| 1月31日 土曜日 晴れ |
| 今日は、久し振りの休みです。といっても、夕方6時から所用有。午前は、8時過ぎに目覚めて、ボーッしてた。11時頃、床屋へ。去年の12月のいつだったか、行ったきり。もうかなりになる。このところ行くのは、クイックバーバーQBとかいったっけ。10分弱であっという間に終わる。渋谷駅の閉鎖した東急会館への通路に面したところにある。ここも今年の3月までらしい。とにかく速いのがいい。バリカンと鋏みであっという間に終わる。うちの家族は、かみさんは当然として、2人の息子もみんな美容院派だ。去年、一度だけ美容院に行った。やってる間も、なにやら他の客のところに行き、その間待たされたりで、3時間くらいかかったけ。それで4500円だかとられた。出来栄えは、もともとあっしの髪が少ない(あは!)こともあって、超不満足。あほか。2年くらい前までは、ずっと同じ理髪店に10年以上も行ってた。小一時間もあればきちんとした髪にしてくれた。洗髪も気持ちいいし、終わったら軽くマッサージなんかしてくれてグッドだった。こちらに引っ越してきてから、行くべき床屋が微妙に変化。渋谷駅の近くに、1780円とかいうのがあって、何回か行ったこともある。ここは、鋏みだと1780円、バリカンだと1580円だったかな。行く度に理容師が違い、良かったり、悪かったりで一定しない。いつも十人以上が順番待ちの長いすに坐っている。店員が「詰めて下さい」と何度も連呼する。いつだったか、「詰めて下さい」と何度も連呼する店員の言葉にしたがって、詰めようとしたら、なんと隣は浮浪者でした。異様なニオイが鼻を突く。詰められるかよ、たく、あほめ。この浮浪者の御方、自分の順番がきて、席に行くと、理容師は見るからに嫌な顔。髪を伸ばした浮浪者は、なにやら大事なものが入っているのか、「荷物は棚に置いてくれ」という店員の声を無視して、しっかり抱きかかえていました。鋏みをいれようとすると、「髪は洗わんでいい」「ひげも剃らんでいい」という。途端に、その理容師「なんで最初に言ってくれないの」と怒り声。別に、今言ったっていいじゃんと思うんだけど。まっ、浮浪者さんも、なんで床屋にくるのか、自分でできそうなんだけどね。お金だって、うーん、持ってるのね。この1件以来、この床屋には行かない。万事休して、はい、現在のクイックです。1000円っていうのもいいが、とにかく時間が10分かからないのが絶対いい。待ち時間がないなんて、なんてうれしいんだ。ただ、ひとつ難がある。家に帰って、洗髪すること。これやっとかないと、やっぱ何かかゆい気がしますんで。はい。この私の愛するQBも3月で閉店とか。チェーン店なのであちこちにあるということだけどね。今のところが一番便利なんです。この前、新聞で理髪店がディスカウントの普及でピンチだと出てたけど、そうかもね。お酒だって、ディスカウントがもう普通だし、酒の小売も原則はとにかく自由となったしね。親戚にも酒屋がいるし、郷里の別府では、駅前で、高校の同級生が酒屋やってるので、結構深刻な話が耳に入ってくる。私は、ビールは毎日飲むけど、普通は渋谷のBICカメラで買うし、デパートの特販もかなり安い。12時過ぎには、シロちゃんに会いにいく。いつもの駐車スペースにはいなかったので、すぐそばの家の入り口を覗いたら、いました。また、吠えられるとやばいので、通行人のような顔をして、前を通り過ぎました。シロちゃん、横に体を伸ばして、上目遣いに私をチラリ。そのままとおり過ぎて、20メーターくらい歩いたところで、シロちゃんの甘えた吠え声が。今気がついたのか。シロちゃんかなり知能高いよ。お昼は、雑煮と赤飯それにうどんもいっちゃいました。食べたら、ホットカーペットの上でウトウト。そのまままどろみ、ごろ寝。最高に幸せ。疲れた体を癒すようにそっと横たえていました。5時に起きました。渋谷に所用です。今日は次男が夜9時過ぎ帰宅というので晩飯は遅くなります。かみさんと焼肉をするということで買い物を済ませておきました。長男は、大学の後期試験がようやく終わり、ゆっくりしています。試験中はずっと部屋にこもってこちらが感心するくらいによく勉強します。前期試験は1科目を除いてすべて優をとってきて、私を驚かせました。私は、大学3年で、ほとんど単位を取ってしまいましたが、優をそんなにとったことはありません。とにかく単位をとることを優先しましたから。それに文系は授業にまじめにでなくても試験に受かりますからね。理系はそうはいかない。必修科目がほとんどなんで出席しなければ単位試験も受けられないときている。たく、自分の大学の頃を考えると、頭が下がります。渋谷に出たとき、本屋を散策。いい本探したけど今日はあきらめた。ツタヤによって、新作を確かめる。月曜日には借りられるかな。少しずつ、疲れた体が回復していくのがわかります。2週間もしたらきっと体力も回復してると思います。今日は、このへんで。 |
| 1月30日 金曜日 晴れ |
| 1月になって初めて心身ともにほっとした朝だった。今日は、2時半に出ればいいので、いつになくのんびり。午前中は、シロちゃんに会いに行った。去年の12月のいつだったか、たぶん冬休みが始まる前だったか、シロちゃんに会って以来、遂に今日シロちゃんに遭遇したのだ。遠くに私を見ていたシロちゃん、近づくとムクッと起き上がり、鼻をヒクヒク、やがて私を思い出したらしく、甘えたようにワンワンと吠え始めた。あわてて、すぐ近くのコンビニで大好物のソーセージを買い、再びシロちゃんのもとへ。差し出すといきなりムシャムシャ。さぁ、帰りましょうと、歩き出すと、なんとシロちゃんがついてくる。あほな。首輪がぶちきれてるよん。首輪といってもフリースの簡単なやつ。参った。このまま帰る訳にも行かないので、急いで飼い主さんにピンポン。いない。シロちゃんは、私の後を吠えながら、ついてまわる。助けて。と、通りがかりのシロちゃんファンのおじさんとどっからやってきたか、やはりシロちゃんファンのおばさんがシロちゃんを押さえつけて、ようやく首輪をつけて1件落着。参りました。今日は、1月最後の指導日。中3は、推薦組がいないので、ガラン。2月3日の発表まで、ペンディング。外山の「絶対語感」では、素読の大切さがひとしきり。今日、紀伊国屋で、「素読のすすめ」というそのままじゃんの本を見つけた。これから精読するところ。ノーベル物理学賞を受けた湯川秀樹は、7人の兄弟姉妹がすべて東大、京大などを出ていて、確かほとんど全員が学者になっていることで、有名ですよね。この湯川秀樹を始めとする兄弟たちがそろって漢籍の素読を洋学者である祖父に受けてきたということが紹介されています。湯川秀樹は、「私はこのころの漢籍の素読を、決してむだだったとは思わない。・・・私のばあいは、意味も分からずに入って行った漢籍が、大きな収穫をもたらしている。その後、書物をよみ出す時に、文字に対する抵抗は全くなかった。漢字に慣れていたからであろう。ただ、祖父の声につれて復唱するだけで、知らず知らず漢字に親しみ、その後の読書を容易にしてくれたのは事実です」と述べている。次兄の貝塚茂樹博士は、「漢字を覚えるのがちっとも苦労ではなかった」と素読の効果について述懐しています。今、読んでいる丸山真男の「自己内対話」は含蓄深い文章で魅了させられる。その中の一節から、「書物が大事なのではない。読書によって知識をうることさえ第一義的に大事なのではない。書物を通じて直感することがもっとも大事なことなのだ。そのためにこそ書物は存在する」。漢籍の素読は、意味などわからずに、まるでお経を読むように反復継続して進める。意味などわからない。しかし、そこには鋭い直感が存在するのだ。期せずして、丸山真男も同様の境地に到達しているではないか。そういえば、私も、小学生のころ、どこからか取り出した古文の本を意味もわからず、声にだして読んでいたら心地よい気分に襲われて、今から母や弟と大好きなじいちゃんの住む津久見市に行くのがイヤになって、このまま読み続けていたいと思ったことがあった。まあ、私の逸話などはどうにもならないのだが、私が今、焦眉の急としている、抽象的思考の内在化という課題のヒントになりそうな予感。小学生が苦しむ割合などについて、今は、アイデアを温めているところ。1あたりの考え方を本当に理解させるにはどうすればいいのか。いつも考え続けている。今日も、やってきた会員たちに語りかけている。優先順位を間違えるな。私の指示を流すな。1位は私の指示だ。1位がテレビであったり、ゲームであったりと、そんなことでは、成績なんてよくなるわけがない。英文解釈をやりなさい、という指示がでたなら、これが優先順位の1位なんです。それをきちんと遵守していれば問題ないんです。今年は、東大受験の高校生がいます。彼は、私によく指示を求めてきました。そして、私は、アドバイスという、私の意見を言ってきました。彼は、私の指示の優先順位を常に1位に置いてくれました。ただそれだけのことです。決して、権威主義的でなく、私の指示に素直にしたがってきたその能力と実行力に畏敬の念を禁じえません。明日は、久し振りに休養の日です。今から、何をするか、考えるだけでわくわくします。でもきっと、大好きなうたたねで体を休めることでしょう。今日はこのへんで。 |
| 1月29日 木曜日 晴れ |
| 昨日は朝8時半から夜9時まで仕事。10時前に家に着く。缶ビールを少し飲んで、冷酒を愛用のヒノキのちょこでグィッとあおったら、そのまま寝込んでしまった。仕方なく12時頃、布団にシフト。とうとう日記は書けなかった。というわけです。今日も朝8時に家を出た。今日は、都立推薦入試の面接・実技等の試験の日。竹の会でも何人かが期待をもって臨んだ。都立推薦は、16年度入試、つま本年より5段階の設定数値でなく、必修教科の観点別学習状況の評価を点数化したものが使用されることになった。推薦選抜におけるいわゆる調査書点とは、この観点別学習状況の評価を点数化した数値を換算したものになる(詳しくは、「最新の入試データ」で説明しています)。この調査書点に作文点、実技点、それと自己PRカード点の合計で合否が決まる。学校ごとに満点が異なる。いままでのように内申点が高ければいいというようにはならないわけだ。例えば、国語が5の人でも、書く能力とか、読む能力とかの観点ごとにA、B、Cの評価をつけ、Aは10点、Bは5点、Cは1点というように評価点をつけていくので、得点差が出てくるというわけだ。不安材料もある。学校によって、評価に甘い、辛いがあると、どうなるのか。相対評価の時とは、違い、内申だけでは予測不可能だ。高めのところで合否が決まっていくのか。2月3日の合格発表を待たなくては、なんともいえない。昨日は、潰れてしまった。いつも寝る前に、かみさんに、腕と背中を全体重をかけてギューギューと踏んでもらう。これでぐっすりと眠れる。これをしないと朝まで、寝返りばかり打って、よくないのだ。前は、長男によくやってもらっていたが、うちの長男はふざけるのでだめだ。一度ふざけて足を踏み外し、全身が頭に降って来たことがあり、そのときムチ打ちになって以来、もう一切長男には頼まなくなった。たく。2月1日から、中学入試本番。かなり気が重い。抽象思考のできない子のことは最近よく書く。が実はもうひとつ問題がある。責任意識のない子だ。勉強するということが、親の命令だから仕方ないという意識も自己の責任という意識はない。すぐに誰々のせいということになる。「今日は宿題があるので」「明日試験があるので」「犬の世話があるので(というのもありました)」ととにかく言い訳というか、回避理由は盛りだくさんだ。当面の責任は日々回避していくのだ。回避ができなくなると、責任逃避や責任転嫁ということもある。塾にきても、申し訳程度に、言われたことをやり、さっさと片付けて、今日はもう知らん顔。こういうことを続けていて、根本の問題が解決されるはずがない。いつも逃げずに正面から取り組まなければどうするんだ。家では、全くというほど勉強しないで、たまに塾に来たときも、やるべきことは極力避けるというのでは成績なんか上がるはずがない。言われたことを責任をもってやり遂げる、最低限、それくらいの責任は持てよ。たく。今日は、書架から、丸山真男の「自己内対話」という本を拾い読みした。その前に読んでいた、「論理的思考の技術」という本、やっぱひどい本じゃないか。丸山の文章にもどって、なにやらほっとした。こうまで文章が違うのか。読んでるだけで落ち着く。この本の内容については、おいおい書きます。今日で、いままでのハードなスケジュールは事実上終わる。なにやらようやく休めそうだ。ずっと床屋にも行けなかった。とにかく今は体をゆっくりと休めたい。ゆっくりと横になって休んでいたい。お休みなさい。 |
| 1月27日 火曜日 晴れ 寒い |
| 朝は、青学英語を校正して、プリントアウト。木曜日に備えてのことだ。今日は、10時半には、家を出た。OSでゼナ2本を買う。昨日、体の状態が危うかったのが、ゼナ2本で立ち直った。それで今日も2本。紀伊国屋で、池田晶子の「14歳からの哲学」を買った。それと「論理的思考の技術」という本。これは、「海馬」の著者池谷裕二の推薦とか帯があったので、中をパラパラとめくったら、結構ピピときたので買ってみた。前者の「14歳からの・・・」は、一時期、話題になった本。今なぜかというわけだが、今、取り組んでいる抽象的思考の内在化教育の教材探しの意味がある。池田晶子は前にテレビで見たことがあったが、どうも独りよがりを感じたので、読むことをしなかった。今日、読んでみて、やっぱりその感多々ある。やっぱ、「ソフィーの世界」にしようかな。いや、竹の会で使う教材のこと。十数年前に、代々木八幡の近くに塾ができ、折込広告が入ったことがあった。その中で、先生は東大の哲学科を出た人で、個人塾だということ、目を引いたのは、指導科目に数学や英語と並んで、哲学とあったことだ。今、私は、抽象的思考の形成に哲学の本がいいのではと思うにいたっているが、その頃、その先生はどういう意図で哲学なるものを入れたのか知りたいものだ。中学生に哲学を教えるなどといったって、わざわざお金を出して習いに来る奴なんていやしない。案の定、その塾は2年ほどで閉鎖してしまった。あまりにも世間を知らないという感想しか残っていない。哲学がなぜいいのか、その辺の弁証が必要だった。「ソフィーの世界」は、4、5年前に竹の会の指定国語テキストとした関係があって、読んだことがある。全体の感想としてはかなりいい。この前にも話したが、江戸時代に行われていた素読というのがあった。意味をいっさい考えずに、ただ声を出して読むのだ。まだ漢字もろくに読めないこどもに、先生の読むのにしたがって、まるでお経を読むように、声を出して読ませる。こどもは、反復練習をくりかえす。くりかえしていくうちに意味はわからないままに原文をそっくり暗記してしまう。このわからない文章をあえて読ませることに実は隠されたすばらしい効果があるのだ。この方法によらなくては文章をほんとうに読めるようにはならない。既知を読む読み方から未知を読む読み方への移行にはこの方法が最良の方法なのだと外山はいう。「わからないことを読ませる」という素読のすぐれている点をとり入れる具体的方法として、私は、哲学の本がいいと考えています。一生、心の糧になるような本を、意味など考えずに読ませるといいというのは外山。今日を最後にひとりの小学生が大手に移っていきます。私の力が及ばなかったことがさみしくもありますが、内心、ホッとしたところもあります。抽象化の内在しないままに月日が過ぎていきました。週2回、2時間そこそこでは、実は中々、抽象化を内在化させることは至難なのです。できれば、3時間みっちり、週3回も通ってくれれば、腰の据えた指導ができたことと思います。小学生はなかなか長時間の指導に落ち着かないのです。抽象化の完成していないままに大手に行くのは私には結果が見えていてつらい。大手に行ったことは、私には、ひとつの重荷をはずしてもらったようで、ホッとしたところがあるといったのです。小学生でも長時間あずけてもらえればそれなりの内在化に成功すると思います。限られた時間の中で、少し、少しの積み重ねなのがマイナスなんです。だからこそ、夏や冬の休みなんかに長時間来て指導を受けてもらいたいのです。竹の会の場合、この長時間指導こそが飛躍の鍵なんです。とにかく、今年の国語と算数、数学の指導の基礎に、哲学の本を置くことにはしています。今のところ、「ソフィーの世界」を考えています。これで、抽象の内在化に取り組みたいと考えています。今日は、中3が何人か、テストを受けに来た。いよいよ真剣だ。都立は、29日に推薦本番、来月24日に一般入試の本番がある。あと、東大の入試が決まれば、終わりだ。内心、東大の合格を確信してます。 |
| 1月26日 月曜日 晴れ |
| 午前中は、青学英語のレジュメを一気に打ち上げる。極限状態の体がいよいよ崩れ始めた。奥歯が浮き始めた。毎日、うこんやら、黒酢やら、霊芝やらと、なんとか体をごまかしてきた。12時に、雑煮でごはんを食べる。昔から、シロネギとしいたけだけの雑煮に白いごはんをとりあわせて食べるのが大好物だった。1時半に家を出る。3時に約束がある。塾に行く前に、OSに寄り、ゼナを2本買う。とにかくなんとか疲れて怒った体をなだめなければ。紀伊国屋で、理科社会の直前用問題集を買う。都立を一般受験する生徒が何人になるのかわからないが、とりあえず一般が確定的で実力も不十分なもの用に購入。3時の用件は、小学校5年生の子が退会して大手に移るという話。成績が伸びないのだから、しょうがないかな。この小学生もそうだが、抽象というメカニズムをいかにしてもたせえるのか、悩みは深い。考えてみたら、思考とは、抽象化ということなんだよな。外山さんによると、「読書とは、二度読み、三度読み、それでも足りなくて、四度五度と読み返す。そういうことができるのが、本当の本であり、それを読むのが、本当の読書だ」ということになる。「くりかえしくりかえし、同じ本を読むために、大きな教養効果を上げることができました。くりかえし読むことで、教えられもしないのに、未知が理解できるようになるという「奇蹟」が起こります」。それが「読書百遍意おのずから通ず」ということである。私は、高校の頃、現代国語が得意でした。私の経験を述べてみますと、高校の頃は、教科書を声を出して、毎日何回も何回も読んでいたことを思い出します。大分県全県一斉模試で、すごい高得点をとったのが現代文でした。読書らしい読書はしていなかったのです。ただ、小学3年生くらいのときに、東京の叔父さんに買ってもらった「日本昔話し」という本が私の大切なものであり、何十回読んだことでしょう。本なんて親に買ってもらったことはなく、この1冊が私の唯一の本であり、私は本当に何度も何度もよんだのです。これがキッカケとなり、小学5年生頃には、学校図書館でいろいろな読み物を借りては読み、借りては読みと毎日のように本を読んだのです。ばあちゃんが縫い物をしている横に寝ころがり、夜おそくまで本に読みふけっていたのです。しかし、そういう生活も小学生まででした。だから、私が、高校の頃、なぜあんなに国語ができたのか、思い当たるのは、毎日のように読んだ国語教科書の音読しかないのです。ところで、日本語て、縦書きに適した文字だということを知っていましたか。縦読みの言語の場合、視線の流れは上下ですから、その視線と直角に交わる横の線が、大事なんです。つまり左右の線が文字を見るときのポイントになる。「一、二、三、四、日、月、・・・」という具合です。横書きの言葉だと、T、U、Vというように縦の線が強調されます。これは外山さんの主張です。この話しは、漢字、ひらがなは、横書きはまずいという話です。そして、語感を養うには、やはり縦書きの文がいいというわけです。算数、数学がわからない子には、実は、抽象というものが欠落しているのだということ、だから、算数が苦手だからといって、さあ、算数をやりましょうではなくて、必要なのは、抽象ということをなんとか内在化させることなのである。たぶんであるが、「ソフィーの世界」といった哲学の歴史のような本がいいのではないかと思っている。幼児期におとぎ話しを聞かせるのがいいことはわかっている。しかし、今、現在、どうすればいいかだ。未知の精神世界に踏み込み、想像の世界で哲学的に考える、これがいいのではないかと思っている。算数がわからない、数学がわからない、そういう場合に、なすべきは、実は、そういうことなのではないか。 夜は、9時に教室を出る。あ、そうだ。今日は、目黒区から、私のホームページを見たという母子が教室に来た。渋谷駅から渋滞するバスに乗ってご苦労様でした。お礼に、私の「心の指導」をプレゼントしました。最近は、渋谷区以外の方からの問い合わせが増えてきました。明日もいそがしくなりそうです。そろそろ寝ます。お休みなさい。 |
| 1月25日 日曜日 晴れ |
| 朝、ノドが痛かったので、かなり着こんで出た。8時半出り。日曜は電車もバスも閑散としている。しかし、ターミナルの渋谷駅はなぜか朝から人が多い。よくもまあこんなに集まるものだ。今日で、ハードな日程は、実質的に終わる。といっても、今週は、まだ楽とはいえない。少しだけよくなるということ。来月は、都立一般入試を控えているし、まだまだ合格水準に達していない状況だし、指導は続けるしかない。よく言う。「私の指示をきちんと実行してさえいれば、確実に効果が出るのに、なぜ君たちはそんなに流すんだ」と。数学だって言うとおりにやったら、よくなっただろう。英語だってそうだ。なぜ「これこれをやれ」といったら、素直にやらないんだ。私の言うことが優先順位は一番なんだ。「今日は用事があるので」と何度、私の指示が流され続けたことか。何度も言う。優先順位は私の指示が一番なんだ。少しはわかっただろう。今日は、昼間は、散歩に出る。散歩といっても、気分転換のために教室の周辺をふらつくだけだけどね。ぶらぶらしながら、辺りを散策する。今日は、上原まで行く。文教堂という本屋がある。そこで、帝京大学の過去問を発見。行きつけの書店ではとんと見つけられなかったものだ。ここの問題は訓練にかなり使えるのだ。ついでに「記憶がウソをつく」という古舘伊知郎と養老先生の対談ものを買った。古舘は例の大袈裟なナレーションで我成り立てるアナだ。この人はニューステの新キャスターに決まっている人だ。あまり好きじゃない。あまり深く考えてものをいっていないのではないかという気がして。立教らしい。ニューステの久米さんは早稲田だった。関係ないが、早稲田をいつも前面に出す大橋巨泉が嫌いだ。あの人の思考もどうも底が浅い。読んでみると、話しはやはり司会者だけあってうまいかな。でも一言一言が浅いという気がする。養老先生、結構つきあってますねという感じだ。今日は、塾を7時に切り上げて、渋谷に出た。ブックファーストで、黒鉄ヒロシの「新選組」というのを買った。マンガです。隊士の紹介の仕方が気に入った。何々流の目録とかわかりやすい。マンガは最近は読まない。学生の頃は、少年マガジンと少年サンデー、それに少年ジャンプが人気だった。「あしたのジョー」とか、「愛と誠」とか、「悪」とかいうのが、人気があった。そうそう「巨人の星」を忘れていた。何か、いろいろ読んでた気がする。何人かでお金を出し合って、毎週買ってたな。大学出てからも、法律書で疲れた頭にはいい休息だった。そうだ。休息として読んでたんだ。少年の頃、月刊漫画雑誌が主流だったような。家では買ってもらえず、近所の子によく借りに行ったっけ。最近では、「スラムダンク」とか「ヒカルの碁」とかがよかった。子供のころ自由に本やら漫画を買ってもらえなかった反動で、自分の子供には小さいときからやたら漫画を買ってやった。今では、2人の子供の所有する漫画は2000冊から3000冊にまでなってしまった。やりすぎだ。下の子などは、「両さん」から知識を仕入れていた始末だ。「ブラック・ジャック」はよかった。「俺は鉄兵」とか「はじめの一歩」とかなにやらすごい。いつのころからか漫画は読めなくなった。余程、気分が少年という時でないとだめかな。例の「エコノミストは信用できるか」を読み始めた。経済の知識があやふやなのでどうも理解しづらい。法律と違って勝手が悪い。とにかく、いろんな大先生がいろんなことを言って、結局、はずれというコンテクストだと思うんだけどね。コンビニでカラーコピーをした。1部50円だ。ちょっと高いが便利なことは確か。帰りに、OSでメシマコブを買った。国の父に明日贈る予定。明日は、久し振りにシロちゃんに会いにいきたい。といっても午前中は、青学の英語のレジュメ作成があるけどね。今日はこの辺で。 |
| 1月24日 土曜日 晴れ 寒い |
| 相変わらず寒がきつい。国の年老いた両親のことが気になる。久し振りに教室の書架から、詩集を取り出して、読む。岡見裕輔の詩「サラリーマン定年前後」の中の一編「一字違い」 「飢えたこともない 金に困ったこともない ふっくらした人たちが 福祉の切り下げの重要さを語っている 貧乏人は国家に甘えてはならぬと。 わが国の最高学府を出て それぞれの権力の座に坐りこんでいる 有名な紳士淑女方が 学歴無用論を語っている 無邪気に時には笑いながら 労働者が時間外労働まで稼いで やっと手にできるひと月分の給料 その倍以上の報酬で一時間ほど タレント文化人が講演する 人間の尊厳や平等などについて。 慈善と偽善 一字違いのよく似た言葉です。」 近頃、世にはびこるもの、偽善。偽善って何? 広辞苑には、「本心からでなくみせかけにする善事」とある。偽善は公(おおやけ)の場だと糾弾される。本音と建前ということがある。偽善とは、必ずしも重ならないけどね。表ではいいことを言い、ウラにまわれば全く反対のことをやるというのは、「公」では許されない。しかし、個人のレベルで善人のつくささいなうそは、偽善とは言わない。つまりは、言ったことに責任をもつ、責任をとるべき必要のある言動ということだ。個人の言動がうそだとしても、そのことから責任が云々されないのなら問題にはならない。 「うそ」については、最近読んだ外山の本が示唆的だった。具体的な「もの」と直接に結びつけてものごとを理解しようとする時期がある。というか、これしか理解のしかたを知らないのだ。旗とか、犬とかことばに対応して必ず具体的なものにイメージする。幼児の原初的な理解とはことばに対応する物をイメージできるか否かということである。具体的な物と直接の対応がない場合でも、たとえば平和といえば、平穏な風景を思い浮かべたり、自由といえば公園を自由に散歩する人の姿を思い浮かべたりで何らかの物との結びつきを求めて脳の理解のメカニズムにはめこもうとするわけである。抽象的な概念を具体的なものに象徴化して理解しようとする。しかし、これにも限界がある。特に数学は抽象化、捨象化の著しい世界である。国語だって似たり寄ったり。具体的思考のメカニズムは必ず破綻する。抽象的思考メカニズムの形成が必須なのである。小学生の場合、多くはここのところでスムーズに移行できないことが多い。ウソの話しというのは、実は抽象というこの芽を植えつける最良な方法と思われる。よく幼児におとぎ話を読み聞かせるのは、この幼児の頭の中に現実の世界とは違うフィクションの世界の存在を意識させていくことになる。抽象という方法を内在化させることこそが、そのことこそが算数・数学の真の理解につながるのである。よく関数でつまずいたとか、算数の文章題でつまずいたとかいうと、一所懸命にそこのところを、きっと懇切丁寧に教えようとする塾の先生や家庭教師がいるけど、ことの本質が全くわかっていないとしかいいようがない。そういうことを言って塾に対応を要求する親も実は事の本質が別のところにあるということがわかっていないのだけれどもね。その前にその子に指導すべきことがあるでしょ。いくら教えたってわかったふりをするだけで何も解決なんかしませんよ。その子の頭の理解のメカニズムが変わらない限りはね。 今日は、5時には、ブックファーストにいた。例の文春新書「エコノミストは信用できるか」を発見。残部僅少。かなり売れてるよう。ハンズで新作キャストパズルもゲット。所用が済んだのは、7時半くらい。フードショーで刺身を買う。この時間帯だと2割引、うまくいけば半額で買えるのだ。養殖物は買わない。抗生物質漬けになっているからね。天然物は少ないが、あることはある。最近は、ハンズで買った刺身包丁で盛りつけまでする。見よう見まねの包丁さばきだが、最近はうまくなったとかみさんに褒められる。あは。明日はまた8時半。今日はこのへんで。 |
| 1月23日 金曜日 晴れ 寒い | |
| このところ、ホームページをいろいろ改善中です。「アクセスマップ」をわかり易くしました。「最新の入試データ」は、暇があれば、手持ちのデータを打ち込むようにしています。興味のある方は、ご覧になってください。掲示板は、意図的な荒らしが続いていますので、治まるまで休止としました。もうしばらくお待ちください。今日は、10時に家を出ました。OS薬局で霊芝を購入、明日田舎の父に急送の予定。紀伊国屋書店に寄る。「一日一文」(岩波書店刊)と「二時間目 国語」。後者は、思い出の国語教科書の名作収載。最近思うこと、この一年は国語の指導法であれこれ悩んできた。その悩みの過程でいろいろな本にであってきた。今は、読み応えのある名作を座右に、国語の辞書を傍らにおき、一文一文を意味をとりながら、読み進めていくのが、オーソドックスだが、一番いい方法だと確信している。やっぱりこれしかなかった。国語辞書を傍らにおくべきか。というのは、「戦中と戦後の間に」の中で、丸山真男が、語学の勉強方法というテーマで、「知らない単語が出てくるとすぐ辞書を引くというのも実は感心しません。できるだけ前後の関係から意味の見当をつけるように努めることです。」などといっていますが、これは、「知らない字が出たら引くのが正しい勉強のしかたに違いない」と前提してのことです。「辞書に頼りすぎていつまでたっても読書力がつかない」ことを心配してのことです。丸山によれば、相当大部の名著を一つでいいから徹底的に精読することを力説する。そこであげられている名著がマックス・ウェーバーの「社会科学と価値判断の諸問題」であるのは、東大の学生を相手にしてのものだからしかたない。文学では、トルストイ、ドストエフスキー、漱石があげられている。「そうした作家がいかなる社会に生まれいかなる環境に育ちその社会の問題といかに取り組んだかということを作品の内面の中から、探し出すように絶えず心がけること」という。昨今の芥川賞はおよびでないということか。ところで、丸山は結論的に、原理的なものより、哲学史、思想史がいいという。これからいえば、「ソフィーの世界」はよかったのかな。確か、2,3年前、竹の会の国語テキストに使った。読書を通して、言葉の「クセ」に慣れることだというのは参考になる。「文章の続き具合からして直ちにどの場合かが明らかになり、他の読み方をしようと思っても不自然でとうていできないはずです」。 勉強にうまい方法はない。普通に「あたりまえのことをあたりまえにやるのが一番だ」と思います。だれもが使っているあたりまえの本で十分です。かつて司法試験の合格者の話の中に「あたりまえのことをあたりまえにやったら受かった」というのが、ありましたが、難しい試験になるほど「何か特別のことをやらなければ受からないのではないか」と勝手に思い込み、試験とはかけ離れたことばかりをやってしまうものです。2年前、慶應大学に合格した竹の会の女子は、私の提供したテキストだけを何度もくり返しやっただけでした。大手予備校にいった同級生たちが、あれやこれやと参考書や問題集をやりながら、ほとんど失敗したということを聞くにつけ、「何か特別のことをやろうとする」生徒が、いかに多いことか。大手予備校だとその「何か特別のことを教えてくれる」と錯覚してしまうのでしょう。 「一日一文」については、おいおい日記でも取り上げていこうかと思っています。この1年、国語で悩んできましたが、今年の指導では、迷わず、私の「あたりまえの方法」で指導したいと思っています。 明日は、8時半に出る予定です。今日はもう寝ます。
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| 1月22日 木曜日 晴れ 寒、肌を刺す | ||
| 11時半に家を出る。紀伊国屋書店による。例の村上の語呂記憶シリーズ14とパソコン関連を各1点買う。品切れの文春新書の「エコノミストは信用できるか」は、断り書きが出ていた。かなり問い合わせがあるということか。本月末には出ると聞いていたが、楽しみにしている。というか、過去、経済評論家といわれる連中が、平然とウソばっかりついてきたことを苦々しく思ってきたので、興味深々。昨今も事態は変わってない。テレビに登場するエコノミストといわれる諸大先生、とにかく断言するのがすごい。そして、その言うとおりになったためしがないが、一向に動じない。それはそれで平気でまた新たに断言する。あほか。教室のあるマンションの道路を隔てた正面に巨大スーパーの建設が進行中だ。去年の12月頃に杭打ちが始まったが、今は、巨大な穴が掘られている。巨大なユンボがダンプに土を運び込む。教室の小窓から見ていると飽きない。完成の暁には、竹の会の環境も随分と変わることになる。今考えていること。竹の会のホームページをより多くの方に見てもらいたい。かつて、よくDMを出した。住所は、その筋の業者から買う。DMを出すと、住所をどこで調べたのかと、すごい剣幕で電話してくる人、今後このようなDMはださないようにと一筆入れて受取拒否してくる人と、世の中には変わった人がいるものだ。住所については、知らない人もいるようなので触れておきますと、渋谷区なら一定の料金をとり、たとえば塾の宣伝のためといって、原稿を提出すれば、住民台帳の閲覧ができます。これは、法的に認められたものです。もっとも最近は結構条件が厳しくなってはいますが。業者は、様々なルートから住所録を手に入れてくるようです。また、塾などの委託を受けて代理して区役所に閲覧にいきます。塾が自分のことを何らかの形で自己PRしなければその存在そのものさえ知ってもらえないわけで、広告やDMを悪の極みみたいにとらえて抗議してくる人の意識が理解不能です。嫌なら捨ててしまえばそれで終わりなのでは。今は、新聞のチラシを考えている。過去よく使ったが、コストの割りには効果がない。それでしばらく止めていた。ただ、このところ、竹の会のホームページの存在をできるだけ多くの方に知ってもらう必要があると考えるようになった。そこでその方向でアイデアをめぐらしている。宣伝しなければ知ってもらえない。これは資本主義社会の基本でしょ。当面は、渋谷区と世田谷区でいいかな。疲れた体と重い頭で、そんなことに思いをめぐらしている。夏までには、英語テキストを完成させたい。珠玉の名作にしあげたい。 明日は、やはり11時半出り。苦しいのは、今週いっぱい。後少し、頑張ります。
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| 1月21日 水曜日 晴れ | |||
朝8時半に家を出る。正直、自分の身体でないようだ。入試が近い。親も子も必死。そう思うと身が引き締まる。1月もあとわずか。疲れきった身体は、ボロ雑巾のようだ。一日さえもゆっくりと身体を横たえる日がないままに、もう何ヶ月が過ぎたのだろうか。このところ思うこと。抽象的思考をとれないこどもが、結局、算数ができないということなんだ。できないにも、レベルがある。計算もままならない子もいれば、計算だけはできるが、文章題はさっぱりだめという子。この辺にも、種々段階があって、全くなす術のない子から、猿真似レベルの子、パターン化して覚えて対処する子、など区々である。が、結局、抽象的思考がとれないということは、必ず、行き詰る原因になる。ある量の12.5%が、800だとすれば、全体は、いくらになるの。1当たり量の考え方で、0.125あたりが800だから、全体は、800÷0.125を計算すればいいということを、割合のものさしなるものを考案して説明する。そこで、5分の1あたり、250円は、いくらなどとすると、250÷1/5を計算する。ところがである。円グラフの食物費が15%なら、食物費は何度ですか、という問いには、もう全く考えがストップする。猿真似の限界を超えたというか、実は、割合というものが、頭の中で抽象化されていないからだ。この抽象化という脳作用ができない限り、まずその後に何を教えてもらっても、ものにできることはない。いつも猿真似のままである。どうすれば、この抽象化という脳の働きをスイッチオンできるのだろうか。中学生になっても、この抽象化のできない子はずっと数学ができない。あれこれ塾を変えたり、家庭教師を雇ったりと、親は四苦八苦するが、まず問題は結局解決しないままに、来るべきときをむかえるのである。100を1として考えるなどというのは、実は抽象的な思考作用の極たるものである。そのような操作が頭の中でできるのであれば、もうそのこどもは指導すればするだけ伸びていく。小学生が1年、2年通って、中々伸びていかないというのであれば、実はその子の頭が具体的なレベルでしか機能しないということなのである。そういう子は、当然幼い。困難に対しては必ず回避するという幼さをみせる。今の私には、この抽象的な思考作用を如何にしてもたせられるのかが、わからない。天性の能力といってしまえば、それまでだが、訓練でどこまでもっていけるかというのは関心事ではある。よく女子中学生に、図形がだめとか、関数がだめとか、いう子がいるが、これなどは、やはり抽象化思考ができないということなんだと思う。具体的思考あるいは猿真似というのは、具体的な物を離れてはもう存在しない。立方体というときに、現実には存在しない、立方体という抽象化された形が、頭の中で操作の対象として観念できるか、ということなのである。現実に存在する立方体とは、別の立方体があるものとして、考えることができるかなのである。2次関数のグラフを現実にはないが、そんなものとして頭の中に観念できるかということである。プロの指導家というのは、そんなところに頭を使っているということである。「先生、この問題がわかりません」と質問されたとき、その問題の解き方をわかりやすく教えるというよりも、如何にして、その問題を通して、原理やしくみを示して、抽象化できるようにしてやるかということなのである。私の指導は常にそのようであったと思う。それでも、具体的なものの呪縛は強く、頭の中に抽象化できない子のなんと多いことか。ひとつの説明を終えたとき、いつも「だめか」という無力感が私の身体を突き抜ける。今、考えること、抽象化の方法をこどもたちにいかにして内在させられるか。そんな教材をかんがえなければ。「しない子」はそのままにしない。これも真実。不作為な日々。無為な日々。あーなんとかしなければ。明日は、午前中11時までに青学の英語をレジュメ化。5枚予定。12時には出る。1月が終わったら、少し休ませてもらおう。もう解放してください。
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| 1月20日 火曜日 晴れ 暖かい寒さ | |
| 今日は、8時半には、家を出る。心身は擦り切れんばかりの状態。昨日は、センター試験の結果報告を受ける。今年は、東大理系受験の高3がいる。結果は、まずまずで一安心。合格へ向けて一直線だ。昨日に続いて、外山滋比古の本からの話題。以下引用。算数の問題。「太郎君が鉛筆を2本、花子さんが鉛筆を3本もっています。2人の鉛筆を合わせると何本ですか」。この問題、実は、抽象的に考える必要がある。こどもの経験の外にあることばだからだ。こどもは、「太郎ってどこにいるのかな」「花子なんて聞いたこともない」「鉛筆って、どんな鉛筆なの。色鉛筆なの。削ってあるのかな」などと、考えるかもしれない。つまり、ことばをひとつひとつ、ものなどと結びつけないと、理解できない。2とか3といった数字は抽象概念なので、そういうこどもは指を折ってみないとわからない。おとぎ話しで抽象語の洗礼を受けている子なら、太郎君も花子さんも、桃太郎という名前と同じことだということが、すぐにわかります。名前はあっても会うことはできないことを知っているのです。日本一おいしいという桃太郎のキビダンゴは、どんなにおいしくても、それをもらって、おやつに食べることはできないことを知っています。それと同じように、太郎君や花子さんの鉛筆も、実際に削って字を書くことのできる鉛筆ではないことが、すぐに理解できるのです。だから、どこにあるかわからないけど、鉛筆というものがあるとして問題を解くことができるわけです(以上引用)。 以上は、抽象的思考のとれない子の様子を端的に説明していますよね。算数の文章題なんかを、わからないという小学生にいくら説明しても実は説明じたいが意味がないのだということがわかってもらえるだろうか。問題は、抽象的思考のとれないことにあり、指導すべきはここのところであり、決してそのわからないとかいう問題を説明することではないのだ。いかにして、「どこにあるかわからないけど、何々というものがあるとして」考えることができるかということである。江戸時代は、論語の素読学習が一般の教育法だった(外山)。難解な漢文を年端もいかないこどもに、無理やり読ませる。意味などどうせ説明してもわからないから、はじめから問題にしないのだ。何かをやるとき、説明しないでやらせるなんてと、以前の母親の抗議を思い出す。「なんで説明しないんですか」と不信感ありあり。わからないことを読ませる素読みのすぐれている点とは何か。それを読まされることによって未知を読む訓練になるからである(外山)。読書には、既知の読書と未知の読書がある。未知の読書は、自分の知らないことを読んで解き明かす読書である。難しいと歯がたたない。すぐに投げ出すのが最近の半読書家である。未知のものを読み、理解することで、自分の世界をひらくことが可能になる。いい本を意味など考えずに読むのが素読みといった。二度読み、三度読みするのだ。考えられもしないのに、いつか未知が理解できる奇跡。読書百篇意おのずから通ず。私の指導。何度もくりかえし読んだため綴じた革ヒモが三度も切れたという孔子。一冊の本をそれくらいくりかえし読めば深く理解することができる。以上も外山の主張。ボロボロになるまで読み込む。これが、勉強いや受験の極意だというのは、年来の竹の会の指導ポリシーだ。竹の会では、説明しないでやらせることが多々ある。この意味を外山の説明が見事にいいあてている。算数が、わからないのに、いつまでも、考えさせている。これは未知への挑戦であり、何ヶ月もかかるかもしれない。はっきりとした結果がでるとの保証もない。しかし、こどもが未知なる世界を理解する能力を獲得しない限りは、問題は解決しない。これだけは譲れない結論だ。未知の世界に放り出されたこどもを、私は知らん振りしているしかない。なにも教えてくれないと怒る母親、攻める母親に心は暗い。真実は、真理は、私の心にのみある。わかりやすく教えることが価値あることなのか。抽象的な思考がとれる人間に育てることのできる指導者のほうが、ずっと価値あることなのではないか。ひとり立ちして考えることのできる人に育てることのほうがずっと価値あることなのではないか。わからない問題を教えるだけ。母親が求めているのは、目に見える形だけなの。教えないのには理由があるんです。私はもっと別のところで指導しているんです。今年の1月は、例年になく身体がきつい。もう既に臨界点はとっくに越しているのだと思う。しない、やらない、不作為な子たちを指導した年だった。これも経験か。小6が、英単語の暗記で苦労している。江戸時代の漢籍の素読みがいいかな。ことばはまず耳からなんだものね。明日は、大田区の小学生がはるばる訪ねてくる。朝8時半には家を出る予定。終わりは夜10時頃。身体もつかな。
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| 1月19日 月曜日 曇り後晴れ | |||
11時には、家をでる。それまでは、木曜日にある青学英語のレジュメの草案作りをす。3枚ほど打ち上げて、時間切れ。後は、当日の午前中になんとかするしかない。雑煮を食べて渋谷へ。OS薬局へ。アガリスク購入。田舎の父に送るもの。その足で、紀伊国屋へ。毎年出る理社のカウントダウンシリーズを一応押さえておく。「音読英会話 精選フレーズ(CD付)」、「ネイティブがよく使う英語スラング 映画ドラマが楽しめる(CD付)」を買う。それと「絶対語感」(外山しげひこ著)。この本のサブタイは、「頭の良い子に育てる日本語の話し方」となっている。中をパラパラと拾い読みして、買うことに。「幼い子にことばを教えることがもっとも大事な子育てである」。そして、それは「主として母親のすることだ」という。ただ、「絶対音感」の訓練と同じようにという一節は、えっ。絶対音感って、訓練で手に入れられたものだっけ。最相葉月(さいしょうはづき)のベストセラーだよな。「天性なのか後天的なのかはまだわかっていな」かったはずだし、あのモーツアルトが絶対音感の持主だったとされるように、ほとんど天性のもの。赤ん坊は、聴覚だけは完全に発達しているから、耳から教育、つまり刷り込みが意味があるとする。生まれて初めてのことばは、母親の言葉というわけ。くり返し言う。何度も何度もくり返し聞いてるうちに自然に言葉がわかってくる。はじめの言葉は、具体的なものごとに表すことが出きるものだ。少したって、目に見えない抽象的なものごとを表す言葉に移行しなければならない。この移行がうまくできないといつまでたっても抽象的に物事を考えることができないこととなる。そこで大切なのが「うそ」というわけ。うそをつくこと、これが実は抽象的思考のもととなるというのは、面白い。作り話やフィクション、つまり豊かなうそから、具体的な物事と切り離された世界の思考をなしうることとなる。これこそが頭の良し悪しにかかわる。母親が、規範的に正直さをきつくしつけると、この想像力が全く育たないこととなる。作り話しやホラ話こそが、頭のいい子をつくるもとだ。そういえば、「赤毛のアン」でアンは、想像力が豊か過ぎるくらい豊かだった。彼女は首席をとったんだっけ。うそが大切というのが面白い。子供は同じ話を何度も何度もくり返し聞くのが好き。母親が話す話しは、日本のおとぎ話しがいいそうだ。抽象的な世界を知らない子は、ことばひとつひとつをものなどと結びつけないと理解できない。これこそが、算数ひいては数学が苦手な元凶なのだ。すべての学習の基本は、反復と継続。全く同感。英語の早期訓練なんかするより、きちんとした日本語を赤ちゃんのときにこそ教えなさい。外山氏の主張には、異論はない。長年、算数、数学を指導してきて、やはり抽象的思考がとれない子ができないことははっきりしている。小学生は、どうしても具体的な物と結びつけないと理解できない子が多い。徹底的にウソをつく。その中から無意識のうちに抽象的な思考の中にいるということが可能なら試してみたい。何か指導のアイデアに結びつければね。反復訓練というのは、実は私の入試指導の本質的な核なんだけどね。今は、体はクタクタ。もう限界点をはるかに超してるという感じだ。私の指導を積極的に受容する子は成績の伸びが著しい。うれしそうに報告する生徒たち。信頼と素直な受容のくり返しがいいリズムをうむ。明日は、朝8時半に出る予定。今日はもう寝ます。体がきしむように痛いので。
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| 1月18日 日曜日 晴れ 寒い |
| 朝8時半に家を出る。体は、正直きつい。極限状態。後、10日。昨日買った「リトルハッカー」を少し読む。最初は、アメリカ、十代の天才ハッカーの日記。コンピューター学校の教師を無能と一蹴。無知のくせになにを教えるのかと手厳しい。彼らにかかっては、学者先生もたいしたことはない。ハッカー同士が教師であり、生徒である。プログラミングをはじめ、その技術を独学でどんどんと深めていく。すごい。世間に氾濫するパソコンスクールの先生とやら、いままでどうも今ひとつ信用がおけなかった。ハッカーが先生ならあっという間にコンピューターもマスターできそう。どうも何々スクールというのに本物はあまりないようだ。世の中、中途半端な偽物が大手を振って幅を利かせているわけです。私が、このところ読み込んでいる本は、この前、買った例の裏技本です。著者は筑波大出身ですが、択一問題に対する正解の論理は「なるほど」と納得できるものばかり。同じ著者のセンター試験用の英語版と国語版を先に買ったのだが、最後に買ったこの公務員試験バージョンが一番いい。たとえば、「含まれる」と「含む」の関係がある肢どうしなら、絶対に「含む」のほうが正解肢だという。なぜなら、「含まれる」ほうが正解なら、「含む」ほうも正しいことになり、正解が一つに反するからだという。まあ、この辺の所は、具体的な問題をもってこないとよくわからないと思いますが、今年の入試にいいアドバイスができればいいと鋭意理解に徹しています。必要は発明の母とかいいます。中学入試、高校入試の指導に活かせる何かを是非見つけたいと思っています。熟読します。今日は、日曜日で新選組放映の日、前回は、途中から少し見ました。かみさんが、三谷幸喜のファンでいつもは大河ドラマなんかは一切みないくせに妙に張り切っています。三谷さんは、例の古畑さんのシリーズで有名になった人ですよね。これなんかは、刑事コロンボのパクリだと思うんだけど、パクリのほうが面白い。ただ、実はすごい無理がある。それは、前から思っていたことなのですが、アメリカと日本では、刑事訴訟法がまるっきり違う。アメリカの場合、予備審問の制度があるから、ここである程度立証できないと却下されてしまう。それ以上はもっていけない。だから、逮捕までに、自白なり相手に罪を認めさせておかない困るわけだ。刑事コロンボはこういう制度が前提として理解されてないと、なぜ逮捕前に罪を認めさせているのかわからない。ところが、日本の場合は、逮捕前に罪を犯したと疑うに足りる相当の理由さえあれば逮捕できる。逮捕前してしまえば、自白していなくても、別にかまわない。拘留してからじっくり取り調べ自白させればいい。もっとも刑事訴訟法の精神はそうではないと思うが、実務はそうなっている。コロンボは何が何でも逮捕前に自白にもっていく必要性があったのだ。だから、古畑さんが、逮捕前に自白させる意味は少なくとも制度上はない。三谷さんがこのへんのところを知っていてパクっているかどうかはわからない。ただ、理詰めで追いつめていく、その部分のみが強調されている。まっ、いいか。最近では、テレビで行列のできるなんとかなんて番組で、弁護士の意見が真っ二つに割れてわぁーわぁーやっている。弁護士なんて、法律のよろいをとればただの人間だ。その法律知識だって、けっこう怪しい。実際、素人が必死になって、本人訴訟したほうが絶対にいい。法律も結局地道な下調べの比重の方が絶対に重い。それに、そんなに真剣になってやってくれる弁護士なんて稀有だ。専門を振りかざしているだけで、人間のレベルでは全くアホというのも、医者と同じくらい多い。まっ、いいか。昨日は、変な武勇伝を書いてしまって、恥ずかしい。若いころは結構血の気が多くて、武勇伝もどきが多々ありまして。あは。 |
| 1月17日 土曜日 曇り 雪っぽい |
| 今日は朝からかなり寒い。雪といってたけど、まっ、かすかな雪かな。朝8時半に家を出る。4時までやって、渋谷へ。ブックファーストへ直行。時間はたっぷりある。じっくり本を探せる。うれしい。ウキウキ。「薬用キノコ20種類の完全ガイド」、「リトルハッカー」「化学と物理の基礎の基礎がわかる本」を購入。「リトルハッカー」は、米国のティーンエイジ・ハッカーのノンフィクション。拾い読みして、コンピューター・コンプレックスの私には、その手口から、コンピューターの本質的なものを学べそうだと思えた。最後のは、化学と物理のほんとにわかりやすそうな本。こういうの見るとすぐ買っちゃう。最初のは、最近、免疫力に関心大で、購入。今日は、例の裏技本の公務員版をずっと読んでいる。けっこう面白い。この本、何年か前に一度読んだことがある。択一の出題側の裏事情の分析がなかなかのもの。択一問題の作成は、以前依頼されたことがあったが、結局、記述式の問題で手一杯ということで、断った。もし択一の問題を作るとしたら、この本はかなりのノウハウ本だと思う。例の文春新書の「エコノミストは信用できるか」は、書店にない理由がわかった。品切れで、今月末入荷の予定とのこと。よく売れたということか。期待がもてるぞ。頼んでいた翻訳本は、なんという手違いなのか、原本を取り寄せていた。あほか。入試が近い。中学入試の算数については、ある不思議な事実がある。直前に、志望校の過去問を40点とった子は、その年の問題を全部理解して、翌年の問題を解いたとしても、やはり40点そこそこしか、とれないのだ。これは、何年くりかえしても、変わらない。素の実力はそのままだからだ。説明受けて理解した問題なんて、なにもしないのとかわらないんだ。これを克服するには、どうすればいいか。素の実力をつけることだ。それには、種々の学校の過去問を解きつくし、ある程度の量をこなしたら、7回は復習することだ。大手に通う子供がよくこのパターンに陥る。心当たりの方もいるのではないか。大手では、過去問指導法ってのはないですからね。テキスト使ってやるのはいいんだけど、結局、思考力勝負だからね。 高校2年生のときの話し。朝は登校する自転車が狭い通学路にひしめき合う。その狭い道で私の乗った自転車と同級生のKの自転車とがクラッシュ。Kは小学生の時からの同級生だが、中学、高校とあまり会話はないままに、高校でも、私は国立コースでKは私立と交流がない。Kは体重75キロの大柄、私は、53キロといったやせ。いきがかりで衝突。殴り合いはしない(さすが受験校)。昼休みに道場で柔道で決着ということに。昼休みに柔道着を着た2人がいた。介添えに何人かがついてきた。私は、飛び込むなり、いきなり山嵐をかけ、道場の板壁に敵の巨体をめりこませた。敵は立ち上がって、さらに襲いかかってくる。今度は、柔道着のけさで首をしめたまま、お互いに、押し合いへし合いの膠着状態。相手の顔が真っ赤になり苦しそうにゆがむ。なかなか決着がつきそうにない。そのとき、介添えの友人が間にはいり、2人を分ける。「おそれいいりました」とKが意外と素直に敗北を認める。気がつくと、握手してた。あは。武勇伝その1です。 |
| 1月16日 金曜日 晴れ 寒強し |
| 厳しい寒さが続く。今日は、午前中は、要項の仕上げとプリントアウト。まだ、今年の入試は終わっていないのに、もう来年度入試の青写真を描かなければならない。水曜日にあった不埒な書き込みはどうやら竹の会には関係ないらしい。11時半に家を出る。今日は漢字検定の日だ。しかし成績はよくない感じ。入試が近い。中3を全員合格させたい。ひとりひとりの実力を推し量り、策を練る。毎年やってきたことだ。ようやく真剣になってきた中3。理科・社会が課題。私の書いた「理科社会超整理」がかなりいいようだ。Y君が読み込んでいる。風邪が流行っている。今日、中3がひとり発熱。大変な時期だけに心配だ。紀伊国屋では、例の裏技シリーズの英語版と公務員試験版を買う。こういう本はとにかく買って読んでおく。塾の先生というのは、いろいろ使える手は仕入れておく必要がある。その点は貪欲に考えている。かみさんのメール。注文していた例の翻訳本が入荷した由。明日早速とりにいくつもり。あわただしい毎日。ゆっくり何かを考える日がない。今はただ、受験指導に専念するだけ。郷里の年老いた父母のことがいつも気がかり。寒気の中を歩くとき、帰りの夜道を歩くとき、ふと思い浮かぶ父と母のこと。苦虫を潰したように押し黙って下を向いて歩く。この前、Tさんにもらった焼酎がうまい。黒糖と米こうじが原料で、水連洞という。40度あるので、お湯でわる。カーとまいう。この前、買った黒麹という芋焼酎も逸品だった。天地水楽というのもいい。年末に買った大吟醸鹿子もまいうだった。2年前、新宿のハンズでたまたま越の寒梅を見つけ、ほとんど買い占めてきたことがあった。あれは冷でまいうだった。泡盛「どなん」は、60度もあり、以前は、氷と水で割って飲んだが、最近はあまりおいしいと思わなくなった。なぜかナポレオンが2本ほどある。めったに飲まない。ビールはエビスしか飲まない。こう書いてくるといかにも酒飲みのようだが、酒の味などとんとわからない。酒量だって、グラスに少しだけ。もうダウン。ウコンを飲んだりして調整している。タバコはかつてマルボーロライトを3箱は吸った。あるとき、フランス大衆タバコ「ゴロアーズ」を愛用したことがあった。喉がただれてやばくなった。このときから、タバコはさっぱりと止めた。もう十数年前のことである。車の免許は、高校2年の時、自動2輪の免許をとった。これで、軽自動車も乗れた。高校卒業の年、大型自動車の免許をとった。しかし、今はとんと運転はしない。運転は、自分でいうのもなんですが、プロ級でしょう。キャストパズルに凝ったことがある。難度の高いのはすべてクリア。が、1つだけ未解決のものあり。キャストパズルはこんど写真します。氷塔って知ってますか。50ステージまであり、バスの中で全クリしました。続編もあります。かつてテトリスに凝り、極めたことがありました。あれって、ボケ防止にいいかも。CDは高校の頃、舟木一夫とか、西郷輝彦が好きでした。今でも、ほとんどの曲を覚えています。最近では、尾崎豊の詩が好きです。「卒業」とか「十五の夜」とかは歌えます。格闘技が好きです。今でも、握力は60前後です。ナイフは「肥後の守」のファンです。少年時代いつもポケットに入っていた肥後の守。たぶん偽物。今は、逸品を持ってます。スニーカーはニューバランスのUSAmadeに決めてます。腕時計は、今は、電波時計の薄型です。いろいろ持ってますけどね。あは、今日は何を書いているんでしょう。少し、私の別の面もしってください。では、今日はこのへんで。あっ、明日は、若い頃の武勇伝を書くかもね。あは。 |
| 1月15日 木曜日 晴れ 寒強し | |
| 午前中は、青学英語をプリントアウト。竹の会要項と17年度高校入試要項の更正。だいたい草案が確定案になりつつある。10時半に、区外の小学生に例の解説を送るため郵便局へ。帰りに、近くのパン屋で野菜サンドを買う。ここのはうまいんだ。明治屋で買った中華丼をかきこんで、12時に家をとび出る。20分限定で紀伊国屋に寄る。例の文春新書やはりない。目についたセンター国語の裏技本を買う。去年も買った。この本の著者によると、自分が最初にこの本を出したら、翌年には、某大手予備校の有名講師がパクリ本を出した、とある。たぶん、代ゼミの「例の方法」のことだろう。これは、私も読み込んだ。続編があって、さらに英語版も出た。本家は自分であり、パクリ版に書いてないこともたくさん書いてあるという著者。内容は、なるほど、そうかな、という程度。実際、使えるかとなると、うーんて感じ。択一に有効とあるが、司法試験には、使えないだろうな。単なる国語問題と違って、法律の場合は、専門的にいくらでも難しくできるからね。最近の司法試験の問題は、特に、刑法の難度が高すぎて、単純にはいかない。昭和年代だったら有効だったかもね。去年、久し振りに、司法試験の民法の問題を解いてみたら、民法はだいたい9割近く解けたが、刑法はやばかった。昔、刑法が得意だったので、時代の推移に言葉もなかった。なんともいえない超難解なパズルという感じだった。昭和55年に司法試験第2次試験択一式に合格した。論文試験を出身の九州大のある福岡で受けたことを今でも覚えている。あのとき、司法試験を続けた仲間たちは、いまでは、弁護士や検事などをやっている。司法試験を受験中、頼まれて始めた家庭教師で国立大付属中に合格させてしまった。すると、その噂を聞いた人たちが、家庭教師を頼むというわけで、次第にかなりの人数をかかえる始末。あのときから、自分は違う道を歩み始めたんだな。卒業のとき、某大手損保会社から就職の誘いもあったけど、結局断った。東京では、○弁護士や△弁護士のところで勉強をしようとしたことも。しかし、結局、塾という道に。3年前、司法試験などの超大手予備校で、縁あって、講座の問題作りの委託を受ける。昔、かなり法律論文を読んでたこともあって、私の作った問題はすべて採用され、原稿料も加算ということになった。が、塾の仕事が忙しくなり、やむなく断ることに。私には、久し振りの法律の仕事であった。楽しかった。 夜8時半、教室を出る。背中が重い。寒さのせいもあるのか、息苦しい。やばいかなと思いつつ、打ち消したい気持ち。ややブルー。渋谷で、OSに寄り、クエン酸を買う。帰ったら、蜂蜜で割って飲もう。かみさんは、今日は幼馴染のお京さんと、確か世田谷のボロ市に出陣。梅の木のいいのをゲットしてた。はは。というか、朝方、ベランダのピラカンサの実を食べに野鳥が来た。この時期だけ、毎年くるんだ。写真に撮ったのでなんとか載せるつもり。お京さんが名前を教えてくれるかな。
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| 1月14日 水曜日 晴れ 寒強し |
| 12時から仕事。10時30分には、家を出る。ブックファーストへ直行。10時開店だった。あは。大学生の息子の質問に答えるべく、「詳説演習微分積分」(培風館)、「工学系学生のための記号法ですぐに解ける微分方程式」(金田数馬正著)、「理工系の基礎微分積分」の3冊をゲット。ほかに「the
FUTURE is WILD」(2億年後の地球)、「こうすれば病気は治る 心とからだの免疫学」(安保徹-あぼとおる)を買う。金田数正は、高校数学つまり大学入試用の参考書で知っていた。大学の本も使えるかなと期待した。「2億年後の地球」は、詳細なデータから推測した未来の地球、人類はすでになく、たとえば、海のイカが8トンもの巨大動物として地上を闊歩したり、カメが猛獣化したりで、イラストが衝撃的だ。安保さんの本は、既刊「免疫革命」を大衆向けに書き直したようなもの。まっ、復習のつもりで読むことに。文春新書の「エコノミストは信用できるか」は、全くなし。どうなってんの。塾では、区外の小学生から送られてきた過去問の解答を書き、明日送れる手配。中3は、受験直前とは思えないくらい、一部の受験生がすさんでいる。過去なかった光景だ。押し迫ってきた。心静かに日々を過ごしてほしい。静かな緊張感の持続こそが、合格への要諦だ。静かに受験時期を過ごすこと、これは成功する者にのみ見られる光景だ。掲示板に塾長の名で個人攻撃があった。だれだかすぐにわかった。ショック。受験は、自分との、孤独な戦いだ。日々の地道な努力のみが己を助けてくれる。努力しなければ、追い詰められていく。攻撃的になり心ここにあらずということになれば、結局、失敗するのは自分なのだ。2月の受験指導は、止めよう。1月で今年は、一切の受験指導を打ち切りにしたい。急に、そう思いたった。 私は受験指導のプロだ。私の指導の心が受け入れられない状況下での指導を継続することはできない。 朝から、やってると、夕方6時頃になると、持病の背中痛が極限状況に達する。小学生が、1あたりに取り組んでいる。「何々費が、15%のとき、円グラフの角度は?」という問題が「わかりません」。でも、「長方形の面積の12.5%が、800平方cmのとき、長方形の面積は?」という問題は、800÷0.125とやるくせに、である。これで、実は、ほんとうのところは何も分かっていないということがわかるのです。これくらいの理解力だと算数は中々伸びていきません。これは、能力開発の段階であり、竹の会は、この能力開発をしているのだということなんです。時間はかかります。なかなか進みません。でも、いつか本当に理解するときがくる、そう信じてやっているわけです。能力の壁を超えられる日が来ると信じて指導しています。小さな壁を一つ超えて、また小さな壁を一つ超えて、と日々の小さな進歩に心を砕いているのです。1回の説明で理解してしまう子もいれば、なかなか真実の理解に達しない子もいます。後者の場合、塾は決して特効薬的に問題を解決できるわけではありません。ただ、問題を解決すべく必死に努力しているのだということだけはわかってほしいのです。 |
| 1月13日 火曜日 曇りのち晴れ 寒い |
| 午前中は、木曜日にある青学英語の講義用レジュメ作り。大分、慣れてきた。快調に4枚ほど打ち上げて、雑煮うどんを食べたら、12時きっかりに家をとび出る。仕事は、1時からの予定。急ぎ足でOS薬局へ寄り、甘栗の安売りゲット。スーパーなんかで、150円くらいで売ってるやつ、90円で買っちゃった。大量にね。その足で、紀伊国屋へ。文春新書で読みたいのがあったから。なし。12時半にバスに飛び乗る。間に合うかな。奇跡的に、バスが流れる。12,3分で着。やったー!。着くとすぐに、生徒が来た。あぶねー。7時に教室を出る。ハンズへ直行。静電気取りのスグレものを買う。あと、携帯用の光るストラップ。ブックファーストで、やはり文春の新書を探す。やはり、なし。まっ、いいか。3Fで、積分の専門書を探索。線積分について調べる必要あり。グリーンの定理と二重積分についての説明も欲しかった。30分ほど探したが、時間切れ。明日、10時に来て、じっくり探すしかないか。明日は、12時からの仕事だからね。鶴亀算を理解したはずの子が、1年たったら、できなくなったとの、母親からの訴え。もともとわかってなかったんだと思う。小学生って、わかったふりはする。例題なんかを真似して、答えなんかは出す。でも、しくみというか、意味はわかってない。最近、1あたりの考え方を工夫したレジュメをよく書いた。ほんとうにわかった子は、2名くらい。そのうち1名がほんとうにわかったと認識している。その子に、冬休みにちょっと受験用の算数を指導することになった。10日ほどの指導で、あっという間に、立教の過去問を半分くらい解くようになった。1あたりが理解できるということは、そういうことだ。鶴亀算が本当にできたのなら、それ以後は、ぐんぐん伸びていくはずだ。本当に分かっていないから、できなくなるのだ。その子の理解の程度は、1あたりの問題に対する反応でわかる。これを理解しないから、どうすれば理解させられるかに腐心している。基礎的なことだが、これがわからないと、何を教えてもだめだ。国語についての悩みをよく相談される。問題集をやってもさっぱりというわけだ。本を読めば解決することなのだが、国語が嫌いな子が喜んで本なんか読むはずがないしね。そのままズルズル時が経つことになる。私は、漢字検定を勧めている。とにかく、漢字は必要だしね。あと、やはり何らの形で本を読むきっかけがあればね。本を読んで、国語辞書を引くということをやっていれば必ず読解は伸びていく。これは、国語マスターの王道だが、確実なやり方だと思う。以前、内の子は、本は好きでよく読むのに、国語が悪いという母親の訴えがあったが、これは、実はもっと別の知能にかかわる問題だ。形式的に読めばいいというものではない。以前、ある母親から、数学の解答を教えやってほしい、そうすれば解き方を覚えて、ドンドン先へ進めるから、という趣旨の直談判があった。電話で延々2時間近く、一方的にしゃべりまくられた。どうしょうもない。竹の会では、問題集みたいなものは一切使わない。すべて過去問だ。このやり方については、過去問指導法のページを呼んで欲しい。数学について、わたしのやり方にまちがいはない。現中3の最近の言葉「数学はできた」。私のいったとおりでしょ。そうなることは計算済み。実力がいまだに不明の中3へ。日ごろのまじめな取り組みが大切なんだってこと。といっても、なんとかしなけれりゃならないのが、私の仕事。明日も一日、受験指導。寒さが身にしみる。 |
| 1月12日 月曜日 成人の日 晴れ |
| 朝から、仕事。さすがに疲れる。朝から、すごい頭痛。後藤散(大分の頭痛薬)を飲む。単なる頭痛かなと思ったが、胃がむかむかする。やばい、風邪のようだ。危機感ひしひし。コンビニで、ゼナを買い、ヘルシアなど風邪の菌に強いカテキン類も買い込む。家から持ってきた梅干を口に入れると、吐き気がする。気分がすぐれない。吐き気がさらに気分を悪くする。日常的にウィルスが体を侵食していると思う。中学入試の指導でかなりストレスがたまっている。高校入試もよくない。小6から、竹の会にいる男子は、できあがりつつあるけどね。中学入試でも、高校入試でも、よくない子には、共通点がある。責任意識の希薄な子ほど、だめだ。責任をもってやりとげるという意識の希薄な子ほど苦しむ。言われたことはやりとげる、責任を感じる、という子が伸びる。責任というのは、結局、大人ということだ。幼いというのは、責任や義務といったことに裏づけられた行動がとれないということだからね。後、国語ができないということに関して、小学生の本当に狭い視野の中だけで、入試国語を理解することが、無理なんですよね。本を読むというのは、視野を広げるということ。自分中心の小世界から、世の中のしくみを大きな世界の枠で理解すること、そういうことができるようになるためだよね。ただ、本を読めば、国語ができるということではない。自分のことしか、自分本位にしか、考えられない、そういう幼さの内にいる間は、国語なんてわかりっこない。問題集なんて解いたってだめだよ。そういう形式的な努力よりも、ものの見方を学ぶことこそ大切。自分中心の、自分本位にしか、ものごとを見れない内は国語なんてできっこない。人の意見、立場を理解すること、これは責任をとるという自覚が前提だ。幼い心には、責任の観念はない。他人には甘え、自己の我は主張するが、責任という意識は存在しないから、自己弁明、正当化に終始する。他人の意見を理解し、きちんと、自己の立場を意識するというのは、責任をとる人間のみに可能なことである。国語ができないのは、自分本位の我でしか、文章を読めないからだ。漢字を覚えるというのは、ものの見方を広げる手段の一こまにすぎない。多くの漢字を知ることにより、他人の意見がより理解しやすくなる。抽象的な言葉を理解するようになり、観念的な思考の世界に入ることも可能になる。小学生の頭の中には、具体的にしか、ものごとが入っていかない。抽象性というのは、一段上のステージだ。抽象的な思考がとれるということは、幼さから、つまり具体的にしか、ものをみれないということからの、大きな、一歩だ。小学生は、この壁を突き破るべく、努力するのだ。本を読むことの意味は、違った立場の理解と批判だ。抽象的な思考回路がなくして、他人の意見を理解することはできない。 自分の趣味って何かな。スポーツは、少なくとも、今の自分の趣味にはなってない。格闘技は好きだった。釣りも好きだった。でもライフホビーにはならなかった。なんなんだろう。世の中には、趣味で玄人はだしのすごい人がいっぱいいる。碁だって、将棋だって、チェスだって、登山だって。自分はなにもない。参った。毎日毎日を責任を果たすだけでもう一杯です。全力を尽くし、生徒を指導する。趣味の入る余地はない。強いていえば、考える日々ということかな。数学をわかりやすく解答すること、英語を5文型と形容詞・副詞の視点で解析すること、そんなことがふと喜びだったりする日もある。あっ、そうだ革製品 弱いんだ。昔から。鞄だっていいものを手に入れたことはないけどね。失敗ばかりしている。お金もないし、そんなにいいもの買うこともできないからね。 |
| 1月11日 日曜日 晴れ |
| 風邪が流行っている。塾にも風邪をひいた子が目立つ。受験前だから、いろいろ頭が痛い。受験生本人が風邪を引いた場合は、絶対、塾を休まない、休みたくない、休むことは受験を棒に振ることになる、というところまで深刻だ。が、他の受験生にしても、移されるのはごめんだという気持ちは強い。以前にも、咳をゴホンゴホンやってる子が、結局、他の受験生に移してしまい、移されたほうも、移したほうも、熱を出してダウンということがあったっけ。できれば、完全に治してから来て欲しいけどね。受験は一生がかかっているといっても大袈裟ではないし、難しいよ。私も、何度も移されて、ピンチということがあった。幸い、未だ受験時期に塾を休むという事態には至っていないけどね。今日は、V模擬を受けた中3が興奮気味に報告。「先生、英語ポイント集って、すごいですね。この中から、かなり出てましたよ。」「これやってなかったら、全然解けなかったですよ。」「もっと、完全にやっておけばよかった。」などなど。「ポイント集」とは、私が書いた受験用の英語テキストのこと。過去、受験者がそのすばらしさをいつも口にした。「これを本屋にだされると、困る。皆に、知られると困る」。私は、いずれ本屋に出したいなとは思ったことがある。が、具体的にどうするかとなるし、その先はない。英語に関しては、かなりスグレものを書いた。が、私は、機会があれば、むしろ数学の解説本のほうが書きたい。特に、入試過去問については、現状にかなり不満があり、私なら、いい数学の解答対策本が書けるのにという気持ちは強い。英語は、かつて、早稲田を受験するという生徒がいたこともあり、それに通用するものとして、考案作成したものである。これが、かなりの出来栄えでいつしか竹の会の受験対策本として抜群の結果を出し続けているというわけだ。国語の本だって、書きたい。書きたいことは、やまほどある。いつかそうなればね。明日は、祝日だけど通常指導がある。冬休みから、ずっと来てない子も何人かいる。これは、かなりの間隔だ。勉強の中断としてはかなりやばい。まいったな。 明日は、中3は、理科社会の過去問テスト。さあ、どうなるかな。数学の実力は相当についてきた。英語も私のポイント集を再認識したようだから、希望が持てる。理科、社会が勝負だ。あと、やはり、過去奇跡的に受かった生徒は、必死だった。その点では、かなり不満あり。 |
| 1月10日 土曜日 晴れ |
| 朝から仕事。風邪はたいてい生徒から感染する。一人ならまだしも、数人が風邪をひいたまま塾にやってくるともうアウトだ。この時期、風邪を引くわけにはいかない。精神力というか、気力だけは、強固だ。しかし、今日は、さすがにノドが痛い。ピンチだ。明日は、N95を装備する。絶対に風邪はひけない。5時頃、高校生が春の数学の宿題を抱えてきた。1問1問丁寧に解説しました。中3は、3名が来た。郁文館の平成4年の解答を作成。明日は、私立V模擬を受けに行くようだ。後、18日に都立V模擬で最後となる。結果は、10日ほどで出る。きちんと親に渡してんのかな。今年は、例年になく、成績が悪い。私の指示がいつもスルーしてきたわけで、当然といえば当然の結果か。都立は、1月29日が推薦試験。発表は、2月3日の予定。竹の会では、見込みのあるのが、3人。一般でいくのが、3人。一般は、2月24日が本番。発表は3月1日の予定。かなり、厳しい。努力はほどほどに、志望校だけは高く設定する子が多くて参る。 かなり、体が疲れてきた。明日も、朝一番に家を出る予定。そういえば、今日は、国語にしひらめきが。青山学院中学の国語を解かせているのだが、今日は、ふと、本文を読まないで、問いから、読んでみろ、と指示。国語は算数と違って、必ず、本文の中に答えがある。本文の中にある答えを探すのがすべてだろ。算数よりずっと楽じゃーないか。問いをよく考えろ。そういいながら、一緒に考えていく。国語を問いと本文の中の答え探しというふうに単純化した。小学生の頭は単純化によりよく反応する。問題を単純化することをこれから、伝授することに意を注ごう。これからの指導は、いかに単純化するかだ。そう考えた。もっと単純に考えてみろ。これで国語を解析してみよう。 1月が過ぎたら、少し楽になるはず。8時に教室を出る。ブックファーストによる。「新担保・執行法」の解説本を買う。2月になったら読みたい。OS薬局に寄る。渋谷のど真ん中には、やたら薬局が多い。マツモトキヨシ、サンドラッグ、コクミン、三千里、OSその他がひしめいている。中でも、クスリは、絶対にOSが安い。サンドラッグは、一度、店員に聞いたら、そっけなくシカトされたので、二度といかない。マツモトは、化粧品系がいいかも。クスリは、定価を赤札でいかにも安いかのように売られたことがあり、二度と買わない。私は、サイレント・カスタマーなのです。文句は言わないけど、二度と行かないというわけです。渋谷は、電気店も激戦だ。ヨドバシはないが、サクラヤとビックカメラが激突。私は、今では、ビック以外は行かない。サイレント・カスタマーのポリシーです。客への対応が、大きい。ただ、道玄坂のビックは、やばい。地下のビデオテープなどの売り場、素人の何も知らない女の店員が3人いて、質問しても何もわからず、4Fまで聞きにいく始末。まったくお粗末。手抜きだ。サイレント・カスタマーを甘くみないほうがいい。 小商人なみの客扱いだと、客は必ず引く。正論がどこにあるかじゃない。お客様は神様です、というのがあったが、デパートでも、新宿伊勢丹クラスだと、店員の隅々にまでそのポリシーが行き渡っている。目先の損得では、動かない。長い付き合いを視野に入れた客というものに対するポリシーだ。信用ということだ。これは、商人の真髄だろう。しかし、塾は物が相手じゃないから、事情は違う。よく家庭教師などが、生徒に媚を売るような態度をとることがあるが、これなどは、まったくあほくさい。確かに、生徒は客だろう。しかし、親は、成績の向上を委託したものであろうから、そのためには指導者の信念を貫くしかないのだ。成績が実際に向上して実績が信用となるのだからね。今日は、この辺で。 |
| 1月9日 金曜日 晴れ 寒い |
| 今日は、11時に家を出た。途中で、紀伊国屋による。「化学・基本ノート」、「単位がわかると物理がわかる。」、中3用に社会と理科、以上を購入。ブックファーストにも足を運ぶ。「iPOD FAN BOOK」を買う。MACの製品。1000曲は入るらしい。よくわからないから、買って読むことに。次から次に、すごいのが出てくる。国語の指導は、ある結論に達する。徹底して、重要語を口述指導することに。私の全経験をかけて読解の真髄をたたきこむ。私の全能力をかけて国語の真髄をたたきこむ。必死になってやること。これが私の最終結論。4時30分ころから、ようやく中3がポツリポツリと。2人ほど遅い。どうも新宿に服を買いにいったらしい。たく、いつになっても、勉強は、第二、第三順位かよ。真剣さというのはな、第一順位は、何が何でも、勉強ということさ。これだけは譲れないということさ。たく、わかってないんだから。小6がなかなか単語を覚えられない。単語を覚えなくて、失敗した例に事欠かないといった。単語を覚えないままに時が過ぎていくことは、不作為のままに確実に失敗する。これは、経験上、明らかな事実である。何が何でも覚えなくてはいけない。失敗がこれほど目に見えてはっきりしていることはないのだから。私には、覚えさせる義務がある。目の前が、断崖絶壁だとしても、そんなに悠長にやってられますか。小6の皆さん。ほんとうに断崖にたっているんですよ。中2は、勉強しなければという意識が鈍い。不作為でどこまで先送りできるか、すぐににっちもさっちもいかなくなるに決まっている。勉強に正面から向かうしかないよ。スタンスをかえるしかないよ。竹の会は、勉強するという意思、強い意思に私の指導が結びついて、驚異の飛躍を結果するというのが、本質なんです。決して、自分勝手な勉強をしてはならない。必ず指示を仰ぐ。勉強の因果関係のあるゆるパターンを経験した先生が、無駄をしないで力をつけることをのみ考えて指示を出しているのだから。たった、1時間強くらいしかいない子が、「先生、明日試験なので」「明日まで、宿題があるので」などと申し立てて、私の指導を遮断する。家でやれよ。意味ないじゃん。たく。言い訳を言う子は、それなりにプライドが強いから、なんとか正当化しようとするわけ。だから頭ごなしに、ダメとはいえない面もある。妙なプライドだけはみな人並み以上。プライドから逃げるとか、回避するというのではね。プライドは勉強の邪魔。できる子だってプライドはある。しかし、プライドを護るために、必死になって考える。長時間ねばるという形ででてくる。プライトのポイントが違う。優秀なほど優先順位は心得ているものだ。明日から、3日間、世間休み。私は、地獄の日程。日記を打ちながら、国語の指導アイデアが次第に具体化する。遠くの母のことを思う。父が入院した。これからどうなるのか。ブルーな日々。今ある受験生を全力で指導しよう。動けない。体が思うように動かせない年老いた母のそばに、何日でも何日でもついていたい。心から、手足となって尽くしたい。今は、遠く不孝を詫びるのみ。 |
| 1月8日 木曜日 どこまでも澄み切った青空 強い寒波 |
| 冬のくせがとれず、朝7時4分には、目が開く。寒い。今日はかなり寒い。午前中は、久し振りにゆっくりする。銀行やら、郵便局やらと、所用に忙しい。冷たい風が吹きすさぶ。シロちゃんは、風を避けるように、塀の陰にいた。私を見ると、しばらくじっと見ていたが、いきなり立ち上がって、甘ったるい声で吠え出す。やばい。実は、ソーセージはもってきたが、これだけ吠えられるととてもやれない。目立ちすぎる。いつまでも吠え続けるシロちゃんの声を背中で聞きながら、早足で、立ち去る。昼は、好物のうどん。濃い醤油味に、トロロコンブをどっさり入れるのが好きだ。ネギもたっぷりがいい。九州の味だ。郷里の別府では、よくうどん屋に行った。いっしょにたくあんと米だけのおにぎりを食べるのが最高だった。小さい頃から、このうどんにトロロコンブをたっぷり入れて食べるのが好きだった。この味をカミさんに覚えてもらって、毎日のように食べている。たいがい、昼はこれだ。今日は、1時半には家を出た。紀伊国屋では、村上の語呂記憶ものを買い、後、「アメリカの中学教科書で英語を学ぶ」という本を買う。あと、中大の英語テキストの翻訳をブックファーストで探してもらい、ネットで発見、即注文。この書店はこういうときはけっこう「まいう」。中3の直前用にいい理科、社会の暗記用本を目ッケ、人数分を押さえる。これからは、理科、社会の実力をつけていく。次から次へと手を打つ。毎日毎日、中3の状況を見て、次の手を打つ。今、考えていること。小6の入試国語について。何をすべきか、考え続けている。今日は、早くから、待ちかねたように、生徒達がやってきた。さぁ、いよいよ始まりだ。会員のひとりひとりの学力段階がすべて私の頭にインプットされている。ひとりひとりに最適の処方を瞬時に判断する。もう、それが慣れっこになっている。夜9時半に教室を出る。寒風の中、じっとバスを待つ。よいやく来たバスに乗り、考えることは、いかにして実力をつけるか、ということばかり。寝てもさめてもそのことばかり。数学がとれない生徒がいる。いろいろ考える。今日から郁文館の数学を使って、指導することにした。もちろん自作解答。英語は、自著ポイント集、国語は、古文対策のため、国学院の国語を使って、私の考案した古文対策をとる。さあ、いよいよ勝負だ。中学入試国語、明日までに必ずいい方法を発見するぞ。今日はこの辺で。 |
| 1月7日 水曜日 晴れ |
| 今日は、冬期の最後の日。中3は、かなりの実力アップというか、皆それぞれに自信らしきものがついてきたようだ。それにしても、おしゃべりの好きな中3の○君と○君いい加減にしてくれよ。たく。集中力じゃー、小学生より下。まーちがいない。今日は、親子丼・カツ丼を皆で食べる。小学生は、必ず「いい」と断る。まっ、そういうわけで冬は終わりです。明日から、レギュラー・シーズン。2週間以上の休みの後の通常指導のスタート。継続の中断がもたらすものは、たぶん振り出し。勉強って、継続がすべてだと思う。継続に、「集中した長時間指導の」という形容句がつくとまず飛躍的に伸びるのは、まーちがいない。中2は、まとめるのに一苦労しそうだ。何か雰囲気が重たい。皆、やってることがバラバラで、講義が終われば、サッサと帰る女子には拍子抜け。前途多難というか、竹の会がわかっていないって感じだ。どうも竹の会イズムを理解させるのは難しそう。後々、成績が伸び悩み始めて、なにかありそうな予感。4月頃は、新規申込みが増えそう。少し、多めにとってもいいかな。増減の予感がするから。冬期を受けた子と受けなかった子との学力ギャップも頭が痛い。まっ、とにかく淘汰していくしかないか。淘汰で残ったもので受験ということになる。小学6年は、英単語の暗記が時間的に詰まってきた。中々覚えられない。中1になるまでに100問テストを超えられないと、99パーセント中学で失敗する。その実例には事欠かない。結構、危機感がある。覚えられないのが多数派。といっても、覚えた子のすべてが成功したわけでもない。最初のテストで高得点だった子も、その後の努力を怠り(たいてい自分勝手な勉強をして)、ガタガタとなったケースにも事欠かない。継続が大切ということ。ところで、今、読んでいる「この俗物が!」という本、後味の悪い本だな。どうも、生活の視点がまるでないのが、原因か。まっいいか。明日は、久し振りに書店を回れるしね。1月は休みはないけど、まっ、あきらめるしかない。受験生の指導が佳境だからね。 |
| 1月6日 火曜日 晴れ |
| あは。明日で終わりです。今日、一番うれしかったこと、慶應大学に合格したTさんが、元気な顔を見せてくれたこと。いつまでも、竹の会を忘れずにいてくれてありがとう。会うたびに、元気な笑顔が、うれしい限りです、先日は、早稲田にいっているS君らの訪問を受けたばかりで、竹の会って、よく教え子たちが、訪ねてきます。このときばかりは、疲れた私も疲れを忘れてうれしいですね。今年は、小学6年から、竹の会にいたY君が東大受験です。心の中でいつも声援しています。吉報を待ってます。グルメの中3のT君は、なかなかいい奴です。なんとか合格させてやりたいですね。明日は、Last Dayだから、皆に、何かをおごろかな。この前、親子丼おごったら、みんな「おいしい、おいしい」って食べてたな。中2のJ君、こんなに勉強熱心とは、思いませんでした。いい結果が出るといいですね。2月になったら、「新英語指導案」を一気に書き上げます。この1冊で、受験OKというスグレモノをつくるつもりです。中3は、私の「英語ポイント集」にようやく感動です。読めば読むほどいい点がとれるとわかったようです。今日は、日大桜丘の英文を一気に訳し下げてみました。私の訳にみんな大笑い。はい、もちろんギャグ入りです。それから、「英語ポイント集」の続編「英語合格本」を配布。中に私考案の英単語ギャグ単集が収録されています。爆笑ギャグ満載であっという間に400語を覚えてしまうしかけです。数学はしだいに伸びてきました。私の解答のすごさが次第にでてきたわけです。今日は、中3に説教。集中力で小学生に負けてどうするんだ。小学生が集中してるのに、範となるべきなのに、ばっかじゃないの、というわけ。少しは、効いたのか、今日は神妙な顔をしてやっている。竹の会の先生、怒ると恐い、と少しはわかっているようだ。この1月、竹の会の指導のすごみをいやというほど知ることになる。驚異の竹の会の合格率、合格実績は伊達じゃない。去年、吉祥女子中に受かったBさんから、年賀はがき。やば、出してなかった。忘れていた。ごめんなさい。「今の楽しい日々は、あの2ヶ月があったから」という趣旨の感謝のお言葉。ありがとう。体の続く限り、頑張ります。何か、切ないけど。あは。おやすみなさい。 |
| 1月5日 月曜日 晴れ |
| あは。疲れた。後、2日だ。今日から、ラッシュが復活した。人が戻ってきた。かなりヘトヘト。都立は、平成9年をやる。数学がガタガタ。疲れてきたのか、口が軽くなっている。もう少し真剣な表情になれないのか。ゆるみがひどい。推薦がらみの生徒は、「うまくすれば、推薦で抜けることができる」。きっとその辺のところが緩みになって出てきているのだろう。真剣になるのは、落ちた時では困る。遅刻が常習の者も打つ手なし。腹立たしい。もう少し、深刻になれないのか。必死さがみえない。 激動の1月に突入。これほど先の見えない受験指導はかつて経験がない。やりにくくなった。生徒や児童が不作為を決め込む。児童が何もしない。面倒くさい現実を回避する方向にのみ自己を流していく。とにかく今を先送りして、今のその場の楽のみをひたすら消費する。娯楽の消費。苦痛の先送り。これが最近の傾向だ。 中2もその傾向は変わらない。勉強にスタンスがない。勉強が娯楽の消費の流れで、消費の一つになっている。 結果は、寛容ではない。幸福の女神は、ひたむきな、真摯な努力にのみ微笑みかける。不作為、現実回避の日常は、結局、何ももたらさない。 都立は、昨年から、状況が一変した。不合格者の続出である。しかし、生徒には響かない。 厳しい現実を抱え込んだまま、気の休まることのない毎日が続く。 1月は、休みがない。ほとんどの日を朝から夜遅くまで、指導でおくる。自分でも、なにをしているのか、一瞬、真っ白になることがある。今年は、ゆっくり休みたい。 算数が苦手というか、考えることが苦痛の小学生は、どうしても現実逃避をしがちだ。あるいは、勉強が消費的対象だ。当面、その苦しいところだけは先送りしておくというのは、既に、小学生の時に始まっているのである。 私は、回避の口実を聞きながら、「わかりました」という。回避の口実は、区々である。算数が好きなら、さっさとつべこべ言わずにやりますよね。 つまらなさそうに、勉強する顔がある。困ったな。どうすれば、輝く目になるのかな。今は、ただ、指導するのみ。 |
| 1月4日 日曜日 晴れ |
| 夕べは、1時まで、古畑さんのビデオが回り、家族が全員、ファンのため、寝るのが遅れる。ピンチ。睡眠不足は、翌日の体力消耗が激しい。今日は、中3は、都立平成8年。大分、慣れてきたようだ。明日、平成9年をやったら、英語、数学は、実力養成メニューに戻す予定。2週間置いて、再び、過去問に戻る。それにしても、中学の先生が、意味もなく、最近の都立の過去問を学校でやらせるのには閉口している。仕上げたところで、実力判定に使うのが、竹の会の定番なのだが、事前に無神経に過去問を使われると、かなり困る。なんのポリシーもなく、一貫した指導の責任をとるわけでもない公立中の先生が無節操に過去問をやることだけは止めて欲しい。連日、都立の数学の解説を書きまくっている。市販の解答がひどいからどうしても自分でつくることになる。いつか、サピックスに行っていた女の子が、入試直前に過去問の解答として、市販本の解答コピーを渡されていたのには、あきれた。結局、日能研でも、そうだが、テキストを売りにして、やっていながら、過去問の段階に入ると、まるっきり個人の責任でやるほかなく、解答は市販を使うというのであれば、竹の会の敵ではない。過去問の指導では、竹の会の水準がトップレベルにあることを期せずして知ることとなった。中2は、英語は、「形容詞+前置詞」の熟語シリーズの講義。数学は、「等積変形」。時間が余ったので、明日やる「受動態」の講義もやる。明日から、中2は、「相似の基礎」が3日連続で続く。10日間みっちり出た中2には、充実した冬休みとなることは間違いない。竹の会の講習は、飛躍する絶好の機会である。参加したものと、しない者の差は、これからの試験にはっきりと出てくる。かつて、「成績が悪い」と電話してきた親がいた。その男子は、講習には一度も出たことがなく、夏休みには塾にこないといった子であった。私は、週に2回2時間程度のことで、どんな力がつけられるというのですか、竹の会で成績がグングン伸びていった会員というのは、3年間、一度たりとも講習を休んだこともなく、3年ともなれば、ほとんど毎日のように塾に来ていたということを説明した。中3になって、その子は熱心に塾に通うようになった。その子は、都立青山に無事受かっていった。私は、自分からは、強く勧めたりはしない。しかし、竹の会の講習とは、普段学校の補習ばかりで、足りない本来の継続的集中指導を経験させ、勉強体質に体質変換する意味をもった重要な指導機会であるということはここで強調しておかなければならない。 僅か、10日間かも知れない。しかし、その実力のつき方は尋常ではない。10時間、私が把握する時間を通して、繰り出される的確な指導の集積、これは、冬休み明けての、連続指導に繋がる重要な意義をもつ。竹の会の1月は、他の塾の追従のできない、指導の集積である。単に、時間だけとっても意味がない。機微を見極めた指導の妙味こそが竹の会の指導の真髄なのだ。この時期の中3は、竹の会の指導のすごさを肌で実感し、私の指導に驚くべき素直さで従う。それはとりもなおさず、私が絶大な信頼を克ち得た結果である。日々の指導にそのすごさを思い知るのである。 得点が伸び悩むときは、あるテクニックを使う。一端、どん底にたたき落とす。これでもかというくらい完膚なきまでたたきのめす。そして、また一日は終わる。こういうことをくり返し、力のなさを思い知らせる。次第に、反省し、謙虚になる。そのときこそ、私の指導が素直に入り込んでゆく。数日おいて、今度は高得点をとり、ニコニコした顔がある。このとき、私への信頼は確固としたものになる。私がよく使うテクだ。私が信頼を得るために様々なテクを駆使する。いつしか、生徒は、私の指導に従うことが、一番の方法だと自覚が体にしみこんでゆく。「先生の言うことしか聞かない」と母親によくいわれる。実は、あたりまえなのです。はい。今日はこの辺で。 |
| 1月3日 土曜日 晴れ |
| あは。今日は朝から、仕事。睡眠は十分とっている。でも、もって明日までかな。また、結構、体にきそう。3日ぶりで、元気に中3がやってきた。小学生もやってきた。中2のJ君も元気な顔を見せてくれて一安心。夜、8時ごろ、竹の会OBの早稲田大商学部に行っているK君とS君(2人とも期せずして同学部)、それに現在、三味線の仕事をしているというN君だ。みんななつかしい私の教え子だ。「先生、今年の受験生どうですか」と問われて、全くといっていいほど私の指示を実行してくれなかったことに思いをいたす。あのころは、よくやってくれたよな。私のいうことをただ実行してくれればいい、それだけでいい。そうすれば、何の問題もなかったのに。はぁー。年が明けて、いろいろとトラブル発生。胸に秘めること多し。そっと心にしまうことに。 中3は、都立過去問平成7年を実施。相変わらず、芳しくない。というかかなり悪い。1月は、かなり厳しい指導を覚悟。2月以降の仕事をかなり整理するという意思は強い。いろいろと考えることあり。 現中2の学習段階はバラバラ。早くから、いる子でも、まじめな女子は、それなりに学力をつけている。しかし、これとても勉強意欲の点で不満あり。勉強に対するパッションが低い。男子は、低調。勉強に距離がありすぎる。中2は、まだ勉強に心がない。私の指示を実行する実現率はかなり期待薄。現中3が、私の指示を不作為に流してきた結果、現在、苦しんでいる。ここ3年くらいの傾向でもある。気づいてほしい。 中3のT君が、「先生、塾長日記、読むのがくせになりました」と。あは。「日記書くのは、午前0時くらいになるよ」。今、バスの中で面白い新書読んでます。「この俗物が」という本。明治大卒のサラリーマン作家。中々、本音トークが鋭い。バスの中で読むのには丁度いい。東大、京大、慶應、早稲田に対する見識も偽りはない。自分が明大卒ということの弁証もまあ苦しいが読める。少なくとも7日まではこれでいく。2月になったら、読みたい本が自宅の私の書棚(といっても小さいんですけど)にもう何冊か。もう読みたくて読みたくて。 正直いって、今年の受験は厳しい。やれる限りのことはやる。今なら、生徒たちもついてくる。 |
| 2004年 1月2日 金曜日 晴れ |
| 午前中は、新宿へ。私は、紀伊国書店に。カレンダーのフェアーとか。除外品ばかりでバーゲンの意味なし。たく。午後から、The
Human Sexes(Desmond Morris著)の最初の30pageの翻訳。結構、大変。愛用の研究社の新英和中辞典第6版がたより。どんな難解な英文も今までこれで訳してきた。英語5文型の視点はかなり大事。英語も学者の論文となると、文学ものと違って、それほど修辞句はないから、その点の警戒はいらない。サマーセット・モームやロバート・リンドの文はとても訳しやすかったが、今日のは、結構、手強い。よく、大学入試クラスの英文だとストーリがわかると意外とすんなり意味がとれることが多い。今日のは、男女の性差に関する論文で、専門的な記述で、ストーリからすんなりともいかない。1時間ほど漠然とした意味あいにいらいらする。2,3時間ほどして、ようやく意味が見え出す。集中するまでに時間がかかった。いつもの思考スタイルに入ると強い。約束の30pageがほぼ夕方5時半くらいに終わる。これで約束を果たした。それにしてもこの忙しくて、疲れてるときに、何で大学のテキストを翻訳しなけれゃーならないんだ。たく。とにかく、明日から、また冬の指導が始まる。1月までの辛抱だ。2月は都立一般のみだし、少しは楽になる。そうしたら、好きなことができる。 今年は、いろいろな意味で試練にあいそうだ。日々、覚悟を新たに、いつもいつも腹式呼吸を意識して、事に臨んで、冷静に、沈着に、処したい。とはいっても、いつもいつもあたふたして、困ったものです。 去年は、中央大学法学部出身で、裁判所書記官になり、多忙な毎日をおくっていた友人をなくしてしまった。独身のころは、桜上水に住んでいて、夜、よく呼び出しの電話があり、飲みに行ったものだった。「阿部さん、越の寒梅が手に入りました」「阿部さん、大漁です。魚、とりにきてください」。律義者だった。デカイ体で、男の料理をよくしてくれた。かなり年下だったが、私をよく敬愛してくれた。バイクが趣味でよく日本全国をツーリング旅行した写真が年賀ハガキになっていた。結婚式に行って以来会ってなかった。きれいな奥さんをもらって、子供も3人、かわいい女の子だった。年賀ハガキの写真が家族写真に変わった。子煩悩を思わせた。最近は、お互い忙しくて、いつか会おう、といいつつ時が過ぎていった。寝耳に水の訃報だった。悲しみはつきない。毎年のように親戚の訃報がある。年老いていく世代の人たち。愛する人たちとの別れが刻々と近づいてくる。その予感を肌で感じながら、決定的な知らせがいつか来るのではと一日一日を今日は何事もなかったと胸をなでおろしながら、また明日を生きている。 |
| 2004年 1月1日 木曜日 晴れ |
| 今日から、新年。夕べは、2時に寝た。目が覚めたのは、7時過ぎ。どうも習慣になっているらしい。うとうとしてたら8時40分。起き出して、お雑煮食べて、初詣に。近所の氷川神社まで、徒歩で10分くらいかな。深夜だとすごい行列になるけど、比較的少なかった。何かわびしい神社。閑散とか、寒村とかいうイメージ。お気に入りのマッコイのジーンズをはいて、久し振りにくつろぐ。途中、シロちゃんがいるか覗いたけど、ダメ。コンビニで、和歌山の井出商店という名のラーメンを買い込む。醤油ラーメンだがうまい。最近は、コンビニで250円から300円程度でブランドラーメンが流行。変なラーメン屋よりよほどうまい。やみつきになる。六角屋のはお勧め。そういえば、郷里の別府にはうまいラーメン屋が2店ある。1つはもう代替わりで終わりに近い。残りの1つは、先代から息子にその味が引き継がれている。かなりうまい。よく東京でラーメンの特集なんかやるが、まずその店の敵ではない。ナベさんラーメンというのだが、大分県ではかなり知られているが、なぜか東京のラーメン特集には一度も出たことがない。若い頃は、毎日のように通った。里帰りしたときは、必ず一度は顔を出す。ところで、昼はおせち料理をつつきながら、一杯。ほとんど飲めないので、少し飲んだら、睡眠不足と疲れで、そのままぐっすり。目が覚めたら、もう外は真っ暗。5時半ころかな。ヤベェー。英文を訳す仕事がそのまま。明日やるっかないか。塾長日記を書き始めて、もうどのくらいになるのかな。日記を書き始めて、カウントがうなぎのぼりに上がり、やめられなくなった。 朝の新聞には、パチンコ屋の広告が。渋谷はパチンコ戦争の様相だ。私も、パチンコが好きだった。ここ十数年、すっかり行かなくなった。忙しいのと、無為に時をすごすことの嫌悪感からだ。時間が貴重品なのだ。実は、かつて、20代だったころ、パチンコに凝ったことがあった。今のようにデジタルのパチンコではなかった。一発台とかよばれた。たった1個の玉が当たり穴に入るとその台は打ちあがった。これにやみつきになった。釘の意味をいろいろ知った。釘師というのがいて、金槌ひとつで出玉の調整をするのだ。しかし、1発台は、釘をしめても締めても1発入れば勝ちだった。私は、別府の某パチンコ店のその台を1月くらいできわめてしまったのだ。一日に7から8台を連日打ち上げた。たちまち常連というかその道のプロといわれる人たちに顔が知れ渡り、私がはじいていると缶コーヒーをもってきて話しかけられるという光景が続いた。その店の釘師は、その店の常務らしいということも常連からきいた。打ち止めが、1月も続くと、その精力的な顔をした常務釘師が私をマークしていることがわかった。台の締め付けはだんだんと厳しくなってきた。しかし、私はある1点を集中して叩き続ける打法でその硬い守りを潜り抜けた。あるとき、私の得意台が半分に減らされた。それから、1ヶ月して、遂にその店から、その台すべてが撤去された。ふつう新台は、2、3年は置かないともとはとれないと聞いていた。私は、結局、数ヶ月でその店の新台すべてを変えさせてしまったのだ。これを境に私はパチンコをパタリとやめた。今でも釘を的確に読めると思う。しかし、もう無為に時を過ごしたくなかった。ある空白の期間、私は何かとても損をした気がした。また、活字の世界にもどりたかった。ひとつにはまると、いつも極めるまでやろうとする性格は直らない。私は、大型免許も大型自動二輪の免許も高校のころにとってしまった。大型免許は経験がなければまず運転できないと思う。しかし、私は、18から19のころ、東京に出てきて、東京-横浜間を何ヶ月か運転したことがある。このときも、初日の運転で、とんでもない素人だということがばれて、首になるかと思ったら、専務に当分、見習いの給料だと言い渡された。このとき、若いのにアル中のめっぽう腕のいい運転手のトラックに乗る事になった。本来、その運転手がやるはずなのに、そのアル中の運転手は、初日から私に運転をまかせて、自分は助手席に寝転がり、酒を飲んでいる始末だ。自動車学校でならったことはなんの役にもたたなかった。私は、必死で考えた。そして、1週間もすれば公道を普通に走る技術を身につけていた。恐ろしかったのは、首都高の地下道を3台のトラックが併走するときだった。両隣のトラックの間隔がほとんどないように思われた。恐かった。一歩間違えば、あの世行きだとおもった。中々、マスターできなかったものに、横浜の倉庫街の倉庫に後進して入れること。何度も何度やり直した。大事な輸出貨物にぶっつけて叱られたことも。プロたちは、1発で定位置にピタッと倉庫入れすることを競った。1月たって、ようやく私は、そのコツをつかんだ。5ヶ月後、私は、その会社を辞めて、郷里の別府に帰った。大学受験するためだ。親父と喧嘩して家を飛び出してのことだ。まるでフーテンの寅さんだった。この運転経験は、その後、なんと役に立ったことか。大学に入って、すぐダンプのアルバイトをしたことがあった。九州大学だと普通は家庭教師なんかをやるのだけど。ダンプのアルバイトはかなりいいカネになったのだ。そのとき、私の運転ぶりをみて、現場監督がいったものだ。「学生さん、あんた本職のごたあるな」。はは。何やってんだあっしは。人生を遠回りばかりしてきた。話せば、つきないことばかり。もう少し、真っすぐに人生を歩いていたら、弁護士か検事やってたと思うことがよくある。回り道ばかりしてるんだから、まったく。あっ、今日はずいぶん話が脱線しました。このへんで。 |