学芸員のよもやま日記

過去の日記へ

うがー、8月かー。Majico、木浦、小樽論・1も、まだまだまだまだ続きまっせ。

市立小樽文学館学芸員・玉川薫
直接メールくださるときは、こちらまで。もっとも文学館あてのメールも私が読んでおりますが。


8月31日(金)
●ハッ。8月も終わったのか。北海道じゃ8月終わればパーペキ夏終了だ。晩夏ねえ。いいコトバだけどなー。
きょうはお便りご紹介。

■ご無沙汰しています。朝4時半に起きて、毎日パンを作っていたら、夏がどこかへ行ってしまいました。今月のプロバイダーの時間を使い切ってしまおうと、パソコンをいじっていたら、小樽文学館のホームページを見つけました。日記に伊原さんまで投稿しているので、嬉しくなりました。
ところで、「北の国から」は倉本聰の最高傑作だと思います。僕は、「北の国から」の泣ける場面ばかり集めて、分析したことがあります。シリーズ24本から特番の「89帰郷」まで、例えば、シリーズ23話の靴を探す場面、「87初恋」のトラックの場面、「89帰郷」の一万円札を探す場面、これらに共通するのは、サリンジャーの「フラニーとズーイー」に出てくる「太ったおばさん」でした。つまり「キリスト自身」である、「お巡りさん」や「トラックの運ちゃん」や「つっぱり姉ちゃん」が突然現れて、純の悲しみを包むのです。そこに至るまでの純の悲しみが、「北の国から」の物語の骨格です。富良野が観光地になり過ぎて、倉本聰もちょっとやりすぎな気もしますが、作品自体は正当に評価すべきです。
洗濯が終わりました。干さなければなりません。パン焼き奴隷は休まる暇も有りません。

三原良文・新冠町

☆三原さんは、私の学生時代の数少なーい友人(まーそーだろうな)の一人ね。一コ下なんだけど、いっしょに卒業しました。「ライ麦」のホールデン・コールフィールドみたいなヤツだなー、って思ってた。夫婦で教師やってたけど、突然やめちゃって、そうこうしているうちにカミさんもやめちゃって、今二人でパン焼きやってるわけだねー。ウマが好きだから新冠に住んでるんだねー。これ以上のことだったら本人に語らせたほうがずっとおもしろいから、ホームページ作ってるんだったら、教えてね。

8月30日(木)
●永山則夫と中城ふみ子のことを書こうとしてるんだけど、キーボードが進まなーい。何か近ごろ、文章なんか、すぐに書けるさー、なんてカンチガイしてたんだけど、やっぱりそもそも書けない私だったんだねー。日記ならポロポロ出てくるんだけどな。日記って何だ。ウンコみたいなもんか……。いいのか。(準)公式だからいいのか……。

さっきも事務長と話してたんだけどね。「小樽はいいよ。勝手にできてさ」って声があるみたい。確かにね、恵まれてるって思いますよ。でもさー、こう見えてもあっちこっちで細かい手打ってんだよね。勝手やるためにさ。
で、ウチの戦略はね。一言でゆうと。「コウモリ」だ。説明しだすと長くなっちゃうが。よーするに、ドッチツカズだ。でもそれは「文学館」てのが、そもそもそういう「場所」だったわけでー。って、最近くり返してるからもうやめようね。
でも何かウンメイみたいなもん感じるな、最近ね。私の生まれ育ったところ、福井の町はずれ、父親農家の三男坊で財産なし、戦後はじめた雑貨屋みたい八百屋、お隣もそのお隣も「在日」の人たち。高校の成績、微妙な位置。進んだ大学、ホッカイドー大学(何でわざわざそんな寒いとこに、ってゆわれたさ)。数学英語不得意だから、ってだけの理由で国文科。卒業しても就職口なし。東京で半年ほどアルバイトした後、製薬会社の社長の道楽だって社内ではいわれてた医学出版社で一年間仕事。大学の先生から教えられて、なんとなーくオタルに。初めて訪ねた文学館、日銀のほうに気いとられて通り過ぎてしもうたよ。
いや、なんかさー。何もかも「ビミョー」じゃん。何か、「ビミョー」な位置だねー。「ビミョー」で一貫してるっちゃ、してるかなー。私の人生「境界例」だねー。でもねー、ここまできたら「ビミョー」な場所で踏ん張るかなーって思ってるんだね。綱引きでズリズリって引っぱられてるうち、相手がちょっとユルんだ隙に、クイッて戻しちゃったりね。自分の領域にね。

お昼「グルグル」の展覧会見てきたんだけどね。なんかカワイーな。みんなね。Majicoの中学生もカワイーけど。20代でもカワイく思うようになっちゃったか……。私ゃジーさんか。
でさー、こないだ東京から来てくれた吉田暁子さんがヒョイと提案した、受付奥にずらしたら?ってヤツね。ずらすだけで今の古本置き場だかご寄付いただくとこだかコーヒー飲むとこだか子どもがチャットやるとこだか、私が仕事するとこだかわかんないあの空間。山口昌男展以来、なんかとっても愉快なことにもなりそうな、あの空間。あそこがね、もっとフリーになるんだな。料金いただくのはもひとつ奥になるわけだからね。

どーでしょう。日替わりメニューの展覧会なんて。「グルグル」で展覧会やってる人とか、「人間性」の佐藤さんとか、見た目じゃわかんない富田さんとか、もちろんMajicoのコウジやミナミたちもねー。若い人だけじゃなくってさ。偉いジーさんたちだって。山口さんのマンガとか、一原さんの箱庭とか、もー何でもさ。毎日毎日遊びつづけるのさー。

メールはまたまた片桐さん。前のメールの(中略)で、何に怒ってるんだかこの(中略)じゃわけわかんない。中途半端に載せてくれるな、っておこられちゃいましたけど。おもしろいから、また載せてしまいます。ごめんなさいね。

■ところで「記憶の捏造」ですが、
以前、私が所属する造園学会で、小樽運河を巡る人々の感受性が港湾施設から観光名所へと変化したプロセスを、現象学の手法で解説したら、ギャラリーが凍りついていました(狂人扱いされました)。別に柄谷行人ばりに捏造を「告発」したわけではありませんが結果的に記憶が捏造されたものであることを指摘してしまったのが受けを狙う点で失敗でした。
対象の持つ美質は、対象自体のものではなく社会や物理環境によって変化するものであるということを知ろうとしない人が多すぎますね。
他の例を出すと小樽だけの話ではなくて、富良野市とか美瑛町も身近な代表例です。単なる「へその町」であった富良野にプリンスホテルがゴルフ場を造成するに当たって、宣伝のため広告屋さんの電通に依頼してできたのが「北の国から」なるテレビドラマで、これが大受けして、富良野美瑛には新たな言説が付与された。
ドラマ自体は安っぽいものでしたが、書いた倉本綜(字を忘れましたが)は巨匠になるべき人ではないのになったし、富良野美瑛には松山千春的暑苦しさを連想させる若衆が押し寄せています。見事に風景のもつ意味を変化させた。ほんとうに素晴らしい(戦略的にであって、文芸的には×)。
このあと小樽文学館が計画されている「北海道大学」展にも多分、植民地主義と北海道風景イメージについてのことが出てくると私は楽しみにしております。
ただ、これは悪いイメージで捉えるべきものではないでしょう。それが人間社会のもつひとつの本質だと思います。風景へのイメージだけじゃなくて、モノとか民話とかでもみんなそうです。北インドでは英国経由で伝わったバイオリンや日本から伝わった大正琴がヒンズーの宗教儀礼に欠かせないものになっているし、ミクロネシアのある島では「昔々オランダという悪魔を日本が来てけ散らした」と数十年前の話が先祖代々伝えられた昔話と化している。あっ、文学の世界では日本国が善玉になる話は事実であっても「禁忌」でしたね。韓国にしても我が国の教科書にいちゃもんをつけてもウドンやベントーなどの倭語(ウェーマル)を禁止しようという発想は無い(李承晩時代にはあったそうですが)。
小林多喜二を始めとするプロレタリア作家も恣意的にかわいそうな北海道イメージを捏造していたわけです。善かれと思ってやったのですがこれはちょっと陰惨すぎました。
植民地主義だけではなくそういった、捏造の北海道イメージを総ざらえしたら、衝撃的な企画展ができると思います。玉川さんのお命が危ないかもしれませんが良ければお手伝いいたしますよ。造園学の世界でこの様な主張をすることも、最近では狂人扱いから犯罪者くらいに格上げ?になってきてますので、「捏造」も手がかりとして肯定し、さらにそれを越えて人間性の深みにせまるデザインを目指しています。

片桐保昭・小樽市

☆私は片桐さんにほぼ同感。いまやってる展覧会のコンセプトも同様ね。片桐さん、私以上に言い方キツイけどね。
「北海道大学」展てのは片桐さんのかんちがい。北大は10月12日の文学散歩。これも絶対おもしろいんでぜひ皆様ご参加ね。
展覧会は「小樽高商・商大展」これは……、いつからだったっけ……。ウチのペースでやっちゃえるヤツじゃないんでね。歯切れワリーな。めずらしく「まともな展覧会」みたいになりそう。見どころは真理ちゃんの作るジオラマか。それにしても歯切れワリーな……。

8月29日(水)
●アンケートボックスに(いまの展覧会のあいだは、アンケートはぜんぶ「小樽論」になるわけだけど)、「この文学館は、お風呂のよう。あたたかく体を包んでいるが形はない。形がないから心地もいい。ごきんじょなら、ちょくちょく立ち寄りたい」と、ありました。群馬県の人だけどねー。
お昼前、「動く市政教室」ってご一行がいらしてさ、市内緑町内会のバーさんご一行なんだけど、「文学館にいらしてことのある方ー」って聞いたら、挙手1名ね。23年やっててさー、これだからなー。でも「小樽論」の写真でけっこう盛り上がってましたよー、バーさんたち。地下の「まじ怖えぇ」も大受け。

でさ、反省するのが20年遅いんだけど、つくづく思うぜ、やっと最近。「ごきんじょなら、ちょくちょく立ち寄りたい」そんな文学館になりたいんだよ、本気でさ。
沼田さんと「喫茶店展」の話してたときも、ポスターとかチラシとかいっちばん最後にちっちゃく「小樽文学館」って入れるといいねー、って、もー大賛成ね。文学館で何をやってるかが大事なんじゃなくてー、何をやってるのか、なのね。何やってんだー、あー、やっぱあそこか……。が、いいなー。

別の日記に書くことかも知んないけど……。Majico(まじ怖えぇ展)スタッフは、おおむね学校がそんなに好きじゃーない。「トーコーキョヒ」っていってもいいスタッフもいるんだ。その子は、夏休みのあいだ、ほとんど毎日文学館に来てくれた。ほぼ皆勤賞さ。
でも、昨日、今日と来てないな。ほかのスタッフは学校終わったら制服のまま直行してくれてるんだけど。「学校も休んだからね。平日は来れない、って言ってたよ。でも土、日は来るって」
わかるぞ、いたいほどわかるぞ。だって、私がそうだったもの。
「教育委員会の職員」がいうことじゃーないだろーけどさ。いーんだよ、学校休んだ日だって。朝おなかいたかったけど、昼過ぎなおりましたー。文学館いってきまーす。で、いいじゃん。なんて、かんたんなことじゃないこと、よくわかってるけどさ。

何か書いてるうちにムショーに腹立ってくるんだ。逃げるな、とか自分と戦え、とか。ずっとやってろ、素振りでもボクササイズでも勝手にー、ってね。

何につけても。がんばろーとは思わないが。一点だけがんばる。この文学館、トーコーキョヒのこどもにも、よるべないバーさん、ジーさんにも、キツくしない。キツくしないためだったら、手段は選ばんよ。

神戸芸術工科大学の花田佳明先生から、またお便りいただいた。こういうふうにリンク先ポンポン入れてくださると、拡がっていいねー。勉強にもなるなー。「ネヴォ」がねー、「ゴジラ」のテーマ作った人(凄げー偉い音楽家だったのね)とつながろーとは。

■「伊藤整の『日本文壇史』」展製作日記、本当に有難うございました。僕がいろいろ感激した理由がわかりました。建築の設計もこうあらねばと思いました。

で、またまた日記に書かせていただきました。8月25日です。
http://www.kobe-du.ac.jp/env/hanada/diary/top.htm

喫茶店〜沼田元氣のあたりのお話。またまた興味津々です。『ネヴォの記』、もちろん全く知りませんでしたが、検索してみるとこういうページがありました。勉強してみます。
http://homepage2.nifty.com/kib/mymac/trot/bazar2.html

喫茶店といえば、西宮の夙川にも「ラ・パボーニ」というお店がかつてありまして、野坂昭如や山下清らも通ったことで有名で、阪神間文化のひとつの拠点でした。とても気持ちの良い空間で、写真を撮らせてもらったり、いろいろしてたのですが、残念ながら阪神大震災で全壊してしまいました。『建築MAP大阪/神戸』(TOTO出版)をつくったとき、以下の文章と共に紹介しました。
http://www.toto.co.jp/bookshop/cont/ja/mapg/ind_m.htm#map

「記憶の捏造」!うーん、さらに興味津々です。

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喫茶店「ラ・パボーニ」
阪急神戸線夙川駅から南東へ数分、古い住宅地のなかを歩いた場所に、白い外壁と屋上のバルコニー、そして2本の棕櫚の木が印象的な、南欧風とでも形容すべき不思議な建物が建っていた。喫茶店「ラ・パボーニ」である。店内は、ピカソやコクトーの素描のような線画が壁と天井一面に彫り込まれ、黒いレースのカーテン越しに淡い光が満ちていた。鎧戸の奥には店の主人の居室があって、薄ぼんやりした明りのなかに古風な家具ものぞいている。実に静かな、実にやさしい空間だった。
この建物をつくったのは、画家・大石輝一(1894‐1972)とその妻、邦子さん。大石は大阪に生まれ、大正ロマンの空気を吸い、画家を志した人物である。佐藤春夫らとの交流を経て東京の本郷洋画研究所で学んだのち、大正12年に帰阪する。大正14年には西宮市苦楽園にアトリエを構え、画家として本格的な活動を開始する。小出楢重らモダニズムの一翼を担う画風とでもいうべきか。力強い筆使いの風景画や人物画を多く残している。その大石が、邦子さんとともに既存の木造住宅を徹底的に改造し、西宮市千歳町に喫茶店「ラ・パボーニ」を開店したのが昭和9年である。喫茶室、住居、アトリエ、集会室などからなる迷宮のような建物は、一種のサロンとして多くのひとを魅了した。大正ロマンの影響の故か、大石には啓蒙家的側面もあり、戦後、西欧近代絵画の普及のために複製画美術館も構想した。また、兵庫県三田市郊外に広大な土地を購入し、昭和35年から「アート・ガーデン」という名の芸術家村の建設にも着手する。アトリエや茶室、ゴッホや柳宗悦らの石碑、人類の月面着陸を記念したモニュメントなどがつくられた。大石は、最後までここでひとり黙々と石を積んだのだ。
「ラ・パボーニ」は残念ながら阪神大震災で全壊し、邦子さんも1997年6月、転居先の故郷・鹿児島で亡くなった。現在、建物は撤去され、有志によって救い出された絵や資料を収めたコンテナが置かれている。棕櫚の木だけは健在だ。その前にたたずむと、夏の日のあのひんやりした喫茶室や邦子さんの笑顔がよみがえり、夢を見ていたような気分になる。

☆そういや、沼田さん、樺太でのご用は終わったのかしら、明日あたり寄ってくれるのかなー。日記に書きますよ。お楽しみ。

8月26日(日)
●続き。えっと、出張中にPHSとiBook(ムリに持っていくことないんだけど……背中汗びっしょりだ)でようやっと受信したメールです。皆様、どうもありがとう。

■「まじこええ展」是非見に行こうと思っております。
 いま考えているのですが、小樽市は道内では人口集中が早い方なので、数多くの民話(怪談、艶話、悲話など)があるに違いないのですが、あまり聞いたことがありません。それを発掘してみたら面白いと思っております。民話の生まれる瞬間を感じることができたら面白いと思います。
 先日、知人を高島のフィッシャーマンズハーバーというレストランにつれていったとき、お店の白黒ビラに高島漁港近辺に伝わる民話が少し紹介されていました。そういった民話を集めるなどしている人も市内にはいるのではないかと思います。「まじこええ展」でその手のはなしなど入手できたらいいと思っております。
 あと、明治大正バンカラ時代の小樽の成金の下品話にも興味を持っております。(中略)
 確かに札幌は都市的な集積があって居心地がいいかもしれません。しかし他都市と比較して文化的に威張れるだけの実質がありますか。札幌ドームとかキタラとかコンサドーレとかを誇ってみせるあの感性は何なのでしょう?あんなおっちょこちょいな土木施設やブームの模倣が文化なのでしょうか(文化というならいいですが)。
(中略)
 お叱り覚悟で申し上げましたが、私は上に書いたような札幌の感性ではもはやなにも生み出せないと思い、小樽に引っ越してきたのです。小樽も同じだと言う声が聞こえてきますが、どこへいっても同じならいっそ故郷なら切っても切れない義理で踏ん張ることができるかと思いまして。

片桐保昭・小樽市

☆編集長(いつからだ)の権限で、一部カットさせていただきました。この辺が掲示板と違って微妙……。「まじ怖えぇ」展は民話の採集にはまったく役に立ちませんが、民話(噂?)の生まれる瞬間に立ち会うことはできるかも。

■直接会い、いろいろお話を聞くことでより現実的にものごとがみえました。生の感覚はやっぱりよかったです。既定の文学館像ではない「小樽文学館」像を打ち出そうとする雰囲気を感じ取りました。私の希望としても多くの人が関わることで計画どおりまたは意図せざる結果として構築される文学館になればいいなあと思います。

小樽論・1も実際に「見て」、改めて考えると面白いなーと思います。文学館は普通は「文字」を追う場であるはずなのに写真が並んでいる。文字はその写真を見て感じた感想だけ。HPからの印象だと写真はもっと小さいものを想像していました。文学館のスペースを半分も占有していると思っていませんでした。この企画を見て思ったことはこの写真を正方形の空間に埋め尽くすように貼って(天井も床も)入り口はくぐって入るようにしてそして何か書きたくなったらマジックで書きこむと面白いのではないかと思いました。
今回の企画では主観を排するという意図があったと思うのですが改めて見ると知らない空間の出現でした。155番あたりの自分の良く知っている空間に出会ったときなんかよくわからないけれど安心しました。「ほ」とした気持ちを書き込みたくなりました。客観的に物理的空間が小樽を構築しているのですが自分が生活するにあたってはかなり恣意的に認識していることをあらためて教えられました。今度は主観に満ちた企画も面白いかもしれません。物理的空間でしかないのに自分なりの思い込みで見つめている空間。
観光地は別にして普段の生活空間は語られる事も無いままあたりまえのまま受け入れています。だからこそ小樽論・1の写真は小樽に住んでいる人にとっては自分の「無知」を暴く脅威の空間であり自分の生活空間への思いという恣意的認識に改めて気づかされます。というのが、改めて考えた感想です。

亀井館長の講座も多くの人があつまり驚きました。小樽の市民は文学に対する熱意が高いような気がします。私は人文系の文学関係の授業をとったことは無いのですが大学の授業を聞いているようでおもしろかったです。もう少し人数が少なければゼミ形式でできるかもしれないですね。もう少しといっても10人くらいですが。文学講座の需要が高いことを認識しました。
もしかしたら、あの講座のあと任意でお茶を飲みながらお話する空間があるといいかもしれません。言説分析以外にも自分の感想を言い合ったりして交流が深まるとおもしろいのになと思いました。
「まじ怖い」展も拝見しました。後からきていたおばあさんが怖がっていました。これからもこのような企画があればいいなあと思います。でも、やっぱり怖い本を輪読してほしいような気がします。私は遠野に旅行に行ったのでやはり遠野物語などみんなで呼んでみてほしいと思います。
また、何よりあの地下一階はほんとに不思議な空間ですね。あそこは倉庫になっているんでしょうか?いまどき「読書会」というのははやらないのかもしれませんが、漫画でもいいしなんでもいいのですが誰かが勧めるよいという作品をみんなで共有して話し合うという考え方は共感します。
いきなり難しいものではなくてもいいのでそのような場を通して自分の意見を構築し発表する方法を身につけたり他者の意見を聴いて考える場というのは必要な気がします。私の小樽時代の経験を言えば、なかなか身近な人以外そういうことを話す場が無かった気がします。
「野分」のなかでミルクホールという存在を知って面白いと思ったのですが、情報が入りかつその情報について雑談ができる場というのは面白いと思います。

吉田暁子・東京都

☆吉田さんは、ときおりメールくださる方。小樽出身の大学院生。18日、亀井館長の講座の日に、初めて直接お話をいたしました。

■こんにちは、廣谷です。(中略)私は足が悪くなり美術館もほとんど行くことがありません。このHPは以前から知っていましたが、久し振りに拝見させていただきました。玉川さんの文章は肩の凝らない読みやすい文章ですね・・・と言ってもまだ全部読んでませんが・・・。私も透析をして19年、美術館をやめて19年たったのです(歳を取るわけだ)とても懐かしいです。昨年やよひちゃん、伊藤さん、夏秋さんが家に遊びに来てくださって会ったときは「変わらないね〜」と言い合っていましたが、当時の写真を見てみんなで「やっぱり若かったね〜」と笑っておりました。絵は五年ほど描かずにいます、が・・・ここから私のCM・・・悪戯描きのようなのをフォトショップで描いてHPを作りました。絵の数も少なく殺風景で、宣伝もしないので来る人も3人ほどです。URLを貼っておきますので、ぜひ遊びに来てください。
http://www.geocities.co.jp/Milano-Killer/6627/
あまり期待をしないように!これからもっと充実させたいと思っていますが、企画力にあふれる玉川さんにアドバイスをいただけたら、嬉しいです。もし来ていただいたら、掲示板に一筆お願いします。(そのわずかな人数でオセロ大会を時々しています)

廣谷美枝・小樽市

☆個人的なメールの範疇かも知れませんが。廣谷さんのHP、とてもいいです。私はこういうHPが、好きです。

■送っていただいたたくさんの図録、文学には疎い建築屋にはその細かな意義までは理解が及びませんが、とにかく全体に漂う気品とユーモアと過激さに感激しております。お陰で、この夏は、とてもいい気分で過ごせました。「文学」という言葉に、高校生の頃感じていたような素直な憧憬を取り戻せた気がしました。
そんなこんなを、自分の日記に書かせていただきました。リンク先を読めというのはなんとも非「文学」的で不粋な行為ではありますが、玉川さんのお名前も勝手に書いてしまいましたので、御報告とお詫びということで御理解くださいませ。

http://www.kobe-du.ac.jp/env/hanada/diary/top.htm
の8月22、23日です。

畑中純はほんといいですね。さっそく彼の反画集をネットで注文して、今日くらいに届く予定。楽しみです。伊藤整の書架の写真もとてもいい企画ですね。『日本文壇史』を生んだのはこの書架とファイルだ、みたいなドライな感じ、好きです。他人の書棚をしげしげ見るのは悪趣味かもしれませんが、たまらない快楽でもありますよね。御存知かもしれませんが、
http://www.jimboucho.com/
ここの「書斎訪問」。

「伊藤整の『日本文壇史』展」の表紙の伊藤整もとてもいいなあと思いましたが、「玉川和」さんというのは玉川さんの御家族ですか?

花田佳明・神戸市

☆花田さんは、神戸芸術工科大学環境デザイン学科の先生。「まじ怖えぇ」展の「こどもが隠れる街の穴」という「コンセプト」は、花田さんのプロジェクトに刺激されたものです。和(ノドカ)は下の娘(当時小学6年いま中3)です。またまた私事にわたってすみません……。

8月26日(日)
●昨日、東京から帰ってきました。で、出先からの更新はけっきょく失敗ねー。ちゃんと準備してから行くべきだよねー。
「復命書」的に一応のご報告。って思ったけど、やっぱり日記風に書きますね。で、下に。

8月24日(金)
●板橋区にお住まいの佐藤哲郎さん訪問。午後5時のお約束でしたが、3時に佐藤さんがなさっている喫茶店「スコット」にいったら、ちょうど哲郎さんのご帰宅したところ。大きなお皿を抱えておいででした。陶芸をやっておられるとか。
すぐお隣のご自宅へ。佐藤哲郎さんは、佐藤八郎さんのご長男。佐藤八郎さんはサトー・ハチローさんとは別人。知る人ぞ知る、札幌の喫茶店「ネヴォ」のオーナー。小林多喜二も出入りしたっていう。で、これがおそらく詩人や画家やそのたもろもろの文化人(たいがいは自称)の出入りする喫茶店の北海道での始まり。
この佐藤八郎さんの書いた『ネヴォの記』っていう本が、この昭和初年代に札幌の前衛系・左翼系文化運動の拠点(っていうほどのものではないんだけど)になったユニークな喫茶店のたいへん貴重な記録なんですね。写真とか当時の間取りとかマッチの図案?も残っている。佐藤八郎さんは「商業美術家」で、お店のレイアウト、ロゴのデザインもなかなかのもの。「ネヴォ」は佐藤さんのネーミングではありませんが、すぐにお分かりのように「マヴォ」(村山知義らが関係した前衛美術雑誌)のもじり。ロシア語の「ニイヴォ」(青空)のゴロを少し変えたということ。「青空」ってゆうのが、何かいーですね。
こうした資料や佐藤八郎さんの描いた絵(この人は喫茶店を閉めた後も波瀾万丈の生涯、戦争末期、左翼運動の前歴あるから日本に残るのも危ない、スレスレの状況で、美術記者として従軍。南方の日本軍壊滅の島の密林を彷徨、米軍捕虜となって終戦2年目にようやっと帰還。その捕虜収容所で描いた絵が、つい先だってたくさん出てきた)もさることながら「ネヴォ」か、その後東京で開いた「窓」(これもセンスのいいネーミングね。短命だったらしいけど)で使っていたとおぼしき蓄音機。竹針で「5、6年振りかなー」っていいながら哲郎さんのお好きな「アニーローリー」(これはまちがいなくネヴォ時代のレコード)掛けてくださいましたが、音のやわらかいのにびっくり。スクラッチノイズもほとんどなし。この蓄音機のホコリを払ったら「札幌クボカワ製作所」なんて書いてあるのにもひとつびっくり。これでやりたいですねー、レコードコンサートって話で佐藤夫妻と盛り上がったところで、おいとま。
夜に新宿で沼田元氣さんと落ち合いまして、「喫茶店展」のお話。いろいろお話ししているうちにポッポッと考え湧いてきた。
それでね、これやりたいなー。「歴史の捏造」。何をやるきか、カンのいい人は気がついたろーけどね。うんと凝ってみたいなー。最終的に「記憶の捏造」までいっちゃうかも。「文学館」「博物館」さらにー、「歴史教科書」のパロディーね。お遊びですけどねー。
沼田さんはこの日は那須で「架空のストリート」でっち上げた人にあってきて、大宮の盆栽村の取材してその帰り。同席してた青年は沼田さんに心服なさって「喫茶魂」ってTシャツ着ておられた。前職は「サラ金」だそうな。いいなー。手伝ってくださりそうですよ。
で、この日曜日には「樺太」にゆかれるそうで、その帰りに小樽に寄りたい、とのことでしたー。何やってんだー、沼田さん……。
沼田さんにはもうあまり驚きませんけどね。帰りに新宿駅の西口で沼田さんがおっしゃるの。「玉川さん、今の女性は有名な人ですよ」って、だれー。「ほら、後ろ」柱の影からちょっと見えるぞ。ちょっと怖いなー。誰ー。「詩集、売ってるのね。玉川さん、お買いになってみたら?」ちょっと怖いなー。だって、まっすぐ前を見てるよー。
1冊300円。「志集」って書いてある。「1冊ください」ったら、眼を大きく開いて見つめられちゃいましたよ。100円玉2個に50円玉二つ。「多いです……。あ……。ちょうど。ありがとうございます」私何だかいたたまれなくなった。
だってタイトルが、「激痛がかくされていた」……。
「20年あそこに立ってるんですよ、彼女」「えー!」「10年以上前、ボク彼女と大騒ぎ起こしましてね」「色恋ですかー(前職サラ金の青年)」「違うって。何か写真撮りたくなってシャッター切ったら、突然彼女大声上げて。皆さーん、いま、この人が私の写真撮りました。こういう人が被爆者のケロイドの写真を勝手に晒したりするんです!って。人だかりができちゃいましてね。警察まで来たりした」。……トーキョーだな。

8月23日(木)
●やっぱり旅先での更新はきびしいなー、と思いながら何とかiBookをピッチにつないでホームページ見てみると、アクセス数増えてるなー。これはあれかな、やっぱり佐藤さんの「運子ちゃんシリーズ」爆発かー。ちょっと、ヒガむぞ。
旅先だからね、長くは書きませんがね。きょうは、ギャラリーTOMで、視覚障害のこどもたちの展覧会「楽しく作ったぼくたち展」を観てきました。タイトルがいいですね。第一部が「見たこともないもの作られへん」。今日見てきた第二部が「見たこともないもの作ろう」。中学生がつくった「よだかの星」小学生がつくった「よだかの顔」ふたつの「よだか」にちょっと衝撃。後日ゆっくり書きますが、宮沢賢治のあの童話。冒頭。「よだかは実に醜い鳥です」(確かそんなだったよね)の重要を、ダイレクトに理解しましたよ。
ギャラリーTOMのことは何回か書いてきましたが、亜土さんの奥様、もうクタクタよ、って、おっしゃってました。二十年間、何をやってきたのかしらねー、とも。同じように響いても、各地の公立美術館・文学館の学芸員諸氏の嘆きとは重みがぜんぜん違うなー。これについても後日。
その後、また近くの松濤美術館に寄って「祈りと装いの『ぬの』ミャンマー、カンボジア、タイ、ラオスの染織」展。これも実にいい展覧会だったんだけど、ミャンマーだけでも30近い少数民族が混在、っていうのにびっくり。しかも「主要民族が支配する国家政策と近代化により……急速に消えつつある」というくだりで、ちょうど今読んでる姜尚中さんの『オリエンタリズムの彼方へ』を思い合わせてひどく複雑な気持ちになりました。これについても後日。
その後(星田さんから送ってもらった本の封筒に「がんばってください」って書いてくれてました。ごめんなー、仕事やってねえよ。上京三日目なのにー。)京橋のフィルムセンターでやってる国立近代美術館の「1930年代日本の印刷デザイン」展。思った通り、学芸員の意図がまっすぐに伝わってくるいい展覧会でした。こんな書き方何かいわれそうだけど、「国立のプライド・意地」感じますね。だって地方公立(いま漢字変換まちがえてあせっちゃった)美術館のほとんどから感じられないんだもの。こういう意地。
お金かけてないですよ。ぜんぜん。だってポスターと雑誌だものね、いくら貴重なものだって。それがさ、ちょっと配列を工夫するだけで、おそろしい「モチーフ」が浮かび上がる。「プロパガンダの本質」ってやつね。淡々としてましたけどね。客ももちろん、少ない。
たいへん重大な誤りを訂正。「あの人」はヒロヒトさんではありませんでした。いくらなんでもねー。でもだれだ。コノエ首相かー。ならやっぱり親戚筋か……(違うのか……。こういう家柄の人って顔立ち似てるなー)。うん、でもこのチラシのレイアウトはやっぱり意識的だよね。いわゆる「確信犯」か。週刊○潮なら「不穏」って書くか。「芸術○潮」出してるから書かねえか……。って、不穏なのは私かー、確証ないのに不穏なこと書くなよなー、ってね。
東京にいくたんび思うけど、夕方の電車んなかで一斉に開かれてる「タブロイド紙」ね、あれオヤジのワイドショーだな。あれで、ウップン晴らすんだろーな、多少なりとも。そんで、あれがメディアのあられもない姿だな。いくら「良識」装ってもね。って、不穏なメディア論も後日。
京橋から銀座に向かおうと思って、迷っちゃいましてね。うろうろしているうちにびっくりするような博物館見つけて思わず入ってしまいました。その名も「警察博物館」。みなさん、知ってましたかー、その存在を。そしてね、思いっきり滅入りました。あまりに滅入ったんで詳細は後日。もー、不穏だらけだな。

8月21日(月)
●富田さんの意見を採用しまして、お客様に入場をより「意識」していただくことにしました。と、いってもアンケートの台の向きを変えただけね。しかも富田さんにぜんぶまかせちゃった。それで、入口がちょんびり狭くなりました。
たったこれだけのことなんだけどね。微妙に変わったなー。やっぱり。吉と出るか、凶と出るかって、富田さんのが正解に決まってんだよ。ぜったいにね。
いや、お客さんには明らかに「ストレス」になってる。つまり、ほとんどのお客さんが「そんなつもり」はまるでないまま、まったくの無防備で、入ってくるわけだからねー。
今回の「アンケート」では、初めてあからさまな「反感」も入ったぞ。もち、これも小樽論ね。あと、「疲れたー」ってのもあった。旅の途中の方ね。「ひと休み」のおつもりだったんらしいけどな。「1000枚のまったく見知らぬ風景にどうやって入ればいいんだろ」ってな感想ね。気の毒したかもね。でも、これも小樽論。
さらにもうお一人。これはメールでのご感想。

■見せていただきました。
夏秋さんにも話したのですが、私が方向音痴のせいか撮影地点が南から北とか順番に展示されていたのかな?
自分の頭の中にある小樽の市街図をあっちへ行ったりこっちへ戻って来たりしているようでした。
写真は、撮りたくて撮ったものと、機械的に撮ったものとではこうも違うのかと思いました。無機質です。
ほとんど知らない場所でしたが、知ってる場所(思い入れはなし)も別の顔をしていました。
なんだかとっても暗い、書きたくないけれど死んでる。
同じ視点から見ていても、いいものだけしか捉えていなかったのかな。

小林久見子・小樽市

☆そうですね。私が考えるに「撮りたくて撮ったもの」には、実はいろんなものが刺さっている。そしてそれは全部自分が持ち込んだものなのね。被写体を選ぶ、とかシャッターチャンスを待つ、とかみんなそうゆうことだ。
だいたいみんなわかってくださったとは思いますが、もういちどくり返します。今回の「写真」そのものは「小樽論」ではけっしてないわけ。
こんなんだったのかー、って落ち込んじゃうのも、おっかしいなー、ってクビを傾げるのも、うんうん、って納得するのも、すべて「こっから始まる」んだねー。少なくとも今回の写真、「ウソ」は限りなく希薄なわけだ。どっかで書いたでしょ、ちょっとカッコよく。いま現れる、見たことのない「異貌の街」ってね。ほんと、落ち込んじゃう風景ってゆわれても、そのとおりだもん。仕方ないのね。

私の好きな写真、まだ書いてなかったねー。No.201右上。人の気配のない埠頭。午後4時頃か。雨上がり。曇天。逆光で真っ黒に盛り上がるズリ山?そこに無雑作に打ちかけられた真っ青なテント。

全1000枚のなかでも、1、2を争う「荒涼」ね。でも、これがプリンタから出てきたとき、胸が震えたよー。美しいなー、って思ったさー。

8月19日(日)
●わははは。あーあ……。才能ってねえ。いや、佐藤さんのなー。
私の日記なんて、もー、いいや。かなー。

ちょっと、まじめな顔してゆうけどね。ユーモアの感覚って、欠如した人間、私は「アーチスト」とは認めんぞ。つうか、私が認めようが認めまいが、アーチストでも何でもないな、そんなヤツ。美術、詩人、評論、みんなそうさー。

きのうのNHKスペシャル。難病ってのは、たしかにほとんど「禁じ手」か、っても思うが……。これ出されたら、もう黙るしかないじゃん、っても思うが。それでもな、全身の麻痺が急速に進行して、声失って、瞼動かすこともできなくなって、身体中、どこもかしこもピクリとも動かなくなって二年間だ……。それで脳波の反応を信号音に変換する小型の機械をとりつけたら、「発語した」。二年ぶりに……。奥さんがさ、五十音表をゆっくり読み上げる。あかさたな……。い。ピッ。き。ピッ。た。ピッ。い。ピッ。……。
「禁じ手」だと思うが、一回だけ書いておく。これに匹敵する「詩」。があるか。ってのは疑問形のまま胸に畳んでおくタグイのことだな……。

比較するのもアレだが。同じメディアってもなー。前にも書いたが「国」だとか「NHK」とかゆうだけで、ヘン!って「批判しようとして」みせるバカが少なくないんだが。日テレの「24時間テレビ」。消えて無くなれ、企画者、スタッフ、なにもかも丸ごと。永久に、この世から。

私自身は何年も「夏休み」とは無縁なんだが。何か今頃の時期になると、ワケもなく辛くなってくるんだ。さっきなんか「Google」(検索サイト)で、「さびしい」なんて打ち込んでたよ。あわわわー、だな。これは一種の「トラウマ」だなー。
ちょっと心配してたMajicoのスタッフのほうが、私なんかよりよっぽど元気じゃん。ミナミなんか、タッヒーが仕立てた白装束と、さっき私が作ってやった白塗りの面かむって文学館の前に立っちゃったぞ。バーさんまっすぐ前向いて走って逃げたぞ。知らねーよ。ほんとに「噂」たっても。

つうわけで、来週一週間また東京だ。出張じゃないけど仕事、ってヤツね。できれば旅先から更新する。喫茶店、とか永山、とかがぽろぽろ出てくる、と思う。関心ある向きは、ときどき見てやってね。メールもちょーだいね。佐藤さんとかオトヨさんのページのほうがおもしろくなっちゃいそうだけどさ。

Majicoスタッフに告ぐ。悪サすんなよー。元気に(元気に、じゃなくてもいいけどさ)学校いけよー(ムリはすんなよー)。こんどの日曜日にまた会おなー。

追記;笠井嗣夫さんからの「キャプション」が、たった今届きましたんで、まずここにアップ。モノはすでに速達で届いてますんで、これから展示作業にも入ります。「森田童子ファン」も見にきてね。

■「森田童子を支持する会」会員証No.288

森田童子の歌をはじめて聴いたのは70年代の後半。ライブを聴いたのは、1980年11月28日の夜のことだ。私たちが「世界」に犯されており、しかも犯されている者どうしによる幻想の共有さえもがつかのまの幻想に過ぎないと知ること、それは切ない。森田童子は、この切なさを歌声にすることによって、当時の私の感情を哀切に揺すぶった。

笠井嗣夫・札幌市

8月17日(金)
佐藤さんのイラストにビックリ。絵ってのはあれね。100パー持って生まれた才能ね。
つうことは、児童絵画教室とか、今からでも遅くない油絵入門とか、ザンネンだけどお金と時間のムダねー。絵手紙な……。ま、いいけどね。趣味に口出すのは下等だからな……。しかし、展覧会までやって人サマにお見せするってのはどーかしら。

ついでに言っちゃうと、絵(文章だって何だって実はそーなんだけど)観るんだって実は才能なんだ。「あたくし旅先では必ず美術館に寄ることにしてますの」とかね。いいけどね。「趣味は競馬とカラオケ」ってオヤジと一ミリも「上下」はないのね。いわずもがなだけどさ。カンチガイしてるオバさんとかにはちょっと腹立つわけだ。
文学館にもくるんだよなー。三浦綾子さんの「母」にカンドーして多喜二さんに会いに来ました、とか。いーんだけどねッ。

笠井嗣夫さんから「お宝出品」。メールだけじゃなくてね。モノ送ってくださるらしいぞ。すごいじゃないかー。で、メール全文。

■昨日(15日)、ようやく時間がとれて「小樽論」を拝見してきました。おもしろかったです。四方を写真で包んでしまってもいいと思った。「啄木」や「伊藤整」のパネルなしに。
ついでに、床や天井もくるんでしまったら? って、口でいうのは容易ですが、じっさいにやるとなるとたいへんですしょうね。
ビデオもとってもよかった。しばらく椅子にもたれてぼんやり見ていました。ただ、写真もビデオも雪景色はみんな同じにみえちゃってだめですね。逆にいうと、雪ってそれほど風景に大きな力を発揮しているのかもしれません。

永山則夫のコーナーはよかったです。「無知の涙」の原題が「詩」であったとは・・・・・
小説などはほとんど読む気になれないでいたのですが、すこしずつ読んでみたいと思いました。
地下のほうも体験してきました。そしてあまり怖いとおもえなかった自分がすこし残念でした。「式」を飛ばしてみたのですが、効き目があったかどうか(笑)。

「お宝」は、ひとつだけ思いつきました。森田童子ファンクラブ「森田童子を支持する会」の会員証?288です。ぼくの名前と森田童子の角印も押されているので、レコードなんかよりレアかもしれません。なるべく早くにお送りします(^^;

笠井嗣夫・札幌市

☆「式」を飛ばしたのが笠井嗣夫さんだったとは、メールいただくまで気がつきませんでしたが……。「Majico」スタッフは、「挑戦する気かー。受けてやるー」って息巻いてました……。

こないだうちからメールアンケートなんてのを試みて、けっこう皆さん面白がってくださるのね。それで、思ったんだけど、アンケートじゃなくても、この「日記」にはさ、皆さんからいただくメール、できるだけそのまま載っけようかなー。もちろん支障ありそうなものとか、「用件のみ」とか、極私的なもの(さみしいことにほとんど皆無……)は載せませんよー。

いやね、例の(永久工事中)の掲示板あるでしょ。上のメールくださった笠井さんもご自分のホームページで掲示板設けておられる。そして笠井さんの掲示板は、私なんか節度あるなーと思ってときどき見てます。これは申し合わせておられるわけじゃないんだろうけど、まずハンドル名を皆さん使わず、原則本名みたい。これって、私とっても大切なことのように思うの。このことについては、日を改めて書くけど。あとは、テーマをある程度限定させることね。これも自ずとそうなっているんだろうけど。
それでもね、感情に走ることもあって、いや、これこそが「掲示板」の「醍醐味」なんだろうけど……。直接「カキコ」ってのはなー……。スベルこともあるし、収拾つかなくなることも。もちろん、それこそがインターネットの「自由」なんだけど。
私なんかはね、卑怯なんかもしれないけど、「管理」が辛くなるんじゃないかなーって思っちゃうのね。

それでね、とりあえずー。掲示板みたいに気軽にメールください。どんどこ載せちゃうよ。私のダラダラ日記も飽きるだろーし。では、さっそく。

■メールマガジンに書きましたが、札幌西高の「第九」が終わりました。教育文化会館大ホールの客席を満員にして、感動の舞台でした。まあ、一種の身内のコンサートではありましたが、水準は相当のレベルで、ベートーヴェンさんにも許してもらえるか・・・という感じです。

私が担任した札西高73年卒の連中が、“チュー太会”というクラス会をほぼ毎年、お盆の時期にやっているのですが、結婚してアメリカに永住するOGが4年ぶりに里帰りしたので、彼女の日程に合わせることになり、その前に和子と過ごす時間をとらねばならず、亀井さんの講演は「またテープで」ということになりました。毎月亀井さんの刺激的な話を無料で聞けることに病みつきになっているのですが、休んでもテープで聞ける、そしてそれが500円という小樽文学館ならではのサービスも凄いと思います。

札幌のマンションは高くて買えなかったので、この山奥のマンションを買ったというに過ぎなかったのですが、図書館さえ検索ネットが出来ていない小樽の文化の遅れ具合を嘆き、そして何よりも福祉の水準の低さが身に応えていました。和子の、心と体の生命全体に関わるので。その小樽で、こんな出会いが出来るとは思ってもいませんでした。合唱もそうだけれど、もはや本を読むことが不可能になった和子の分と2人分のつもりです。

私は元・ライブラリアンなので、札幌市と周辺の江別市・石狩市・北広島市などがネットを組んでいる時代に、資料検索のシステムさえ出来ていない小樽市図書館の現状を、「21世紀のことか」と嘆いています。

後藤治・小樽市

☆後藤さんのメールマガジンというのは重度のアルツハイマー症と闘っておられる奥様の介護、というより二人三脚の生活記録なんですが、壮絶にして清冽、です。後藤さんのホームページをぜひご覧ください。

■文学館見させてもらいました。スライドショー・マジコいいですね。音楽も以外と合っててよかったです。又々会場の工夫について少々。お客が破ってくめくりですが実際やっていかない人が多いみたいで何か良い工夫ないでしょうか。
例えば、客に中へ入る事を意識させる為簡単なゲートや鉄道の改札みたいな物を作りその前に注意書きを置いとく。

富田幸司・小樽市

☆富田さんはこの日記とかスタッフノートみてくれてる人にはもうおなじみの「小樽論・1」の実質的リーダーね。ケータイメールの字数が極端に少ないので、分割して送ってくれてます。でも、途中の1個なくしてしまった……。ごめんなさい。でも、そのなくしてしまったメールの提案は採用したからね。それで、この入ることを意識させるってヤツ。私も思ってはいるんだけどね。お客さんて、最初からシイられるのってどうなのかな……。まだ迷ってます。ご意見ある人はぜひどうぞ。

こんな調子でいきますからね。無断でメール載っけるなよーって人は、遠慮なく文句いってください。今後ともよろしく。

8月12日(日)
●どうも「Majico」で、いっぱいいっぱい、だな。「まじ怖日記」読んでけろ。

8月10日(金)
●なんかMajico(まじ怖日記)と行ったりきたりだけどー。Myお宝展で、石の出品がさ、3人目で。
なんか石づいてるじゃん。一原さんのときから。えっ、石って売れるんですかー、からね。
で、だんだん私も石っていいんだなーって思い始めた。少なくないんだね、石がいいんだよーって人。

でも、私、石に泣かされるとは思ってもみなかったな……。Majicoと行ったりきたりで申しわけないけど。ミナミの出品だよ。筆入れ一杯の石。さらにさ。「書いてない」キャプション。

あーあ。文学展、って。文学館、って。フシギだねー、ほんとうにさ。

8月5日(日)
●えー。きょうは私の誕生日。何のカンケーもないが……。48歳だ。何のカンケーもないが。
まず、訂正。スタッフ出品物のうち、「ウマのチンコ」は「ウシのチンコ」の誤りでした。謹んでお詫び申しあげ、訂正いたします。って、いっそう意味不明だ。見てもさらにコンランするだけだぞー。

そいで、スタッフからの出品は、つぎのごとく相次いでおります。

珊瑚
20才の時、初めて沖縄に行きお金がなくておみやげ何にしょうとおもった時、海岸に珊瑚のかけらが無数にうちあげられてたので20コ位拾ってきて友達にわけてあげた。その残りの3コ


(出品者) 富田幸司・小樽市

アンコウのあごの骨
職場の仲間とアンコウ(キアンコウ)を買ってきて鍋を作った(それも実は仕事時間中から解体=フワケをはじめた)。臭いと言って1人、2人と消えていった・・・。鍋は完成!うまい!食べる時には全員がいる。食べてしまったアンコウの「なれのはて」記念に鍋の中からひろいあげた骨・・・。


(出品者)田中真理・小樽市

トラウマ
このジャージは、僕が小学校6年生の時に買ったものです。中学、高校と部活のときなどにもずっと着ていて、高校卒業後も漁師としてがんばる僕を暖かく包んでくれた。このジャージを見ると日本海の荒波どころか様々な精神的苦痛を思い出してつらくなります。
しかし、君がいるから僕がいる。
ツナギ(ゴムガッパ)の肩の線が痛々しいです。(日焼けによる)


(出品者)佐藤寿夫・小樽市

人生のヒサンとコッケイが滲みますねー。

メールで、さらにお二人ご出品。

私のお宝は20年前、羊蹄山〈1893m)に登ったときに記念として頂上で拾った石(セピヤ色、4.0cm×2.5?)です。それが最近、気が付いたのですが母子象にそっくりなのです。
母親が子供を抱いている姿なのです。左腕のようなものも浮き出ています。20年前の時は何の変哲もないただの石だったのに本当に不思議な石です。捨てることはできません、正に私だけのお宝です。


畑山栄作・小樽市

・大事なもの
一週間考えました。大事なものは、家から自立して以来数十年、ずっと生活を共にしてきた洋服のハンガーや学生時代から使い続けてきたほうろうの鍋、姫鏡台、そうしてひょんな事から一緒に暮らしている猫。気がついたらそこにずっとあったことに感謝しています。
・小樽の大事なもの
これはお勧めスポット。祝津の燈台の西側の絶壁。トド池が一望、特に冬が好きです。ただし、ひとりで行くと、自殺志願と間違われてしまいます。ある冬の日に振り返ったら、何人かが固唾を飲んで固まっていました。あの時の私と皆の距離は三歩くらいかな。以来、必ず友人と行きます。


藤田美保子・札幌市

メールでのご出品、さらにさらにお待ち申しあげます。

8月3日(金)
●何かずっと雨だな。雨の日は心落ちつくのだが、落ちついている場合でもないな。
東京国立美術館からきたポスターと案内状、「1930年代日本の印刷デザイン─大衆社会における伝達」って展覧会。いいなあ、過激だねえ。国立、いま逆境なんだかもしらんけど、いいなあ、毅然としてるねえ。案内状一枚でもそれがビンビン伝わるよ。今月20日くらいに東京行くからさ、見てくるよ。ぜったい、いい展覧会だ。「プロレタリア美術」とか「アヴァンギャルド」とか「新興芸術」とかゆう「歴史用語」に納めときゃ「無難」なヤツを、あえて「大衆社会における伝達」ってキーワードで引きずり出しちゃった。「NIPPON」てタイトルの表紙に大アップになってるのは「ヒロヒト」だろう。それとウチじゃおなじみのガリ版ビラ「土地をモギ取って小作人をヒボシにせんとするゴウヨク地主をブッ倒せ」ってのを並べてしまうなんてレイアウトができるのは、これをキーワードにしたからだな。やるもんだなー。
前にちょびっと引用した某道立美術館の学芸員さん、ひたすら国の文化政策の貧困を嘆いておられたが、ついでに国立美術館の「高踏」を批判しておられたようだが、あんたんとこから半年分の図録ドサって送られてきたけどさ。「国立」の足もとにも及ばないな。半年分の、あいかわらず豪華な図録がさ、ハガキ一枚に負けてる。今「廃県置藩」論てのがあるらしいけど、チラッとよぎったぞ。「廃道」ってのが。この国が、じゃなくて、この地方がまっとうになるためにはさ、これしかないんじゃないかしら。「廃道」。

で話題はかわりますが、「MYお宝展」あいかわらずケースは空。いい度胸だねえ、で、メールでの「出品」はポツポツと。じゃ、まいります。

札幌出身の大黒摩季「ら・ら・ら」は札幌ドームのオープニングで歌われたそうですが,彼女がこの歌のテープを送ってくれました.久しぶりに「突き抜ける快感」が味わえました.噛みしめれば元気のエキスが充満しました.水や空気や食べ物のように必要不可欠ではないにしても,生きて行くための勇気や夢を与えてくれる歌じゃないかって.

某写真評論家がかって,「無人島に持っていきたいカメラ」について論じたことがあります.カメラと言ってもフィルムや現像はどうするのだ,なんて今は言わないこと(笑).最低限生き残れることがわかっているのなら,あえてそこに現実を持っていく必要はありません.夢や元気を与えてくれる物こそが,命を支える宝物になりうると思います.映画「キャスト・アウェイ」の中でトムハンクスが最後まで最愛の友人として行動したバレーボールの人形(Wilson)は,まさに彼が生涯で巡り会った最大の宝物だったのではないでしょうか.

仕事なんか辞めちまって写真を撮って暮らしたいよ〜.そう言いたいほど写真キチガイの私.もし無人島にひとりぼっちで暮らさなければならなくなったとしたら,何を持って行こう.大好きな音楽の入ったテープと,この手に馴染んだカメラ.やっぱりこんなものが私の宝物と言えるかもしれませんね.

原 一夫(札幌市)

私はあまりものに執着しないし、写真とかもすぐどこかへやってしまうし「もの」に固執するとなかなかイメージがわきません。小樽論・1のページで写真が載ってましたが東京に出ていった私にとってなかなか手に入らないお宝は「雪」ですね。
雪そのものというより、真っ白になった風景、冷たい空気、などなど体感としての冬が恋しくてたまりません。東京にいると季節感が狂います。3季しかないんです。春、夏、長い秋。弟も同じことをいってました。道産子の証拠なんでしょうか。
けれど、本州出身で札幌で働いている人にそのことを言うと、それは逆。北海道の方が四季が無い。長い冬、あとは駆け抜けていくだけ。と言われました。東京に来てはじめて冬の存在感を痛感しました。

文学館の活発な活動をHPからみているだけでもいつもすごいなーと感心しています。MAJICO展もみんなでの協働作業が楽しそうでいいですね。私がもう少し(?)若ければ、絶対にウメズカズオの漫画を押してました。ベタですが。
洗礼はかなり強烈な印象を残しました。それ以来、神の左手悪魔の右手、漂流教室と読んでいきましたがやっぱり最高です。小学生の頃エコエコアザラクという漫画をいとこからもらって(欲しくなかった)本棚にあるだけでも恐怖を感じていたのに今読むとなんであんなに怖がったのか不思議なくらいで笑っちゃいますが、ウメズカズオ漫画は今読んでも面白い。怖い漫画じゃないけれど、「私は慎吾」はかなりよかったです。愛の物語です。

「愛」といえば、森有正の「パスカルの愛の構造」は私のお宝本(論文)と言えるかもしれません。あとやっぱり、坂口安吾の堕落論でしょうか。今村昌平監督のカンゾー先生もよかったです。文学館で知った小熊秀雄の岩波文庫の小熊秀雄詩集をみつけたときはそく買いましたが、やっぱりよかったです。なんだか北海道感覚を感じるんですよね。あまり、北海道を特殊化したいわけじゃないんですが。

吉田暁子・東京都

お二人とも、書いておられましたが、やっぱり難しかったですね。考え込んでしまうんだな。で、ウチのスタッフのキャプション(これはジツブツを出す予定)

黒岳の石
昭和50年頃、初めて旭岳7合目から黒岳5合目まで縦走した時、最初で最後だろうと思い記念に小石を拾ってきた。いつも我が家の食器棚にいます。


(出品者)山崎和子・小樽市

ウマのチンコ
引っ越したとき、大家さんが引っ越し記念にくれた。これ、どーするべ。たしかに珍品だけどさ。殿方にとっては宝だよね。もちろん姫君にとっても。。。きゃっ。これは、myお宝というよりも、チンコの方から「お宝だよ」って自己主張してきたので、チンコでなんですがお宝ケースに入れさせていただきます。


(出品者)千葉乙代・小樽市

しのぶ
しのぶがなくても眠れるんだけど、あったらあったでもっとよく眠れます。小汚いミッキーに見えるけど、この小汚いかんじもいいです。ぬいぐるみなのにいつも舌と鼻が濡れています。目は向こう見ずなかんじで色気さえかんじとれます。


(出品者)石原ゆかり・住所不定

一合升
FMおたる・小学生作文発表で次男坊が「うちのとっちゃまは、おケチです。どうしてそんなにおケチなの!それと、オイラをつかまえて枕にします。やめてくれ」とON AIRしました。その時に貰った粗品がこれです。恥ずかしい、うれしい、・・・・
数年前の父の日のこと。


(出品者)和泉敏夫・小樽市

わははは、あーあ。どーお?スゴイでしょ、ウチのスタッフ。この脱力。
メール出品、まだ受けつけますよ。こんな調子で、ぜひご参加を。

8月1日(火)
●小樽論・1関連アンケート(メール編)第2弾、「私のお宝」は、ちょっと不発だったかも……。でも、4人ほど返信くださって、それはとってもいいものだったから、使わせていただきます。まずここにもアップ。じゃ。

私の宝物は「ブロンテ全集」。「全然読んでない」「本棚を占領して邪魔」とさんざん主人には馬鹿にされつつも、絶対に手放したくない品物。中学生の時に大感動した「ジェーン・エア」以来の夢でした。
お父さん!夜な夜な納戸でしゃがみながらページをめくる私の姿を知らないな!


神奈川・服部浩子


「藤枝静男著作集」全6巻(講談社)
当時高校生だった私には相当高価な本でしたが、著者が、この著作集の全てに署名を施した形で出版されたことに対し深い感銘を受けました。この作家の妙に意固地な雰囲気が未だに好きなのです。今は、誰も読まないですねぇ。中野と小林勝と藤枝静男は一生読み続けますよ。私は。


札幌市 斎藤


自分自身です。そして自分の来し方です。
由来。すべてはそこから始まりそこで終わるから、でしょうか。これ以外の回答があるのならば、あり得るのならば教えていただきたいものです。それこそが私の「お宝」になるかもしれませんから…実は真剣に探しています。


津市 玉川


私のお宝は「ハマジルのビデオ」です。「ハマジルとは戦後、進駐軍によって踊られたジルバが全国的に大流行していた頃、横浜の若者たちは彼ら独自のジルバを考え出していた。それが横浜ジルバいわゆる浜ジル」・・・ビデオの解説から。
5年ほど前に社交ダンスを始めました。しばらくたって友人のパートナー(リーダー)に少ししか分らないけどと言って、ハマジルを踊ってもらました。スッテプが楽しくて面白くて習いたくて、ダンス雑誌に載っているハマジルサークルを探しました。見つけたのが大沢勝重先生。初めて会った時、一瞬、ヒルミました。だって会った事もない雰囲気の人でした。真田広之に似ていました。サークルの帰りに偶然に先生と二人だけになりました。同じ方向に帰ると分って、いっしょに帰りました。それからの事は夢の世界でした。その先生が製作したハマジルのスッテプを解説したビデオが私のお宝です。
仕事を辞めて三年になります。35年勤めました。家と職場の往復でした。大沢先生との思いでは神様が下さったと思っています。


小林美佐子


「お宝展」はやりますよ。まずおまえが出せよーってね。だよね。えっと……。やっぱり考え込んじゃいますね。何だろー……、何もないかー、なんて。
で「お宝」なのかどうかわかんないけど、何かいつも持ってなきゃなんないようなモノ、それを置いていったらヨクナイようなもの……。ありました。二つ。
一つはね、こりゃバカにされるよな。しかたないな……。私のツレアイがね、私と結婚するまえに作ったマスコット人形。ちゃっちいやつね……。これをワタシだと思ってって……。いまはツレアイ自身が、なにそれ、まだ持ってんの?てなヤツだ……。で、さすがにこれは「出品」できない……。

もう一つ。これは出します。永山則夫の遺品の時計。獄中の永山則夫と結婚し、故あって別れたMさんから私に託された。H新聞社のSさんに渡してほしい、以前からの約束だったからって。
私はMさんにいわれたとおり、Sさんに渡した。Sさんは、その時計しばらく見つめていたけれど、私に返した。「これは玉川さんが持っているほうがいい」「玉川さんの十字架でしょう」って。
私はSさんのいう「十字架」の意味については、考えない。考えないようにしている。でも受け取りました。私がいつも身につけている小さなカバンに、それは必ず入っている。

こんなの出しちゃったらあとが続かないか……。でも富田さんのサンゴとか、山崎さんの黒岳の石、とか、あとMajicoスタッフもね、あした持ってくるって。いろいろ集まれば、いーなー。