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5月30日(金)
●きょうは美術館の特別展のオープニングだ。ゲストのお一人、小川清さん。いらっしゃいませ。コーヒーは、いかがですか。
「あのさ、この文学館に『のらくろ』ないかい」。?。前に東京の古本屋さんから、『のらくろ』復刻版いるんだったらあげますよ、って申し出あったんですが、ご返事遅らせて、お願いしたときには、もう売れてしまったとかで残念したことありますが。
「本屋にいっても無いんだよね」。なんでご覧になりたい?「いや、くだらないことなんだけどね」。「俺、昭和9年生まれなんだけどさ、こないだ飲み屋で昭和9年生まれの連中で集まったんだ」。「そんで『のらくろ』の話になってね、どんな顔だったか、ってさ」。「俺、いちおう画家だからさ、自信はあったんだけどね」。「なんか、どんどん気になってきてね、確かめたくなってさ」。あ、そーですか。インターネットでわかるかも。「ほんとかい」。
いつもの、google ね。これの image 検索って便利です。「のらくろ」リターン。ほら。「へえ、なるほど」。これなんか、顔がよくわかる。「そうか、そうだよな、こんな顔だ」。「兵隊のころは肩章みたいのつけてたよな」。これなんか、兵隊のころですね。「あー、これだねえ。すごいもんだな」。「こうゆうのって、プリントとかできないのかい。スケッチしていけばいいんだけどね」。できますよ、ちょっと待ってください。
「やー、これいいや。プリント代いくらさ」。いりませんよ。「じゃ、これ」。千円札!とんでもない。「いいから」。えー、じゃ、コーヒーのスペシャル・ドネーションってことで、このブタの貯金箱に。
「のらくろ」のプリントアウトが1000円に値したのか、わかりませんけどね。話飛びますが、2月にやったノーマ・フィールドさんの講演会、250人いらして、会場にした展示室がいっぱい、いっぱい。こないだの文學舎の総会でも、あれだけの内容の講演会、無料はないんじゃないですか、人は入場料の金額で値を測る、ってこともどうしてもあるから、などというご意見をいただきました。もっともですけどね、私はあれは無料で正解って思ってる。無料、ってことでシキイをうんと引き下げる必要があったの。「よーわからんけど、ただなら聴いていこうか」ってお客さんを引きずり込む必要があったの。
で、ノーマさんの講演はともかく、その前にあった亀井秀雄館長の「壁小説」論。亀井さん平気だからさ、お構いなしで「高度」な話をする。分かりにくいわけではない。平易だけど「高度」、そこでは一切手抜きなし。
前にいただいた吉田暁子さんのご感想のとおり、みんな一生懸命聴いてた、マユにシワ寄せてね。何とか理解しようと、理解しなきゃなんない、って。
あのね、亀井さん自身はそう思ってないかもしんないけど、あり得ないの。もとい、あり得ない、って思われてるはず。亀井秀雄氏の文学論を、「ほんとにフツウの」市民が理解しようって集中して耳傾けるって。少なくとも大学に収まり返っている先生方がご覧になったら、目を疑うはず。
この場合の無料、これはハッキリいっておきますが、「戦略」でした。何の?決まってますが。「小林多喜二を解き放つ」ための。
何の話をしてるのかな。いやね、商売っておもしろいよね、って話。1000円だとか、無料だとか、ほんとに小商いにもならない話ですがね。こないだの「お金にからむ文学散歩」(参加料100円ね)のときの亀井館長の講演「お金・言葉・文学」にもありましたとおり、需要供給のバランスだけじゃあ商売って割り切れない。「釣り」はバランス(釣り合い)の「釣り」じゃなく、ひっかけの「釣り」じゃないか、って。マルクス経済学で「オマケ」が解釈できるだろうか、って。ここで浮上する、商い=コミュニケーション論。押したり引いたり、おあいそ、とか、ご挨拶、とか、いいよ、こんどで、とか、勘弁してくんない、とか。
ワタシゃ、しょせん八百屋の息子かな。文学展→喫茶展→市場展。このベクトルって、やっぱりお役所じゃ、ちょっとムリあり?
5月28日(水)
●ここ数日、めくるカードがすべてスペード、って危ない状況がありましたが、まー、マイナス札集めきったらいっきょにプラスになるってこともありますし、たいがい変革の前段で、いっぱいいっぱいだったことがほころびあわやパンク、ってあるもんだ。で、慌ててちゃっちい針と安物の糸で取り繕っても、もーもたないのね。なら、いちどご破算、まったく角度をかえて、やや遠方を見つめての次の一手ね。つまり一見カタストロフィーにもみえる状況は、「それ」を待ってる様相なんだな。
で、きょうが、つぎの一手を打つ日です。さて、空気はどうかな。どうなるかな。
5月22日(木)
●いまごろの時期から6月にかけて、おもに札幌から中学生がいっぱい来るんだ。いつごろからかな、5、6人ぐらいのグループでね。自主研修とかいうらしい。まれに先生らしい方が様子をご覧にお入りになることもあるが、ほとんど生徒まかせだ。「自主」だからな。
「自主」ねえ。何かしおりみたいのを用意している。チェック項目があるんだろう。ひととおり回ってから、誰に聞いたらいいのか、目が泳いでいる。答える人が、こんなところ(JJ's
Cafe のカウンター)にいるとは思わないだろうからな。
何か、かわいそうにもなるけれど、ちょっとイラつきもする。「ここには文学者の本がありますか」「石川啄木の資料がありますか」「小林多喜二のデスマスクがありますか」
石川啄木のコーナーは、ここだよ。学校で習ったの?石川啄木って。「いえ」。なんかそそくさと書き込んでるな。あと、何か質問が?「いえ。ありがとうございました」。ふーん。あのさ、ここにサッカーゲームあるだろう、やってかないか。(さっきから、気になってるんだ。ちょっと触ってみたりしてる)。「……いえ」。あ、そー。
ついね、いっちゃならないこと、いっちゃった。ね、おもしろい?ここ。「…………(いえ)」。そーだろーね。うん、かわいそうなことしちゃった。なんか、おどおどして、行ってしまいましたが。
それでね、きっと来るんだ。一週間ぐらい後に。「感想文とお礼状」がさ。きちんと拝啓、から始まって、敬具、で終わるのがね。
あのさー、どこの中学生がこんな手紙書くんだよ、いまどき。いいたかないけどさ、これが「自主」なの? こーゆうのが「自主」だって、いったい誰が考えてるの?
先生方もね、下見はなさっているんだろう。それで、ここが「自主研修」にふさわしいところのひとつだ、と判断してくださってるんだろう。
ときどきその下見にいらしているらしい先生たちをお見かけもする。お一人ではなく、2、3人で来られることが多いようだ。
これから申しあげることは、多分に偏見も混じっているので、あらかじめ失礼をお詫びいたしますね。下見にいらっしゃる先生たち、まったく「自主研修」の子供たちの大人版。この文学館に入ったとたん、ちょっと驚いた顔をなさる。イメージと違う、って思われたんだろう。でもね、それから後がフツウのお客様とちょっと違うんだな。一瞬目が泳いで、それがスッと「修正」される。もう、JJ's
Cafe もフーズボール(テーブルサッカー)も古本コーナーも見ない。見ようとしない。まっすぐ、小林多喜二、伊藤整、石川啄木ね。持ってきたイメージのままの「古典的文学館」。
そそくさとお帰りになるな。こんなところに「学芸員」が控えてるなんて、思いもよらないんだろうね。まー、こっちから声を掛けりゃいんだけどさ。
5月、6月。確かにこの時期の中学生の入館者数、バカにならない。数字としては、確実に「上」にも回る。
たださ、このままじゃダメだな。お話にならないな。
これで最後のグループか。女の子が、フーズボールのバーに手を掛けた。赤がこっち、青がそっちにけり込むんだよ。バーは一回転以上したらだめだ。ルールはそれだけだよ。ちょっとやってみな。「うーん、むずかしいな、あ、あぶない。わー、入っちゃった」。男の子が寄ってくる。オフェンスとディフェンス、分担するといいんだ。男子と女子に別れてみ。「わかった。あ、やった、わ、止められた、チャンスだ。シュート!やった、おもしろい」。ね。「私、写真撮るね」。あ、そう。ディフェンス、離すなよ。「おもしろーい、テレビゲームよりおもしろいね」。あ、そう。
邪道?でもね、この子たちには残る。この文学館が。てのひらの感触としてね。そっからだろう、そっから話が始まるんだろう。
「おもしろかった!ありがとうございました!」。ワタシは、その「ありがとうございました!」ありがたく、いただくよ。「拝啓〜敬具」は、ごめんな。ゴミ箱に直行だ。
5月20日(火)
●きのうの休館日は、久しぶりに、一日中家にいた。午前中メジャーリーグのドジャースとマーリンズ戦を見ておりましたが、いいな、野茂。9年目だよ、でも必死だ。必死に考え、投げて、捕って、おまけにきのうは打って、走ってた。野茂みてると、フィールド・オブ・ドリームス、って言葉がそのまんまな気がする。素晴らしきアメリカ野球。ドームとか人工芝とかナイターとかじゃなくて、草いきれ、暑い陽射し、陽気な歓声。おそらくあの国の、いちばんいいもの。
野茂はその国に、ひとりで渡った。野茂にそんな気はさらさらなくても、結果としてパイオニアになった。自由と引き替えの孤独。それを当然のこととして受け入れた。どれほど良い成績を上げようと、解雇されることもある。それはそんな国だから。それも当然のこととして受け入れる。
「あんまり表情のないヤツだけど、笑顔がいいんだ、とっても」といってたのはドジャースの前のオーナーだったか。「私は彼を尊敬している、心から」ともいっていたな。
走者を背負ったマウンドの野茂の表情がアップになる。
「タフだよ、神経が切れているんじゃないかと思う」っていってたのは、日本時代の監督だったか。「マウンドでときどき見せる顔、あの子の心は私だけがわかっている」といわれたのは、野茂のお母さんだ。「優しくて気の弱い子だった。女の子にも泣かされるような子だった。情けない悔しい思いを精一杯こらえて、帰ってきて私を見上げた、あのころと英雄は、まったく変わっていない」。
ロージンバッグ、深呼吸、マウンドに落ちる影。唇を噛み、大きく振りかぶり。
夢であいましょう、というミニページを作りました。いきさつはページの冒頭に書いたとおり。1960年代NHKの歴史的名バラエティのタイトルいただきました。もっとも、ワタシのアタマに流れていたのは、80年代末の日本テレコム国際電話のCM。遠藤賢司が歌ったヤツ。ワタシの記憶はいい加減だよ。マンハッタンにかかる橋のまんなか。激しい往来。ニッポンのくたびれたサラリーマンが、何かボードをかざしてる。髪が乱れてる。泣きそうな顔だ。ボードがアップになる。「Call
me, please!」このとき、バッグで流れるのがエンケンの震えるような「夢であいましょう」だ。
ま、がんばろうぜ。疲れたら、寄ればいい。夢、であいましょう、ね。
5月18日(日)
●先日の日記に、片桐保昭さんから、つぎのようなメールをいただきました。
富士山の絵の風習は北海道の銭湯には無いという話を聞いたことがあります。
私自身、道内の方々の銭湯に入ったことがありますが一度も目撃したことがありません。
うーん、そういえば。ワタシの郷里の福井でも富士山は。だいたいペンキ絵じゃなくて、タイル絵だったような。ひょっとしたら銭湯に富士山のペンキ絵って、関東周辺から東海地方一帯に限られてるのかな。マンガとかテレビとかで先入観植え付けられてるのかしら。
もっともワタシの知ってる銭湯の壁画は小樽運河でしたが、銭湯に限っては運河より富士山がいいなー。みなさんのところの銭湯はどーですか。それと北海道の銭湯にほんとうに富士山の絵はないのかどうか、情報お寄せくださいな。
えーと、追記です。小樽市の穀象さんからメール。
大正元年東京のデンキ湯で、子供が退屈しないように描かれたのがペンキ絵の始まりだそうです。
そして、北海道にもペンキ絵の富士山はあるようですね。
そのネタ本は、北海道新聞の「道新ポケットブック」2003年2月発行、「あったか銭湯ざんまい」です。
ちなみに、銭湯壁画のジンクスとしてタブーの題材があり、それは「紅葉(落ちる)、猿(去る)、夕日(沈む)」だそうです。
そうそう、とっくに廃業してしまった「朝里湯」も富士山のペンキ絵だった気がするな。
とのことでした。銭湯絵のタブーの話もおもしろいな。サルの絵を描くことはないだろうけど、夕陽の絵を描いてしまった銭湯はありそうですね。
5月16日(金)
●きのう博物館の石川さんが見えててさ、近いうちに銭湯展をやりたいって。担当学芸員は松尾さんだけど。おもしろそーだね。「銭湯もアレですが、小樽はむかし温泉の街として知られていた」。あー、朝里温泉ですね。「いや、街のなかに温泉が。千歳温泉とか」。千歳?「緑町の、いまのシガスーパーのあたり」。えー、あんなところで?
「で、番台や脱衣場とか再現しようと」。いいね。「で、メダマとして風呂場のペンキ絵を」。あー、富士山ね。描く人いるのかしら。「東京でひとり描ける人がいるらしいのですが」。滅びゆく職人芸ね。「小樽にいませんかね、ペンキ絵の継承者とか」。はてね。
市場展で高さ3.1メートル、幅3.6メートルの市場の絵を描いてくださった菊地さん、ちょくちょく展覧会のぞきにきてくださる。さきほどもいらしたばかりだ。ねー菊地さん、ひょっとしてご存じじゃないですか。「いま描いてる人は知らないけれど、描いたことのある人なら知ってますよ」。ワタシと石川さん、思わず顔を見合わせる。どなた?
「今は美容師さんになってますけどね。私の家のすぐ近所」。そこの方が昔ペンキ絵を?「そんなに前のことじゃないですよ。確かに描いてました。私それ見てましたもの。達者なものですよ」。すごいじゃないか。菊地さんよりお年を召した方?「いやいや、私なんかよりずっと若いですよ」。よろしければ、その方のお名前を。「お店のシャッターにも絵を描いておられるでしょ。ご存じだろうけど」。あったかなあ、そんなお店。「スペース・ア・ゴーゴー、とかって」。???!えー!?「アメリカにいらしたこともあったようですよ」。……。
あとで、オトヨさんに聞いたらさ。「スペゴーかい。あそこの兄ちゃんなら、40になってないんじゃない?あれって、ウォール・ペインティングってんじゃないの?」
いやスペゴーのシャッターならワタシも何度も見てますよ。ヒップでホップな、ぶっ飛びペインティング。ちょい気になって、帰りがけにお店のぞきましたが、美容師のお兄さんたちはキャップ後ろ前にかむったちょいヒゲ、ピアスの、もろラッパーじゃん。
菊地さんのお話の前半ではさ、ワタシ勝手に想像してた。昔ペンキ絵師、滅びゆく業界に見切りをつけて心機一転、いちから修業して美容師の資格をとった職人気質のオヤジ。顧客は中年から初老のキツめのパーマを好まれるご近所の奥様たち。ときには綺麗なパンチを希望するアニキにも対応。地味ながら堅実な、小樽だったら美粧院とかって看板つけてるような美容院。
ぜんぜん違うじゃん。おそらく石川さんも、イメージ全然ちがっただろうな。
でもねー、ワタシ大好きだ。こうゆう菊地さん。職人気質だとか、この道一筋って、カンケーないの。描いてるのがじいさんだろうがニイちゃんだろうがトーシロだろうが大家だろうがカンケーないの。すごいなー、と思ったら口開けて感心しちゃう人。いくつなのかな、70過ぎてるんだろうか。
どーなるかな、銭湯展のペンキ絵。やっぱ東京から伝統のペンキ絵継承してる一徹なヒト呼ぶんだろうか。
で、ワタシ個人としてはね、みてみたい。小樽のスペゴのお兄さんの、ヒップでホップなフジヤマ・ア・ゴーゴー・イン・ザ・セントー(何じゃ)。
5月13日(火)
●昨日の日記を訂正。青空文庫の小熊秀雄全集、全22巻の構成になる予定で、まだ8巻分は入力中でありアップされてません。小樽文學舎会員の渡辺弘道さんからご指摘あり。ありがとうございます。
で、その小熊秀雄プロジェクト。すごい……。5年越しじゃないですか。始めたとき予測してたわけじゃないだろうけど、小熊全集の版元、創樹社はまことに残念なことに先年業務を終えてしまった。いい出版社だったんですよ。湯島にあったころ、初めて伺ってびっくりしたな。だって3、4人で仕事なさってるんだもの。編集長ながく務めていらした玉井五一さん。飄然たる人。小熊全集って大事業だったと思いますよ。そんな苦労とか力みとか、ちょっぴりも感じさせないエディターだ。今秋の池袋文学散歩では、お世話になりますね、きっと。
メールくださった渡辺さんは、ときどき厳しい苦言もくださいますが、ありがたい。こないだはリンク切れてるのをご指摘。大赤面です。すっかり修復させていただきました。
その渡辺さんから、評価にしても批判にしても軽々しくすべからず、とご指摘いただいた福田恆存氏の仕事のことを思い出し、es! books で検索かけてみました。街の本屋さんを大切に、などと言っておきながら、ワタシが重宝しているのはこのシステム。だって向かいのコンビニで本受け取れるのだもの。いつ届くとか、届きましたよ、ってそのたんびメール来るし。しかたないよね。本屋さん、気の毒だと思うけど、まだるっこしい流通システム長年放置していた業界にも問題あるんじゃないのかなあ。
それで、検索かけて驚いたんだけど、出てこないの、翻訳以外の著書が。新潮カセット文庫の講演記録だけなんて、あんまりじゃない?思い当たって「福田恒存」で再検索。やっと出てきた。皮肉なもんだなー『私の日本語教室』の著者の名前、これでしか検索かけられないなんて。
で、出てきはしたものの、どれもこれも「取り扱い不可」。要するにほとんど絶版ですが。その『私の日本語教室』を含めて、やっと4、5冊。おそらくほとんど文庫本。うーむ。
こういうのって、何とかならないかなあ。「青空文庫」は、基本的に著作権切れた作品をネットに載せていくのだけれど、有料でダウンロードできて、その料金の一部は著作権者に渡るようなシステムって、もうあるのかも知れないけれど、もっともっと出てきていいのじゃないかしら。
話ぽんぽん飛ぶけれど、一昔前(って思われてるだけで、ほんとは現役バリバリなんだけど)のミュージシャン、例えば三上寛さんの歌なんて、一曲200円くらいでMP3でダウンロードできたりするよね。三上寛さん、一年に一度小樽のライブハウスでもやったりするが、観客はワタシ含めて3人くらいだったりして唖然。ダマされたと思って、200円でダウンロードしてみ、どの曲でもいいから。ぶっとぶこと疑いなしです。
著作権問題については、かのJASRACにも言いたいこと、いっぱいあれど、また後日。
きょうも市場展見に来てくださった商業労政課の人たち。小樽の商店街の話の続きね。商店会(ほとんど町内会みたいなのもあるけれど)ってのも入れると50以上もあるんだって。で、「小樽・雪あかりの路」のときに街灯(写真か模型になるだろうけど)並べるプランいったら、すごくおもしろがってくれて。「街灯もそれぞれに工夫してるんだけど、たいていの商店街は一年に何回か商店街祭みたいのをやってて、そんときにオミコシかつぎますよね。みんなそうゆうのあるんじゃないかな、昔から」。あ、それも借りられたらおもしろいかも。「そうだね、手作りのキャンドル並べるのもいいけれど、文学館でそんな風にやって、小樽中の商店街が乗ってくればおもしろいよね、ほんとに街中が『雪あかりの路』になるかもな」。ちょっとすごいよね。予算はゼロだけどねッ!
5月12日(月)
●きのうお会いした小樽啄木会の北間さん、図書館でボランティアで痛んだ本の修復とか自分の原稿の製本のやり方を教えている人。カメラとかも好きみたいだけれど、いつもとっても楽しそうにしてる人。ボランティアの第一条件ね。世のため人のため、って気張らない。楽しいからやってる、って。
北間さんの経歴、ワタシはよく知らないんだけれど、教会のお仕事などもなさってたようです。長年愛用されたタイプライター。L.C.Smith
& Corona Typewriters Inc.made in USA って書いてありますが。パソコンお使いになるから、もういらなくなりました、って。夢喫茶に置かせていただきました。カッコいいですね。「サスペンスの抒情詩人」コーネル・ウールリッチのね、何の小説だったかな。扉に書いてあった献辞を思い出します。「○○ホテル……号室と、キーの壊れたタイプライターへ。もうそこで暮らすこともなくなったから」
うろ覚えだけどね。ちょびっと、泣ける。
北間さんに聞きたかったのは、ボランティアでなさってる製本のほうでね。印刷のほうは、ワタシそこそこ出来る。プロのマネゴトくらいのことまで出来る。でも製本は無理だ。それで思い出した。図書館の製本講座。ワタシも受けたことあって。そんときは製本キット使ったな。ワタシってこんなに不器用だったか、ってくらい不細工になりましたが。
北間さん、「キット使わなくても、いろんな本できますよ」だって。「角背も丸背も、和綴じもね、サイズもA4判から豆本まで」ですって。なら、できるかも。文学館ライブラリー。総手作りで。第一弾は、ご要望も少なからぬ、かの名詩集『雪明りの路』。新潮文庫版も絶版になって久しい。ならさ、ウチで発行しましょう。小樽文学館版『雪明りの路』。一冊一冊手作りのね。誰がやる、そんなめんどい仕事。もちろんボランティアの皆様です。
北間さん、「私の受講生でね、いますよ、5、6人。私並みにマスターした人」「楽しいんですよね、結構。奥様方に向いてるみたい」。どうかしら、来年2月のイベント「小樽・雪あかりの路」までに、500冊。「いい印刷してくれれば、製本のしがいがあるな」。できるかも。手作り、しかも他に入手不可能だから1冊1000円×500冊=500000円!
いや、お金欲しいのも山々だけどさ、ボランティア。一にも二にもね。この文学館に来て、いつでも出来るお仕事。こないだは2冊作ったけど、きょうはちょっと違う材料使ってみましょ、3冊くらいできるかしら、って。もちろん、製本担当者のお名前刻印していただきますよ。
毎日、毎日、ボランティアにきてもらいたいのさ。そういう仕組みを作りたいんだ。だからお仕事。定例のお仕事。
も一人。啄木会のメンバーで、近い将来文學舎を支えるキーマンになりそうな。こないだまで小樽短大の図書館に勤めれて居られた新谷さん。かの「おたるの図書館」ネットを独力で作り上げてしまった人。短大を辞められた今も、ネット管理を継続されることになったそうな。資料アーカイブのネットワーク化、その使いこなし、図書館行政の現状と課題など知り尽くした方。常勤のお仕事を辞された詳細は新谷さん自ら発行されている図書館ネットワークマガジン『SWAN』をご覧いただくこととして、きょうボランティアあれこれのお話ししているうちに、おのずと話題は日本、いや世界でも有数のネットボランティア『青空文庫』に。小熊秀雄全集までまるごと『文庫』にしちゃいましたもんね。ならさ、できないかな、小樽文学館、いや小樽文學舎発、『青空文庫』小樽版。
小熊は全集出てしまったけれど、小林多喜二はまだ打ち込み作業真っ最中らしい。でも近々出てくる、「蟹工船」も「不在地主」もね。ウチがお手伝いする余地もまだありそうだ。小林多喜二に関心出てくれば、その周辺にも興味はあろう。なら、どうかしら。小林多喜二がやってた同人誌、例えば『クラルテ』まるごと「青空文庫」化。
ここで浮上する。こんなの、ヨソではできない。誰もできない。なんでか。著作権があるからだね。小林多喜二はとっくに切れてるよ、著作権。それなのに、いまだに小林多喜二は我が○の、なんて口走る、化石みたいな人がいたりするんだけれど。
でも、ローカルでやってた同人誌なんてのは、フツウできないの。著作権の確認が。だって、わからないもの、本人の没年とか。遺族の消息もね。で、それができるのは小樽ならウチだけでしょ。ウチは青空文庫やるつもりで遺族とおつき合いしてきたわけじゃないけどさ。でもこの「人脈」がウチのいちばんの財産だって、亀井館長にもいわれたことだね。その財産を後々までつないでいくためにも、生かしていかなきゃさ。「手の内」に抱え込むんじゃなくてね。
多喜二はともかく、ローカルな無名な、ね。名も知れぬ草花のごとき、さ。いい作家が一杯いるじゃん。活字になんてできないし、どこもしてくんない。もととれないもん、絶対。でも「青空文庫」ならできる。人件費タダ。想定読者「全人類」。すごい話だねー。
やろうぜ、ボランティア。マメ本作りしてみ隊、青空文庫工作活動してみ隊、3D版文学マップ作り隊、故小笠原館長ゆかりのハクウンボクを中心に、文学館の周りを花一杯にしてみ隊、全部隊総出撃だねー。
5月7日(水)
●隠しておかなければならないようなことだとは思わないから、書いておく。いま、この文学館、そして美術館、博物館の管理運営業務を民間に委託できないか、というアイディアが出てきている。それは案が示されたばかりであり、方向はまだ定まらない。だから、はなからそんなプランは論外、などという態度は、それこそ論外だろう。
こういうときに、必ず出てくるのは先例が見あたらぬ、ということだ。これが、ワタシのまわりでは、実に有力な論拠になったりするのを見聞きする。
けれども、この案が示されたとき、先例がなければ、先例になればいい、という言葉を聞いた。ワタシもそのとおりだと思う。その提案がなされた場で、数少ない(実際に数少ない、のかどうかもワタシ自ら確かめているわけではないのだけれど)類似例として、岩内町の木田金次郎美術館の名前が出た。感覚的な物言いになるが、学ぶべき事例として紹介するというニュアンスではなかった。
又聞きではわからぬ。きょう、昼からバスに乗って岩内へ行った。
木田金次郎美術館、これまで何度も行ったことはある。学芸員の岡部さんもウチにも美術館にも何度も来られている。でも恥をいうが、ワタシは何も見ていなかった。見えてなかった。無知は無恥。それも承知で白状するが、知らなかった。木田金次郎美術館、近年になって民間に業務委託されたわけではない。初めからだ。初めからこの美術館の管理運営は民間団体岩内美術振興協会に委ねられている。
学芸員の岡部さんと、この4月に新館長として赴任したばかりの前田さんに話を聞いてきた。今、現在木田金次郎美術館のスタッフで、岩内町の職員は学芸員の岡部さん一人で、あとのスタッフは全員岩内美術振興協会の職員だ。民営しかあり得ない、というのは、開館準備当時、岩内町の企画課の職員だった前田館長の信念でもあったそうだ。
岩内美術振興協会という団体は、木田金次郎美術館のために作られた。既成の団体があって、そこに委ねたわけではない。協会は、この美術館のためだけに存在する。協会のメンバーはこの美術館の振興のみを考え、そこにのみ身を挺する。
専従職員の身分はある程度保障されるが、前提となるのはボランティア活動であり、それが館の存在そのものを支える。つまり町ぐるみで、美術館を支えていく。美術館が町の誇りである、という町民の意識抜きに、この美術館は存在し得ない、それは最初からそういうものとしてスタートした、ということだ。
翻って、この文学館はどうか。ここは市民団体を母胎として生まれた。メンバーのボランティア活動、資金集めから文学館が生まれた。その活動は、今から思えば非常にエネルギッシュで、考えられぬくらい短期間で形を成していったものだった。ただし、その分、広範な市民の支持を確認したうえで、形を成したものとは言い切れぬだろう。開館の経緯を読みなおしてみると、ほとんどあっという間に出来上がったものに思える。
開館後の管理運営が市に委ねられたのは、無理からぬことであったし、それはまったく妥当な方法であったと思う。つまり、運営管理も引き続き民間団体に委ねるだけの基盤はまだ出来ていなかった。
25年経った。遠回りだったかも知れぬ。でも、ここ数年。ここに来てやっと実感している。この文学館は支持されている。広範な市民に、のみならず全国の人々に、のみならず海外の人たちにまで。
民間委託、は財政逼迫のなかでやむを得ず示されたプランかも知れない。ただし、それを発言した人の言葉の調子からは、もっと強い意志を感じた。よりよい道として、それがあるのではないか、それを考えよ、と言われたのだと思っている。
時機がきた、と思っている。後退戦だとは思わない。あくまでポジティブだ。
木田金次郎美術館で、館長さん、岡部さんと話をしているとき、事務室に(事務室のドアなどはない)振興協会の会長さんと、記念館の元館長さんがふらりと寄られた。岡部さんや館長さんと交わされている会話の調子、その雰囲気から、すぐに分かった。この美術館は、立派に成功している。方法はまちがっていなかった。もちろん、ワタシなどに言えぬ苦労はあるだろう。スタッフに対して、すまないことも敢えてしなければならぬ、ということも多々あろう。それでも、町の人たちに、この館は支えられている、という確信は、お二人からストレートに伝わってきた。
小樽にできないはずはなかろう。その道を探っていく。きょうの日記は、このことについて肯定的にでも否定的にでも、積極的にでも消極的にでも関わる人たちの目に触れることもあろう。そういうものとしてワタシも書いている。これからも折に触れて書く。
今のところ、最強のボランティアスタッフ、富田さんからのメール。
今回の古本市の成功は、今更ですが、ボランティアの力だと思うのです。
手伝ってくれた小路君はじめ、名前は知らないけど、いつも来てくれる菅井きん似のおばさん(いつも何かしら買っていってくれます)、
そしてHALさんや東京の吉田さん(だったかな?)のような古書を送ってくれた方々。
更には古本にコメント書いてくれる人(今はいないけど…)や「ちょっとお茶して」に提案などを投稿してくる人。
この人たちはみんなボランティアですよね。
彼等無しでは今回のような成功は有り得なかったと思います。
ボランティア制度も一段落というか、一部の人を除いて、停滞した感もありますが、また違った面で活動してみてはどうでしょう。
例えば、登録した人は次の文学散歩に必ず参加してもらうとか…集まれば終わった後に何か話もできるし…あとは今はあまり思いつかないけど…
とりあえず、ボランティアやってて、何かメリットが欲しいと思うんですよね。何かないかしら。今なら、何かもっと協力してもらえそうな気もするんですが。
ではまた。
さきほどバスに乗って文学館に戻ったら、ワタシ宛の封書が届いていた。全文、そのまま紹介する。いい気なもんだ、といわないでほしい。ワタシは泣いた。改めて決意したよ。ワタシは、この文学館は、誰のためにあるべきなのか、どう進んでいくべきなのか。
前文お許しくださいませ。
私は、一昨年玉川先生に引率されて文学散歩した者です(七十六才)十年前パートの仕事をやめてから新聞の見出しを読んでは美術館や文学館を見て歩くことを楽しみにいたしております。義務教育しか受けておりませんが本を読むのが好きで、ヘッセや夏目漱石、幸田露伴など心の支えになる本を読んでおりました。この頃は元気の出る本、幸田文さんの本も好きです。
さて、本日突然玉川先生にお手紙を差し上げようと思い立ったのは、今は亡き小笠原先生はじめ玉川先生のおかげで最近の文学館が目覚ましい向上を遂げ目を見張るものがあり感動いたしております。昨日は以前北海道新聞に載っていた市場物語りの再現が見たくて訪れました。巨大な市場の絵や様々な市場の絵、又当時さながらのお店で再現されて感激いたしました。特に赤いケットを着たおばさんの絵もあり、高島からガサエビを売りに来てた事を懐しく思い出しました。
商科大学の展示会で、高商時代に特待生で入学した従兄弟をしのび、小林多喜二の思いを新たにし、博覧会で当時の人出の多く盛んな小樽の様子を懐かしみました。本当に嬉しくありがとうございました。並木一歩さんの句が好きです。
私は昨年連れ合いを亡くして母子家庭の娘たち五人と小次郎(小型犬)と同居しております。今小樽老壮大学で版画を習っております。犬の世話でゆっくり出歩くことがかなわず残念ですが、熱心な玉川先生は小樽の誇りで、私も嬉しくなります。
末筆ながらこの上ともご自愛専一を心掛けてご活躍くださいませ。乱筆にて
まずはお礼まで かしこ
五月五日 ……拝
玉川薫様
5月5日(月)
●古本市は、良かった。何で良かったか。きちんと説明できるし、しなければならんのだけど、それは、この文学館が向いているベクトルにきっちり沿っていることだし、まったくありふれた光景のようで、実はありえないことを達成しつつあることだし、って、何のことだ、だろうから、後日に回す。これから、たんびに出てくるし、その言葉自体は、手垢にまみれて薄汚れ胡散臭くなってしまっているのだが、やっぱ一言でいうなら、とりあえずこれしかなかろう。「バリアフリー」。繰り返すけど、観念でなく、具体としてのバリアフリー、ってほとんどあり得ない。奇跡みたいなものだけど、ここで、この文学館というところで、それは成されつつある。カウンターのなかで、そう思えるんだよ。
どんなに文字連ねても、どんどん抽象的になるばっかだから、とりあえず止めとくね。
えっと、止まったかな、って思ってた「青春日記」。ポツポツと新展開始めた。きょうの五十嵐君の日記なんか読むと、やってて良かった、って思えるぞ。何となくひとつの中学校で固まってしまってて、それはそれでリアルで躍動する中学生の姿かたちが見えるようでよかったんだけど、取り合えず連中はバラバラになった。ちょっと元気もないように思える。でも、一人一人、こんどは別のライフが始まっている。始まりつつある。それが伝わってくるよね。いいな。いっせいにテンション盛り上がればいいってもんじゃない。悪くないな。こうゆう調子で、ポツポツ、バラバラ、いけばさ。
スタッフ日記、見てくださってますか。見なきゃ損ね。八木さん、日記、祝復活。毎日顔合わせてても新鮮だよ。コミでなんぼだ。おもしろいな。北さん、千葉さん、富田さんもね。
やりたいこと、いっぱいあるな。しかもできる。企画行き詰まる、ってあり得ないよ。とりあえず、近く立ち上げる。メチャ安あがりだが、準備に1年、いや2年かかるかも知らん。タイトルは「小樽論パート2」。「小樽論1」は1000枚の写真で刷り取った小樽だったが、主観、思い入れを強制的に排除した小樽の風景、だったが、こんどはまったく逆だ。極私的小樽論。アンタにゃ解らぬアタシの小樽。1000人の小樽論。道具─玩具デジカメ。ハガキサイズのプリンタ用紙。洗濯ロープ。洗濯バサミ。ボールペン。
「青春日記」のプリクラメモリアルともリンクさせるよ。
今年から来年にかけての文学館、写真がキーワードのひとつになるが、ワタシはライカとか嫌いだ。トイカメラ、ポラロイドが好きだ。そのあたりから、話を始めることになるな。
5月3日(土)
●古本市は、いい感じですよ。このぐらいで、ちょうどいい。来てるお客さんの表情とか見てるとわかるの。小路君が店番に来てくれたんだけど、合ってるんだなー、このミニ古本市の雰囲気に。売れようが、売れまいが、基本的に我関せず、でさ。いや、実際に助かるし。感情の駆け引きはね、疲れる。ボランティアのカナメのとこだな。
夜の8ミリフィルム上映は、惨敗。ひさしぶりの大汗、パニック状態。敗因は、よーするに甘くみてた。レトロなハードをね。最新のAV機器と次元が違うよ。日本の技術って、この30年間で飛躍したんだね。もひとつ、劇場用映画の超ダイジェスト版の8ミリフィルムってゆうソフトが、ほとんどまったく普及しなかった理由を、骨身に染みて納得しちゃいました。あと「エマニエル夫人」って、ほんとのバカ映画ね。これはダイジェスト版だろうとノーカット劇場版だろうと同じだったろう。こんなの当時のコマーシャルに乗せられて、ちょっとオシャレでエロチックって、サ・イ・ア・クね。
レトロスペースの中本さんがいってたとおり、唯一の救いは「フィリピン戦記」だな。これは8ミリの画面がぶれようと、音声と画像が大幅にずれようと、やっぱ異様な迫力かもしてた。フィルムならではのね。ビデオとは臨場感において大差あり。
きょうのいちばんの収穫は、市場展みにきてくれた商業労政課長さんの小鷹さん。「よくできてるね」って褒めてくださったんだけど、市場の現状とかいろいろお話してくれて、小樽の市場もなくなってしまったところもいくつもあるんだが、それでも20幾つも営業中。札幌とほぼ同じ数ね。で、市場だけじゃなくって、小樽には○○商店街ってのが30いくつもあるんだって。みんな、いまほんとにたいへんだからさ、少しでも盛り上げようって、商店街のお祭りなんか企画したりして。警察方面と折り合いつかなくって苦労してる話とか。そんで、30いくつの商店街が、みんなそれぞれ違う街灯作ってるんだって。札幌なんかでは、街のあっちこっちにデザインばらばらの街灯並んでたらみっともないでしょ、って話もあったらしいけど。
おもしろいな、小樽らしいよね。ほかといっしょにしたくない、って。街灯のデザインに凝るのも、昔の写真みても小樽の商店街の伝統なのかもね。
ワタシにしちゃ、だいぶん先のイベントの構想だけど。来年2月の雪あかりの路。できないかしら、小樽の30いくつの商店街の街灯を(イメージですよ。そのものもってきちゃうなんて、さすがに思ってないけど)1個ずつならべてしまうんだ。雪灯りの路会場の手宮線から文学館のなかまでさ。壁一面に降りしきる雪の幻灯映してさ。これって、年の瀬に、母親に連れられて街なかの問屋へ買い出しに着いてったワタシの幼時体験な。家はちっぽけな八百屋だったからね。暗くなった街の通りをさ、向こうにみえる商店街のあかりめざして、母親の手をにぎってね。降りしきる雪のなかをさ。何だか、心細げにね。
5月2日(金)
●あしたはお待たせ、8ミリフィルム映画祭。こんなの、知ってましたか?ビデオソフト登場以前の8ミリフィルムパッケージ。知らなかったなー。レトロ・スペース坂会館で初めてみて、小さく感動ね。トミタさんが「マジンガーからエマニエルまで」なんてサブタイトルつけてくれたけど、「水戸黄門漫遊記」(ひばりさんが出てますよ)から「フィリピン戦記」「双葉山物語」「EXPO'70」「キャンディキャンディ」、あと白川和子さん出演のヤツまでありますが。
で、8ミリフィルムだからね。上映時間2時間なんてありえない。一本平均約10分。縮緬問屋のジイさんにひっついてるニイさんが、乱暴狼藉のあげく印籠突きだして、散々にやられたものどもが控えおるまで7分くらいで片づけなきゃ。遊び人の金さんが、お白州で片肌脱いで遠山桜の刺青みせるまで(いいのか公務員が)8分、エマニエルが、えっと。
そのエマニエルだけど、レトロスペース坂会館で、こないだ上映会やったときは、エマニエルで、会場の奥様たちから思わず「まぁ!」が出たそうな。空気がいっとき硬くなったそうな。「外国のは、いっけんソフトでも実はけっこう即物的だったりして」と、レトロの学芸担当中本さん。「白川和子さんのほうが、ニュアンスに富んでましたねー」とのことでした。
まあ、エマニエルは女性でも入れるファッショナブルな、が売り物でしたからねー。こうゆうのファッショナブルだの芸術だの、みんな口実ね。バカにゃしてませんよ。だってさ、上映時間10分のウルトラ・ダイジェスト版のパッケージのお値段、13000円なり。30年前でこのお値段はかなり無理あり。ポピュラーになる前にビデオソフト、さらにレンタルビデオにやられましたから、珍品奇品のタグイになってしまいましたが。それでも、一部のおとうさん、おにいさんに無理をさせたのはこうゆうジャンル。「マジンガーからエマニエルまで」って、まず家族のために、って涙ぐましい努力ね。こどもにだってバレバレなのにね。もっと飛躍しちゃえば、新しいメディアを引っ張ったのは、すべてこの手のジャンルって言い切ってよし。
さっき、トミタさんと映写機のテストしてて、いいよ、アブなかったら画面消して音だけにしちゃおう、あら、音だけって、もっとアブなくないですか。そーか、この手のものは音がカンジンなんだなー。じゃ音消しちゃいましょう。エディターでみてるせいか、何かマヌケだなー。
明日、お楽しみになさってくださいね。プログラムの最後、「エマニエル坊や来日密着24時間ドキュメント」(つまんねージョークだな)。
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