学芸員のよもやま日記

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2003年7月。アツがナツイぜーッ(by 松本大洋)

市立小樽文学館学芸員・玉川薫
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7月5日(土)
●山口昌男展のときに、そのキャリア(もと書店員)を生かし、おおいに助けてくださったボランティアスタッフ、大貫さんがおいでになり、ある方が以前お住まいになった家が取り壊されることになったのでそこのご本を引き取ってもらえないか、とのこと。大貫さんの車に乗せていただいて、そこの家を訪ねることになりました。
大貫さん「きょうは暑いねえ、23度だって」。福井生まれのワタシには、23度は暑いうちには入らないな。暑いというのは、30度以上のことです。
大貫さんのカーラジオから、サザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」。デビュー25年にして、ヒットチャート1位だってね。サザン、「勝手にシンドバッド」、ワタシには深い深い思い入れが。
サザンのデビューは、小樽文学館のデビューと同じ年なの。関係ねーじゃん、何の話かと思ったら、って? 他の人にはどーでも、ワタシにはサザンの歩みは、ウチの歩みとダブるのですよ。もっとも、サザンデビュー・小樽文学館デビューの年、ワタシがいたのは小樽じゃなく、東京でしたが。
前にそのこと書いた文章さがしたんだけど、無くしたらしい。それで、ある先生に出したお手紙の一節を。ずいぶん昔の、私信で失礼。


 ……○○君にとってこの夏は一生忘れられない夏になったのではないですか。盛岡第四高等学校の2回戦の日、私は0対0のスコアを気にしながら父の二度目の墓参に出かけました。人気のない墓地で白い日差しにさらされながら、真新しい墓は、それなりに立派ではありましたが、またどこか頼りなく落ち着かぬ風情でありました。しばらく眺めておりましたが、玉川家にはふさわしい墓かも知れないと何となく納得して家に戻りますと、盛岡第四高等学校は1対0で惜敗しておりました。炎天下、したたる汗も拭わずウッドベースを弾きつづけた(甲子園でもウッドベースですか?)○○君はテレビの画面には映らなかったのでしょうか。
 父は高校野球の熱烈なファンでした。地元の高校を熱烈に応援し、福井代表校が敗れれば隣の石川県勢を、そこが敗れればその隣の富山の高校を応援しておりました。福井に生まれて育ち、福井の高校を全力で応援するのは全く当たり前のことでした。ですから、僕にとって高校野球は父に素直につながるものです。父のように生きたい。父を亡くしてから、そう思うようになりました。
 今年は1978年以来の暑さだったそうですね。私はその年、東京で医学書の出版社に勤めておりましたが、給料が少なかったので扇風機も買えず、窓はあっても隣の壁で塞がれており全く風が通らない建具屋さんの2階でへばっておりました。ラジオカセットから聞いたことのないような早口の歌が流れ、しかしそのメロディは私の心に響き、「江ノ島が見えてきた、俺の家も近い……」というくだりで涙が流れ出し、汗と鼻水と混じり合い顔がべとべとになりました。「勝手にシンドバッド」で、サザンオールスターズがデビューした記念すべき夏だったのです。翌年私は勤めを辞め、小樽にまいりました。
 1978年の夏の思い出はこれだけですが、それでも私は人生には何回かの猛烈に暑い夏の日があって、そしてそれをつなぐ日々があると思っております。

小樽に来てから、サザンの札幌公演は欠かさず行ってました。道新ホールとかでやってたときからね。もっともここ数年は、チケット買えなくなってしまいましたが。
クワタはワタシのイッコかニコ下。クワタには負けられん(何様?)と、いつも思っております。
今年の北海道は、まだまだうすら寒し。暑くなれよー、夏!