|
5月24日
■シンクロニシティ。ひさしぶりに思い出しました。この言葉。ユングの提唱した共時性原理なんて、まあ、理屈としては何回聞いても飲み込めない。要するに偶然とは思えない偶然は、実は必然的に起こる、というようなことで、やっぱりよく分かりませんが、実際にそういうことがあるのだから仕方ないですね。
きょうは月曜日で休館日。古本を置きに、朝から「天国の本屋」倉庫へ直行。館にもどって、山中恒さんの「少国民文庫」からお借りする資料のリスト作り(お宅に行くの金曜日ですからね、遅れるにもほどがあります)。忙しい、忙しい原因の大半は私のタイム・マネージメント(そんな言葉あったっけ)が、なってないことにあるのですが。
で、そんななかに「きょうNPOの勉強会があるんだけど、興味あったら来ませんか」って。そりゃあるに決まってる。でも何で急にさ、何で月曜日に?などと、ややむくれながら2時に会場へ。
お話してくださったのは、道立市民活動促進センターの東田さんとおっしゃる方。
行ってよかった。ほんとうに。分かっているつもりで、分かっていなかった。目からウロコが3、4枚落ちました。
NPOが法人格を得ることの、決定的なメリットは、の私の質問に、東田さんのお答えは簡単明瞭。「その団体のメンバーであることに誇りを持てる、胸をはってそのように公言できる、そういう団体として公認されることです」。
ああ、考え違いをしていたよ。目的がぼやけていた。じゃあ、簡単じゃないか。いや、簡単じゃなかろうけれど、歩くべき方向は決まってるじゃないか。
(いや、理念は理念でね。現実には、こんなこともあるだろうし、ああも考えられるし)
いいよ、ゴタク並べてても、残るのは議論してる、ってカスみたいな自己満足だけだ。私思うに、「議論」と呼ぶ価値のある議論は、抜き差しならない抵抗、摩擦が生じるものだけだ。
何が、シンクロニシティ?明日が総会だよ。「小樽文學舎」の。
5月23日
■一週間以上前に、すでにシリに火がついているのだけど、その間少しも特別展準備はかどらなかった(泣)。きょうは、私は休みの日曜日なのですが、当然のごとく文学館に出ました。家のものは、みんなで芸術の森美術館(ゲーモリなんて略してくださるな、美術館関係の皆様、ほんとにね)の「作家からの贈り物展」みにいったはず。私も、これはゆっくり観たかったんですけれど。
気は焦る。焦るときに北間先生が飛び込んでくる。「文美室」の、こわれた蛍光灯が気になったんですね。あれを壊したのは、この私。ペンキ塗ってるときに、脚立をぶつけた。それはそうなのですが。一箇所だけだから、まー、気にならないといえば。
「いちばん奥の器具と取り換えましょう」。器具だけ外れるようにはなってないみたいですよ。「コードは切って、つなぎなおしましょう」。そうですか、危なくないかな。「だいじょうぶです。玉川さん、きょうの予定くるったんじゃありませんか」。(はい……)いや、じゃ、やりましょう。念のために配電盤の電源を切っておきますね。ん、似た名前のが3か所あるな。たぶん、これね。
北間先生が、さっさと照明器具を取り換えているあいだに、私は富田さんと「文美室」の看板とりつけ。看板っても、100円ショップで買ってきたミニまな板に、家の娘に蜂の絵描かせたものですが(こっち向いて笑って参照)。
そんなことやってると、通りかかった夏秋さんが、「文美室のひとつ奥の、こんど美術館の仮収蔵庫にした蛍光灯もスイッチが入らなくなってしまって」というお話。それを聞きつけた北間先生、「直りますよ、直しましょう」。夏秋さん、「いえ、ちょっと開けてみたのですけど、無理みたいです。こっちのよりも古いタイプだし」。北間さん、「直せます」。夏秋さん、少し困った風でしたが、収蔵庫開けてくれました。北間さん、すぐに分解、スイッチ部分さらに分解、また分解。「おっと、ビリッと来ましたよ」。あわわ。
私、もいちど配電盤に。うーむ。一つの部屋みたいだけれど、ここは配電二つに分かれてるのですね。もう一つのヤツが、こっちの電源だな。
「うん、だいじょうぶです。はい、これでどうですか」。パチパチ。見事つきました。配電の経路も分かったしね、北間先生、人体実験に使っちゃったけど。
後で夏秋さん、「北間先生って、電気のお仕事なさってたんですか」。いや、フツウの先生。とりあえず、自分でやってみる、っていうタチの方みたい。でも、確かに、自分でやってみて、ほんとに出来ない、ってこと、そんなには、ない。ただし、ほとんどの人が、まず自分でやってみましょう、って考えない。例え、けっきょく出来なくても、そのことさえ理解しないまま人まかせ、業者まかせ。
この私も、蛍光灯は北間先生に任せてしまったけれど、そのお陰で1階の配電の経路、理解した(爆)。
まあねえ、北間先生、ほんとに凄いし、こういう人がいなければ、ボランティアのグループが自律的に活動継続する、ってありえないんだけど。ただ、私がイメージする、おそらく近い将来(一年先か、あるいは数ヶ月)迫られるであろうウチのさらなるスリム化(これ以上スリムにしようがないのではありますが)。そのときに残る少数精鋭。それは何でもできる、とはいわない、少なくとも何でも自らやってみようとするスタッフだ。それは、ワタシの仕事ではありません、みたいな顔をする人は、いていただく余地は、ちょっとキビしくなってくるだろうね。
5月22日
■「古本武闘派オヤジ」(武闘派でもないんだけれど)のSさん、しばらく顔を見せません。顔をみなけりゃみないで、少し心配。
この「古本武闘派オヤジ」さんとともに、いつしかウチの常連さんとなった方のお一人に「さすらいのピアニスト」と、私たちが呼んでいた人がいます。
そもそも文学館内になぜピアノがあるかということですが、もちろん買ったモノではありません(キッパリ)。以前、市内のある方から、お嬢さんが使っていたピアノだが、お嬢さんも嫁がれ、家ではもう弾く人もいないので、何だったら要りませんか、とお申し出。喜んでいただいたアップライト・ピアノです。見た目、そんなに古びていません。鍵盤叩いてみても、音程はずれていませんでした。「もうずいぶん長く弾いていないんですけどね」、とご家族。
それでいただいたピアノが、いまは「夢喫茶」に常駐しております。もうひとつ、小さな足踏みオルガンもあるのですが、これは正真正銘年代物。科学館との共同企画「プラネタリウムコンサート」で感動の音色を響かせてくれたのは記憶に新しいところ。
「夢喫茶」には、つぎのように書いております(私が書いたのですが)。「コーヒーを召し上がるなり、古本を読むなり、オシャベリをするなり、オルガン・ピアノを弾くなり、ご自由にお過ごしください(ただし、他のお客様にはご配慮のほどを)」
と書いてあっても、いきなりオルガン・ピアノをバリバリ弾き出す人は、ほとんどおられません。なかにおそるおそるポロポロ・ブウブウと鳴らしてみる方がおられる。「さすらいのピアニスト」さんも、初めはそのようでした。けれども、だんだん力を込めて弾き出された。聞きなれたメロディーに華やかな装飾符をつけたアレンジ。私たちも思わず耳をそばだてました。弾き終わったとき、思わず拍手をしたくなるような。
二週間ほどたったころ、この方再びお見えになった。今度はまっすぐピアノに向かい、ためらわずに弾き始めます。一曲、二曲、三曲。このときも、感心したのですが、正直、少し心配になり始めました。他のお客様の心中。それはどんなに上手であっても、ほう、と嘆声を上げ、思わず拍手の一つも、というのは一曲が限度。そして、この「さすらいのピアニスト」さん、確かに上手、けれども弾き方が独特。ひとことでいえば装飾過剰、メロディーは「上を向いて歩こう」だったり「愛の讃歌」だったり、でもそのメロディーも、原曲とは少し違う。その「少しの」違いが、繰り返し聴かされると、だんだん気になり始めるのですね。察するに、まったくの我流、独習。もちろん、それはそれで偉いな、とは思うのですが。
あるとき、思いきって申し上げました。お弾きになるのはかまいません。ただ、ここに書いてあるように、他にお客様がおいでのときは、できればご遠慮ください。長く弾かれることも。
没頭しておられたらしいその方は、ハッとなさったらしく、小さな声で「すみません」と申されました。私のほうが、あわててしまい、いや、ほんとうにいついらしてお弾きになっても構わないんです。他の方にご迷惑にさえならなければ、と。
その方は、いまも時々おいでになります。受付のスタッフや、カウンターの私と目が合うと、おずおずと「きょうはよろしいでしょうか」とおっしゃる。
いいんです、いいんですけれど……。実は、このピアノ、ほとんど外見痛んでおりませんが、やっぱり長く調律もなさっておらなかったためでしょうが、最近、素人の耳にもはっきりわかるくらい、いくつかの鍵の音程がはずれてきた。
「さすらいのピアニスト」さん、きょう久しぶりにおいでになりました。そうか、気がつけばおいでになるのは必ず土曜日、お昼前後。「よろしいでしょうか」。ええ、まあ。お客様も少ないし……。いつも深くかぶっておられる帽子でお顔はよくみえませんが、表情が輝いたように思われる。一気に、四曲、五曲、六曲。うーん……。
私が考えた対策の一つ目。アコースティックの楽器ですから、音量調節は基本的にできない。そこでピアノの裏に貼る。ウチで何かと重宝するキルティングの布地を重ねてね。
その2。「夢」のプレートに「ただし書き」を加える。続けてお弾きになるのは10分程度になさってください、などと。
その3、展示品につきお手を触れないでください、ん、これは論外。
なぜ、悩むのか。私の思いこみかも知れませんが、この方、かつてピアノを独習なさったことがあるのでしょうが、今はおそらく手元にピアノがない。もしあったとしても、存分に弾ける環境ではない。何週間に一度か、この文学館の「夢喫茶」で弾ける数曲、その20分ほどの夢中の時間。それが、この方にとってどれほど大切なものか。
何いってんだよ。文学館でシロートがピアノ弾くこと自体、ヒジョーシキでしょ、ヒジョーシキ。だいたい何だよ、ご自由にお弾きください、って。
そうね、そう。それが正しい。けれどねー……。「さすらいのピアニストさん」傷つく。まちがいなく、傷つく。
ピアノはね、来月のあがた森魚さんのコンサートで、あがたさん自身がお使いになりたい、ということもあって、札幌の沼山良明さんに調律していただくことにしました。作家の多和田葉子さんとジャズピアニストの高瀬アキさんのコラボレーションのときにもお世話になった、プロ中のプロ。音程はずれの耳障りは、まもなく完璧に解消されるのですが……。
やっぱり、あれしかないか。キルティング重ね貼り。その上で、すみません、ピアニストさん、いつお越しになっても構いません、自由にお弾きください、でも一回二、三曲程度で、お願いしますね。どうか、よろしく。
5月21日
■きょうの小樽文學舎役員会、ほぼ私はしゃべりどおしだったが、理事さんたちの反応、よかったと思います。後半、自分でも舌が回らなくなり始めたくらい疲れてきましたが、とりあえず話しておくべきことは大方触れることができたと思います。美術館の副館長の奥山さんにも同席してもらったのも良かった。後で「ずいぶん、気を遣いながら話してましたね」っていわれましたが、さすがに、良く気がついてくださった。
こんなことでも、ずいぶん大きな一歩だったと私は思っています。もちろん、この次の美術館協力会の総会にも私は末席で傍聴させていただくつもり。
みる人がみれば、はがゆいくらいの進み方かも知れませんが、もう〈ベクトル〉は揺るがない。文学館(できれば美術館も)はさらに、さらにオープンにしていく。いろんな人たちが笑いさざめきながら気軽に自由に出入りする。文学館・美術館は、それらの人たちのもの。それらの人たちの、それらの人たちによる、それらの人たちのための文学館・美術館。目的地のすがた、も、もう見え始めている。
役員会終わってから、文學舎の理事の人たちを「文美室(BB Room)」にご案内、北間先生たちが一足早く仕上げてくださった太宰治『津軽』小樽文学館版も見ていただいた。皆さんの顔が、輝きましたよ。「こんなに立派な本だとは想像してなかった」「いけるよ、玉川さん。文學舎の大きな事業になっていくね」。でしょ、でしょでしょ?
明日、さっそく北間先生たちにこのことをお伝えしなければ。
次回の製本教室は明日(22日)の午後1時30分から。場所はもちろん「文美室(Boom-Bee Room)」。
小路君に掲示板で指摘されてしまいましたが、次回以降、製本教室の日程、作っていく本の予定など、ニュースとお知らせの頁などにアップしていきますね。途中参加、見学、大歓迎です。
「小樽文学館製本工房」本格的に始動だな。
5月20日
■「文美室」の話題ばかりで申しわけありません。明日、小樽文學舎の役員会というものを行うのですが、ふつうそうしたことには1階の研修室というところを使います。けれども明日は、もう別のことに使われることになっていて、仕方がないので館長室を使わせていただこうか、と思っています。亀井館長は、そうしたことにはまったく文句は言わない人ですが、ただ10人以上入るとやっぱり狭いですね。
それで、ここぞとばかりに文美室。「Boom-Bee Room」まだ未完成ですが、半ばお披露目をかねて、ここを会議に使ってもらおうかと。
そこで、さっき寄ってくれた富田さんといっしょに、バケツやペンキ缶を角のほうに寄せたり、床を掃いたりしておりました。「市街地活性化対策室」時代に配線された端末に、情報システム課のほうで融通していただいた少し古めのデスクトップコンピュータをつないだら、けっこう快適なインターネット環境もできあがりました。
そんなことをやっておりましたら、また北間先生。製本教室の表紙に使うクロスを持ってきてくださった。知り合いの表具屋さんに頼んで裏打ちをしていただいたそうな。ちょっと高いですけどね、いい色合いだ。これを使うかどうかは土曜日の教室の日に、皆さんと相談してみましょう。
などとやっていると、文美室に入ってきた見知らぬおじいさん。私たちにはお構いなしに、椅子にこしかけ、明日のためにセットしたテーブルになにやら書類のようなものをひろげ出しました。富田さんと思わず顔を見合わせ、首をひねる。まあ、あとで声をかけて出ていっていただこうと、作業を続けていたのですが、やっぱり気になってそばへ寄ってみた。
「どこへ行ったらいいのかと」。え?「誰にみてもらえばいいのか、わからんで」。え?これですか。うーむ、介護保険関係の書類の束みたいだな。えーとね、ここは。いや、困ったな。ひとまず2階へいらしていただけませんか?「階段はたいぎでね」。いえ、エレベーターで、ご案内しますので。
確か、今年異動でウチのスタッフになった大須田さんて、医療保険関係の事務のお仕事もされてたはず。すみません、大須田さん。すぐ事情のみこんでくださった。
気になって、ちょくちょくそっちの方をうかがってたのですが、大須田さん、懇切丁寧に話を聞いて、いろいろ教えてあげている様子。ひとまずホッといたしました。
うーん、ふだん偉そうなこと言ってますが、絶対必要な公務員、絶対に必要とはいえない公務員、ここぞというとき頼れる公務員、ほんとに困ったときに何の役にも立たない公務員。
小林多喜二や伊藤整や、古本やコーヒーや、インターネットについて多少語れるのがいったい何ぼのことか。凹むぞ、私は。マジで。
それにしても、日当たりのいい文美室。作業台兼会議用の白い広々としたテーブルを前にして茫然と座り込んでたおじいさん。実になじむなあ、この部屋に。
Boom-Bee Room の方向性が、かいま見えたような(ほんとうか?)。
5月18日
■きのうの休館日にも、文学館へ出てきて仕事をするつもりでいたのですが、横になったら眠り、起きては少し寒いな、とまたフトンにもぐり、けっきょく一日家で寝たり起きたりしておりました。
これで少しチャージできたのかも知れませんが、きょうは午後3時過ぎてもボルテージが落ちるようなことはなく、今も(午後6時過ぎ)ひたすら文章入力を続けています。もっともボルテージが落ちようが落ちまいが、シリに火状態ですからね、必死、必死。
何をやっているのかというと、特別展「こどもたちの戦争体験」のメダマ(地味ですが)となる昭和15年〜17年の小樽市量徳小学校のあるクラスの学級文集、それをパソコンに入力しているのです。現物は所在不明で、てもとにあるのは水口忠さんからいただいた青焼きコピー。頁によってかなり薄くて老眼めいてきた身には、少々きつい仕事です。
それにしてもつくづく感心する。この時期にこれだけの作文の指導を続けられた先生。書き写していてとてつもなく面白いのかといえば、そうでもありません。指導された先生も、誇張した、奇をてらった書き方は好まなかったようだ。
ただこの文集がとても大切だと思うのは、かぎりなくリアルタイムの生活の実相に近いと思うからです。昭和15〜16年の小学生の生活の。
つまりこの後、戦争はますます激しくなっていく。生活に落とす影もどんどん濃くなっていく。そして終戦。月日が流れ、この文集の執筆者たちは今七十代半ば近くになっておられましょうか。その方たちの今現在の、少年時代の記憶と、この文集そのものとを面会させたい、と考えているのです。
ここからは私の予想ですが、「え、これオレが書いたの?」「こんなだったっけ、この時代?」というような反応があるのではないかと。
その後、「戦争のころの記憶」はどのように変化するか、しないか。それって、何の実験?何の意味があるの?と問われれば、私にもまだ分かっていないのですが。
にしても、時間が無くなってきたな……。
5月16日
■小樽啄木会というのは、全国各地にある啄木会のなかでも由緒も伝統もある会なのですが、なによりもその開放性がすばらしいですね。昨日、第92回小樽啄木忌というのが催されました。45人ほどの方が集まられたそうですが、小樽啄木会というのは、基本的にこの日集まられた方々が会員となるのです。だからメンバーは毎年変わるのです。もちろん、会長さん(現在は水口忠さん)を中心とした事務局(というよりお世話係かな)の人たちはだいたい決まっていますが、あとは毎回来られるリピーターは長年の会員であるし、今年初めて来られた方は新会員。一年限りの会員名簿。
「今回ちょっとお話に興味があって来ただけなんですけど、え、私も新会員なの?」なんて驚かれる方もいそうな。
「ユルすぎて、会の体をなしてないじゃないか」って思われる人もあるかも、だけど。私は好きだ、こういう会。啄木という人に、ふさわしい気がする。
今回の講師もテーマも、またピタリ。ウチではもうお馴染みの、FM三角山パーソナリティー青砥純さんです。タイトルは「石川啄木と昭和の流行歌」。トシ取ればとるほど、石川啄木という明治の青年の器の、底知れぬ深さと広さ、思い知ります。27歳で死んだ人だよ。
すべてから見離された局面で、最後の最後に「ブンガク」がやってくる、というのが何年か前にウチでやった「昭和歌謡全集北海道編」のモチーフだったんだけど、そのブンガクと「啄木」は、ほぼ同義、と言い切ってもいい、と今は思ってます。
岡晴夫さんって歌手がいました。オカッパルなんて愛称もあったそうな。「憧れのハワイ航路」という、これ以上ないくらい明るいノー天気な歌を歌ってくれた人。その岡晴夫さんは実は大の石川啄木ファンで、「運命(さだめ)の子啄木」という岡さんがペンネームで作詞作曲した歌があったそうです。ところがご自分の歌でそれをレコードに残すことなく、岡さんは亡くなられた。その岡さんには、これまた熱心なファンの会があり、今でも活発に活動されているそうな。
昨日の青砥さんのお話の最後に、その岡晴夫を偲ぶ会(だったかな)の会長さん(だったかな)が、特別にご自分で歌った「運命の子啄木」の録音テープが流されました。歌、っても、東京の懐メロ専門のカラオケスナックで録音したみたいだけれど、カラオケ独特、本人いい気持ち、周りは聴いてるんだかいないんだか、の雰囲気もリアルだったりするんだけど、私は泣きそうになった。不覚にも。
実は何人か久しぶりにあった人がいる。その人たちと同席する、一年に一回の小樽啄木会。青砥さんの話。啄木カラオケ。講演のあと、薄曇りのやわらかい陽射しのなか、石川啄木碑まで徒歩5分。碑の前での啄木詩吟。ああ、何もかも、これぞ啄木、って思う。昨年のミニ企画展「啄木さんが、だいすきだ」って、いいタイトルだったんだね。自画自賛だけどね。
5月12日
■きょうも半日ペンキ塗り。で、午後7時にようやく完成!です。きのうと今日は、こないだの祝日の振替休館日だったのですが、毎年この時期の休みは、私は夏の特別展の準備で大わらわ。でも今年はペンキ塗りに明け暮れたな。展覧会のほうも、目前なんだけどね。疲れたけれど、ペンキ塗りも楽しいものですよ。
Boom-Bee Room 、基本的にボランティアのためのお部屋なのですが、ここまで来たら何かの形で広くお披露目したいなあ。開設記念展でもやるかな。
5月11日
■きょうは昼から一人でペンキ塗り(きょうと明日は祝日の振替休館日です。ほんとは、こういうことこそキチンとお知らせしなければなりませんね)。でも夕方までに完成しませんでした。明日も朝からペンキ塗りかな。
『小樽啄木会だより』を届けがてら、のぞいてくださった水口忠さんと少し雑談。JJ's Cafe でやってるミニ企画、「世界の絵本展」の絵本を寄贈してくれた水口さんは、パラグアイのある日本人学校の初代校長先生を務めた方ですが、その学校の校歌は水口先生自身が作詞、作曲は何と山本直純氏だそうです。若い人には馴染みがないかも知れませんが、一昨年亡くなったクラシック界の巨匠です。この世界では割りに早くからテレビのヴァラエティなどにも積極的に出てた人ですね。有島武郎らとも近い親戚で、有島記念館の家系図にこの人の名前を見て驚いた人もいるはず。山田洋次監督の「男はつらいよ」の主題歌の作曲もこの人。ちなみに作詞星野哲郎。名詞、名曲ですねー。
水口先生の校歌の話。そのとき、作曲家の他の候補は、一人は服部良一さんのご子息で、何てったろう、有名な人ですね。でもう一人は何と坂本龍一氏だったそうな。
来年春の「校歌斉唱」展、おもしろいエピソードが一つ加わりました。
日が陰り始めたころ、北間先生が。「たいへんだね」。いやま、それほどでも。「ペンキ塗りは手伝えないけど、これが気になってね」。ああ、その隅っこの洗面台ですか。ひび割れてますね。「取り換えようとおもってさ」。え?「地下に、もっとマシなのが転がってたもの」。え?
すごいなあ、北間さん。もうクルマ解体できるようなレンチ用意してるんだもの。私がチンタラペンキ塗ってるあいだに、あっというまに取り換えてしまいましたよ。
さらに日が沈み始めたころ、播磨君が顔を覗かせた。「まだやってたんすか」。ああ、高いとこだけね。雑になったけどね。「いやあ」。日が暮れたらさ、オレも帰るよ。
5月10日
■ひさしぶりの更新です。何だか最近、午後3時過ぎるとボルテージがいっきょに下がるような。アルカリ電池みたいに。
いやな言葉が跋扈してますね。JIKOSEKININ。どなたかが書いてましたが、「責任」という言葉は本来自分の言動についてまわるもの。あえてその上に「自己」など大書する必要はなし。ボランティアなどその最たるものですが。
もっとも管理徹底された組織のなかでの言動だったら責任は無いのか、といえばそんなことはない。20ページぐらいで頓挫しておりますが(読書パワーも落ちてるなー)「神聖喜劇」の主人公など極限的状況のなかでの言動を、まさに「自己責任において」選ぼうとしている。
自分の言動に責任ついてまわるのは、論議の余地のない当然のこと、ですが、世の中にはその気配も感じられない文章というものも確かにある。つぎのようなものです。
メディアと政治の問題に詳しい……教授は、そのからくりを、こう解き明かす。「政治の駆け引きの中で人質事件が論じられたため、自衛隊の派遣が正しかったのかという議論が隠れてしまった。特に、人質家族が、『自衛隊撤退』を言うと、そこに世間の非難が集まった。本来、人質問題とは距離を置いた自衛隊派遣反対の意見にまで『人質家族と一緒になって騒いでいる』というような逆風をもたらす構図ができてしまった」
その上で、自己責任論にも言及する。「小泉首相にすれば、家族の置かれた状況を利用し、逆に『自己責任』を出すことで自らの責任をすり替えることに成功した」
え、これで終わりなの?この記事……。何を考えながら書いているのかしら、この記事の筆者は。
跋扈と書いたが、けれども、いったい何処に跋扈しているのか。私も先日の「路地裏の探検シリーズ、歩いて回る伊藤整の『幽鬼の街』」で、近所歩いて回るだけだから、いちいち点呼とりませんよー、途中ではぐれても、あとは「自己責任」でね、などと口走ってしまいましたが、何人かの方に苦笑いされただけでした。銭湯でも市場でも散髪屋さんでも自己責任論議など聞いたことがありません。
じゃどこに跋扈しているのか。「跋扈している」と書いてあるところ。活字メディア、もっとはっきり書いちゃえば新聞のなかだけじゃないのだろうか。新聞の論調は、おおむね、「自己責任論」を人質バッシングに直結するな、ということみたい。これには私も大賛成。それなら、そこで提案。もう当分使わぬがよいでしょう、この活字。少なくとも見出しには。実体すらあったのかよく分からない不毛な「自己責任論」など、3日で消えてなくなると思います。
きのうの「BB Room」のペンキ塗り。ちょっとした感動。手伝ってくれたのは、職員の播磨君と千葉さんと、製本ボランティアの長南さんと竹田先生と小路君と富田さん。半ば終わったころには、思わずみんなから歓声が上がりましたよ。あとは、大脚立の上に上って塗んなきゃならない天井近くのとこだけだ。これは明日私一人でチンタラ仕上げるつもりです。「文美室 Boom-Bee
Room」の看板掲げるのも間もなくですよ。
|