学芸員のよもやま日記

過去の日記へ

5月。オゲンキデスカー。季節の変わり目は、カラダに気をつけましょうね。年だもんな……。

市立小樽文学館学芸員・玉川薫
直接メールくださるときは、こちらまで。もっとも文学館あてのメールも私が読んでおりますが。

5月22日(火)
●ちょっと、かっくいいオンナの話をしようか。って、突然なんのこと、なわけだけど。

きのう、家へ帰ってだらだらテレビを見てたらー、再放送やってたのね、ちょっと前に同じ番組みたんだけれど、また見入ってしまった。NHKスペシャルね、なんつータイトルだったかな。不良在庫を大量に抱えちゃって、もー工場閉鎖寸前に追い込まれた工場、SANYO鳥取工場だ、それを建て直しにきた工場再建屋ヤマダさんと、工員さんたちの話。
その工場は、っていうか日本のある程度以上の工場はほとんどそうなんだけど、ベルトコンベア・徹底した分業式の流れ作業を戦後すぐに取り入れた。アメリカのマネね。手先が器用で単純作業も辛抱強くこなす日本人に向いているとも考えられた。こうして高品質の製品を大量にコンスタントに生産し続けることができたわけだね。大手の工場はさらに機械化をすすめ、ロボットを取り入れ人員の大幅な削減にも成功した。
しかし、これはやがて行き詰まってきたわけ。いわゆる消費の多様化に対応できなくなってきた。多機種少量生産ってやつにね。技術の革新加速度つくからさ、生産ライン切り替えるのも追っつかないわけだ。で、大量の在庫ができちゃう。ヤマダさんはその元凶をコンベア式の分業生産方式にあるとみた。徹底的に細分化した分業の流れ作業ってさ、やっぱりその作業内容とか人の能力差で、人と人とのあいだに、中途のまま流れていかない製品がどーしても溜まっていくわけだ。これを「仕掛かり品」っていう。これは出来上がっていないもんだから、ふつう在庫に勘定しないんだけど、リッパな在庫品なわけだね。これが溜まりに溜まって最終的になんでこーなるの、ってくらいの在庫の山を作ってしまうんだね。
ヤマダさんが工場にやってきて、生産改革チームが作られた。ヤマダさんの命令はみんなをビックリさせた。かんたんにいえば、ベルトコンベアを即刻撤去しなさい、ってことだったんだね。で、とりあえず最終工程、梱包のラインがほんとうに撤去されちゃった。ベルトちょんぎって、台座ごと切断してさ、で、いきなり工員さんの作業内容がそれまでの二人分をこなさなきゃならなくなった。
オバサン(この表現、すぐメクジラたてる人いそうだけどさ、じっさいこの工場の従業員のほとんどが中高年の女性だ。どっからみてもオバサン。いーじゃん、ってオジサンは思うぞ)たちの顔が曇ったよ。心細そうになった。ため息ついてたよ。でもさー、これをこなしていかないと工場つぶれるかも知れん、っていわれればさー。
で、翌日製造担当課長が飛んできた。とんでもないことしてくれた、ってね。こんなことやってたら絶対納期に間に合わない、いったん信用なくしたらウチみたいな田舎の工場にはトリカエシのつかない痛手だよって。このへん、テレビ的演出も当然あるんだろうけど、おもしろかったな。で、課長さんのグループは、せっかく撤去したベルトコンベア、またもとに戻しちゃった。実力行使ね。カラダを挺して改革派に抵抗するわけね。で、現場は、いっそうの混乱に陥った。コロコロやり方変えられたらたまったもんじゃないわよー、ってね。当然ね。
改革チームも困ってさ、改革は止められん、このままじゃ早晩行き詰まるってことは解ってる。で、最終的にヤマダさんがめざしているカタチ、それをモデルケースを作って「実験」をすることになった。反改革派も納得してもらうためにね。そのカタチってのがさ、笑うってゆうか、ウナるってゆうか、「屋台方式」っていうのね。つまり工員一人につき、ひとつの「屋台」を組む。で、その「屋台」で組み立てから点検、梱包まで、ぜんぶやっちゃうわけだ。つまりさ、タコ焼き屋のオヤジってさ、一人で作るわけじゃん、タコやらネギやら刻むでしょ、メリケン粉溶くでしょ、鉄板焼いて流し込んで千枚ドーシみたいヤツ刺してクルリって回して、ソース塗ってってね。流れ作業でやってるヤツいねーよね。同じやり方するわけ。タコ焼き屋と。工員さん一人一人の回りに、全部の部品並べてさ、四方八方に手を伸ばして、最初から最後まで全部組み立てちゃう。この工場のいまの主力製品がおなじみのケータイだな。
つまりヤマダさんの最終目標は、一人で二人分どころじゃない、それまで六人でこなしていた工程を一人でやってしまうってことだ。ぜったいムリだー、だよね。製造課長も工員さんもみんなそう思った。で、モデルケースってことでさ、一人のオバサンが選ばれた。このオバサンは、ベルトコンベアの突っ始めのとこに立ってた人だ。そのオバサンが何で目をつけられたかってゆうと、その場所に立つ人は、いわゆるペースメーカーなわけだね。オバサンは、ラインの向こうまで見渡せる。で、ベルトコンベアっていうのはさっきも書いたけど、作業の内容や工員さんの能力差で、あっちこっちに滞りができるわけだね。それをみながら、ペースを調節するわけ。このオバサンはそういうコントロールができる。ペースを6にしたり、8に上げたりね。つうことはさ、このオバサンの潜在能力は10はあるわけだ、でないとコントロールなんてできないからね。
で、彼女の回りに「屋台」が組まれた。泣きそうになってたよ。ナンでー、ワタシがー、って感じ。やったことない作業、ぜんぶ一人でやるわけだからさ、手は震えるし接着剤ボトって落とすし。時間計ったらさ、コンベア式で一台作り上げるのに、工員ひとりアタマで割ると2分40秒くらいかな、でこのオバサンにやらせたら5分以上かかってる。こりゃアカン、ってみんなタメ息ついてた。
でもね、翌日からもうオバサンの顔つきが違ってきてた。カクゴ決めたんだろうね。やるしかないじゃん。で、どんどん文句言いだしたわけ。こんな屋台じゃやりにくくてショーがない。ワタシ目が悪いからさ、もっと台を高くしてよ、棚がこんなとこにあったら、腕が回せないじゃない、何とかしてよって。すると、改革チームが飛んでくるわけね。ソッコー修正するわけ。屋台を。
みるみるオバサンの動きがなめらかになっていったよ。顔がね、目がさ、腕の動き、指のさばき、流れるようになってきた。こんとき思ったのね。ウツクシイ。カックイイって。
ヤマダさんが視察にきたとき、まだ彼女は3分以上かかってた。でもヤマダさんは平然としてた。あちこち指導して、まわりながら、しょっちゅう彼女を見てたな。このヤマダさんって、凄腕のコンサルタントなんて絶対見えないよ。どっからみても人のイイだけがとりえの町工場のオヤジだ。で、そのヤマダさんの目が光るのね。彼女の動きをじっと観察して、腕時計と見比べる。
午後には、彼女の動きすっかり安定したよ。コンスタントに2分30秒を切るようになった。たった三日でだ。工場のみんなが集まってきた。製造課長もビックリしてた。
ヤマダさんはこのやり方であちこちの工場立て直したんだね。工員さん、楽しいっていってたよ。一人で最後まで組み立てて、そんで誰にも見えないとこにだけどさ、最後にサインを入れるんだね。その工員さんの。愛情もっちゃいますねー、大事にながく使ってほしいですねーっていってた。
生産の効率化って、なによ、しょせん資本側の勝手な論理じゃん、かも知れないけどさ。
でもオバサンでもオジサンでもさ、ナニが人をサエなくさせるか、ナニが人をカッコよくするのかさ。よかったよ。とっても、このオバサンね。ヤマダさんもさ、製造課長もね。改革チームのマジメ青年も。
では、また明晩。やべー、また9時か……。

5月20日(日)
●お約束だからご報告。小林多喜二の描いた絵をもらってきました。絵は2枚だけれど3点ね。1枚は裏表に描いてあるからね。水彩画です。忍路らしい入り江の絵と林檎や卵なんかを描いてる静物画(初めてみました)、それと初冬か初春の石狩浜らしい荒涼とした絵。
小林多喜二って何枚くらい絵を描いたのか、どんだけ残っているのか知りませんが、私の知ってるかぎりではこの文学館に1枚、多喜二の弟、小林三吾さんの家に1枚、実物を見たことがあるのはこの2枚きり。だから貴重といえば、とっても貴重品(小説家がヒマつぶしに描いた絵がいったい何なの、って議論なんかしないよ)。来週末くらいに新聞に出ると思う。
でもね、絵そのものはどーでもいいの。やっぱり私、驚いたし、ちょっと感慨みたいなものがある。
この絵をくださった人はね、日本共産党中央の要職を務めていた方だ。高齢で、もちろん仕事は退いておられる。名誉役員とかおっしゃっていた。私は代々木の本部の建物のなかに入って(このことだけでも10何年か前のことを思えば感慨があるぞ)応接室のひとつに入ると、その方が待っていてくださった。涼しげな色の羽織袴を来ていらっしゃる。小柄で顔色は優れないし、鼻にチューブを刺している。異様といえばそうだが、カッタツさが小柄なからだにみなぎっている。スゴミっていうんじゃないけど、タダモノじゃないってすぐわかる。
すぐに話しかけてくれたよ。その絵の由来、持ち主が転々として、最後に自分が所有することになった経緯。党本部に預けてあったのだけれども、余命のないことが明らかな今(はっきりとそのように話されていた)、この絵が落ちつくべきところを考えた末、小樽に寄付することを決めたこと。その話には少しの曇りもなかった。
この絵のもとの持ち主、そしてその後の持ち主のことを小樽に来て丹念に取材した赤旗の記者の方も、細かく説明をしてくれた。
「そういうわけです。どうぞお持ちになってください」。それで、私はその方の目の前で、ちょっと前に渋谷の東急ハンズで買ってきたエアキャップで包んで、ビニールのヒモでしばって、プラスチックのハンドルを引っかけて、ありがたくいただいて来た。
その足で、原宿の小林三吾さんの家を訪ねた。息子さんに絵を見せました。やっぱりびっくりしてましたよ。「党がね……」っておっしゃってた。
何らかの議論はあったのだろうと思う。絵をくださった元幹部のKさんも、赤旗の記者の方も、それらしいことはちょっと口にした。何らかの議論はあったのだろうけれども、余命少ないと見定めたKさんの意志で、この絵は小樽に寄付された。そして党もそれを了承した。そのことを素直に受け取ろうと思う。受け取るべきだと思う。
小樽にもどって文学館に出勤した日に始まったよ。亀井秀雄館長の「小林多喜二を読みなおす」が。人間・小林多喜二ではなくて、彼の書いた「小説」に即した読みなおしをしよう、多喜二を「小林多喜二」から解放して、読者の共有にしていこう、ということだ。
たいしたことをしてきたとは思っちゃいないよ。でも、二十年だ。積み重ねてきたとは言わない。でも、積み重なってきたのは事実だ。

いい仕事してますねーって、ちょこっとだけ言っておこうか……。自分にさ。

5月16日(水)
●亀井館長は、エンジンの回転を上げてきたね。前回は「小樽文學舎の部屋」が木浦大学校に設けられたことを書いてくださった。で、今回は館長が何でまた木浦大学校へ行ったのか、その肝心なシンポジュウムの中味の話だ。館長のメッセージとして報告してほしい、と頼んだのは私だが、メールを開いて、めげたぞ。A4の用紙にびっしり打ち出して13枚!冒頭に近い、木浦大学校で、どうして小樽文学館で行った講演と同じタイトル、内容も一部分重なるような報告を敢えておこなうのか、というくだりで、もう油汗が滲んだぞ。で、今回の「メッセージ」は、どうかプリントアウトして、じっくりと読んでみてください。ディスプレーで全文読もうとした私は、眼もやられてしまいました。
で、その空ぶかしなぞ決してせぬ、じっくりと、しかしいったんある回転数に達したら、けっして速力をゆるめることをしないこの人が、全く同じパワーで始めようとしている「市民講座」が、5月19日から始まる「小林多喜二を読みなおす」だ。手加減、などという言葉は、ハナから持ち合わせていない人だからね。もっとも、初心者を見くだす、などという尊大もハナから持ち合わせていないからね、つきあってくれるぞ、こっちが音を上げるまで。
その「読みなおす」だが、作家に即した読み方を脱し、読者が自ら主体性を回復し、どこまでも作品に即した読み方を、読者それぞれが見つけだそうという試みだ。何回もいっているけど、「そんなの常識だよ」かも知れんけど、それを「小林多喜二」でやるんだよ。この「小樽文学館」の館長として!自分ならできる、って人、手を挙げてみなさい。
で、その私は明日は東京。その目的も書いてしまう。伏せておくようなことじゃないからね、っていうか、伏せなきゃならないとしたら、それこそ「小林多喜二を読みなおす」も何もあったもんじゃない。日本共産党本部へ行くんだよ、「小林多喜二が描いた絵」を貰いにだ。もう少しちゃんと書いておくね。その絵の持ち主のKさんは、日本共産党で要職も務められた方だという。そして、高齢となられた今、思うところあって、その絵を小樽文学館に預けたいと申し出られたそうな。その絵は、今現在は日本共産党本部に預けられているんだね、だから私は本部まで行くの。想像できるだろうけど、私のアタマのなかは、いま渦を巻いてるぞ。とにかく結果はちゃんと、正確に報告するからね、役所に「復命書」出す前に、この「日記」でさ(いーのかな)。何せ、お見逃しないように。

5月10日(木)
●以下、4月30日に書いていた「日記」なんですが、ちょっと思うところあってアップするの止めてました。フツーは何にも考えないで書いちゃうんだけどね。この日は、やや重い気持ちにもなっておりましたので。
でも、今朝の朝日新聞に「古本はドネーション(とは書いていなかったけど)」の記事が出てしまったし、あれでは大幅に言葉足りないですからね。補う意味でも改めてアップします。

またまた突然ですが、古本屋を廃業しました。そのわけは、お知らせのページでね。実質は何にもかわっていないので、どうぞご安心を。古本リピーターさんもいらっしゃることだし。
先日、峯山富美さんからお電話がありまして、そちらで『小樽運河保存の運動─歴史篇・資料篇』を100円でお売りになったというのは本当ですか?ということ。ええ、ほんとうです。このページご覧になってくださっている方は、先刻ご承知の、あの「100円ショップ」ですね。あれは、「例外なし」だったから。
お電話で、峯山さんは続けられました。「私は、その話を聞いて強いショックを受けました。あれは小笠原克先生が生命を削るようになさった運動を、精魂込めて総括なさったお仕事です。それはあれだけの質とボリュームの大冊となって15000円の値をつけて頒布されました。その小笠原先生のお仕事を、文学館では100円の値と評価されたのでしょうか」。
私は、あの「運河保存運動」という市民運動、進行していくに従って複雑怪奇な様相をも呈したあの運動を、その複雑怪奇をまるごと引きうけ、ときには四方八方からの非難にさらされもしながら先頭に立ち続けた主婦、峯山富美さんをたいへん尊敬しております。この運動のことでいえば、それは小笠原克さんさえ、先頭で全身を晒し続けた峯山さんには遠く及ぶものではなかったと思います。
だから、峯山さんが『小樽運河保存の運動』が100円で売られた、という知らせに心を痛められたことは、じゅうぶんに理解できる。しかも、他ならぬこの小樽文学館で。けれども、少なくともこのページをご覧いただいている皆さんには解っていただけると思います。他ならぬこの小樽文学館で、だからこそ、それを(あの日は)100円で売ったのだということを。
それは『小笠原克責任編集・「北方文芸」』展の最終日であり、小笠原克氏が始めた「古書市」の意味、そのエッセンスを、やや過激なほど明確に示すための(最終二日限りの)100円市であったのだということを。
展覧会にいらっしゃれなかった峯山さんが誤解されるのは、やむをえないことだったかも知れません。けれども、峯山さんなら、又聞きでも解っていただきたかった。あの本に「15000円」の値札をつけたままホコリを払って「別置する」ことこそが、小笠原克さんを、その人がなさってきたことどもを封じ込め、その生命を抜きさってしまうことを。
すべての古書が100円で売られたあの日、『運河保存の運動』を購った人は、私の知る限りお一人しかいませんでした。その方はずいぶん戸惑われていたようです。それは当然です。「100円」という値の方が異常なのですから。けれども、戸惑われ、考え込まれたからこそ、その方は真面目にそれを購っていかれたことを私は確信します。一種のノルマとして、あるいは「つきあい」で、無雑作に支払われる15000円もあり、戸惑い悩み、思い切って払われる100円もあるのです。峯山さんなら、少なくともあの会場にいらしたのなら、解ってくださったはずです。
けれども不思議に、そして不快に思わずにいられないのは、「『小樽運河保存の運動』が、小樽文学館で100円で売られている」と峯山さんに「注進」なさった方のこと。その方は、会場に足を運ばれ、いったい何をご覧になったのでしょうか。一切の関連は目にも入らず、ただ「100円」の値札だけをご覧になった?私は失望せずにいられません。
「古本の値はお客様が決める」。こうすることに踏み切ったのは、こんなこともあったからです。これはお客様にある種の負担を強いることにもなると思います。もし100円、5000円と価格がつけられていたら、そのほうが気楽に手に取れるのはまちがいありません。不当に高い、あるいは不当に安い値が付けられていたとしても、それは「文学館がバカ」だから。お客様は苦笑しながら、あるいは憤慨しながら購ったり、そのまま帰ったりできる。こんどは、そうはいかない。「ドネーションボックス」にお金を入れた途端に、いや入れる寸前に、お客様の方が本に選ばれることにもなるからです。ほんとうのことをいえば、これはあまり楽しくありません。「買う」楽しみを大いに損なうことでもあろうと思います。しかし、私たちはこれをしばらく続けてみます。これがどのように成熟していくか、どのようなやり方に発展していくか。

とはいっても「破格値」「デタラメ値」の古書バザーはときどきやりますよ。フンガイしながら、バカにしながら。これは一種のカーニバル。小笠原さんは、こっちのほうが好きだろうな。

5月9日(水)
●こんばんわー。で、文学館の学芸員なんてさ、いったい何やってんだか、この日記読んでてもよく解んないでしょ。本人も解んないんだからねー、ムリもないねー。
さっき、ある方からお電話がありまして、小林多喜二の絵を持ってらっしゃる人がいる、その人は東京っていうか、あっちのほうにいるんだけれども、その人がもうお年をとってらして、そして病気も重いらしいの。で、ちょっと急な話なんだけど、その小林多喜二の絵をね、小樽に、この文学館にね、くださるらしいの。そうなさりたいんだって。でさ、来月に私東京へ行く予定だったから、それでもいいですか、ったら、お電話くださった方がね、少しでも早いほうがいいみたいって。その絵をお持ちの方が、急いでいるらしいの。そういうお気持ちらしいんだね。
うん、来週にでも行くことになりそう。日帰りでもね。旅費なんかないけどね。つまり、そういう仕事でしょ。私の仕事はさ。
今、夜の8時半だけど。きょうまでの期限だったレンタルビデオひとりで見てた。文学館の(古本屋さん状態になってしまってる)ロビーのビデオデッキでね。「学校の怪談4」ね。良かったですよ。泣いてしまった……。
「まじ怖えぇ」展、楽しみにしてんだよね。参加してくれればいいなー、中学2年生。忘れらんない夏休み、やってみようよ、この文学館でさ。ね。

5月8日(火)
●いちおう日記なわけだからー、仕事の進みぐあいも記録しておこーね。
きのう(5月7日)ミクマリ・カフェで沼田元氣さんとお話ししました。で、この日をもって「喫茶店・展」のプロジェクト開始です。2002年2月ね。予算は……なしね。
そしてー、きょう(5月8日)菁園中学校で研修会をやってらした小樽市内の中学校の国語の先生方に「まじ怖えぇ」展の趣旨説明にいってまいりました。これをもって「まじ怖」展プロジェクト開始としておきます。

じゃケータイの話の続き(おいおい)。ケータイのデザインぼろくそに書きましたからね。ひどいのばっかじゃない、ってフォローね。商品名出しちゃまずいんだろうけど、伏せ字にしにくいから書いてしまう。悪口じゃないからね。R691iっての。耐水性能を売り物にしてるな。で、これのデザインは「ココロザシ」を感じます。性能が求めたデザインって感じる。
そいでこれとほぼ同時期に出たのがやっぱり耐水・ガンジョーを売り物にしたC社のヤツね。あの有名なトケイみたいな恰好のさ。こっちもデザインが話題だな。ニッポンのケータイのなかでめずらしく「個性的」だってね。でもこの「個性的」がちょっと。なんだよねー。
このC社。私、日本のメーカーのなかでいちばん買ってるところなの。創造力においてグンを抜いてる。QV-10って知ってるでしょ。デジカメってね、それまでにもなかったわけじゃないけど、おそろしく高価で特殊なものだった。ン百万円なんてね。それをこのQV-10が「革命」しちゃった。つまり「デジタルフォト」ってのはね、「銀塩写真」とはまったくのベツモノなの。それを、この(ちゃちっぽい)「デジカメ」は細部にわたって明快に主張していた。こいつの意義、すぐにわかった人そんなにはいなかったよね。とりわけ「写真」のジャンルの人とメーカー、きわめて冷たかったと思う。ところがヒットしちゃった。「写真関係」の人も無視できなくなった。で、案の定、違う方向、にいった。「銀塩志向」ね。で、そいつが「スタンダード」になってった。あーあ、って思うね。
C社ってね、元来あか抜けた感じしない。QV-10もそうだったけど、「デザイン志向」じゃねーな、どうみても。何だかね、ここの人って作業服が似合いそうだ。関係ないけどニン○ンドーもそうだね。で、私は作業服が似合う人、似合うメーカーが好きだ。アルマーニなんか着てる「業界人」なんてはなから信用できない。
で、世界中を風靡しちゃったあのGショックもさ、初めにデザインありきじゃなかったと思うね、ぜったいに。機能を追求してってさ、どんどんのめり込んじゃって、とてつもなくガンジョーなトケイをって。で、あのカタチになった。新しいカタチだな。飛び抜けた性能が求めたんだからトーゼン新しいカタチだ。これがデザインの創造ね。こいつはカッコいい。
で、その、私のヒイキのC社が作ったケータイ。ありゃダメだ。ありゃGショックのマネじゃん。自分のトコのだからいいっつうもんじゃなかろう。確かにこいつも耐水、ガンジョー、Gショック並みかも知んないけどさ。どうみても、カタチがさきにあって、それにあわせてこの性能、だろう。技術はたいしたものなのかも知れないけど。工業デザインとして邪道だ!、っていっちゃう。精神論、じゃないよ。見りゃわかるんだ。カタチが浮いてる、って。

ケータイの話、いいかげんにしよーよ、ってね。これでも、一原展に向けて考えてんだよ。美しいカタチ、新しいカタチ、それが何から生まれてくるかってね。だんだん解ってきたように思う。ふつーのことからなんだよな。素直、とか健康、とかさ。うん、もう一息だな。

5月4日(金)
●うーん、きょうは早めに帰って一原さんの原稿ウチで読むつもりだったんだけどな……。帰る前にいちおうチェックして、ってみたら、館長からながーいメール。連休はやっぱりご家族とお出かけだな、なんて勝手に思ってたら、エッセイみたいな「木浦再訪記」書いてくださってた。こりゃすぐにアップでしょ。館長からのメッセージ、だけど、ここはどうしても写真いるなー、更新の日付は、と、え?きょうは4日なの?ずっと3日だと思ってた……。富田さんが更新してって、オトヨさんは、おっ、二日分一気かー、ってイメージ送るの忘れてるよ。これじゃイラスト見えないよー、って何だよーもう9時じゃん。で、気がついてみたらさ、私、きょうほとんど「旧」学芸員室使ってないな、ほんとに展示室内の「仮設」学芸員室で仕事やってたぞー。ま、これが仕事ってゆうかどーかは、人それぞれとゆーことで……。
もーこうなりゃついでで、私も連日の日記更新だけどさ。さっきね、星田さんがガッカリしてた。美術館でやる子ども対象にしたエッチング教室ね、一原有徳展関連なんだけど、その指導頼んでた人から、断りの電話あったらしい。その人は市の職員でさ、で版画家としてもキャリアのある人なんだけど、職員としての立場上、版画に関連した活動はプライベートの部分に限定したい、ということらしい。それは、まわりの目が、っていうことでもあるらしいんだね。とてもていねいな断り方だったようだけど。私は、ふーん、って思っちゃったな。うっとーしいもんだなーってね。
で、これからウチへ帰って一原さんの原稿読むんだけどね。一原さんがけっこう没頭して書いてたのは貯金局時代の話だ。一原さんが貯金局で課長か何か務めながらさ、50近くになってから本格的に版画始めたって、よく語られるよね、そんで必ずかぶせられる。「異色の」キャリアって。
でもさ、私、いまもう確信してるの。異色でも何でもないって。まったくの自然ななりゆきだったんだ。一原さんの版画の「仕事」は、貯金局職員の「仕事」の延長線から、自然に出てきた。これ、ぜったい今まで誰も言ってないね。能力も時間も足りないんだけどさ、何とか今度の展覧会で伝えたいな、このこと。また長くなりそうだからね、これは、あらためてってゆうことで。

5月3日(木)
●いわゆるゴールデンウイークなんだけれども、お客さんは少ないっす。静かーな感じ?
で、またまた唐突だけれどもケータイは不細工だ。何とかなんないですかー、あのデザイン。
前からときどき書いてるんだけれど、ケータイっていろんな方面でヒンシュクも買っているけれども、この勢いはとめられないでしょ。社会心理学的な分析はどーでもいいけどさ、つまりは便利なわけだ。便利っつうだけでヒンシュクしちゃう人もいて、それはまあいいんだけれど、これから暑くなるよね。で、営業で外回りのオジサンは汗だくになるわけです。だからオジサンは使ってるでしょ、もうほとんど。電話ボックスに入りたくないよねー、泣きたくなるじゃん、あのボックスで汗まみれになって、電話に向かって頭さげてさ、そんで後ろにはOLさんとか女子高生とか、いやーな顔して並んでいてさ、出るとき、ティッシュで受話器拭いたりして。
それがさ、ちょっとした木陰とかでケータイ。もう戻れないでしょ。メールだって、パソコンじゃなくてケータイ主流になるのは、こりゃ当然だ。
だからさ、だからこそさ、今のあのデザインはないんじゃない? いい年したオヤジが使う道具のイロ・カタチじゃないよね。
いや、ホントーいえば、あんなデザインのやつ、誰が使ってもカッコ悪い。ちょっとマジメに考えてみよう。今のケータイのデザインのスタンダードっつうかな。すぐイメージできるでしょ。ギン系ね、ミョーに細長ね、ボタンはアクリルか、そんでところどころメッキしてあるな、そんでさ、最近はそれがもっと光るわけだ。アンテナの先っぽとか、背中とかにイルミネーションついてピカピカ。これに着メロでしょ。もー最悪。いや、いっとき「リブルラブル」をピッチの着メロにしてた私がいえることじゃないけどさ、(やめましたよ……)。
ユーザーの感覚がおかしいっちゃ、そうなんだけど。どーかしてるのは、やっぱりメーカーだ。そんで、これは根が深い。
あれがさ、何で「スタンダード」なんだよ。あのデザインがなじむヒトって、私は「フジワラノリカ」しか浮かばんぞ。各メーカーのデザイナーっていくら何でもこんなレベルじゃなかろうって思う。ケータイの機能はどんどん革新されてくね。で、そのたんびに次世代機、ってその予想図っつうか、模型(モックっつうの?)作って見せたりするでしょ。それはね、そんなに悪くない。一生懸命考えてるなってのがわかる。でも、それが完成してさ、市場に出る段になってー、なんでああなっちゃうの。「スタンダード」に。何となく想像つくぞ、上のほうでさ、それこそ当の営業関係のオヤジたちの、その上のほうでさ。「デザイナーさんの意欲もまああれだけどー、ここは一般ユーザーさんに受け入れられるよーな、ま、無難なセンで」って。バーカ、ほんとに。
何だ、こんどはケータイか……、って、また話は仕事方面にもってくわけだ。例によってね。
つまり、小坂秀雄さんがね、この文学館(もと郵政省小樽地方貯金局)の建物つくった人、こんどの「一原有徳展」では、一原さんその人と同じくらい大事な人になった、私んなかでは。その小坂秀雄さんがいってるわけだ。「私は『無難』をめざす。それは公共の建物を手がける建築家として当然のことだ。しかし、それは『平凡』では決してない」「『無難』『合理性』それは理想としてあるが、宇宙の果てほどにも限りがないものだ」「『作家性』を前面に出す建築、私はそれを退ける。その傲慢は、結局混乱と無秩序と疲弊を招くだけだ」。この「言葉」ね、断っておくけど、正確に引用してるわけじゃないよ、私の頭のなかにいちど入って、私がソシャクして消化した言葉だから。
でもね、印象的なのは「無難」って言葉だ。解るでしょ、ケータイのデザイン決定してるようなところで飛び交ってる「無難」とどれほど距離があるか。小坂さんの「無難」は激しいぞ。ラジカルだ。この感じ誰かに似てる。ってまず当然一原さんだね、そして、もう一人身近に。亀井秀雄さんだ。
どこまでも「無難」にこだわるってね、どこまでも追求するってね、これはほとんど突端までいっちゃうぞ。とくに、ここニッポンではさ、例外なく「孤高」になっちゃう。
こーいう風にベラベラしゃっべっても、何のことやらって思われるのがオチだからさ、近々ハッキリと目にみえるようにしてあげるよ。今度の展覧会、いい機会だ。
文学館と美術館の入っているこの建物は、今の正式呼称は「小樽市分庁舎」っていう。この「雑居ビル」に後発の文学館・美術館は、間借りしてるわけだねー。だから、それはしょうがないんだけれど、一階の玄関、入口のところがさ、「シートベルトが命を救う」とか「覚醒剤打たずにホームラン打とう」(ワケわかんないポスターに使われんなよな、清原も)とかベタベタ貼られてたりー、ヤクルトの販売機(私はチョウホーしてるけどね)置かれてたりして、ま、確かに「ここから美術館入るの?」って感じだ。それでね、間借りとはいえもうこんだけ長いこと美術館・文学館やってるわけだからさ、そろそろこのエントランス何とかしたほうがいいんじゃない、って声が出てきたわけ。「市民」からね。ありがたい話だけどさ。ちょっと私懸念もしてる。「市民」の皆様のイメージしてる「美術館」のエントランスってやつをさ。
たかのしれてる(失礼)イメージ無視すりゃさ、簡単よ、美しくするんだったら。ぜーんぶ、引っ剥がせばいい。「小坂秀雄の建築」を剥き出しにするんだね。あれよ、「分庁舎」になってから、「市民」のため、「福祉」のため、ってつけた意味のない「補助階段?」とか手すりもぜーんぶ取っ払う。私、昔の写真使って「再現」してみたからさ、文学館の前の「ウインドウ」みてね。そこに貼ってある。誰がみても一目瞭然だと思うぞ。何が美しくて、何が醜いか。この「再現」はさ、実際にもある程度は可能なわけだ。でも、とりかえしのつかないところもあるな。それが、「補助階段」とか「手すり」、ってつまり「市民の声」で、「市民のため」に「改造」したとこ。昔のケガの後遺症で杖を二本使わないと歩けない一原さんが、「あれはヒドイねえ」って言い切ってるんだからまちがいないでしょ。そういうところが、いちばん、醜い。考えさせられちゃうね。つまりこういうところって「良識」(のつもり)が理性を平然と押しつぶしてしまったところなの。それがはっきり解る。
文学館、壊すかもしれん、って書いたでしょ。壊しゃしないよ。でもね、ひっそりと、しかし毅然と息絶えようとしている「理性のかたち」、それをもういちど、探り、辿ってみたいんだね、今、この場所でさ。