よもやま日記

過去の日記へ

文責/市立小樽文学館・玉川薫
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2月29日
■科学館の賢治展、無事終了。コンサートも良かった。科学館のスタッフも、ほんとうによくやってくださった。
自信過剰、といわれてしまうかも知れないけれど、私はもちろん予想しておりました。うまくいく、と、いうことを。確かに説明や打ち合わせが十分だったとは申せませんが、でもどんなに上手に説明しても、やってみないことには、もっと正確にいうと終わってみないことには分かってもらえない、ということも予期しておりました。さすがに25年も、これをやってきてますと、もうそれは確信してる。
確実にワクは広がった。今年に入って、まだ2カ月だけど、確実にワクは広がっています。でも、時間はないんだ。
来週から、始めますよ。本気で本気の、ここの命運を定める、つぎの一手を。

明日ぐらいは、休もうか。

2月28日
■昨日うかがった我孫子の白樺文学館の印象。思ったよりこじんまりしておりました。でも、とてもていねいな作り。すみずみまで、暖かい手触りが伝わってくるようです。あらためて驚いたのは、専従のスタッフは一人もいないのですね。スタッフは副館長の渡辺さんをはじめ全員、まったく無給のボランティア。器より人、とはどこの文学館、美術館でもいわれることですが、人の質、ということでしょう。器を作った人、器のなかのものを集める人、器とものをだいじに育てていく人。原点です。
きょうは、ウチでもたくさんのボランティアが集まってくれました。少し早めの雛祭り。昨年から始めた抹茶とお菓子のサービス。これは職員の山崎さんがはりきってくれまして、お手伝いのボランティアの方々と、心を込めたお点前です。
製本教室は、新しく二人加わってくださった。札幌からきてくださった方は、以前に活字文化の衰退というようなお話を聞いて、自分でできる本作りをやってみたい、と思いたち、札幌のカルチャー教室をひととおりさがし、東京の製本教室にまで電話していたそうです。そこは、ひと月に一回は必ず東京に来ること、そして入会費は五十万円!
札幌のかたから、小樽文学館なら何かやってるかもしれないよ、といわれたそうで、今朝、電話をいただいた。びっくりしたのは、ほんとうに製本教室をやっているということをご存じじゃなかった。しかも月一回の例会、しかも装い新たにスタートする日が今日。偶然にしては、できすぎ。
製本教室、強力なボランティアに育っていきそうですね。月に一回、かたちが目に見えていく、というのは大正解だったかな。
きょうのボランティアの人たち、ありがたい。だって、私はほとんどお世話をしていないもの。自律的なボランティア、これが育っていったらすごいな。ここがほんとに共有されていくということだ。それが、つぶされない、つぶれない、唯一の道だ。

2月20日
■22日の科学館プラネタリウムでのコンサートだけれど、いつものことながらPRに手が回らず、事前の申し込みはとっても少ない。きょう、ステリアコーラスのメンバーのうち、10人程とオルガンの中村さんが科学館に来てくださって、進行や照明の打ち合わせと、軽く音出しをしてみました。
すばらしいです。あのね、泣きます。プラネタリウムコンサートって、最高の贅沢ですね。なぜか。あたりまえなのだけれど、全席リクライニングチェアなのですよ。背が120度ほどに倒れる座り心地の良い椅子で、星空を仰いで聴く。普通のコンサート会場ではありえない。出演者に失礼だもの。でも、プラネタリウムコンサートなら、そんな気遣いもいらない。無窮の宇宙で、100年前のオルガンの音色に耳を傾ける。たった一時間のミニコンサートですが、ゲダツしちゃうかも知れません(冗談!)。とにかく、2月22日(日)午後4時30分、および2月29日(日)午後4時30分。定員40人、先着順ですよ。チャンスは2回、体験しなければ悔いが残るな。
ホームページの「こっち向いて!笑って!」アイコン?を「カメラ日記」にリンクさせました。まことに他愛ないものですが、しばらく続けてみたいと思います。

2月19日
■小林多喜二秋田展、きのうオープン。初めてテープカットというものをさせていただきました。今までやってもらったことは、たくさんありましたが。
スピーチも求められて申しあげましたが、このようなことで喜ばれるなら、ほんとうにトランク二つほどに資料詰め込んで、どこにでも行きますよ。
まえにも書いたかも知れないけれど、いっそ「小樽文学館セット」というトランクを作ってみようか。小林多喜二だけじゃなく、そうね、石川啄木、小林多喜二、伊藤整、小熊秀雄、並木凡平、岡田三郎あたりをコンパクトにまとめて。「小樽文学館スペシャルブレンド」のコーヒーセットも、もちろん、付録で。
何もご奉仕するだけではなく、伺えば伺ったなりの成果は必ずあります。第一にPR。それから第二に予期せぬ出来事。今回も、ひょっとしたらひょっとする発見ありましたよ。それがほんとうにひょっとするかどうかは、また後日。
所沢とか、大館とか、秋田とかでは、まあ遠来のということでもありましょうが、小樽文学館の、ということを最大限に強調してくださる。いっぽう、今月に入って続けて行った地元での活動は、あえて小樽文学館の名前は強調しておりません。「天国の本屋」ではまことにささやかに、ガンガン市場では名前も出していないし、小樽市青少年科学技術館との宮沢賢治展では、もちろん合同展と銘打っているのですが、メディアでは気に留めていただけなかった。もっとも読者の立場、つまりは一般の来館者からみれば、どこが主催だろうが合同展だろうがどうでもいいことで、やっている場所がわかればそれでいい。
この間、科学館で旭さんと少しお話ししたのだけれど、科学館のスタッフは、やはりだいぶ戸惑われたようです。通常、科学館の展示ではパネルの文章ひとつでも全スタッフの合議を繰り返し行って、吟味するということで。それで、規模の大小にかかわらず初めて、「小樽市青少年科学技術館」という、いわば署名をすることができるということで。
そうか、それがスジだろうなあ、と私も思いつつ、でもそれでは正味一カ月足らずの準備ではとてもできない。ズサンなことをしているつもりはありませんが、「合議」に半年もかけていては、少なくともウチの感覚では何もできない。
何だかまとまりませんが、この間、小樽で館をはみ出すようなことをやったり、秋田へでかけたりして考えたことは、「署名性」を、ある意味侵犯するような「無署名性」の行為。これはインターネットの、リスクと裏腹の革命性にも通じるようなことかも知れない。
繰り返しになりますが、このたび科学館で行ったことは、そのつもりは全くなかったのだけど、結果として文学館の無署名的な行為が科学館の署名性を動揺させたかも知れない。ガンガン屋台でやったことに至っては、はなから誰も署名性など問題にもしていなかった。けれども確実に文学館がやったことが刻印されている。
何でこんなことダラダラ書いているかといいますと、先日の東京でのシンポジウムでも、このたびの秋田の展覧会でも若干懸念されたのですが、小林多喜二の文学を、従来の政治的文脈から解放したいと願うあまり、けっきょくは(無難な)文学的文脈に読み替えてしまうということで、これは小林多喜二たちの苦心を無にしてしまうことかも知れないな、と。露骨な言い方すると、プロレタリア文学は、もう誰からも見放されてしまったのだろうかと。
そこで鮮烈に思い起こされるのが、昨年、ノーマフィールドさんが小樽文学館で講演されたとき、前フリのような恰好で亀井秀雄館長が語った「小林多喜二の『テガミ』─壁小説の実験性」。また、読みなおしてみたのですが、やっぱり一読三嘆、再読六嘆。亀井秀雄氏、過激!です。「世界を変える」かも知れない行為、「世界を変える」かも知れない文学。それは、やっぱり、あり、かも知れない。まだまだ、突き詰めて考えていけるかも、知れない。

2月16日
■「小樽雪あかりの路」も終わり、私のきょうのやることは、明後日!の小林多喜二秋田展の準備と、ガンガン屋台と「天国の本屋」のウチが噛んだ部分の撤収、それに北間先生からせっつかれている今月の製本教室の版下づくり。
文学館へ向かう途中で、「叫児楼」さんに立ち寄り、お疲れさまでした。「はい、お疲れさま」。「叫児楼」さんのものはいつ撤収されますか。「明日やります。けれども、あれだったらいいんですよ」。え?ほんと?で、「叫児楼」さんの一言が、市場のこれからをちょっと左右することになったかも。
午前中に小林多喜二の資料のトランク詰めを始め、中断して中央市場に。おや、誰もいないな。どうしようか、と思っていたら向こうからワタナベさんが。市場は、すっかりもとに戻すんですか。「いや、まだ今後のことははっきり決めたわけじゃないんだけれど」。「叫児楼」さんは、こういってましたよ。「え、ほんと?それじゃ、皆さんに相談してみるよ」。で、事態は原状復帰から急転直下で、何とか残す方向でガンバることに。良かった、良かった。さすがに話が早いですね。
でもとりあえずは返すものはいったんお返ししなければ。市場組合事務長の佃さんに車出していただいて菊地さんの絵をお返しに、ついでに「天国の本屋」に持っていってたガラスケースも文学館へ。一汗かいたあと、積み残したものをこんどは独りでジャイロで再び菊地さん宅へ。もういちど「天国の本屋」の倉庫へ向かうころには日もすっかり暮れて、倉庫のまわりも暗く静まりかえっております。一軒煌々と明るいところがあり、おや、まだ作業をやってるのかな、とのぞき込んだら中古車がなかにずらりと、そして外国の船員さんらしい方が数人、あわわ、これは隣の棟でした。「天国の本屋」は、カギがかかっているな。さすがにもう撤収済みでしょう、と思ったら明かりが漏れてる。反対側に回ってみると、カギがはずれています。なかをのぞき込んだら、今回PA、照明関係、おそらく場内演出もすべて任された「山電」さんが、すわりこんで細々した機材を解体したりなさっていました。お疲れさまです。「ええ、お疲れさまでした」。ご縁があったら、いずれ一緒ににお仕事を。「ええ、ぜひ」。
宴の最中に一生懸命お仕事に打ち込む人は偉いが、宴の終わった後、最後の最後に一人黙々と撤収する人、私はそういう人を心から信頼します。
市場に回収し忘れたものを取りに行ったのが午後7時近く。きのうまでは恐らくいちばん盛り上がってた時間なのだろうけれど、きょうはもうすっかり屋台以前の市場に戻り、ほとんどのお店がシャッター降ろしてました。まだ開いているのは後かたづけをなさっているらしい魚屋さんと、そして今回の屋台の総責任者でもある若い理事長さんのお店だけ。理事長さんが驚いたようにこちらをみたので、私も慌てて頭をチョイ下げて。
文学館に戻り小林多喜二資料をトランク二つに詰め終わり、やっと製本教室(次回は並木凡平歌集『赤土の丘』です)版下作りに掛かりましたが、思いのほか、手間取り、ついに午後10時でギブアップ。北間先生に電話してお許しを。「しかたないね。無理するんじゃないよ」。はい。明日は5時起きか。秋田の佐藤さん(最近、私の周りにサトウさん、ワタナベさん、たくさんいらしてときどき混乱する)正直な人みたいだ。「デスマスク、出していただけるんですか」。もう、とっくにお約束してますが。「ええ、でも小樽文学館、デスマスク出さないんじゃないかって」。え?「いえ、何かと雑音も」。雑音ねえ。そうした「雑音」めいたことを見聞しておくのも、けっこう大事だったりしますのでね、どんなかな、小林多喜二秋田展。ご報告は、19日に。

2月14日
■小樽市青少年科学技術館との合同企画展「宮沢賢治と星と鉄道」今朝、ぶじオープンです。きのうお昼ごろ、会場設営の作業をごらんになった科学館の館長さんは、えらく不安げでしたけれど、〈ウチの常識〉では、順調すぎるほど順調な作業の進捗。渡辺真吾さんが科学館の工作室で、ウチの廃材を使って作ってくれた「銀河鉄道の客席」も軽便鉄道の模型も、田中真理さんが作ってきてくれた「銀河鉄道の夜」の切り絵も(走馬灯式の影絵では、その繊細な美しさが滲んでしまうのがやや難ですが)、おみごとです。
そしてみんなが嘆声をあげるのが、やっぱり田中さんが考えて作ってくれた、鉄道模型を走らせる「台」ですね。深いブルーに満天の星空、そこに科学館のスタッフが下から照明を当ててくださいました。それは息を呑むほどほど美しい、「銀河鉄道の夜」そのものです。
きのういちばん難航したのは、私が録ってきた「銀河鉄道の車窓」のビデオ画像の処理。DVDの画像に書き出して、DVDに焼き付ければいちばんなのですが、科学館のパソコンではパワー不足で、東山さんが何度もトライしてエラーのくりかえし、ようやくとりあえずビデオCDに焼き付けることができました。もとの画像がブレボケなうえに、書き出し方式の問題でえらく粒子が粗い画面になりましたが、それがかえって幻想的な効果が、と私は強弁。でも科学館の人たちは、もういちどやってみますよ、と言ってくださった。
それもこれも含めて、きのうは共同作業やってるよな、と実感。作業中に何度ものぞき込む小学生たちに大鐘さんや、中野さんが「明日からだよ、楽しみにしといで」と優しく声を掛けるのも、私にはとても新鮮。
ほんとにささやかな一歩ですけれど、今回の「合同企画展」の意味、小さくはないと思いますよ。

2月12日
■科学館では、〈助っ人〉渡辺真吾さんが「銀河鉄道」の列車の座席を作ってくれている。青少年科学館と文学館の史上初めての合同展(ささやかですけども)「宮沢賢治と星と鉄道」、もう明後日オープンです。この古びた列車の座席に掛けていただくと「銀河鉄道」へ旅立つ仕掛けね。当然、夜行列車だな。窓の外に流れるのはどこまでも深くて昏くて果てしない夜景。え、もちろん流れるのですよ。ベニヤで作った列車の窓からその夜景が。これは、数年前の展覧会、「伊藤整・青春のかたち」で、塩谷から小樽までの通学列車を文学館内に走らせた、あれの応用ね。私がビデオカメラもって、夜汽車に乗って窓の外撮してくるの。あは、シンプル。
もうチャンスは今夜しかありませんから、時刻表しらべて17時24分発の列車に。小樽─札幌間じゃあないよね。反対方向だ。然別行き、ってヤツ。然別?行ったことないな、でも、おそらく雰囲気。やっぱりね。どんどん人家が少なくなって、ときどき滲んで流れる黄色や橙色の燈。風に舞う雪。駅員さんが所在なげに佇む小さな駅。「銀河鉄道」って夏の話じゃないか、って?関係ないね。時空を超えた物語だ。白鳥ステーションが、然別駅でもいっこうかまわず。で窓硝子にビデオカメラのレンズを押し当てて撮影しておりましたら、「お客さん、終点だけど降りるのかい」って車掌さんが。あら、気がつけば車両のなかには私ひとり。「降りるのかい」って、終点だから降りるしかないですが。確か30分くらい待てば、小樽行きの列車があるはず、って、慌てて降りたら、あれ、この駅出口がないです。すっかり雪に埋もれて、人の足跡もみえません。小さい駅舎が反対側に見えますが、こっちのホームからは人家の明かりもみえませんが。どーしよ、どーしよ、って、でもどうでも良くなってしまった。降りしきる雪のなか、ひとりホームに佇んで、私は駅灯や向こうの駅舎にカメラを向けておりました。うん、まさに銀河鉄道の旅だ。小樽からたかだか40分ですけれど。いい絵撮れたと思いますよ。ちょっとピンボケだけど。

ね、明後日から。科学館へいらっしゃい!

2月11日
■さきごろ、ある方より、小林多喜二旧蔵らしい阿部次郎著『三太郎の日記』を小樽文学館にご寄贈いただきました。現在中央官庁にお勤めのその方は、北海道でのお仕事のついでにお立ち寄りくださったとのことで、私が製本教室版『雪明りの路』の展示のために行っていた「天国の本屋」倉庫まで、わざわざ来てくださってその本を手渡してくれました。小林多喜二がこの本を愛読し、著者阿部次郎を尊敬していたことは知られており、確か自分の卒業論文の写しを送って批評を求めたことがあったはず。ずいぶん前の小林多喜二展のときに、その手紙をお借りしに、仙台の阿部次郎のご息女の家まで伺ったことがありました。
私は倉庫の前で、さっそく本を開かせてもらったのですが、ひとめで小林多喜二らしい筆蹟の書き込みがいくつか見つかりました。ただ明らかに多喜二ではない人物の書き込みも多数あり、つまりこの本を小林多喜二は古本屋で求め、もとの所蔵者の書き込みにさらに自分の書き込みを加えたものと思われました。
経緯を亀井館長に話し、この本を渡したところ、一週間ほどして、「とてもおもしろいよ」とのこと。亀井秀雄氏がいわゆる「肉筆資料」に興味を持つのはめずらしいな、と思ったのですが、亀井氏はこの本が小林多喜二旧蔵であることの実証とか、小林多喜二が書き込んだ内容というより、活字本に自らの手で何かを「書き込む」という行為そのものに関心を示したようす。「江戸時代の版本は、いろいろな人の書き込みが加わることで新たな価値が生じ、それが流通するということがあったんですよ」「明治になってからの活字本の欄外の注釈というものは、それの変形だともいえるのです」「〈書き込み〉に価値が生じ、それがある種の権威にまでなることは中世からあったでしょう」。
そうだ、私が学生のころやった(やる羽目になった……)中世の漢籍の訓点本、あれももとは先生の講義を聴いていた弟子や学僧の、ま、いわばズルだったわけだ。私たちが英語の教科書に訳文を鉛筆で書き込んでしまうようなもので、それよりはもう少し賢い坊さんたちは、自分で考え出した符号を書き込んだわけですね。漢字のまわりに朱で点を打ったり、一、二と意味をとるために読む順番を書き込んだり、さらには漢字の一部から記号を作ってみたり。
この漢字のまわりに打った点は「ヲコト点」といいまして、例えば漢字の左上隅に点を打ったら「……ヲ」と訓む。また右側のまんなかあたりに打ったら「……するコト」と訓む(だったかな)という約束。これは今ではもう誰も知りませんが、一、二とか、片仮名の「レ」に似ている返り点は、まだ漢文の教科書に生きていますね。さらに漢字を省略したりその一部から作った記号、すなわち片仮名そのものは、日本語の表記方法としてすっかり定着したわけです。この漢籍、つまり外国の文献に訓点を打つ行為、これそのものがやがてある種の権威を持ちはじめ「訓詁学」という学問にまでなりました。
「〈小林多喜二の書き込み〉に注意を奪われてしまうと、不特定多数の読む対象となった文学の意味が狭くなります」「ある文学作品に接した無名の読者と小林多喜二と、それを差別しない観方があるはずだと思いますよ」「それこそ、こうした文学館ならではできぬ研究かも知れないね」。
「もうしばらく借りますよ」とのこと。うーん、楽しみですね!

2月10日
■これは「夢であいましょう」に、のっかるはずの投稿だし、いずれそっちに載せるんだけど、先にここでご紹介します。

立春もすぎたというのに、北海道はまだまだこれからが冬本番ですよね。7カ月の次女が先月インフルエンザにかかってしまい、外へ出るのがすっかりおっくうになってしまいました。それでももうすぐ3歳になる長女は「どっか行きたぁーい」とヒマをもてあましています。吹雪いていても、2児を連れて遊びに行けるステキなところ……それは文学館!近くて安くてコーヒーのみながらインターネット見放題。ゆったりのんびりできる私の隠れ家なのです。長女は「ブンガクカンにスタンプしに行きたーい」と。この間スタンプで遊んだのを覚えていたようです。時々子どもゆえ場にそぐわない大声を出し他のお客様にごめいわくをおかけすることもあるかとは思いますが……場にあった声の大きさや行動を身につけさせたいと思っています。親子ともども努力しているつもりですが、目に余るようでしたらつまみ出して下さい……。
明日からは雪あかりの路ですね。いつもは日没後外に出ることはありませんが、明日からは毎日ちょこちょこと外へ出て雪あかりを楽しみたいと思っています。H16.2.5 K.K
P.S.明日は長女の3歳のB.D.です。○が上手にかけるようになっておもしろい絵をいっぱいかいてくれるようになりました。

「夢あい」は宛名のない手紙ですからね。これも、誰にあてるでもないお手紙。私はこうして読んでいるわけですが。この親子づれは、いたいた。ほんとに上の子はときどき大声出して走るし、赤ん坊は泣くし、若いお母さんはときどき子どもを叱りつけながら、インターネットに夢中の様子で、私もカウンターのなかで、ま、ときどきはね、眉間にしわが寄る。でも、あとで、「夢」のメールボックスからこれを見まして、うん、しかたないな。つまみだすわけにはいきませんが。この親子をつまみ出してたら、古本武闘派オヤジはもとより、「さすらいのピアニスト」もMajicoの中学生も、みんなつまみ出さなくてはならなくなり、そしたら「いまの文学館」ではなくなってしまう。いや、昔の息を詰めたような緊張感がいいんだ、という人もおいでかも知れませんが。私は「吹雪いていても、2児を連れて遊びに行けるステキなところ」を守りたい。

一昨日、久しぶりに来てくれた富田さんと、「天国の本屋」の倉庫に行ってまいりました。初日よりは人が来てましたよ。それでみんな楽しそうだった。きょう聞いたら、ガンガン屋台はすでに数千人の来場、「天国の本屋」は数百人とのこと。でも、いいじゃないか、ね。こんなに寒い冬の夜の小樽で、賑やかなところも静かで夢のようなところも、それぞれに、いいじゃない?
14、15日の夜は、やりますよ。ミニミニの古本市を「天国の本屋」でね。ビスケットとコーヒーぐらいお出しますからね。

2月7日
■ガンガン屋台、昨日無事オープン。大盛況だったですね。まずは良かった。ガンガン屋台は良かったんだけど、もうひとつ気になっていた「天国の本屋」ロケセット公開している第二埠頭の倉庫会場。入口まで誘導するキャンドルのちょっと心細げな明かりをみて、もうなかの様子は想像できました。うーん、やっぱり……。客は私を含めて3、4人。なかで説明したりビラを配ってるボランティアかな、その人たちのほうが目立つくらい。でもみんな一生懸命の様子。
私は思ってしまった。ここでイベントするのはツラいな、って。私の脳裏に、今あそこで一生懸命チラシ配ってる人たちと、「ウチ」のボランティアと私自身が重なってしまったんですね。「きっと、いたたまれないだろうな……」、と。それで、14、15日にやろうと思っていた倉庫での「古本市」、中止しようかと、もう今日にでもその旨、ボランティアの人たちにお知らせしようかと。で、そのことを富田さんにメールで諮ってみました。
富田さんは遅い仕事の帰り、9時近くに倉庫に寄ってくれたようです。その富田さんから返ってきたメール。

「天国の本屋」倉庫に、そんなにたくさんお客を集めなくてはならないものかと、個人的には思うのです。
倉庫にいた係の人はどういう関係の人かよく知りませんが、一生懸命やってたし、何か単純に参加したいなと思い、さっき日曜にお邪魔することを言ってきました。
雪明かり全体としても、土日の明日からが本番ではないかと思うし、日曜は僕一人で何とかなるので、明日だけでもボランティア2・3人でいいから、なんとかもたせられませんか?そして14日はdjが音鳴らすみたいだから、大々的にやらなくてもいいんじゃないですか?

「何か単純に参加したい」。これだよね。これが原点だったはず。正直いうと、「傷深めないうちに撤退」なんて、飛んでもないこと思ってしまってた。同じ「小樽雪あかりの路」の目玉イベントだった「ガンガン屋台」に比べて、「勝ち組」「負け組」なんて、イヤな言葉まで連想してた。
そうだよね、「そんなにたくさんお客を集めなくてはならないものか」だよな。
参加しよう、つながっていこう。

あああ、ニンゲン的に及ばないな、石川さんにも、富田さんにも。ちょっと自己嫌悪に陥るな。

2月6日
■ガンガン部隊ブースは、博物館の石川さんが仕上げてくれて、とっても良くなった。石川さんもいってたけど、かなめはホンモノのガンガン以上に、同じく白老の資料館が持っていた写真だね。ガンガンのおばさんたちが群をなして、プラットホームから向こうのホームまで平気で線路を横切っていく風景。なるほど、これでガンガン部隊のいわれが分かる。恰好や何かを説明されても、ほんとのところはよく分からないんだよ。こっちに貼ってある当時の新聞記事は、交通記念館の佐藤さんが見つけてくれたものだろう。その記事に「傍若無人な」と書いてあるよ。これこれ、これがガンガンのスピリット。
私たちが座らせていたおばさんの人形も、石川さんが見事にガンガン一式を背負わせて立ちあがらせていた。この仕事、石川さん一人でやったって?「きのう、8時までには終わらせて、博物館へ帰ってキャンドル作りました」。……石川さん、ボランティアだよね。「学芸員って、どこからどこまでが仕事の時間、って線を引くことできないと思います。ここに展示する写真を見つけても、その時代考証のために別な写真をみつけだすのに時間が掛かる。傍証のための写真は別に展示をするわけじゃないけど、自分の気が済まないし、いつか役に立つことですからね」。本当だね。
ガンガン屋台、無事オープン。盛り上がってましたよ。30年代の部屋に上がり込んで、もう一杯やってるらしい伊藤一郎さん。「よう、元気かい。風邪ひかないかい」。この部屋はウチが手伝ったんですよ。「ふーん、よく出来てるねえ」。……苦労したとも何ともいわず、やることやって淡々と引き上げていった石川さん。ウチがやったと言わずにいられない私は、まだまだ未熟な学芸員だ。

2月5日
■午後小路君といっしょに、「天国の本屋」ロケセットが組まれている第二埠頭の倉庫に。製本教室版手作り『雪明りの路』展示のためのもの積んで、車がないから台車にね。こんなとき超ミニのリヤカーがあれば、いいね。倉庫はまだ寒いし暗い。二、三人で、電気関係の工事らしいことをなさってましたが。明日オープンだよね。私たちも途方に暮れるぞ。そうこうしているうちに、観光振興室(フィルムコミッション)の加賀さんが来てくれて、ようやくケースの位置などを決めることができました。

夕方になって、田中真理さんがガンガンの衣装を揃えて来てくれた。で、そのまま市場へ。市場組合の事務長の佃さんも、市場の方々から借り出してくれていて、事務室で衣装をつき合わせて、何とか二人分を揃えることができました。真理ちゃんが「明日、タレントさんに着せるのは大丈夫ですか」。ワタナベさん「僕はまったくわからんよ。セイちゃんが分かってる、っていってるけどね」。ああ、サトウさん。「もっとも、セイちゃん、ときどきいなくなるからな」。田中さん「サトウさん、何だか怖くて。質問しても、いつもちがうこと考えてるみたいで」。ワタナベさん「いいヤツなんだよ、あれで」。けっきょく、タレントさんの着付けには真理ちゃんが立ち会うことに。

そのワタナベさんに「タマガワさん、プリンタ用紙代いくらくらい掛かりましたか」。3000円くらい、細かくいえば3200円ですが。「うーん、200円ねえ」。きついみたいですね。「200円、300円のせめぎあいだからね」。たいへんですね。「これだもの」って、サトウさんが仕込んだらしいあれこれを目で指しながら。あとで、思ってもみなかった請求書がどっと届いたりして。「それはさせんよ、それはいちいち釘をさしてる」。なるほどね、ワタナベさんとセイちゃん、いいコンビネーションだ。

サトウセイちゃん、文学館の力作を見せてもとくに感心した風もない。もう次のことを考えているようだ。はは、ちょっと私に似てるな。あっちこっちで波風立てるタイプだな。でもね、こんどのガンガン屋台、オノレの小樽的、市場的センスを信じて突っ走るセイちゃんの強引とがむしゃらがなかったら出来なかったよ。それは「間違いない」。

2月4日
■ガンガン屋台も余日はあと二日。この時期になってくると、ちょっとした思いこみの食い違いから、ささくれだってきたりもする。
ワタナベさんから電話。「テレビ局で、オープンを生中継してくれるんだけど、そのときタレントさんが二人、ガンガンのかっこうしてくれるんだって」。あー、そうですか。「タマガワさん、前に自分たちでそういうかっこうする、っていってたよね」。初めのころにね。人形に着せるより、スタッフがオバサンになってうろついていたほうが面白かろうと。「じゃ余分に服装あるよね、タレントさんたちの分を揃えなきゃならなくて」。ないですよ、前掛けとかモンペとかは二、三人分あるけれど、足りないものもある。「あるって言ってたじゃない」。けっきょく人形に着込ませたからね。それに、スタッフもそんな恰好してたら面白かろう、というのと、タレントさんのために二人分揃える、ってのはレベルが違うよ。「何とかなりませんか」。タレントさんが来るまでに揃えればいいのかな。と、脇からサトウさんが、「早く用意してもらってよ、きょうでもいいよ」。で、ちょっとコチン。無理ですよ、私物でもないんだし。
午後から菊地義美さんの絵を借りてきて、またまた小路君といっしょに市場へ。ガンガンブースと、30年代の部屋の欄間を仕上げてきました。ワタナベさんがいましたので、タレントさんの服装は、こっちで無理そうなものをそっちで用意してもらい、何とか明日中に揃えましょう、ということで合意ね。こうやって顔をあわせて話しあえば何てことない。これがケータイだと少し角が立つ。メールだと、なおささくれる。
もうテレビ局の取材が入ってて、記者の取材に市場の組合の事務長さんが、市場の歴史のこと、ガンガン部隊の時代のことをキチンと説明なさってました。それ横目でみながら、ウチの展覧会なら、こういう取材受けるのはオレの役目だなーなどと。いや、当たり前だと思ってたからね、仕事だと。でも、何となくさみしい。ガンガンブースも30年代の部屋も、せめて設営担当;小樽文学館って入れたいね、って話してたんだけど、こりゃ〈市民あげての手作りイベント〉の一環で純ボランティアだからな……。……でもね。

なるほどね、製本ボランティアの人たちが作った手製の『雪明りの路』。ひとつ、物足らぬところがあります、とおっしゃった水口先生。「奥付がほしいですね。そこに造本、装幀担当の方のお名前が入るといいでしょう」。そうですね、ボランティアといえど、自分が関わったっていう、シルシはね、これはだいじだ。

明日は、「天国の本屋」ロケセットで、製本ボランティアの人たちの作品の展示作業だ。これから奥付作ろうか。それにしても、雪、やまないかなあ。

2月3日
■きのうは田中真理さんと北さんに手伝ってもらって、ガンガン部隊ブースの設営がほぼ終了したのが午後10時、市場では試食会をやっておりましたが、メニューひととおり味見させていただく余裕はありませんでした。でもガンガン鍋、おいしかったですよ。
午後から始めた作業だけれど、菊地義美さんの絵を壁一杯に拡大したプリントを刷り出すだけで5時間30分もかかってしまった。プリンタくんもお疲れさまでした。
きょうは、最近またよく来てくれている小路君に手伝ってもらって、北さんの車でベンチとストーブとスポットライトなどを運び込みました。ストーブは、伊藤整旧蔵!です。
北さんと小路君を先に帰して、スポット点灯(スポットの電源、いくらさがしても見つからなかったんだけど、天井から下がっているヒモを引っぱるんだったのね。市場らしくていいな)、の瞬間、さっきから私の作業を見ていた市場のお兄さんが、「ほおッ」と嘆声。ちょっと目をあわせて、ニヤリ。この瞬間、疲れが飛ぶんだ。

「ガンガン部隊」の写真借りるために、大石章さん(だいぶ前の館長です)にピッチで電話したら、「何やってるの?」。ガンガン屋台。「どっから電話かけてるんだい」。市場からです。呆れられたようですね。「ま、風邪引かないようにね」。はい。