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2月28日(木)
●喫茶店展だが、その後の進展はねー。和田さんのマッチラベルはやっぱりK書店さんにはないようだ。古書市のときに売っちゃったんだろう。やべーなー。沼田さんとかクサカベさんとかから電話あったら、どうゆおう……。
「そのかわりというわけではありませんが、」とK書店さんから石狩のお寺さんを紹介していただいた。高木さんてお坊様でね。マッチラベルだけでなく、ポスターとかタバコの空き箱とか何でもかんでも集めるのが好きな方らしい。さっそくお電話しましたらね、3月6日までとても忙しいので、その後だったらということでした。ちょっと忙しげにドモる(禁止語?)方だったが、お経とかお説教になるとスラスラになっちゃうのかしら。マッチラベルは50枚ほどだけど、みんな昭和初期みたいよ。楽しみですね。
マッチといえば、仙台市の、はたけやまあけみさんからつぎのようなメールをいただきました。
興味深い催しがたくさんあって、こちらは仙台なので、離れている身の上としてはうらやましい限りです。
そのうち、また小樽に行きたいと夫婦で話しています。
そのときには、文学館に必ず寄らせていただきます。
さて、メールにありましたマッチ箱の件ですが、まだ集めていらっしゃるのですか?
また、道外のお店のものでもよろしいのですか?
このマッチ箱の企画もなんだかおもしろそうだなぁ。
わたしのもっている喫茶店のマッチは何個かですが、よろしかったらお送りしますが。
うれしいですね。もちろん、まだまだ集めたいのです。道外でもぜんぜんオーケーつうか、これね、けっこうおもしろいんじゃないかしら。ひょっとしたらさ、その街では喫茶店のマッチ? だいたいおんなじよーなもんでしょー って思ってたら、ヨソの街の喫茶店で、えー? 何これ? こんなマッチって、あり? ホワイ? なんてね。
いろんな街のマッチ集まったら、いいな。喫茶店そのものがそうだけど、マッチ箱ってコレクションというには何かいい加減なとこあってね。そのつもりなくても、いつのまにか集まってた、とか。引っ越しするときメンドーだから捨てちゃったとか。
執着しないとこがいいの。執着の対象じゃあないからさ。だからー、ちょっとセンチにもなるんだ。オレはすきだな。こうゆう淡白な抒情つうの?
キコキコ商店の奥様がゆってらしたが、マッチを摺ったあの硝煙の匂いね、あれにも色んな効果があるそーよ。あれもいいね。小さい爆発、小さな炎。小さな暖。「マッチ売りの少女」は薄倖で。寺山の「マッチ擦る束の間海に霧深し身捨つる程の祖国はありや」は、ワタシよかちょっと上の世代には胸に来るものあろー。ま、さすがに恥ずかしくもありますが。
館内で火はだめよ。ウチは展示室も談話室も境界ないんだからさ、あえてそーしよーとしてるんだから。火はダメね、残念ながらマッチも暖炉もタバコもね。
そーそータバコ。ワタシもタバコ捨てて20年。何のー未練もないが。紫煙の、とか、くわえタバコで、とかの「スタイル」も、あ、そー、てなもんではありますが。
そんな冷淡なワタシでも、うむ、喫茶店でタバコ吸えないのは悲しーなー、ってその気持ちはわかるわかる。で「光」のレジカウンターに置いてあるこれはなーに? 開店五十周年の記念タバコ? えっと昭和8年開店で、じゃーこれ昭和58年製じゃん。
「賞味期限かなり過ぎておりますので」「吸えませんが、よろしいですか?」はッ。微妙に。いいなー。喫茶店展でも、やろーかしら。「喫茶店なのにタバコもないの?」ございます。ただし賞味期限かなり過ぎておりますが……。100円でしたよ。
この逸話からも分かるよーに(わかんねーよ)、ワタシ最近毎日のよーに「光」に通ってるの。勤務中にサボってるのね。違う! 仕事じゃ! 別にそんなコーヒー好きじゃねーし。喫茶店好きじゃねーし。じゃ、なーぜ? ご主人に会うためよ。だってさー、電話でも忙しくてダメだってゆわれるし、いつぞやは居留守使われた気がするし、もーその場でとっつかまえるしかないじゃない。で、4連敗。お二人ないし三人のウエイトレスさんだけ。
ひょっとして、ワタシ、ばか?
子供のころ、今でもあんのかな、学研の「〜年生の科学」っての買ってまして。あれの付録ね。試験管とか鉱石標本とか、ま、ちゃっちいね。でもとてもとても楽しみで。あれはオバサンとかオジサンが配達してくれますじゃん。で発売日が近付きましたら、毎日家の前の道路に立ってさ。オジサンが来るはずの方角を。ウチの親父は「雲をつかむようやな」とかゆってましたが。でも親バカね。見かねてときどき取りに行ってくれましたよ。学研のオジサン宅まで。
その家の前の道路で、8年前になるかな。2月15日の夜だったな。親父はバイクにはねられて死にました。無教養で死ぬまで小さい八百屋でね。でも、親バカ。
あらら、こんな話のはずじゃーなかったのに。
2月26日(火)
●仕事つうより。やっぱり遊んでいるよな。どうみても。
ケンブリッジ大学のコーヒーメーカー以来さー。ライブカメラってやりたくてしょーがなくて。で、あっちこっち検索かけてね。ライブやってるサイトもね。
駄菓子菓子(「中学生日記」のユリねえのパクリだ)。おもしろくねー。なぜだかおもしろくねー。
やっぱ、ねらってるからかな。あとあれか、みるヒトのココロもすがすがしくなるよーな画像とか、ってみたくねーよ、そんなもん。
いくつか条件ありだな。おもしろいライブ。まず、不特定多数の出入りあり。だから、某事務所に置きっぱ、とか、まして個人のお部屋なんて論外ね。女子大生U子さんのお部屋の生ライブなんてのは、「趣味の世界」か。ペットちゃんも、まー好きなヒトはご自由に、だ。そんなつまんねーものに何で執着するのよ、だけどさ。おもしろいの、あると思うんだけどなー。おもしろくないのは、見せてー、が先に立つからだねー。ホームページ全般にいえますがね。
ケンブリッジのコーヒーメーカーなんて、ほんとにアタマとセンスの勝利だなー、って思うが、長門市役所の駐車場なんてのもね、あれは役所の窓際でさ、ときどきアクビしながら、ちらっちらって、外眺めてる感じがおもしろいのね。
で、けっきょく、この二つを超えるのひとつもねー、って、しつこくやってたら、あった。ついにあった。これは!何だか技術的にもすごいし。それに、なにより、おもしれー。いちおうラーメン屋のPRなんだろうが。ちょっとスレスレだな。ケンブリッジにくらべるべくもなく、知性も品性も落っこちるが。でも。あきねえ……。
いくつかの要素がある。
まずラーメン屋であること。昔寺山修司がゆってたような気がしますが、カレー屋とならぶ日本伝統のファストフードであるけれども、ラーメンはどこかアナーキー、どこか鬱屈。どこか過激。
二番目。場所が歌舞伎町、および池袋西口。背景嵌りすぎじゃん。戸口開いて、誰入ってくんのよー、って(この店、ホントに、「池袋ウエストゲートパーク」のロケに使われたんだと)。微妙にまばらな客の仕草と、外の暗さが何ともいえねー。嶽本野ばらさんの小説パクって「この世の終わりという名前のラーメン店」ってつけたいくらいだ。
例えばよ、この身ひとつで長旅に出てさー、ラトビアかどっかのちっこい町の片隅で、そこのぼろホテルにどういうわけかウエブの端末だけはあって。そこでこのサイトを見つけたと想像すると。もー嗚咽もんだろう。って、べつに想像することもないが。
坂本龍一あたりがさー、世界のトップアーチストと手を組んで、ネットでラブアンドピースの大イベントなんて、おもしろくもおかしくもねーが。
うーむ。ラーメン屋とは、してやられた、って誰によ。
とゆうわけで、ウチもライブカメラをやってみました。リクツも何も分かんないのだが、「やり方」のサイトを参考に(マックは少ないんだよねー)、もっともカンタンに、かつ安あがりな。
ライブカメラって機材とソフトで総額ン百万円、って。えっと、ウチはヨドバシで買ってきたYahoo!デジカメって2000円!? クランプ・ホルダー、ってもけっこう高いなー、で、100円ショップのビッグクランプと、壊れた三脚のアタマくっつけちゃった。あとソフトはみんなフリーね。
こうやって、ああやって、わけわかんねーが、あれ出来ちゃった……。
ま、ね。他にルイのないお粗末で、失礼。「中学生日記」のプリクラ貼りのほーがずっとおもしれーじゃねーか……。
つうわけで、ライブでポン。もっともワタシがここに座ってるあいだしかやんねーよ。
2月24日(日)
●きょうはもうひとつ。
「言葉、その2」が終わってからだが。
「言葉」をめぐってのメール、一通だけ届いた。
言葉。
卒業以来、編集者として、コピーライターとして、一貫して言葉と関わってきました。
いま、日本語教師への道を模索しつつ、
あらためて、言葉(日本語)と、主体的に関わっています。いまさらながら、「言語にとって美とはなにか」など読み返しています。
おはずかしい話ですが、この歳になって初めて、学ぶ楽しさを実感できました。学生時代にこの感覚を持つことができたらと、後悔しきり。
日本語母語話者にとっての日本語。
第二言語としての日本語。
外国語としての日本語。
さらに、文学における日本語。考察すべき課題はつきません。
学生時代に戻りたい。
そして、その当時から主体的に言語と関わりたかった。
そんなことを思う、今日この頃です。
清水
うーん、と、思う。
清水は、ワタシの学生時代の数少ない友人の一人だ。数少ないというのは文字どおりそうであって、辛うじて友人か、といえるのは、女性含めて4人か……、つうくらい。少ないけども友情は熱く濃く、なんてんじゃないぜ。つまりワタクシ以外の3人は、それぞれワタシなんかよりずっと交友は広かったろう。みんな明朗で活発だった。だからこそ、ワタクシなんかにも声をかけてくれたんでもあろーが。
友情論なんかぶつつもりはもーとーねえが、それでもワタクシはじつに助かったぜ。やっぱり閉塞するってさ、内向するってさ、カラダにココロにいいわきゃねー、窒息すんぜんだったかもしんねー。
だから実感としてはさー、彼らが通路を開けてくれた、って思える。ワタシと外界との。
そんなかでも清水はね、まったくベツの世界の男、だったな。くったくなくて、やさしくて、何をやってもスマートにこなしたからさ、性別とわず友人の輪の中心にいつも、って感じだった。ワタクシなんか相手にも、たまにではあったが、遊んでくれたさ。
卒業したら、さっさと上京して、広告代理店でしばらく苦労はしたみたいだが、数年でコピーライターで独立できたってきいた。ほんのたまに、東京で会ったけど。正直、眩しくも、あったな。
ただそういう業界だから、バブル、バブル崩壊、景気低迷ってのは、仕事を直撃するってのは容易に想像できるな。まず地方公務員あたりとは対極の世界だろう。
ずいぶんしばらく会ってないが、いろんなことはあったんだろうと思う。
日本語。日本語との格闘。
まだ広告代理店に勤めていたころだと思うが。一日中、エンピツばっかり何本も削ってさ、何にも浮かばないんだ、って笑ってたな。
学び直したい、なんてことをいいそうなヤツじゃなかったからさ。学生時代に戻りたい、なんてことをいいそうなヤツじゃなかったからさ。
生涯教育とか社会教育とか、だっせーなー、とかずっと思ってたんだが……。何かずっと回り道して、アリかな、って最近思いはじめてるんだ。こんどはマジだ、自分が何をやってきたのか、マジでわかりてー、って。アリ、だろう。きっと。
2月24日(日)
●ひさかたの、か。光のどけき、か。
とっても静かな日曜日だが。中学生はやってくる。中学生とワタシの距離感は絶妙で、ちょっと遠くから聞こえる会話に、耳を傾ける必要もない会話に。ワタシはときどきウトウトするよ。
「ゆきずりの朗読」はね。わざわざ、そのために、くる人も。さきほどの方は、きのうこのステージをご覧になって、ちょっとためらってしまったとゆうことで。きょうは、もう朝からそのおつもりで。そのためのご来館。
事務長は、驚いたな、とゆっておりましたが。ワタシにはさほど意外ではございません。表現の喜び、はこれはすべての人に共通するだろう。そのための「設定」をつくることはね、そんなに難しいことではない。
中学生と反対の方角からは、バイエル? ツェルニイー? ややたどたどしくポロポロと。さきほど、美術館とまちがえて入館された奥様? そっと伺いましたら、おやお顔が真剣に。じゃましないでおきましょーねー。せいぜい10分、12、3分。ひょっとしたら女学生時代にタイムスリップ?
そっと席にもどったら、怜奈ちゃんのカン高い声が、「中学生日記」アップしといてよー。はいはい、と。コウジはどこのオヤジと語ってるのよ。マジック談議か。「すごいねー、おにーちゃんいくつ。オジサン、51歳。36歳もちがうんだねー」オヤジ、さっきは翔子ちゃんに東大安田講堂攻防の話しかけてたな。さすがに相手にしてもらえなかったよーだが。おねーちゃん、オジサンがみんなにごちそうするよ、文学館のコーヒー。
はッ?
さっきタウン誌編集の下請けやってる川田さんが来て、むずかしいですねー、ニーズにこたえる、って……。こないだの、「言葉、」のシマダさんの話おもしろかったけどなー、ああゆう話、若い人もおもしろがるとおもうけどなー。中高年には中高年のための、ってどうしてもなっちゃいますよねー、って悩みのようす。
そうねー、まー、うちははからずも、って、もちろんすんげー図ってんだけどさ。
うーん、あとはついつい夢中になるピアノとか、朗読とか、きみの手品はすごいねー、とか、きたきた、あれッいつオチたの?(チャットね)とか、と。何ですかッ、この文学館は!私は小林多喜二さんと静かにタマシイの話をしにきたのッ、ってお客様との調和をどのように、したら、いいか、と。
これでも展示室のかたすみでひそかに悩んでいるこのワタシだ。
ピアノの奥様がお帰りに。「教則本手にとったら、何だか懐かしくて」やっぱり。「ふつう手を触れないで、のはずなのに、ご自由にどうぞ、って書いてるので、あら、ちょっと、のつもりで、ついつい」やっぱり。
安物でもコーヒーの香りはそれなりに。オヤジはカップ片手に翔子、コウジと対話が弾む(えッ?)。オヤジの休日とバレンタインデーの手作りチョコと宮本武蔵の戦法と受験の心得、はッ?何でこんな対話がはずむのよ。
うーむ。何て文学館なんざんしょ。
2月21日(木)
●いつか書いておかなきゃなー、って思ってたことがあるんだ。「日記」に書くにゃーちょっと重すぎ、だし。アタマんなかも整理されてるわけじゃないんだけども。
でもきょうは2月21日だしな。昨日が命日だ。小林多喜二の。
タイミングとしては今か。で、とりあえず覚え書きみたいに書いておく。支離滅裂に書いておく。
先日、紀宮が文学館に寄られた。それはプライベートな旅行ということであって、警備も過度にならず落ち度はありえず、というたいへん難しいことだったみたい。
こうした皇室の方がみえたとき、どーするのかなー、って気になることはないか?
いつの時代だよ、カンケーねえじゃん。か? でも、私は気になる。ずいぶんムカシの話だが、当時の皇太子夫妻、現天皇皇后両陛下が館にいらしたときも、私は気になった。
小林多喜二だ。だってさー、小林多喜二は特別だろう。「特別にしてることがアヤマリなんだよ」って議論はとりあえず置いておく。アヤマリだろうがなかろうが、今の小林多喜二という作家の見られ方、そして見せ方は特別だ。そしてその特別の見せ方をしている「お先棒」がまさにウチだ。
あらためていうまでも、書くまでもないんだけど。「虐殺」だぜ。「怪死」って新聞記事とか、通夜にあつまった人たちの香典控えとか、それに「遺体の写真」だぜ。「(虐殺の証拠としての)デスマスク」だぜ。
私は、紀宮がこられると聞いて、一箇所だけ展示を変えた。念のためにいっておくけど、誰にいわれたわけでもない。ほのめかされすらしてねー。でも変えた。この機会に、ということでもあった。
「遺体の写真」だ。裸にされて表・裏。下半身に着用しているものはおそらく後で手を加えられたものだろう。全身傷だらけ、下半身は内出血して真っ黒に膨張、って写真の惨たらしさよりも。私が立ちすくむのは、そうやって死体の写真を撮影した、というその事実の前にだ。憤怒、ということがあろう。背中を裂かれるような悲痛、ということもあろう。中野重治の「雨の降る品川駅」のラスト、その原詩とささやかれる形をも思い浮かべる。
これは、はみ出しているんだ。人間の域を。ニンゲンじゃないものに対して、人間の域で抗することはできぬ、かも知れぬが。それでは終わる。何もかも終わる。
「この機会」にはずした。いつか、また出すかも知らぬが。「出す必然」を覚えたときにだすかも知らぬが。
もういちど念のために断るが、だれにいわれたのでも、ほのめかされたのでもない。でもさー。私は想像する。想像せざるをえない。その方、が、それ、をみたとき、みせられたときの胸中を。宿命、ってことがあるだろう。そこ、に生を受けたということだ。
でもそれは辛いだろう。その辛さは、誰の比でもないだろう。ゆいいつ、並びうるのは小林多喜二の「肉親」だ。ついでみたいにいうのはなんだが。私ゃ「天皇制」というものが今なお存在する、すべきだという「納得できる説明」にはお目にかかったことはないぜ。それとこれとは別だ。聡明で、床しさを自然のあり方として振るまうことのできる、「ふつうに素敵な」女性が、その生まれゆえに、どうしてこんな理不尽な悲しみを、痛みを、突きつけられねばならんのだ、ってことだ。
出すべきじゃないのさ、晒すべきじゃーないんだ。じゃなぜ出すか。こんな「凄いもの」をなぜ出せるか。
ウチが「文学館」だからだね。「文学館」だから免罪される。なぜ免罪されるのか。
こっから乱暴にゆってしまうよ。「歴史」にしちまえるからさ、あるいは「メロドラマ」にしちまえるからだ。正視できるはずのないもの、を、ゆってしまうぜ、「安心して、怒り、泣き、感動できるもの」に変容できるからだ。
「文学館」だけじゃねー、美術館、そして博物館の「負わされたもの」。「後ろ暗いもの」。見えてきた!
オレはねー、東京の京橋を通りかかったとき、妙な博物館を発見した。妙ったらわりーか。いや、すんげー名前の。「警察博物館」。入ったさ。あッ、って思ったんだ。
入館無料だ。この名前は微妙に違和だ。正確にゃ「警視庁博物館」だな、でも「警察の本質」には違いねーのかもしらん。
無礼非礼を省みずいう。ひでー博物館だった。急いでゆうが「警察機構への批判的……」なんてレベルじゃないのよ。博物館としてのカタチをなしてないんだ。
かえって興味もつ向きもあろーから。ここだ。何だか笑うこともできないんだが……。このヴァーチャル、ってのが、うーん、よくできてるっつうか……。いや、褒めてるんじゃなくて、雰囲気を伝えてるのさ。あの、底なしに滅入る。
矛盾したことゆうようだが。オレは直覚的に理解したぜ。「警察の本質」を。この博物館の体をなしてない博物館で。体をなしてないからこそ、だとも思うが。
冒頭、いきなり立ちはだかるのが初代警視総監、大警視ってたらしいが、川路利良つう人物だ。その大礼服が飾ってあるんだが、顔も身体も底の知れぬ闇のなかに沈んでいるように見えたぜ。
この時代のこと、やったら詳しい、かつ大好きな人少なくねーみたいだから、そこの展示で囓ったこと臆面もなく並べるのも恥、ってもんだろーが。
要するに西南戦争、だろう。ここから「近代日本警察」が生まれた。この戦争にはせ参じたものの多数が、身命を賭して帝都-日本を守るべき「警察の手の者」だったらしい。西郷を信奉する旧薩摩藩士だ。それを川路率いる警察隊が殲滅した。徹底的に叩いた。
どちらが「正義」か、じゃねえ。「正当」をこのとき力ずくで創っちまったんだ。身内どうしを切り合いさせて。血まみれの抜刀でさ。「賊軍」の文字が目にささるぞ。西郷斬首の錦絵をみたか。こうして「国家の正義」が創られる。血まみれを経て創られる。稚拙、乱暴な展示だからさ。だから足もとよろめくほど、こっちに襲いかかる。
誰がこんな展示やったんだ。それから延々と「武器」「凶器」だ。警察が「鎮圧」に使う、あるいは「犯罪者」が使用した。それから……、思い出しても沈んでゆくぜ。「殉職」だ。延々延々と殉職警察官の遺品。「あさま山荘」だけじゃねえ。こそ泥の襟首つかんで、ふり向きざまに刺された警察官の血まみれの制服とか。で、いきなり殉職警官の御霊を祀る神社の祝詞だ……。気が変になりそうだぜ。むちゃくちゃじゃねーか。
あのなー、露骨に出すなよ。少しは演出しろよ。エレガントにジェントルにさー。「警察博物館」だからさ。「警察博物館」だからこそ、「糊塗」しねーと。それは「国家の威信をかけて」糊塗しねーと。
あー、また立ち返る。ウチに立ち返る。
じゃああ。訊ねる。「小林多喜二の遺骸」と「殉職警官の遺骸」とどこに差異、がある? 20字以内で答えよ、か……。
2月19日(火)
●おとといの「言葉、その2」に来てくださった杉の目和夏さんからメールをいただいた。
昨夜の「言葉、その・・2」・・・、とてもよかったです。
市民の方々の参加、小樽は高齢者」が増え続けているということで、年輩の方々が結構いらしてましたが、そのパワーを肌で感じた次第です。
皆さん、ステキでした。羨ましいほど輝いてました。
ピアノのわたなべさん、和歌山から小樽へ来られたしまださん、みんな、みんな雪明りに負けないくらい綺麗な灯りを全身に漂わせていました。
屋上からの手宮線会場、絶景でした。
来年も是非、屋上からの眺望を楽しませて欲しい。
それにしても、文学館の皆さんの準備、さぞ大変だったことと察します。ほんとうにありがとうございました。
うん、そのとおりであってね。つまりさー。わたなべさんとか、しまださんとか、むろん「中学生日記」とか、それからひょっとしたら千葉さん、佐藤さんってゆう大切なウチのスタッフだって、おそらくフツウの文学館、そして何年か前までのウチにだって、the
rest of us な人たちだったのね。
サロンとしての文学館とかって、大昔からいってたの。だれでもいってたし、今でもゆってるの。でもさー、そのサロンって誰のさ。詩人? 研究者? 良い絵本を読む会のお母様とそのお子さま?
悪いってゆわないが。そんな「文学愛好家」ってね。一握り、じゃねー、指先ひとつまみ、なの。そんなひとつまみの人だけに、税金使った公共施設を独占させるわけにはいかないの。
ワタナベさん、きょうも来たが、なんだかサッソーとしちゃって。少し笑うぞ。どっから連れてきたんだよ。観光客か? おじょうさん二人。自分は身障者手帳で無料で入ってさ。おじょうさん二人は入館料100円ずつ払って。まー、ありがたいですがね。で、またサッソーと弾きだした。愛の讃歌、禁じられた遊び、自作のソナタ……。
うーん、正直3回目はちょっと飽きた。がー。おじょうさんたちは拍手してたよ。「もー感動」って。ワタナベさん、いったい何ておじょうさんたち誘ったんだ。ひょっとしたら、ナンパか?
ってねー。いいじゃない? こうゆう文学館。ワタシは欲が深いぞ。呪文みたくくり返すよ。the rest of us,the
rest of us ってねー。
それはともかく喫茶店展だが。少しピンチな状態かも。和田義雄さんの本はね。これを複刻するにあたり、ゼッタイに欠かせないものがあるんだな。マッチラベル。原稿にした写真がないのはわかってたけどさ。和田さんのもの引き取ったK書店さんのご主人から、さっき電話あり。「玉川さん、和田さんのマッチ、ここ二、三日、やっとヒマができたんで捜してみたんですが」「うんと深いとこに下敷きになったか」「ひょっとしたら前の古書市でどなたか買ってゆかれたかも」あじゃ。ぱー。こりゃたいへんだなー。「もっとおもしろい資料はありますよ。和田さん手製の紙芝居とか」うん、うん、それもとってもおもしろそう。……ですが。でもマッチ。マッチラベル。複刻だけじゃなくてさ。こんどの喫茶店展のとっても重要な小道具なのね。なんかマッチって、喫茶店のエキスって感じするじゃん。タバコ喫おうとすうまいと。
で、いま、この場を借りて(誰からだ……)皆様にお願い。喫茶店のマッチラベルを集めております。小樽・札幌がいいけど、別な街でもかまわない。そんなに昔のじゃないけど、ってもOKよ。マッチラベル。たくさん集めてみたいなー。
2月16日(土)
●「言葉、その2」が終わり、みんな三々五々帰り、外でも「雪あかりの路」撤収のようすだ。
「予告」したとおりだったねえ。すんげー、千葉・佐藤組。最高だった。
いろんなキーを含んでいるな。ひとつひとつ語りゃーきりねーからさ。とりあえず、忘れないうちに箇条書きでもしとこうか。
・冒頭自作のソナタを演奏してくれたのは、ピアノが文学館にあると聞いて、やってきたワタナベさんであったこと。
・武闘派古本オヤジことシマダさん(初めて名前きいた。しかもホントに〈武闘派〉だった……)が大活躍であったこと。
・「中学生日記」のカッスンがシマダさんや、フリーター(定職みつかったのかな)の川田君と手品によって親交を結んだ(?)こと。
・月刊おたる社主米谷祐司さんに「言葉」についての実にいい「エッセイ」を語ってもらったこと。小川清さんも来ていたこと。
・ブレイク・タイムに事務長の発案で、参加者ご一行を屋上に案内し、そこからの眺望を体験してもらったこと。さらに、このイベントの直前に観光課のスタッフを屋上に案内できたこと。
・「雪あかりの路」メイン会場と「文学館」の中間に千葉オブジェの電球を、きょうはトラブルもなく点灯したこと。
まだまだまだまだあるんだ。書道もネット小説朗読もとっても良かった。やってることが、ぜんぶこれからの可能性を孕んでいるものだからさ。もーワタシはコイズミさん程度の感嘆詞しか出てこねえ。「感動した!」
それからもひとつね。こんなこと、何ゆってんだ、バーカってゆわれそうだけど。ワタシにとってはね。それにセンエツながらこの館にとってもね。けっこう画期だ。小さい声でゆうんだけどさ。それはねー。ワタシがなんにもやんなかった、ってこと。ほんとーにさ。記憶ねーんだよ。文学館のイベントで。なんにもやんなかった、って。それが最高だった、って、複雑な、になりそうなところだが。もー充実ね。なんともいえねーな。だってさ、うーん、偉そうに聞かれちゃいそうなが。もう一回、小さい声でゆうぜ。「はー。ここまで来たか」って。
いい夜だ。いい「雪明りの路」だ。たまには恥ずかしげもなくゆってみっか。
LOVE !
2月16日(土)
●ひとつずつ書いていくか。
まず朝。アキエちゃんが、お父さんと! 文学館に。アキエちゃんが学校サボった。サボりたくなんかなかったろうけど、サボっちゃったイキサツについては本人が「中学生日記」に書いているから。
お父さんがさ、アキエちゃんと並んでワタクシにね。「すみません。きょう一日文学館にいさせてやってください」って。ワタクシは、???。「学校で話してきましたから」。??。「先生も、少しコトバが過ぎたかもしれない、と」。……。「先生とお話しして、来週からちゃんと学校へ行かせますから、と」。……。「とりあえず今日はもう一日、文学館にいさせてくれ、と本人も」。……。「先生は、何で文学館に?って思われたようでしたが。私も説明はしづらかったのですが」。……そりゃそーだろー。「でも、いちおうナットクされたようで。外で遊んでるのはあんまりだが、文学館にいるなら、じゃきょうはよろしいでしょう、と」。……。「外へは出さないでください。クビにナワつけておいてください」。いや、何でこんなにいられるのか、って思うほどここにずっといるから、それはご心配なさらなくて(??)よろしいかと……。「どうも、ご迷惑かけます。よろしくお願いします」。いや、ご迷惑、って……。
うーん。何にもやってないんだけどね。ふしぎな。何にもやってないんだが、アキエちゃんに関していえば、親御さんにも学校にも「認知」されたわけか。で、いったい、なんて認知? あそこなら、まーいいか……、って? はッ。なら最高じゃん! 心で小さく「やったー!」ってね。
つぎに。亀井館長の連続講座10回終了しました。さわやかねー。「小林多喜二は全集開いて、その出たところでとりあげる作品決めてたんですよ」。!。「どの作品が出てきても、読みなおしてみせる。私も30年大学で教えてきたんだ。プロの教師だったんだ、と」。……。「4月からのアメリカ生活で、パソコンとかも使えるようにと、いろいろ買い込んでてね。家族ぐるみで行くわけですから、赤字になりそうですね」。めずらしいのではないですか。「めずらしいでしょう。でもこうした機会を与えられたのですから、それは家族で受けるべきだと思ってるのです」。近代国語の成立、についての講義を。「もうすこしさかのぼってみようか、と。幕末の横浜コトバですね。あのほとんどノーテンキなジャパニーズイングリッシュ」。おもしろいな。「外国」の受容。一方的に被る、んじゃなくて、好奇心いっぱいのね。一儲けできるかもしんねーな、レベルのね。おもしろいな。「彼の地」で、その講義どー聴かれるんだろー。きっと、びっくりするんじゃないかしら。ほー、こんなニッポンの先生が……、って。「向こうで体験したことは、ぜんぶこっちで生かしていきますよ」。た・の・し・み、な。4月からの館長の「カリフォルニア通信」もぜひ。
そして。千葉さんと佐藤さんスゴかった。これはホントウにね。よくやったと思う。いや、30年みんな、誰も彼もよくやってくれたと思うけど、もちろんワタシも含めて、ここまでやれた人いなかったな。
「小樽・雪あかりの路」で。目と鼻の先のメイン会場(旧手宮線跡ね)とウチをつなぐこと。口でいうのはカンタンと。ならどーして誰も行動しない? やりたいこととできることは違う、って。そりゃ、ナニカをやってからゆうこと。何にもやらないで、ゴタクならべてもそりゃ聞こえない。
手宮線とウチの領分を仕切っているあの塀にアナ開いたじゃん。アナ開いたことの「意味」ってのは、みんなそれぞれ感じてはいるだろー。でもホントにつなぐ、ってことをね。それは、今回が初めての、大きな大きなチャンスだったの。
それを千葉さんと佐藤さんがやった。アナからウチの裏口玄関までキャンドル並べて。そして、これがいちばんスゴかったんだけど。アナのところに看板と電球さげた。電球さげたことだけで、ビックリさー。ジクジたる思い、ってこのことよ。30年やってきても、ここから電源とれるんだ、って初めて分かったんだもの。
それからがおもしろかったんだ。いや腹立たしいことでもあるんだけど。「雪あかり」の係の人?にゆわれたんだって。「こっち(会場のほうね)に出さないでくださいよ。おたくの領分のなかならまーいいけど」。なーにをヌカしておるのか。まーまーことを荒立ててもね。じゃ、少しさがりましょ。ねッ。ここでさ、「アナの意味」がにわかにみえてきたわけだ。だってさ、アナあいちゃったのよ。どこあたりが「境界」なのか、わかんねーじゃん。
綺麗だったのよ。千葉さんのオリジナル・オブジェにさがった電球。文句はねーでしょ、ったら。腹立つなー、もう。「やっぱり電球はご遠慮を」だって。「ローソクの灯りがウリなので」。あのね。この電球がローソク損ねてるの? あんたそう感じるの? そもそもさー、いったい何のためのイベントなの? ここのお客さんを、夜間やってる文学館、美術館にも誘導する、って、なんでそれをジャマするの? イベントの目的わからなくなってない? ってね。
まームリか。やっぱり、そもそもね。来年はしきりなおしだな。当たり前、っちゃそうだけど。イベントと一体化ね。もー最初から話しあわなきゃ。関係各位とさ。ウチのほうがシャレてるさ、っていばってみてもしょーがない。
結果出さなきゃなんねー、ってことだけど。夜間入館者数。これは惨敗だな。しかし絶対負け惜しみじゃなくて、今回はホントウに意味ある惨敗だ。やってみなけりゃ、問題わかんねー。これが世の中の常識だ。やりゃいっつうもんじゃねー、ってみんないってるが、どれだけ真剣?
きょうしばらく外に立ってたんだ。なんで入ってくんないんだろー、って。あのさ、デパートのレストラン街とかでよくあるじゃない。閑散としたお店のマスターらしい人が。入口でね。お客さんに声かけようか、どうしようか、って。視線がきょろきょろ、って。どーして入ってくれないんだろう、味だって自信あるんだけど、ってね。あーゆうのカッコわるいな、ミジメだな、って思ってたのね。逆効果でしょ。あんな店、オレも入んねーよ、って。
でもあんなマネ誰がしてるよ、あんな思い誰がしてるよ。コウリツ文学館・美術館の。入口にボーゼンと立ちつくすマスターに、恥じ入るのはこっちだ。ノーテンキな公務員だ。まったくね。
うーん、チキショー、あしたはリベンジだ。一矢報いなきゃー。千葉さんと佐藤さんのやる気にさー、ワタシだってありたけの知恵しぼってこたえなきゃ。はー、どーすりゃいいんだろーなー。
2月15日(金)
●この暗い世の中に、って。こんなに楽しくていいのかしら、って思う。そんなに殊勝なタチじゃないから、楽しいんだもん、いいじゃん。なんだけど。
やっぱりね、お客様がうれしいんだよね。いまさら、だけど。あったりまえ、だけど。お客様は神様。ワタシのカミサマ?
伊藤整文学賞の会の井上一郎さんが来てくださった。ラジオで聞いて、ちょっと来ましたよ、って。文学賞の会が始まったころ、文学館とはちょっとギクシャクしてた感じありましたからね、ちょっとしたことだけど、やっぱりうれしいんだな。こうやって、ふいと見にきてくださることがね。
井上さんステージ見て、おもしろいですねー、っていってくださったけど。一編どうですか(ホントにカラオケのノリね)って誘ったんだけど。やっぱり後込みされたな。
いろんな人に、声かけてみるとね。立場とか社会的活動とか、その世間的イメージがつよい方ほど、固辞されちゃうケースが多いような。あと新聞記者の方とかね。
でも、こういう方ほどね。実はやってみると無性に楽しいこと、ぜったいハマると思うの。その楽しさってのはさ。シンプルにいうよ。解放されることなんだ。「私のイメージ」からね。だってさー、誰も見てないのよ。カメラ動かしてる私とか千葉さん以外ね。そこでスポットあびて朗読するって、意味ないことなの。意味ないパフォーマンスなの。でもね、これはもー無条件に楽しいんだって。ここにアートの本源見たり、ってまでゆっちゃうよ。誰でもイトウセイ?
元祖フリーターの牧野五郎さんもね。「ラジオで聞いたよ、ちょっと見にきたよ」、ってね。やっぱり朗読は辞退されちゃいましたが。
「『夢書房』にあるかもよ、いってみようかしら」って話してる女子大生げな人たちがいましたので、「夢書房」さんはお店は開いてないですよ、通信販売ご専門。って声かけましたら。「あの玉川さん」って。あれ? 「カフェ講座」の生徒さん?
そのオカダ・イッコさんが来てくれたんだ。札幌いらしたついでにね。お友だちと。
お友だちが「『雪明りの路』がどこかで買えないかしら」ってね。ホンモノは無理ですよ。復刻版ならどっかの古本屋さんにあるかも、ってまず岩田さんに電話。「復刻版はないですが、ホンモノはあります」高いでしょ? 「伊藤整から北原白秋宛の献辞入りなんですよ」ワオ。札幌の弘南堂さん、石川書店さんにも電話しましたが、残念ながらございませんでした。
残念でしたけどね、ついでだから朗読していきませんか? って、もー彼女たちはクッタクなし。一人二行ずつ読みましょう、ってね。まー楽しそう。ワイワイね。
朗読関係なくてもね。ステージ前のテーブルではいろんな方といろんな話。山口展とか木浦に本を送るときボランティアしてくれた大貫さんは、小林正樹監督の映画を上映したいという話。「小樽ではまともに映画を鑑賞できるところがひとつもなくなってしまうかもしれないですね」「私ら映画ファンには悲しいことです」「文学館にスクリーンがあればいいのに」そーですね。夢のようだが。
17日のイベントはさ、ちょっとどこまで真剣に? ってフッと思ってたんだけど。うーむ、私の心配してること、アイデアなんか千葉さんも佐藤さんもとうに考え中だ。プランはきちんとできている。やっぱり出しゃばんなくてもゼンゼンなんだけど。けっきょく、かかわりたいんだよね。サミしいの。だってさー、かかわるほうがずっと楽しいんだもん。はッ。自分のことしか考えてないのね。そーゆうタチなんだもの。仕方ないわね。
米谷祐司さんも来てくれるってさ。楽しみだ。私がつくづく見直してしまった米谷祐司責任編集『月刊おたる』論は、このつぎに。
さっきミナミちゃんのお母さんがお迎えに。「いつも遅くてすみません」いーえ。もちょっと前にはアキエちゃんのお父さんが。ちょっとブッキラボウげだけど、いいお父さんじゃない。「オヤジ見るなよう」ってパソコンかくすアキエちゃんだ。
「教師のいいとこどりね」って盛岡の吉田美和子さんに笑われたけど。はい、そのとおりです。何もかもいいとこだけいただいて、渡るワタシの人生ね。
2月14日(木)
●「中学生日記」だが、学校フケて文学館に、って。教育委員会も真っ青か。
アキエちゃんは事務長と膝詰めで話してて。事務長は、学校にずいぶん怒ってたようだが。
オレはねー。すっげー無責任だが。どーでもいいのさ。学校フケて文学館に。はッ、どこの世界によ。そんな文学館がありますか。ここだけよ。世界に冠たる、さ。
古本、五、六冊持ってきたジイさんがアキエちゃんに声かけてたよ。ジイさん声でっかいんだが事務室にいたら聞こえねーからさ、千葉さんもアキエちゃんジイさんに絡まれてるんじゃねーか、って少し心配したみたい。
ワタシは展示室のスミにいるからさ、よく聞こえる。ジイさん、離れたとこに住んでる息子とインターネットで囲碁をやりてーんだってよ。「ワシはワープロは打てますが」でけえ声。「マ○イ電機の講習会で」。どこでもやってんだな。IT講習って。「自分のルポ持ちこんだら、8000円いただきます、と」。えぐいこと、やんなよな。IT講習。
アキエちゃん、話なかばにチャットしながら、そんでも半分聞いてたぞ。それでいーのさ。
「ワシも家にいても、おもしろくなくて」「ケータイ持ち歩いてますの。アウトドア派ですな」。
ふーむ。こないだ新聞に出てたな。携帯をお年寄りが使い始めた。ひらがなばっかりでも孫から返事がくるとうれしい、って。
もー、何回もいうけどね。ケータイってそういうツールなの。そうあるべきなの。その記事にはさ、お年寄りが10時間も取り組んでアタマぐちゃぐちゃになりながら、って。あのね、そこでつっこめ、大新聞。年寄り悩ますな、って。たかがケータイ。ふざけるんじゃねー、ようやくシンプルフォン? 意外に好評? 最初からこれだろう。これが先だろう。
こないだ玩具のデザインやりたがってる甥と話してたんだけどさ、日本のメーカーのマーケティングリサーチってふざけてる、って。女子高生にケータイの好みを聞いて回るなよ、って。何をくっつけたら喜ばれるか、なんて調査に憂き身やつすなよ。
全力を尽くして開発した、満を持して出すこの商品が、どうやったら受け入れられるか、理解をえるか、それがリサーチでしょ、って。要するに、インダストリアルデザイナーの地位が低いんですね。営業がいつも優先。
こういうことだ。ケータイのキーで日本語入力ってどだい無理な話だ。けれども努力してるところはある。いわれてみれば、カンタンじゃねーか。コロンブスの卵なー、って。例えばT9。この目の前が晴れわたるような入力方式を採用してるのが、日本でたった一機種なのはどーゆーわけか。
メモリーが足んねーんだと。そのメモリーは何に使われてるか。着メロ、写メール。日本語のほうはさ、入力方式よりも辞書のボリューム。「もーむす」で「モー娘。」あのな。ほんとに、骨のズイまでバカか? ケータイ、頭打ちって当然だろう。レベルは完全に中学生にシフトだ。中3のウチの娘のクラスでケータイ持ってねーの娘だけだって。ざけんなよ、中学生から1万2万ふんだくってよ。ヤク、バイすんのとかわんねーぞ。
何回も書いてるけどね。ケータイって、ほんとにすぐれた実用ツールなの。それに成りうるの。もーカンタンなんだけどね。次世代、なんて必要ないの。ワープロなんてさわったこともないお年寄りが、一時間でメール打てるケータイ、すぐにつくれよ。
怒りのホコサキがケントー違い? 学校行かないコドモ心配すれってか。知らねーよ。コドモは自分で解決するさ。オトナが語りたがるほど、コドモはオトナなんか当てにしてねーのさ。
あ、17日の「言葉、」ぜひ、おいでくださいね。「中学生日記」もさすらいのピアニストも武闘派オヤジもせいぞろいするかもよ。くっくっく。
2月12日(火)
●帰ってきたら文学館は冷え込んでおりました。きょうとあしたは振替の休館日なんでね。で、委細かまわず中学生はやってくる。ワタシがいようと居るまいと。館が休みだろーとなかろーと。14日はバレンタイン特集だって。ほんとーだろーなー。何年ぶりだろー。つか今までにあったかしら、家族以外で。ウソついたら陰で泣くぞ。
バレンタインといえば嶽本野ばらさん。チョコいっぱいもらうのかしら、ゴシック・ロリータさんたちから(なんだろう、怖げだなー)。
野ばらさんと席お隣だったけどね。生真面目、誠実な人。あの文体どおり。乙女派ハードボイルドね。見た目だけよ、藤井隆と稲垣吾郎ミクスしてちょっと年いかせたみたいの。
って偉そうにワタクシ読んだの『カフェー小品集』だけ。それも「光」の話んとこ。ヨシモトさんにコピー送ってもらって。臆面もなく、そやってゆってしまいましたが。野ばらさん別に淡々と表情かえず。
で、ワタシはたいへん好感もってます。いい作品だ。んで「喫茶店展」やる身としてはね、「光」が実に正確なのね。
カフェ講座でもさ、生徒さんが宿題披露してくれました。いい喫茶店ね。いい趣味ね。ほんとうに。ただ沼田さんもちょろっとゆってたな。「くつろいでください、っていわれても、はい、くつろぎました、ってはならないのね」。そーそー。これね、カフェ講座そのものにもちょっといえるな。つまりさ、生徒さんの感じ予想どおりだった、ってことね。場違いな、って人はやっぱりいないの。
私、いまから30年くらい前に、初めて「光」に行ったの。北大の2年生くらいん時かな。なんか急にね、小樽にいってみよ、って。それまで小樽になんか何の興味もなかったのにさ。
行ってみて驚いたのね。「光」「電気館」「大国屋アパート」。何、この町。
念のため、だけど、アンティークっぽい、とかレトロ、なんてのは30年以上前からあったのね。ファッションとしてよ。だから小樽もその感じ、で持ち上げられはじめてたの。でもさー、「光」とかって。レトロとかなんてもんじゃない。ほんとに停まってるんだもん。店に入ったとたんさ。何か断層に落ちた感じ? 夢の中?
この辺が野ばらさんほんとに正確に描けてるって思うんだけど。ねらって絶対にできないとこなのね。
野ばらさんいってた。「光」はトバクみたいなものだったんだって。京都、東京だけじゃなく、どっかとおくはずれた町の、だれも知らないところをひとつ入れたい、ってエディターの注文で。もうタイムアップでさ、観光ガイドパラパラめくってたら。外観だけね、外観の写真だけで、おや、って思ったんだって。
で青山出版の安保さんと一緒にね。思いきって行っちゃった。ちょうど一年前の今頃ね。不安的中。閉まっておりました。どうやって開けてもらったんだろうな。不機嫌なご主人出てきてね。
野ばらさんいろいろ話してくださったんだけどさ。私も、うーん、って思っちゃった。
「あのご主人は、そうとうね」ヘンクツだって。皆さんおっしゃる。私も居留守使われちゃったみたい。「そう、ヘンクツ。プライド高いし。こちらを値踏みするみたいな」。……。「でもね、聞いてあげなさい」「話しはじめますよ。じつにいろいろなことを」「ずっと聞いてるの。この店にかけた気持ちを。愛憎、ってのか複雑な思いなのね。だれにも分かってもらえない」「とっても嬉しいのよ。ほんとうは」「この店への思い入れ、って、それに気付いてあげれば」「飛び上がるぐらい嬉しいの、ほんとうは」……。
喫茶店展、もうね、なかば立ちあがってるんだけどさ。関係だと思うんだ。一にも二にも。沼田さんとか、「光」さんとか、有好さんとか、ヨシモトさんとか、キコキコ商店さんとか、「アルチザン」さんとか、和田義雄さんとかその奥様とか。東京とか小樽とか、との。「街」との。いろんな「人」との。いろんな話を聞きたい。いっぱいいっぱい聞きたい。
お遊びだけど喫茶店作るんだ。こじゃれた店なんてできるはずないけど、ひとつだけ微かに自信もっている。趣味いいとかパンチパーマだとかイナカだとか乙女だとか中学生だとか関係なしに。誰もが入ったとたんに、アレ……と思うような。胸がトクンというような。どこかにあったよな。この感じ。忘れていたけど、いつだったんだろう、って感じ。そんな喫茶店の物語。ゆっくり始めてみようか。
はッ。時間あんまりねーじゃないか。
2月10日(日)
●きょうの行程をさきに書いておきましょう。5時に起きた。5時半に北ホテルをチェックアウトして、6時01分盛岡駅発の新幹線で東京に向かった。大宮で乗り換えて9時40分頃に池袋に着き。大きめの荷物をコインロッカーに押しこんで、西武イルムス館とかいうカフェ講座の会場にたどりついて。
うむ。だいたい予想どおりのね、感じ。沼田さんがいて、ちょこっと挨拶して、生徒さんはね。20から30前半のお嬢さんたちだ。地味めにオシャレな。これも予想通りだけど、思った以上に層は均一だな。おばさま、おじさまが、もー少しいるんじゃないかなーって思ってたが。
ヨシモト・シンイチさんが、やっぱり立ち働いている。ほんと片腕だな。よくしたもんだなー、こういう人が付いてくれるのね、おそらく頼みもしないのに、だろう。あがたさんのときも、「助手」の人たちみて、そういうようなこと思ったけど。
単なるファンじゃないのね、もうちょっとそのイキ越えてる。単なるファンじゃ勤まるわけねー。何だろーなー。「人徳」ってのともちょっと違うよな。沼田さんとかあがたさん。
講座の進行もびっくりするようなことはないけど、楽しかった。少し驚いたのは進行表な。ワタクシにもしゃべれ、ってゆうからさ。ヨシモトさんからその進行表を見せられたんだけど。ほー、ってね。少し笑いもね。だってさー、ワタシしゃべるとき後方から登場、BGMはボサノバその他、とか書いてあるんだもの。ゲストとしゃべるときの、およその内容はともかく、嶽本野ばらさんがこういったら、こう突っ込んで、みたいな、バラエティ番組のシナリオみたいなことまで書いてあんのね。
こういうこととか、テーブルの名前が東西の老舗の喫茶店名だとか、朝礼とか日直だとか。きょうのゲストの話にあわせたお菓子の選定とサービスとか。まじめにフザケるわけだけど、それが「過剰」ね。で、これこそが沼田元氣の真骨頂つうか。
沼田さんが講師料いくらもらってるのか知らないが。どー考えても、ほぼ持ち出しだろう。遊びに来たつもりがしゃべらせられた(当人も覚悟のうえ、だろーけど)チチ松村さんはともかく、嶽本野ばらさんにはなんぼなんでも、タダっちゅうわけにはいくまいに。ヨシモトさんはタダ働きなのかなー。
それにしても、いつものことだが。ここで出てくる大きな「?」だ。何で、そこまで、つうね。
カフェ講座はそれなりによかったのだが、その後ね。だいじな話。沼田さんが、ちょいちょいと声かけて総勢15人くらいかな、ちょっと離れた喫茶店に席を移してね。
こういう「業界」ではそんなトクベツでないんかも知れないが。沼田さんのお隣はついこないだまでいっしょにお仕事してた編集者でしょ。で向かいが嶽本野ばらさん。その野ばらさんは、これまで沼田さんのお隣の編集者のとこで佳作を出されてたわけだけど、こんどはもっと大手の出版社のお仕事になるらしい。遅れてきたのがこんどウチもからむ本を出す平凡社のクサカベさんで。あと、このつぎのつぎに一緒に仕事されるのかな、イラストレーターさんとか、チチ松村さんに、カフェ講座の生徒さんたちもね、それからもちろんヨシモトさん。
利害ってことだったら相反するとこもあり、仕事抜きのお友だちの、ったら、もちろんそんだけじゃないよな。この人たちの会話をつなぎながらさ、ぜんたいの話題はだいたい自分がらみのほうへもっていくんだから。今さら、だけど。タフだなー。
沼田さんて、ウチの事務長もそれからクサカベさんも似たニュアンスでゆってたけど。計算高くもあり、なかなかの戦略家でもあるのね。強引に引っ張って、相手が困りだした、ってみると少し引いても、ほぼ自分の側に落とすとかね。
おそらく今の「カフェ」もさ。沼田さんよく知らない人は、ウサンくさげにもみるんじゃないかな。カフェブームに便乗するウロンな自称アーチスト、とかね。そんな人になんでこんなに引っ張られるの、って不思議に思う人もあるかもね。
ワタシもそうだし、クサカベさんも、それからこんど本のデザイン担当してくださるキムラさん(『BLUTUS』のデザイナーだって。すげー)も、何で? って、いわれれば一瞬詰まって、ゆうのね。「沼田さんのファンだから」って。
「盆栽小僧の松ちゃん」こと沼田元氣。その「すり込み」は、そうとう強烈な。沼田さん自身はぜんぜん頓着なげだけど。
「盆栽小僧」は、一般的には「?」だろーが、アート的にはとにもかくにも「納得」できたわけだ。パフォーマンスとかハプニングぶくみの、とかで、ムリヤリにでもね。
ところが「カフェ」のほうは、一般的には、うん、時代が「癒し」を求めてるんだもんね、なんてね。分かりやすいぶんさ。アートとしてはどー解釈したらいいの、って。
で、ここからが沼田さんの凄いとこでさ。本人は一貫してるんだもの。「盆栽小僧」から「カフェ」まで。一貫して「過剰」。無表情で「過剰」。うーむ。アートとは過剰なるサービスか?
ここでトッピに伊藤整思い出すのね。伊藤整は誰にも円満でニコニコして腰低くてさ(このへん沼田さんと違うけど)。でも「作家」だからさ、こうゆうのは必ずしも「いいイメージ」じゃないわけだね。「八方美人」な。「名声病」な。とどめは「俗物」ね。晩年は日本近代文学館理事長務めて芸術院会員にもなって、でこおゆうのはほんとは骨身を削るような、って内実だったりするんだけど、「文壇」は「功成り名を遂げ」ってね。「嘲笑」するのね。こうゆう「俗物」のイメージは、伊藤整の晩年じゃーなくて、もう出発のときからあったのね。
伊藤整は、小樽の商業学校を出て中学校の英語教員になった。でも内心はね、文学をやるって決めてて。いつからか、ってゆえば、中学生のとき島崎藤村詩集読んで自分でもわけわかんないくらい夢中になった、ってんだけど。だから教師になったって、アタマんなかは「文学」しかない。教師やりながら自費で詩集『雪明りの路』出したのが伊藤整の文学レビューであり(きょうはめずらしく学芸員か)、でもここからね、ここからが伊藤整の伊藤整たる、ってか。
こーゆうことだ。文学をやるために上京する。でもそんなこと家族とかに説明できねー。イナカの12人兄弟の長男よ。オヤジも軍人上がりのカチカチの公務員だったのに、へんな事業に手出して失敗して家手放して、失意ね。病気ね。オレは家の面倒みねー、犠牲になんねー、文学やるんだ。なんていえるわけねーよね。
で、とにかく東京の上級の大学に入る。もっと上等の仕事に就く。それが言い訳だ。一年目失敗。二年目で合格。でもまだ行かねー。東京で学資自分でまかなって、自活して、そのための資金がまだ足りねー。更に一年棒に振って教師を続ける。けっきょく東京に行って文学をめざすために4年だ。準備に4年使った。
東京で迎えた詩人連中がね。いちばん驚いたのがそのことだ。文学やりてー、口実にする大学も受かった。ならなんでさっさと出てこない。一年学資・生活費貯めてから? そんな詩人いるかよー。口に出さねどみんな思った。「俗物」。
でもさ、ここで考えてみな。4年かけて周到に準備重ねて。そこまでしてやろうとしたのが「文学」だってこと。いわば意味ねーことに4年準備を重ねるわけだ。そのこと自体が「異様」じゃない? その異様さは、衝動的に行動しちゃう、できちゃう、自称詩人連中のヌルさを遙かに超えてるわけね。
どお。沼田さんの「過剰」に通じない?
沼田さん、クサカベさん、キムラさん、ヨシモトさんとさらに場所かえて。いよいよアレの続きね。喫茶店本。沼田さん、テッテーてきにこだわる。和田さんの「札幌喫茶界昭和史」完全収録にさ。クサカベさんは無下にダメ出しだ。ヌマゲンさらにこだわる。クサカベさん無情にダメ出す。
うーむ。常識的にはさ、どう考えてもクサカベ案がマトモ。完全複刻をする意義って、ほとんどなかろう。学術的にどーこーの本じゃないし。いまほぼ在庫尽きたっても、ほんの数年前に札幌の喫茶店で大量に複刻作ったんだし。「何より」、ってクサカベさんはいうわけ。「ヘンでしょう。この和田義雄さんて、どこの誰だか誰も知らないよーな人の文章で全体の三分の二占めてしまうって」。「前三分の一がヌマゲンさんの写真と短いコメント。で後ろ三分の二が、そりゃビミョーにおもしろくはあるけど、基本的にわけわかんないイナカの喫茶店ヨタ話」(なんてクサカベさんがいったわけじゃないけどね)「本そのものがわけわかんなくなるでしょ」。「和田さんの本のテイストは残す、っていってるんですから、てきぎ抜粋編集しましょうよ」。
沼田さんがんばる。「この本はね。たしかに山もなければ谷もない。どこを切っても金太郎飴みたく、おもしろいんだかおもしろくないんだか判然としない喫茶店話が延々と続くのね。でもね、だからいいんじゃない? だからこの本が今受け入れられるんだって。抜粋、編集って、クサカベさんできますか。玉川さんできますか?」うーむ。たしかに。山も谷もないから逆に抜けねー、か。
でもね、ほんといえば、ワタシなら抜ける。和田さんのビミョーなテイスト生かしたまま編集できる。それでさ、もとの本と並べて対照して、なんて奇特なヤツいるわけねーから、抜粋だってことさえ気がつかねー。がんばる意味はないんだが。
もっともヌマゲンさんだって、そんなこと百も承知。でもがんばるんだ。なぜか。抜粋・編集しちゃったら、もう和田さんのこの本は、この本じゃなくなるでしょ。収録の意味なくなるでしょ、ってね。うーむっむ。ヌマゲンさんが、正しい、のかも。
沼田さんだって、この本がフツーに売れなければ困る。それはクサカベさんも言ってた。「沼田さんのつぎの本もありますからね。それにつながんなかったら、沼田さん困るんですよ」って。
でもヌマゲンさんこだわってしまうわけだ。和田さんのタマシイが、ってレベルになってしまうんだね。はー。ヌマゲン、やっぱりアーチスト。ヌマゲンさんの過剰が、計算をはみ出すわけだ。こういうときに。で、それをワタシがサポートしなくて誰がする? 沼田さんガックリしたのかも。玉川がヒヨるとはなー、って。玉川さんががんばんなくて、どーするんですか、ってゆわれたわけじゃーないが。うーん、そうだよね。和田さんのタマシイ。女給Q子さんの波瀾万丈、とか無名時代のいかりや長介をメンドーみてやった喫茶店主K氏の話、とかショーもない、でもどこを開いても気がユルむ、ビミョーなこの味。学術でしょ、リッパな昭和史でしょ、って。うーむ、たしかに何が『学術』で何が価値ある、って、だれが決めた。だれが決めれる、って、鵜呑みにすんなよ、ってここんとこ言い張ってきたのはこのワタシ。はー、転向。ヌマゲン側に再び転向。もうしわけありません、クサカベさん。
「いや、わかりました。全部収録しましょ。ポイント9でね。ま、読みづらいだろーけど、とにかく全部入っているのが値打ち、って会社にも説明しましょ」。ああーよかった。ようやく一件落着、か。それともハランは続くのか?
嶽本さんとのお話も、考え込ませるとこあって。嶽本さんの「虚実」も考え込ませるとこあって。この話は、小樽に帰ってからね。
2月8日(金)
●知らない街を歩けば、ハラもへる。で、どこかに入るにしても高そうだとか、マズそうだとか、やっぱり思ってしまう。そのへんケチいからさ。マズいのに高かったり、店員さんが無愛想だったりすればハラも立つ。なんてやってるうちに時間も経っていくのでね、けっきょく入るのはおなじみのファストフード。
こないだファストフードのマニュアル笑顔なんて書いたけど。ファストフードには助けられてるのね。銀座三越前にマック(コンピュータじゃない方の)が開店して以来さ、吉野家とかね、ほとんどこの辺ですませてた時期もあったような。
そういやあれだなー、小樽に行ってから、東京へ出張に出たときさ、当時の東京事務所長の家久さんに、ご苦労さんご苦労さん、ちょっと御馳走してやるよ、ついといで、って連れて行かれたのが吉野家で。少しビックリしたこと、あんな。家久さん、いい人だったな。北海道に戻られてから、急に亡くなられたけどね。
何でファストフード店のことなんか、ってゆうと。名乗るのもだいじだけど、ときには黙って隠れていたいことも、って、佐藤さんの日記読んでからずっと思ってたことなんだが。そーだね、迷彩って攻撃的なイメージあるけど。本来は周囲に紛れる、ってことだからさ。ファッションとしての迷彩も、静かにとけ込んで、その主体はすっと消えていく。そういう自己主張とまったく反対のファッションも、こりゃツールとして必要だろうと。うーん、神戸の花田先生おっしゃるところの、街のなかの隠れ家としての「空間」だな。
喫茶店とかね、そして文学館もそういう場でありうるだろー、って最近ずっと考えてるとこなわけだ。
で、ここで出てくる。コンビニおよびファストフード店。コンビニについてはいろんな要素あるし、これからだっていろんな可能性あるから、も少し先にしよう。
昨日も磯子なんて初めての街でさ、時間が少し空いてしまい。ぐるっと見回せば、やはりミスドに入ってしまう。知ってるからさ、小樽とか札幌とかと同じだって。これがマニュアルの強みだね。郷に入ればその地の食文化を、って、そりゃも少し余裕のある旅のときでさ。とりあえず急いで、ってときはお馴染みの、に入る。その安心感は格別なわけね。
人心地ついて店内見回せば。確かにこの手の店のお客って、ある程度限られてるのね。年齢とか、ま、身分・職業みたいなものとかもね。具体的にゃ、パンチのオヤジとか校長先生とかはあんまし入らねーだろー。女子高生だな。ヒマな主婦にしても比較的若いね。サラリーマンも、そうだな、オレくらいの年輩の公務員なんてめずらしーほうかもね。人間観察(アク趣味だな)の場として、喫茶店ほどおもしろくはねーね。
たださー、その分つーか、実は楽さにおいては喫茶店の比でないのね。要するにさ、コンビニもそうだけど、ファストフード店では「常連」にはならないのね。なぜか。店のほうで構わないからだ。マニュアル笑顔、マニュアル挨拶、マニュアル注文はアホらしいが、ときにはこっちと目もあわさないボー読みのマニュアル挨拶が客を「常連」にしないのね。店にとって客は無に等しいのね。気になんねーのよ。
だからさー、客も何時間いても苦になんねー。だってあっちが気にしないんだもの。2時間、3時間、4時間目にはバイトのネーちゃんの方が交代しちゃうよ。
そーか、って思ったのはね。ミスドにいたときさ、隣にバーさんが座ってるのね。何だかテーブルにいろいろ広げてる。本とか雑誌とかノートみたいなものまでね。そんでCDのポータブルプレーヤーな。はー、このバーさん数時間はここに座り込んでんな、って。隅っこのほうでね、コーヒーはお代わり無料だからさ。ときどきネーちゃんに声かけてね。ネーちゃんも忙しいからさ、はいはい、って感じでバタバタとね。
店内は静かな、とか落ちついた、とかじゃないが。だからこそ、自分だけの空間になりうるわけだ。オレが立ちかけたとき、バーさん声かけてきたよ。「あの、カード」。すぐ分かったさ、10点集めればオリジナルの景品貰えるヤツね。もちろんオレはいらねー。この店に来ること、もーしばらくはねーもの。はい、どうぞ。「どうもありがとうね」。はッ。ビミョーなコミュニケーションな。ファストフード店ならではのね。
だからさ、人間味に欠ける、なんつーて一概にいえないのね、マニュアル笑顔とかさ。こっちに関わんない、ってのはサンキュ、っさ。佐藤さんの迷彩みたい、無名性っての?こうゆう要素も、うーむ、だいじなね。
あれよ、つるんで騒ぐ成人式タイプ(あーゆーわかりやすいバカばっかじゃなく、政治とか進歩派文化人とかにも少なくねー)とか匿名でいきなり向こうずね蹴っ飛ばして、影で舌出す、って愉快犯的無名性なんてのは絶対認めねーけどな。
2月7日(木)
●私なんぞがいなくても世の中は進む。サミしい感じもするが、これが世の道理だ。
展示作業も順調とマリちゃんからメール。
昨日のうちに雪山完成。窓をはめ込む大工仕事、完了です。ハイケースのガラス面に写真は張り終えました。暖炉の壁に静物画を掛けました。
千葉さんは元気になって昨日、活躍したので心配いりません。事務長も元気!!
窓ですが、例のビデオ画像は制止画状態だから、和泉事務長と相談して却下しました。代わりに、写真を(雪明かりハイケースに展示してある中から一枚)プリントしてアクリル版に貼って窓の向こう側に吊し窓から見える景色にしました。さらに裸電球を青色に塗装してブルーの光を演出(これで青い雪明かりということ。=これは事務長のアイデアで、ご満悦でした)。あと少しで完成です。
だって。お楽しみ!
きのうは羽田から平凡社へ直行。このたびお世話になる編集者のクサカベさんだ。
「まず沼田さんヌキでお話ししたほうがやりやすいんですよ」うーむ、口にしにくいことをアッサリいうなー。もっともクサカベさんはヌマゲンさんとのおつき合い10年とか。エディターとライターの絆って及びがたいものあるからね。内容とかギャラとかで、バンバンやりあっても、ちょっとやそっとで崩れたりはしないんだね。もー、このへんはクサカベさんにあずけたほうがいいな。
オカネのやりとりは、ウチでできる限界のことは伝わってますからね。それをどんなカタチにすれば八方うまく収まるか、クサカベさんアタマのなかでしばし数字とか領収書とかをめぐらしていたようだが。もー、これはウチにはどーしようもないことだ。
それはクサカベさんもひゃくも承知で。問題は本の内容ね。和田義雄さんの文章はとっても面白いし、これを複刻するのはクサカベさんも賛成なんだけど、「ぜんぶはね。あんまりにもトクシュになりませんか」「少し抜粋したり編集したりしたらだめかしら」もー、ゼンゼンかまわないと思いますよ。「沼田さん、文学館では全文複刻にこだわるだろう、と」いーえ、ゼンゼン。だってさー、そんな世界じゃないもの。小樽札幌の喫茶店史学術的に究めようなんて、ゼンゼン思ってないから。和田さんのことだってさ。書き残したもの精読して、周辺の人から細かく聞き取りして、出てくることって、何だかわかってるような気いするもん。「しょーもない人でした」。
ワルグチじゃないのよ。新短歌とか喫茶店とか豆本とか子どもの本とか(ちょっぴりステキなお嬢さん方とか……)にウツツを抜かして、結果奥様にもアイソつかされて、遺品もあっさり処分されちゃったってさ。ワタクシ断言するよ。素晴らしい人生だ。
何か、古本とか喫茶店やってると、こんな人ばっかだな……。
和田さんとか、小樽の喫茶とかさ、テイストが伝わればいいの。何だかちょっとあか抜けなくて、なんだかちょっと間が抜けてるけど、ホッとするじゃない? そんな世界だもの。ワタシはクサカベさんに賛成です。ヌマゲンさんにおこられるかな。
で、展示のことをちょっと話してて。JJ's Cafe ね。植草甚一さんのコーナー作るんですよー、ってゆったらさ。「ふんふん、あの別冊『太陽』で」そーそー、植草さんの特集ね。いい特集でしたね。あれに出てたものもだいぶ展示できそうなんですよ。「あの特集は僕の編集だったんですよ」えー! 「淀川さんの聞き書きも僕です」えー! 「このころはもう植草さん知らない人のほうが多くなってたんでしょうね。あんまり売れなかった」……。「でもね、作っててこんなに楽しい特集なかったです」そーか。ワタシは新宿の紀伊國屋書店で植草さん見かけたことがありますよ。「それはうらやましいなー。僕は植草さん御本人にお会いしたことはないんですよ。会いたかったなー」
そーか。この特集作ったエディターならさ。もう安心だね。すっかりお任せだ。けっきょくその人のやってきた仕事で判断するんだな。こりゃしょーがないことだね。
植草さんのスクラップブックとか、手書きのスケジュール表とか、とってもおもしろいんですけどね。ゆいいつ足らない、ってゆうか、いちばん肝心な蔵書ね。植草さんが夢中になって買った古本、抱えられなくてずいぶん遠いご自宅までタクシーで帰った、とか、もーたくさんの伝説。
「この『太陽』に植草さんの買ったペーパーバック大量に撮った写真があるでしょう」うん、これいーですねー。「これ借りた方のお手元に今でもあるんじゃないかなー」えー!「もと晶文社の編集者でね。瀬戸さんて方。『植草甚一スクラップブック』の担当編集者です」えー! ワタクシの「青春のバイブル」じゃん。
「もうお辞めになって、いまはフリーですけどね。お元気だと思うな。アドレス調べてもらいましょうか?」お願いします!
話はもー早くてね。さっき横浜、磯子の瀬戸さんのマンション訪ねたとこなの。ペーパーバック500冊も拝見しました! ぜんぶ貸してくださいます。はッ。夢のよーね。
けさは府中の伊勢丹の古書市訪ねましてね。ダメでした。小林多喜二の手紙。7件重なって、抽選で個人の方が持ってったって。でもね。負け惜しみじゃないけどさ。何だか、もういいな、って思うの。直筆の原稿とか手紙とか、ってね。もう、ウチは違う、って思うの。それだけが文学館のイノチ、って。違う方向に行ってるんだもの。
ナマに圧倒される、って否定はしないよ。多喜二の石膏デスマスクとか、宮澤賢治の「シツカリヤリマセウ、シツカリヤリマセウ(延々くり返し)」とか永山則夫のノートとかね。
でもナマなら何でもかんでも後生大事に、ってね。そーゆー文学館じゃないのね。もーウチは。嬉しいこと、楽しいこと、カンドー的なことはね。もっといっぱいある。
あしたあさっては盛岡からね。
2月5日(火)
●えーっと。「小樽雪あかりの路」協賛、「私の好きな冬の小樽」展、展示作業途中で抛り出して、もとい、みんなに任せて、ワタシは明日から東京だ。まっすぐ平凡社いって、「喫茶店」本の打ち合わせ。沼田さんも来るもんだとばっかり思ってたら。ヌマゲンさんは、いま京都? ホワイ? って。沼田さんも聞いてませんよ、なんだかなー、って。「平凡社にいっとくからもう少し後に来ませんか」、って、ダメよ、今さら。
「10日に来てほしいんだけどな」。ムリだ。盛岡行くからね。「カフェ講座やるんですよ。平凡社にいっときますよ。ぜひ」ムリだっつうのに。「嶽本野ばらさんとか来るんですよ。生徒さん、展覧会のときには小樽にひっぱるからさ。玉川さんも一言どうぞ」。もう。うーむ、わかりました。東北は東京からとんぼ返りすることにします。ホテルの予約とか、やりなおしだ。
あ、電話だ。「平凡社ですけど」はい、はい。「さっき沼田さんから電話ありまして」あれれ。「明日はとりあえず文学館さんとお話しようと」なるほど。「で、沼田さんは日をずらして三者でも話をしたいと」ふむ、そりゃそうか。「8日の金曜日はどうか、と」もう。いまホテルとか予約変更して8、9日盛岡にしたんですよ。「そうですよね、東北いらっしゃるって聞いたし、10日はカフェ講座に来られるとも聞いたし、私も無理なんじゃないかなー、って」ほんとに、もう。「沼田さんには電話入れときますよ、何とか10日の午後にしてもらいましょう」はい。お願いします。
出掛ける前からハラン含みだなー。何とか旅行中も日記更新試みますからね。ちょっと見ててください。
2月4日(月)
●文学館から、そうね、300メートルも離れていないご近所にさ、「アルチザン」って喫茶店がございまして。名前からわかるように、豆の焙煎のほうに力を入れてるようなお店かな、って思ってたんだけどね。いや、そうなんだろうけどさ。喫茶店としてもけっこう知られてきてるんだろうな。
ご近所さんだからねー、気にはなっていたのだが。今日さ、有好さんにね、あの喫茶店の内装屋さんだったさ、有好さんに電話して、「光」さんには明日ご一緒しましょう、ってことになったの。「ところで、」と有好さん。「オタクの近くに『アルチザン』さん、ってのがございましょう」はー。「あすこのご主人がね、このたびのことを話しましたら、たいへんご興味を持たれたようですよ。いちどお訪ねになったら」ってね。うーむ、そうだよね。見るからに、焙煎には一家言ありそーだしなー。
ってんで、さっき「海猫屋」に、暖炉の火のビデオ撮りに(店、2時から4時半くらいまでは閉めるんだな、こっちは出直しだ)いった帰りに、寄ってみました。
カウンターのなかでは奥様が忙しそうに。そーだ、そーだ、確かこの時間あたりって、ご主人二階のほうで焙煎に没頭してるんだったなー、前にいっかいツレアイと入ったとき、2階から煙出てて、何でしょうねー、って奥さんに聞いたことあったっけ。そーいや、二階でゴトゴト音もしてるしな。
そーかー、って、奥様も忙しそうだしさ、黙ってコーヒー頼んで、端っこの方で飲んでたんだ。
いや、こんな企画やるんじゃなかったら、店内観察なんてやんねーだろーけど。おもしろいのね、喫茶店ってなー。
まずね。「アルチザン」は小さな通りに面してる。前面大きな硝子張りだからね、よく見えるんだな。車もそんなには通らない。人が通るのと車が通るのと同じくらいの頻度な。で、どういうわけか、この店の前でよく車が停まる。店に入ってくる人だけじゃなくてね。
って、あ、そうだった。今書いてて思い出したけど、この店の二階は焙煎室じゃねーや。「直江バレー教室」じゃん。ゴトゴトやってるのは「アルチザン」のご主人じゃなくて、バレーちゃんたちだ。車が停まるのは、バレーちゃんを迎えに来たパパさんか。じゃご主人は喫茶店の奥で焙煎やってんか。そりゃそうか。
ふんふん。こーして通りを眺めていてもおもしろいんだが。店内もね。
ワタシが入ったときはカウンターに一人。通りに面した窓際に二人ずつ二組。カウンターの女性と窓際の方の一組は、あきらかによその人。
窓際の二人は『るるぶ』とか地図とか時刻表とか開いてるからね、この辺で入るんだったら……、あ、ここコーヒーがおいしい、って書いてるよ、どうせならここ入ろうか、ってとこだろう。
カウンターの方は、もうちょっと「いい店」とか「みどころ」にこだわってる感じ? ま、服装とか目の配り方でね。目の前でガイドブックなんか拡げないが。読んでた雑誌、途中で旅行雑誌に代えたから、やっぱり「旅の人」だろう。
窓際のもう一組の方は、こりゃ長いな。典型的な「午後のおばさま」だ。ヒマなのね。長い、ってのは、スコーンとかコーヒーとかお代わりとってるし。テーブルの上、空いた皿とかね。話題も「うちのパパにもアキレるわよ」「ご存じ? ……さんのとこ。けっこうたいへんなのよ」「子どもにもね、期待してもしょうがないわね」ま、だいたいこんなところで2時間は持つわけだ。
ばーん、とドアが開いて堅めのパンチで、襟ボア紺ジャンパーのオヤジがさ、ぐるっと見渡して、おッ、きょうは塞がってんな、や、ここでいい、いい。コッヒーね。で、いきなり大きめのケータイ出して、やーやーご無沙汰、カラダ壊したんだって? もういいの? いや気になっててさ。あーそりゃ好かった、じゃ今度またな。あ、どうもどうも。
ジリリリ。今度はかかってきたんだね。ん、外へ出たぞ。ちょっとした機密か。でも、あの様子じゃおんなじ調子の大声だ。その間、何台か車とまり、バレーちゃんが走っていくな。
っと、ちょっと風変わりなオコソずきん?かむった和装のおばさま、ご来店。カウンター座って、いつもの。ってね。そんで、あ、チケットちょうだい、チケットのほうがラクよね。ええ、お得ですよ、少しだけど、って奥様。おばさまは慣れた感じでタバコを一服、脇の雑誌をとる手つきも、うん、常連さんな。
なんて見てたら、席に戻ってたオヤジ、おッ、勘定置いとくよ、って。何だ、ほとんどケータイかけてたんじゃん。
それなりにナットクした風のカウンターの旅の女性が出ていって、窓際のガイド首っ引きの二人も、つぎの行き先決めたらしくて、で、入れ替わりみたいに小さなリュック背負った青年。旅の人か、街のニーちゃんか、わかんねーな。って、もー和装のおばさまはお勘定か、これも早いな。一服する、って感じ。なーるほどな。
その間、カウンターの奥様の動き留まらねー。豆を挽いてトントントン、ミルを叩いて粉を払う。冷蔵庫からミルクを出してピッチャーにいれて、コーヒー茶碗をクルッて布巾でね。キュッと鳴る。忙しいから意味無く笑ったりはしねーな。ファーストフードのネーちゃんのマニュアル笑顔と違うとこだ。でも、カウンターのおばさまのしゃべりには短く愛想良く答える。会話が途絶えたら、さっと店内見回してるな。コップが空になってないか、灰皿がどうなってるか、とかチラリと気にするわけだ。
それにしてもカウンターのなか、そんなにせわしい感じ与えないくらいスムーズにね、動き回る。手も止まらない。一サイクルの作業が終わったころにまた客入るからさ。一回注文ある毎に豆挽くんだね。ガーガーガー、で、トントントンだ。
ふーん。トントントンと次のトントントンのあいだにさ。かいま見える人生の種々相って。ウチの文学館も巾は広がってきたって思ってたけど。まだまだだなー。客商売はハンパじゃねーなー、って改めてたいへんね。
こうやって隅っこで眺めてると一人の詩人思い出すのね。小熊秀雄。そーだそーだ。小熊もデッサンたくさん描いてんなー、喫茶店の客ね。
奥様には帰りに名刺渡してね、今度あらためて伺います。ご主人によろしく。お二人から学ぶところ多々ありそうな。
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