学芸員のよもやま日記

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3月。別れと出会いをくり返し、って、中島みゆきはたまに、でいいな。

市立小樽文学館学芸員・玉川薫
直接メールくださるときは、こちらまで。もっとも文学館あてのメールも私が読んでおりますが。


3月29日(金)
●今月は、中島みゆきなんかをアタマに置いたからさ。エンギでもねーや。コトダマか。なんか、別ればっかじゃん……。

和泉事務長が異動になった。保険年金課に。昇格だけど……。
凄かったよね、和泉さん。今のスタッフ全員一致だろう。何が凄かったのか。まだワタシも心の整理ができてないのだが。いっちょ、すんげー記憶に残るセリフがあってね。これはこっちに来てまもないころに和泉さんが吐いたセリフでさ。こんなんだった。
「オレは登山パーティーのリーダーにいちばん向いている男だ」「なぜならいちばん最初に音を上げるから」で、ほんとうにそのとおりだった。ムリをしないでつうか、ムリができない状態でもよりよい仕事ができるための環境を作る、って実はいちばん難しい仕事をじっくり進めてきた。
いちばん最初に音を上げる、ってジョークじゃなくてさ、ほんとうに体力ねーんだもの、呆れかえるくらい。でもゆっくりと着実に環境を変えてきた。全体のシステムを変えてきた。気がつけば3年。変わったぞ、ほんとうに変わった。
こっちは亀井館長の名セリフ、「革命よりも、改革のほうがずっと難しいんですよ」「180度ひっくりかえすのは、実はたやすい。ひとつひとつ変化させ、組織を着実によくしていくのはとても困難なことです」
亀井さんが事務長に命じたわけじゃーないよ。でもこの困難な課題を、和泉さんはこなしてきた。「自分でもできるなら」「みんなができるはずだ」言えねーよ、ふつう。できねーよ、そんなまだるっこしい改善。何だろう、体力極端にない人なのに。この粘り、このしぶとさ。

名文句は数限りないな。これから行き詰まるたんびに思い出しそうだ。同僚じゃなくなってしまったけど、間違いなくあれだな。友人がほとんどいないワタシにとって、生涯かけがえのない友人、尊敬できる先輩になったぞ。だからさ、ワタシはもう不安じゃないよ。ひとつひとつのことではもう頼れねーけども、仕事のだいじなこと、人生のだいじなこと、ずっと相談できる人ができたさ。
酒の相手はニガテだけどね。土曜3時にいつもの。文学館喫茶に寄ってほしーな。

和泉事務長の最後の挨拶だ。ちぇっ。泣けるさ。

Aさんさ、こういうスタッフに文学館は支えられてんだよ。いちど来てみな。春はこれからだ。別れはかなしいけど、陽射しは明るい。ゆっくり話しよーよ。文学館喫茶でさ。

3月28日(木)
●相手にしない、っていいながら、我ながら少ししつこいか。でもこの機会に。

穿った見方をすれば、公権を恐れおもねての保身にさえみえるのです。

保身を図って何が悪い、って励ましのメールもいただきましたけどね。いちおうカッコつけさせてね。
文学館みたいなとこでの展示、ってそこに直接公権力の介入なんてそーあることじゃない。20何年かの体験でも、露骨なソレっていちどもなかった。ただし、間接的に、感じ取ることはあった。皮膚感覚レベルなら、もっとあった。すげーわかりやすくランクつけてみようか。

ダントツ1位。
「昭和歌謡全集北海道編」のときの根本敬氏のインスタレーション。世田谷の美術館では、やはり氏のインスタレーションを含む展覧会(まことに刺激的な素晴らしい展覧会だった)を担当したキュレーターが飛ばされたらしい。もっともこういう「風評」は、やっぱり眉ツバでね。ご本人に確かめたら「そんなこた、ないですよ」って笑っておられました。「こっちから美術館に愛想つかしたんです」ってニュアンスでしたけどね。
2位。
やはり「昭和歌謡全集北海道編」の永山則夫の遺品。
3位。
石原慎太郎関係。

そして最下位に近い「安全パイ」。小林多喜二関係すべて。小林多喜二に比べれば、伊藤整ははるかに危険度高いでしょう。「チャタレイ」をまともにやればだし、やるつもりだけどね。
皇室来訪の手前、なんて憶測は噴飯でね。はるか昔、皇太子夫妻(現天皇夫妻)がいらしたとき、確認ずみだよ。いっさい展示内容にチェックなんか入らねー。警備関係はびっくりするぐらいチェック入るけどね。
で、多喜二が何で安全か。
お墨付きもらってるからだよ。具体的にいおうか。「小林多喜二関係資料」がいちばん豊富に纏まって「保存」されているのがどこかご存じか。ウチでも日本近代文学館でもない。
見当つくだろーな。代々木方面。もっとも私も実体は知らねーよ。相当粘ったけど、ダメだった。念を押すぞ。何が、どういう場所に、どのような状態で保存されているのか、一切明らかにされていない。これは今現在に至るまでだ。「普通の感覚で」異常だろう。どう考えても。
でさー。「そこ」から許可されて公開されているものが、小林多喜二関係で展示できるものの全てだ、って状況はまだほとんど変わってねーんだよ。それは、「そこ」直系の出版社から出てる「アルバム」に全部収録されている。ウチで展示したものだって、もちろん例の写真を含めて、そこから一歩も出ていない。出たいよ。出してみたいぞ。それこそ危険だろうな。冗談じゃねーよ。
あのデスマスクの石膏原型。ウチに収蔵された、ってことが全国的に知れたとき、速攻その某出版社からご遺族に電話があったらしい。電話の内容はまだ伏せとくよ。危険ってのはそういうタグイのことをさす。

つくづく思うんだ。「公権力」そのものが怖いんじゃねー。怖いのはさ。「世論」(〈良識〉っても称するな)を怖れる公権力、だ。「公権力」自体は意志なんか持たねーんだよ。

展示でできるってほんとに限界あるだろー。博物館の成り立ち自体に含まれる政治的なものが、その限界を作るだろー。それを崩していくのは、実は亀井さんみたいな一見地味な、小林多喜二を初期から読みなおす、さ。聴きに来もしねーで、その行為を愚弄するAさんは、サイテーだ。
ただし、私は無理かも知らねーが、展示でやってみたいよ。ラジカルな切り崩しをね。多喜二生誕100年。ちょっと身が引き締まるぜ。

3月27日(水)
●昨日のお手紙、もうこれ以上相手にする必要もなかろうとは思いましたが、ちょっと見逃せぬこともありましたので、二、三。この方のようなシンプルなアタマの方には、私の文章が解りにくかったのだろう、とは思いますが(別に反省はしないけどね)。それにしても、誤読というより、こりゃ曲読か。誤解というより無理解か。

辛いだろうとか、無惨だとか、歴史化されているとか、メロドラマ化しているとか、エレガントでジェントルでありたいとか。

エレガントとかジェントルとか、私は皮肉のつもりだったんだけどね。

たとえば、アウシュビッツの無惨で恐ろしい展示物をどう思われますか。原爆記念館や韓国の戦争記念館などの展示物は、見る人が辛いだろうから等で展示をやめません。
ご存じのように、アメリカのスミソニアン航空博物館が原爆被害の品々の展示を拒否し自分たちの犯罪を隠して正当化し、愛国的な神話を保持しました。

スミソニアンは政治的で、アウシュビッツの記念館、原爆記念館、韓国の戦争記念館が政治的ではないと、この方はほんとうに信じ込んでおいでなのだろうか。
ちょっと恐ろしいな。

彼の作品はどうなのか、何を書いたのか。文学にはどんな力があるのか。現在にはこんな恐ろしいことがないか。人の命の尊厳はあるか。私は僕は自由か。国家とは何か。あの戦争はなんだったのか。正義とは何か。世界の人々はどうか。未来に理想や希望が持てるか。自分に何ができるか等々。

ついに出てきた。いちばん警戒すべきお言葉、「正義とは何か」。ブッシュ大統領の演説みたいですね。

このような思考体験はされなかったのでしょうか。

というような半疑問文は、まずご自分に向けてみられることでしょう。

天皇制についてその是非に納得できる思想がないとのことですが、それは個人が文学によって、あるいは、様々な文献、情報など、または生き方や知識や感性によって判断し、自己の思想として獲得していく努力の要るものです。

とは私は申しておりません。はっきり書いておきましょう。私は天皇制に反対しております。まずそれは天皇個人の人間的尊厳を貶めるものだと思われるからです。文学者でもこのことにまで筆が及んでいるのは、中野重治以外にはなさそうですが。

文学館が、一人の学芸員の恣意的な思想か思惑かで、展示物を変える資格があるのでしょうか。館長始め、館員の意見、文学舎の人たちとの徹底した議論も必要なはずです。
何を展示し、何を展示しないかの選択は、誰に委ねられているのでしょうか。

これもはっきり申しあげましょう。私です。以前Aさんが感動された?展示も私がしたものであるし、今回憤激なさっている展示も私の仕業です。問題だ、とおっしゃるならしかるべきところに告発なさってください。

美も醜も、いわばごったな瓦礫が歴史や現実だとすれば、私たちはその瓦礫の中をかきわけていく道を発見しなければならないはずです。廃墟に立つという現実認識を踏まえてたくさんの無残な、理不尽な死体の傍らを生きていくという意識です

唯一共感できるところです。ごったな瓦礫が歴史や現実。そのとおりだと思います。しかし、それを博物館や文学館でつたえようとするならエレガントやジェントルにはなりえません。私は、むしろ笑いをともなった遊園地の外見を呈するものかと思います。ここでもハッキリ申しあげましょう。文学館はその方向を指向しております。

しかも、その一方で多喜二を読もうとするイベントは滑稽です。

これは看過できません。全10回に及んだ亀井館長の「小林多喜二を読みなおす」を聴講された150人に及ぶ人たちが、この文章を目に止めたら、これは激怒する前に、いっせいに噴飯なさるでしょう。Aさんにいちどお勧めします。(その勇気を持ち合わせて居られるとしたら、ですが)亀井秀雄氏の前で、小林多喜二の作品をご自分はどのように読まれているのか発表なさってはいかがですか。漠然としている、というなら、亀井秀雄氏がこのたび使用したテクスト「ある役割」「ロクの恋物語」「田口の『姉との記憶』」「山本巡査」に絞ってもよろしいでしょう。

小樽文学館は北国の田舎街の片隅で、ひっそりと静かに、国家のまちがいを訴える。そのための信頼を大切にして下さい。そこにささやかな希望があるのです。

ははは……。文化果つる北国の田舎街の片隅からのご意見、たしかに承りました。

最近の小樽文学館はずいぶんイベント化、もっといえば遊園地化しています。

繰り返します。そのようにしていきますよ。そのなかでドキリとなさる感性を持ち合わせておられれば、楽しかった、では済まないでしょうが。
では。

3月26日(火)
2月21日の小樽文学館HP─学芸員の日記について

A──

多喜二の虐殺死体の写真の展示を、紀宮の訪館に際して撤去されたのは、まちがいではないでしょうか。
なぜなら彼の遺体写真は私たちに国家権力の恐怖と不正を指摘し、現在を正しく認識し未来を創造するための、どうしても見なければならない、見ることから逃げてはならない大切な告発だからです。そして、私たちには見る権利があります。
玉川さんの撤去理由は、文学と文学館の概念をどう思考されているのか、よくわかりませんが、いかにも通俗的、情緒的な判断です。
辛いだろうとか、無惨だとか、歴史化されているとか、メロドラマ化しているとか、エレガントでジェントルでありたいとか。
たとえば、アウシュビッツの無惨で恐ろしい展示物をどう思われますか。原爆記念館や韓国の戦争記念館などの展示物は、見る人が辛いだろうから等で展示をやめません。
警察博物館の殉死写真と多喜二の遺体写真はまったく違います。共通点はどちらも犠牲者であることですが、問題の所在は、これらの展示物としての目的と妥当性です。
前者は権力の誇示と美化、正当化。後者は権力の犯罪の告発。妥当性はいうまでもありません。比較されるのなら、前述アウシュビッツ他の展示として頂きたいものです。
ご存じのように、アメリカのスミソニアン航空博物館が原爆被害の品々の展示を拒否し自分たちの犯罪を隠して正当化し、愛国的な神話を保持しました。
原爆が人類への大犯罪であることを、アメリカの人々が展示の品々から少しでも認識してほしいのと同様に、多喜二の死もまた、犯罪の証拠であり、その不正に無知であってはならないはずです。
私たち見る者は、恐怖であれ、無惨であれ、そのものと向き合って、なんらかの複雑なコミュニケーションをしつつ、思考の新たな経験をするものではないでしょうか。
多喜二を殺したのは誰か。この質問の答えを写真から引き出すこと。そして、彼は何をしたのか、何のために、誰のために、どんな思想で、どんな挑戦を試みたのか。それは正しかったか。彼の作品はどうなのか、何を書いたのか。文学にはどんな力があるのか。現在にはこんな恐ろしいことがないか。人の命の尊厳はあるか。私は僕は自由か。国家とは何か。あの戦争はなんだったのか。正義とは何か。世界の人々はどうか。未来に理想や希望が持てるか。自分に何ができるか等々。
この人間の潜在的な思考能力を視覚から動かし、驚き、悲しみ、痛み、想像し、深く考察し理解し、批判し、生きることの意味や、現実社会を認識したり、挫折からの離脱を獲得していくものとして遺体写真の展示は大切なのです。
これらを遮断するのなら、文学館の存在の意味はありません。館長さん、玉川さんの思想、理念はどこにあるのでしょうか。このような思考体験はされなかったのでしょうか。

天皇家の若い女性も当然これらの思考を経験するでしょう。
玉川さんは彼女が可哀相、酷だろうという、やさしい前提に立って、写真を外してしまわれたようですが、聡明であると思われるなら、いっそう、小樽文学館のすべての展示を堂々と毅然として見てもらわなければ、彼女への侮辱になります。
天皇が殺した、つまり、一人の文学者を殺した共犯者の側として、彼女もまた、毅然として受容しなければならないし、また、そのために小樽文学館に来られたのかも知れないのです。きちんと正視すること、痛みを共有すること、彼女にはそうする義務があるのです。その折角の機会を剥奪するのは、彼の死を無為にすることにはなりませんか。
また、なぜ天皇家の女性、と区別されるのでしょうか。あるいは差別です。誰彼の区別なく、公正にそのままを提示すべきではありませんか。
天皇制についてその是非に納得できる思想がないとのことですが、それは個人が文学によって、あるいは、様々な文献、情報など、または生き方や知識や感性によって判断し、自己の思想として獲得していく努力の要るものです。
思想は自己の総力で思考すべきもので、多様な思想を選択し、学んでいくものです。そして、今回の玉川さんの処置は明らかに天皇擁護思想であり、納得できないとしながら、権力への偏向であることは明白なのです。加害の側に立って、新たな罪を犯すことになりませんか。
辛いだろうという勝手な解釈、無意識を装う、あるいは情緒に訴えるイデオロギーではないかと疑います。わからなければ、そのままを提示し、見る人の判断にまかせてほしいと思います。右傾化とまではいいません。しかし、現実の流れに添っていることを疑います。
隠す、曖昧化する、不透明にする、情緒的にすることで、歴史を歪曲し正当化することに手を貸す文学館でいいのでしょうか。これは文学館の堕落です。
文学館が、一人の学芸員の恣意的な思想か思惑かで、展示物を変える資格があるのでしょうか。館長始め、館員の意見、文学舎の人たちとの徹底した議論も必要なはずです。
何を展示し、何を展示しないかの選択は、誰に委ねられているのでしょうか。そして、その根本的思想、理念の基盤はどこにあるのでしょうか。
「エレガント」「ジェントル」はどこにあるのですか。または「メロドラマ」ですか。穿った見方をすれば、公権を恐れおもねての保身にさえみえるのです。

無残さから逃げて文学館の展示物は、美しいものに限定したいのでしょうか。
残酷だから晒す、それが文学、芸術です。反社会的、反常識で危険なものです。だからこそ、多喜二の虐殺、言論の弾圧があるのです。
美も醜も、いわばごったな瓦礫が歴史や現実だとすれば、私たちはその瓦礫の中をかきわけていく道を発見しなければならないはずです。廃墟に立つという現実認識を踏まえてたくさんの無残な、理不尽な死体の傍らを生きていくという意識です。
本当に美しいものとは何か、それを表面的に求めるのではなくて、無残さの中から差す一条の光を見る力が要るはずです。文学も他の芸術も、だからこそ、無残との闘いなのです。人間の尊厳のために。平和や自由のために。
前述のように、私たちはすべてを見ることです。無残を避けていては、本当のものを見つけることはできません。もっとも無残なのは、時の流れの中で、忘れられていく理不尽な死はないでしょうか。そして、繰り返される理不尽な死の連続。
誰に対し、何に対して免罪なのですか。罪は免れることはなく、それに向き合い、受容し、繰り返しを回避していく知恵や思想を、そこから生み出していくしかないのではないでしょうか。
過去、または記憶のそのままによって、私たちは現在を認識し、未来をも透視するものではないでしょうか。過去を隠蔽することは、現実の認識の欠如に繋がるはずです。
様々な戦後責任を放置する日本国家、自分の加害を隠そうとする精神の退廃は、新しい世界観もヴィジョンも生み出せず、いっそう国家権力を強固にし、ナショナリズムの煽動によって、奴隷的な従属の民を育て、ついには、自ら破局を招くに至ると考えるのは、あながち悲観論ともいえないでしょう。
玉川さんの処置も姿勢も、極めて日本的な情緒、通念、常識、または臭いものにフタ式の姑息を感じます。そこに文学と人間の歴史を委ねることはできません。
彼の死を隠蔽することは、小樽文学館の死です。しかも、その一方で多喜二を読もうとするイベントは滑稽です。文学館としての見識を疑います。そして、多喜二の手紙を取り戻すために、志を下さった人々の意思を冒涜するものです。
小樽文学館は北国の田舎街の片隅で、ひっそりと静かに、国家のまちがいを訴える。そのための信頼を大切にして下さい。そこにささやかな希望があるのです。

ついでにといえば無礼ですが、あの小樽運河保存の運動の集大成の労作の本を百円で売ったことは、人間へ、小樽の人々へ、豊かな心の在所として後代に引き継ぐために努力した人々の精神を踏みにじるものです。
どんな理屈を並べても、あの文学館の処置は、人間の尊重へ賭けたひとつの高邁な精神を、いとも簡単に放棄して、希望の光を消し去ったものといえるでしょう。小樽運河はようやくの残存によって観光地の大きなシンボルになって経済や精神を潤し活性化していることを思えば、負け戦を覚悟して身銭を切って奮闘した人々に畏怖の心があっていいのではありませんか。価値のあるものは、価値だけの尊重が要るはずです。
文学館自体の存続もまた価値あるものとしての尊重を受けなければならないし、自らを貶めてしまうことに繋がらないでしょうか。
そういう人間的判断や峻別こそ、私たちに学ばせ、知らしめるのも文学館の務めではありませんか。文学はもちろん学識も感性も優れた人たちであることを信じているのです。たとえ、埃をかぶって場所を占めていても、百年後、二百年後の人々を想定できなかったものでしょうか。行政の愚を、小樽の人々の必死な闘争の過程を、未来の人たちに知らせて下さい。闘った人々の足跡は、多喜二の遺体写真と同じく、大切な財産であり宝です。
闘いは終わりなく続いているのです。続けなければならないはずです。
そして、あえて付け加えますが、小笠原前館長が生存されていたら、百円は可能でしたか。多分出来なかったでしょう。現館長が変わられたら、また同じことをされますか。

最近の小樽文学館はずいぶんイベント化、もっといえば遊園地化しています。しかし優れたイベントもありました。ご努力に敬意を持っています。
客が来ない、古典的展示でいいのか、というジレンマもあるでしょう。館の理念とか思想とか述べましたが、それらもまた新たな現実認識の中で変容していくものであり、基本的に再考案されなければならないもののように思います。
文学館は文学の力の歴史、作家の力の歴史の展示です。それに対峙して、自分と自分の場所や可能性を考えるところだと認識しています。そこにある北海道の有名無名の人々の不屈の精神への尊敬を育むような、軽薄な時代の潮流を批判し、真に人間として大切なものを会得できるための知性を見せて頂きたいと願っています。事なかれ的、懐古的エレガントは不要です。廃館になっても誰も反対しないでしょう。
尚、玉川さんが遺体写真を撤去されたことを沈黙せずに、告白されたことを高く評価します。オープンにされたことを信頼します。
僭越なことを述べましたが、文学館は大事な財産、宝だからです。

2002.3.24-5

というお手紙をいただきました。差し出された方は匿名ではありません。ただ、ご住所も電話番号もメールアドレスも書かれてはいないので、ご返事の出しようはありませんでした。また、宛名は館長と私との連名になっていますので、とうぜん館長にも読ませるべきですが、あいにく館長は現在はロサンゼルス。インターネットを日本語で読める環境はもう整えているようなので、そのこともあって、ここに全文ご紹介します。
このこと自体、Aさんの本意ではないのかも知れませんが、恐らく最近の文学館を見ていてくださる方のなかのある意見を代表される文章かと思いましたので、あえて全文を掲載させていただきました。
もっとも私は、ここで一つ一つのことに反論はしません。これまでの文学館の行動をほんとうに通してご覧くださっているのなら、随所にみられる「誤解」はなさらなかったでしょうし、ここ数年の文学館、そしてこれからの文学館の行動自体が、このお手紙に対するご返事となるはずだからです。
ただし、一点だけ。私は小笠原館長が元気であったとして、(だいたい館長没後の小笠原展は追悼展ではなく、あの展覧会の時に行った古書全品百円均一、こそ小笠原館長の始めた古書市の意味をもういちど想起してもらうための方法であったのですが)まったく同じやり方をとったでしょうし、小笠原館長が歓声を上げて共感してくれたことを寸分疑いません。「百円」は、確かに一種奇をてらったものでした。驚きの効果も計算しておりました。これは「小笠原克責任編集・北方文芸展」の最後の二日間にやったものですが、その後まもなく古書販売は「ドネーション方式」に落ちつきました。
私たちが何を考えたのか、もう本当にくり返しになるのですが、価値は誰が定めるのか、ということです。ちなみに、「百円均一」の二日間『小樽運河保存の運動』は一冊も売れませんでした。手にされた方もさすがにとまどわれたのでしょう。そしてドネーションになってから、私の知る範囲では三人ほどの方がこの本を買って行かれました。皆一様に、これも自分で値段を付けるのか、と私たちに問われました。そのとおり、と答えても、しばし考え込んでおられ、そしてある人は2000円、ある人は5000円を「ドネーション・ボール」に投じていかれました。
念を押します。それ以前、この本を16000円の値段をつけて、「飾っていた」あいだ、本を購われた方は一人もいませんでした。
精神を受け継ぐ、とはいったい何でしょう。一段高いところに飾り、毎日ほこりを払い、その著者の写真をあわせて展示して、「百年後の読者」を待つことでしょうか。私は信じております。この本を2000円で買った方は、ほんとうにこの本を欲しくて、読みたくて持って行かれたということを。あえて言います。この本が出たころ、定価の16000円で購われた方のすべてが、ほんとうに読みたくて購われたのか。
理屈を、とまたいわれそうです。この本の値は16000円。安すぎるでしょう。運河保存運動は16000円の値。安すぎるでしょう。もういちど書きます。小笠原克さんは、そんなケチな人間では、ぜったいにありませんでした。

もう一つ、「写真」は私の判断で展示し、私の判断で外しました。紀宮がいらしたことはきっかけに過ぎません。小笠原さんからも亀井さんからも、展示について意見はもらっても「指示」を受けたことはいちどもありません。常設は固定はしません。また出すこともあります。そのときも、私の判断で行います。

3月25日(月)
●六日も更新しねーと生きてますかー、ってね。誰も心配しねーか。
えっと、始まりました。亀井秀雄館長の「カリフォルニアの青い空」。元気ですねー。元気いっぱいだな。亀井さんのことを、私の友人が「脳が強い」と表現してましたが、けだし名言ね。体力、気力こみで持続する思考力ってことね。
卓抜な、って思ってましたらさ、中野重治の若いころの作品(「町歩き」だったかな)に、主人公が「オレは頭は良くないけれど、頭が強い。それには自信がある」みたいなことを述懐するところがあって、ほー、って思っちゃいました。
亀井さんといえど超人じゃないからさ。どっかに頼るところあるはずだ。だって普通ありえないじゃん。
と、このロサンゼルス通信読んでも、すぐに思う人もあるだろう。ああ、この人の最後の最後まで信頼するもの。「家族」ね。亀井さんが(一般的な文章の上じゃなくてよ)「私たち」と発言するとき、そのとき心から実感として思い浮かべるのは、文学館ではなかろー(ちょっと残念……)、まして北海道、日本、アジア、世界でもありえねー。「家族」だな。それはね、極端にちがうパーソナリティだけど、つげ義春。つげさんの「無能の人」の一場面、「無能の」主人公と奥さんと子どもがたまには近郊にでもハイキングしようか、って電車で奥多摩方面に行くのですが、やっぱりいつものようにやることなすこと一つもうまくいかず。ひどいボロ宿に泊まるはめになりまして、三人川の字になって寝る場面、もう宇宙でオレたち三人だけになっちまったようーな。いいか、それでも……。って、あのマンガでいちばん感動的なシーンね。あれ思い浮かべてしまうくらい。
でも、これは正しい、って思う。一人では生きられねー。じゃ何のために生きるのさ、何を守るのさ、って会社でも国でも地球でもねー。直接肌触れあって、身を寄せ合って生きる家族だ。
とっぱじめから快調快調。で、そのロス通信で亀井さんが「溜飲さげた」辻元さんね。顔が変わっちゃったね、一晩で。目が宙を泳いでますが。で、人の顔は信頼できるかどーかの話。
こないだ病院で週刊誌パラつかせてました。病院の週刊誌の定番は「文春」か「新潮」ね。でもこないだ読んでたのは「週刊朝日」と「サンデー毎日」。ちょっと意外だったのは、このふたつはけっこう記事に署名あるのね。ま、「サンデー毎日」は新聞がそれを徹底させてますから、さもあろーが。「朝日」も週刊誌では署名するようにしたのかしら。署名があるからおもしろかったりつまらなかったりするわけじゃなかろーけどね。ただ、これはずいぶん前から気になってることだから、いつかじっくり考えてみることにして。
雑誌がおもしろいかどーか、連載マンガとエッセイ書いてる人みれば、ま、だいたい分かります。フグタイテンの「文春」と「朝日」が、ここではカブっちゃってるのもおもしろい。「ナンシー関」と「東海林さだお」の超強力な二人だからしょーがないか。
マンガは……。スポーツ紙はもとより「朝日」から「赤旗」まで日本のマスメディアぜんぶ制覇した観ある、やくみつる。マンガ史上でも空前絶後だろう。でも何でよ……。ほんと見識疑うぞ。でももっと呆れかえるのは、「週刊新潮」の掉尾飾ってるあの人だな。これ何とかしてよ。ページ数少ないたってカラーグラビアじゃん。おもしろいかどーかって次元じゃないぞ。黒鉄ヒロシ。
「毎日」は、記事に署名、の方針など私は好感もってはいるんですが。いまいちパッとはしねーな。とくに週刊誌、ってイジワルな、ってか、あえてゆえばゲスなとこないとむつかしいのかな。でも、あんまりやりすぎると亀井さんに広告切り抜かれるよ、って脱線。
顔、の話でしたねー。「毎日」で唯一おもしろかったヤツ。高橋春男のマンガ・エッセイね。この人はスルドイ。やくみつるとは似て大差。高橋さんはね。例の「武富士」の放火殺人犯。あのCG似顔絵ね。これさ、容疑者逮捕のとき。もう一斉にソックリ!って連呼されたじゃん。え、どこが?って高橋さん。こりゃまったくの別人でしょう、って。警察が、もしほんとにこれで容疑者つきとめたんなら、「神業」です、って。
そーなんだよね。人の顔ってパーツじゃないの。だからさー、CGではぜったいに無理です。高橋さんはね、でもこの写真でさえ本人かどーか、ってね。ちょっと文学館のなかでも話題になってさ。そりゃガソリン抱えて乗りこんだときと、逮捕されたあとの顔じゃまったく違うでしょ、ってね。それから危うく一命とりとめた従業員の「目撃した顔」と、地味に真面目な同僚、あるいはお隣さんの「顔」とはそりゃまったく違いますわね。で、話がどんどん飛躍していって、ナンシー関の「記憶スケッチ」が何でおもしろいのか、とか、文学館で客はいったい何をみて、どんな感想をもつのか。で、それはアンケートみたいなものでほんとに把握できるのか、客のアタマにテレビカメラつけてみたらどーか、とかね。飛躍しまくり。
いやさー、「ゆきずりの朗読」が何でこんなにおもしろかったのか。『雪明りの路』抜粋した薄いパンフレット読ませたわけで、しかもみんな長いのは敬遠するから、おのずと同じ詩ばっかり読まれるのね。でも、もーびっくりするくらい違うの。同じ詩読んでるの?ってくらいね。
博物館学の先生とかも、入館者がどこの展示で何分立ち止まり、どのキャプションに注目し、とか一生懸命調べてはいるでしょ。でもね、それは、その結果に基づいて展示を改善、って、そこがつまんないのね。へー、こんな風に見てるんだー、って。びっくりだな、笑えるなー、ってまず、そっから考えないとさ。やってみよーかしら、こんど企画で。「文学館のみられ方」ってヤツ。まずワタシが仰天したりして。きょうは飛躍の連続だな……。

3月19日(火)
●こないだいらした大事な方、のも一人は丸ノ内建築事務所の社長さんで、小坂秀雄ってこの文学館の入ってる建物設計した建築家の話だったんだが、ちょっと後日に回そう。すげー大事な話なんだが。

えっと、先週からずっと「ゆきずりの朗読」の編集だ。iBookに入ってるiMovieってユカイなソフトでやってるんだけど、1時間超えるとさすがにiBookじゃーきついなー。
「ゆきずりの朗読」終わってみりゃー、64人よ。わーどーしよー。テープ作るのもキツイなー。けど、これは予想以上におもしろかった企画ね。まだまだ発展性ありね。なんでこんなにおもしろいのかは、後日分析だ。後日ばっかね。日記の意味ねーね。とりあえず、ご参加の皆様はテープ届くの楽しみにね。

沼田元氣さんから電話。「出版社決まりました。ギャップ出版」あー。「担当の方、いまここにおいでなので、とりあえず御挨拶を」あ、あわ。よろしく、お願いします。「ところで玉川さん、北海道はまだ雪ですか」今年は暖冬異変でひと月早く雪なくなりましたよ。よかったでしょ。「東京の人の北海道のイメージはね、やっぱり雪なんですって」なんですと。「そうか、雪ありませんか。残念だなー」雪景色は単調だから、って沼田さんゆってたじゃない。もう。「で、24日は」そうそう。千葉さんと佐藤さんに行ってもらう。カジヒデキさんと沼田さんのトークショーね。「早めに来るように言ってください。ギャップ出版の人とか植草甚一さんの関係もあるし、会わせたい人たちがいる」ふん、ふん。

文学館直接知ってる人とか、このホムペたんねんに見てくれてる人は、もーおなじみだと思うけど。千葉さん、佐藤さんって文学館でいちばん若いスタッフね。千葉さんは嘱託職員、佐藤さんは臨時職員だ。役所ばっかじゃないだろうけど、イッパン的にはショクタク、リンジって軽く扱われてる。事実だからしょーがねー。
で、ここからだ。これ書きはじめるとイカリでキーボード壊れかねないから、抑えるが。ずーっと、有能な、よく働いてくれる人ばっかなのさ。いわゆる(あー何だ、この言い方)「正規の職員」より大概の場合な。何が違った、って。ただのタイミングだ、役所に入った。ただのタイミングに過ぎんのにさ。なーにが「正規の職員」よ。給料いくら違うか知ってるか。もーびっくりするぜ。リフジン、リフジン、リフジン極まるぜ。

もちろんワタシ風情に彼ら、彼女らの待遇なんとかできるわけはない。でもなー、愚かな「正規の職員」に、「ショクタク、リンジに責任ある仕事は任せられない」なんてゆわせねー。バカにできない仕事だから、優秀な人にやってもらうのさ。責任? ワタシがとりますッ。
誤解されたらいけないが、今の文学館の職員はみんな分かっているよ。事務長なんか「正規の職員」こそいらねー、っていってるぐらいだ。

いやいや、怒りにまかせて無茶いってるわけじゃなくて。今回ワタシゃ楽しみにしてるのさ。この二人がさー、感受性も感覚もニンゲン性もマレに豊かな二人がさー、東京でね。ただ遊ぶんじゃなく。大事な仕事に当たってもらうのを。しかもさー、相手が「沼田元氣」よ。ワタシはね。ワタシでもできる仕事を人にまかせたりはしませんよ。きっとさ、この二人はね。予想外のハメに会い、予想外の思考をし、予想外のことをしでかしてくれるんじゃないかと。ワタシを逸脱してくれるにちげーねー、って。それが楽しみなのよ。

さっきヨシモト・シンイチさんからメールいただいた。もとサラ金に務めてた青年ね。いまや沼田さんの片腕、かと思ったら、4月から青山出版社の立派な営業部員だ。めっちゃ忙しいんじゃねーかしら。でも沼田さんのこと、表から裏から尊敬してる(オレだって尊敬してますが)マレな青年だからねー。多少の無茶は聞いてもらえるのかなー。そういや東京で沼田さんヨシモトさんにいってたな。沼田「会社入ったばっかりで、ゴールデンウィーク前に休暇とれるの? 北海道取材のことだけど」。ヨシモト「はッ。何とか……何とかします。なると……思います」無茶だなー。
オカダイッコさんも来たりするのかしら。「ゆきずりの朗読」に友だち4人連れて来てくれた女子大生ね。カフェ講座の生徒さん、ってゆうのはワタシの間違いで、ご本人から訂正のメール入ってました。ヌマ伯父さんの「押しかけ姪??」だそーです。はたから察するにややゴーインな二番助手? ビジンだけどねー。そうとうなコナマイキよ。

こうゆう、どこじゃない人たち次からつぎ現れるかもよー、ガンバってね、千葉さん、佐藤さん。ピッチとメールでバックアップするからねー。家族サービス中のハコダテから(なーにやってんだ、ってね)。

3月15日(金)
●一日は短いが、短いあいだにもいろんな人に会い、いろんなことが起こるもんだ。
きのう「ゆきずりの朗読」ドキュメント・ビデオがようやくできたから、朝まず文学館に届けました。
それからワタシは娘の中学校の卒業式に。ま、卒業式は中学校だろう、なんつっても。だってさー、初めて人生分かれていくんじゃん。実感としてさ。思い知らされるんでもある。あー、こいつとオレは違ってたんだ。違ってたからこれから歩く方向も違うんだ、って。分かれることが別れることさ。そりゃ泣くよ。泣くのがふつーだ。
で、ちょっと驚いたんだが。上の娘が行ってる高校。旧制の中学校だった、いちおう小樽では進学校。ここの卒業式はあれだって。在校生はさー、何か数人の代表だけが出るんだって。なぜか。式場に生徒が入りきらないからだと。なぜか。父母、だけじゃなく、OBがやたらに来るからだと。地方の名門校(もう名門なんてどこにもないのよ。モーソーなんだけどね)は何でこーかなー。何でOBがえばるかなー。バッカみたい。
明日は同じ高校の合格発表の日。きょう中学校卒業した下の娘も受けたからさ。気にならね、ちゃウソだけど。落ちたら落ちただなー。人生はどこでもかしこでも多岐に分かれてるんだね。って、いまから慰めててどーしますか。
泣いてる先生や生徒やおかーさんに感情移入してるヒマもなく、カブでスッ飛んで文学館に戻ったら。あら、亀井館長はもう帰っちゃったの。明後日、アメリカに行くんで、きょうでしばらくお別れなのに。タンパクだなー、あいかわらず。
ワタシだって館長とお別れ惜しむなんてんじゃなく。「光」に連れて行きたかったのね。これを文学館に再現するんですよー、って一目みせたかった……。まーいいか。で、事務長および星田さんおよび千葉さんを連れて、「光」に。星田さんは初めて入るんだそうな。
小林満さん待っててくださりまして。「展覧会中いろんなお店の人にコーヒーを入れてもらう、というプランがある、と」ええ(どっから聞いたんだろー)。ふつうの日は、インスタントにケのはえた程度のものですが。いちおうご提供しましょう、と。そりゃ、せっかくだから本格的なもの出せりゃーいいけど。プロのお店のまねなんて一朝一夕にできっこないし……。「それじゃ困るんですよ」……。「昔の『光』を作ってくださるのはいいが、そこで出してるコーヒーがよそのお店のだったり、インスタントだったりじゃ」……ごもっとも、ですが。「うちは喫茶店ですからね。建物がいくら古くても、そんなものたいしたことじゃない。このコーヒーが『光』なんです。うまいかまずいか知りませんよ。でも親父はこれがコーヒーだ、っていってました。私はこれがうまいかまずいか知らない。ただこのコーヒーが『光』だってのは変わりません」……ごもっとも。「うちのコーヒーを出してください」そりゃ、そうしたいのはやまやまなれど……。「ダッチコーヒーはどうですか?」……? 水出しコーヒーですか。「出してはいなかったけどね。親父はこれやろうとしてた。道具も用意してた。すぐできますよ。まちがいなく『光』オリジナルのダッチコーヒー」そうか。でも水出し、って、わずかしか出来ないんじゃ?「一日20杯限定でもいいじゃないですか。それに冷蔵庫で日持ちはします。私が店で作ってペットボトルに詰めてお持ちしますよ」なるほど。「ヒマができれば私できるだけ文学館に足運んでコーヒーお淹れします」うーん、そんなことがお願いできれば、それは。
「はっきりさせておきたいんですよ」ちょっと口調を改められた。「うちの、『光』のためにならないことはやりたくありません」それは……、そのとおり……。「そしてそれが文学館さんがやりたいことと重なるのなら、このことにご協力しましょう。コーヒーは『光』のでなければ困る。そうでなければご協力はできません」ご、ごもっとも……。そーか。オリジナル「光」でホンモノの器で、ほんとの「光」のコーヒー。これって、ちょっとすごいこと?
ワタシね。考えるまでもなくとーぜんのことなんだけど。満さん「チャンスかも」って思ったんだろう。ひょっとしたら、半ばあきらめかけてた「光」存続、の。
ならば。こっちも。そりゃーゆるいよ。ゆるいけどさ、こっちだって文学館の存続かけて、って。だってケツジョしてるのそこでしょ。都立の文学館つぶされて。みんな一応言い立てるよね。文学館、美術館の危機の時代、って。でもさー、誰が本気で思ってるよ。起死回生の、ってさ。存続かけて、まなじり決して、って。
「光」のある都通り商店街、きょうも一件新規のテナントの改装工事か。あれ、ここ、こないだまでアレで、もちょっと前はアレだったんじゃ? そーだよ、日々閉店してんじゃん。必死なんじゃん。
何リキんでる、ってゆうか? でもさ。ここがツブレりゃあっちもツブレる。こっちもあっちもツブレりゃ街がツブレる。トッピだが、ワタシゃ、とつぜん鈴木宗男氏のこと思うぞ。やっぱ〈世間並み〉に、なんだーこのオヤジはよー、って思ってた。だけど。ムネオハウスって。利権まみれの、って。これが数十億? プレハブ……じゃん。荒涼たるさいはての草っぱらに、おっ立てた……。何か急に腹立ってきた。疑惑の総合商社か何かしらん。マトモじゃーなかったのは、きっとそうなんだろう。でもさー、ほかの誰がこんなとこの、こんなとこに暮らしてる人たちのこと必死こいてやってたよ。植樹はダメです、検疫にひっかかります、領土主権ににかかわる由々しき問題でございます、って。アタマこづかれて足蹴っ飛ばされました、全治一週間、診断書もございます、って。6年前のことでございますが、って。あのなー、恥を知れよ。情けねー。何てテイタラクよ、外務省。
「光」は、エンエンと続くから、ちょっとこの辺で。文学館に戻りましたら、あー、きましたよ。小林さん以上にキョーレツなあの方。いやご本人ではなく。H社、って今さらイニシャルもねーな、平凡社のクサカベさんから電話。「玉川さん、沼田さんからお聞きになりましたか」いーえ。「沼田さん、ヨソから出してもいい、って言いだしました」……。「あれではね、確かに沼田さんタダばたらき」……。「せめて取材費ぐらいちゃんと出してよ、って、沼田さんの言い分、すごくもっともです」そうですよね。「でもこればかりは私のできることにも限界が」……。「営業もシビアになってますからね。私だっていっしょに北海道行ってアポとって回ったり、お手伝いしたいのはやまやまだけど、そればっかりもしてられないし」……。「平凡社と沼田さんとのことなんですが、マンイチ状況が変わったら、文学館にも迷惑が」いえいえ。そりゃ、イワナミ、チクマとならぶ大出版社から、って夢みたいではあったけど。ウチは本さえ出りゃいいんで。満足なお金も出せないで申しわけないのはウチのほうなんで。「いいえ。文学館さんもせいいっぱいがんばっておられるのよく分かりますから」……。闘ってるなー沼田さん。袋に入れた企画書とか和田さんの本とか、あっちこっちで広げてさー。
ユルい、ユルい、ユルいさー、公務員なんて。でもユルくないんだって思わなきゃ。ユルくないんだもの、本当は。思えないんなら、さ。ほんとにユルくない仕事してる人にひきずってもらおうよ。背中を蹴飛ばしてもらおーよ。ったら、あらピッチがブーブーって。発信者は、ぎょ。沼田元氣。「玉川さん、ちょっとトラブリまして。まずお耳に入れておこうと」聞きましたよ。クサカベさんから。「そーそー、平凡社シブるから」……。「オリました。別の出版社から出します」あららー。「いいでしょうか」文句のあろーはずが。
「それで植草甚一さんの件もありますし。東京に来れませんか」4月に入ったら行けますよ。今月は、ちょっと……(たまには一泊ぐらいしようよ、って妻子が……)。でも、24日のカジヒデキさんと沼田さんのトークショーは千葉さん楽しみにしてますよ。「千葉さんて、アルバイトですか」いーえ、嘱託。立派な文学館の職員ですよ。「名刺もってるだろうか」……? はー、持ってないだろーけど。名刺なんてワープロでちょいちょいと。ワタシのだって、そーだもの。「じゃ、名刺持たせてあげてください」はッ。千葉さん!たいへんだ!責任重大じゃ!
きょういらしたもう一人の方がもたらした、これもとっても重要な話は、……明日じゃ。

3月12日(火)
●例年よりひと月は早く暖かくなってきたよーな、つうても北海道はまだ寒い。バイクで走るのはまだムボウかもしらん。
中学生はまれに来ない日があるが、パソコンじーさんは皆勤だ。もくもくと字を打ってるぞ。終わったら、ちゃんとシステム終了して帰るからさ、もーやりっぱの初心者さんとはレベルが0.5は上がったな。
臨時職員の佐藤さんは今月いっぱいで辞めなきゃならない。毎度リフジンなことではあるが、佐藤さんは(マジ)これから世界に向かっていく人だ。ウチにいた一年は(これもマジ)佐藤さんにとって小さくない意味があったぞ。
で、きのう新しい人の面接に事務長があたったらしいが。今度は高校新卒の人を優先して採用するようにという通達だ。まー、このご時世だからね。若い人が受難の時代。退職役人の優遇なんてもってのほかな(まことにスケールは小さいが、リフジンなアマクダリがこんな役所でも未だにまかりとおってるらしい)。
で、事務長は面接に来た人ぐるうっと見回して、一人いた!男のコ。決めるのラクね。もーこのコ。美術館・文学館に男のコ?って、もうウチの実情知ってる人は驚かねーよね。力仕事よ、ニクタイ労働。汗流せ、歯ーくいしばれ、ってね。ご指名受けた男のコもきっと驚いたと思うけど。ほー、空手の有段者ですって。でも男のコが出た学校、こないだまで女子校だったトコじゃん。もと女子校出身の空手マン、ちょっとビミョーな。でも楽しみね。
亀井さんの講演、めずらしく来てたねー、マスコミの皆様。しかも! 私ゃあんまり記憶にないぞ。最後まで聴いていらした。ま、今回は報道していただくより、とにかく聴いてほしかったからさ。耳に痛い思いもされたろーが(でなかったら困りますが)、ね。迫力ありましたろ? 亀井さんの講座一回でも聴いた人はもーおなじみですが。手ー抜かねーんだもの。当たり前だろう、って? そうかなー。これだってウチがらみだから、あんまりゆえないけど。今年の夏の某大学の先生の話聞きました? ひどいも何も……。これなら統合されてリストラされても、文句ゆえない。そーゆえば私がときどき拝見してる詩人の笠井嗣夫さんのHPの掲示板に、Kさんって、某教育大学の先生なさってる方の批評めぐってのやりとりがありましたが、そんなかでKさんが送ってこられた同人誌が勤務先の封筒使ってることに笠井さんがちょいと不審の念を洩らされたところ、K先生逆ギレ?
「同人誌活動も職務のうちです。同人誌を送ることも。公務員というより、大学教員の」だって。うーむ。ワタシおなし「公務員」として慚愧に耐えない。この先生も大学統合のアカツキにはまっさきにリストラの口ね。あー情けな。
亀井さんだが。この人みてると。タモリが作った(いいか悪いかは別にして歴史に残るな。広辞苑にのるかもね)根が明るい、って言葉を思い出すな。今でこそあんまり聞かなくなったが、根が明るい、暗い、ってタモリ自身は正確に使ってたと思うけど、これほどいーかげんに使われてた言葉もないね。ネアカ=友だちいっぱい、いつもニギヤカなんて、誤解もいいとこよ。亀井さんみりゃわかるでしょ。もー断言するが、この人ほど根の明るい人めったに見んぞ。わかるって何が、って。この人みたく明るいのは困惑させるわけよ。だから孤独だ。いっこう平気そーだけどね。
たいがいの人は暗いのが好きなの。ジトッって暗いのが。ジトッって暗いのがツルンで酒を酌み交わし、ってのが世間は好きなのさ。
講座の後、ウチの職員が亀井さんの壮行会だって「五香(ウーシャン)」に連れていきました。テーブル油でギトギトのギョーザ屋ね。ギョーザと春巻きの巨大さにビックリね。亀井さんとっても楽しそうだったよ。本場のディズニーランドに行くのも楽しみなんだって。前にアメリカ行ったときの街角でヌガーか何か売ってた黒人の青年の話してた。口上がだんだんリズムと節がついて、よーするにラップね。「聴いてると楽しくてね、ひとりでにカラダが動きだしちゃって」はッ。こんな亀井さん見るのはワタシたちの役得か?
ワタシ思い出してたんだ。およそ一年前か。H社から刊行される「グローバリゼーション」って社会学者の論文集の編集会議が小樽でありまして。メンバーにびっくり。ワタクシでも知ってるよーな錚々たるヒトたちね。カルチャースタディーとか、ジェンダーとかってとこに必ず名前並ぶよーなさ。
三日連続ぶっとーしの議論沸騰だったみたいだが、亀井さんはなかでは年長でもあり、ま、一日の長ありって。ワタシも二日ほど傍聴させていただいて。滅多にない機会だから。おもしろかったなー。若い研究者の一人が、事例にテレビのヴァラエティー番組使った、ってゆうの。「ここがヘンだよ日本人」ってヤツね。あれがどうやって仕組まれていくか、ってその人のレポートはなかなかおもしろかったんだけど。他の研究者の態度がさ。ケンもホロロって。よりによってこんな下品な材料使わなくっても、って。ジェンダー論で名をはせてる先生なんか、あれにはウチの学生(中国人留学生)もバイトで出てますけどね、って。カノジョたちの最高いい小遣い稼ぎ口みたい、って。ワタシこんときも、あれッって思ったんだけど。この先生の口調がね。あからさま。その学生さんへのケーベツ感が。
で、じゅんぐりにこの番組への感想いわされる恰好になったんだけど。亀井さんがね。「私は時々見てますよ」って言いだして。何だか場がシーンってなっちゃったのね。「え?」って感じね。亀井さん、ぜんぜん平気。「私はテレビはスイッチを入れたら最後までみる主義なのです」だって。「おもしろく見たこともけっこうありますよ」だって。
たいした話じゃないんだけど。印象的だったのね。亀井さんの余裕と、おそらく今もっとも先端で鋭敏なってゆわれてる若い研究者たちの「困惑」。

議論はおもしろかったんだけど、ワタシがもっと印象的だったのは雑談。亀井さんがみんなを案内した小樽の寿司屋でのね。隅っこに固まったグループ、ジェンダー論の女性研究者とか教科書検定がいかに官僚の手でねじ曲げられてきたか、って「歴史」を述べ上げた若い研究者とか、この会議全体の座長格みたい年輩の研究者とか。話題はもちろん「歴史教科書」ね。何が話されてたか、ってことじゃないの。あんまり覚えてもいないし。ワタシがまたアレーって思ったのはさ。その人たちの語り方。その雰囲気。
何かさー、楽しげなのね。嘆いているのよ。怒っているの。でもさ、ちょっとヤな言い方許してね。何か舌なめずりしてるよーなの。で、ワタクシそのリーダー格の研究者が発した一言に耳を疑った。「小林よしのりが必要なのさ。〈我々の側〉にも」だって。
ワタシこのときまで〈世間並み〉にさ。ひでーなー、「新しい歴史教科書を作る会」って。何よー、このフジオカっての。とかね。思ってました。ま、それはあんまり変わんないけどさ、その「『新しい教科書を作る会』に反対する」人たちの、この……ジットリ感は何?いったい……。
帰りね、エレベーターのなかで亀井さんと二人になったから、思いきって言ったの。「何だか皆さん暗くはしゃいでおられる、って感じですね」。亀井さん、にやりとされましたよ。「そう思うでしょ」って。
あれから丸一年だ。亀井さんがひととおり出尽くした感のある「新しい歴史教科書」「反・新しい歴史教科書」マスメディアの記事、小林よしのりの「戦争論」まで全部目を通して、そしてその間例の木浦訪問もあったわけだけど。その一年間の亀井さんの思索と行動の結論が9日の「歴史教科書問題と韓国行き」だったのだが。
いろんな人が文学館では話ししてくださって。感銘深い話もずいぶんあったが。でもこの人ほど全力投球、ってやっぱりルイがねー、って、あれか、文学館で全力で語るんじゃなく。全力で傾けてきた思索を文学館で語る、だけか。いや、やっぱ、もう亀井さんの思索の一部は「文学館」で組み上がってんだよ。ワタシゃそー思うぞ。スゲーんだよ。ウチの文学館はさ。
亀井さんはオレたちに無理難題言ったことこれまでいちどもなかったが。ウーシャンではね。「ひとつみなさんにお願いがあるのですが」「今年のセンバツに私の母校でもある前橋高校が24年ぶりに出るのですが」「できればビデオに撮っておいていただけないでしょうか。全試合」わかりましたー、お安い御用です!「高校野球ビデオに撮るのむつかしいですよ。試合中止とか雨天順延とか延長とか、もうしょっちゅうで」あ、そうか……。「私、もう気もそぞろになるんです。毎年高校野球が始まると」……。「お願いできるでしょうか」……うーん。ムリナンダイな。しょーがねーなー。昼飯食うとこにあるテレビ、NHK映ったっけ? インターネットで試合経過も注意してねーと。……ケントーむなしく初戦敗退、をひそかに祈るよ。

3月8日(金)
●きょうも二つ目。さきほど「光」さんに行ってまいりました。喫茶店「光」創業者小林光さんと奥様の話をうかがってまいりました。「光」の物語は、でもあらためてゆっくりと。
ワタシがきょうハッとしたのはね。「光」開店のときの写真。昭和8年の。両脇の古びたしもた屋みたい家のまんなかで、「光」は超モダン。
こないだ「館」にうかがってさ、「古いものはマッチもないわね」って考えてみりゃ当たり前、ってきょうも再確認さ。「光」はたまたま残ってしまったんだけど。現マスターの小林満さん、きょうもおっしゃってた。「ほんとに重荷だったです」って。「取材は300も受けたかなあ」って。それは少し大げさな気するけど。「もうここ数年はお断りしてたんです。昔の話はもういいだろう、って」「やり直したいんですよ。でも昔の断片がこんなに残ってる」そうですね。お店をやるって、歴史を守ることじゃあない。「そう、なぜうちだけがこれを守らなきゃいけないのか」「ほんとにそれを文学館に移してくれるのなら」「うちはもうやめたい。新しくやり直したい」「もし、昔の『光』は?、って聞かれたら」「ああ、それは文学館にありますよ、ってお答えできるなら」そうね。わかりました。ウチが引きうけましょう。「私、小さかったけどありありと眼に浮かぶんです。親父もお袋も若かったころの、住み込みの従業員が10人もいたころの、あの『光』。ラフスケッチだって描けますよ」ワタシね。そのスケッチは満さんの「夢」だろうと思う。多少の写真とか残っていても正確なお店の再現なんてできっこないと思う。でもワタシはゆうよ。胸張って、オリジナル「光」を再現します。文学館のなかに。再現じゃないのね。文学館を「光」に変えるの。「夢」をみるんだ。満さんたちといっしょにね。小樽はそのころ銀幕の街みたいだったのね。もうちょっと経てば、喫茶店に入るのもはばかられるような時代になってゆく、ってのは何十年も経ってからわかったことだ。束の間の輝き。夢の残骸。かまわないじゃーないか。それを文学館で引きうける。
お店のことに口差し挟むなんてできることじゃーないけど。小林さんが新しいお店を始められたとして。それはもちろんたいへんだろうが。小林さんも「喫茶店人」であるからには新しい夢にかけたいのは当たり前だ。それで疲れることがあったらさー。文学館に来ればいいじゃない。お父さんの夢の残骸に会いに来ればいいじゃない。
文学館ってそうゆうとこさ。だから。文学館にいらっしゃい!

3月8日(金)
●喫茶店。きのうの報告をしておきます。石狩市花川の了恵寺住職高木憲了さんを訪ねました。マッチのラベルをお持ちだ、ってうかがってた方ね。
石狩市、ついこないだまで札幌市石狩町だったところ? 近代北海道発祥の地? いや、すごいとこね。私しばしば、今さらのごとく驚かされることあるんだけど、北海道のイナカって、いわゆる内地のイナカとは根本的な違いがあるのね。きのうは私下車するバス停間違えまして、でもほんの一つか、二つのはず、だったんだけど、呆然としちゃった。人のケハイがない。すっごいだだっぴろい道路は車バンバン行き交ってるのよ。家々ももうすっかり今風ね。ただねー、まずその家々のそばにたどり着けないの。そんでやっとたどりついても、何でさ。なんで人がいないのさ、どこにも。ときどき車は通るよ、住宅のそばを。でもさー、歩いている人がいないの。庭先とかにも人がいないの。
そんでぐるりと大回りしてみると、忽然とフツウの町が現れて、さらに呆然とするわけだけど。そうゆう、北海道のイナカの話は、また日を改めましょうね。
たどりついてみると了恵寺はとっても大きな、それに由緒正しげなお寺。もと讃岐にあったんですって。高木さんはときどき激しくドモる癖がありますが、人徳のある方なんだな。私が通していただいたお部屋には高木さんのほかにお二人のおジイさんがいまして、なにやらご相談なさっていました。お一人は檀家の方かな。でももうお一人は、私が来るんでわざわざ高木さんが呼んでくださってたみたい。
檀家の方がお帰りになった後、別の棟に案内されまして、おー、これはビックリだ。博物館じゃありませんか。いわゆる寺宝だけじゃなく、どうも若い頃から病膏肓に入ったらしい高木さんの「趣味」の宝庫ね。ゆっくり拝見しだしますとドツボにはまりそうだから。さっそくマッチラベル拝見。出てくる出てくる。もーどんどん。高木さんは、「あげますよ。持ってっていいですよ」なんておっしゃるのだが。そーゆうわけにもいかないでしょ。
大量のラベルのなかから、小樽と札幌の喫茶店のものを選び出しました。スクラップブックにも貼ってないまっさら状態ね。やっぱり印刷所から出たものみたい。計60枚。時代は考証できないが、なかに一枚だけだけど「夢」がありましたから、昭和6〜8年頃と推測できるわけです。「夢」は便利ねー。
ただしー、当初のモクロミはやや外れた。「札幌喫茶界昭和史」って、和田義雄さんの本の複刻に使いたかったんだから札幌の喫茶店のマッチがね。これが意外なほど少ない。別方面も当たらなきゃ、ですね。
それはともかく、「喫茶店展」の話しだすと、これは年代問わないなー、みんな身を乗り出すんだもの。これまでやった展覧会のなかでも、いちばん幅広い層受け入れそうだな。もっともそのためにやるんだけどね。
きょうの午後2時、いよいよ「光」さんを訪ねてじっくりお話を聴きます。序盤戦のクライマックスね。ご報告は、今夜、ないし明日ね。
きょうは、もういっちょ。明日9日土曜日午後2時からの亀井秀雄館長の特別講座「歴史教科書問題と韓国行き」。マスメディアの皆様。ぜひともご来聴を、ってか、はっきりいわせていただきますが、聴く義務あり、なの。亀井さんの論抜きに、もうこの問題語れませんよ。ちょっとイジワルかもしれないが。私計っていますの。マスメディアの反応を。その反応次第では、少しじっくり考えて、やってみるかな。「匿名の『良識』」とは、なーにか、ってのを。やや声のボリュームupしてね。

3月6日(水)
● 今日の日記の二つめ。
読売新聞夕刊で東京創元社の『中井英夫全集・黒衣の短歌史、他』が取り上げられ、これに収録された中井英夫・中城ふみ子往復書簡についても触れられているらしい。ついでに小樽文学館でやった展覧会にもちょっとだろーけど触れられているらしい。
で、あの展覧会のことを書いておく。奇跡だったと思う。奇跡のようだった。あれいらい、展覧会というものについての私の考えが変わった。「中学生日記」のタッヒーやミナミじゃないが、私にもはっきりみえた。中井・中城ふたりの魂が、記録的な猛暑で息がつまるような会場に(文学館は今もノー冷房)降りたったのを。孤絶した魂が寄り添うように立ったのを。
私だけじゃあない。あの展覧会を体験した人の多くが、「そのこと」を体験したはずだ。
ふたつ、とりわけ印象的なことがある。
中城の身辺には多くの男性がいた。私が会ったその一人は、医師で歌人である方で、中城からは終始一種の醒めた距離をとっていた方のように感じた。この方にもいくつかのことをお願いしたのだが、その方は静かにおっしゃった。「私は、中城のことは今もあまりかかわりたくないと思っています。私は」と、ちょっと間を置かれ「中城を今でも許せないのですよ」。私は黙らざるをえなかった。ほんとうに、それ以上その方は語らなかったのだが、おそらく中城のインモラルに対して、だったのだろうと思う。
それでもその方は協力してくださった。そのときには私はかつて存在したという「幻の」中城ふみ子が出席している座談会の録音テープをさがしていた。「もう見つかるはずはないのだが」とつぶやきながらも、可能性のあるところについては二三の心当たりを教えてくださった。
テープは見つかった。これも奇跡だったと思う。展覧会の初日、その方も来てくださった。あの蒸し暑い会場で長い時間をかけて展示を見てくださった。そして、その方と、やはり中城の周囲におられた数人の前で、私は座談会のテープを回した。ときおり中城の細く高い発言が、はっきりと聞き取れた。その方が帰る少し前、私のところに寄ってくださった。「やっと和解できたような気がします」……。「中城と、初めて」……。没後40年。40年目の死者との和解。そのようなことがあり、そのようなことを「文学展」がなしたのだ。意味が分かったと、私は思った。これの、このようなことの「意味」がようやく、と。
もう一つ。中城にもっとも近い人。どうしても会いたい、どうしても来ていただきたい。けれども会えなかった人がいる。中城ふみ子の遺児。中井英夫が手紙のなかで「薄幸のために美しい」と書いた兄妹。妹さんは東京の下町の鉄工所の奥さんで、明るく活発な人だ。今でもときどき文学館に果物を送ってくださる。
兄さん。中城の長男の方は、まだ未成年のころ地元の地方紙の三面記事にされた。今みればどのようにみても「些細な非行」だ。「あの中城の」と書かれた。「あの」は優れた歌人の、という意味ではむろん無い。あの奔放な、だ。
その方の人生がどうだったのか。どのようだったのか。肉親の方からも多くは聞けなかった。神経を病まれた、今は回復されたが。とも伺った。
私はその方のお住まいを訪ねた。越えてはならない線とも思ったが訪ねた。小さなアパートだった。留守だった。何時間か待ってみたが会うことはできなかった。
招待状はお送りした。開会式にもお見えにはならなかった。その方とは今に至るまで会っていない。ただ。展覧会も終わるころ、ようやく秋風が立った頃。入口にある「芳名簿」というものを何気なくパラパラとめくっていた。ポツン、という感じで、その方の名があった。いらしてくださっていたのだな、と思った。母親に逢いに。母に逢うために。
そのあと、その方のことはどなたからも聞いていない。

3月6日(水)
● 喫茶店。きょうは「館(やかた)」だ。札幌方面の方には「洋菓子の館」として有名であろー。現社長は光三鶴さん。先代のお嬢さんね。光さんて珍しいお名前で、喫茶店の「光」さんと混同しかねません。歴史的にもつながりがございまして、いっそうコンランに拍車ね。で、ここでいったん整理。
きょうお目に掛かりましたのは社長さんの三鶴さんとお母様。つまり創業者の奥様はまだご健在であられる。お二人からのお話と私の推測も交えて整理できたのは、昭和6年から11年ぐらいまでの喫茶店史だ。
まず画家の国松登氏が現在の都通り、喫茶店「光」のある場所に、喫茶店「夢」を開業したのが昭和6年(国松登さんの年譜とかに出てくる。根拠はまだ不明)。国松さんはまちがいなく「夢」の創設者でありオーナー(やとわれマスターだったという説は誤り)でありました。お店には毎日、一日中、出ておられたそうな。熱意ある喫茶人だったわけね。で、これは「館」の大奥様の証言。なぜなら大奥様は、かつてこの「夢」の従業員であったのです。ウエイトレスではなくて調理をご担当であったとのこと。大奥様は、「夢」が「光」に変わってからもしばらく同店で働かれたそうな。
そこで「夢」から「光」に、を整理。「光」の開店は昭和8年(看板にそう書いてあります)。さすれば国松登さんが「夢」をやっていたのは2年間ということになりますが(大奥様は、もっと長いこと店をなさっていたような気がいたしますが、と)。
いずれにしても国松登さんは小林光さんに昭和8年に店を譲られた。小林光さんは「夢」を「光」と改名し、喫茶店を再開された。このあたりの経緯が少し不思議ですが、これは明後日小林満さんに確かめることができましょう。
「館」の大奥様のご記憶では、国松さんのほうは喫茶店を手放されたあとは、とくに仕事もなさらず絵を描いたり遊んだり、って、ここで、小樽美術館で1990年にやった「国松登展」のパンフの年譜確認。昭和8年帝国美術学校(現武蔵野美術大学)に入学って書いてありますが。なるほど一念発起されて上京なさったわけだ。もう26歳だから、いわゆる晩学ね。「夢」をやっていたころは2階が「裸童社研究所」って、これは小樽の絵描きさんたちの共同アトリエみたいなもんだからさ。こんど再現するオリジナル「光」は、小樽の美術の原点再現でもあるわけ。笑いなさんなよ。どうせ北国、港町。半植民地のフキダマリ。って、されど。な、わけね。だからこそ、なわけよ。
えっと、「館」の話。大奥様は「夢」で働き、「光」に変わってからも働き、そんで昭和9年に結婚されて独立、ご自分たちでお店を開きました。その名は「ダリヤ」。現在の「館」の隣の隣、和菓子屋の「新倉屋」さんのところね。で、現在地に移られたのが昭和11年。「館」と改名されたのは国松登さんのアドバイスで、昭和……、うーん、これはねー、ゆわれれば当然なんですが、「館」さんを創業された光さん(ややこしいな)は新しもの好きで、そのころ東京の画学生だった国松さんとあっちこっちの店見て歩いて、最先端のお店のマネね。しょっちゅう模様替えしてたんですと。お店の歴史を語る資料なんて、とーぜん80年後の人間が惜しむ話でさ、喫茶店やってた本人は歴史なんてどーでもいいの。もー新しいものが好きで好きでしょーがない。それが喫茶人だもの、とーぜんね。で、「館」さんには今でも古いものがなーんにも残っておりません。ある意味、これこそ王道。喫茶人のね。でも、さて困った。大奥様のご記憶も少々霞がかかったよう。
何にもありませんか。「マッチラベルもほとんど国松さんがデザインしてくださってたんですけどね、残しておけば良かったかしらね」……うーむ、オウヨウな。写真も?「戦前のものが一、二枚ならあるかしら」そーか。新聞だな、新聞しかないな、当時の。つまり昭和6年から11年ぐらいまでの小樽新聞をシラミつぶしに。このころの新聞ってゴシップジャーナルだからさ、喫茶店がらみの記事なんて必ずあるの。女給K子とS氏の道ならぬ、なんてのまでね。ま、いまの「良識の代弁者」みたいより、はるかにおもしろかったんだけどね。
「椅子がひとつあるわね」え? 「私(三鶴さん)が物心ついたころはもうお店で使ってなかったから、初めっからある椅子なんじゃないかしら」いーじゃないですか。「国松さんの石版画の石のほうがひとつある。絵はなくなってしまったけど」いーじゃないですか。「国松さんがお店のディスプレーしてくださったときのステンドグラスのかけら」とっても素敵じゃないですか。時代考証なんてね。どーでもいいの。もっともらしいこと書いてあげますから。お客様が夢みれればいーの。それはなぜ。文学館、だからです!
「国松さんのこと、よく知っておられる甥御さんがいたわね。お隣の新映堂(写真店)さんにいまでもよくお出でになるそうですよ」。
でお隣の新映堂さんへ。「ええ、同じ国松さんて方。よくお出でですよ。伯父さんの話、よくなさってます。ビル警備のお仕事なさってるんじゃないかしら」そーか。「当時の話なら新倉屋さんの息子さんがご存じなんじゃないかな。よく昔の館さんの話なさってますよ」「吉田金物店のご主人は80何歳かでとてもお元気。このあたりのことならいちばん詳しいと思いますよ」「水晶堂(眼鏡屋さん)のご主人は、昔からいまの場所でなさってたわけじゃないけど、街の写真をお撮りになるのが趣味で。ずいぶん昔かからあちこちの写真を撮っておられる」あー。ひとまず文学館に戻ります。「何かわかったら電話しますよ」。
もどったら有好さん(内装屋さんですね)からお電話。「『光』さん、よかったですね」はいお陰様で。「丸井(デパートね)さんのあたり走ってたら、ちょっと思い出しまして」はい。「『枯葉』さんてご存じでしょ」ええ。「あそこに入って、ちょっとご主人にこの展覧会の話を」はい。「お店を始めて40年以上になるそうですよ」ほう。「興味を持たれてましたよ。1960年ころの話ならいつでも、って」ありがとうございます。ぜひ、よろしく。わー、あっちこっちゆかなきゃー。
私のこと熱心な学芸員、って思われてる方も少なからずあるよーだが。とんでもないナマケモノって正体も身近なニンゲンにはね、知られております。だ、がー。自分でゆうのも何ですが。火事場のバカ力タイプではね、あろーかと。こどものときから特技は一夜漬け。でその隠れた能力引き出すためには(はー?)こっちから火を付けて回るとゆう手が(おいおい)。えっと、追いこむワケね。我と我が身をねー、って日記書いてるヒマなくなるぞ。

3月2日(土)
● 全国のカフェマニア、喫茶店びと、茶人、嶽本野ばらファン、ゴス・ロリ諸姉、小樽文学館ファンに告ぐ!
奇跡? Dreams Come True? 夢のようよ。ほんとうに。

さきほど、ようやく「光」のご主人に会えました。喫茶店「光」二代目当主小林満さん。
はっきりと本人のお口から聞きました。全面協力してくださると。
喫茶店「光」。昭和8年開店当初の名は「夢」(まさに!)。その当時のカップや焙煎機はもとより、木製の冷蔵庫、あーそしてテーブル6脚! そのまま保存されているそうです。そのテーブルが確かに映っている当時の写真も。私ぜんぜん知りませんでした。今の「光」はすでに往時の光ではない。「光」といえば誰でも思い浮かべるあのレンガの外装も戦後のもの。あれだけ広くなったのも改装を重ねた結果。
開店当時の「夢」は、今よりずっと小さい。文学館のこんどの展示のスペースにほぼスッポリおさまるぐらいの。
そうよ。皆様。こんどの展覧会はね。昭和8年創業のオリジナル「光」が再現されるの。ほぼそのまんま。ありえない、ありえない、ありえない話じゃん。小林満さんおっしゃってました。「そのようなことが可能なのは、恐らく全国でもこの店だけでしょう」って。
「ずっと重荷だったんです。トラウマみたいなもんだった」「親父には、小さい頃から、この店の話をくり返しくり返し聞かされました。この店が親父にとってどれぐらい大切なものだったのか。15年前に亡くなるまで、です」「創業以来の『純喫茶』ですよ。これまで何とか続けてこれたのが奇跡のようなものです」「そこそこ名が知られていてもそれで食べていけるはずがない。限界でした」「今年、もう解体するつもりでした。うんと小さくして。装いもまったく新たにして再出発」。
「創業当時の店を再現。もしそんなことができるのなら。意味があったんだ。持ってたことの」「親父に申しわけが立つ、かも知れない」「『光』の話は知ってます。親父のこともよく知ってます。恐らく他のどちらの二代目さんよりも」
昭和8年。東京で小林多喜二が殺された年。日本がどちらへ向かっていくのか、ようやく不安が蔓延しはじめた年。それでも北国の港町で小さなモダンな店が開いた。その物語がもういちど始まる。70年後のその町で。

2002年度市立小樽文学館特別展「オタル喫茶店物語」7月5日オープンだ!

3月1日(金)
● 総理、総理、総理。この国にIT難民が大量に発生している事態をどのようにお考えなのですかッ。って、辻元さん?
で彷徨うIT難民がたどりついたのは文学館だ。こないだ100円でパソコンができるのですか?って聞いてたジーさんだな。きょうは何だ。ワードとエクセルの教則本抱えてきてどーすんのよ。
「電源の入れ方はわかります」「それから英語をいれて変換すると日本語になると教わり」って。「でもIT講習終わったらどんどん忘れてしもうて」。
はい、はい。じゃー、インターネットの使い方をやってみますか。「右に寄ってますが」何が? 「絵」あ、アイコン? えー、これはマックっていって、ウインドウズとは少し違ってるけどまー同じパソコンだから…… 「左に寄せてくださらんか」えー。え?
「薬とか病院とか調べられるんで」あー、そういう検索だったらヤフーのホームページから行った方がいいのかなー。「最初からやってくださらんか」えー? 「電源入れるのはできます」あー。あ、いいとこにコウジさんが来た。中学生日記のコウジと紛らわしいけど高校生のほうのコウジさんね。頼むよ。「僕もそんなにできないですよ」頼むよ。とにかく字を打てればいいみたいだから。
助かるなー、こうゆうとき。いろんな人が来てくれるってさ。あれ、どーしてジーさん帰るの? 「この若い人は風邪ひいてると」あー、コウジさん、そんでティッシュボックスごと持ってきてるんだ。「ワシも家族もすぐ風邪をうつされるタチなもんで」はー。「きょうはひとまず出直そうかと」はー。
コウジさんが帰った後、ジーさんから電話。「70歳以上は無料なんで?」そーですよ。「ワシは70過ぎていた」はー。「無料でもいいんで?」そーですよ。あれ、また来たの。こんどはマスクしてる。
で、午後から今度は「中学生日記」のコウジとアキエちゃんと坂下君。コウジのマジックがすごいのは認めるけどさ。そんなにつぎからつぎ繰り出してどーするよ。泉のごとくってすごいけどなー。「あー、何かおもしろいことないかなあ」オレだって仕事はあるんだからさ、いちおう。あ、ジーさん頼むよ。
「の練習を、って、の、で区切るんだよ」「ほーほー、なるほど」「のれん、で区切っちゃったら」「ほーほー。暖簾、ってなりますなー」
終了のしかたまで教えてたから、きょうはいちおういいのかな。あら、ノートしてるね。初日の課程修了、って。明日からどーすんの。帰り支度してるジーさんにコウジが「手品好きですか」って。ジーさん「いや手品は。じゃお先」。うーむ。
「始めたんだからな。続けろよ」って事務長。はッ。わかっております。うー……む。

さて、そもそもこのジーさんが役所でIT講習を受けたその目的は何だったのでしょう。

1.インターネット常設環境でウエブ・サーフィンをしまくる。
2.パソコンとプリンタを駆使して凝った年賀状を作って親戚を驚かす。
3.とにかく……字を打つ。
4.文学館で中学生から手品を教わる。

「あの、朗読できますか」って、おや。ヒナにはマレなアカヌケた人。ゆきずりの朗読も2月一杯の企画なんだが、まずいな。打ちきるキッカケなくしそう。
「これから『光』に行ってみようかと」半分閉まってますよ。あなた、嶽本野ばらさんの小説読まれたの。「いえ、でもこないだ初めて。あれに私のいた喫茶店が出てるので」え。「この最初の『みゅーず』」へー。「でも辞めて岡山に帰ろうと」へー。
千葉さんと話し込んじゃって、いっしょに昼ご飯食べにゆかれました。京都外語大の学生さんで、でも学校もすっかりサボっちゃって、いったん大学もお店も辞めるんですと。また初めからやり直したい、そーな。「また来ます。喫茶店展楽しみです」って。「みゅーず」のマッチとか紙ナプキンとかほんとに送ってくださいね。