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4月30日(火)
●喫茶店本担当の鈴木海花さんからメール。沼田さん、熱がさがったそうです。よかった、よかった。で、もうきょうからフル回転。あす、あさってにもこっちに来るかも、らしいです。で、私はきょうも休日出勤で沼田さんからの連絡待ちっす。
郵便物を受け取るとき、気にならないっちゃウソになる。おや、手書きのハガキが一枚。これは確実にあれだなー、って思ったら、ぜんぜん違いました。靉光(あいみつ・夭折した天才画家)のお嬢さんからね。館報のご感想でした。
ミーハーのノリでヒンシュクかいそうですが、仕事柄、歴史上の有名人のもっとも近くにいた人、に会う機会はとても多い。で、できるだけ話し込むことにしています。展覧会をおこなうたびにそういう出会いが増えていって、そうした人たちからときどきお便りが届くわけですね。
きのういらした小林多喜二祭実行委員会の人たちと話をしていて、おもな話がだいたい終わったころに、何の気なしに、ワタシ、田口タキさんから年賀状いただきましたよー、お仕事がんばってください、って。つうようなこといったら、皆さん急に子どもみたいに、いいなー、美人でしたかー、ってね。美人でしたよ。
ノンキだなー、抗議のほうはどうなったのよ、ってね。これがね。今のところ、ってだいぶ時間経っちゃったけど。少ない。ちょっと拍子抜けするほど。
夕刊に載った直後らしい時間に間髪入れずパンパンって感じでメールが入ったから、もー覚悟を決めたんだけどね。メールはけっきょくこの2通(1通は日記で紹介させてもらった。もう1通は返事なし)。あとハガキが1通(翌日速達で手紙を出しました。今のところお返事いただいてない)。電話3件(それぞれ20分ぐらい話ししました。皆さん一様に、新聞だけじゃ解らないものですね、でしたが)、だけ?
うーむ。そりゃーワタシだって朝から抗議のメールとかハガキの山をみりゃー、メゲもするだろーが。少ねーなー。これって、いいこと?じゃなかろーなー。
追記
さっき初めて道新さんの「読者の声」投稿、富田さんに見せてもらいました。あれ、クリソツ? 語法、論理展開。「最初の方」に。まさかね。これ以上、つっこまないでおこーねー。
午後8時。沼田元氣さんからついに電話だ。まだ声が出きってないよ。
「明日、6時の便で」えーっ!「あさって最終便で戻ります」えーっ!「二日間めいっぱい」。うーむ……。
了解です。やるだけやってみましょうね。富田さん、千葉さん、頼りはあなたたちだ。どーぞ、よろしく、です。
4月28日(日)
●きょうは「赤旗」に載りましたね。ちょっと感心。ずいぶん考えて、言葉を選びながら記事をまとめたんだろうな。なーに感心してんだよ、ってね。でもねー、ワタシ、こっちのほうはある意味しかたないな、って思ってしまうの。こう書くしかないんだろうし、これでもギリギリ書いてくださったな、って感謝してます。
苦心したんだろうな、って一カ所ね、一カ所だけあげときます。「公開メールのなかで」って書いてありましたねー。「公開メール」って新語じゃないかしら?
それはさておき、さ。亀井館長から久しぶりのロス便り。それでねー、ワタシはすっかり興奮しております。舞い上がっております。ロス便りはまだ途中みたいで、あしたアップしますが、あしたアップするってのに、きょうその一部をここに書いてしまうのは、ルール違反の最たるものですが。でもね、あんまり嬉しいからさ。こんなくだりね。詳しくは明日アップするロス便り全文読んでね。
とくに小樽の方々にとって朗報なのは、シカゴ大学教授のノーマ・フィールド(Norma
Field)さんが、小林多喜二の初期の短編に関する論考(From Furabatei’s Non-Person Narrator
to Kobayashi Takiji’s Transcriber: A Willful Genealogy of Identificatory
Transformation)を発表して下さったことです。大変に斬新な視点の分析で、これからの小林多喜二研究を方向づけるものであることは間違いありません。いずれアメリカのしかるべき学会誌に掲載されるでしょうが、その日本語訳の原稿をぜひ小樽文学館の館報にいただきたい、とお願いしたところ、快く承諾して下さいました。
ノーマ・フィールドさんは文学館のホームページも見ていて下さり、私の「小林多喜二を読み直す」も知っていました。今秋には小樽へ行ってみたい、とのお話しでした。できれば研究出張の形で、一冬、小樽で過ごし、多喜二の世界を肌で感じ取り、そして私の講座を聞いた市民の皆さんにインターヴュをしてみたい、とのことでした。もし実現されれば、小樽の皆さんにとっても新しい多喜二の経験が始まるはずで、私がアメリカへ来た甲斐もあったことにあります。
これが、本当によ。本当に実現したら。あー、夢は一気にふくらむよ。来年2月の生誕100年記念小林多喜二展。
ノーマ教授だけじゃなく、例えば昨年の韓国行きの前にインスタント韓国語講座を3週続けてやってくださった留学生の韓さん。韓さんの専攻は韓日近現代史じゃーないか。その韓さんなどにも入っていただいて。
これはね、シンポジウムなんかじゃないの。小樽市民と海外の研究者と、また小樽市民どうしの対話大会だ。
もちろんこんどのことでご批判くださった人たち、そして新聞の記者さんたち、もーみんなに入っていただくよ。館長、ワタシはもちろん入るさ。
ひょっとしたらよ。ひょっとしたら。ほんとーに開けていくかもしれない。ほんとーに瑞々しくよみがえるかも知れない。
小樽から、新しい、小林多喜二の世界が始まるんだ!!!
富田さん、久しぶりの日記更新。サンキュ。
4月26日(金)
●何回もくりかえしになるけど、今回の件、各方面にほんとに厄介かけました。実際に奔走してくれた人もいるみたい。で、困ったのは守る側も攻める側も、ってことみたいですね。って、おめーはノンキでいいよな、人ごとかよー、ってね。うん、あんまりクヨクヨできないタチだからさ。でもずいぶんいろいろなこと学んだな。社会の仕組みみたいなことね。複雑怪奇ってほどじゃない。わりにシンプルなところもある。でもそこでカナメになっているのがメディアだ。これは、これからもしつこく考えていこう。このHPだって、メディアのハシクレでござんすからね。
それにしても、一個マジ許せねーヤツいるな。「リーク者」。話が急転直下するけどさ。国語教科書から漱石、鴎外が消えたって騒いでいるけど。あれだ。「坊っちゃん」。これはやっぱ外せねー。国語とそれから道徳。新しい教科書作るより、これ繰り返し精読するといい。もー全部出てるよ。地方都市社会、役場、学校、教師、生徒、メディア、リーク、チンケな策謀……。亀井秀雄さんの連続講座で私がいちばん感動したのは、実は「坊っちゃん」なの。乱暴者の悪太郎、世間の爪弾き。トリエのねー使えねーヤツ。そんな主人公を「坊っちゃん」と呼んだ、ただ一人の人とは誰か。この物語の主人公は、その人の呼んだ「坊っちゃん」に相応しく生きようと目覚めた青年の成長物語と読めないか、って。ラスト、教師を辞めて街鉄の技手になったのは挫折の物語だよ、なんて評論家がいたそうだが、とんでもねーのね。これこそ、ほんとに「坊っちゃん」らしい選択だったんだ。サワヤカだなー。ワタシゃ辞めませんけどね。
風邪引いた沼田さんだが、ようすはどーですかー。で、鈴木海花さんからメール。
沼田さんは、常にどこか(ちょっと前は難聴、いまは花粉症)具合が悪いと言っていますが、今までみてきて根は非常に丈夫な質だと思います。
小学生の時からスポーツ万能、高校時代まではサッカーの花形だったようです。
その後、団体スポーツが嫌になり(そりゃ、いまの彼を見ればわかりますよね)、アートの世界にはいったらしいです。ですからあのわずかについている肉は、みんな筋肉なんじゃないかな。
問題は生活スタイルです。沼田さんがひとりでああいう芸術家(?)生活をしていると、今のような生活習慣に陥るのが、良くわかります。
でも、多かれ少なかれ、私達のような制作の仕事をするものは、半分ものをつくる喜びを食べて生きているようなものなので、気力と言うか、そんなものが体を支えているような気がします。
いつも重い重い資料のはいったかばんをさげてよろよろと、しかし足早に歩く沼田さんを見て、最初はどうにかならないか、と思ったのですが、今ではあれも彼の体をけっこう維持する役にたっているのでは、と思います。
サッカー少年、沼田元氣君。千葉さんは、ウソだー、と叫んだけど。ワタシゃ即座にキレのいいアノ「ボンサイ・ダンス」を想起した。沼田元氣こと、盆栽小僧の松ちゃんが唐草文様のスーツに身を包み、重さ15kgの鉢パンツをまとい、ちょんまげも松に整え東海道五十三次の旅に出たのは今からおよそ20年前のことだ。五十三個の盆栽を積んだリヤカーと犬を従えてね。で五十三の宿場に泊まるたびに盆栽を一個ずつプレゼントするとゆう。その全ドキュメント?『ぼくは盆栽』(『月刊たくさんのふしぎ』126号福音館書店)。この幻の名著をワタシは心底欲しかったぜ。でさー、こないだ新宿で落ち合った植草甚一の甥御さんの関口さん(福音館書店幼年版『こどものとも』の編集長です)が目印に持っておられたのが、おー、『ぼくは盆栽』じゃーないですか。これこれ、ほんとに欲しいんですよねー。「あげますよ」えー!
で、『ぼくは盆栽』あとがきを一部引用。
「みなさんは、冒険旅行というとまず一番に何を想像しますか?ヨットで世界一周したり、世界一高い山に登ったり、はたまた砂漠を車やオートバイで走りぬけたりすることでしょうか。たしかにそれも目に見えてすばらしい冒険だと思います。しかし、そういうことをする人たちが冒険家であるのは、まず、人がやらないことをやろうと考えるという冒険をしているからなのです。もちろん、それを本当にすることは大切なことです。でもその前に、それを考えだす、計画するという、目に見えない心の中の冒険があります。それは、『こんなことしたら人に変に思われるんじゃないだろうか』とか『もし失敗したらはずかしいな』と思うことをのりこえて、まず自分のやりたいことに正直者になるという冒険です。そういう心ン中の冒険は、いつでもどこでもできます。それは、見たり聞いたりしたものを、正直に自分の心できれいだなと感じたり、おもしろがったりすることです」「ぼくは、生きてゆくということは、どれだけ自分のすきなことを信じられるか、どれだけすきなこととなかよくできるかということだと思います」
読み返すたびにワタシは泣けるよ。
4月25日(木)
●今回のことで、いろんな人に心配かけているね。うーん、もうしわけないな。
ただし、(ってまた輪かけるかな)これは強調したい。文学館(もちろん含む博物館・美術館その他博物館相当施設)の展示は担当学芸員の責任においておこなわれる、学芸員の最重要の仕事だ。博物館関係者は、皆わきまえていることと思うけど。
もちろん、いろんな人の意見を聞くのは当然だ。だって、それ抜きには思索もできない。小林多喜二についていえば、私ほどたくさんの小林多喜二の関係者に会い、識者にも会い、話を聞き、記録も読み、文献を読んだ人間は、そうはいない。ってえばるわけじゃーないが。少なくとも、小林多喜二に直接関わった人たちに会った回数、話を聞いた時間でいえば、いま日本で生存している人間のなかでは、私は上から数えられる位置を十分に占めている、つうぐらいの自負はしている。それはここの学芸員として、あたりまえのことと考えている。今度のことを機会に、その数をもっともっと増やしたい。数十倍、数百倍にしていきたいよ。
ってとこで、沼田元氣さん。今晩到着して、明日朝イチから行動開始のはずだったが。さきほど喫茶店本担当編集者の鈴木海花さんから電話。「沼田さんが風邪引いたみたいで、高い熱出してたいへんな様子です」「きょうの出発は無理だけど、明日は何としても北海道へ行きたいと」「で、沼田さん、小樽・札幌ともやっぱり道案内がほしい、と」「札幌がむずかしいようだったら、小樽を先にやりたい、と」「そんな状態で無理するより、もう少し日を遅らせて連休中日あたりにしたらいいんじゃないですか、って申しあげたんですが」「飛行機代が高くなるでしょ、って」
うーん、沼田さん必死みたいだけど。なんだかちょっと可笑しい。ごめんなさい。でも、困ったな。小樽はいいけど、札幌は誰に頼めるだろうか。千葉さんも少し自信ないみたい。無理なさらないで、ほんとにもう少し遅らせたほうが。「とにかく飛行機代、確かめてみます」……
「鈴木です。沼田さん、やっぱり日程遅らせることにしました。飛行機代にずいぶんこだわってましたが、調べてみたら明日行くのも連休の間に行くのも同じでした。沼田さん、声も出ないようすですよ」。むう。沼田さん、計算高いように見えることもあるけど、やっぱりちょっとおかしい。計算はみ出してるよ。たまたま寄った和泉前事務長に沼田さんのこと話したら、「感動した!それでこそ沼田元氣。男のなかの男。芸術家のなかの芸術家!」って、小泉さんみたいに叫んでました。
4月24日(水)その2
●うーん。さすがに疲れた……。こうもしてられないんだが。沼田さん、金曜日には来るってゆうし。啄木さんの展覧会もやるっていっちゃったんだし。
きょうは、「赤旗」さんと道新の青山さんが来ました。「赤旗」さんはね、それでもちゃんと話は聞いてくれましたよ。まー、こっちのほうは旗幟鮮明だから(笑)書かれ方は覚悟はしておりますが。でも記者さんには好感もっております。記者さんの方がお茶いれてくれたし(笑)。
青山さんもね。私は、これはもう本当に腹立ててたんだけど。でもきょうはね。記者と文学館の職員というより、玉川と青山と、っていう態度で話をすることができました。このたびの経緯(いわゆる「リーク」のかたち、も含め)も、それからHPから取材したことについての理由も、反省、自戒も込めて話してくださった。その話し方に、不誠実は感じられませんでした。私の話も、真剣に耳を傾けてくださったと思います。亀井館長に対する評価も、偏見のない正当なものでした。
もーワタシゃそれで十分なんだけどさ。少し時間を置いて、改めて取材したい、って。今度は、私の考えを十分に紙面を割いて、正確に伝えたい、って。もしほんとにそれが出来るなら、それは嬉しいよ。そんなら、今度のこともチョーケシ、つうより意見を述べる場を作る糸口になったわけで、ほんとにそうなるんだったら返って喜ばなきゃね。
まー、もっとマジメに怒っていいのかも知れないけどね。怒りも長続きしないのさ。だって、閉じていくより、開いていくほうが、いろんな人と話できるほうが、いいに決まってるもの。
いろんなことを言ってくる人に対してだけど。まともに相手しないほうがいいですよ、とかアタマさげてればいいんです、とか無視、黙殺ね、とかアドバイスしてくれる人も少なくないんだが。とにかくもー全員と相手しようと思うの。それが私のやり方なんだし。どんな人でも(失礼)学ぶところあるもの。
で、さっそくなんだけど、今度の一件で考えついたことがあるんだ。来年2月、生誕100年記念で小林多喜二展をやる。そのやり方なんだが。とにかくこの20数年で文学館に寄せられた、あるいは集めた小林多喜二関係資料を、もう全部並べる。学芸員の「意図」を限りなく排除してみる。これはAさんのお手紙から示唆をいただいたことでもある。完全に個々の「観る人」によって構成される展示。もちろん今度の写真もデスマスク原型も、何もかもすべてだす。ほとんど文学館全館埋め尽くされるぜ。
うーむ。今思いついたワリには、これは「画期的」かも。紀宮にもご招待状を送ろうかしら。
4月24日(水)
●きのう小樽にもどりました。新聞、初めてみましたよー。びっくりー。で、これについてご意見のメールがさっそく2通。一通は「日記」への掲載を許可していただいたので、ここに載せます。私の返事もあわせて。あ、この方はちゃんと本名と住所を書いてくださっています。ただし、こちらには匿名で、とのこと。了解しました。
日ごろのお仕事大変ご苦労様です。
22日夕刊の記事を読んで私の思いを伝えます。心底怒りがこみあげています。
多喜二の展示について、凄惨なので「人間の域を越えている」。。。。理由ではずしたとの事ですが、私たちの日本で過去のことでも繰り返し伝えていかなければ、時の政府や、時代の動きで左右される戦争の悲惨さが忘れ去られると思います。
多喜二の人間としての叫び、死んだ状況を一つ残らず、白昼にさらし、その姿を通じて、その無念を通して丸ごと「多喜二の文学」だと思います。
あなたの個人的な思いでそれを見せない、はずすことがどうしてできるのですか。毎日毎日一人でも訪れ、話や本ではなく、現実に足を運び気持ち悪くなるけれど、ありのままに見ることができる、それが、多喜二を見せること、多喜二の文学を知ることになるはずです。
政治的なことではないと何回話しても、政治的でなく現実のもの、ありのままの歴史を見たいという人の思いを無視していると思います。そのこと自体が大いに政治的であり、多喜二の文学を考えたら、その文学性さえ無視していることになりませんか。取り外すことが政治的といわれないためにいまだに展示しないのですか、いますぐ展示して、もとの状態にしてください。
奇麗事で展示をはずした責任を逃れないでください。どんなに重い、苦しい、歴史だとしても私たちが背負うべき日本の歴史です。あなたが見たくないのであれば見ないですごせば良いのです。そこの仕事はふさわしくないのではないかと思います。きれいで取り繕うことのない仕事に変わってはいかがですか。あなたが見せたくなかったという方は、立派なかたでしょうから、凄惨な写真をみても、きっと十分耐えていかれたのではないですか。
K市・I
私の返事
出張先で、メール拝見しました。道新の夕刊を私は見ていないのですが、ホームページの日記をそのまま記事になさったようですね。ただその記事だけでは私の考えたことは十分に伝わったとは思えないのですが……。
おそらくI様からだけでなく抗議のお手紙が殺到していると思います。明日は私はまだ館に戻れないのですが、電話もたいへんなことだろうと思います。
ひとつだけ念を押させていただきたいのですが、あの写真はそもそも文学館の展示にはなかったもので、3年前私が考えるところあって、私の一存で展示をしたものです。そのときは、話題にもならなかったのですが。で、このたび写真を外したのも私の一存であり、これは新聞にもそのとおりに出たようですね。
I様に、ひとつお願いがあります。いただいたメールですが、このまま文学館のホームページの私の日記のページに掲載させていただいてよろしいですか。これからたくさんのメール、お手紙をいただくと思いますが、それはできればすべて紹介していきたいと思っています。それがひととおり落ちついたころ、もういちどいろんな方のご意見も聞かせていただき、私の考えも改めて述べさせていただきたいと思います。
Iさんの返事
玉川さま
ご丁寧なご返事ありがとうございます。
私も、新聞記事の範囲でしかわかりませんし、すこし感情的になっていたようです。
小林多喜二の伝え方には、さまざまな角度があってしかるべきものと思いますし、
ましてや全体像をつたえるとなるとさまざまな観点があると思います。
ただ、多喜二の文学は、フィクションでもないし、私小説でもなく、彼の生き方そのもの
であったと、私は考えています。最後の虐殺ともいえる事実は、彼の文学にとってはず
してはならないものと考えます。
日記掲載に関しては、匿名でお願いします。
私の返事
I様。ご返事ありがとうございました。
このように一人一人の方と対話を積み重ねていくことを、私は心から望んでいます。あのようなかたちで新聞にとりあげられることが、その機会を逆に奪われることにならなければいいのですが。
I様の多喜二の文学についてのお考えもよくわかりました。私がほんとうに意見を交わしたいのは、実はこのことであり、写真を外したのもこのことがまず前提にあったのです。新聞に出た範囲の文章では、残念ながらこれがまったく伝わらなかったのではないかと思います。
私も、小林多喜二に対して戦前の国家権力が与えた行為、許しがたいものに思っております。そして小林多喜二の文学は、国家権力に直面するところまで進んだからこそ、その剥き出しの暴力という本質を引きだしてしまったものだと思います。そのことをあらわすものは、今も小林多喜二のコーナーには多数展示されています。
しかし、私はもう少し違う角度からも小林多喜二の文学、その今の受け入れられ方について考えざるをえません。まず、小林多喜二は、彼自身があのようなかたちで生を終えることを前提にして文学行為を続けていたわけでは決してありません。かれの青春時代からのいくつものみずみずしい短編小説は、おうおうにしてイデオロギー的に未熟、の一言でかたずけられます。多喜二自身が、後にそれらを未熟としてしりぞけていたかもしれません。ただし、それらの作品を始めその後の皆が傑作と認められる作品も、「多喜二虐殺」という結果からのみ振り返られるということは、文学作品にとって正常な読まれ方なのでしょうか。そして小林多喜二自身が(もちろん彼が意見を述べることは永遠に不可能になったわけですが)、それを果たして望んだでしょうか。小林多喜二だけではなく、他に特異な死を遂げ、その死と彼の文学を結びつけて語られる作家は少なくありません。しかし、それらの作家に比較しても、多喜二の文学の受け入れられ方は、あまりに小林多喜二の生涯、というよりも「虐殺」に直結させられすぎてはいないでしょうか。
私自身以前から考えていたことではありますが、昨年一年がかりで亀井秀雄文学館長が10回連続でしてくれた「小林多喜二を読みなおす」という連続講座で、さらにそのことを痛感させられました。亀井館長がとりあげた多喜二の作品のいくつかは、恥ずかしいことに私自身も初期のとるにたりぬ習作として読んだことすらありませんでした。それらがもっていたたくさんの可能性、多喜二が試みたいくつもの新しい文学的方法。その当時の文学の流れ。私たちが忘れていた青年多喜二の姿が活き活きと眼前に蘇る思いがいたしました。
多喜二虐殺。それを示すいくつもの資料のなかでも確かに二枚の死体写真は、もっとも強烈なものです。まずそれを突きつける。そこから多喜二の文学を考え始める。それが文学館に来られる多くの方の多喜二体験になる。私自身もまさにそうでした。しかし、私は今迷い始めております。展示、なかでも写真。それが与える強烈な先入観。それと文学作品そのものを十分に読む行為とは果たして両立するだろうか。今の時点で、私が答えることは、少なくとも両立させるべく努力していかねばならぬ、ということのみです。亀井館長の講座を、多喜二の展示をしている文学館で、聴講自由無料で行う、という昨年の経験が、私にこれからの文学館のあり方をおおいに示唆してくれました。その形としての答えを、私は展示の担当者として、来年2月の生誕100年記念小林多喜二展で、今の私の力の及ぶ範囲でお見せするつもりです。また、どうかご助言、ご意見をお寄せください。
4月22日(月)
●昨日夜中に道新の青山さんからメール。いちばん遅かったけど(朝日は聞いてもこなかったけどね)また小林多喜二のパネルの件。青山さんの意見は、なかなか的を射ているように思えたので、取材いいですよ、ってご返事しました。ただし、つきでね。
条件の一つは、このたびの「リーク」の内容、やりかたを正確に教えてほしい、ということ。もう一つ、私が青山さんから取材を受け、そのやりとりから考えたこと、さらにそのあとそれが紙上に掲載されたとして、その記事から受けた感想も逐一ウチのHPに書かせていただく、ということです。つうことだ。
青山さんからは、きょうワタシが青梅の先まで移動する列車に乗りこんだときに電話かかってきて、そんなときだから長く話せませんで、いずれ、って切りました。
青梅の先まで何しに行ったかってゆうと、小樽の交通記念館で文学館も共催で何かイベントやりたいな、ってね。ワタシが思いつくのは、やっぱ宮澤賢治になってしまう。この人と、鉄道の旅。切ってもきれませんからね。最後には銀河鉄道に乗ってしまった人だから。青梅の先の山奥に住んでおられるのは、イラストレーターの小林敏也さん。昔から知っている人。ほんとに昔からで、ワタクシ一年だけだけど医学教科書の出版社にいたことあるんだ。そのとき手伝ってもらってたイラストレーター3人いるんだが、みんな東京芸大の同期生だったんだって。その一人が小林さん。小林さんはデザイン科ということでだいたいグラフみたいなもの描いてもらってた。今思えば何とひどいお仕事。ひとつ印象的に覚えてることがあるんですが、何かのはずみでいつも小林さんにはお願いしなかったような、手術の手順を描いてもらうお仕事頼んだのね。これはまず写真撮るところから始めるんだ。そしたら、小林さんが気分悪くなって倒れたんだって。手術の現場見ていてさ。そんで急遽ワタシがカメラ持って出掛けました。
そのときの手術って、胸部カクセイ手術ってのかな。カクセイってどう書くんだっけ。乳ガンの患者さんなんだけど、ガンが移転したリンパ、筋肉部を全部、それこそ掻き取るように取り除いてしまう。確かに凄まじい手術だった。みるみるうちに体内ががらんどうになってしまうようなね。ワタシは倒れはしませんでしたが、止血の電気メスで肉が焦げる臭いには少し参った。も一つ驚いたのはね。この凄まじい手術を、外科医というのは一日二、三体、一週間に4、5回こなしてるんだ。うーん、すごい体力、気力。
ワタシはバカだから、最初ポラロイドカメラ持ってってしまったのね。そんで細かいところわかりませんでさ、全部やり直し。二回もかなり間近で撮影するハメに。先生が、手術の手ときどきとめて、開いてみせてさ、はい、ここで1枚なんてね。それでも終わった後病院の食堂でゴハン食べて帰りました。
そんな繊細な小林敏也さんが、医学教科書のお仕事なんかやめて始めた賢治画本のシリーズ。数ある賢治絵本のなかでもやはり群を抜いていましょう。暗く冷たく悲しく、美しい。それを小林さんが、自分でスライドにもなさっているって聞きましたんでね。それを拝見に。いいなー、これを交通記念館の屋外のあの列車が何台も並んでいる広大な広場にさ、おっきなスクリーン立てて。満天の星空背景に。
小林さんと話し込んでるうちに、「注文の多い料理店」立体版できないかなー、って話になってね。一枚一枚扉を開いていったら、その先には、って。で、小林さんが「列車を使ってみたらどうでしょう」。あ、これいいかも。客車と客車の間のドアを開くたびに、つぎつぎと「注文」が。そして最後のドアを開いたら、そのさきは暗闇で……。ギヤ。
小林さんとはお蕎麦を食べてお別れ。こんどは新宿に向かい、沼田さん、鈴木さんと、それから植草甚一の甥御さんで福音館書店に勤めておられる関口さんと新宿駅西口ヨドバシカメラ隣の「談話室滝沢」って喫茶店で待ち合わせ。植草甚一さんの資料のこととか、喫茶店展で作る植草甚一カフェの話とか。沼田さんは「ぼくの伯父さん」としての植草さんのことを、関口さんに熱心に聴いてました。打ち合わせの途中で、ワタシは役所に電話。何か例のパネルの話が問題になっているとか。実は、打ち合わせの前に、時間がすこし空いたので、毎日新聞の記者さんに電話したのね。あのリークのこと。も少し具体的に聞きたかったからさ。で、およそのことを知りました。さらに、「もう出てますよ。道新さんに」は? ホワイ? 取材も受けてないのに? 「こうこう、こんな風に」ふーん、ホームページのワタシの日記をそのまま引用したのか。ま、ぜんぜん違うふうになってるようじゃないみたいだけど……。これってOKなの?
帰り際にピッチで受信メールみてみたら、さっそく抗議のメールが。帰ってチェックしたらさらに猛烈なご抗議のメールが。うーむ……。どうゆう流れ? 梁井さんにいわれた、ワキが甘いですよ、タマガワさん、ってこのこと?
4月21日(日)
●きのう、夜の11時前後に小樽の新聞社2社から、ワタシのピッチにあいついで電話がありまして、「多喜二の写真パネルの件で」って。ワタシもさほど驚きませんで、来たかーってね。これって、「リーク」? でも、話聞いたらリークの体も成してない。何と、亀井さんの講座「歴史教科書問題と韓国行き」とワタシの写真パネルの件を直結したというトンデモリーク。経緯を話したら、記者さんもさすがに呆れてました。「何かぜんぜん違うじゃないですか……」ってね。何を聞いたのか知りませんけどさ。
ワタシも腹立ちましたが、しばらくたってガゼン興味持ったのね。この「リーク」ってゆう手法さ。政治はわからん、って書きましたが、その政治オンチのワタシにも今の国会って「リーク合戦」?末期状態ねー。でもね。リークリークってゆうけど、その実体って何なんだろう。ひどく興味あるのね。だってこれも伝達手段の一形態じゃん。そのカタチってどんなんかしら。電話?ファックス?同報メール?怪文書?それにその文体。興味あるなー。
ま、いずれにしても陰湿です。で、「リーク」さん、あなた標的まちがった。リークで陥れることができるって、やっぱりリークとか恫喝とか秘密主義で世の中渡って来た人だと思うの。目くそ鼻くそってこのこと? 亀井さん、そーゆーのと全く無縁よ。この人さー、大学紛争のとき学生に蔵書みんなもってかれて、まー文庫本でも文学研究はできるさ、って開き直った人だもの。この人が恃むのは己の実力だけなの。近代文学研究者としてのね。こういう人に対して、リークとか恫喝とかやると、自分がミジメになるだけよ。
ワタシ? ワタシゃ小心だからねー。恫喝には弱いな。でもオシャベリよ。ぜんぶ喋ってしまいます。だからね。相手間違えたと思いますよ。続報追ってお知らせしますんで。そんなことやってるとモンスター引き出すよ、って? でもねー、モンスター生み出すって、それこそ「関係モーソー」だと思うの。それこそが「リーク」とか駆使する人の思うツボなの。モンスター天日に当てればドブネズミかな、ってね。
きょうは、朝イチで常盤台におられる佐藤哲郎さん宅。知る人ぞ知る北海道における近代喫茶店の元祖、前衛アートの根城「ネヴォ」のマスター佐藤八郎氏のご子息です。「ネヴォ」については日を改めて。喫茶店展のお話はこの「ネヴォ」から始まるのね。
今度は横浜市磯子に向かい。瀬戸俊一さん宅で植草甚一さんのペーパーバック12箱搬送立ち会いね。
それから千葉県南柏に向かい、市原みちえさん宅。永山則夫こども基金の代表してくださってた遠藤誠弁護士の話。日本の法曹界の至宝ね。1月に亡くなりました。サヨクもウヨクもマルボウも政治家も宗教家も一目置いた人。置かざるを得なかった人。人権派って生易しい呼び方じゃ全然おさまらない弁護士。遠藤先生がね。匿名の投書はソクゴミ扱いに処した、ってのは前にも書いたけど。きょうのお話もなーるほど、ね。「遠藤先生はオシャベリでしたよ。秘密も何もあったもんじゃないの。ぜんぶ喋ってしまうんだもの」「それから大事な話をするときは即座にメモしてました。時間が経てばたつほど、自分のしゃべったことも含めて変わっていってしまいますからね」「まず行動ありき、でしたね。だらだら考え込んでいない。そんなことしてるあいだに事態が悪化することだってある、って」
ワタシと遠藤先生じゃ比べものになりませんけどさ。学ぶところ多々あるなー。でね。矛盾だらけでもあったとゆう遠藤誠さん。この人が何だったかってゆうと、やっぱり仏教者だったんだろうな。信念だと思うの。人はみな救われなきゃならん、って。じゃないと、あの行動力、説明つかないもの。
4月20日(土)
●きょうはたいした仕事ではないが、磯子の瀬戸俊一さん(もと晶文社のエディター、植草甚一スクラップブックはこの人のお仕事)のとこいって、瀬戸さんが植草さんから譲り受けたアメリカの古いペーパーバック(1930〜50年代か)12箱の梱包つうても箱の補強だけね。あしたまた行って、搬送の立ち会いだ。いくつか面白いものも出してくださった。自分で装幀したお気に入りのデザイン原画を板に貼ったヤツとか、あとちょっとビックリしたのは分厚いノートで。あれ、白紙じゃないですか。「いや、はじめのところ書き込んでますでしょ」ほー、みごとにきれいにまっすぐ揃った英文字がぎっしり。「これアメリカ大使館かどっかでニューヨークタイムス閲覧させてもらって、ぜんぶ書き写したんですよ。コピーなんてなかったからね」すげ。植草さんてデタラメに遊びながら生きてた人みたいだけど、いやそうなんだけどさ。マジメにね、遊んでた。真剣にね。人生他に何がありますか、ってね。いい字だよ。とっても。
オトちゃんからメール。
今日、和泉さんが事務長にパソコンを教えに来てる時に、ひさしぶりに「なでしこオヤジ」(古書のヤクザなオヤジさー)登場!!
なんと古書を両手に「ほれ」って。ええ〜寄贈!?ってな話ですよ。和泉さんなんてすっげーウキウキさー。
まあ大半はここから持っていった本だとはいえ、すごい!!
「入館料今日はいいでしょう?」ええ〜やっぱそうゆう展開?
「古書だけだし」・・・いいですよ。
そしてまた大量の古書を午前と午後に分けて持っていきました。午後はちゃんと入館料払って行きました。謎だー。でも「言葉」のイベントやったからこうゆう流れができたのかなあ、と。やっぱイベントサイコー!!
「なでしこオヤジ」ってのは、ワタシの日記の今年1月から2月にかけてよく出てきた「武闘派古本オヤジ」のことね。このオヤジの困った仕業については、オトヨ日記にもマジ切れ、ブチ切れで出てくるから、こっちのほうが迫力ね。和泉事務長も、まー、お手上げだったわけね。
その「武闘派古本オヤジ」がなぜ「なでしこオヤジ」に変身したか。「言葉、」さ。千葉、佐藤組のあのイベント。あれにオヤジがやってきた。ワタシが誘ったんでもあるんだが。まー、来るとは思わなんだ。そのオヤジが語った半生記がさー。波瀾万丈で。そんで、若いときに伊藤整の『雪明りの路』読んで、それに出てくる「頬の淡い、まなざしの佳いナデシコのような」女性にずっと憧れて北海道にやってきたんだと。オレたち(千葉さんとか佐藤さんとか和泉さんとか)は思わず顔見あわせたよ。でも、オヤジの話はけっこう切々としててさ、『月刊おたる』の杉の目和夏さんなんかマジ胸熱くしてたぞ。
「人生半ばでぐれて人の道に外れ〈塀の中〉に入ったこともありましたが」(こりゃホントーだろう、って後でみんなゆってた)「今は、落ちついてこの地で出会った理想の女性と静かな日々を送っております」(じゃー、あれか、このオヤジはナデシコってバーさんと暮らしてるってか。)(ウソだよ、きっと。おれ、ナデシコってきっとネコの名前だと思うな、ってオトちゃん)
まーね。こんなことがあった「言葉、」のとき以来、「武闘派古本オヤジ」改め「ナデシコおやじ」はぱったり姿を見せなくなったんだよ。ときどき噂はしてたさ。「いいヒトになっちゃったからね」「もー乱暴狼藉できなくなったからさ」「いいヒトにしちゃう、ってのも考え物なのかもね」「悪さしてても、来ないとさびしーな」なんてね。
で、そのオヤジがきょう久しぶりにきたわけだ。わかる?和泉さんが何でウキウキしてたのか。またまた、Aさんさー、って口にしそうになるが、ウチの文学館てこんなんだよ。山口昌男さんが、古本のおもしろさは、「関係性」にあるんだ、ってゆったのを、ワタシは何度も引っ張ってるのだが。古本だけじゃなくって。文学館そのものが、そのいちばん要にあるのが、この「関係性」なんだ。文学館が関係を作り、関係を変える。小樽文学館の「人脈」ってこれだ。コイツにぴったりくっついてれば、おこぼれが、ってなみみっちいもんじゃないのよ。だってさー、ウチの展覧会のあとで、死者と和解できましたよ、ってゆってくれたヒトがあるくらいなんだもの。
*阿佐ヶ谷の南口出たトコのベンチ「リング」で真田広之が座ってたんだよー。おれの唯一のテリトリー、阿佐ヶ谷サイコー!!
「オトヨ阿佐ヶ谷気分」か。ガロの河村隆一ことアベシンどうしてる。何のこっちゃ。時代サクゴしまくって誰にも解らないようなこと書くなよー、ってね。
4月19日(金)
●東京で日記更新。南阿佐ヶ谷ってミョーなところの安ホテルなんだが、高速インターネット使用無制限完全無料。夢のようじゃ。今までピッチでやってたからねー。ワタクシ月々の通話料なんて微々たるもんだが。出張に行ったときだけはデータ通信料で1万、2万ってね。
iBookだから一抹の不安ありましたが、ホテルで貸してくれたケーブル差し込んだらあっけなくつながってくれました。日記更新だけじゃなくてねー、ほんとに助かるんだ。これからゆくところの地図とかかんたんに取れますしね。
ほんとにさ、インターネットと出張って、もー切っても切れないわね。飛行機だって、このホテルだってローソン&JTBのサイトで予約とれたんだし。それからこんな「日記」知ってますか。いわゆる「日記サイト」って使えねー最たるもんね。ヒトのこと、ゆわれませんけどさ。ところがこれは使える! 実用日記、ほーこんな手がありましたか、ってね。これはアクセスの価値あるよ。価値ある日記って、書くのも張り合いがあろー。建築関係のお仕事らしく記述の信頼性も高いんだけどさ。
で、きょうのお仕事。小林三吾さんのお宅へ弔問にいきました。小林多喜二の実弟。これまで書きませんでしたけどね。亡くなられました。四十九日済ませたばかりということだから、2月末か、3月初めだったかな。息子さんからお電話がありまして、どなたにも知らせてません。葬儀は家族だけで済ませます、ってね。で、ワタシにも、どうか皆さんには黙っていてください、って。
うん。四十九日済ませられたんだから、もういいでしょう。小林三吾さん、九十二歳の生涯を終えられました。脳梗塞で倒れられてから12年っておっしゃってました。ご長男の純一郎さん。「辛いですよ、なかなか立ち直れないな」って。「介護ってそりゃたいへんだったけどね」夜中もほとんど満足に休まれない。心臓発作もたびたび。それにお母様も病気がちだったしね。純一郎さんお一人で、この十年以上介護を続けてこられた。「それでもオヤジが生きてるのといないとのは、こんなに違う。オヤジが死んだとたんに、すべてが変わってしまったみたいだ。こんなに存在感があったなんてね」「悔いも消えないんですよ。亡くなるちょっとまえまで、元気にみえたからね。満足に話なんかはできなくても」「呼びかければ反応があったし、流動食でもおいしそうに口にしてくれた」それがまた発作起こしかけて、何度目かの入院。「すぐに回復したんですよ。もう退院できますね、って病院でもいってた」それが、「悔いが残りますよ。病院も力を尽くしてくれたのは、そう思うけど、ほんとうに適切な治療だったのか、って」「イヤなことだけど、どうしてもそうも思ってしまう」「オヤジの墓のこととか、オヤジがずっと慕ってた兄貴の多喜二の分骨とか」「五十年、百年あとのことまで考えちゃうよね」
三吾さんのご位牌、ご遺影にお参り。「戒名はつけませんでした」って。
そのご仏壇にはね。三吾さん、多喜二のお母さんの小林セキさんのご位牌も、それから小林多喜二のご位牌もあるんだよ。セキさんはクリスチャンになったはずだし、多喜二は無神論のはずだけどさ。そんなこた、どーでもいいんでね。小さなご仏壇に、多喜二、三吾さん、セキさんと末松さん(多喜二、三吾さんの父親)のご位牌が固まってるのをみるとさ、ああ、やっと一緒になれたな。家族がさー、落ちつくべきところにさ、って。フツウのさ、フツウの家族だよ。やっと、いっしょにね。
午前11時30分、青山通りのブルックス・ブラザーズ(懐かし!)前で、喫茶店本担当編集者の鈴木海花さんと沼田さんと待ち合わせ。GAP出版で本のデザインとかの打ち合わせ。かわいい表紙よ。クマさん、ウサギさんと女の子、男の子が手ーつないでるの。雪がとけて、お花がいっぱい咲きましたよー、みたいなね。「一杯の珈琲を飲むだけにいってもいい札幌・小樽カフェ喫茶店案内」(だったかな)。
鈴木海花さんと別れたあとも、沼田さんとお蕎麦食べながら予算がらみのシビアな話。つまりね、ありていにゆえば、予算総額300万円足らず。これで文学館のなかに喫茶店みっつ作っちゃうような展示をやって、どこにおいても遜色ないような喫茶店本作って、カジヒデキとか特別ゲストに四日連続カフェ講座やって、って。あは、無理でしょ。その無理どうやってやりとげるか。
やることに意義あり、ってボランティアのココロじゃなくってさ。意義もオカネもしっかりもと、とりましょ、ってね。あは、できるかなー、ワタシにさ。
(できるんだな、コレが)どーゆー根拠だー。
4月18日(木)
●今晩から上京。旅先で更新こころがけるからさ。何てっても、短期間で何もかもやろうとするから。当然波乱の確率高くなるわけだねー。ま、みててね。
4月16日(火)
●堅田精司さん。知る人ぞ知る、たーゆっても、誰がこのHP見んとも限らん。心配している人もあろう。笠井嗣夫さん、青ざめた面持ちのメールくださった。
喫驚。どうしよう。
堅田さんのお宅には、数年前にいちどだけ伺ったことがあり、真冬だというのに石油ストーブもあるのかどうかという状態。約束の時間よりかなりおくれたのに、いやな顔もみせずに見せてくれる資料をちゃんとより分けて古いトランクに並べておいてくださり、感動しました。清貧なんてことばを超越したひとです。
それにしても、どんな資料が焼けてしまったのか気がかり。訊いてもあれこれはいわないでしょうが。
ともかく堅田さんは、われわれにとって宝物のようなひと。大事にしなければならないのに。
私も気になり、堅田さんの電話あいかわらずずうっと「通話中状態」だからさ。弘南堂さんとか、石川書店さんとか(堅田さん押さえるの、古書店さん通すしかないんだもの)に連絡。午後3時頃、石川書店さんから電話。なんとさっきまで堅田さんお店にいらしたそうな。「元気ですよ」と石川さん。「本も資料も大過なかったそうです。焼けたのはどーでもいい××文庫くらい(伏字ね)」だったそうで、まずは安心。「お仕事の方は、フロッピー常時3組バックアップなさっているから、ゼッタイ安全だそうです」うーむ。
堅田さんがどんな方なのか。笠井さんが慌ててメールくださったその文面でもなにがし伝わろー。今もおそらく延々と続いているのは「北海道社会文庫通信」というパンフレットの発行。こないだのフリーライター氏が、小樽関連だけを見たいので、ってウチを訪ねてきたのは、札幌の労働資料センターに収められてるその全バックナンバーが凄まじい数で、到底そこから小樽関係分だけ選び出せないからね。つまりね、堅田さんは、小樽関連分が出るたび、それだけをウチに送ってくださってたわけ。
これはなんてったらいいかしら。歴史の闇から生まれ、斃れ、闇に消えていった下層労働者の無縁墓地を掘り起こし、ひとりひとりのにんげんの姿を蘇らせる、そうしてみせる、ってほとんど鬼気迫る作業。その根幹をなすのは厖大な「特高資料」だ。「国家」という化け物にあらがった一個一個の人びと。組合幹部、左翼知識人はむしろわずか。黙々と「活動」し、あるいは直情的に行動し、ボルシェビズムどころかアナキズムともいえぬほとんど肉体感覚で、輪郭もさだかならぬ巨大な秩序に抗った人びと。
凄いぞ。「北海道社会文庫通信」。ワタシ何度か思わず笑ったのだが。しばらく小樽関連続いたとき、堅田さん3日と空けずに送ってくるんだもの。そんでさー、律儀に発行日付記載されてるんだけど、それが10日前から1週間前、3日前、今日、と思ったらまだどんどん送られてきて、とうとう発行日が3日後、1週間後、1カ月後、って「未来新聞」かー。それぐらいの勢いなんだよ。そのインデックスは近代北海道の闇冥をこじ開ける鍵束みたいなもんだ。この人の前で「歴史学者」が面を上げられねーって、ホントなんだよ。
ワタシも堅田さんずうーっとおっかなかったんだが、その堅田さんが恐らく本気で褒めてくださったのが1999年の特別展「昭和歌謡全集北海道編」だ。こんときの「アンケートバトル」、久しぶりで読んでたら、ああこれに火ぃ付けてくれた大学生の文面。おかげでまた思い出しちゃった。Aさんのお手紙。長い短いの違いだけね。その感性の鈍感寸分違わず。
オレ一人でなんて何にもできねー、ってことぐらいわきまえてるよ。でもウチの「人脈」はね。それをたどりにたどるとその先は累々たる「死者の群れ」なの。これが小樽文学館の人脈なの。ちょっとやそっとで、揺るぎゃしませんよー。
4月14日(日)
●きょうは、東京行くまでにいくつかまとめたりしておかねーと、って来てみたんだが、おもいがけなく忙しいめにあっちゃって、昼飯はバスのなかでセブンのオムスビ食うハメに。
午前中、水口先生いらして、小樽啄木会の会長さんね。審議会、文學舎でもたいしたお世話になってます。ほんとに頭さがるなー、何よりも新しいモノに億劫がらないね。いまは啄木会やらご自分のホームページ作りに夢中のようだ。だいたい小樽啄木会ってのが、昔からくるものこばまず、お茶とせんべいで、まーひとついかが、ってゆうノンキな明るい会だったのだが(北海道で、ってゆうより日本でいちばん有名なH啄木会とはキョクタンな違いだね)水口先生のキャラクターでその開放性はいっそう広がりを増したな。「国際啄木学会」なんてのより、小樽啄木会の国際性のほうがホンモノになっていくかもよ。
で、こないだ水口先生と、ワタシが怠けたせいで結局一年延ばしになってしまった啄木本の話とか、こんどの啄木祭の話してて、そーですねー、啄木祭も気候のいい時期だし、喫茶店展が先に延びたおかげで、ゴールデンウィークもとくにすることなくなったし、てんで、啄木がらみで何かやりますか、ミニ企画。って、いい加減なねー。
いい加減だけどね。これマジよ。もーつくづく思ってんだ。だから啄木ってすごい、ってね。いい加減、通俗、商業主義、イナカの土産物。啄木はね、それぜんぶ呑み込んじゃう。さすがの賢治もこうはいかねー。
啄木?ヘッ。ってヤツいまでもいるたー思うけど。マジにさー、ほかにいますか、近代ニッポン。ここまで通俗にさらされてもびくともしない「詩人」。若干27歳。薄緑の青虫みたいに「明治国家」の指先ですりつぶされた(by
中野重治)その青年の書き散らかした詩句が、「悲しき玩具」が、何で今でも口をついて出る? 窮地に立ったニッポン人の。ヘロヘロに疲れた労働者、会社役員、政治家、インテリの……。「働けど働けど」かー、って思わず手をみたりさ。そーだなー「こころよく我に働く仕事あれ、それを仕遂げて」ってなー、とかさ。
「恋の花の芽」論議に夢中な「中学生日記」メンバーに贈るよ。「かの時に言ひそびれたる/大切の言葉は今も/胸にのこれど」。これわかる、わかる、わかるよねー、だよね。
だからさ、啄木はどう扱ってもダイジョブだ。ほんとびくともしねー。で、ミニ企画は、もろ。タイトルは「啄木さんが、だいすきだ」ね。全国の啄木グッズとかね。啄木あそびをやりましょーね。あれ、上京期間抜かしたら準備、一週間もないんじゃん?
午後2時からは、水口先生のところで啄木会の打ち合わせ、「小樽の図書館」の新谷さんも来られる、って聞いたのでね。行きますよ、新谷さん、これからの小樽の図書館とか文学館とか啄木会とか学校とか、町中のデッドストック文化をネットするキーパーソンだ。
ってしているうちに、『月刊G代』のフリーライターを名乗るヒト。小樽にかかわり深い、某作家の父親が属していた会社、その会社の戦前、樺太、国策がらみの「裏業務」を暴くんだと。何だか怖そーだなー。でも、この手のライターさんにはめずらしく、堅田精司さんの『民衆史』のたんねんな仕事にも目を留められて、その小樽関係した分だけでも目を通しておきたいってんでね。貸してあげました。
堅田さんについては、また語る機会もあろーが。すげー人だ。木ノ内さんがいってた。「存在そのものが反権力」「〈歴史学者〉がおののく歴史家」。風体はね、ほとんど異臭漂うホームレスの老人よ。去年の〈手宮周辺〉文学散歩、ショックを覚えた方もあろー。引きずる足、無雑作にぶら下げたビニール袋から零れる小銭。けれども〈労働者街〉の「死屍累々」を射抜く眼光。
ライターさんが堅田さん宅の電話いくらかけてもずーっと話し中なんだって。出ませんよ、堅田さん。受話器はずしてんじゃないですか、ってゆおうとしたら、ライターさん先回り。直接会っちゃおう、って堅田さんとこ直行しちゃった。ほー、なかなかいい根性してんじゃないか。で、ここから吃驚。電話通じない筈だ。「家が焼けてましたよ」。えーッ。「堅田さん、焼けた本の始末してました」無事だったのか……。でも本は。「ボヤだったけど、本やら資料は焼けたんじゃないですか。原稿のフロッピーは無事だった、って」うーむ。ワタシも伺ったことはないのだが、そのお仕事ぶりから「資料」の量と質は想像するに余りある。何か、でも平然としてる堅田さんが目に浮かぶんだけどね……。入院してる木ノ内さんに話したら心配するだろうな。さっき石川書店さんに電話したら、石川さんもまったく知らなかったらしく仰天してました。
そんなこんなで遅れに遅れて水口先生宅に。で、バスのなかでオニギリ食うはめに。で水口家では、これから新谷さんがやるべきお仕事に、みんなが身を乗り出して、ってところで、この項続く、だ。
4月13日(土)
●喫茶店。きのう札幌にいってまいりまして、イヤね、マッチラベルがちょっとピンチなの。意外にね、意外に札幌の喫茶店のマッチが見つかりません。で、例の小林多喜二の書簡を買った石川書店にいってきました。「少しありますよ」って電話で聞きましたんで。
うーん、あるにはあるが……。このあたりがそうだな。「お坊ちゃん」とか「お嬢ちゃん」とか、確かに和田さんの本に出てくる。でも、この時代の札幌の喫茶店のラベルらしいの、8枚くらいかな……。困ったな。「もう少しさがしてみますよ」ってゆってくれてる石川書店さんを辞しまして、ひさしぶりに北海道立文学館。吉井よう子さんに借りてた小笠原克さんの写真を返しにね。で、だいたい一時間強、道立文学館の現況をお聞きしました。沈黙……。
ススキノから電車に乗り換えまして、南14西14、行ってきましたよ。片桐さん強力ご推薦の「喫茶店研究所」。名前がね、名前が超インパクトじゃん。なるほど、ここかー、なるほど小さい店なー。ん、ジャズ喫茶? フツーにコーヒー注文し、フツーにコーヒー出てきまして。10分経過、20分経過、30分経過。え? ここって。フツーのジャズ喫茶?そりゃ確かに狭いのはフツーじゃなく狭いが。
片桐さん、正直、ちょっと拍子抜けよ。ひょっとしたら店の雰囲気変わった? 私ね、片桐さんの情報から想像してたの。つげ義春の何てマンガだったかなー。友だちと二人でバイク旅行していて、どっかで宿さがすんだけど、どこにもないのね。そんでようやく見つけて泊まったとこがさ、何か妙に落ちつかないのさ。やってる人たちに複雑な家庭事情があるみたいだしね。で、主人の趣味なのかなんなのか、「人生訓」みたい書があっちこっちに貼ってある。
そーゆー喫茶。15分も座ってられないチョー落ちつけない喫茶。そんなおもしろい店をかってに想像してしまっておりました。まーね。個性的な喫茶店=いい店、なわきゃないんだけどね。
こんどの喫茶店本、東京で編集担当してくれることになった鈴木海花さんのメールの最後に気になる一行が。「沼田さん、13日にそちら行く、っておっしゃってましたよ」。
今日じゃん……。鳴るの? ワタシのピッチ……。怖いなー。
4月9日(火)
●ワタシなんざ、政治や経済について発言したって、ロクなことはない。新聞ナナメよみだからさ、何にも知らねーんだもん。で、日記本来のヤクメに戻り、進捗状況の報告だ。
喫茶店本。
タイトル 『一杯の珈琲をのむためだけに行きたくなる 札幌・小樽カフェ喫茶店案内』
テーマ 北海道における喫茶店文化の歴史と今
構成 1.沼田元氣氏撮影による喫茶店(札幌・小樽の約50店を予定)の写真ガイド
2.北海道ゆかりの方々による、北海道の喫茶店にまつわる思い出、喫茶店に寄せる思い、エピソードなどについてのショートエッセイ約7篇
3.幻の名著、和田義雄氏の『札幌喫茶界昭和史』を当時のマッチ箱の図版とともに完全収録。
つうヤツ。エッセイの執筆頼もうか、って方々は、
倉本聡
中島みゆき
あがた森魚
YUKI
小西康陽
ドリカムのメンバー
グレイのメンバー
うーん……。沼田さん、だいぶ「抑制」してるなー。ともかく売れないと、って。これが、ほんとは沼田元氣のすごいとこなんだけどね。とんがったアーチストの側面、よりもね。でも倉本さんに中島みゆき、か……、ってこの日記みつかったら、叱られるか。迷惑かけたらたいへん、たいへん。
でも、とはいっても沼田元氣だからさ、フツウにゃなりませんよ。ゼッタイに。18日にはこの件含めて東京行きだ。
皆さんにお願い。沼田さんの札幌・小樽カフェ喫茶探訪まもなく開始で。
沼田さんもだいたい心づもりはしてるんだろーけど。ここはずさないでね、ってとこをぜひご推薦お願いね。とくに札幌、小樽のみなさま。つうかむしろ、あら、ここおもしろいわねー、ってのは「行きずりのみなさま」か。
4月4日(木)
●えっと、こないだの一件だが。さぞかし抗議のメールが殺到、などと想像しておられる人もあろーか。ところがそーでもない。これについてメールを貰ったのは、3人の人からのみ。それも、けっこうこのHPきちんとみてくれてる人たち。貴重なご意見くれる人たち。
片桐さんも梁井さんも、わざわざ自由に使ってくれて構わない、って書いてくれてるし、吉田さんも、私も参戦、と書いてるのはそういう意味であると勝手に解釈し、とりあえず全部載せさせていただきます。
ほんとは迷ったんだ。実際最初にメールくれた片桐さんには、BBS状態は避けたいので掲載しません、なんて返事書いちゃった。でも、そのあとのお二方のきっちりしたメールを見まして、とりあえずこれについては、これで落着させようと。
すぐ気がつきましょうが、メールいただいたら、ワタシできるだけソク返事を心がけています。だから皆さん、二通ずつメールくださってるわけね。その間にワタシの返事がはさまってるとご理解ください。
きったねーんじゃねーの?てめえの返事は載せないのかよー。「日記」でなくてBBSにしてるのはおめーじゃねーか、ってお叱り受けそうだが。ま、ワタシの「返事」は、さまざまなカタチでじょじょに展開させていただく、つうことで。勝手なのは生まれつきなので。では。
あ、ひとつ書いておく。この人たちの文体をみていただきたい。Aさんの文体と比べていただきたい。文法とか言葉の適切な使い方、だけみりゃーAさんの文章は模範的だ。だけどさー、ひとつもおもしろくないじゃない?ご意見が妥当かどうか、以前のことね。また乱暴なことゆうぞ。つまらない文章は、つまらないご意見だ。
梁井さんからまた叱られるな。和泉事務長からも切り捨て御免だけはやめとけよ、って諭されてたのにね。でもさー、Aさんの文章って顔がない。肉声が聞こえない。また念を押すけどね、名前は明らかにされてるのよ。お住まいになってるところも一応は書いてある。E市、とだけね。それ以上の住所を書かれてないのは返事はいらん、ということだろう。この長い手紙はワープロで打たれている。不思議なのはこれだけキーボードに熟達した人が、なんでメールでくれなかったんだろうってことね。だいたいHP見てお怒りになってるんだからさ、速攻メールくれりゃーいいのに。
これ以上勘ぐってもしょーがねーけどさ。いいたいのはね、一応匿名ではないが、かぎりなく「匿名的」な、一方的な「ご意見」だ、ってこと。そしてそれは文体にも露骨にあらわれている、ってこと。Aさんが、Bさん、Cさんに署名変わっていても、気もつかねー。これをね、これを「ブキミな文体」ってゆう。
ここまでゆったら、Aさんまた手紙くれるかな。あるいは「しかるべきところ」へまっすぐに「告発」か。ま、「Aさんの手紙」については、もーワタシ自身はまったく関心なくなっちゃった。これって、やっぱり「切り捨て御免」かしら?
片桐保昭さんからのメール
日記を読ませていただきました。
小林多喜二の死体写真をはずした件ですね。
まったくステレオタイプな意見でどうにも閉口してしまいました。
空白行で仕切られた五つの部分で分かれていますが、順に反論しますのでご自由にお使い下さい。
まず最初の部分、
撤去理由が通俗的情緒的に思われるのはそれはそれでいいでしょう。
私には投稿子さんの反対理由の方が滑稽かつ救いようもなく通俗的に思えました。投稿子さんは生きることの意味だの深い考察だの一見殊勝な言葉をばらまいてますが、死ということを権力対反権力の図式に押し込めるそのものの見方こそ私たちの自由な発想を奪ってきた権力そのもののように私は思います。つまり投稿子さんは自分の考えと違う思考を、このような麗句を持って押さえつけることを正義と信じて疑わないタイプの人なのでしょう。
二番目の部分
小林多喜二を殺したのは天皇だというのは、悪質な言いがかりです。暴走族に注意して殴られたら建設大臣の責任なのでしょうか。天皇が悪いという前提を共有できる集団の中での(主張ですらなく、)愚痴でしかありません。
はじめから天皇という存在に悪意を持っているからこそ、あれだけの長文で、玉川さんの気遣い(気遣った訳ではないのかもしれませんが)を告発できるのでしょう。投稿子さんは自分の中の劣情と正義感の区別が付かなくなっている。
そして天皇擁護だから良くないというのも良くない。そんなことは人の自由です。私には投稿子さんが左翼思想の奴隷に思えますが、幸せそうな奴隷でいるのも人の自由でしょう(私は御免ですが)。
三番目の部分
別に玉川さんは無惨さから逃げているわけではないと思います。残酷だからこそ晒すのが芸術というのは投稿子さんの個人的な考えで他人に強要すべきではない。特に公共の場では。文学館は美しいから芸術であり残酷だから芸術であり..そのような多面性を学習する場でもあります。この役割を放棄して、特定の見方だけを強制する場でなくてはならないのでしょうか。そのような場はスターリン時代の旧ソ連と文革時代の中国にしかありません。
そしてなぜ文学館に国家だの権力だのを持ち込まねばならないのでしょうか?なぜ国家は間違ってるモノと決めつけなくてはならないのでしょうか。関係ない話ではないですか?そういったことは個人で、あるいは選挙や議会ですべきことです。
四番目の部分いくら血と汗の結晶であっても、一円の値打ちもないモノなどこの世にいくらでもあります。努力にもいろいろあらーなってなもんです。だから投稿子さんには千金
の値があっても他人には1円にもならないものがある。
五番目の部分
本当に投稿子さんが自分の思考で出した結論ならいいでしょうが、これまでの言い方からして、そうは思えません。よってこの結論には説得力がありません。
総じて言いますとこういうモノの見方というのはまったく何にも生み出せない。白濁した左翼思想を振りかざして相手を告発しあって自滅して行くだけです。こういう人間につきあって小樽市文学館が自滅する必要はありません。投稿子さんが告発記念館でも作って残虐写真だけ展示することを勧めます。
投稿子さんの意見は、「日本、日本的なモノ、天皇、国家、権力は否定しなくてはならない」という前提が無くては成立しません。しかし投稿子さんが自由に意見を言えるのも「日本、日本的なモノ、天皇、国家、権力」が投稿子さんの自由を保障しているという歴史的経緯があるからなのです。「日本、日本的なモノ、天皇、国家、権力」を否定した、先ほど私が言った「スターリン時代の旧ソ連と文革時代の中国」では自由に発言することは出来ない。むしろ投稿子さんの発言は、かつての日本より遙かに多くの人を死に追いやる権力者の言葉となるのです。投稿子さんは結果的にかつての弱者をネタにあきらかにその絶対権力を指向しています。私のような無産階級には鼻持ちなりません。
片桐保昭さんからのメール2通目
例の投稿につきましては私も頭にきやすいたちで、失礼いたしました。まあ、一市民の意見にはこういうのもあると言うことで。
ただ、私としては、かつて天皇主権という治世を快く思っていなかった人がそれゆえ拷問されて死んだということを皇族に対して、この機会では、そっとしておいた(のかどうかはしりませんが)。このことは運営している側の恣意でいいのではないかと思っています。
(個人的には見せてもいいんじゃないかと思ってますがそれはどうでもいいことです)
私個人は知っての通り右翼的なひとです。それを他人に強要する気はありませんが。
先日、知り合いの韓国人の家に泊まって、私の家にも泊めて、まあよく言われる植民地化の話もしましたが、「片桐は天皇のためなら死ぬのか」と問われて私は「天皇のためなら死ねます」。と見栄半分ですが答えます。そこで日本人にはそういう存在があって羨ましいといわれますが、同時におれたちの国をひどい目に遭わせたことについてどう思うかとくるわけです。
確かに、知れば知るほどひどい目に遭わせてる。しかしいまここで口先だけで反省を唱えてもそれは私の本心じゃないし、韓国人にしたってその場の納得しかできない。本心で反省してもいないのに反省したとは言えないし、反省したくてもできない気持ちに何故私が至ったのか、という実感を共有してもらうしかないわけです。日本人がかつて朝鮮にしたことを逆手にとって政治的に利用している連中ばかりのなかで知れば知るほど反省できなくなるという実感を相手にも共有してもらうしかない。
そこら辺はお互い愛国者ですから、自分の国をどう愛するか(=えこ贔屓するか)という共通した態度によってしか相手の心を理解することが出来ないわけです。ということで、いまでもその韓国人の人と私は、喧嘩友達なわけですが(笑)。ただ薄っぺらな誉め合いや殴り合いを越えなかったら、いつまでも謝罪だの何ナノの言いあいできりがないわけです。だから、わかったつもりの反省やら告発やらのいやらしさは結局お互いのためにならんということをいいたいわけです。弱者と強者をこえて対等につきあいたいなら、そんな媚びはお互い迷惑です。
なんの話か大いに脱線してまいりましたが、結局、自分の手に余るような国家観の争いに倫理観をあてはめて偉ぶるのはおやめなさいなということで、やるんならエライ人のいってることをなぞるのではなくて、どうにも否定しようがない自分の本心でやってみせてくれということなんですね。そこまでいってるんなら右翼でも左翼でも脱帽します、主張を越えて尊敬しちゃいます。
吉田暁子さんからのメール
お久しぶりです。こんにちは。
最近の日記を読んで、こういうことに参戦していいのかわかりませんが、私も玉川さんの多喜二の写真についての文章は違和感を感じていたのでこれを機会に発言してみようかな、と思います。
私の意見は、「若者」「女性」という観点からの違和感です。
写真を飾る飾らないは、ある思想もう少しくだけた言い方をすれば飾る・らない側の意志や考え方を反映するのは当然です。
私はここでその背景にある思想について無口になるしかありません。
そういう思想背景について考える人はある特定の時代以上の人かと思います。
私たち=若者、これがおこがましければ20代の私にとっては雰囲気としかそういう思想を「知りません」。なのでこの観点の背景にある思想には語る権利は特にないと思われるのでここではこのテーマはおいときます(重要ではあるかもしれませんが)。私が問題にしたいのは、「知らない」ということです。
小林多喜二を知らずして文学館ではじめて知る可能性もあります。
そういうときにその写真を飾る・らないはどういう影響を及ぼすでしょうか。
それは、小林多喜二という人物をどのように伝えるのか、というコンセプト・思想が重要になると思います。
思想云々は前提となっている人にはわかっていてもその前提を最初から共有していない人には意味をなしません。
そこで最初に写真を飾り、現在飾らないとしたら文学館のコンセプトが変化したと言えます。
そのコンセプトが変化した理由を「明示すべき」というのが私の立場です。
その写真を飾ることの問題があるならば、その理由を明示すべきです。
また、いままでなぜ飾っていたのか理由を明示すべきです。
そして見る側に問題提起すべきではないでしょうか?
空白の写真スペースをつくって。
次に、写真をはずした理由の要因となる紀宮氏について。
これは女性という視点で書きますが、かなり批判的な意見になることを前置きします。
これは天皇制云々を抜きにしても明快に語ることができます。
日記の中で「聡明で、床しさを自然のあり方として振るまうことのできる、「ふつうに素敵な」女性が、その生まれゆえに、どうしてこんな理不尽な悲しみを、痛みを、突きつけられねばならんのだ、ってことだ。」という文章がありますが、これは天皇家以外の戦後生まれの「ふつうの」女性にも同じく当てはまりませんか?
別に男性に置き換えてもかまいません。
今回の場合は小林多喜二ですが、これは日本による戦争での加害行為と置き換えれば日本人すべてにあてはまりませんか?
戦後生まれの日本人は「日本人」というだけで理不尽な悲しみや痛みを突きつけられねばならんのだ、と果たして言えるでしょうか?
次世代は当事者の罪を変わりに受ける必要はないことをみんな知っています。
だからといって、理不尽な悲しみを突きつけるな、と言えるでしょうか。もし彼女が他の人より「悲しみや痛み」を感じるとしたら、それは彼女が「特別」の地位にいることを意識しているからです。責任を認識しているからです。
しかしだからといって、小林多喜二の死が彼女の責任ではないことも知っています。
個人としての責任はもちろんありませんが、自分を位置づけている制度の責任はその地位にある以上考えているでしょう。
個人の問題と制度の問題としての責任は分けて考えるべきであって「聡明」ならば理解しているのではないでしょうか。
この点をきちんとわけて考えることができる「女性」だと考えたいです。そんなに「やわ」ではないのではありませんか?もしかしたら今回のことは、彼女にリアルな情報を伝達しなかったと言えるかもしれません。
このようなことをした要因として彼女が「特別な存在」だからであり文学館が「痛みを突きつけること」に躊躇した背景には彼女が「ふつう」=「かよわき」女性像があるように思えます。
けれど彼女は自分でこういう問題を解決していて写真を見ても、個人の自分を否定するものとは見なさない可能性もあり、せっかくの「見る」チャンスを失ったかもしれないのです。その点は非常に残念でなりません。かよわくたって回復だってできるのですから。また、もし皇太子やその弟でも同じことをしましたか?
最後に、小林多喜二の写真の飾る・らない問題はその背景にある思想・見方を共有していなければ、無効な問題であることを指摘します。
つまり「知らない」という問題をどう考えるかです。
「知る−知らない」だけなら話は簡単なのですが、思想の問題は何を「知らせる−知らせない」のサインですが、小林多喜二の写真を飾ることは何を知らせるのでしょうか。
飾らなくても十分に内容を他の手段で知ることは可能なのでしょうか。
また、飾らないことで何を知らせないことになるのでしょうか。
文学館が飾らない理由は日記の中で「ニンゲンじゃないものに対して、人間の域で抗することはできぬ、かも知れぬが。それでは終わる。何もかも終わる。」とかかれています。
私の立場は「ニンゲン」も「人間」もたいした差はないという考えですね。
戦時中では誰でも小林多喜二にも特高にもなる可能性はある、というのが私の考えです。
特に特高はなりやすいですね。
今週の北海道新聞の日曜日か月曜日に中帰連の代表者の記事がありましたが、私は「日本鬼子」という映画を見て、普通の人がいかに軍になじみ人を殺せるようになれるか、頭と感覚で理解しました。
普通の人でも制度が整えば誰でも人を殺せるようになります。
そういう意味で、特高は条件が整えば誰でもなれると思っています。
最近の身近な例ではオウム事件でしょうか。
普通の人でも社会的・組織的条件が整えば人を殺すことはできます。
別にサディスティックな性癖の持ち主が特高になっているとは言えないでしょう。
おそらく「ふつう」の人ではないでしょうか(訓練はされていると思うが)。
以上の立場に立てば、私の意見は簡潔です。
私にとって戦争は遠い過去の問題でありほとんど意識したことがない。
しかし、「日本鬼子」という映画を見て気づいたことがある。
1.リアルさの重要性
2.知ることの必要性
である。
リアルさとは、映画の場合は加害行為の説明、今回の件では写真である。
写真の記録に偽りはないということ(見せ方には観点がある)。
(偽装写真なら飾る必要はない)
戦争を知らない世代、戦争を抽象的に悪いというしか知らない世代にとって、リアルさが重要になってくる。
今回の件で言えば、「特高による加害行為によって死をむかえる」と説明するよりも写真を見た方がリアルに理解できる。
「加害行為」という言葉がどういうものなのかよく伝わるのである。
リアルさによる痛みこそ自分にそくして考えるよいチャンスとなる。
しかし、ご遺族の了承の上飾る必要があるだろう。
知ることの重要性とは、よく言われているように戦争記録は忘れつつある。
小林多喜二も私の世代にはマイナーな存在だ。
「特高」も「プロレタリア」もマイナーな言葉だ。
「日本鬼子」の価値が加害行為の告白にあるように、小林多喜二の写真の価値は特高の虐待データであるということだ。
虐待する側の行為というのは平均的に隠されやすい。「忘れがち」「隠されがち」つまり、国が正当に評価しないからこそそうなるのだが
だからこそ「忘れない」「隠さない」ことが必要だ。小林多喜二の生涯の説明には当然最後の死については触れるが、特高に殺された事実はやはり事実である。
くりかえしてはならない、という点には同意できる。
表現が過度ならば緩和すればよいだろう。
最後に、小林多喜二の作品をどのように評価するのかについて、文学館がどういう観点で評価するのか明示した方がよいだろう。
小林多喜二の人生と作品に関係性があるのは当然だが、オルタナティブな評価をしはじめているようなので、その点について従来の見方と並べて現在の文学館の見方を提示すべできある。
長くなりました。
吉田暁子さんからのメール2通目
お返事ありがとうございます。
メールを読んでの感想ですが、文学館の小林多喜二に対するコンセプトの変化は展示する玉川さんの見方の変化ということなんだということを実感しました。
特におもしろいと思ったのは、小林多喜二は「常設展示」なんですよね。
もし企画ものだったら、大人数で話し合われて明快なコンセプトを決定し形作るという過程を経るのですが、常設展示だと、管理するのは玉川さんで玉川さんの感覚が反映されるというところですね。
私は「発展」したという考えは受け入れやすいです。
見た目は「前」に戻っただけかもしれませんが、展示者の視点は変化していてHPでそのことを告白しているところがおもしろいですね。
私は特に意識したことはなかったですが、写真を飾る前も後も見ていると思うのですが、その後のはずしてないものは見ていませんが、その意図をHPを通して知ることはおもしろいですね。
「写真」について顕在的に意識し考えるようになります。
「写真」は原盤を見ることは可能じゃないのですか?修正なしの資料の貸し出しは行っていないのでしょうか?そういう情報をどのレベルので公開していないかはわかりませんが、もし情報を公開しないのならば公開するように求める必要もあるかもしれません。写真が「見せるもの」として残されていたとしても、それは記録のためにかもしれませんし公権力を暴くための証拠かもしれません。
私はどちらにしろ、小林多喜二が特高による加害行為による死は変わらないし彼の人生を語る場合は不可欠だと思います。
そのことと多喜二の作品をどのように考えるべきか、という問い直しを文学館が行い始めている、ということだと受け止めました。
「正確を心がける」ということが、どういうことかはわかりませんが、文学館が小林多喜二の固定した評価を相対化する試みに動き始めているということが
伝わりました。その動きは玉川さんの多喜二に対する見方の変化とも受け取りました。
当然のことですが、固定化したものを相対化する場合はさまざまな軋轢があると思い
ますがそういうのを圧力というかどうかはわかりませんが、創造的ということはこういうことだと思います。
それは直接圧力をかけられなくても心の中のステレオタイプが相対化する作業に対して枠をはめようとしてくるかもしれません。
「文学」館や「美術」館は常に創造的であってほしい、と思うのでぜひ外圧・内圧に打ち克ってがんばってほしい、と思います。
最後に、おそらく小林多喜二の人生を知ってから本を読む人が多いかと思います。
そのように作品が消費されたのかもしれません。
はたしてそういう背景情報の何もない人が作品を読んだ場合どのような感想を抱くのか大変興味があります。逆にイメージが強すぎて読まず嫌いな人も多いかもしれません。私はなんとなくイメージがいやで読んでいなかったのですが、まったく知らない短編作を読んでイメージが変わりました。
小樽に住んでいた人は小樽の都会っぷりがわかり、そういう面白さもあります。というよりもそういう作品を選んで読んでしまいますね、つい。
もしかしたら有名な作品を読んでも流布しているイメージとは違うものを感じ取るかもしれません。そういうことってよくあります。まずは背景情報なしに作品を読んでみることが何より必要かもしれません。そこでおもしろいと感じてよみすすめていくうちに多喜二の人生を知る、という流れがもっと多くなるといいですね。
時間ができたら有名な作品も読んでみたいな、と思います。
長くなりました。
梁井朗さんからのメール
どうも、ごぶさたしております。ヤナイです。
HPを見ていてちょっとカチンときたので、メールを差し上げます。
「サイテー」などという、キメ言葉は、ちょっと大人気ないんじゃないでしょうか。
あの場合、Aさんは、玉川さんに向かって罵詈雑言を投げつけたわけではなく、自己の意見をHPで公表してほしかったわけでもありません。
論旨に賛成できないという気持ちは分かりますし、玉川さんのおっしゃる筋道じたいはもっともだとおもうのですが、ああいう、相手とのコミュニケーションの可能性を完全に断ち切ってしまうような言葉を公開の場で投げつけるというのは、いかがなものでしょうか。
Aさんが亀井館長の講座に出なかったのは事実かもしれません。でも、世の中には、夜とか、土日とかが休みでない人、出たくても出られない人はいっぱいいます。そのことをもって評価させられるのはたまらない気もします。
玉川さんが皇族にびびるような人でないことは、小生は知っています。
あのHPの文章で、続いて、例の根本敬さんのインスタレーションが出てきていることも、まあ分からん人にはわからんでしょうが、そのことをあかしだてているのだとおもいます。
ただ、そういう文脈を離れて、こんかい俎上に載せられた、小林多喜二のデスマスクのくだりだけを読むと、Aさんみたいな、わりと単純な図式で、そういう形容がふさわしくなければ古典的な図式で、ものごとを判断する人に反論の余地をあたえちゃうよなー、という感想を抱いてしまいます。言い方を変えれば、玉川さんワキが甘かったかもなー、ってことです。
今回のメールの主旨はこれでおしまいですが、これだけでは芸がないので、一般論。「圧力」の話を付け加えたいとおもいます。
いますよねー、したり顔で「マスコミは圧力に弱い」とか「表現への圧力」とか言う人って。Aさんも、その手の人だなー、って、読んでて感じました。
でも、具体的に圧力って、なんなんだ。
弱小マスコミは知らないが、すくなくても北海道新聞社に圧力なんかかけてくるヤツはあまりいないし、いわんや権力になにかいわれて筆を曲げたことなんて、オレの知ってる限り60年代の稜雲中事件(学校の不祥事を紙面から隠した事件)以来ないぞ。
鈴木某みたいな政治家が道新に電話をかけてきたとしよう。「こんな記事は載せるな」
新聞社は「そうですか。ご意見はわかりました」と言って電話を切るだけ。政治家の意見なんか聞くはずない。役所の言うことだって同じ。むしろ、新聞社なんて、役所に落ち度はないか、目を皿のようにして探しているっていうあたりがほんとのところです。
あるいは、スポンサーが、自分の会社の不祥事を感づかれて、新聞社に不祥事の記事掲載の差し止めを求めてくるんでしょうか。
かりに、北海道新聞社をおさえても、半日後にはどこか別の社がスクープするにきまってる。そんなことになれば、記者はすごく恥だとおもうのがふつうです。だから、そんな要請は受けません。そのスポンサーが、報復措置で、広告を載せない、と言ってきたとしても、北海道新聞社はびびらない。これはすごくエラそーにきこえそうで恐縮なのですが、北海道新聞の媒体価値を考えると、その企業にとって道新に広告を出せないことのほうがマイナスなのです。
わたしが逆に「したり顔」諸氏に聞きたいのは「あんたは圧力を受けたら、へいへいということを聞くのかい?」ということです。
つけたしのほうが長くなってしまって失礼しました。喫茶店の話はまたいずれ。なお、以上のメールはHPなどで引用されてもいっこうにかまいません。
梁井朗さんからのメール2通目
ご丁寧な返信、ありがとうございます。
ただ、小生は、人から尊敬されるほどの人間ではないと承知しています。あんまり、そんなふうに人から言われたこともないし、ちょっと戸惑っています。
玉川さんのことですから、ほめ殺しではなさそうですが(^_^;)、いくぶん買い被りではないかということで…
小生は、文学業界の人間ではないので、小林多喜二がどういうふうに読まれているかという現状というか、空気みたいなものについては、疎いのですし、代々木関係者がどんなふうに顕揚しているかにかんしてももちろん関心はありませんが、たしかに、Aさんの思考には、或る世代までの左翼というか「民主的」というか、そういう人たちの典型が現れているようで、玉川さんのがっかりするのもわかるような気がします。個人的に困ったこと?には、まだそういう人たちのほうが、シンパシーがわくんですよねー。友達にするなら谷沢永一や山本七平よりはいくらなんでも左翼のほうがマシだろうっておもってしまう(~_~;) 小生も、「つれづれ日録」4月1日のくだりにあるような旧世代なのであります。
まあ、それはともかく、小生が「蟹工船」を読んだときの印象は、これは新感覚派の同時代の文学だなあということでした。映画のシナリオを思わせる、映像的な短いパラグラフの切り返しと反復は、川端康成が初期の映画に関心を抱いていた事実などを想起させます。しかも、あの小説に出てくる「プロレタリア」たちは、誰も名前を持っていない。まるで、村上春樹だ。それは、プロレタリアという存在の普遍性を言うためでもありますが、同時に、方法的に相当斬新だということも事実だと思います。(そして、方法論に対しておそろしく自覚的であるという一点において多喜二は、「鳴海仙吉」の伊藤整に、ものすごく近い位置にいる)
多喜二は、残闕だらけの児童の作文だけで短篇小説をつくる、なんてこともやってましたよね、たしか。
こんなこと、玉川さんに書いても、釈迦に説法でしょうけど…
それと、自分では、会社に対してそれほどきついことを書いているという自覚はないんですが、人からは相当厳しくうつるようで、或る人からは「ヤナイさん、クビにならないのかい」と心配されたこともあります。
でも、日ごろ抱いている不満や文句の何十分の一もおおやけにしていないつもりなんですけど。だって、自分のことをタナにあげて他人の原稿を頭ごなしに批判はできませんから。ただ「なんぼなんでもこれはないだろー。記者が知らなくてもデスクが気付けよー」とおもったことは、たまにHPで指摘します(社内で気がついたことは、面と向かって指摘します)。
玉川さんが考えてらっしゃるほど、小生はマジメな人間ではないとおもいますが、少なくても、新聞社内の言論の自由がなくなったら世の中おしまいじゃん、自由にしゃべれる場所が日本になくなってるってことじゃないか、という気持ちはありますね。
それにしても、Jポップなる面妖な語がすっかりCD店を占拠したころに「歌謡曲」の特別展をやり、こんどは「カフェブーム」のなかで「喫茶店」展に取り組むという、玉川さんの「反時代的精神」には、敬服させられます。
どうぞ、ガンバってください。
博物館・美術館の政治性についてはそのうちまた。
4月1日(月)
●リセット!
年度が改まってどーこーなわけじゃーないけど。B型で根がノーテンキな私ゃつくづく思うんだ。辛いとか、圧迫されてるとかね。そりゃ何にもないとはいわん。いわんが、やっぱモーソーってある。ネガティブな妄想。激しくなると本格的な被害妄想で、こりゃ要治療だが。軽いのはもー日常茶飯事だ。そして軽めのモーソーって実はラクなんだね。この人がいっしょのうちは、何やってもダメだ。で終わっちゃうんだもの。言い訳ね。
きょうは辞令交付というものがありまして。私は社会教育部主幹というものになった。何のことかよーわからん。文学館学芸員という仕事が変わるわけじゃないからさ。さっき電話があって、明日は3時から部内会議、4時から小・中学校長会議だと。こんなもんで時間割かれるわけだが。学芸員がオレしかいねーって状況が変わったわけじゃーないからさ。やれやれ、ってゆうもんだ。会議っておそらく見当がつくが。時間割かれるならちょっとでも意味みつけるつもりでいねーと。ほんとのムダだな。
だってさー、辞令もらってみんなまっさきにどこ回ると思う?市会議員の各会派の控え室ね。そこに名刺置いて回るわけ。まーひとつお手柔らかにってねー。
まー、ものは考えようだ。課長職だから責任は重くなるわけだろう。ならさー、責任あるから慎重に、じゃなくて。責任持てるから大胆に、だな。
それによ、人事異動って必ずついてまわるのが関係モーソー。こんどの部長はどうこうで、あの課長との関係はどうこうだ、ってヤツね。つまんねえ。
きょうはさっきからつまんねえこと書いておりますが、文学館の事務室に日めくりがありまして。ものすごアナクロなヤツで、毎日「今日の格言」が出てくるの。でも私、ときどき感心しますのね。テレビなんかの、きょうの運勢、ハイパーなんてのよりよっぽどね。
で、きょうの「お言葉」は「相手を理解できないのは自分の心が狭いからである」だって。
さっき下に降りたら見たことあるオジさんがいてさ。バスの運転手のフシミさんじゃん。私この人、正直いってニガテつうか、もっとハッキリいえば嫌いだったのね。だってさー、文学散歩とかで運転してもらっても文句タラタラなんだもん。ホントに運転嫌いでしょうがないみたい。何で市役所の運転手になったのかフシギ。函館まで運転してもらったときなんか死にそうになっちゃった。でもウチの事務長とはなぜか仲いいらしくて、なんだかちゃん付けで呼びあってたな。
で、このニガテなオジさんが、さっきはニコニコしてさ、「タマガワさん久しぶり」、なんてね。あれ、フシミさんもうバス運転してないんですか。「去年から職場変わったよ」あー。「タマガワさん、よかったね」あー、仕事かわるわけじゃないですけどね。「イズミさんも動いちゃったんだな」残念ですよ、もっと偉くなるべき人だな。「いい人すぎるんだね」……。
何か、辞令交付のときのクラメの感じで(どーも社会教育って……、やめておこうね)ちょっとブルーになっておりましたが、フシミさんのニコニコで、そうだよなーもう4月だよー、なんてさ。
あっ、つまんねーことまだ書いてんね。よーするに私が人を外観で見て、すぐに決めつけちゃうケイチョウフハクな人物で、私こそカンケーモーソーのトリコじゃないですか。
リセット!リセット!星田さんなんてマンガとかフィギュアがらみの「ヒーロー・ヒロイン」展でパニクってるところにiBookのデータ全部ぶっ飛んでさ、あの気丈なヒトが帰る道をまちがえた、だと。星田さん、気の持ちよーだ。たかが2、3年分のデータが何ですか。あなたならできる、白紙からのやり直し。(私なら一週間は引きこもりになるか……)
あれ、この日めくりの日付け、きのうのままじゃん。
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