学芸員のよもやま日記

過去の日記へ

2003年4月。砂上の楼閣、でも創ったことは確かなのね。

市立小樽文学館学芸員・玉川薫
直接メールくださるときは、こちらまで。もっとも文学館あてのメールも私が読んでおりますが。


4月27日(日)
●よー、ひさしぶりだね、ショーコちゃん。わはははは。やっぱ、これだよ。青春日記。これじゃなきゃ。とはいいながら、みなブルーだな。きょう19歳になったばっかり、大学1年生のコージくん。大学、おもしろいかい?「面白くないです」。きっぱり。即答。
まーなー、そーかも知んねーな。五月病、ってだけじゃないだろう。基本的にウチにひんぱんに来るような少年少女、学校生活満喫!青春謳歌!ってタイプじゃなかろうな。
なぜそう思うか。それはね、ワタシがそーだったからさ。
それでも楽しくないことばっかじゃない。小さな楽しみ、思い出し笑い。思いついたよ、少年少女向けの新企画。ただ、こりゃ、いかにも後ろ向き。いかにもこじんまり。だいたいおもしろいのか、おもしろくないのか、ワタシ自身にもよーわからん。トミタさんに、話してみても、めずらしく気のない感じ。だよね、どこがおもしろいのか。けども、ひょっとしたらバケるかな、だめかな。そのタイトルはね。「プリクラ・メモリアル」。うーん、ビミョーに内向してるなー。

4月26日(土)
●市場展オープン。愉快な展覧会です。五感を刺激する展覧会。嗅覚までね。
テンション高まっているはずなんだけど、ちょっと気分はオタリアン・グレー(どんな?)。
きのう久しぶりに寄ってくれたのは札幌大学の吉成君。山口昌男展のチーフ・ボランティアね。ずいぶんオトナびたな。山口さん辞めて学長室ギャラリーどうなった?「あっというまに元に戻されました。立派なドアが閉まった学長室に」。山口文庫は?「小山さんらが守ってます」。ああ、ボランティアメンバーだったね。「懐かしいですね」。また、みんなと何かできれば、いいね。
きのうは一日中寒かったよね。曇り空でさ。妙見市場で交わされてる会話録音するつもりで、例になく早く帰ったんだ。午後5時40分。空を見上げたらカモメが飛んでる(ここの文学館って、こんなロケーションなのね)。コートの襟締めて、日本銀行の脇の道をカブで走れば、左手にお好み焼き屋が見えます。ここで「Majico」の打ち上げをしたのは、もう一昨年だな。楽しかったね、みんな。カッスンもミナミちゃんもタッヒーも。どうしてるかな。中学生には中学生の辛さがあるだろうけど、卒業したらまたそれぞれにね、違う種類の辛さもあろう。もちろん楽しければそれでいい。文学館なんかに寄ること、もう思いもつかないくらいに、毎日が楽しければ、それでいいんだけど。
妙見市場についたら、あら、もう閉まってるの?6時前なのに。このあたりは白江正夫さんが描いた風景の場所だな。「曇る日」って、洗濯物が風をはらんでさ。自転車に乗った人が背を丸めてる。あれも寒そうな絵だな。
カブを走らせてたら、どんどん、どんどん、さびしくなってきちゃった。「さびしい、なんて、口に出したら」。あらら、中島みゆきは、〈禁歌〉でしょ。
きょうは、午後から陽も差し始めたし、昔、市場にいたんだよ、ってお客さんも、懐かしそうに古いアルバム見つめていたし、啄木会の人たちは夢喫茶で会議をしてたし、まーね、いつもの文学館だ。和やかで、静かでね。
分かってんだよ。何が欠けてるか。子どもだ。「日記」の連中。連中は、ここに何しに来てたのか。展示見にきてるわけないし、ワタシに会いにきてるわけない。古本もコーヒーも連中には関係ない。インターネット常設のiMac4台。うん、これは必須アイテムだった。チャットのね。「日記」書き込みはオマケな。でもパソコンやるだけだったら、自宅でも学校でもね。
じゃ何だったのか。待ち合わせ、学校帰りの時間つぶし。家に帰ってもまだ誰もいないから、夏休み、ほかにいくところないから。だから、文学館。
いいのさ、それで十分だ。十分だった。気がついてみたら、君らのシャベリが、君らそのものが、必須要素になっていたんだな、この文学館の。
切実だよ、切実に思ってる。来てほしい。いてほしい。じゃなきゃ困るんだ。どう……、するかな。「Majico」みたいな、仕掛けを、また出来るかな。

4月21日(月)
●雨が降って、さみいな。こんな日にリトル・カブで走るのはつらいものがあるが、100円ショップのレインコートで雨を突いて走るワタシだ。
最近、役所では車も風当たり強くて、駐車場確保もままならぬそうな。みんなバス出勤に切り替えたら、それはそれで交通費がたいへんそうな。なら、みなさん、原付出勤いかがですか。心構えさえできれば、冬道でも可なり。郵政カブで縦横無尽に走りまわっておられるポストマンに講習受けましょう。まず幹部が率先してやりませんか、原付出勤。なんてこと垂れてると、反感必至だから、やめようね。
4月も半ば過ぎたけれど、こんな日は文学館のなかも寒い。休館日で暖房止まってるからね。でも菊地さん張り切ってるからさ。壁に貼ってた壁画、いったん床に降ろして、彩色に没頭。色はちょこっと着けるんじゃなかったのかな。マリちゃん、寄ってくれたから、ちょっと色つけ手伝ってあげてよ。「何かひとりでやりたいみたいですよ」。菊地さん、ほんとにみんな恐縮してしまうくらい腰の低い人でね。でも、他人が手を出すのはいやだ、ってタイプね。「もと国鉄にいた人じゃないか」って副館長がいってましたが、そうか、何となく納得だ。もーすっかり任せようね。昔の花園公設市場、それ思い出しながら描いた絵。菊地さん、そこで育った人だからね。市場から前掛けして両手にバケツ持って背を丸めて歩くおばさんは、お母さんの肖像だ。その頬に、小さく涙を描き込むような人だからさ、いつも陽気な人だけどね。こうゆう人をワタシは信頼し切るんだ。
「描きながらジングルベル歌ってましたよ」ってマリちゃん。うん、歳末の市場だな。市場がいちばん市場らしい季節だね。もうさ、任せ切ろうね。できあがりが楽しみだ。
「あてにしてたステンレスシンク、だめだったよ」って、千葉さんからメール。そうか、しゃーない。机にアルミ箔でも貼って作るか、って、思い当たって色内方面へ。ちょっと怪しげな「カッパギ屋」さん(って、いうんだって。こうゆう商売。ミクマリ・ミホさんに教わって笑っちゃった)に。お店の外ぐるりと回って、やっぱりあった。だいぶゆがんでおりますが、いちおうステンレスシンク。台はないけど、かえって運びやすかろう。おじさんに、この流し欲しいんだけど。「いいよ、持ってって」。やった!ウチをバックアップしてくれるのは、ほんと層が厚いなー。

4月19日(土)
●午後8時、ウグイス家具店の佐藤君が久しぶりに寄ってくれて、いや、呼んだんだけど。
JJ's Cafe が、名前こそJJ's Cafe だけど、植草さんの資料はなくなっちゃいましたからね。こないだまで、レトロ・スペース坂展やってて、JJ's Cafe 本来のテイストじゃないけど、あれはあれで愉快な世界。それも終わって、さすがにガランと殺風景ね。
それだけじゃなく、4月に入ったら、ちょっと淋しいなあ。市場展控えて、テンション上がっていく状況なんだけどね。ちと体温低め。「青春日記」の連中も、高校進学して、それは別の世界に繰り上がったわけだからね。基本的に、ここも卒業だろう。なんか、学校に残されていく老教師みたい心境になってきたな。海員学校2年生の暁絵ちゃんが久しぶりに寄ってったけどね。やっぱ、さみしい。
佐藤君には、JJなきあとのJJ's Cafe をどうするか。こっちは夢喫茶みたいになるように任せる、っつわけにはいかない。富田さんもいってたけど、「夢」はヌルくてかまわない。ただJJ's Cafe はエッジ立てて置きたいのさ、つねにね。で、それができるのはやっぱウグイス家具店だけなの。
「がらんとしましたね」。植草さんの書いた本とか貸してもらえそうだけど。前みたいにびっしり埋め尽くすみたいことにはならないな。「寒々しいですよね」。まーね。「ここの壁(ワタシがすわっているカウンターの背後の壁ね)いろんなパターンの小さな棚で埋めつくしてみようかな」。せっかくの綺麗な壁がみえなくなるよ。「同じ色の壁で飽きませんか」。え?「ピンクに塗り替えてみようかな」。え?え?このアボガド色の壁、JJ's Cafe のシンボルカラーじゃないの?「テーブルの天板も黒一色っていうのも、冷たすぎますよね。春だからなー」。春夏過ぎたらまた冬だけど……。
いや、それはワタシにも解るんだよね。「飽きませんか」ってゆわれれば、ギョッともするが。理屈ではさ、ワタシはここにいつもいるが、お客さんは日々異なるわけだからね、来る人はみな新鮮にみてくれるだろう。何も半年毎に雰囲気一変してなくても、いいわけだ。
でも、違うんだね。同じことしたくない。こないだテレビで偶々みてたんだけど、中国のけっこう有名な監督さんなのかな、すげー眼光鋭い、コワモテの哲学者みたい顔つきの初老の人なんだが、作ってるのはとんでもないスラプスティック、ふざけきったドタバタコメディ。その監督がさ、「同じ撮り方は二度としたくない」って言い切るんだ。好評を得たら、それをさらに磨いて、あるいはそれに重ねて、ってやり方は取らない、ってことだね。恐らくね、観客は、「洗練」を求めると思うの。輪を重ねた面白さを求めると思うの。でも、その監督は、それはやらない。なぜなら「自分がおもしろくないから」。「一回でもやったことは、二度やればどうしても感動薄れるだろう」ってゆうんだ。客じゃない、自分がね。ね、大事なのは自分だ。作品を作る自分が心浮き立つかどうかだ。
「飽きたでしょう、アボガド色。ピンクにしようかなあ。テーブルももっと明るい色に塗り替えましょう」。そ、そうだね、ピンクもいいか。「春は春、夏は夏色」。なるほどな。それがJJ's Cafe か。
「家に寄ってくださいよ」。もうだいぶ形になったの。秋には家具店とカフェオープンってサイトに出てたようだけど。「まだまだですよ。すげーボロだから。みるとびっくりしますよ」。そう。「良くなりますよ。だから見てほしいんです。ビフォーとアフター」。うーん。わかった。近々寄せてもらうよ。

4月15日(火)
●昨日は、妙見市場のB棟解体作業、は、オオゲサで一部のモノをささやかにハガしていっただけなのですが、胸が痛むな。胸が痛むのは、電源切れていると思い込んでいたのに配電盤のケーブル切ったら火花が飛んで、手伝ってくれたベルさんが感電しかけたためでもありますが。
ベルさんは本名知らないまま、きのう別れてしまいましたが、千葉さんのお友だちのサリーのカレシ。サリーってだれじゃ、思い出せない。そのベルさんは、解体、土木関係のアルバイトをおもに、食いつなぐ日々。飽きるまでは小樽に住もうか、って30代。ご両親は埼玉在住の元教師、ってカンケーないね。こういうヒトって小樽的な。啄木以来の伝統かもね。危ない目にあわせてごめんね。「いやいや、何ともないですよ。あ、サッシもらっていきますね」。カッコいいな。
胸が痛むのは、ベルさん危機一髪も理由なんだけど、ついこないだまで一店頑張っていたB棟、今じゃどう見ても「廃墟」だ。人間と生活の臭いを微かに留める、さ。その元市場の「廃墟」から、トタンやら蛇口やら配電盤やらハガしてくる、って、何か後ろめたいのね。念のため言っておくけど、市場の了解も役所の了解もとりつけてますよ。それでもさ。廃墟になった市場から小略奪?
一昨日かな、その前の日か、妙見市場でいちばん古くからいらっしゃる加藤チヨさんを訪ねたら、お店にいなくてね。60歳くらいのちょっとブアイソなおじさんが、「飯食いに行ったよ、近くの『てまり』って店だ」。2時ぐらいだったんですけどね。「4時ぐらいまで戻らないよ、話し込んでんだ」。
「てまり」見つけて、チヨさんつかまえ、1時間ほど昔の話聞いてさ、戦後徐州から引き上げられて、露天のヤミ市から商売始めたころのお話。「コレが(って親指立てて)けっこうやり手でねえ、高島の漁師にわたりをつけてさ、漁船一隻分イカ買い取ってね、明け方堺町に船上げたところで警察に見つかってさ」ってなお話をね。その豪傑なご主人は?「30年前に死んだよ」。さっきの方は息子さん?「あの人は、何年かまえにここに来た人だよ。帰るところがない、ってんで、店を手伝ってもらってんのさ。私も82歳だからね、仕事なんかしたくないのさ。もう、ほとんど任せてるよ」。いいな、市場。このウツワ。やっぱり小樽のズイは市場なのかもね。
展示を使って反戦訴えようなどと、コンリンザイ思わないけどね。市場。こうゆう場所へミサイル打ち込む、ってどこをどうひっくり返しても、大義なんかあるわけねえな。

4月8日(火)
●3つ展覧会を終わらせて、まもないが、25日からこんな展覧会を始める。
昨年の妙見カフェの延長上にあるのだけれど、道新小樽支社報道部さんの力作、『小樽市場物語』にのっとってもいるわけね。タイトルもまんまじゃないか、って、「・」が入ってるでしょ。「人間・失格」by 野島伸司のヒソミにならったのね。
これのミドコロは、何てっても、実物大の市場再現ね。展示室のなかに市場の一部作ってしまいます。しかも鮮魚店だ。ナマモノですよー。水回りどーする、冷蔵庫どーする、トタン板どーする、って。念を押しておきますが、この展覧会のための予算、ゼロね。
きのうは、月曜日で皆さんお休みだったのですが、ちょっとご協力をお願い。アルバイトの北さん、八木さんにも来てもらって、ボランティアの田中さんといつもの富田さんにも。で、まずは妙見市場。とにかく観察、観察。市場に不可欠のものはなーに。
秤、換気扇、包み紙、紙袋、ビニール袋、バケツ、段ボール、時計、カレンダー、食品衛生の貼り紙、流し、水槽、メモ、棚、文具、伝票。クイズ100人に聞きました。あるあるある状態ね。(懐)
妙見市場、ご承知の人もありましょうが、A棟、B棟、C棟とありまして、現在ほとんどの店がC棟に。B棟はとうとう空っぽになりました。残念なことだけど、時は流れる。がんばって踏みとどまってほしいけど、B棟をまたお店でいっぱいにすることは、もうできない。いよいよ解体するんならさ、あれも欲しい、これも欲しい。壁、蛇口、配電盤、蛍光灯、おやここにエビス、ダイコクの看板が。何せ、予算ゼロだからねッ(怖いな)。
とりあえず、ゲットできそうなものを頭に入れて、一行は100ショに飛ぶ。
100円ショップこそ、この文学館の最大の味方なり。展覧会に必要なものの7割は100ショでゲットできるなり。探しているのは、氷ね。鮮魚店だからさ、魚は氷の上に寝てるでしょ。大量の細かい氷が要りますが。難しいねー。テキトーなもの、みあたらないねー。セロハン丸めてみたらどお。このホログラム調の壁紙、見ようによっては四角い氷並べてるみたいに見えませんかー。ちょっとツラいねー。このコップのデザイン、氷みたいね。うーん、いくら100円でも、これ30個並べたら3000円もかかっちゃいますが。
あ、あったー、やっぱりペットコーナーね。水槽の底に敷くクリスタル。これ、これ、これぞ、我等が求めたるモノなり。
ビンボー文学館たいへんね、って。いいの、おもしろいから。おもしろくなかったら、休日に市場や100円ショップに集まってくれ、っていえませんが、さすがのワタシも。
きょうは、北海道新聞小樽支社版『小樽市場物語』の挿絵を描かれた菊地義美さんのお宅に。札幌在住のイラストレーターかな、って思ってたけど、電話帳に同じお名前があったから、いきなりお電話。あの、イラストレーターの菊地さんですか?「え?あ、あー私です」。よかった、じゃこれからうかがいますね。
入船十字街のすぐそばの小路はいったところね。出てこられたの、あれ、予想に反してフツーのおじさん?いただいた名刺には、イラストレーター、じゃなくて、シルバー人材センターの観光ガイド?
でもねー、この菊地さん、ホンモノですよ。この人の絵は、掛け値なしに上手い。「上手いってゆうか、味がある、雰囲気ある、ってゆうんじゃないですか」。いや、そうじゃなく。この絵は上手いの。この人の絵が上手くなくて、上手い絵なんて、ないの。
絵の上手はいきなり真を掴む。上手下手の判断基準なんて、それしかないの。
菊地さんの絵は真を穿っています。そりゃ菊地さんご本人が市場で育った、ってことは重要ではありますが、ゼッタイ条件ではないのね。もちろん「市場の子」であったことは、鬼に金棒、だけどさ。
その菊地さんに、展覧会のお話するうち、どんどん身を乗り出してこられた。で、ついに。「描きましょう。文学館の壁に。実物大の市場の絵を」って。やったー、ねッ!

4月5日(土)
●岩手の萬鉄五郎記念美術館の学芸員の方が、美術館のほうのご用でさきほどお見えに。
星田さんから紹介されて、挨拶を。JJ's Cafe のカウンターからね。ちょっと驚いたご様子。
「いつもこちらでお仕事されてるんですか?」。え、ええ。まあ大体。「コーヒー淹れられたり?」。そーですね。「お仕事しにくくないですか?」。あんまり仕事しないから。ウソウソ、それなりにできてます。「どういうワケで、このように?」。昨年喫茶店展ってのをやりまして、それにかこつけてこうゆう風に改造を。文学館って、考えてみれば街の喫茶とかぶっているな、と。「ふーん」。ここからだと、入ってくるお客様、それとなく見ていられる。「なるほど、それってだいじですよね」。お客様のほうも、喫茶のカウンターのなかにいるヒトのこと、さほど気にしないでいられる。この距離感は絶妙なものありまして、さすがに街の喫茶店、長く続いただけのことはある、と。「ふーん、なるほどなあ」。
その方、ご用が済んでお帰りのときにも、わざわざ寄られて、「きょうのいちばんの収穫でしたよ。これからどういう風に続けていかれるのか、とっても楽しみです」、って。あ、そーですか。そんなに大層なもんではないですが。
ワタシもだいたい、こうゆう風に聞かれて初めて自分でも解ったりするのね。何でワタシがカウンターのなかにいるのか。むかし、啄木記念館では、当時の館長さんがお客さんが入るたんびに入口で説明してくださった。必ず、歌を唄われるのね。啄木が代用教員してたとき、こどもたちに教えた歌だったかな。それは、それでとっても良かったんだけど。あー、今はなさってませんよ。学芸員の山本さんも、いちいち説明なさっていたのでは身が持ちません。
美術館などでは、ボランティアの方が、ガイドなさっていることもありますね。これも、タイミング難しかろうな。「一人で勝手に見たいのよね、よけいな説明いらないの」、とロコツにおっしゃるお客様も。
でワタシが教わった、ここの場所。街の喫茶店のマスターが、長くいらしていた場所。お客様に対してナナメ45度の位置。とりわけ積極的に関わりはしません。ワタシも人見知り治らないからね。でも、ちらちら気になさってくださる方には声かける。コーヒー、お淹れしましょうか、って。おおよそ、そんな程度だけどね。

4月4日(金)
●ノーマ・フィールドさんに、2月に小樽にいらしていただいて、数日滞在、23日に講演もしていただいたのだけど、そのときの印象、感想とりまぜて綴っていただいたエッセイが、先日メールに添付されて届きました。これから校正、編集、印刷して今月末くらいに、亀井館長の講演記録「小林多喜二の『テガミ』」と、市立小樽文学館収蔵小林多喜二関連主要資料目録と併せて、「小林多喜二展記念冊子」発行する予定。
著者校もしていただかぬ前に、原稿の一部ご紹介するなど、ルール違反の最たるものですが、ここはどうしてもお見せしたい誘惑に勝てず。
「(澤地久枝さんの)講演が終わって暗い夜道に出るとおなかがすいている。開いているところもほとんどないようで駅のそばの店に入った。これは喫茶店風でコーヒー、紅茶、カレーライス、うどんの他にビール、どんぶり、安くて驚く量の定食もあって、訳の分からないところが大いに楽しい。後日、雪の降る中を娘が撮った写真を見ると、寂れた、しかしおとぎ話にでてくるような店構えだ。『親子どんぶり』とは鮭といくらでもあることをここで知った。」
これは! お店の名前書かれてなくても、大きくゴチックで書いてくださっているのも同然。今は無き「エンゼル」(たった2か月前のことの記述なのに。嗚呼)ですが。
ノーマさんにメールで確かめましたら、やはりそう。それで、二校では店名入れることに。そのあとのノーマさんのメールより。
「今日は一日『エンゼル』のことで寂しい気分で、(注;ワタシから、『エンゼル』がすでに解体されてしまったことをお知らせしました。)たまたまもっていた写真を学生などにも見せて、みんなもいっしょに残念がってくれました。独り(『一九二八年三月一五日』を翻訳している学生)は日本全体からこういう空間がどんどんなくなっていくようだ、といっていました。」
うーむ、シカゴ大学の研究室で、「エンゼル」が、これほど話題になっているとは!
「エンゼル」のご主人や、奥様に、どのように説明したら分かってもらえるかしら。

4月2日(水)
●きのう、思い出の日曜美術館って番組がありまして、司馬遼太郎が八木一夫の芸術について語る、っての。へえ、と思って見て、大正解だな。
ワタシ、司馬遼太郎とゆう人も、食わず嫌いの気味あって、何か明晰でニュートラル、どこまでもニュートラルな文体で思考を進めていく人って、先入観。「空海の風景」は読んで、感心もしましたが、それも多分に前もって、日本で唯一の歴史小説と呼べる小説、なんて評をみたり、同僚が絶賛してたのを踏まえての本読みだったからなー。
でもきのうの話は八木一夫だからね。走泥社の。オリジナルということを、そのまま造型していったような陶芸家だからさ。まさに、歴史小説、とか、優れた、とかの型嵌めをまっこうから否定した芸術家、ってわけだね。それを司馬さんが、何とか生身の声で伝えようとするわけや。
ワタシも一発で持って行かれた「ザムザ氏の散歩」を、ここに剥き出しの自己があって、それがこうゆう悪意のかたちをしておる、とか、晩年の黒陶の作品を、八木一夫も年寄って毒を失ったゆう人がおるが、芸術家ゆうのはそんな変わるもんやないですね、変われるもんやない。黒陶の八木一夫ゆうのんは、はなからおったわけや。それをかたちにする黒陶ゆう技術を、晩年になって八木さんが見つけただけですね。とかねー。
で、戦後の美術はフォルムゆうのが流行語みたいになって、みんなが何とか新しいフォルムを創り出そうと血眼になっておった。八木さんは、それを先行フォルムゆうて真っ向から否定しおった。

いっきに話飛ぶけどさ、いまどこの美術館も博物館もお金がないんだよね。それで、小樽なんかはもう極端にない。で、展覧会の実行予算がン百万円以下なら、もう特別展はできないでしょう。館の存在価値も消滅するでしょう、と嘆かれたりするのだけど、ワタシなんかは、ほんとにそーかな、って思ってる。
だいたいね、特別展とか常設展とか企画展とか、これ、一般ぴーぷるに通用するコトバだと思い込んでるのは錯覚。業界人のね。笑っちゃだめよ。博物館・美術館・文学館ってやっぱ特殊な業界なの。ワタシ、この仕事に就いた初めのころ、どっかの学芸員の方がいらして、「オタルシハクが、オタルシハクが」ってゆうのね。ワタシ、何のことかしら、って思った。「小樽市博物館」のことね。「業界」では、こうゆうらしいの。コクリツミンパクとかさ。サッポロキンビが、北海道立近代美術館のことだって知ってる人なんて、トクシュ、トクシュ。ゲーモリっていったい何さ。(「芸術の森美術館」のことだって!)そんな耳障りなコトバ、口の端に上せること自体トクシュ。
トクシュを差別してるわけではありませんが、トクシュが一般にも通用するというのは、寿司屋ならぬ符丁ふりまわす業界人の思い上がりです。
特別展だろうが、常設展だろうが、企画展だろうが、イベントだろうが業界人と博物館マニア以外気になんかしないよ。それが特別展ってフォルム先行しちゃって、もうあかん、お手上げや、ってね。All or nothing って、あんまりシンプル。あんまり淡白。
あえて言い切ってしまいましょうね、予算、なんて展覧会の要素の一部に過ぎません。道はいくらでもありますって。

えー、文学館のなかの夢喫茶の「光」喫茶店さんからお借りしてた古いテーブル、椅子、コーヒーカップやグラス、豆の焙煎機などお返ししまして、喫茶コーナー一気にピュアな「夢」になってしまった。昭和6年から2年間、画家の國松登さんが経営していた「夢」がかつて実在していたわけで、夢喫茶も100%フィクションではありませんが、実証するのは古ぼけた写真が1、2枚。あとは日本画家の本間聖丈さんの子ども時代の思い出だけだったりしますので、ま、ほとんどでっち上げね。歴史と記憶の捏造、ってヤツね。でも、これが楽しいんだな、また。
空っぽになったガラスケースを眺めて、ワタシはまず家の物置にあった贈答品のカップやグラスを並べてみました。これでも不思議や、昭和初年代の喫茶店のカップに見えますが。
まだ淋しいからね。古い北国の港町の喫茶店、カウンターのなかの物憂わしげな美少女、うん、銀のサモワールとマトリョーシカね。小樽の姉妹都市ナホトカからいただいたのないかしら。国際交流のミズタキさんに電話。「あーいいですよ。いくつかそっちに飾ってくださっても」。ほほ。
さっき先だって駅前の道路拡幅のため、跡形もなく解体された喫茶「エンゼル」(小樽の昭和30年代喫茶の典型)の奥様に電話。「開店当時のメニューとか、開店記念のお店の行灯かたどった貯金箱など出てまいりました」。いーねッ。
夢喫茶、近日リニューアルオープンです。あいかわらず時間空間越境しまくりね。