よもやま話



浜松まつりについて

浜松の凧揚げの起源は、室町時代(永禄元年〜8年頃)1560年前後といわれ、時の浜松城主、飯尾豊前守の長男、義廣公の誕生を祝って、当時の入野村(現入野町)の住人、佐橋甚五郎さんが大凧に「義廣」の名を書いて浜松城の上空高く揚げたことが始まりと言われています。
これに刺激された城下町の若者たちも、城に向かって大凧を揚げて祝福したということです。

1560年代後半から約25年ほど凧揚げは中止されていたようですが、1590年、二代目浜松城主、堀尾帯刀公の時代に復活し、庶民の祭りとして「初凧」(長男誕生の祝い)を揚げることを許し、後世に伝えられたとされています。

時代は移り、明治30年頃より、凧揚げを行なっている町ごとの凧印を決めて、現在の浜松まつりの基礎ができあがりました。
400年以上の歴史、伝統に培われ、現在では168ヶ町が参加して5月3日〜5日の端午の節句に太平洋を望む
中田島の会場で熱気はらむ一大絵巻が繰り広げられます。




ふと、思ったこと・・


浜松まつりっていつも「ゴールデンウィークの人出」ベスト5に惜しくもランクインできないんだよね!
(今年は7位だったかな)
だけど3位以下はだいたいドングリの背くらべといったところで、考えてみれば3日間で100万人とも150万人ともいわれるほどの大勢の人が集まるということはやっぱりすごい!

DENさま(トップページの写真のひと)は仕事柄、まつり当日はミニ凧の販売があるので、5月5日の最終日だけかろうじて凧揚げに参加できるのだが(前置きが長くなった・・) 
ふと、凧揚げ会場にいる人の内訳はどのようなバランスなのかが気になった。

仮に、1日平均40万人の人出として、法被を着た人が7〜8万人(あくまでも推測)といったところか、
3日間とも同じ人とは限らないことを考えると、15万人ぐらいの浜松市民が会場に行っているということになる。 これだけでも浜松っ子の祭り好き人口密度の濃さがわかる。(あくまでも推測)
そのうえ、まつりに出たくても仕事があって凧(昼間)に出られないという人もいるのだ(知り合いの某デパート社員他) そういう可哀想な立場の人や法被を着ていない見物の市民を含めると30万人以上は、まつりに好意的な関心を持っていると言えそうだ。(あくまでも独断による推測)

まつり会館前でミニ凧の販売をしていて、買ってくれたお客さんの中で法被を着ている人が3〜4割、着ていない人で、市民が1割、あとの5〜6割が観光のお客さんといったところだからその割合を当てはめると・・・などと止めど無く考えるDENさまであった。
6/26



I LOVE 水戸黄門

もう2ヶ月も前のことになるが、あの『水戸黄門』に出演した。(・・といっても映ったのは5秒くらい)
なぜ今ごろになって2ヶ月前の話をするかというと、このページが出来たのが6月末だからだが、テレビの、
それも超有名な時代劇の舞台裏を見る事ができたのが嬉しかったというミーハーな気分の方が大きい。

さておき、去る5/1放送の水戸黄門は、わが浜松の話であった。ある国の参勤交代に同行する苦情処理係の老侍が、騙されて窮地に陥るのを、娘(老侍が若い頃浜松の町娘に産ませた子供)が救うという筋の話だった。「父は母親と自分を捨てた」と誤解していた娘が、実は父は侍を捨て、凧職人になるつもりだったと祖父(浜松の凧職人)に聞かされ許していくのだが、その祖父の
手役ということでウチの父親が依頼を受け、凧揚げのシーンの撮影のために、わが「薬師町凧揚げ会」の有志5人が京都太秦の東映撮影所に行くこととなった。

もっとも撮影は昨年の11月半ばで、凧揚げシーンは野外であるから天気によってはけっこう寒い。
あいにく小雨まじり(時々本降り)の中で、準備が進められたが、初日はあえなく撮影中止となった。
ロケ現場にはロケバスをはじめ数台の車に分乗して行き、浜松から大凧を載せていった車は
DENさまが運転して行くことになった。チョンマゲ姿での運転はダメということで現場で着替える予定だったのだが・・・残念
その日はスタジオ撮影となり、我々はすぐ近くで見学(見物?)させて頂いた。
スタジオには黄門さま(佐野浅夫さん)格さん(伊吹吾郎さん)谷幹一さんなど、
テレビでおなじみの俳優さんがいて、撮影の合間に気さくに話しかけてくれました。それでも本番!の声が掛かるとスタジオに緊張感が漂う。 ああっ!テレビで見る顔になってゆく!

撮影は夜遅くまで続くということで、我々はプロデューサーの方に案内され、夕食をご馳走になった。
こちらが不案内な立場ということを配慮して、とても親切に歓待してくれました。  明日は晴れて欲しい!
                               
 つづく

7/3



I LOVE 水戸黄門 U

初日の天気に比べ、やや持ち直したものの依然不安定な2日目、我々は朝8:00頃に撮影所を出発し、郊外のロケ地に向かった。前日と同じように準備をし、30分周期で降ってくる雨に悩まされながらも、黄門さま一行の旅立ちのシーンなどは手際よく進んで行った。
しかし、肝心の凧揚げは雨の中でという訳にもいかず、何度か来る僅かな晴れ間の瞬間に行なわれた。
もう足元にはぬかるみができている。その日の気温は忘れたが、
吐く息が白い。しかも晴れている時は、運悪く風がイマイチなのだ。
凧を濡らさないように心配しながら、撮影のタイミングを待ち、午後2時過ぎ、一発勝負の本番に入った。
上空では、風向が目まぐるしく変わっていて、カメラにきちんと収まるようにと凧の安定域より下でキープさせるのが一苦労だったが、うまくいった。 続いて、絵柄の違う凧をあげ、コレも一発OK!随分長い間待っていたせいか、すぐに凧を下ろすのがモッタイナイ気がした。
凧を濡らさぬよう、壊さぬようスタッフや役者さん達の協力あって、やっと揚がったのだから)

やっと役目が済んで緊張から開放された。ヤレヤレだ。しかしロケの間ずっと真剣な顔をしていた訳ではない。
前日、スタジオで会う事ができなかった
助さん(あおい輝彦さん)が、晴れ間待ちの我々の車まで顔を見せに来てくれたし、八っつぁん(高橋元太郎さん)は以前に浜北(浜松の隣の市)に行った事を話してくれた。
お銀さん(由美かおるさん)にいたっては「寒いでしょう」と使い捨てカイロをくださった。この時はみんなデレデレしていた。「薬師五人衆」は世代的に由美かおるファンが多く、もったいなくてカイロを使わなかった人もいた。
ロケも無事終了し、撮影所への帰路に着く。楽しかった京都との別れが近づいている。本隊はこれから撮影所内のオープンセット(映画村)での撮影があるらしい。みなさんタフだねェ  
しばらく撮影の続きを見物した後、名残惜しさを感じつつ太秦を後にしたのであった。
関係者の皆さん「いい思い出をありがとう」この場にて御礼申し上げます。m(_ _)m
ところで、京都の夜のよもやま話といえば・・・・それはまた、別の話(森本レオ風)

7/10



夏が好きっ!

梅雨もいつのまにか明け、日ごとに暑くなってきました。子供の頃からこの季節が大好きで、夏バテ知らずのDENさまは毎日、工房の2階の部屋で来年の凧の下準備をしている。  
凧職人の仕事は「正月と5月だけ」で、あとは遊んでいるように思っている人が結構いるが、現在、製作の仕事の殆どを親父と自分の二人でこなしているウチの場合、注文の少ない今の時期だからこそ下準備に充てられる貴重な時期でもあるノダ。
とはいえ、やっぱり夏は遊びたい!  そういえば最後に3日間以上の夏休みを取ったのはいつだろう・・・    もう何年も前だと思う。 

今年の8月も多分いつも通りだろうが、とりあえず決まっているのは、隣町で開かれる花火大会をウチのベランダから「見物&焼肉大会」を友人の家族を招いてすることぐらいか。5年前に工房を新築して以来、毎年の恒例行事になってしまったのだが、その日は買出しや下ごしらえなどで、昼間からワイワイやる。考えてみるとこうした手間のかかるイベントはなぜか夏場に多い。年末から5月までは忙しいこともあるが、やはり「どうやって楽しもうか?」的な気分にさせる季節なのかもしれない。

思えば子供の頃、夏休みに入ったばかりの7月が一番好きだった。これから、夏本番を迎えるという今が一番楽しい時なのだろう。 
あの頃とはっきり違っているのは、朝、ラジオ体操に行かなくなったこと・・ぐらいかもしれない。
20世紀最後の夏を,より楽しむために今年は何をしようか・・・

7/24



ミレニアム 花火&焼肉大会

夏休みの期間中の方も多いと思いますがみなさんいかがお過ごしでしょうか?DENさまは相変わらず仕事をしていますが、8/14は毎年恒例の花火&焼肉大会を行なうため、暑い中 朝からベランダの掃除と会場の準備に追われたのであった。
プロレスのリング位はある屋上のベランダに水をまいてデッキブラシでゴシゴシとやる。普段ほったらかしで、裸足で歩こうものなら 足の裏まっ黒状態の防水ラバーはそうヤスヤスとはキレイになってくれない。おびただしい汗をかきながら夕方に待っているビールを美味しくするために脱水症状覚悟でがんばること1時間、やっと格好がついた。ぬれた表面を夏の陽射しに乾かしてもらっている間、ゴザやテーブルを準備する、そうこうしているうちに買出しの為に友人達が集まる時間が近づいた。
今年は、一家族が、こどもが熱を出して欠席となったが、9人が集まり、“味にウルサイ友人T”が仕切る中、食材の調達と下ごしらえは進んでいった。(その時DENさまは子供の世話&留守番でクーラーの効いた部屋にいたが…)
“味にウルサイ友人T”頼りになる奥さまたちの大活躍のおかげで順調に準備が進み、19:30開始の花火の2時間前に、ごく自然に宴会は始まっていた。あ〜ビールがうまいっ!DENさまはあまり酒に強くないが、朝からの我慢と、やや涼しくなった夕方の風に吹かれ、とりあえず花火のことなど忘れてオカワリをし、“味にウルサイ友人T”の焼く「まずはタン塩から・・」をみんなで楽しんだのであった。
今日来た友人はみな同級生で、草野球チームの仲間なのでしょっちゅう顔をあわせているのだが、考えてみるとみんなで食事することは最近は殆ど無い。弱いチームながら、試合中はそこそこピリピリした雰囲気になるだけに酒を飲んでリラックスするのはちょっとばかり新鮮なのかもしれない。 話題も盛り上がり、酔いもまわり、おなかも幾分満たされた頃、やっと花火が始まった。
花火にかこつけた宴会のようだがやはり花火は花火で楽しんでいる。会場の天竜川河川敷から1キロ程離れているので絶景とは言わない。確かに混雑を恐れなければもっと近くで大きな花火を見られるだろう。しかし、気を使わずにのんびりできるこのひとときが好きで、毎年集まってくれる友達がいることはけっこう贅沢なことだと思うDENさまであった。

8/15



楽しかった秋祭りの後に思う・・

久々の更新です。日付を見たらもう2ヶ月もよもやま話を書いてない。シマッタ!早くもネタ切れか?・・・そういうわけではないのだけれど、意外と夏場に注文があったのと、8月の末頃からはわが薬師町にある八柱神社の秋祭り(去る10/78)の準備などでいろいろ忙しかったのです。(^_^; (模擬店や福引、参加五町の屋台引き回しと練り、子供神輿と大人の喧嘩神輿、餅まきなどがあります。)
浜松でも中心市街地の人には神社の秋祭りに縁がないかもしれない。DENさまも今の住所になるまでは秋祭りの無い町にいたので、数年前この町の青年会に入って初めての秋祭りの時、ワケもわからず仕事を手伝ったものだ。
一昨年、青年会長としての役目が済んで2年経った今年、はじめて落ち着いて秋祭りを楽しむ事ができたと思う。
凧(浜松まつり)と違い“村の鎮守の神様”の祭だから規模は小さいけれど、昔からの顔見知りが交流するアットホームな匂いのする祭りナノダ。主体となって運営するのは35歳までの青年会なのでサポートする目上の人たちも“危なっかしい”と思いながらも笑顔で見守っている。そんなバランスの祭りである。今年は薬師町が年番(五町の責任者)で青年会長の頑張りもあってとても楽しい祭りであった。
しかし気になった事もある。最後の最後でちょっとつまらない事故があったのだ。(詳細略)
少々カタイ話になるが、近頃は価値観の多様化が“伝統を守るべき領域”にまで土足で踏み込むことが多くなったと思う。(古い事が正しい事ばかりではないのはわかるし、変えた方がいいものも多いと思うが) 例えば法被を着ないヤツ、着ていても特注でどこの法被か判らないヤツらが増えてきた。個人的意見だが、その町の祭りに関わるのならその町の法被を着るのが最低限のルールだと思う。(買えないのなら借りてでも) 事実、ある若者は今年、会所に顔を出し、我々に「友達が祭に来るから法被を貸してください」と頼んできた。そういうごく当たり前のこと、(だと思うのだが・・)をしないズルイ風潮がある。(その若者にはみんなで手分けして法被を調達してあげました。)
凧まつりにしてもごく一部の問題をおこす輩のためにワッペンの義務化や、町によっては提灯の無い者を練りに参加させないという規制で自衛策を取らざるを得ない状況がどうしても起きてくる。ムカムカ!

ついついオジさん臭い愚痴になってしまったが、参加者それぞれがスジを通せば祭りはもっと自由に楽しめると思うのだが・・・ねぇ。

関係ないし、どっちでもいいけど相撲の土俵に女性が上がる云々の議論も“伝統を守るべき領域”にまで・・だと思う。(個人的意見です)
だって、変な話・・“男子禁制”がある以上“女人禁制”も仕方ないのでは?
来年、21世紀も楽しい伝統ある秋祭りになればいいなとDENさまは心から思うのだった。
 あぁ ドンドンヒャララ ドンヒャララ〜

10/11


オリンピックが終わった後に思う・・

今年はオリンピックの年であった。シドニーという比較的時差の少ない開催地のせいか、テレビで見ていてあまり遠くに思えなかった。
反対にアメリカなどではリアルタイムで見ようとすると深夜になるということと、インターネットの先進国らしく、  もはや情報の遅いテレビの視聴率はあまり上がらなかったらしい。
今回のオリンピックもたくさんのヒーロー・ヒロインたちが生まれたが、
“力を出し切った選手たちにメダル云々は関係ない”という雰囲気がやっとまわり(マスコミや視聴者)から感じられた大会だったような気がする。全体的に成績が良かったからかもしれないが、今までだったら銀メダルでは褒めてもらえないムードがなんとなくあった。オリンピックは世界選手権と比べ、やっぱりナショナリズム(お国意識?)が強いし、キレイゴトを言っていられない真剣さ(ズル賢さ?)がビシバシ伝わってくる。“精神重視の日本柔道”対“世界の競技柔道”を見ていると柔道はやっぱり日本の文化なんだなぁ・・・とつくづく思ったものだ。
そんな中で
サッカー女子ソフトボールは日本の未来まで明るくしてくれる・・そんな予感さえ与えた戦いぶりだった。(個人的見解です)
DENさまはJリーグが始まってからのサッカーファンなので歴史は浅いが(見るのはサッカー、やるのは野球)、本当に頼もしい代表選手たちの試合ぶりに心から拍手を贈った。ソフトボールもチームワークと技術でパワーを封じ、痛快だった。この両種目に共通して感じたのは、淡々とそしてひたむきに自分の役割をこなし、ひとりひとりが歯車となってチームを機能させた
フォア・ザ・チームの精神である。
対照的に、野球のほうは個々の“勝ちたい”気持ちが一枚岩になり切れなかった感じがする。
しかし、今回プロアマが堂々と交流し、今まで無かった“世界大会”を見て、
野球はやっぱり面白いんだと感じた人も多いのではなかろうか。
4番中村のフルスイングも松坂・黒木の直球勝負もセコセコしがちな今のプロ野球のイライラを吹き飛ばしてくれた気がする。
この姿勢を貫いて、
“勝ち方がわかって来ると駆け引き重視になる”マンネリでセコくなりがちな日本人的な考え(悪い意味)を消し去って欲しい。野茂も佐々木も、そしてイチローも。中田や名波も。みな、もっと伸びたいから海を渡ったノダ。
このオリンピックでベストを尽くした選手たちに分け隔てなく賞賛の拍手を贈りたいと思うピュアなDENさまであった。

もうひとこと・・・
セ・リーグのバカヤロー!ナベツネのバカヤロ〜!俺は松井や新庄を見たかったぜ〜っ!若いヤツらは長島のプレーを見たこと無いんだからいつまでもヨイショするなマスコミ!このままだと気合の入った選手も
若いファンもみんなメジャー志向になっちまうゾ!

これからも、
“ガンバレ日本!”  そして “ありがとう日本!”

10/21


  コンピューター・ウィルス

先日、DENさまのメル友が流行りのコンピューターウィルスにやられた。本人の知らない間に勝手にウィルス入りのファイルを添付したEメールを知人宛に送りつけるというアレだ。気の毒にもOSのシステムまで被害を受けたらしく、一度フォーマットして再インストールしなければならない羽目になったという。
日頃、ごく当たり前にメールをやり取りしたり、ネットサーフィンを楽しんだりしているが、セキュリティのレベルをあまり厳しくするとしょっちゅう警告が出てウザッタイので普通レベルにしている。怪しいサイトならともかく、知り合いの名前で届いた添付メールなど、ついつい疑いなく開いてしまう可能性は高い。幸運にもDENさまは、日頃から一部の友人達とHTMLメールで遊び心溢れるにぎやかなメールをやり取りしているので添付ファイル付きにすることがなく、わたくし宛に届いた(いや?宛名がなかった)前述のメル友名義の添付メールに何となくウサンクササを感じ本人に確認のメールを出したところ、ウィルス感染が発覚したのであった。
仕事関係のメールの場合、全く初めての相手の場合を除いて添付メールを開けてしまうかもしれないと思うと、ウィルスなどを仕込むヤツのタチの悪いネクラな悪意に怒りとともに情けなさを感じる。
結論的にやたらに添付ファイルを開かない、やたらにダウンロードしないという自衛策しかないのだけれど、日々新しいウィルスと戦う対策ソフトのメーカーって頼もしいよね。本当にイタチゴッコなんだろうけど・・・
でも、この人達もネクラ・クラッカーの存在があって仕事があるというのも皮肉な話だ。
今日からこのページにおいて、DENさまは裁判官を務めることにする!せめて口で言うだけでも世の中の不条理をスパッと切りたいからネ!気分は遠山の金さんでR(嵐山光三郎風)。
ちなみに、今回メル友に迷惑をかけ、世間を騒がせた下手人について裁きを申し渡す・・・
「百叩きの後、市中ひきまわしの上、みんなから罵詈雑言を浴びせられ、どんな理由があっても全国版で顔写真掲載のあげく、打ち首獄門だぁ〜!」御上をなめんじゃぁねえ〜〜〜っ!

11/27


さようなら20世紀 (TvT)/~~

我々が生まれ、歩んできた激動(?)の20世紀も残すところあとわずかになった。今世紀最後の年である平成13年は、DENさまにとっては、なんといっても我がみやびのホームぺージを立ち上げた事がまず重大事である。凧というマニアックなものを扱っているので、商売としては(特に夏場は)季節はずれであり寂しいものがあったが、それでも秋頃から少しずつネット注文が入るようになって、顔も見えない、声を聞けるわけでもない、果たしてこのホームページに立ち寄った人の心にどれぐらい残れるのか、そしてみやびとして本当にわかってもらいたい凧というもののよさが伝わっているのか、という不安も、いつしかやってよかったという思いに変った。
来年は、もっといろんなお茶目なページやタメになるページを加えたい、と考えている。
よもやま話も当節の暗い世相を反映してか、やや怒りにも似た叫びを発しているものが多いなぁと振りかえってみて思う。
大島渚みたいに寡黙なようで、いきなりプツンとキレるそんなスタイルが好きなわけじゃないが通じる所があるのかな?(^^;
そして今年はスポーツにもたくさんの感動を与えられた。オリンピックもそうだが、パラリンピックも長野冬季五輪以後マスコミでの露出も増え、選手達の真剣で爽やかな頑張りや、意外なほどに明るいんだなぁと感じさせる充実感あふれる笑顔にこちらが励まされたものだった。
高度経済成長、大阪万博、ウルトラマン、8時だよ!全員集合、フォークソング、etc・・・子供心に印象に残っているキーワードだ。
自分は昭和38年生まれだが、1960〜70年代は、今思い出そうとすると明るい話題が浮かんでくる。80年代以降は大人になっていったせいか、まわりの深刻なニュースも記憶に残るようになった。世の中の矛盾をおかしいと思いながら、矛盾を受け入れることで大人になってゆくことにすっかり慣れてしまった90年代、後悔はしていないが「凧作り教室」に参加してくる小学生〜高校生たちに眩しさを感じるようになったなぁ・・・。「君らには いろんな道(可能性・方向性)があるんだよ」子供の頃にそんなふうに言われて全然ピンとこなかったが、今 子供たちを見て、自分もそう感じるようになった。(オジサンですから…(^^;)
若者がワルモノになっているような世相だが、いい歳をしたオトナも随分カッコ悪いことをしてる…。素敵な大人も間違いなくいるし、素晴らしい若者も大勢いる。自分の目でまわりをちゃんと見回せば、結構 捨てたもんじゃない。マスコミを全面的には信用しない!判断は自らするものだ。人に迷惑をかけなければ何をしても自由だ迷惑をかけなければ!その心は持ち続けたい…


12/26


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