よもやま日記

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文責/市立小樽文学館・玉川薫
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12月28日
■ことしのウチの開館日は残すところあと1日。年末年始といっても、「貫く棒の如きもの」ですけどね(この「去年今年貫く棒の如きもの」って、虚子の真意は奈辺に?解るようでよくわかんない俳句だ)。
この日記を読んでくださっている方は、どちら方面まで広がっているか私はよく存じませんが、私ども小樽市の職員がいまどのような財政状況のなかで仕事をしているか、ネットで公開されているこれは、とても分かりやすいのでみておいてください。
もちろん大波小波がこの弱小文学館をも揺さぶろう、あるいは呑み込もうともするわけで、私たちはその上下動のなかで目を凝らして〈反射的にその中から変化の兆候を発見し、それを過不足なく正当に解釈評価〉していかねばならない。
私は小学校の通知簿の成績は決して悪くありませんでしたが(小・中学校あたりまではね)教師の所見欄は散々。消極的・内向的・リーダーシップ欠如……。
先生の所見は実際たいしたもので、私自身ずっと自分をそうだと思っていた。いや、実際そうなのだろうけど、最近ある人から「タマガワさんはものに動じないね」といわれ、え?そうなの?また「持ち前の行動力で」などといわれ、え、そうだったの?
そういわれれば、かんたんにその気になってしまいます。どっちでもいいんだろうけどね。

ホームページの「こっち向いて笑って」ボタンをクリックしたら(何なんだこれは?って思ってた方すみません)〈最近の風景〉が出てくるようにしました。近ごろ、〈いちばん美しかった〉小樽風景です。

12月26日
■JJ's Cafe のクリスマスディスプレイも撤収し、ちょっとさびしい。千葉さんと北さんは、雪をテーマに飾りたい、っていってる。雪ね。私はトシのせいもあって、年々冬も雪もおっくうになってきている。子供のころは雪が好きだったな。私の郷里の福井は、今はそれほどでもないようだが、以前はしばしば豪雪に見舞われた。そういうときの雪の降り方は、ほんとうにシンシンと降り積もりこの世の全てが真っ白に埋もれていく、って感じで、深い眠りとか、あるいは死に引き込まれていくようなね、安堵感が。
ただオトナになれば、翌朝の雪かきが、って現実に引き戻されますから、アンドの深みに落ち込んでいくことがなかなかできません。

今でも、雨降りは好きだな。で、すぐに思い出すのが植草甚一氏の『雨降りだからミステリーでも勉強しよう』。タイトルで選ぶなら、文句なく10本の指に。
これも、「雨降り」が、家にこもって、という連想を呼ぶからでしょ。

というところで、Majicoのオリジナルメンバーの一人だったミノちゃんが。ひさしぶりだね。「カムバックだよ。学校には行ってたけど、ほとんどヒッキー状態だったから」。そう。私自身もMajicoのときに、初めて理解したんだけど、ここは学校でもなく家でもない場所。パソコン、古本、コーヒーだけで、〈なかば〉引きこもることだってできる場所。子どもの居場所づくり、って文部科学省に今さらいわれるまでもなく、ね。

で、JJ's Cafe のミニ展示のテーマができました。「雪降りだから(JJ's Cafe で)ミステリーでも勉強しよう」。トミタさんも、植草甚一氏の感化で海外ミステリに興味でてきたらしいし。

12月25日
■日々、愉快もあれば不快もある。誰でも同じことだが、小路君には気の毒しちゃったな。自由に出入りさせてもいいんですか、って、いいに決まってるじゃないか。小路君がこれまでひんぱんにやってくれてたボランティアの仕事には、私が黙っていても、みんな感謝してくれていると思ってた。いや、感謝しているだろうけど、その重みがね。受け取り方に差が出てくるのは仕方ないのだが。まあ、黙っていても分かるだろう、ってのは管理職としては失格なのかもしらん。
柚木衆三文庫は、本来市民共有の閲覧自由な文庫として開設されたものだ。ただ、常時人を配置させておくことが現実的に不可能なのだから、理念と実際はすぐに食い違ってしまう。
だから、私はこういうように諄々と説明をしていけば良かった。小路君はボランティアで「柚木衆三文庫」の管理人をしてくれることになった。だから、小路君がいるあいだは、他の利用者も出入りはフリーとなる。小路君には、こちらからそれをお願いして引きうけてもらったのだ、ってね。
でも苛つくな、多少ね。いちいち説明しなくても分かってくれよ、って、ね。いや、それがダメなんだな、反省。きりがないな……。小路君は気分を害しただろう、当然。小路君のようなボランティアを一人確保することが、どんなにたいへんなことか、いや、きりがないな。
科学館との合同企画、部長から鼓舞激励されましたよ。じっさいに嬉しそうだったし。私は単純だから人が喜ぶと、人が喜ぶことを話すことができると、嬉しい。いや作業に入っていくと必ず軋轢は出る。それは絶対に出る。駄菓子菓子(ひさしぶりだな)軋轢が出ないと問題が見えない。問題がみえないと思考できない。軋轢ないところに進化なし。矛盾論実践論だな(懐かしいね)。

12月23日
■先日、ひょんなことからかつてある特務のため特殊な「学校」で学んだという人に会い、話を聞く(というか聞かされる)機会がありました。奇怪な謀略、奸計渦巻いていた時代のことで、その機関のやってきたことなど九分の狂(凶)気、一分の理、っていうくらいのものでしょうが、ただその「学校」の校是が、「独断専行臨機応変」というものであった、というのに私は一瞬驚き、けれども、いたく納得してしまいました。組織にあって組織になじまず、孤立しても瀬戸際までしのぐ技を体得する訓練を徹底的にたたき込まれるわけですね。
目的が消滅しても、この「手段」は生きるな、と私は胸に畳んだ次第。この「学校」ではまた「関心は現地における人、物の〈動きのパターン〉の理解に集中した。それを実感として理解することで反射的にその中から変化の兆候を発見し、それを過不足なく正当に解釈評価できるような自己を訓練することが目的であった」「レポートは必ずしも詳細丹念であることを要しない。むしろ、どちらかといえばその逆である。十枚の報告書よりも三行の走り書きが推奨されることがしばしばなのである。形式でもない、量でもない、むしろそれらを軽蔑する、「質」=「価値」=「機能」だけがものをいうのである」というような証言もあるらしい。しつこく繰り返しますが、その目的は消滅して然るべき、あり得べからざるもの。けれどもその「戦略」は私のなかに刻み込まれてしまった。当の90歳近いオヤジさんが、私の目の前で水平開脚前屈して胸を床に密着するという信じがたいストレッチをしながら喋るという衝撃にも多分にあずかったのですが。
とりあえず、やや物騒なこの話題からは離れますが、きょうは後藤一秋さん、水口忠さんが続けていらして、みなさん、この文学館が立ち上がったときから直接間接に関わっておられた方々、つまり第一世代の方々で70歳から70代半ばになっておられる。で皆さんのご懸念はこれからこの文学館をサポートしていくべき第二世代第三世代の「空白」。もちろんそのご懸念は、私も共有。第四世代たる富田さんや小路君のボランティアは心強いけれども。
そこで、私は思い立ちました。あまり表立ちはしませんでしたからほとんどの方はご存じないでしょうが、〈第一期文学館〉のカナメ中のカナメだった方。いまでも私が心から尊敬している数少ない(失礼)公務員中の公務員だった人。ひょっとしたら、これからのキーパーソンになるかもしれぬ方。その人に、久しぶりに会いに行きます、明日。

独断専行、臨機応変。ん、お前が何をいまさら!って?

12月19日
■ひさしぶりに休みをとって、街を歩いた。12月10日の本多さんの講演が終わったあたりから、気温が緩んで街のなかは雪解けでグジャグジャで、いつも以上にみすぼらしくみえる。

本多正一さんと奥さんと玉川知花さんを案内した12月9日の夜の小樽は、ほんとうにきれいだった。この時期としてはめずらしいくらいに冷え込んで、さらさらの雪が風に舞い、ほどよくライトアップされた石の建物も静まりかえって、靴の音だけがキュッキュッと鳴った。みんな、喚声を上げたよ。私もこんなキレイな小樽をみることは、年に何回もないように思う。これも中井英夫さんからの「奇跡の贈り物」だったのかも知れない。

きょうは、とくに目的もなく街を歩いていたのだが、まず駅前の靴屋に入った。本多さんがいらしたときは北海道の寒さに驚かれたのだが、私が心配したのは足元のことであり、これを前もって注意しておくんだったと悔やまれた。本多さんはバランス感覚がいいらしく、わりあい危なげなく歩いておられたけれど、やはり一、二度よろめかれた。
道外の人が冬の北海道を訪れられるとき、まず注意すべきはぜったいに足元だ。スケートのリンク状態になった歩道を歩いた経験は、北海道以外の人はほとんどないだろう。人にもよるだろうが、運動神経の鈍い私には、25年経っても慣れることのできない恐怖だ。ましてお年寄りにとっては、これは深刻な問題で、詳しくは知らないが冬道で転倒し、ケガをされて入院、なかにはそれによって寝ついてしまうことになった高齢者も少なくないのではなかろうか。

で、靴。凍結した道路を安心して歩くことのできる、何なら走ってもだいじょうぶな靴。冬道で走るのはバカかもしれないが、時と場合によっては駆けなきゃなんないことだってあるのだよ。
北海道で売ってくる靴なら、みんな滑らないんじゃない、ってのは実状知らぬ人のいうことで、私は改めていちいち靴をひっくり返して底を調べたのだが、どれもこれもイマイチ信用できない!たいがい「この靴は冬道でもだいじょうぶです」とうたっているのだけど、それも説得力不足。そのなかで見るからに、またタグに書かれている説明も、バツグンの説得力をもっているのは、小樽の老舗の、かつてゴム靴を専門に作っていたメーカーのものだ。ウマの顔をみっつならべたマークのやつね。私はこれを欲しいと思ったのだけど、どういうわけか男物の靴が店頭にないんだね。ゴム長と婦人靴ならあるのだけれど。
私は考えたのだが、北海道というのははなからいろいろハンディを背負ったところだ。ただそれを承知で、この地で長く生きていくために何をどう工夫したらいいか、とある種の覚悟を決めた人たちは、必ず優れた成果を出す。つまり北海道(小樽なんかまだいいほうだ。零下20度30度っていう環境でだよ)で、靴としての機能を十分に果たす靴なら、こりゃ全国どこでもどんな状態でも機能する靴だろう。
これって、いわゆるユニバーサルデザインに通じるものだと思う。ハンディがあるから補償してくれろ、てんじゃなくて自分で工夫して克服してみせる、って。それはユニバーサルに強力だ。

ここで私はとっぴに有島武郎のことを思うのだが、有島武郎の文学は北海道精神の支柱みたいにみなされることがある。私も有島武郎の文学も人格も立派だと思うし、いろんな側面からの批判があるとしても、農場解放とそれに伴う一連の行為も立派だったと思う。
ただし、有島氏自身が「生まれ出づる悩み」の主人公のように生きたわけではないし、「カインの末裔」にもなれはしなかった。作家にそんなことを望むのは筋違いもいいところだけど、私は突然思い出したんだ。「カインの末裔」のモデルと目される人物が、その後小樽に住み着いて板金屋さんになり、ストーブの煙突の「エビ曲がり」と呼ばれる部分を発明したって聞いたのだが……。記憶違いかな。でも、これこそ「カインの末裔」にふさわしい生き方だと思うのだね。

きのうは、さらにブラブラ歩き続けて、最後にマイカル(この名前定着してしまった……)の巨大観覧車に一人で乗って、うちに帰って亀井館長が北海道新聞に寄稿した文章を読みました。これらのことについては、またいずれ。

12月14日
■製本教室のとりあえずの目標『雪明りの路』が完成しましたよ。初めての題簽貼りでやや苦戦。でも、どこからみても立派な本です。水口先生も「丸背で作ってるんですか」って感心しておられた。ここまでやったら、表紙カバーとか帯とか函とかね、どこまでも凝りたくなってくる。二月、「小樽・雪明りの路」のときにお披露目しますよ。工程も含めて。それから、これは何のために始めて、これからどうするのかということも、その機会にご提言したい。
無事に一冊作り上げた大学生の小路君が、ひとしごと終わったあとに柚木衆三文庫の本棚見回して「ハイ、質問」。いつも手を挙げて質問するね、行儀がいいな。何だい。
「この部屋(柚木衆三文庫)で、本読んでてもいいですか」。いいよ、もちろん。そのための部屋だもの。「冬休み暇そうだから、読書して過ごそうかと」。いいよ、もちろん。柚木さんの蔵書は、珍しい本は少ないが、まことにオーソドックスな文学書揃いだ。異端、サブカル、趣味の深みにはまるのも読書の醍醐味だろうが、とりあえずその入口はほとんどここにあるといっていい。いい冬休みになること請け合いだよ。
で、その小路君と富田さんと、それからさらにひとしごと、ふたしごと。おかげで、一気に片づきましたよ。ちょっと気になっていたことも。
二人みてると強く思う。最強のボランティア=最良のユーザーだって。う、ランクつけるなって?でもね、どんどん使ってもらいたい。〈そのうえで〉どんどん進言してもらいたい。その〈進言〉が具体的な行動になれば、もう強力なボランティア活動だ。
何度か申し上げているけれど〈アタマで作った文学館〉からのご提言は、私の胸には届きません。

帰ってたまたま「情熱大陸」というドキュメントをみておりましたら、伊勢崎賢治さんという方のお仕事ぶりが紹介されてました。すごい、としかいいようがない。恥を申しますが、こんな仕事を請け負ってる人がいるなんて、知りませんでした。そして、何でこの人がこんな仕事を任されたか、短い番組でしたが解ったような気がいたします。
「平和はいいですよ、平和ボケなんて、平和を貶めるようなことをいってはいけない。ただ〈平和〉は稀なことだ、ということです」「いちばんだいじなこと?できない約束はしないことです。結果として嘘になったら、すべてが崩れる」「信条?人に披露するような信条はありません」。うーん、うまく伝わりませんね。ちょっと前の本だけど、大岡玲さんの書評で、伊勢崎さんの〈凄さ〉が少しは伝わるかも。

軽いいいかたで気が引けますが、私はこの人の顔に感銘した。マユは八の字。淡々と聞き役に徹して。ほんのときおり「トホホ」といったため息がもれるだけで、また気を取り直して淡々と。

私はね、これは体験上いうのだけど、まなじり決した人は、〈しょっちゅう〉そういうお顔をしている方は、信用しません。

12月13日
■埠頭の倉庫のひとつに組まれた映画「天国の本屋」のオープンロケセットに今使われている本は、ほとんどが小樽文學舎に寄付された古本。観光課でフィルム・コミッションを担当している加賀さんから頼まれた。で、そのかわり、というより、プランがあったらむしろ積極的にあの場所を古本市その他のイベントに使ってくれって。うーん、それは楽しそう。一石で二鳥も三鳥も落とせそうな。ちょいとアタマ使えばね。
古本市だけじゃ能がないからミニコンサートでも。「小樽・雪あかりの路」のときにまた一般公開するらしいから、これに便乗しまして、など考えておりましたら、今晩あそこでライブコンサートが、ってニュースが入ってきました。
先越されたな。7時くらいから?え?10時?朝からやってるの?夜の10時?えー?夜の10時から一晩中?今の明け方って、マイナス10度近くじゃないですかー。

「雪あかりの路」のとき、暖房ってどうするの?加賀さんは、手とかお尻とかあぶる程度ですよ。外の寒さよりはマシかな、って程度。そうか、じゃ、一時間くらいが限度かなー、って思ってたから、きょうの夜通しコンサートにはマジびっくりです。

それでさっき、準備中のところを様子をうかがってきました。みんなでお尻をあぶりながらジミに一晩がんばるかのかな、って覗いてビックリ。うわー、これは本格的でした。楽器、PA、照明だって電源ほとんどないからね、発電装置も重装備。ステージもガンガンライト当ててましたよ。簡易トイレまで持ち込んだのか。朝までだからね、そりゃそうか。
忙しそうな主催者の植村さんつかまえて、聞きました。お金掛かってますねー、お客さん入りそうですか?はいってもらわなきゃ困ります。そりゃそうだ、聞くまでもなかったね。

でもね、覗いてみるまで、一晩中勝手に使わせちゃうなんて、観光課オウヨウだなーなんて私も小役人根性。でも見てびっくり。元気いいじゃん、若い人たち。がんばってますじゃん。

これみたらチマチマした書類のやりとりがどうのこうのなんて、いや大事じゃないとは言い切りませんが、ねえ、まずはやる気でしょ、このやる気を見習わないでどうしますかって。

え、コンサート本番は行かないのって?いやその……、このトシであそこで朝までは……。明日も仕事だし……。ウチはウチの身の丈にあわせて……。軟弱。

12月12日
■今年2月にいらしたノーマフィールドさんは、「すきま風の入ってくるような文学館の古い建物が私は大好きだ」と書いてくださっていたように思うが、もうJJ's Cafe のカウンターに一日坐っているのはたいへんに寒いのだよ。だが、ここでいちばん寒いポジションに私がいなけりゃ、誰がいる。などと意地をはっていればそのうち身体を壊すだろうから、私はZippoのHandywamerというものが欲しい。

きょうは科学館へ行って来て、宮澤賢治のミニ展と、プラネタリウムのなかでのオルガンコンサートのプランを話してきた。旭さんも乗り気になってくださったと思う。オルガンは明治末期の国産の西川オルガンで、高さ1メートル、幅70センチ、49鍵の可愛らしいオルガンだ。いまどき足踏みオルガン弾いてる人もいなそうだが、小樽の古い教会ではいまでもこの手のオルガンを弾いておられるとのことで、きのう公園通教会へ行ってきたところ。
宮澤賢治が音楽好きなのはよく知られているが、なかでも讃美歌が好きであり、賢治の教え子だった方が、このように書いておられる。

 ……それから間もなく北上川の岸に出て、イギリス海岸の白い岸の上に、二人は腰を下ろしました。黒い夜の川は、魔物のように流れている気配です。川中の波が時々音をたて、渚にはひたひたと小さい波が音をたてています。月影はそれらの波にキラキラくだけ、どこか別の世界へ来たような気分さえするのでした。
 そんな風景を前にして、先生は自作の詩のいくつかを実にいい声で朗詠されるのでした。川をへだてて向こうを見ますと、そこには胡四王山が月の下に眠っております。山頂には、丈高い松が群立しておりますので、月の明るい空にそれが黒々と見えるのでした。あたりの草や、丈の低いかん木を見ると、みんなそれぞれ黒い影を岩の上に落としています。
 先生は自作の詩の中に、たまたま讃美歌を交えて歌われました。
「沢里君は讃美歌を知っているだろう」
 そうおっしゃって私にも歌わせます。

山路こえて一人行けば/主の手にすがれる/身はやすけし/
松のあらし谷のながれ/みつかいのうたも/かくやありなん

 とくにこの歌は幾度歌ったかしれないほどでした。
 夜露も降りて大分夜もふけ、星のまたたきがあまりきれいなので、今度は岩の上にあお向けに寝て、とりとめもなく話される先生の話を、夢うつつの思いで聞いていたことも、今は遠い昔の事になりました。それから、その夜はどこへも行かず帰路につきました。
 お別れする時に先生は、
「寂しいときは、妙法蓮華経普門品第二十五を誦するのがよい」
 と、申されました。また別れて帰る時の私の後の方で、何だか合掌でもなさるような様子でした。私はしみじみもったいないと感じたものです。

まあ、いまだったら少しアブナイ先生あつかいかも。じっさい、この教え子だった方のご子息に私はおめにかかったが、「オヤジは賢治さんにすっかりのめり込んでしまって家の仕事は何にもしないで、楽器いじったり歌唄ったりばかりしてた。とくにイヤだったのは、ふつうにしゃべってるのに突然、突拍子もない奇声はりあげたり、飛び上がったりするのがね、ありゃ賢治さんの妙な癖がうつったに違いないな」とのことでした。
それはともかく、プラネタリウムではありますが満天の星の下、古い小さなオルガンで昔の讃美歌とか「星めぐりの歌」とか聞いたら、賢治先生にはまり込んだ生徒さんの心持ちも解るんじゃないかしら。ちなみに私も「山路越えて」は大好きです。

12月10日
■印象的な話は、繰り返されることでその印象はいっそう克明になり、忘れがたいものになっていく。そして、不思議なことに必ずその話は繰り返される。

きょう本多正一さんが最後に流した中井英夫の録音テープ。いつ放送されたラジオ番組なのか。葡萄の話だ。中井英夫が最も愛した果物。録音テープの中井英夫は、淡々と葡萄をめぐるあれこれについて語り、旅の記憶を語り、そして終わり近くに思い出したように、中城ふみ子のことを語った。中城が亡くなってまもないころ、真夏の東京の八百屋の店先で黒い葡萄を見かけた話だ。振り返ってみると葡萄は何ごともなかったように、真っ白な皿の上に静まりかえっていた。真夏の白々とした光のすべてを吸い込んだ影のように。「まもなく何もかもが過ぎてゆく、風のように」中城の手紙の一節が蘇る。

きょうの本多さんの話は良かった。いつもながら満足な広報もできなかったけど、四、五十人は来てくださったように見えた。中城、中井それぞれコアなファン(「身内」を除いて東京方面から駆けつけられた方が少なくとも3人いた)がいてくださったおかげでもあるけど、その方たちを取り込めることも含めて、もうこれはウチの実力だろう。そう申し上げてもかまわないだろう。
そのコアな方々が集まってくださった「打ち上げ」は楽しかった。私が座ったあたりを境に、中城周辺、中井ファンがはっきり別れて、それぞれに濃くって。ツイテイケナイ、でも楽しい。
昔(いつだっけ)青山出版のヨシモトさんにいわれた。「ヌマタさんもタマガワさんも茶人、でもタマガワさんはイイヒト、バランスとれてるから」
ヨシモトさん、するどい。私だって自覚してる。イイヒト、のニュアンスは、女性がドーデモイイ男性を評する「イイヒト」とほぼ同値。ヌマタさんはどこまでも「風流」を追求するアーチストであり、私は「風流をある程度は解し、ある程度のおぜんだてはできるが」〈しょせん〉公務員だ。でも、〈だから〉私の仕事は私にしかできないよ。

うーん、またひとやま越えたかな。しかし〈ちょっと〉息が切れるぜ。

12月9日
■明日、中井英夫の話をしてくださる本多正一さんは、昨日私の家に泊まり、今日、私は公園通教会の西岡牧師に電話をし、科学館のプラネタリウムでやろうとしている宮澤賢治のミニイベント、足踏みオルガンコンサートのことをお話しし、文学館の近所の利根表具店を訪ね、製本のクロス装に使うハギレをいただいてきた。昨日、小路君が「銭湯研究会」に参加したいと言ってきた。これは博物館の来年の「銭湯展」を勝手にバックアップしようとしているんだ。さっき、あがた森魚さんが突然入ってきて、これから「カフェ・ミカーサ」に行くんだという。南米ドミニカに移民し40年住んで、小樽に戻って喫茶店始めた人だ。今週のうちに「韓国文学シンポジュウム」の報告書を入稿し、館報をとりまとめ、私は非力ながら縦横に意識を働かせている。昨日、白樺文学館の佐野館長が館に立ち寄られた。海外からの若い研究者を受け入れるサポートを、ぜひさせていただきたい、と仰っていただいた。文学館は難しい、でも意義ある仕事だ、相談に乗りますよ、といってくださった。

私の考えていることは縦横に走るよ。世間がポジティヴモードに浮かれているとき、ポジティヴシンキングなんて、誰でもヘラヘラと口に出来るだろう。ネガティヴモードがジリジリ続くときに、何で「今はじっと息を殺して」などという。「身の丈にあったことをほどほどに」などという。あなたがたには「自分の身の丈」が見えているのか。見えてるつもりなのは、自分の身の丈の二回りも三回りも小さいサイズじゃないか。堅実といいたいんだろうが、ただの怠惰だ。「じっと堪え忍んで」動かずにいる、ことがどれほどの浪費か考えたことがおありか。
二回り小さい身の丈に合わせて、更に三回り小さい身の丈にあわせて、じっと息を殺して、ああ、あなたの姿は芥子粒のようにみえるよ。あって、ないように見えるよ。

動こう、やろう。ちまちま考えてんじゃないよ。

私らは、走りながら考えるんだ。狭い事務机の上でキーボード、ポツポツ叩いて、狭い事務机の上をこじんまりと片づけて、時計を見て勤務を終えて、可笑しくないか、笑えてこないか。

楽しいことをやろうよ、速度をどんどん上げようよ。できないはず、ないじゃない!

12月2日
■東京の小林多喜二シンポジウム、盛会でした。それは、文字どおり、驚くほどの盛会で、盛会過ぎるくらい。とまどいを覚えた方も、少なからずあろう。私もそうだったし、私とは違う感覚で、戸惑われた方もありましょう。

ただし、私は、これも、じゃなく、これで良い、と思った。外見は、今までと同様、今まで以上の「まつり」でありましたが、今までの「まつり」とちょっと違い、大きく違うところがひとつ。継続し、展開する、と宣言されたこと。私は、そこに期待をかけるし、可能性は生まれている、と思った。キーは、やはり海外の研究者、それも若い人たち。

東京の小林多喜二シンポジウムは、何十年も変わらなかった、変われなかった、変えさせなかったものと、おおかたには思いもよらぬ、新しい息吹が同居しておりました、盛大にね。それが「戸惑い」の正体。

がんばれ、白樺文学館、多喜二ライブラリー

日記のタイトル、もとに戻してしまいました。今後ともよろしく。