このコラムは拙著「指導論集」に収載したものを転載したものです。同集に掲載した時からかなりの月日が経ち、やや時勢に合わないと思われる質疑応答もあり、新たに編集しなおすとともに、新質疑応答を随時追加していくこととしました。読者の皆さんはメール欄を利用して是非積極的な質問参加をお願いしたいと思います。教育に関するどのような質問もお受けします。

先生、私は数学が苦手で困ってます。 竹の会では中三が期末テストで数学九十点以上が6人もいたと聞いています。学年の平均点は50点くらいだったですよね。中三の最終内申で四十三以上の者が六人も出たと聞いています。竹の会の指導とは他塾にはない独特の者と聞いていますが、どういうことですか。 
中三の二学期になると中二までは九十点くらい取っていた者がとたんに六十点くらいしかとれない。これはそれまで教科書レベルの数学しか出題していなかったものが、入試レベルが持ち込まれてくるからです。教科書と入試ではレベルが違いすぎるのです。特に入試はいかなる問題にも対応できる柔軟な思考力を培う必要があります。竹の会の方法に独特なところがあるとすればそれは「思考重視」という点からくるものだと思いますが、特に思考養成過程であるアウト・プットでは入試の過去問を使った指導が特徴的です。私は首都圏の入試過去問なら、どこの学校の何年度の問題がどういう問題かということをほぼ完全に記憶しています。だから、生徒の実力段階に応じて最も適切な入試過去問を抽出することができるのです。この方法は、中学入試における算数の指導でも全く同じです。
さらに、高校入試については基本のイン・プットに、効率のいいガイドテキストが開発されていますので、生徒は容易に基本をクリアーすることができるのです。それから、数学でも算数でもほんとうによくいわれるのですが、私はいろんな学校の入試問題を実際に解くわけですが、解き方が必ずといっていいほど市販のものとは違う、しかも、私のほうがずっと簡単で分かりやすいと言われます。私は最短距離の解答、簡明な解答を見つける天才かも知れません(冗談)。とにかくいい解答が生徒にいい刺激になることは間違いありません。
竹の会には特に受験直前に他塾から移って来た人をみかけることがありますが、塾選びの失敗は致命的な気がしました。注意すべき点をお話してください。
受験直前期にたのまれて入会を許可する事がありますが、多くそうした生徒の実力は悲惨なものです。多くの場合、能力的な問題はありません。いったいこれまで何の指導を受けてきたのか、指導した塾の無責任さに怒りを覚えます。数学ひとつにしても必要な基礎知識のイン・プットも不完全で入試問題にも不慣れで、考えるという基本スタイルがないのです。それから特に英語塾だけという生徒が受験直前にくることがありますが、共通の特徴として、都立の英語はまあいいのですが、私立の英語になるとほとんど歯が立ちません。竹の会では、中堅私立の英語なら八割以上がとれることは当然としてきましたから、実際唖然としてしまいます。入試は英語だけで受験するわけではありませんし、学校英語では入試には通用しないのです。はしごを昇りつめてはしごのかけ違いに気づく愚はおかしたくないものです。
指導とは、教えるとは違うと日頃から言われていますが、どういう意味なのでしょうか。竹の会の指導の方法は独特と聞きましたが、具体的にどのような指導方法がとられているのでしょうか。
単にわからないところを教えるだけならだれでもできます。指導とは、自ら参加する意思のある者に指針を与え導く技術であると思います。一方通行では成り立たない関係ととらえるべきです。主体的に参加する意思のない者には、真の意味の指導は成り立ちえないと考えます。
私は指導クリニックのドクターみたいなものです。生徒は患者みたいなものです。私には生徒一人一人のカルテがイメージされています。私はあたかも病気を診察する医師のように原因をあれこれ考えます。そしてそれぞれの原因に即して適切な処方を施すのです。病気が治癒するのは患者が病気と正面から向かいあう強い意思が必要です。もちろん病気には本来の自然治癒力というのがありますから、全く同列に論じるつもりはありませんが。こうした私の考え方から、竹の会では、皆個々人が私から与えられた指示に従い勉強を進めていきます。もちろん私のオリジナルの教材が使われます。私は、生徒が主体的に勉学に取り組む最高の「場」を心の中に作りあげていくのです。私から与えられた指示を無心に実行する、こういう風景を理想としています。
現在、巷では様々な塾の形態が宣伝されていますが、先生の提唱されている「主体性」の視点からは、どのような問題点があると思われますか。
まず、家庭教師について問題点を指摘しておきたいと思います。家庭教師について、致命的なのは、家庭教師が生徒の「主体的な」問題解決能力をほぼ完全に消滅させてしまうという点です。生徒はまず説明を聞く癖がほとんど習性になってしまうのです。彼らは家庭教師がじゅうのうち八、九まで解いた問題の残り一、二を解く事で自ら解いたと錯覚するのです。これを何年か続けているとほとんど家庭教師の介護なしには問題を解決できない完全依存型の生徒が出来上がってしまいます。

次に最近はやりの個別指導型の塾について、一言。問題は「勉強のしかた」で能力の問題がクリアーできるとする点です。すべては方法が悪いというわけです。これは子の成績不振の原因が能力にあると考えたくない親たちにとってはまさにバラ色の言葉です。

しかし、勉強のしかたを「教える」という言葉には「主体性」という不可欠な学習の段階がないような気がします。それに私は能力の問題は経験則上解決困難な問題として認識しています。最後に、個別指導型の塾は入試期に矛盾が噴出するはずです。授業についていけない子を個別的に教えるというのが看板ですが、学校の授業そのものが入試レベルとかけ離れているのですからうまくいくはずがないのです。

大手塾の問題性については、とくに中学入試に一般の、「大手病」について一言触れておきます。「大手だと安心できる」。これは私が何度となく耳にした言葉です。大手の派手な合格実績の宣伝。多くの人が「私も」と考えるのはごく普通の思考回路でしょう。が、合格実績そのものの疑義は置くとして、合格数の何十倍・何百倍もの不合格者の存在はなぜだか問題にはなりません。大手で三年間やったが失敗したという人はおそらく夥しい数にのぼるでしょう。失敗は個人の資質の問題として片付けられ、成功は大手のおかげとする不可解な思考、自分だけは例外だという奇妙な論理等々、私にはとうてい理解できないものばかりです。
安心できるはずの大手のカリキュラムが主体性を呑みこんでしまうのです。
学校の進度に合わせた塾だと、学校の補習となって、安心だと、私の母が言いますけれど、先生は反対なんですよね。それはどうしてですか?
中学入試を経験した事のない母親の多くが「学校の授業に合わせてやってくれるのか」という。学校の補習だととにかく安心できるらしい。が、学校の進度に合わせてやってもらえてニコニコしていられるのはせいぜい中2までだろう。これを中3まで続けるとどうなるか。入試を無視して教科書レベルで通せば、内申は別論としても実力はゼロである。せいぜい通用するのは都立英語くらいか。

学校レベルと入試のそれとは違いすぎる。入試に対応するには遅くとも中二の秋から手を打つ必要がある。高校入試は避けては通れない。(中学入試は必須ではない。だから、学校の進度でも問題は深刻化しない。)中三の二学期になると、学校でも入試レベルの問題を出さざるをえない。すると、途端に成績が落ちる。当然だ。入試直前に偏差値55レベルの入試問題に手も足も出ないという現実を知っているのか。私は世の母親たちに言いたい。学校の進度でやってくれる塾が安心だなどとはとんでもない誤解だということを。

中三の入試直前に悲惨な現実に直面したとき初めてその誤りに気がつくのだ。私は、教科書を軽視しろと言っているわけではない。基礎レベルの知識はきちんとやるべきだ。問題は学校に進度に合わせていてはとても間にあわないということなのだ。中三の最終内申にしても入試レベルまでやって初めて納得のいく点がとれるのである。
勉強ができるようになるトラの巻があったら教えて下さい。
松下幸之助はこう言っています。「どんなに賢く生まれついたと言っても、熱心さがなかったら、その賢さが賢さとして、自他ともの恵みにならない。賢いといい、愚かといっても、人間におけるそのちがいは、神の眼から見ればタカが知れている。」「寝てもさめても一事に没頭するほどの熱心さから、思いもかけぬよき知恵が授かる」と。また、大道芸で有名なピーター・フランクル氏は、「僕は問題がなかなか解けないとき、この引き出し(ベッドの下にあるタンスみたいな引き出し)の中に入って、暗やみの中で一生懸命に問題を考えた。解けるまでは、そこから出ないと決心していた。」と述懐しています。勉強ができるようになるいトラの巻は勉強に「夢中になること」だと思います。
竹の会は高校入試・中学入試に抜群の強さを見せてきましたが、その秘密はどういったところにあるとお思いですか。
私はプロの家庭教師を7年ほど経験しましたが、このときも実は相当の合格実績を出しています。だから竹の会が入試に強いのは私自身の方法論にあると考えています。竹の会開設当初、私は都下の高偏差値の高校・中学の過去問を片っ端から解いていきました。これ以上もう解く問題がないというところまで解いたのです。まず敵を知ること、これは戦いの常套手段です。そこから私は入試に受かるためには何をすればいいのか考えていきました。私の方法の具体的内容は、過去問合格法と命名しましたが、合格者たちが一番その真価をわかってくれていると思います。ただ、中学入試の場合、能力の有無が大きいですね。仮にこの問題をクリアしたとすれば、問題解決能力を育てることが結局長い目で見れば成功につながるのだと思います。せっかく能力がありながら大手でその能力を殺してしまうという例もよくあることです。よく大手塾の生徒に見られる傾向として自分の見たことの無い問題だともう全く考えないということなのですが、これなどは何が大切なのかを本末転倒した結果からきています。竹の会では仮に中学入試でうまりいかなくても問題解決能力が育った生徒は公立中でかなりいい成績をとります。大手の生徒が入試に失敗した後、無気力になるという事実は、彼等に問題解決能力が育っていなかったこと、知識のみが肥大して思考が貧弱にしか形成しなかったことを物語っています。問題解決能力を育てる過程は実に遅々としたやりとりの時間の流れといえます。性急に結論を急いではいけないのです。いつしか竹の会は思考をつくる塾になってきた感がありますが、竹の会の入試に対する強さの秘密は生徒ひとりひとりが自ら考えて問題を解こうとする姿勢がスタンスが出来上がっているからでしょう。入試で見たことの無い問題が出るのは、当たり前であり、そのときこそ考える者が、考える者こそが勝つのです。
出身者には高校入学後成績優秀者が多いということを聞きましたが、何か原因みたいなものがあるのでしょうか。
確かに、出身者の高校入学後の成績はすばらしいです。私が把握しているものだけでも、都立新宿高校入学後学年総合5番、同じ新宿で学年1番(中大理工進学)、都立青山で3年間学年1番(東大進学)、日大桜丘で英語1番、日大二高の入学後の全日大系列一斉テストで総合7番(津田塾大進学)、独協中・独協高校で数学2番(東京理科大進学)、青山学院で数学・英語が3年間10段階評価で10(慶應大進学)などあげればきりがありません。竹の会では問題解決能力を育てることを第一としています。いったん問題解決能力の備わった出身者たちがそれぞれに高校で活躍されるのは私には当然の予定された結果だと認識しています。私はプロです。その自負で彼らには常に最高水準の知識を提供してきました。私が研究してきた英語理論そして数学の機微は彼等が一流高校に入ったとき高い位置を約束するものなのです。他塾から途中入会してきた生徒があまりにの違いに「もっと早く来ていれば」と同じことしか言わない事実は竹の会の真実をそういう形でしか知ることができない難しさを痛感させます。私には、一期生のS君が「いろんな塾にいきましたが、ここが一番いいです。」とさわやかにいってのけた言葉がずっと耳に残っています。彼は都内の名のある一流進学塾を渡り歩いた受験戦士でした。青山学院高等部に優秀な成績で合格した彼は竹の会の名誉ある一期生の一人です。