが厳しくなっており、自然、指導にも気持ちが入ってしまう。課題の消化率が悪い。なかなかやってくれない。 新中1も単語の暗記がなかなかできない。このままだと、文法に入れないので、苦慮している。 今年は、いまのところ中学入試がいないので、比較的、気分が楽だ。中学入試も少子化の影響大で、偏差値40以下の中学だと、全入じゃないか。 できる子が集まっている進学塾は指導そのものは楽だ。私も、難関校指導がもともと得意だった。しかし、小塾にやってくるのは何らかの問題をかかえた子ばかりだ。そこで、できない子の指導が求められる。できる子を指導するのと違って、できない子は躓いているところから、掘り起こしていかねばならない。できる子があたりまえのこととするところでも、できない子には関所なんだ。そのためにいろいろと指導のやりかたに四苦八苦する。もうこういうことを二十年余もやってきた。竹の会で合格したという場合、その子が決して実力者で余裕をもって合格したとは限らない。むしろほとんどが奇跡的な合格である。偏差値37の子が、55くらいまでになって、65の久我山高校に合格したことがあった。久我山合格といっても、他所とは違う。できない子をそこまで仕上げたということだ。学校の先生をして「絶対不可能」とまでいわしめた青山学院高等部合格のときもそうであった。竹の会がそれとなく、合格と出しているとき、実は、その子にとっては、奇跡的合格であったということを看過しがちだ。前に、その子がこのように努力して合格しましたといった趣旨の広告を出したら、親御さんに叱られたことがあった。親御さんの意識というのは、「余裕で受かった」と他人には見られたいのだということを思い知った。今年も、合格速報は地味だ。だが、合格の裏には並々ならぬ努力とドラマがあったんだ。 一昨日、小学生のころのガキ大将仲間のアキちゃんから、はがきがきた。居酒屋の2号店を出したという内容だ。去年の7月だったか、井の頭線の久我山駅の近くに店を出したばかりだ。アキちゃんは、私より、5つ下くらいだったと思う。小学生のときは、家の向かいに住んでいた、親分格の私の手下みたいなもんだった。近所には、年下のシュウちゃんや田中君なんかがいて、私がそのグループの親分だったというわけだ。ビー玉やらパッチンやらをグループで組んで、他の連中から勝ち取っていたものだ。去年、そうした仲間がたまたま東京に集まって、わいわい騒いだ。酒がまわってくると、私の悪事が次から次へと出てくる。しかし、みんな愛情を込めて、当時のガキ大将を懐かしがる。グループで乙原の滝に野宿したときの話やら私が他のグループの奴と殴り合いをした話など尽きない。得意の「高校三年生」も歌わされた。アキちゃんは、中央大学を出てから、大手生保に就職していたが、その後、高校の同級生が始めた会社で役職を勤め、2年前にそこも辞めて、独立するという話になっていた。あれから、2年。今度は、浜田山に店がオープンする。オープンの日、ガキ大将も顔を出します。 引き出しから、中学の時の通知表が出てきた。中学三年生の3学期、数学5、国語5、理科5、社会5、英語4、美術4、保体3、職業家庭4、音楽5となっていた。英語4は死んでも忘れない。私は、実力テストでは英語はいつもトップの点だった。定期試験のときは、90点以上とっても絶対に5はとれないしくみになっていた。担任が英語の先生で内職で塾をやっていた。そこに通う連中があらかじめもらっていたプリントの中から問題が出た。だからそこに行っている奴はほとんど100点近くをとっていた。これがわかったのは、あるときその塾に行っている奴が読んでいたプリントを見せてもらったことがあったが、試験の問題とそっくりそのままだったんだ。担任は、授業のときに私ばかりをあてた。私がすらすら答えるので、授業がすすめやすかったからだろう。私は実力テストではいつもクラスのトップだった。わけのわからない不正義がまかり通っていた時代でした。 今日は、春休み用のレジュメなんかを作って、一日を過ごす予定。体を酷使しないように気をつけている。 |
| 3月18日 木曜日 曇り |
| ずいぶんと暖かくなった。昨日は、とうとう教室のガスストーブを外した。教室は、比較的ガランとして落ち着いている。受験前のあのなんともいえない緊迫感はもうない。入試を終えていろいろ思うことが多い。都立入試の激変。もう都立はいままでのように内申さえあれば安心して受けられるところということはない。100人、200人が一度に落ちる。独自問題出題校になると問題レベルは高い。3年生になってからそろそろ受験勉強かなどと悠長なことはいっておれない。今は、まるで受験ということに無垢なこどもたち。これから一人前の受験生に仕上げていく。 小6の指導で考えること。竹の会では昔から英単語の100問テストを入学前に合格させることを目標にしてきた。100問テストに合格した子は中学に入ってからほとんど英語で苦労しない。もちろん入学後もきちんと勉強するのは前提だけど。逆に、この100問テストに受からないと英語がまるでできないことになる。これには過去例外がない。そこで困っている。現在いる小6つまり新中1の何人かが未だに単語テストになかなか合格しないのだ。中には、100問テストどころか200問テストに受かった子もいる。こういう子はもう中学3年間の英語は保障されたようなものだ。単語を覚えるということ、これは語学を勉強する際には避けては通れない。これを避けてなんの英語指導も成り立たない。基本の単語さえおぼえていない子にbe動詞や3人称なんかを説いてみても空しいばかりだ。覚えない子は見てると、塾にきたときだけが覚える時間にみえる。何回も何回もくり返しくり返し覚えるという努力がない。今はただ覚えるだけでいいのだ。覚えることがすべてなんだ。 まず当面やるべきことが何なのか。高校入試は中学入試を経験しない子にとっては初めての試練だ。容赦なく落ちる。勉強しなければ志望校は下げるしかない。行きたい高校に行くには勉強するしかない。この時期、時間がたっぷりあるような錯覚をする。のんびりと何もしない日々。時が迫ってきて、いくらあがいてももうどうしょうもできないという事態をどれほど多くの受験生達が繰り返してきたことか。何もしない。そして入試が迫ってきてじたばたして自滅する、こういう決まりきったパターンのくり返しだ。もうやるしかないんだ。英文解釈、国語の課題、英語の課題、数学の課題、理科の課題、社会の課題と指示はすでに多い。が、なかなかやらない。早く、いままでののんびりした意識を切り替えろ。 失敗の原因は我の中にあり。試験が難関になればなるほど、まず本丸を落とすことだ。外堀から埋めていくのではない。中には、外堀ばかりを埋めている人がいる。司法試験なんかだと勝手に攻める城が巨大な城だと決めてかかる。そして大阪城を落とすかのように、外堀ばかりを埋める勉強をする人がいる。本丸を落とさない限り受かることはないのに。本丸って何。法律の勉強なら、まず定義だろ。定義を覚えることだよ。ところが学説ばかり知ってて、定義はなにひとつ正確に答えられないというのがいる。本末転倒なんだ。東大受験だって同じことだ。まず当面やることが何なのか。本丸は何なのかだ。私は、自分の受験のときは、時間がなかったこともあって、in-putばかりやっていた。合格するには何がどれだけ必要かを想定していったんやるものを決めたら後は迷わずそれを繰り返した。これで十分なのかと悩むことはある。あのときはたぶん十分だと思い込んでいたのに違いない。しかし、十分なはずがない。でも不十分でもいいんだ。いったん決めたら不十分でもやるしかない。最大の敵は不安なんだ。これで受かるのかと不安になる。そこで当初決めたことを根底から覆す。不安の恐ろしいのはこれなんだ。不安はいつも完璧を追い求めるようになる。こうなるともう病的なくらいに不安に支配される。完璧さが高じると使っている参考書さえも美的な完璧さを要求されるようになる。すべては不安からくる。不安が神経を強迫するようになる。 養老先生は「バカの壁」で本を売りまくった。出版社は養老先生ものをとにかく並べる。「バカの壁」と内容は同じなのに、本のタイトルだけを変えて、いくらでも出す。あの先生も環境問題こそライフワークだなどと言い出したところで、どうも今まで言っていたこととは何か連続性のない話になってきたことに一向に気がつかない。ところで今日言いたいことはそんなことではない。「バカの壁」ならぬ「母親の壁」のこと。こどもが普通に育ち、普通に勉強して、勉強ができるようになれば、これが一番いいことだ。が、じぶんのこどもを見ていると、勉強はしない、学校の成績は芳しくない、勉強も理解しているのかどうも不安だというようなことになってくると、母親もいろいろ考える。こどもが勉強しないのはまず親が勉強しないからだけどね。なんでも買い与えるというのもよくない。すべて欲しいものは持っているなんて状況はゾッとする。何か足りないというくらいが一番いい。というか「これしかない」というのが一番いい。こどもの精神衛生上は「ひとつしかない」あるいは「ない」というのがいい。こどもは「○○ちゃんも持っている」なんて言って親にねだる。なんでもかんでも買い与えておいて、欲しいものはなんでも持っているのに勉強しないと嘆く。まず、その子は物質的には満ち足りてるけど、精神的なものは何も与えられていないということ。物質的に何かが足りないということが、精神的にはいろいろと考えさせる契機になる。甘い母親が与える満ち足りた生活は勉強しない子を育てる最良の方法だ。あって当たり前ならこどもは何も考えない。算数ができないというので、早速いろいろ本屋で買ってきて、やらせるなんてのも同じようなもんだ。なんでもかんでも買い与えるというのが安易すぎる。こどもが勉強しない、できないとなると、原因を周りに求めるのも、昔からの傾向だ。そこでこどもを囲むまわりのせいにする。まわりに理解を求める。配慮を求める。この子はこういう子なのでお願いします、というわけだ。私にいわせれば、こどもを教育するんであって、周りが気を使うことではない。母親がこどもをそうしているのだということに気がつかない。「母親の壁」がこどもの成長を阻む。 |
| 3月14日 日曜日 晴れ |
| 不安は変化を求め、安らぎは安定を求める。病気に罹った人は実は人間の真理みたいなのものを凝縮して教えてくれているのではないか。新聞に自閉症の人の話が載っていた。自閉症の人が心を開くというのはどんなときか。ある研究者によるとほとんど変化のない川の流れとか、決まったリズム、決まった時に決まったことをするとかいうことがいいらしい。変化のない果てしなく続く大海原をじっと眺めていることが心に安らぎを呼ぶ。確かに変化は健常な人間にとってもストレスだ。アルプスの少女ハイジの中でクララに奇跡を起こしたのは大自然だった。自然はゆったりと変化するからいい。もちろん時として荒れ狂う時もある。人間は変化のない日々が心にやすらぎを与えることを本能的に知っている。だから心はゆったりした無変化を求めそこに心を開く。自然が変化するとき人間は心から恐れ全面的に降伏するしかない。人を苦しめるのは人為的な変化だ。日々の変化がストレスとなり人を苦しめる。社会の中での人との接触、匿名社会の脅威、政治テロ、病気、事故など人は日々様々なストレスを甘受しながら生きていく。 当面、青年期には、試験に合格しなければならないという変革が要求される。これは平凡な日常では許さないという自己の強い動機づけがある。自ら変化の大海に飛び込む時期である。不安に満ち満ちた青年期の心。完全主義・潔癖主義が不安な心の支えとなる。だが、この完全主義は強い意志を支える反面、完全主義であるがゆえに自己を崩壊に導く悪でもある。志高き青年に、不完全主義を薦めるのは、なかなかに受け入れ難いものがあるであろう。しかし、私はあえて不完全主義を勧めたい。人間が本来不完全な生き物であるという認識にたって考えるならば、不完全であたりまえなんだということになる。自分の不完全さを知っているから、日々コツコツと少しずつあたりのまえのことをあたりまえのようにやるしかないのだ。一夜漬けとか、試験一週間前から試験勉強をするとか、試験直前にとことんやるとか、そういったことは完全な人間を想定してのことだ。不完全な人間にはとてもできることではない。あたりまえのことをあたりまえにやる。それが不完全主義の帰結です。二兎を追う者は一兎をも得ずといいますが、最近の完全主義者たちは二兎どころか、四も五も追ってます。テレビに医者で弁護士なんて人が出てましたけど、能力とか努力とかすごいとは思いますけど、この人に診てもらったり、訴訟をまかせる気にはなりません。人間は不器用だと思うのです。たった一つのことをそれは毎日のようにこつこつとやっていて何十年もたって初めて何か本質的なものがわかるんじゃないかと思うんです。私は器用な人は信用しないことにしています。試験が近くなってくると、不安が増大し、あれもこれもと参考書を買ってしまう。今やってたことは結局もうやらない。この中途半端の積み重ねが最後的にあせりをうむ。スポーツなんかでも、最後のところであせりから、負けるというのが一つのパターンですが、不安が、もっとも大切なあたりまえのことをやらないという積み重ねを蓄積すると、結局なにもやらないというのと等しいことになり、事に臨んであせりから大敗を喫すということになる図式です。このあせりということについては、また少し考えてみる必要があります。時間を制限されてひとつのことをやりあげる必要に迫られます。これが試験です。スムーズに解けなければあせるに決まっています。思考がパニックをおこしてしまうのです。冷静さを失い大敗するということなんです。不完全な自分を徹底して認めた上で、自分にできることを自分の思考速度にしたがって、ひとつひとつ考えていくのがいいのです。ひとつしか考えてはいけない。あれこれと同時に考えるからパニックをおこすのです。ひとつずつひとつずつです。不完全な人間なんですから、ひとつずつしか無理なんです。 このところ日記の体裁が変わっています。日常の雑事もさることながら、本を引用することが少なくなっていると思います。今、私は考えています。だから、私の考えを日記に素直に書いています。だれの考え方でもない、私自身の考え方を披露しています。 |
| 3月13日 土曜日 明るい曇り空 |
| 昨日はやや寒かった。昨日はOBで一浪してた○君が教室に結果報告にきた。竹の会では中学の3年間を過ごした。まじめで気さくな生徒だった。早稲田、上智などに合格し、上智は外国語の独語に合格。たぶん早稲田に行くとか話していました。久し振りでいろいろと話が弾みました。早稲田には今3年生の○君がいますが、その○君から先日メールがあったことはすでに日記にも書きました。彼は、コンピュータ系の会社に就職活動中とのことでしたが、彼から竹の会のホームページに貴重なアドバイスをいただきました。彼のお兄さんという人がやはりコンピュータの専門家らしく、そのお兄さんのホームページを見せてもらいました。あまりにもレベルが高すぎて絶句。今度会ったらいろいろとご教示願おうと思っています。期せずして、竹の会の出身者3名が早稲田の現役学生ということになりました。そこで、○君の就職が内定したら久し振りにお祝いかたがたOBたちに集合をかけて食事でもしようかということになりました。慶応大に行った○さんは来てくれるかな。東京理科大にいったM君、日大理工にいったM君、大学を卒業しすでに営団地下鉄で働くS君、中央大を卒業し消防官になったM君、日大二高から津田塾にいった○さん、慶應文学部にいったSさん、青山学院文学部にいったYさん、みんななつかしい私の教え子たちです。竹の会の中心エリアは、南新宿一帯、幡ヶ谷一帯、上原一帯、富ヶ谷一帯等々広範囲に及びます。一期生の代々木中女子3人組みは、もう30を越えています。1人は都立駒場から芝浦工大に、もう1人は都立目黒から東洋英和に、残りの1人は國學院久我山から國學院大にいったと聞いております。いつか会えるときがくると信じています。竹の会を始めたときのたった3人だけの会員でした。私のなつかしい3人娘です。 今年の大学入試合格欄は来年まで欠番にしました。 この前日記にも元監督の野村さんが書いた本のことを書きましたが、あの駄本のタイトルは私には意味のある言葉だったんです。「敵は我にあり」という言葉です。およそ試験を受けるというときこの言葉を身に沁みる言葉として胆に命じておくことです。特に浪人をしたり、何か難しい国家試験を受けるというときに、他の受験者よりもずっと恐れなければいけないのが、「我」なんです。我といっても、実は我の中に沸々と湧き上がる不安のことです。この不安が実は元凶で、合格への王道を狂わせてしまうのです。後から考えればやらなくていいことをたくさんにやっていた自分を知ることになります。すべてが終わってみれば、客観的に自分を冷静に見つめてみれば実に無駄でくだらないことばかりしていることがわかるのです。これらはすべて自己の中を闊歩する不安のなす業です。試験とはこの不安との闘いです。野村さんは野球の世界で勝負をしてきた人ですから、敵は我にありということばもそこから何か意味のある説得力のある啓示を受けられるのかと思ってみましたが、本の中味はただの自慢話だったということはこの前お話したとおりです。 不安との闘い。ふと心配になる。そこで何か新しい当初の予定とは違う行動に出る。もちろんこのときの本人にはベストの選択と思えることです。不安は次から次へと増殖しますから、そのたびに行動が増える。いつしか自分の能力をはるかに超えたノルマを課すことになる。不安という化け物は巨大化し完全体としての脅威として成長してしまうのです。冷静に考えてみると人間は不完全な生き物であり、すべてを完全にこなすということなどありえません。羽生名人の言葉のとおり「簡単に単純に考える」ことしかできないのです。簡単に単純に考えることができないような量のノルマがあるとしたらそのとき不安が作り出した化け物が自分を支配しているのだということを気づいてください。そして簡単に単純に考えられるだけの量を自分に課してください。いくらよくても簡単性・単純性を害するものは悪です。不安から屋上に屋を架することは愚です。 人間は単純なんです。ひとつのことしかできません。ひとつのことを何回も何回もくり返しやることしかできないんです。不安は完全を求めます。不安は実にわがままな奴です。自分の中に不安が大きな顔をして幅を利かせているなんて絶対に許せません。不安はその心の中に、「ホームランを打ちたい」、「これで優勝だ」「これで合格だ」などと完全勝利を秘めているのです。だから、「私」に大きなプレッシャーをかけてくるのです。私の心の中からこの不安を追い出して放逐したいのです。それには、自分が不完全な人間だということを悟ることではないかと思うのです。不完全だから自分でできることを自分の能力の範囲内でやるしかないと悟ることなんです。特別の方法があるなどと吹聴する世の似非著者たちなんかに騙されてはいけません。 どんなに難関だといったって、不完全な人間が作った制度なんですから、そんなにたいそうに考えることなんかないんですよ。あたりまえのことをあたりまえにやればなんとかなると思うんです。 |
| 3月10日 水曜日 晴れ 霞のかかった青い空 |
| 昨日は暖かかった。午前中は所用で教室へ。竹の会の看板が教室の前の通りに移動した。ひとつは代々木中の正門前にあったもので、もうひとつは上中の傍にあったもの。上中は4月から移転するので看板が無意味になる。それに看板の「家庭教師・個人指導併設」という文字が無用になったことがある。教室の前には大きなスーパーが建設中だ。巨大な鉄骨の組み立てが始まった。去年の11月からだったか、巨大な穴が掘られ、土がダンプ何十台分も運び出された。巨大ユンボと巨大クレーン車が主役だ。教室の小窓から工事の進む様子をじっと眺めたものだ。竹の会の周辺も景観がずいぶんと変わることであろう。どちらかという住宅地ぽかったが、少しにぎやかになるのであろうか。なにしろこの地域一体は、マンションがやたら増えているのに、スーパーらしいスーパーはまるでなかったのだから。便利はよくなるのかもしれない。駅前とはいかないが、人も集まる。 中3が一掃され、教室は比較的ガランとしている。とはいっても新中3はもう予定人数にあと1人にまで増えている。例年4月ころに入会申込者が来ることが多いが、今年は断るしかない。もともと4月以降の入会申込は入試対策的にはかなり遅く無理があったのだから。最近の生徒の傾向は、学校の対応がのんびりしているので、高校入試という意識が低い。夏ごろからぼちぼちというような人がごろごろいる。都立は以前のようにほとんどが合格できたという時代は終わった。ひとつの高校で100人単位で落ちている。独自問題出題校の問題は難関私立なみの難しさだ。共通問題といっても易しくはない。十分な事前準備が要請されている。このへんのところをしっかりと自覚・認識していなければならない。 竹の会の定番テキストたちもある意味で過渡期にある。「英語指導案」は全面的な改訂が始まった。数学シリーズは、現在あるテキストを併用しながら、新しく書き下ろし中の新プリントが中心となるであろう。旧テキストはすべてワープロ専用機で作成したものだ。今は、ほとんどのプリントがパソコンだ。数学のためには、スグレモノのソフトがある。フロッピーが何十枚も必要だったのが、すべてハードディスクに収まる。図形の作成も楽になった。 竹の会でもこれはすごいというテキストがある。いつか市販できればと思い描いている。私の得意な数学の解説、英語の解説が全国的に広まればというのが、今のところ夢だ。受験生に難しいと思わせるだけの解答・解説がハバをきかせている。たったひとつの問題にこれだけの気持ちをこめて書かれた解説というのがない。ひとつひとつ丁寧に解き明かす。そういう解説書がない。私はそういう本を書きたい。私のいままでの指導の集大成としてそういう指導書を書きたい。私のささやかな夢です。 このところ暇なときは、法律書に読みふける日が多い。昔読んだ民法の本。我妻榮の「民法講義」(全9冊)。これは不法行為以降がない。不法行為は元東大学長の加藤一郎のがよかった。我妻先生は、通称ダットサンといわれる民法の簡単な解説書を書いている。これは大学にはいりたてのころよく読んだ。コンパクトでいい本だ。面白くないが試験には役に立つ松阪佐一の「民法提要」(全5冊)がある。この本で大学の同期のやつが司法試験に上位合格していた。最近の主流は東大の内田先生ものだ。ほとんどの受験生が読んでいるといっていいだろう。分厚くて全部で4冊もあるが、文章はわかりやすい。 今日は、2時ころ家を出る予定。途中、書店とTSUTAYAに寄らなければならない。今10時。これから中3用の英語と数学のレジュメを作る予定です。家は、高校生の次男も試験休みで、大学生の長男は3月いっぱい休みということで、勉強はよくするけどよく眠る。かみさんはふだんは「家出のドリッピー」を聞きながら家事。午後からは渋谷のなんとかいう資格系の学校で勉強らしい。 このところポツンとひとりで読書というのどかな日が続いています。少し暖かくなってきました。「うれしいか、りん」「はい」。 |
| 3月9日 火曜日 曇り |
| 今日から暖かくなるということだ。ここ一週間くしゃみが出るので着込んでいる。風邪なのか花粉症なのかわからない。花粉症の可能性も否定できない。とにかく明日はお茶の水の井上眼科に行くことにした。昔から眼科はここと決めている。ここ何日か体調が悪く何もする気が起きない。歯茎が全体に腫れぼったくこめかみが痛い。アスピリンが主成分の後藤散というクスリをよく飲む。安保先生は痛み止めはよくないというが、どうにもがまんできないので飲む。去年から今年にかけての無理が今になってたたっているようだ。 昨日、紀伊国屋で何を狂ったか、野村元監督の「敵は我にあり」という本を買ってしまった。バスの中で読み始めて愕然とした。まず本の内容がタイトルとは全く関係なく、古田がどうだとか、だれだれがどうだとか、有名選手を引き合いにだしての自慢話に終始。参った。くだらない本を買ってしまった。 最近は、憲法の本を読んでいる。法律書なんでその内容の良し悪しを書いてもしかたないから書かない。憲法もここ何年かでずいぶんと学者の顔ぶれが変わった。学会の主流であった東大の芦部先生が他界した。その後を継いでいた京大の佐藤幸治先生もすでに第一線とはいえない。私は、芦部先生の論文集はかなり読んだ。最近の最高裁判所の判例を先導してきた芦部先生や司法試験委員としても活躍され長く受験界のバイブルとされてきた佐藤幸治憲法も今は昔となってしまったのが感慨深い。憲法を読んでたら、刑法も読みたくなってしまった。大学の頃は、まだ東大の団藤先生の刑法が主流で、その弟子の名古屋大の大塚仁先生や一橋大の福田平先生の刑法が私の教科書だった。刑法は得意で論文でもいい点をとっていた。元東大学長の平野龍一先生の刑法総論は秀逸で何回も読んだし、法律学全集の中の刑事訴訟法も名著だった。私が勉強していたころとはずいぶんと状況が変わってしまった。民法は我妻栄という大先生が君臨していた。その弟子の星野英一先生も過去の人か。最近の学生は一流の学者の体系書なんか読まない。予備校のまとめ本を読んで終わりらしい。名文に触れることもなく、法律の文章に感動することもなく、法曹になってしまうのか。 このところ新中3の講義のためのレジュメ作りが日課になってしまった。定番テキストの「英語指導案」を内容一新して受験にも十分耐えうる最高のものをとのポリシーのもとに少しずつ原稿を作成している。 某私立の生徒の英語指導を止めた。私本来の英語指導ではなくて教科書に即してやってほしいとの申し出にしたがい、私なりに工夫して指導してきたが、とにかく日々の英語学習が全くゼロということが日常で、英語の勉強というものがまるでわかっていない。地道に単語を覚える、文法を理解する、問題練習をつむ、といった地道な努力なしに、ただ教科書を解説してもらうだけで英語がものになるはずがない。教科書の単語も全く予習しないというのでは指導するのが空しい。昨今の私立の子のお寒い現状である。こんなんだったら公立中の方がよっぽど勉強している。学力も結局、高校入試を通過することで私立よりもはるかに高い学力をつけている。 早稲田大の竹の会OBの○君からメールあり。現在3年で4月から4年生だ。就職活動をしているとの内容。5月には内定がとれそうとのこと。竹の会で学んだ多くのOBたち。すでにいろいろと活躍されている人がたくさんいる。最近は、竹の会からも、一流大に進む人が出てきた。高校生は選んで入れている。原則として中学OBからしかとらない。その中で特に勉強意欲のある者に絞っている。そのせいか、一流大に受かる者が増えてきた。 3月は私自身の体をゆっくりと休める月と決めている。すでに始まった新中3の指導も今は比較的ゆったりとやっている。先は長いからね。今日は、雑事で一日を使います。今、午前9時前です。 |
| 3月4日 木曜日 晴れ |
| 昨日の朝、目が覚めて喉が痛いのに慌てた。かなりの厚着をしてなるべく汗をかく程度に調整して、本日なんとか小康状態。月曜日から新中3の授業が始まった。来年の入試をめざしていよいよ始動開始だ。今年の入試に懲りて、指示を徹底することにした。春の指導も去年は「なるべく」出たほうがいいということでやったが、やはり出なかったのに落ちたのがいた。それで今年からは全員参加とした。春休みまでに、数学は平方根・多項式・因数分解・2次方程式までを一気に終わらせる予定だ。英語は、関係代名詞を徹底してマスターさせる予定だ。これで中3の4月が始まるときには、きちんとした受験指導の開始ができる。去年は、春から始めて、なんとこの計算だけで7月ころまで引っ張られた。とにかくやらないということで参った。夏になんとか受験指導をと思ったがここでものんびりととにかくやらない。これほどやらない中3も珍しかった。今年の状況を見ても都立入試がこれからは簡単には入れないということがはっきりした。3年前は中2の12月にはスタートしていた受験指導だがとにかく全員揃って始めることができてよかった。これからが私の腕の見せ所ということか。 長男は今日の朝早くに、大学の友人たちと二泊三日で神戸に旅行だ。旅行から帰ったら、今度は、講師のアルバイトをやることになっている。先日、某予備校の講師採用の学科試験に合格したばかりだ。教えるということは難しい。修行をつんでくることだ。そのうち次男も大学生だし、将来は、竹の会で2人に講師をしてもらうことも考えている。そしたら少し楽になるかな。あは。 そういえば、自分も、大学1年のときに、気のあった仲間4人と山陰旅行をしたことがあった。なんやかやと騒ぎながら楽しかったな。3人の仲間は、1人は日本鋼管、1人は久保田鉄鋼、1人は川崎製鉄にそれぞれに就職していった。川崎製鉄に入社したI君は、今、東京本社勤務だ。確か2年くらい前に食事を共にした。もう部長とかの肩書きをもち随分偉くなっていたが、会ったら阿部さん、阿部さんと少し先輩の私を立ててくれた。お互い学生のころの口調に戻りなつかしかった。I君は大学のころは、まじめで通っていた。こちらは講義にはほとんど出なかったので、試験のときはいろいろ助けてもらった。今でも、覚えているのは、行政法の試験のとき、「附款について述べる」問題が出て、その附款の意味がわからず、後ろの席にいたI君に「附款って何」と聞いたら、「条件みたいなもんだ」とかすかな手がかり。それで民法の「条件」ならかなり勉強していたので、それからいろいろ考えて答案を書いたら、ぎりぎり合格した。これはI君に感謝だった。当時は、私は、九州大学仏教青年会という大学が実質所有者の財団法人に入っていた。ここは、月6000円くらいで2食付の個室完備、風呂もあるという鉄筋の建物だ。私は、そこで教理部長をやっていた。私の仕事は、朝の勤行の召集とか、歎異抄を読む会の運営とかだったが、無料法律相談もやらねばならなかった。仏教青年会があるのは、東大と九大だけだ。ここに、例のI君とか、日本鋼管にいったOなどを当時幹部の一人として面接して入れてあげたということなんだ。私は、普段は、部屋にこもって、民法やら刑法やらの本を読みふけっていたわけで、ただ講義をさぼっていたわけではない。とにかく基本六法は大学3年までにほとんど単位をとってしまい、4年のときは商法のゼミに出るくらいだった。 中3がいなくなり、ガランとした教室だったが、新中3は実はもう定員いっぱいだ。竹の会は小さな塾なので8人ほどいたらもういっぱいなんです。あまりはりきりすぎてまた体に無理がくるといけないので、なるべく無理をしないようにしています。とにかく今年も頑張ります。 |
| 3月3日 水曜日 晴れ |
| 昨日は寒く雨模様だった。寒の戻りがきつい。都立入試の結果は竹の会で初めて2人の不合格を出した。富士に合格した受験生が国語を除いて点がとれなかったという報告を受けたことから推測すると問題は解き辛いものだったようだ。富士の合格者はかなりの実力者だったからそういえる。落ちた2人は志望校を下げていれば文句なしに受かっていたと思われるケースだ。私は志望校変更の必要性を痛感していた。実力的に無理だと判断しても、当の本人の意志が固くなんともできなかった。都立に落ちれば滑り止めの私立は相当低い。その落差を考えると、実力相応のところを受けるにしくはない。それにしても受験前は、受かる気持でいるんだろう。親も本人も「もしかしたら」と思ってしまったのかもしれない。「あぶない」という私の懸念はほとんどはずれたことがない。最近は、塾の先生が「落ちる」といったって聞く耳はもたないのが普通だ。都立の過去問を何年度も実力判定に使う。それはたまにはいい点をとることもある。しかし、極端に悪い点のほうが回数的に多いとする。このとき、本人は、一番いいときの点を自分の実力だと思おうとする。しかし、私は、悪いときの点のほうが気になる。なぜ悪いのかと考える。すると、関係代名詞が根本的に理解されていないとか、数学でいえばこれは解いていないとまず無理だというような問題がとれてないとかいうことがわかる。これは真力がないということなのである。こういう真力がない子はやはり落ちるんだ。学校の先生は滑り止めさえ受けていれば、どこでも自由に受けたい都立を受けさせてくれる。それで本人たちは受かる気でいる。塾の先生にはどこどこを受けますと報告するだけ。「ここを受けたら合格できますか」という形式の相談は本人からも親からも一切ない。意見は求められていないんだ。それで落ちたときは、今度は塾がどうだこうだということになる。これではたまらないので、今回は私もさすがに、志望校の変更をしたほうがいいとはっきりいったり、ほんとにそれでいいのかといったような趣旨の電話を夜遅くにしたりした。が、この試みは無駄に終わった。 話は、変わるが、小学生いわく。「塾長日記、文が長すぎる」「難しすぎて、わからない」。確かに、小学生にわかるように書いた日は少ないかもしれない。小学生が読んでるとはあまり考えもしなかった。どういった層が読んでいるのかによって、書き方も書く内容も変わってくる。芥川賞ははっきりと未成年からちょっと上までを中心とした女性を読者層として意識して書いているらしい。実利中心の中年以降の年代には、まったくの絵空事など受けるはずがない。塾長日記の読者って、どんな人たちなんだろうか。多い日はアクセスカウントが一日に90を越す日もある。どうも会員や会員の親御さんだけではとてもここまではいかないだろう。よく他の区からメールが入ったりすることから、読者は相当広範囲に渡っていそうだ。ただ、塾なので、勉強とあまり関係のないことを書いても読まれないかも。最初は、軽い調子で私の日常を書いていたけれど、最近は軽い調子で書きにくい。もうやめようかななんて思ったりしている。そのときはごめんなさい。 このところ思うこと。不完全主義宣言。実は、私はもう一つの自分専用のパソコンを持っているんです。これには、かなりの様々な書籍のまとめたものとか、塾で使う教材の原稿とかが詰まっているわけです。その中に、折に触れつけている「思考日記」というのがあるんです。その中に「不完全主義宣言」なんて書きました。不完全主義といっても、相対的完全主義に近い。絶対的完全主義は害悪だという認識です。人間というものは、試験が難しくなればなるほど、完全な対策をと考えるものです。そこで網羅的な大部な参考書を買い込むわけです。やり始めて、そのうちに、なにやら評判の問題集が出たりなどするとすぐに今やってることが不完全に思えてくる。すぐに新しいものに飛びつく。シリーズものだと全部そろえなければ気がすまない。そのうち参考書を神格化し始める。完全主義者というのは、常に「不安」が強迫観念としてある。いつもいつも完璧・完全を追い求めてばかりいて、それが目的化してしまう。そこで簡単な基本的なことさえ知らない愚かな自分に気がつかない。そのことのほうがいかに不完全なのかを。完全主義は害悪である。人間とは元来、不完全な生き物であると達観し、その不完全な人間が選択するのだから、不完全な選択しかできないんだと悟ることである。これがあたりまえのことなんである。あたりまえのこととは、自分の不完全性の自覚から始まる。不完全な人間なんだから一度にあれやこれやとやれないのがあたりまえなんだ。ひとつのことをたった一つののことをそれはもう一所懸命に何度もやらないととてもものにできないんだ。それがあたりまえのことなのに。それで、今日は、不完全主義の宣言です。 |
| 3月1日 月曜日 曇り 寒の戻り 都立発表の日 |
| 29日のこと。午前中は、勉強。昼はつな八で天麩羅定食を食べて、TSUTAYAでアクションを借りて、ブックファーストに寄った後、東急本店の屋上にあるペットショップに行き、金魚を5匹買った。前に買った5匹は強風に飛ばされて、2匹になってしまった。なんとも寂しいので補給することに。そのまま家に直行。その後は、明日から始まる新中3用の数学と英語の指導レジュメを作成して、さらに青学の定期試験対策のためにパソコンにたまった英語を編集して出力。その後は、また勉強。 夕飯は、湯豆腐にしてもらった。池波正太郎の鬼平の中に湯豆腐をうまそうに薀蓄を語りながら、食べるシーンが出てくる。必ず、酒といっしょだ。当時は、ビールなんてないし、本当に、酒といったら日本酒だけ。蕎麦を食べるときも、酒がつきもの。湯豆腐は寒いときに限る。グツグツと煮えたぎる湯の中に白い豆腐を浮かべる。醤油にカボスをたらして、生姜を溶かす。あとネギをぱらぱらかな。おかかをいれると豆腐の味が活きない。これでじっくりと豆腐の味を楽しむ。口の中の熱い豆腐の感触をじっくり楽しむ。豆腐だけがいい。豆腐が前菜でなんていうのは嫌だ。豆腐が豆腐だけが主役だ。近頃は、前菜やらメインディッシュやらデザートやらとやたら美味しいものがコースで出てくる。ひとつひとつの料理もやたら凝ったグルメ志向だ。こういったやたら美味しいものばかり食べてる日々というのはやはりよくない。質素な食事というものが、あたりまえというのが絶対にいい。贅沢ばかりしてると、生活習慣病だ、成人病だなんてことになってしまう。江戸時代の庶民の食事は、めざしに飯。たいした美味いものもなく、蕎麦とか豆腐とか、単純なものばかり。でも、腹が減ったから食べるというごくあたりまえのことが粗末な飯でも美味しく感じさせた。今みたいに、焼肉だ、ラーメンだと油ギトギトの食事を、ここは美味しい、あそこはまずいなんていって、腹も減ってないのに、美味しいから食べるというのでは、なぜたべるのかというあたりまえのことさえどっかに忘れられてしまい、いつしか食べることが人生の目的だなんてことになりかねない。鬼平のころの食事は、油っけのないさっぱりした単純なメニューばかりだ。無駄に食べまくって太るだけ太ったという相撲取りのような人がやたらテレビに出てくる昨今。デブが売り物だったりして。このまま毎日食べ続けたら、早死にするのは目に見えている。 毎日がご馳走だというのも困りものだ。私らのこどものころは、ご馳走っていったら、お正月かお盆だ。遠足や運動会の日なんかはふだんは食べれない玉子焼きやら蒲鉾やらハムなんかがお重に盛られて心うきうきしたものだった。ご馳走がご馳走として感じられた。やっぱ、ふだんは質素な食事がいい。あれ食べて、これ食べてというより、じっくりと豆腐なんかを味わうのもいい。納豆に味噌汁なんて取り合わせも大好きだ。味噌汁の具は、あおさと豆腐の取り合わせが絶妙。ふと豆腐の取り合わせもいい。大学の学食はまずかったけど、朝は、納豆ともやしだけ入った味噌汁の簡単なものだったが、私は大好物だった。 将棋名人の羽生さんは、「簡単に単純に考える」ということを境地として書いている。勉強なんかも、いろいろ美味しそうな参考書があるんだけれど、参考書グルメになってはいけないね。前に勉強は完全主義だと失敗するというようなことを言ったことがあるけど、むしろ不完全主義のほうがいいんだ。ものごとを完全にするということがありえない話しだし、どんな試験も完全な人間を求めているわけではないからね。不完全な人間を前提としているからこそ、たった1冊の参考書をそれこそ何回も何回も読まなければものには出来ないということなんだ。完全な人間なんていない。いろんな本に手を出して、それらを完全にものにできるなんてありえないんだ。だから、ほどほどのところで、不十分なことは承知の上で決めた1冊の本に身を託すんだ。 不完全主義のススメということだ。あれがいい、これがいいといつまでたっても本題の勉強に入らない人がいるけど、いいものを求め続けたら、つまり完全主義でいくのは、何もしないというのと同じなんだよ。不完全なことは分かっている。でも今あるこれをとにかく完全に近づけるように努力するというのでいいんだと思う。 今日は、都立の発表の日。今、午前9時半過ぎ。もう運命の決断は出ている。なぜか空はどんよりとうすら寒い。 |