学芸員のよもやま日記

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10月。サーヴィスに徹する。

市立小樽文学館学芸員・玉川薫
直接メールくださるときは、こちらまで。もっとも文学館あてのメールも私が読んでおりますが。


10月30日(水)
●ユデアズキ。
昨日の続きだが、こっちは北海道の博物館。ただの博物館じゃなく、ウチが提携しようってとこよ。期待してたムキもあろうね。レトロ・スペース坂会館。

うん。微妙な事情もあるから、すこしゆっくり話してみようか。喫茶店展が終了しまして、けれども当初のモクロミどおりJJ's Cafeと昭和喫茶・夢が残りました。さらにJJ's Cafeのほうは、植草さんの遺品そのものも残ったこと、ここでもご報告いたしました。がー、その後事態急転。植草さんのものはここから無くなっちゃった。
これについては、いまはこれ以上の詳細は話せないんだけれど、行きがかりということもあるからね。ちょっと引きずります。ウラのほうでね。気長にいきますよ。いつか戻ってくるような予感もしてんだ。お話しできるときがきたら、いたしますね。

ただし、JJ's Cafeは残る。主を失った場は、茫然自失なんかしてませんよ(正直、半日くらいはしてたけどね)。がぜん「あるべきもの」を夢みはじめるわけね。夢想から創造へ。JJ's Cafeという器は、居ずまいをただし、さらに洗練、進化する。そこで夢みられるもの。ミニ企画展立て続けに打ちますよ。いっかんしたテーマなど、ない。しいてゆえば、無テーマ、ノンジャンル、境界例、ジャンク、遁走、あたりがキーワードになるか。つまりはそれがスピリットだ。Jのスピリット。
展示スペースは限定されるぞ。ガラスケースが1本、棚がひとつ、机が2本、そんなもんだ。それを、このアッケラカンとしたJJ's Cafeのなかの、更なる異空間にする。入れ子ね。そのわずかの空間をJ's galleryと、名づけました(さっきね)。

で、そのJ's galleryの栄えあるコケラ落としが、「ザ・スピリッツ・オブ『レトロ・スペース坂会館』展」(ハンパに長いな)。
レトロ・スペース坂会館。奥が深い。曖昧模糊した奥深さじゃなくて。表にみえてるものを一枚はぎ二枚はぎ、剥いでも剥いでも正体あらわれず。だんだんダーク度いやまさり、ついには漆黒の闇となり、ってゆう奥深さ。公式、じゃなく公認らしいけど、ホームページでもその雰囲気はほんのちょびっとしか伝わらん。ましてワタシの指先などじゃ。
イントロだけでもやってみようか。トミタさんやカタギリさんをも惑わせたエロテイストの導入部。そのエロはワタシが知り得た限りでも、まことに複雑精緻であったぞ。だいたいが、すべて坂コレクションで出来てるわけじゃない。何人かの合作だ。もっともアレンジしたのは館長だからさ。こりゃ濃密な企画展なんだね。
まず入って左手。いちばん手前には理化学用途のガラス管がずらりと並ぶ。螺旋であり、奇妙にふくらみ、またつぼまり、先端はまるみを帯び、また尖る。透明であり、しかしその触感はするりと体内に入ってくる。その一つ奥。革の下着をまとったマネキンのボディが並ぶ。その苦痛は無表情だ(アタマがないからね)。さらにその奥。リカちゃん人形。フツウじゃないぞ。目隠しをされ、幾重にも縛られ、宙に吊され、大きく息づき、小さく固定される。これはどなたかの作品らしいが。アートかビョーキか、もちろんどっちでもいいことだ。
右手。いちばん手前。一昔前のアイドルグラビア風のカラー写真。モデルはギリギリ体型崩れ気味。ジェリービーンズみたいな色とりどりの風船に埋まってカメラに向かって笑顔を決める。何とこれは館長自ら撮影、カラー現像まで自分でやったんだって。「こういうの、むかしはお店に出すの気が引けましたからね」。うーむ。その奥は、真っ赤なベルベットを背景にした一人の女性のいろんなポーズのヌードフォト。セルフ・ポートレートかしら。「いいえ、この撮影者はね」。ヴォーン(強制終了)。
まいったなあ。視線を上に逸らしてみれば、タブロー?なんとも不思議なマチエール。何だか細かい毛が生えているように。「織物ですよ。名人芸ですね。かつてあっちこっちの温泉にあった秘宝館ってとこにはね、こんな職人技がひっそりとしまわれてるのね。ボロボロになっても修理もされずにね。なんか意地みたいなもの感じませんか」。うーん。その奥の下着の歴史室みたいな小部屋までは覗けませんでしたけどね。
つまりね、少なくともこれだけはいえる。「小林秀雄・美を求める心」展と引力が違うでしょ、二桁ほどさ。

そのエロテイストはレトロ・スペース坂会館の一端でしかなくて。突如出現する古代。学術的没頭。ウヨクとサヨク。咆哮と静謐。押し寄せる混沌。無意味な秩序。そして脱力。

脱力のさいたるものがユデアズキ・コレクション。様々なるユデアズキね。「これはウチのスタッフのコレクションです。置くところがないっていうんでね。一ケース与えました」。「私も意表を突かれた。優秀ですよ。ライバルがいないでしょ。ウフ」。そー、ライバルがいない。これを独創性と言い換えれば臭みを帯びる。ライバルがいない、故に宇宙に突出する。
きょうね、その坂館長さんがウチにいらしたの。うら若き女性を連れて。「ユデアズキの子ですよ。ウフ」。えー?この方が? ぜひ、これだけ聞きたかった。動機。「甘い物が好きだったので」。うーん、王道じゃ。「テレビチャンピオンの甘味王で、予選通りました」。なっとく。「人に頼んだりはしません。フラッと入ってあったら買う」。これでしょ。

あのね、ワタシは二度入って確信し、館長と話し込んでやっぱり間違いありませんでした。ここはね、レトロ・スペース坂会館は、公認博物館(もちろん含美術館文学館)に対する激烈な批判なの。天然でそれ的場所は、ほかにもないではない。そりゃ秘宝館になりかねないが。ここはね、知性で統御されている。その知性は体験と実感で裏付けられてる。だから余裕もって受け入れるんだよ。ユデアズキ(そのコレクター、プータローだったNさんは、センスと情熱を認められて抜擢されたレトロ・スペース坂会館唯一の「正社員」だって)。

長くなったな。小林秀雄vs.ユデアズキ。ユデアズキの圧勝だ。

10月29日(火)
●えーっと。小林秀雄とユデアズキ。何の話か。

こないだ東京へ行って、ギャラリーTOMを訪ねた帰りにね、松濤美術館へ寄った。タイトルがさ、「小林秀雄・美を求める心」。こりゃ入らずにおられませんが。
ワタシは小林秀雄の愛読者じゃないけれど、でも良き読者のハシクレぐらいではあろーか、って思ってた。そんなワタシが、この展覧会に入るのは自然な行為だ、のはずだが。うむう。半ばで出てしまった。
あのね、めったにないよ。どんなにマズいものでも、出されたものは綺麗にいただく。映画も途中で出たりはせん。あ、一回あったな。クロード・ルルーシュの「男と女」って映画。
小林秀雄に戻るけど。ワタシ想像しちゃったのね。小林秀雄本人が、もし生きてて、この展覧会みたら。真っ青になったんじゃないかって。脂汗流れたんじゃないかって。
いきなり冒頭に「美は人を沈黙させる」でしょ。その御仁がさ、はっ、「美」についてこんなにゴタクを並べ立ててたんだ。
そりゃ小林秀雄を読んでたときは、そんなイジワル思わなかったよ。でもねー、小林秀雄お気に入りの絵とか茶碗とか、ポンポンポンって並べて、その脇に小林秀雄の美術評論のいいとこ、ってか、気の利いたセリフを切りとって貼りつけていけば、なーに?小林秀雄ってこんなヒトだったの?小さな得心。アフォリズムの羅列。
ところどころに飾られた小林秀雄の肖像写真。お馴染みのアタマ良さげな落ち着き払った表情。仕立ての上等な洋服。
お客様はね、絵より先にパネルに目を寄せられる。小林秀雄の「上等な」セリフにね。それからおもむろに彼の「愛した」絵に目を移す。ちいさくうなずきながらね。
こりゃ、そうせざるを得んだろー。ワタシもそんなふうにしか観られんかった。で、とうとう途中なかばで居たたまれなくなったわけね。
こりゃ「恥」だろー。小林秀雄って「廉恥の人」じゃなかったんか。こんなふうに並べ立てられたらさ。「廉恥を売り物にした油断ならぬ人物」じゃん。
展覧会は罪作りだ。でも、じゃ、この展覧会のやり方だけが悪いんか。癇癪持ちの小林秀雄が、これを観て関係者を大音声で一喝したか。できねーだろう。声を呑んで脂汗流したろう、ってこのことだ。図らずも穿ってしまったんだな、小林秀雄の「痛いところ」を。じゃ、この企画は、小林秀雄批判なんか。

ワタシはね、松濤美術館、って好きなんだ。前にも二度ほど書いたよな。渋谷からほど近い、でも閑静な一等地だ。乙に済まして気取ってるわけではない。慎ましやかに上品なね。「くちもととあかりの浮世絵展」なんて奇妙なタイトルの展覧会。そのクスクス的なほんのりなエロチシズム、じつに楽しかったよ。ボランティアらしい受付のおばさまもさ。
「小林秀雄・美を求める心」展、図録も買わなかったけど。編集スタッフのところみて何となくね。この人の全集出してた純文学関係の大手出版社とその下請けらしいプロダクション。いわずもがなね。とうぜんあらねばならない美術館の名前は無かったな。

うーん、この恥ずかしさ、この居たたまれなさは。美術展ではねーな、文学展だ。あちゃー、だ。ダメだな、こりゃ。

で、ワタシの落ち込みを一気に弾き飛ばしたユデアズキ。その話は、また明日だ。

10月26日(土)
●23〜26日まで東京出張。ほんとに2泊3日で帰ってきちまうなんて、初めてじゃないか。たいてい延びるからね。へたすると一週間以上な。
ふたつほどのこと書いておこう。

伊藤礼さん。伊藤整のご子息ね。20年来お世話になってる方だ。もちろん用があって出向くんだけど、この人には会いたくなるのね。ときどき、ほんとに無性にね。
こんにちは。「タマガワさん、ひさしぶり。お元気ですか。あのね、デジカメ」。?。「タマガワさんにカシオのデジカメみせてもらって、私も買っちゃいましたでしょ。今でも持ってますよ、カシオ」。ああ、QV-10、革命的名機ですよね。「私ね、友人のあいだで、すっかりデジカメ通ってことになってしまって」「私の影響でデジカメ買った、って人けっこう多いんですよ」。そうですか。「今のデジカメ、性能いいですよね。これこれ、私の友人がマンションの窓から私を撮ってくださったの。光学ズーム3倍、電子ズーム8倍だったかな」。!?。「ね、良く撮れてるでしょ」。うーむ、写真もアレですが、この自転車乗ってらっしゃるの、レイさん?「そ」。

いやさ、何ヶ月か前に東京いったとき、ワタシ、よく約束もなしに、久我山まで行ってから電話するからね。奥様出てらして、「礼が怪我しましてね、自転車で転んで。で、ちょっと病院に。いえいえ、まあ、だいじありませんでしたから」。ワタシもちょっとビックリしたんだけどさ。ママチャリで買い物にでも出掛けられて転んだのかな、と。

で、写真に戻るけども、これヘルメットとかスーツとか、パーフェク、レーサーじゃん。自転車だって、オフロードバイク?こりゃ、本格的ですね。「え、まあ。こないだ転んじゃって、肩の骨折って、そんときアタマもしたたか打ちましてね。それ以来ヘルメットなど」。このお友だちの家って、どちら?「青葉台のほう」。ワタシ方向感覚皆無だからよくわかりませんが、遠いんじゃないですか、久我山から。「山をムダに上ったりしたくないですからね、川沿いに行くんですよ。片道80キロぐらいかな」。えー?! そんな趣味、以前から?「ええ、二三日かけて、黒部峡谷とか、長野のほうとか」すごいですねー。「なめてたんですよ、自転車。こないだ怪我をしたのは、何てことない舗装路でね。だらだらした下り坂で、そこそこスピードも出てたんですね。その日、ちょっと重目の荷物積んでて、それが気になってときどき後ろ振り向いてたの、そしたら縁石に乗り上げましてね、あ、と思ったら身体吹っ飛びまして街路樹にぶつかってた」。はー。
「ほんとにぞっとしましてね。だって前に標高1300メートルくらいのとこにある友人の別荘から一気に500メートルぐらい駆け下りまして、そんときなんか50キロ以上出てましたから山道を」。はー。しっかし、お元気でなによりな。

「65過ぎて、やっと普通に近くなったんですよ。普通ってこんなだったのか、って少し分かった。30過ぎの頃なんて、ほんとに100メートルも歩けなかったんですよね、すぐ息上がってしまって。それでも外国行ったりしてましたけど、ロンドンのまんなかでね、蹲ってしまったことも。ずーっと、20代で患った結核で体力無くしたんだろう、って思ってたんですけど、肝臓のほうだったんですね。どんどん悪化してた」「学校の講義も時間いっぱい務められなかったです。だいたい早めに切り上げて、友人のいた実験室で横になってた」。お父様が亡くなられたときレイさん、お幾つでしたっけ。「37くらいかな」。じゃ、お父様も良くご存じだったんですね、気がかりだったろうな。「まあ、死ぬまで心配かけました」

そーかー。ワタシが伊藤家に出入りさせていただくようになったころも、ずっとそんな健康状態だったんだな。レイさん、すんごくていねいなしゃべり方されるヒトだけどね。しゃべってると「ちょっと失礼」って、すっと立たれるのね。で、しばらく戻らない。シビレきらして、奥様に「どうされましたか?」ってうかがうと、何でもなさそうに、「いえ、ちょっと自分の部屋で寝ころんでるんですよ」なんておっしゃる。
ワタシね、ずっとこのヒト独特のボージャクブジンなんだと思ってた。でもそんな振る舞いが、かえってワタシを気楽にさせてくれてたのね。しばらくしたら起きていらして、「ごめんなさい、タマガワさん、つい眠り込んじゃって」。いえいえ。なんてね。
でもさ、今考えればこれって、ボージャクブジン、どこじゃなくて、レイさんが生き延びるためのライフスタイルだったのね。それをさ、それをボージャクブジン、って思わせてしまう、って、それこそレイさん独特の気遣いだったんだ。

このヒトいつも明るい。「やー、タマガワさん」って手を振ったりなさる。けっして深刻な顔なさらない。「インターフェロン、打ちましたでしょ、確率7、3くらいって」。どうでしたか。「ダメでした」。……。「でもね、副作用が出てきまして」「躁状態になってしまいましてね」「シンコクなのに、浮き浮きしちゃって」「通りすがりの知らないヒトにまで声かけちゃって、やーオジサン、その後どおお?オゲンキデスカー、なんて」。わはは。
こんな調子だもの。ほんとに信じがたいくらい立て続け。悪性リンパ腫って診断されたのは何年前だったかな。そうそう、デジカメ。北海道文学館が中島公園に新規オープンなってさ、私も招かれて出掛けたのね、買ったばかりのQV-10もってね。そしたらレイさんもいらしてたの。正直いってね、ぎょっとした。レイさんの黒々した厚い髪がすっかり無くなってて、眉毛もね。もともと細い身体だからさ、これはレイさん、ぜったいに怒らないから失礼を書くんだけど、何かのトリみたいだった。そんで、ぎょっとしてるワタシにお構いなし。「やータマガワさん、それがデジタルカメラ?見せて見せて、ほー」なんて、開会式始まってしまってるんですが。「ほーほー、これおもしろいねー、私撮ってくださらない」。はー……。どっかのフロッピーに入れてるはずだな。そんときのトリみたいなレイさん。
心臓発作で倒れられたっての、それから何年してからだったろう。「講義のあと、ほんとに立てなくなりましてね、医務室の女医さんが顔色変えて、即刻入院って」「虎ノ門に入れられてからですよ、やっと私に合う薬作ってくださって」「思ってたより、ずっと悪かったんですね、心臓も」「だいぶ落ちついて、それがやっと分かった、いままでずいぶん悪かったんだってことが」「あのね、タマガワさん、65過ぎてやっと分かってきたんですよ、普通、って感じ。普通にしてられる、って感じ」。うーん……。

レイさんのこと、伊藤整氏周辺の人たちからもいろいろ聞いてた。東工大に進まれて東大教授になられたお兄様はそれなりの努力家だったけど、レイさんはまったく勉強してる様子なくて、それでも成績らくらくトップだった、とか、若い頃(これはワタシ、耳を疑ったんだけど)乱暴で乱暴で手が付けられなくて、お父様もほんとうに困っておられた、とか、礼儀知らずのレイ、とか……。
ワタシ、そういう話聞いたとき、ワタシの知ってるレイさんとのギャップにびっくりしたんだけど、今はわかる。わかる気がする。すっごい頭が切れて、自分でもどうしようもないほど冴えてて、でも身体が動かない、だるい。すぐ蹲る、横になる。何なの、この青年は。根っからのナマケモノね、ゴクツブシね。……。
発作的になるさ、衝動的になるさ、ならなきゃフシギだ。知らないけどさ、その時代のレイさん。

ワタシはね、もちろん必要があって近づいた。シタゴコロ(たって、いい展覧会がしたい、ってことだけどさ)があって、お宅を訪ねた。でもね、だんだんそんなこと抜きに、このヒトに惹かれていった。
前にも書いたことがあるけれど、このヒトはね、このいっつもテンから明るいこのヒトは。ときどき、曠野に、砂嵐吹きすさぶなかに、たった一人でじっと目を見開いて立ち尽くしてる、そんなふうにフッと思わせる瞬間がある。それがね、それがワタシを正気にさせるんだ。ときどきならず、軽く上っ調子になってるワタシをさ。フツウにさせてくれるんだ、すっと体温を下げてくれるんだね。
大事なヒトだよ。伊藤整のご子息じゃなくてもさ。

二つ目は。明日にすっか。

10月22日(火)
●亀井秀雄氏を、ウチの館長に迎えるとき、亀井さんが、この文学館が国際的な情報センター、あるいはコミュニティーセンター的になっていけばいい、なんてことをゆうんだね。亀井さんを迎えることを切望したのは、ワタシと木ノ内さんだったからさ、ではあるけれど、国際的、はありえねーなー。って思ってた。
だってー、英語のキャプションとかつけてもなー、小林多喜二と伊藤整か。口語短歌ってどう訳すんだ。そりゃ簡単な説明つけることぐらいできるかも知らんが。
だいたいワタシは英語ができん。高校卒業直後の頃だったらまだしも、今や中1以下のレベルだ。ウィッキーさんと出くわしたら、泡を喰らって逃げるタイプだ(いつの話してんだよ)。
と、国際的ってワタシもおよそそんなことだ、って思ってた。ぜんぜん違うな。もう国境とか超えてしまってるよ。きょうアメリカからいらしたアン・シェリフさん。伊藤整の「裁判」に今関心をもってらっしゃる。伊藤家から送られてきた「雑本」に混じってた裁判所証拠資料のラベル貼られた『チャタレイ夫人の恋人』(伊藤整訳・バリバリの書き込みだらけね)を一日中見入ってた。ウチのJJ's Cagfe でね。「ここ明るくて、気持ちがいいですね」えー、そう。「こんなに窓が大きくて、鳥が入ってきませんか」ええ、鳩とかコウモリとか、猫も。「ハハハ」。窓が閉まりきらないから、これから寒いんですよねー。「ハハハ」。
前にいらしたノーマ・フィールドさん(今度の館報に、小林多喜二の初期作品論書き下ろしてくださった)とか、韓国の韓さんもそうだけど、気持ちがいいんだよね、この人たちと話ししてると。そりゃ、皆さん、日本語堪能だ。堪能どころじゃないな。「並みのニホンジン(ヤな言い方だけど、実感としてそうだからなー)」より、正確な日本語話してくださるからさ。で、よーするに外国の人とか日本の人とかカンケーなくて。聡明かどうか、上品かどうか、清潔かどうか、なんだな。
この方たちがなぜ小樽くんだりまでくるか。そりゃ亀井さんがいるからだ。亀井さんが海外でも高く評価されている数少ない近代日本文学研究者だからか。そりゃそうに違いないが。それだけで、外国から小樽にチョッコーするかな。
亀井さんはワタシの上司だからさ。上司ぼめ、ってみっともないシワザかも知らんけどさ。でもこれも事実だからしょーがない。亀井さん自身が聡明で、上品で、清潔だからだよ。違う言い方しようか。解りやすいんだ、グローバルにさ。もってまわったり、外聞を気にしたり、根回しをしたり、ってそういう湿潤さとこれほど無縁な人には、ワタシもあまりお目に掛かったことがない。出身がカントーとかホッカイドーとか関係ないな。
そんなにはるばる訪ねてくださる人たちを、亀井さんは過度にもてなしたりはしない。どっちかってと、そっけない風にさえ見える。そういやさ、木浦大学校の申さんがワタシに言ってた。「北大にいたころ、亀井さんはほんとうに怖かった。自分でも、これは、というようなことを口にしても、亀井先生ニコリともしてくださらない。亀井先生の研究室ノックするときは、いつも深呼吸してたんですよ。いま、こんな風にニコニコしてらっしゃるの、信じられないな」。その申さんの実力、亀井さんは北大時代から高く評価してたらしいんだけどね。
傍で見てても解るんだよ。はるばる遠い国から、亀井さんを訪ねて、亀井さんに会うと、みなさん、ホッとするんだ。簡単なアドバイスも的を射てるからね。
亀井さん自身も、北大時代ドイツから客員教授に招かれるまで、外国に行って外国人相手に講義するなど思いもよらなかったし、外国の人たちとこれほど関係ができるなど想像も希望もしてなかったらしいけど。
いやさ、必要ないとはいわないが、英語のキャプションとか、もう一回「家出のドリッピー」聴いてみるか、とか、あんまりカンケーないな。JJ's Cafe から降り注ぐ外光みたいに自然にね。それにしてもスキマ風は寒いな。こんどスキマテープ買ってこなきゃ。

10月17日(木)
●常設展示することにした植草甚一氏遺品について、問題発生。これは、私はよい形で収める努力をするし、そうできると思っているのですが(詳しいことは、書きません)、それよりも驚いたこと。
「問題」が発生したのは、きのう私あてに掛かってきた電話でなんだけど、それで私がちょっと考え込んでたんだ。
そうしたら、また電話のベル。少しギクリとしたのですが、声を聞いてもっとビックリ。沼田元氣さんじゃないですか。いつロシアから帰ってらした。「いえいえ、ご無沙汰。で、ちょっと小耳に挟んだんですが」。へ?「植草さんの資料のことで」。えーッ?小耳に挟むって、隣の席で聞き耳たてる、って話じゃないからさ。だって、マトリョーシカ注文しに、自分でロシアまで行っちゃった、って話の後、消息絶ってた人よ。それが何で問題発生!の直後に、「小耳に挟」めるわけ?ふつうのヒトではないと思ってはいたけど。エスパー?神さま?
ま、謎はまもなく解けたけどさ。アンテナはってくれてるんだよな。どこに消えたか、なんて思っててもさ。気にしてくれてる。敏感にね。すんごく考えてくれるんだよね。はッ。こんなカタイナカの文学館のことをさ。期待に応えなきゃねー。

きのうに続いて今日も石山中学校へ。石山中学校は少子化のあおりで、今年廃校になった。備品の処分で、いるものあったら持ってっていいよ、ってことだったんだが。図書室で使ってた棚とか、医務室の薬入れてたみたいな小箱とか、いいものはありました。でもね、いちばん良かったのは校舎そのもの(持ってくわけにはいかねーが)。外から見たことはなんどもあったし、映画でも使われたよね。てっぺんドームの円筒を二つ並べた校舎。ひとつは4階、ひとつは2階で2階が体育館だ。両方とも地下一階。んで2階が渡り廊下で繋がっている。
何も学校をこんな奇抜なふうにせんでも、って思ってたんだけど。さぞ、使いづらかろー、などと思ってもいたんだが。
いいんだよ、これが実に。各階、教室は放射状に配置されてる。教室は背中が必ず窓で、扇のかなめが黒板だ。出入り口はもちろん黒板側で、授業が終われば、教室から飛び出した子供らは、いちどに顔を合わせることになるな。各階のまんなかの場所でさ。そこには1階から4階までつらぬいてるレトロモダンな螺旋階段があるな。
授業が始まればまた教室に「散ってゆく」。窓側に近いところに、隣の教室へ抜けられるドアがある。そのドアで教室はみんな繋がっている。背中の窓からは港が、あるいは丘に這い上っている小樽の市街が遠望される。
つまり顔をあわせて、また外へ広がる、という「学校の基本」がひじょうにシンプルに合理的な形になっているわけだ。ってな理屈は置いといてもさ、気分がいいんだよ。こどもに媚びた贅沢さは何もない。でも、ほかでは決して得られない格別の贅沢な空間だ。雲が動けば、その影は、順番に教室に落ちてゆくぞ。あっちこっちに日だまりができるぞ。
ここなら、こどもは「学校」に価値を見つけられるだろう。そんなふうに思わされる「場所」だ。

考えさせられるよな、ほんとうに。何が価値があって、何がないのか、さ。

10月12日(土)
●さっき、石狩市了恵寺の檀家の方から、石狩市はずっと石狩郡石狩町だったんで、札幌市石狩町だったことは一度もないよ、とお叱りを受けた。驚いたけど、今年3月8日に了恵寺のご住職を訪ねたときの日記をご覧になったんですね。そのとおりで、私のまったくのかんちがい。お恥ずかしい限り。つつしんでお詫びと訂正申しあげます。
それにしても、昔にさかのぼって読んでくださってる方がいるんだな。ありがたいことです。で、気がついたらこのサイトもリミットの10メガにそろそろ近づいてきた。10メガってもまだまだ余裕だね、ってずっと思ってたんだが、そりゃ限界はいつか来る。でもウエブっていうぐらいネットは自在。要するに網目をひとつ伸ばせばよし。無限大に拡散するといっても良し。そして「境界」はいっそう薄らいでゆく。このサイトは限りなく薄らいでゆく境界を縦横にまたいでいきますよ。

10月10日(木)
●お約束どおり(誰にだ)、半日休んでシーグラス採集に銭函海岸へ。千葉さんのゆうとおり、シーグラスは美しい海岸には、ない。ゴミだらけの海岸にこそあり。とはいえ、やや安易に考えておりましたのだが、どこにあんだよ、シーグラス。
はは、この辺だな。こまかい流木とか、漂流ゴミとか固まってんじゃん。でグルグルかき回しても、出てくるのはプラスチックゴミと貝殻。
で、海岸ぞいに眼、皿にしてさ、一個たりとも見落とさじ、って、ないじゃん。貝殻はあれど、陶片はあれど、ゴミはあれど、ないない、シーグラス。
ないねー、千葉さん。「あるよ。きょうは大漁だ」ウソ。「汀から1メートルだっていったじゃん」ふむ。じゃ、この辺か。なるほど1個、2個。ほほー、これは綺麗な。千葉さん「ほら、こんなに」ペットボトル半分?ウソ。オトヨはシーグラスダウジンガーか。「まんべんなくあるんじゃないって。固まってるんだ」そーいえば、このへん、そうだな、さしわたし3メートルぐらいか、どうゆうわけか石ころだらけ。そんな場所が、見渡すかぎり、3つ、4つ。あら、この石ころの間に1個みっけ、2個みっけ、ここにも、ここにも。「ほら、極上品ビー玉だよ」すげー。「こんな色、めずらしくない?」すげー。(写真は、シーグラス探しにボットーしてるオトヨさんだ)

で、改めてシーグラスとは何か。くりかえし説明するのはメンドーだから、ここ参照。そーそー、もとを質せば、ビールのかけら、コーラのかけら。氏素性ジョートーとはいえない、あれだ、ムキドーなニーちゃん、ネーちゃんのローゼキの残骸。
それがさ、それがだよ。一年、二年、十年、二十年、波にサラされ、角が削られ、表面に細かい無数の傷が刻まれ、一粒一粒手にとって見てみ。太陽に透かしてみ。いいい?美しい、ってこーゆーもののことをいう。断言していい。小樽中の硝子屋さんの何処にもなし。これに匹敵する硝子細工。
このサイトの人のゆうとおり、シーグラス、どこか切ない。どこか哀しい。青春の煌めきに思えたものは瞬時に色を失う。輝きは消える。うんざりするような日が果てしなく続く。小さな諍い、鬱屈。小じわがひとつ、またひとつ、鏡から目をそらすようになったのはいつ頃からか。泣かなくなったのはいつからか。
って、ある日、突然わかるんだな。ほんとに美しい、って何かって。(長げーよ)。

シーグラス探し、上等な遊びだ。残念ながら今年は、もうギリギリかな。あのね、おもな任務ってこういうようなことよ、「ボランティアしてみ隊」の。どおお、志願してみませんかー。

10月9日(水)
●その1
親戚に不幸があって、香典を送ったら、香典返しでシャディー(だったっけ?)のカタログ送ってよこした。向こう(ワタシの親戚は北陸方面なんだが)では今こうゆうのが流行っているらしい。好きなもの一点選べる、って合理的っていえばそうだが。香典返しも何だか味気なくなりました。なんてほどの情緒はワタシにゃないんでね。たっだー、頁くってもロクなのねーな、って不謹慎か。そんでも見つけた、黒板。
これ、いいじゃん。ハンバーガー屋とか牛丼屋の店先にイーゼルに乗っけてるみたいやつ。10月9日、雨だかくもりだか、はっきりしない日が続きますが、みなさん、オゲンキデスカー。きょうから新メニュー発売ですよ。これがスタッフもアゼン、ってくらいにおいしいんだな。ってタグイの。
いいじゃん、これやろうよ。ネット毎日更新してもさ、見る人せいぜい300人(ウソウソ)。黒板、文学館の前に立てときゃ、小樽がいくら寂れてるっても、1000人は通るでしょ。黒板、毎日更新ね、気づいてくれれば、こっちのもんだ。

その2
ボランティアを養成し、登録する。今さら何だよ、ってゆわれそうだな。そうね、美術館ぶらっと入って、おや、これはちょっとおもしろそうな、って足を止めたとたんに、ボランティア解説員なんてバッヂつけたオバサンが小走りに寄ってきたら、いや、やめとこ。ってのが、ちょっと前までのワタシだった。でもね、今は少し違うよ。マジメにやろうとしてる。胸張って、小樽文学館の、小樽文學舎のボランティアだ、って名乗れるスタッフを「制度として」作っていく。むしろね、それを主体にしていく。
ま、ね。きょうは、これだけで止めとくよ。ワタシのハカリゴトはけっこう深いぞ。
いつものことだが、名前を先に決めた。「小樽文學舎・ボランティアしてみ隊」な。

その3
明日は半日休みをいただく。銭函海岸までシーグラス拾いにゆくんだ。干潮のピークは11時55分か。文学館ふくぶくろ&開けたとたんに感涙必至の、スペシャルぶんがく缶。11月3日文学館バースディー記念蚤の市までに20セットずつ作るためだよ。

10月3日(木)
●ワタシはね、公務員としての自覚がとみに増してきた。それは加速度を伴って増してきたってもいい。パブリックサーバント、公僕だ。どうゆうわけか、公僕、ってコトバにアレルギー起こす人も少なからず。でも、誇り高い仕事よ。パブリックサーバント。わたしたちはしもべである。北海道の、でも、日本国の、でもなく。小樽市民の。

ワタシたちとて、市役所という組織の一員であり、同僚がいて、部下もいて、上役もいる。ただし、それらをすべて超越して、市民のしもべなの。
ここで強調しておくよ。市民とは、「一市民」などと小さく名乗って、匿名の投書とかメールとかまき散らす人ではない。市民の代表、を名乗るミニボスでもない。ひとりひとり違った顔を持った人たち。肉声。体温と体臭を持った人たち。
市場のカミさんであり、塾と部活でストレスたかぶらせてる中学生であり、古本をひがな眺めているオヤジであり、コーヒー一杯で数時間もゆったりしているおばーさんであり、主婦であり、サラリーマンであり、疲れたり怒ったり笑ったりしてる人びと。
それら一人一人のしもべ。

クールにいきたいよ。暑苦しいのは大嫌いだ。

でも、半年に一回くらいはゆっとくぞ。
滅私奉公がモットーだ。ワタシは人びとのなかにある。この文学館を、そこまで持ってゆく。