よもやま日記

過去の日記へ

文責/市立小樽文学館・玉川薫
直接メールくださるときは、こちらへ。


8月31日
■展示作業は、ウチとしては順調な滑り出し、というべきでしょう。知らない人が見れば、えー、ほんとにだいじょうぶなの、これいったいどんな風になるの?でしょうけれど。

ただいま午後7時44分、こんな時間に私が何をやっているか、それは目録づくりです。二日前じゃん、ということは\ ("\) (/")/(置いといて)、普通の展覧会でもつきものですね、展示目録。でも、今回は多少意味合いがことなります。

こんどの展覧会の展示品、大半は古本屋さんが在庫のなかから出品してくださった、つまり生の商品でもあるわけで、そこが前代未聞。展示即売会じゃありませんので。
ご主人たちが、難色示されたのは当然。だって2カ月間商品こっちに持ってきてケースに閉じこめてしまうのだから。

異議申し立てられたのは客側も同じ。初めにいろいろ教えてくださった三宅さんも、「古本って、手にとって、欲しけりゃその場で買い取ってナンボ、でしょ。ケースに閉じこめといて、どこがおもしろいの?」。ごもっとも。でもねえ、それはできない、なくなりゃ困る。値段も表示、できないな。「欲求不満たまるよね。お店のほうもいい迷惑」。うん、せめてこういたしましょう。展示目録作りますね。お客様は、それを手にとって、展示と照合される。「目録にも値段は書かないんでしょ」。古本屋さんの販売目録じゃなくて、あくまでも展示目録ですからねー。でもね、私、値段知ってます。ある程度。

つまりー、この2カ月間、小樽文学館のなかに(仮設)古本商店街が出現するわけですが、どういうわけか店主が皆留守、そこで不肖私タマガワが(偽)店主になりすます。お値段?まー、こんなところね、なんて。もっとも、(偽)はどこまでも(偽)なんで、本の知識は付け焼き刃。突っ込まれればたちまち、しどろもどろ。とんでもない口から出任せをいっても、(偽)店主だから、しかたない。

そんなこんなで、どうしてもその本が欲しければ、お客様のほうで応分のご努力を。強く願えば、いつかそれが手にはいるかも知れない、というところも前代未聞の展覧会です。

ところで、さっきから店主さんの付けた値段を見ているのですが、なぜこの本がこうで、この本がこうなのか、私には理解できない。一朝一夕に古本屋店主には、なれそうにありません。

8月30日
■今回の古本屋物語展で、どのように組み入れようか悩んでいたお店。業界内外で議論、反発など巻き起こしながら次第に黙視できぬどころか、ほぼメインストリームになってきている存在。
改めて申すまでもありません。その一、ネット販売、それもノー店舗の電脳古書店。どこまでもアナログにこだわろうという古本ファンも、ネット検索、即注文の魅力には背を向けることができない。店にとっても、客にとっても、ここにおいてようやく帝都神保町と互角に渡り合える、などと辺境都市からテンション上げまくっても仕方がありませんが、ところで皆様、そのネット古本屋さんのリアルな生態ご存じだろうか。コンピュータの冷却ファンと、ときおりハードディスクがカチカチと回り、キーボードを叩く音が少しも狂わぬリズムで続き、それを打つ店主の姿は、半透明で、なんて妄想している方はさすがになかろうが、ひょっとしたら、ときどきコンピュータ関係の雑誌でみかける新旧大小のコンピュータに囲まれ床を這う蜘蛛の巣状のコード、ケーブル、さらに平面を埋め尽くす本の山、その山に隠れてじっとり汗ばむ長髪、Tシャツの店主、壁には趣味か商品かコミケで仕入れたコスプレの生写真って、そんな偏見もつのは私くらいか(いや、ウソですよ)。
ほとんどの人は、そんな妄想するわけはない。ひたすら便利、快適なネット買い物。でもね、やっぱりおられるわけです。その運営に試行錯誤、つねに更新の時間に追われながら、何とか工夫を重ねておられる店主が。で、急遽浮上したプラン、会場に再現するネット古書店主の仕事場風景。机ひとつに端末ひとつ。あとはどうしましょう。そこで、ムリヤリお呼びしました。札幌電脳古書業界の雄、角口書店さん。来てくださるのはオープン前日、2日の夜。できるの?って、そりゃ電脳ですもの。
その二、いよいよ登場か。一律定価半額の、チェーン店。そもそも、この商法が札幌で生まれたって、皆様ご存じでしたでしょうか。展覧会にどのように現れてくださるか、それも含めて、また今度、ってあと三日?

8月29日
■今回の展覧会のため、スチールの大型の書棚を何本か組み立てておく必要があり、数日前から北間先生に何度か電話。製本教室を指導してくださる北間先生が、こうしたことも得意、かつ割合にお好きなために、すっかり甘えてしまっているのですが、なぜかこのたびは電話がつながらず。
かんじんなときに、来てくださらないな、などと、お門違いもはなはだしい小立腹。ところへ、つい先ほど飛び込んでこられた。「書棚、気になってね」。大須田さんや、ハリマ君が何本か組み立ててくれました。「そりゃ、良かった。じゃ、残り作ってしまおう」。何回か、お電話したのですが、おいでにならなかった。「すまないね、家のかみさんの母親が亡くなってさ」。え……。「やっと一通り終えたところ」。……。
ここに書いてしまうのは、不謹慎なのかも知れませんが、私の身内にも同様のことがあり、夢書房ご主人のご母堂、そして先日予定していた文学講座が急遽延期となったのは、やはり講師のご母堂が。きょう、さきほど岩田書店さんに寄り、岩田さん出品分搬入の日程たずねたところ、「実は、オジが急逝してこれからの予定を立てにくくなりました」。……。
何かデジャヴめいた思いにかられるのですが、前にもこんなことがあった。やはり何かの展覧会の準備に没頭しているさなか。直接知り合いの方ではないが、その方々の周りの方が続けて亡くなられる、というようなことが。不謹慎、かつ縁起でもないことでもありますが、まったくの偶然とも思えない。いや偶然なのではあるけれど、いやでも私たちの日常、当たり前にノホホンと過ごしている日々の周辺の輪郭は仄昏く滲んでいる。そのようなことに改めて気づかされるのです。
不謹慎に輪をかけるような云いようですが、そんなときの展覧会は、やや異様な熱を帯びる。自力を超えたものの引力が四方に働くような。

話題をかえましょう。今度の展覧会はシリアスなテーマではありません。生マジメ、であるが故にちょっと笑える展覧会。昨日、集荷に一日遅れて届いたのは、さっぽろ萌黄書店の出品分5箱。おそらく今回、いちばん真剣に悩んでくださった(困惑された)古本屋さん。開けてみると、ご主人のメモが。ちょっとネタバレになりそうですが、一部そのままご紹介。
「すべて雑誌です。なにとぞ、悪しからずお許しください。量が不足であればお知らせください。……
もちろんすべて玉川さんにお任せしますが、許されるようであれば、この梱包内の一、別冊宝島『これで笑え』を棚の中心部に差し込んでいただければ幸いです。面出しではなく背が見えるだけで構いません。一、『週刊ポスト』(坂口良子表紙号)、『GORO』(木の内みどり表紙号)については片隅で構いませんが、表紙が見えるようにしていただければ幸いです」。
あはは、こりゃわかる人だけわかりゃいい、って70年代、しかもオタル限定ネタです。しかし、ほんとに皆さん頑張ってくださった。乞う、ご期待、ですね。

8月27日
■古本屋展の、きょうが札幌集荷でした。来てくれた市の車が思っていたより小さめだったので、少し危惧したのですが、そのとおり、午前中4軒分だけで満載に。4軒目は文教堂さんの美園配送センター。こちらも本を超越した在庫の山でとっても面白かったのですが、その話はまた後日。ここでとうとうタイヤの空気圧が危なくなり、運転してくださった大坪さんが、急遽空気の補充に走る。
とりあえず小樽へ引き返し、午後の部は出直すことに。でも、午後の方がもっと多くなる予感。携帯電話で何やら話していた大坪さん、「きょう、もう一台、これと同じくらいの車が札幌へ向かっていて、午後4時には用事を済ませ、空で小樽へ帰るそうです。それにも積んでもらいましょう」。ありがたいなー、この春から実現した公用車の集中管理のタマモノですね。機動力が全然違う。
午後の、じゃんくまうすさんは箱から覗く手塚治虫が楽しげで、ワクワク。市英堂さんは、高札だけじゃあありませんでした。この洋書は何。「これは本ではありませんでね、明治の初めの外国人向けのおみやげ。なかは日本の観光地の立体写真ですね。これがそのスコープ」。わあ。「和本もバラバラじゃ面白味がないでしょうから、和算で揃えてみました」。わあ。「この文書は、幕末、あっちこっちでばらまかれた怪しげな風説の類です」。こりゃ亀井館長が興味を引きそうな。
弘南堂さんは自筆物だけで。「いちども目録に載せたことのないものも出します。秘すれば花、なのかも知れませんが、ずっと秘しておいても仕方がありません」。決して、「お宝」をご出品お願いしていたわけではありませんが、やはりありがたい、その思い。
先日初めて伺ったときは決して愛想良くしてはくださらなかった南陽堂さんも、台車に積み上げてくださった昆虫の専門書。小樽の方が採集したという蝶の標本付き。サッポロ堂さんは14箱!薫風書林さんの箱から覗くハンガーが気になる。「開けてくだされば、わかると思います」。
きょう伺えなかった1軒は、ご主人がおそらく今回の趣旨も含めて、ラジカルに思考検討中。もう1軒は、現実の店頭ではなかなかできない奇想天外なディスプレーを自らなさりたいとのことで。
皆さん、おそらく皆さん自身思いの外ヒートアップしてくださっている。私は、予想はしていたものの、予想を超える勢いでした。

今度は私の番、あは、時間がもうほとんどありませんが、この力投にセーフティバントというわけにはいかないな。三球三振でも、ブン回してみましょう。そして、振り逃げ?

8月25日
■いしまる書店さんに、飛び込み。ロンドンの古本屋Foylesの話。「全部の壁が天井まで本で埋め尽くされている。古本の回廊。近づいてみると、綺麗に分類整理されている。ロンドンに行ったの、20年以上昔の話だからね。今はだいぶ荒れてしまったと聞いた」。日本のFoylesを作りたい、と。「無理だね。もう店舗の時代は終わった。もうこの業界は、店舗はコストに釣り合わない」。在庫品はすべてネットにアップして、必要な古本はダイレクトに検索、即注文できるスタイルは、すっかり普及しました。でも、それではすくい取れない、本と本との間に拡がる曖昧なもの。「そうだな、いい本屋だった」。古本の迷宮、目で追うと、その端は仄暗く滲み闇にとけ込んでいる。「そうだな、もう夢でしかないね」。私は、それでもその曖昧なハザマにこだわりたい。「そう」。

市英堂さん。間口の狭い不思議なビルディング。エレベーターの扉が開くと、いきなり飛び込む古本というより反故紙の山。「絵葉書を出品してほしい、と」。ええ。「絵葉書、だけですか」。え?「古本の世界、奥の深いものですが、その頂点は和本、古典籍。そもそも古書とは和書のこと。それがないのは、物足りないかも」。そうですねえ、どうしても北海道の古本屋さんと和本は結びつかないような、先入観。「そんなことはないですよ、近世の北海道探検を記録した和本など、史料のなかの宝石」。和本というものの、存在も知らない人も。「そうかなあ、神保町の古本屋さんも店の奥に飾っているのは和本でしょ」。そうですねえ、やっぱり和本も欲しいかなあ。「それと、こういうもの。昔のチラシ、パンフレットの類ですね。大福帳とか、これは時代劇でおなじみの高札」。はは、すごいな。そうねえ、これも新刊の本屋さんでは絶対にお目にかかりません。「うちはね、ほんとに反故紙の山でしょ。でも、この棚、この棚、全部整理されていて、探し物もすぐに出せます」。新刊の本屋さんと古本屋さんの大きな違いのひとつ。その外観。古本屋さんは、どうしてもこぎれいな整頓はできない。本、和本、ハガキ、原稿、広告チラシ。吹けば飛ぶような紙切れまで、混然と。「混沌とした世界ですね」。なるほどなあ、カオスから湧き出る未知なる知識。
きょうは、実習生の松村さん同行。帰りがけに、「ありがとうございました。とってもおもしろかった。古文書、って古本屋さんにあるんですね、初めて知りました」。ね、普通、そんなものです。

その松村さん、帰り道に「私、古本屋さんってほとんど入らないけど、たまに入っても見るのはコミック、小説、あとCDかなあ。でも古本屋さんって、本だけじゃなかったんですね。文字が書いてあるものは、みんな古本屋さんにあるんだな」。そうだね、文字があれば、全部商品になる。ここ数年のウチみたいだな。本も文学、おしゃべりも文学、黙っていても文学、それが湧き出ずる場所ね。

懲りずに追記;声高に感動されたり、大書されたりすると、後じさりしてしまうヒネクレた私。でも、これは素直に良かった。浜口京子さんの銅メダル。インタビュアーはいつも紋切り。今、いちばんなさりたいことは?「広々とした海辺の露天風呂に浸かりたいです」。いいなあ。清々しい笑みを絶やさない。そこに無理は微塵もない。インタビュアーはやっぱり型どおり。これからの目標は?「北京を目指して、また初めから」というお父さんを制するように、ほんの僅か沈黙し、すぐに、きっぱりと「アテネだけを考えてましたから、今は何もありません」。あのお父さんが小さく見えました。普通の娘さんが、普通にお父さんを超えた瞬間。全身全霊で娘を応援し、命懸けで支えてきた父親、だから娘はすっと超えてゆかれる。哀しい父親、でも、ほんとう清々しい。アテネの、これが私のベストだな。

8月24日
■不更新記録を更新、って何のことかわかりませんが、ほとんど20日ぶりです。すみません。
おもに私的なことで取り込んでおりましたのは本当ですが、どんなときにでも、日記ぐらいはポツラポツラと連ねていける。ホームページを設けており、日記のページを設けている以上、それは義務でもあると、承知はしているのですが。
書きたいことが、アタマをよぎる、バイクで走っているあいだにも、それは文章にまとまる。書きとめるのは、明日でもいいか、というのが、みんな陥る不更新の罠だな、きっと。

過ぎた日のことを思い出して、書きとめるのは日記とはいえないのですが、15日か、16日だったかな。私のPHSが鳴りました。ほとんど転送メールを見るだけの端末になっているから、鳴るとドキリとする。ドキリとする知らせがあり得る状況だったから、よけいにドキリとする。
「もしもし、夢書房」。ああ。「原稿、20日までだったっけ」。ええ、いえ、もっとぎりぎりでも構いませんよ。「ちょっと遅くなります。母親の葬式を出すので」。……。ああ、いや、それは。「できたら、また電話するから。じゃ」。……。

ずっと連絡とれなかった夢書房さん。今月に入ってようやくお目に掛かることができ、先だって少しゆっくりお話を聞くことができました。
チロリアンハットにくたびれたアロハシャツ。錆びた自転車きしらせながら、飄々と街を走るお店を持たない古本屋さん。ちょっとした伝説に包まれた人ですが、改めて話を聞けば、何も自ら伝説になろうとなさったわけではない(当たり前ですが)。中学生、高校生当時に、ちょっとフツウ以上に本に興味を持ち、東京の大学に行き、神保町に通い詰め、縁あってそのお店のひとつに勤め、故郷にもどって家業を継ぎ、それでも古本への想い止みがたく、思い立って店を始めた。もちろん、商売としての成算あってのこと、でも、そのタイミング、運不運、必ずしも順調とはいえなかった。
そんなに驚くような、そんなに感動的なお話をうかがえたわけではない。ただ、夢書房さん、詳しく話されたわけではありませんが、お父さん、お母さん、心配なさっただろうな、と。家業(市場のなかで靴屋さんをなさっておられた)を継ぐ、継がないで、ときに言い合いもなさったかも知れない、と。

その「母親の葬式を出すから」と、ぶっきらぼうな電話。夢書房さんはね、実は私ともそんなに年も違うわけではない。私同様、フツウの、ちょっと頼りなさげなオジさんです。

でもね、私、その夢書房さんを、小樽文学館のなかの幻の古本屋ストリート、夕焼けに染まった街を小さなシルエットのように自転車で走らせる。そして夕陽に吸い込まれるように、空に飛ばせる。

その展覧会のラストシーンだけは、もうクッキリとイメージしているのです。あとの構成は?はて?

追記;ながく中断しながら、思い出したように書き始めるとダラダラと、これいちばんよくありませんが、ひとつだけ。これはついこの間。小樽市営の斎場で。いわゆるお骨上げをさせていただいたのですが、そこの職員の方の手さばき、所作。私は、ほんとうに感嘆しました。畏敬、というのはこういう方に対して抱く思いのこと。お骨を箸でまとめるのですが、そうとうな早さでそれをしながら、不純物を撥ねてゆかれる。私たちが、どんなにつぶさに間近で見ても、判別がつかないもの。一貫して無表情、まだ熱い鉄板に顔を近づけながら、汗一滴も額に浮かべない。実にすばやい、実にていねいな作業が続く。その時間、さまざまな思いに満たされていくその時間の重み。過度でなく、一分の不足もないその時間の見極め。遺族への静かな、毅然とした指示、身の引き方。
この方、小樽市の職員。私と同じ地方公務員。ここに書きとめておくのだけれど、このような公務員で、このような学芸員で、私もありたい。

8月5日
■多少暑い日々が続いても、寝苦しい夜はない、というのが北海道の最後の美点だったのに。昨夜は一晩中、輾転反側。おまけに夏風邪にやられたらしく、鼻はつまる、身体は痛い、汗は流れる。
床に就く前にみていたドラマ「さとうきび畑の唄」、まことに薄手な作りに唖然。これが芸術祭大賞?「さとうきび畑」は、まぎれもない名曲。このドラマのおかげで、しばらくはそのイメージついて回るのは不幸。でも、やがてまたこの歌だけが生命長らえ、歌い継がれていくでしょう。森山良子もいいけれど、NHK「みんなの歌」で歌った、ちあきなおみが絶品。最初の2小節ほどで、あのドラマの100倍くらいの重みある「沖縄戦」の濃い陰が、胸の深みを通り過ぎていきます。
こういうドラマを見ていると、ある小説家のお書きになった、小林多喜二とその家族をモデルにしたフィクションを連想します。両者に共通するもの。メッセージはあるが、リアルがない。

体調すぐれぬせいか、苛つくことが多いのだけど、長嶋ジャパン、っていったい何。長嶋茂雄氏、石原裕次郎氏、彼らを貶めるつもり、まったくないけれど、彼らが英雄だったのは、もう遠い過去の話。全世代に共通するヒーローなんて、マスメディアのなかだけに横行する幻想。
いま私の身内が入院している病院の、脳梗塞などの治療を受けている人たちの病室。そこの長嶋世代のオジサンたちの間でだって、発病した時点で監督交代するのが当たり前だろうさ、などと交わされる。これが世間の常識、というものでしょう。
日の丸にタマシイ込めた書き込み、とか、号泣しながら女子バレー選手にインタビューするアナウンサーとか、湿っぽいプチナショナリズムが垂れ流されるのか、と思えばまた鬱。見なけりゃ、いいんですけども。とはいえ、四年に一度のオリンピック。楽しい種目もいっぱいあるはず。私が好きなのは重量挙げとか競歩。オリンピック通のみなさん、地味だけどこれはおもしろいよ、という種目あったら教えてください。

鬱な日記でごめんなさいね。夏風邪のせいです。