学芸員のよもやま日記

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2003年2月。小林多喜二を囲ってきたものが、ほぐれはじめるはず。23日。

市立小樽文学館学芸員・玉川薫
直接メールくださるときは、こちらまで。もっとも文学館あてのメールも私が読んでおりますが。


2月25日(火)
●韓国行きから、先だってのノーマ・フィールドさんの講演まで、一気でしたので、やってることに日記はとうてい追いつきませんでした。書きたいことってより、書かなきゃなんないことがいっぱい、いっぱいだ。
でもね、時間に追いまくられてるときこそ、いっかい停まろうね、周りの景色を見直そうね、耳を澄ませてみようね。
時間はワタシをつらぬいて、一直線に流れているだけじゃあない。同時並行して無数の時間が流れてるわけだ。自分一人じゃ、それに気がつかないんだね。

トミタさん「いよいよ今月いっぱいですね」。え?。「エンゼル駅前店、28日で閉店ですって」。あ。そうか、聞いていたよな。2月一杯くらいだって。3月中には取り壊して、更地になるんだって。
「写真撮っときませんか?」。ん、そうだよね。
で、お昼ゴハンすませてから、カメラもって「エンゼル」へ。そうか、ランチって、ぜんぶにウドンかソバがついてんだな。奥さん、一瞬思い出せなかったようだけど、すぐに「ああ、去年の展覧会で」って。ほんとにお世話になりました。残念ですね。「ええ、来月半ばには引っ越し済ませなければ」。別な場所に移られる?「いいえ、とりあえず駅前の第三ビルの地下のお店に合流しますけど、新しく店を出すことは、まだ」。そうですか……。
お断りしてから、お客さんのじゃまにならないように気をつけて、何枚か写真撮らせていただきました。「エンゼル」の店名の由来、知ってますか。お店に入ったことのある人なら、気がつくかな。エンゼル・フィッシュね。もともとはペットショップだった、って、ちょっとびっくりだね。社長さんって、ほんとに控えめな紳士なんだけど、いわゆる「純喫茶」で、ランチなどを出し始めたって、小樽では「エンゼル」が初めてで、喫茶店組合などからは風当たりも強かったんだって。いまの「カフェ」の先駆けなんだけどね。
小樽に住んで間がないころのワタシはさ、「エンゼル」って、小樽のダサさの典型みたいに思ってた。そのころ、まだ「エンゼル」は5つくらいお店持ってたんじゃなかったかな。で、ご飯とかウドンとかごちゃまぜのメニューとか、ランチのノボリとか、エンタシス風っていうか、イナカの西洋芝居の大道具風の内装とかね。それに「ENZEL」って、綴り!
でもね、きょう30分ほどお店にいてさ、ランチ食べてるお客さんとか、新聞読んでるお客さんのじゃまにならないように、写真撮ったりしてて、思ったのね。掛け替えがないな、って。大きな水槽に、前はもっといたんだろう、白黒の縞模様のエンゼルフィッシュが一匹、白い大きな魚が一匹。ゆっくり泳いでいてね。その水槽を通して、カウンターの灯りとか、赤い大きなコーヒーミルとかが静かに、ほんとに静かにね、落ちついているわけ。お客さんが少ないんじゃないから、寂れた感じとは違う。でも、何か静かなね、あきらめみたいな感じがさ、ゆったり流れてるんだ。
小樽ってこうだよね、っていっちゃうのは、また偏ってしまうんだろうけど。
いい空間だよ、ここはさ。それが、あと3日間だ、3日で、無くなる。この街からね。

「ENZEL」。つづりは間違っているかもしれないが、天使の安らう場所だったよ!

2月12日(水)
●きょうはハンさんといっしょに木浦へ。それで金浦空港で待ち合わせ。ホテルでタクシー呼んでもらったんだけど、来てくれたタクシーの運転手さんがね、お名前失念しましたが、胸に勲章をいっぱい下げてるんだ。「ワシは有名人だよ。顔を忘れても、この勲章みれば誰でもワシだってわかるだろ」。はー。名刺をくれたんだけど、めずらしく漢字で名前が書いてあって(韓国でもらう名刺はたいていハングルだよ。漢字で名前書いてあるのはよっぽど地位のある人か、とくに中国人や日本人相手の仕事をする人だけだろう)、それに何だかいろんな肩書きがついている。なかに「肉弾三勇士」なんて文字があってぎょっとするんだけど、この人は70何歳かになっていて、ま、確かに元気でモーレツなスピードでぶっ飛ばしたりするんだが、戦時中召集されて日本軍に従軍したんだって。それで、延々としゃべる話のほとんどは忘れてしまったんだけど、いろんな日本人に世話になって恩義を感じてるんだって。車んなかに何枚も写真が貼ってあるんだね。確かにどっかで見たことのある日本人がいっしょに写ってたりするな。アメリカの将校とかね。
で「ニイさん、適当にその辺のタクシーに乗っちゃいかん。土産買ったり遊んだりするんだったら、まずワシを呼びなさい。ワシの案内にまず間違いはないからね」ってね。「ワシはカネのために仕事してるんじゃないんだ。日本人に恩返しをするためなのさ。カネなんか嫌になるくらい持ってるんだ。ほら」。って、財布開けて見せなくても、あらら、ほんとに日本円の札束が。「韓国人は乗せないよ。ワシがカネもってるの知ってるからね。危なくてしょうがない」。なら、そんなカネ持ち歩くなよ。
ワタシは帰国するときホテルからインチョン空港に、バスで行くつもりだったんだけどねー、朝6時前に電話掛かってきてさ、案の定このジイさんだ。観念して乗せてもらいましたが。
あとでハンさんに「で、タクシー代いくらだったんですか?」って聞かれて、70000ウォン……。ハンさん、やっぱりね、って顔で「ダメですよ、タマガワさん。ちゃんと断らなくっちゃ」。はい。
また政治の話になるんだけど、ハンさんたちは次期大統領(もう現大統領だね)を支持してるんだって。ワタシらから見れば、現大統領(もう前大統領か)の路線を穏健に継承している人に見えるけど。「世代が違うんですよ」。そんなに重要なのかな?「〈親日派〉とのしがらみを、ようやく切ることのできる世代からの、初めての大統領なんです」。うーん。ここでまちがえちゃいけないのは、親日≠反日ではないんでね。〈親日派〉って、もっとずっと根深いのね。ま、分かりやすいのは、さっきのタクシーのジイさんだけど、もっともっと政財界の深い部分にからんでいる人たちなんだろう。そういう世代交代の気運が、やや意外だけれど旧正月復活になったりするんだね。で、そういう自然な「日本離れ」を、感情的な〈反日〉に持っていこうとする風潮にも、韓国の若い人たちは警戒してるな。シンさんなんかと喋ってると、よくわかります。
木浦で迎えてくれたそのシンさん(木浦大学校副教授)が案内してくれたのが、旧日本領事館のなかにある朴花城(パクファソン)文学記念館。この作家と、この文学館についても書くこと山ほどあるんだけど、これは韓国文学展のテーマのひとつにもなるんだろうから、いずれ、また。
書いとかなきゃなんないのは、ここに来るの初めてじゃないってことね。一昨年泊まったホテルが、ここのすぐそば。早朝、和泉さんたちと散歩に出てさ、ここに寄ったんだ。まだ開館時間前で、なかは見れなかったんだけど。で、そのホテルの裏窓からは、何か古い街並みが見えてね。街並みってゆうより、段々になった地形にひなびた家がずうっと這い上がってるようなね。それで、その家の狭い庭とか縁側とか、なんだか部屋のなかまで丸見えみたいな。ああ、ここは、韓国の昔の家とか暮らしとかが残っているような地区なのかなあ、なかなかノドカじゃないですか。なんて眺めてたんだ。
でもシンさんの説明では、日本領事館の前方に整然と区画されてるのが旧日本人街、それで背後に押しこまれたのが旧朝鮮人街なんだって。
「スラムだったんですよ」。……。「そのころの名残はさすがにもうないけれど、今でも比較的所得の低い人たちの住宅密集地ですね」。
シンさんは、その旧日本人街を案内してくれました。取り壊すか保存するか議論になっているらしい旧拓殖会社の建物とかね。「私は保存したほうがいいと思いますよ。かつてここがこうであったことは、否めない事実だ。その跡は留めておいたほうがいい。汚辱の記憶、のためなんかじゃなくてね」って、シンさんは淡々と。「前にいらしたときみたいに、団体で、友好親善に来てくださった人たちには、この街の説明はしにくいんですよ。お客さんの心情を慮って、というより、そうした説明をすることによって、私自身の意識が規定されていくことが怖いんです」。
さっきの旧日本領事館に戻るけど、ここには防空壕が掘ってあるんだね。申し出れば、カンタンになかに入れる。迷路みたいだな。シンさんも「入るの初めてですよ、ほう!」なんて、おもしろがってましたが。
で、その旧朝鮮人街のほうにはね、さすがに車入れてくださらなかった。
その夜、ホテルでシンさん、ハンさんと、けっこう遅くまで話し込みました。ハンさんがこちらの学会で発表した論文が、全国紙に報道されたことをシンさんも知っててね。「すごいねー、有名人ですねー」ってからかうんだけど。ハンさん、ちょっと憂鬱げ。ハンさん、ワタシにはそのこと照れながらも、嬉しそうに話してたんだけどね。
ハンさんのその論文のテーマは、戦争中の韓国人の強制連行。北炭の資料などを綿密に調査した成果とのこと。「新聞で梗概読んだだけでも、すぐれた内容だって分かります」とシンさん。でも、すぐれているだけで韓国のメディアが大きく取り上げることはない、って、これはハンさんも承知している。つまりはテーマが話題を呼んだんだね。
「私は歴史学という学問そのものに、懐疑的なんですよ」とシンさん。「歴史学は、結局のところ研究する主体を相対化することが不可能なんじゃないかな。その不可能を前提に、成り立っているんじゃないかな」とシンさん。「でも、私にはやっぱり韓国民としてのアイデンティティーが」と言いかけるハンさんを、「そのようなこだわりからは、もう何も生まれません」と制するシンさん。で、さり気なく話題転換。
「ワールドカップ、盛り上がりましたよね。でも日本人にはサッカーってシンからはなじめないんじゃないですか」。うーむ。「日本人って、先が読めないこと、嫌がるんじゃないかな」。うーむ。「韓国人には、印籠差し上げただけで、何もかも解決しちゃう『水戸黄門』は、とうてい理解しがたいでしょうけどね」。「でも、私は好きだったんですよ、留学生のころ、『暴れん坊将軍』が」。?。「8時48分ころ(だったかな)、必ず『貧乏旗本の三男坊シンさんだ』って」。「何が貧乏よ。一戸建て借りてたじゃない」って、ムキになるハンさん。
シンさんの皮肉に、ときどきムッとするハンさん。ハンさんのきついたしなめに、そりゃそうだ、と思いながらも、ときにはコチンとくるワタシ。ワタシの無神経をそれとなく注意するシンさん。
とりあえずは、これでいいんだ、と思うの。で、ぜったいにヨクナイのは、だから韓国人は、だから日本人は、って一般化しちゃうことだよね。韓国文学展、準備のプロセスで、おのずとその弊からは放たれていくと思いますよ。

2月11日(火)
●8時にハンさんがホテルに迎えに来てくれることになってるから、寝坊しちゃたいへんだね。午前7時だけど、まだ暗いな。そりゃそうだねー、韓国は日本よりずっと西にあるわけだからさ、7時でもまだ暗いだろ、ん、へんだな。ふつう、だから、時差ってあるんじゃない?前にツアーで来たときに、時差はないよ、って説明されて、ふーん、そーなんだー、って、とくに不思議に思わなかったんだけど。
迎えに来てくれたハンさんと、飛び乗ったタクシーのなかで、その話。
どうして日本と韓国と時差ってないんでしょうね。「時差の概念って、日本が統治しているときに作られたものだからですよ」。あ。「韓国の『近代』は、日本によってもたらされたものが殆どなんです」。昨夜、テレビをみていたら今年から旧正月の2月の三が日を休みにすると。それって一見復古的にみえるけども。「新暦のお正月を休みにせよ、というのも日本に強制されたことなのです」。そうかあ、おもしろいな。あ、いや。「そうです、おもしろいんですよ。この国の『近代』は、このように、あっちこっち捻れている」。旧正月っていえば、日本のテレビで北朝鮮の旧正月の風景を。「例のように、異様な、でしょ」。……ええ。「韓国のテレビでも、やってましたよ。北朝鮮のお正月。のどかな旧正月風景です」。……。「煽るのはやめてほしい。それこそ、かつて歩んでしまった道ではないですか」。……。
この日記は、実のところ2月27日になって書いてたりするんだけど、さっき『韓国語が日本語で喋れる』!なんて本をパラパラみてて、「韓国では、(自分の会社の)社長を、社長さま、という」なんてとこで、ん?って思う。すぐ連想するのが「我が偉大なる将軍様」で、こりゃ異様だと思うけど、それでも、韓国でも社長を社長さまって表現するのがフツウなことを知ってるのと知らないのと、ニュアンスがずいぶん違ってくるよね。
それでもあのニュースの語り口は、って誰もが思うだろう。ところが亀井館長に、あのしゃべり方、つまり極端に独善的で排他的でドーカツ的でテンションの高いしゃべり方にいちばん近いのは、70年代大学紛争当時の新左翼セクトのアジ演説じゃない?っていわれて、ありゃりゃ、って思ったのね。「ワレワレはー、学内のー反動的ウジ虫分子を一掃センメツすべくー、テッテイ的にー」なんてね。んで、声を揃えて「イギなーし!」なんて。
いや、確かに語彙の貧困とか同じようなもんなんだけど、いわれてギョッとしたのは、ワタシたち(その時代に、ちょっと遅刻して来た世代、かな)には、それが「異様」だとは思えなかったのね。
いや、何をいわんとしてるのかってゆうと、つまりとりあえず平和で安定した生活を送っているつもりの私たちが、アジ演説的ニュース番組やら極端に昂揚した群衆の映像やら極端に悲惨な映像やらを断片的にコラージュされて連日流されれば、こりゃあ、危ないなー、なんて一斉に眉をひそめる、なんてね。日本人いっせいにね。それ、カンタンだ。でも、それこそが、アブナイんじゃない?ん、ちょっとコンランしてるな。つまりね、ワタシたちの判断力はイイカゲンで、ココロモトない。それだけは自覚しておきましょ、ってことだね。
きのうNHK特集でWFP(国連世界食糧計画)が北朝鮮の食糧事情の分析のために撮影した映像を流してたけど、そりゃ深刻だ、悲惨っていってもいいな。そんでも映像から受ける印象が、連日民放のニュースで流されているんとはずいぶん違うぞ。深刻だけど、それなりに一生懸命生活しているフツウの村の人たちだな、これは。当たり前だけどね。

2月10日(月)
●いきなり偉そうな口を叩く身の程じゃあないけれど、ツアー組んで海外旅行って、一人で行くのと大違いだな。
ワタシは、韓国二度目なわけだけど、今回は一人だ。もっとも、訪問先ではずっと同行してくれる方がいるのだから、一人旅たってちっともエバレません。
そんでも、緊張するする。初めてのお使い状態?入国申請書で、いきなり、英語で書けよ、ってね。あ、(恥)。
インチョン空港はそれでも、あちこち英語で大書してるからさ、えっとBUS STOP はどこ?
とにかく、ソウル・ステーションまで行かなきゃ。そこで切符売ってるオヤジに訊くか。「ソウル・ステーション?10A!」あ、ここじゃないのね。えっと、あそこか?
ワタシね、まだこの時点でも予想してたの。インチョンからソウル行きのバス停なんて、日本人がずらっと列なしてるに決まってんじゃん、って。だって、入国申請のときだって、日本人列なしてたもん。「遅っせーなー、何やってんだよー」なんて、ワカモノたちがね。
で、それらしきバス・ストップ。日本人どころか、誰もいねーじゃん。ポツンと、ワタシのように心許なげに佇んでるのは、インド人?何か、ワタシに訊こうとしてるみたいだけど、I don't know! ね。肩すくめて行っちゃった。
どこで、切符買ったらいいのさ。あ、チケットの束かかえてるこのオヤジだな。まだ1万ウォン札しか持ってないんだけど。お釣りないの?Wait! なんつって、携帯回して何か怒鳴ってる。しばらくしたら、若いおネーさんが飛んできて、こっちもオヤジに負けないくらい怒鳴りまくるわけね。二人で怒鳴りあい。ま、察するに「なにもたついてんだ、お客さん待たせてどーすんだよ」「そっちこそ、釣り銭ぐらい用意しておけよ、オヤジがよー」。あの、お釣り……。
近くにいたもう一人のオヤジに両替してもらって、ようやく釣り銭受け取ったら、オヤジが、来た来た、Go fast!なんてね。慌てて駆け込んだら、もうすぐ出発。ほっとして、車内見渡したら、客なんてほかに4人しか乗ってない。で、みんな韓国の人。そうかー、ここは外国かー、なんて、いまさらね。
で、50歳まぢかにもなって、つくづくな。外国へ出る、ってことの効能。それはワタシが、いかに頼りない、心許ない、オボツカない「個人」であるか、それを思い知らされることだねー。
Seoul Station っても、右も左もわからないからさ、とりあえず地下に降りてって、また、上った(地下道じゃねーか)。見つけた、subway、えっと、うーん、さっぱりわからん。東京ほどじゃないが、札幌の地下鉄よりはずっと複雑。だいたい、ホテルは、どこで降りたらいいんだっけ。ポケットのコピーをさぐって、えーと、梨泰院……、路線図に漢字が、ねーよ。ハングルとアルファベットだけだ。イ・テ・ウォン、だよね。えーと。これか?Itaewon いたえうぉん?
ただね、見回したところ、どうやらたいてい600ウォンで行けるみたいなんだよね。ここも、ここも、ここまで600ウォン。やたら安いな。だって日本円で60〜70円?
で、自動発券機は心強い。喋らなくてもいいからね。ん、と。あれ、お札は使えないの?しょうがないなあ、窓口か。切符一枚、何だっけ。切符一枚、チュセヨ?
いや、えっと、イ・テ・ウォン。「OK!」。駅員さん慣れたもんだな……。
乗り換え2回あるからねー、逆方向に乗ったらお仕舞いだよ、なんてね。目、皿にして、ここで下車、そんでつぎはここで乗り換え、うん、まちがいなくここがイテウォンで、Itaewonで、梨泰院だ。でも、ホテルはどこ?また、ポケットのシワシワのコピー出して。およそ、こっち、だろう……。この街は、ちょっと感じが、ヘンだな。今まで見なかった日本語もあちこちにあるが、アヤシゲだなー。向こうから歩いてくるのは、米兵?そんで、これもこれも、バッタもん的輸入店か。立ち話してるニイちゃんたちは、ほとんど渋谷のチーマーだな。「革ジャンあるよ」。いらねーよ。もう、視線まっすぐね。眉一文字ね。ワタシがめざしてるのはホテルなんだよ。ホテルしか眼に入らないんだよ。え、店がなくなった。街が途切れちゃった。暗いんじゃないですか(泣)。しょうがないな、いざとなったら、地下鉄の駅までは戻れるだろう。ん、むこうに見える高い看板は、あ、まちがいない、ホテル・クラウン。やったー、って。
ドアボーイのコさんは、とっても感じのいい青年だ。日本語勉強中だって。辞書ひきながら話しかけてくれる。でもねー、ワタシ荷物部屋まで運んでくれるようなホテルなんて泊まったことないからね。ソウルじゃ、チップとかってどうするんだろ?って、財布さぐっているうちに、コさん、行ってしまった。
どーん、とベッドにへたり込んだら、来る前にレンタルしておいた携帯電話の着信音、ちょっとドキ。日本では使えないからテストもできなくてね。少し不安だったんだけど。何かえらく旧式だし。もしもし。「タマガワさん、ご無事ですか」。あー、ハンさん!ワタシ自分の携帯(ピッチだけど)って、ほとんどメールチェックにしか使ってないけど、こうゆうときは、もう気分は女子高生ね。あー、つながってるう、って、感じ?

2月9日(日)
●坂館長のトークショウ終了です。ご静聴ありがとうございました。
何度もくりかえすようだけど、「スタンダードの価値観」なんて、この世にはないのだからね。自分の眼、自分の耳、自分の感触を、まずは研ぎ澄ましましょうね。そうしないと、1万円で売られるはずの絵が、作者がゴッホって分かったとたん、6600万円なんてことになっちゃう。
こんなの「恥」以外の何物でもないが、そうゆう風に思うこと自体、芸術神聖観みたいなものにとらわれてるのかなー。でもさー、売った人、買った人が満面の笑み湛えてテレビのアップになるのは如何かしら?泉下の中川一政がこれ聞いたら、やっぱ、トホホだろう。改めて思うな、ゴッホの生前、たった一枚売れた絵、その絵を買った人はエライ。二束三文だったらしいけどね。その時代から、ニンゲンのブンカ度が進歩しているなんてのはカンチガイも甚だしいわけだね。
さて、ワタシは明日から14日までソウル、木浦だ。「韓国文学展」の打ち合わせ、みなさまへの協力お願い、撮影その他のためね。まずは空港からバスに乗ってソウル駅に着いて、地下鉄に乗ってホテルへたどり着けねばなー。だいぶまえに韓国語習得について、大きな口をたたいたよーな気がするが、けっきょく『指さして通じる韓国語会話』をきのうツタヤで買ってきた。ダイジョウブか、って?たぶんね……。

2月6日(木)
●さっき、新潟県の方から届いた封筒。なかから出てきたのは、昭和12年の「北海道大博覧会」(といっても小樽単独開催)の、各パビリオンのスタンプ帖。もちろんそれ自体、激レア。これから先も、ちょっと、出てこないだろう。ただそれよりも添えられてた手紙な。胸が詰まった。また、断りもなく引用するが、これはそうすべき手紙だろう。

私は当時旧野付牛中学(現北見北斗高校)の三年生でした。生れて初めて札幌の北大近くで下宿屋をしていた伯母の家に夏休みを利用して二週間ほど滞在いたしましたが、そこに「鄭景濤」という北大予科の生徒が下宿していました。彼は北大予科の三年生でしたが福建省からの留学生でした。博覧会が始まった七月七日は奇しくも支那(当時)の北華郊外蘆溝橋で日支両軍の衝突があり日支事変の発端となった日でした。彼は戦争の行末を案じていましたが、私が彼と逢った頃は帰国の準備を進めていましたが、八月九日博覧会に私を案内してくれました。確か花園公園の会場と思いますが満州館や日清戦争の戦利品を陳列していた館では悲しそうな顔をしていたことを忘れることができません。その後帰国して以来六十数年の今日、彼の消息を知りたく思っております。もし北大予科で同期の方でも居られればとも思っている次第です。健在であれば八十六、七歳になられていると推察しています。北海道新聞を通じて知る方法や北大の事務局に紹介する方法などを考えていますが、もしよき方法がありましたらご教示下さい。
私事に亘って仕舞いましたが、スタンプ帳にあるように仏教館、開拓館、満州館、教育館等数多く、駆け足で廻った記憶がありますが、何と言いましても当時の国情からして満州館に人気が集まったように思います……。

欧米、日本を問わず、過去の博覧会の大方が、内国勧業のみならず海外植民地政策のプロパガンダ、その正当化をもくろむ有効な手段であったと、批判的な検証が行われていることは知っている。今度の博覧会展も、そうした昨今の研究を一応踏まえてはいる。それは、「博覧会の時代」が遠い過去のことになった今になってみれば、歴然たる事実だろう。ただ、どんな形にせよ、それに参加した人たちには、その人たちの辿る記憶はもう少し複雑で、いろんな色を帯びているはずだ。それをこそ引きだしてみようよ、というのが今回の「博覧会展」のやり方だった。こんな話もあるいはあろうか、と漠然と思っていたのが、このお手紙のようなことだった。
こうやってね、こうやって「小樽・博覧会の時代」展の展示資料は、どんどん増え続ける。ケースが何本あっても足りないかも、だ。

小林多喜二展のほうは、北海道拓殖銀行の残務整理のお仕事をなさっている方からお知らせあり、小林多喜二の名前が乗っている辞令簿が見つかったから取りにお出で、とのことだ。整理が終了したら、文学館に保存してくれ、とりあえず展覧会のために貸してあげるとのことだ。何となく、これも微妙に複雑な思いにさせられることだね。
銀行の帰りに、古本屋さんに寄って、8日のレトロスペース坂館長のトークショウや、23日のノーマ・フィールドさんの講演のチラシを置いてきた。そんとき耳に入った店主さんの独り言?

小樽かあ、遠いんだよな。すっかり出無精になってしまって、仕入れでもあれば小樽まで行く元気出てくるんだろうけど。
でも、例の蔵書数千冊の話に乗って小樽まで出掛けてたら、きっと激怒、立腹状態で文学館に寄る気も起きなかったろうなあ。
知ってるだけで一月のSさん「犠牲者」二人か、いったい小樽に何人古本武闘派いるのか知らないけれど、しかもSさん(笑い)。

(どこが数千冊よ、えっ、今日見せるのはこれだけだって、オイオイ)かろうじて数冊選んで買値を告げると、「それじゃあ売れない」、「幾らなら」、2桁だか3桁だか違う金額告げられ頭に血が上った。「どこの店がそんな金額出すのさ、教えなさいよ、どこの店」表で待ってた古本屋の賢夫人が異変察して止めにはいったから流血の事態だけは避けられた。
出向いた武闘派古本屋が一戦交えたこの話を聴いていたから××は丁重にお断りしたけど、「大正時代の古いものもあって、全部で数千冊」の魅力的なお話、しかも「値段はどうでもいいから」って。この話聴いてなかったら行くよな、普通。欲と二人連れで。
大量のお話だし某氏はアルバイト連れて出向いたから三人連れ(笑)、悲惨だよね、しかも何にもなくって手ぶらで帰札。

ドッカン……。うーむう。武闘派古本オヤジVS武闘派古本屋、あわや流血の惨事?まいったなあ。そのSさんは、きょうも来ててね。
「梶山季之、今の人はよう読まんのですかなあ。井上ひさしなんかよりずっとおもしろいんですがねえ」「宇野鴻一郎、五味康祐も芥川賞作家でしたかな」「芥川龍之介の『トロッコ』とか『蜜柑』、教科書で習いましたな」「三好達治の『甃のうへ』でしたかな、覚えさせられましてね、今でも覚えとる、『あはれ花びらながれをみなごに花びらながれをみなごしめやかに語らひあゆみ……」「これでワシも高校のころは、そこそこ勉強家でね、ワシより出来んかったヤツが東大行きよった」
うーん、相手しないようにしてんだけどなー、つい、へー、って相づち打っちゃうんだよねー。来てくださんな、ってゆうのは簡単だけどさ。少なくともあれだろう、このオヤジさんの数少ない楽しみのひとつだ、ウチに来て、古本、袋につめて、コーヒー飲んで、ワタシに一言二言ウンチク垂れて帰るのがさ。ともかく、保留、だね。

閉館間際まで、レトロスペースの展示熱心に見入っていたまことにマジメそうな女子高生、こんなことノートに書き残してきましたよ。

「ガラスの板にほってあった天使さん、言いようの無い美しさを感じました。何だかここに有るものは何もかもすべて美しさと歴史にあふれている感じがしました。まるでここだけ時がとまってしまった様です。本当に言葉では言えないほど美しいです。良いですね。こんな所。時の神もここだけには下りてこないのでしょうか?」

レトロ展、眉を顰める向きもあるようだけど、いろんな観方、拒まんよ、それがウチのポリシーだ。たっだー、ワタシはこの女子高生の側に寄る。それだけだよ。