よもやま日記

過去の日記へ

文責/市立小樽文学館・玉川薫
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11月30日
■昨日、本多正一さんに神田の書肆アクセスへ連れていってもらって思ったのですが、今さらながら地方の時代。といっても、実際に地方にいるとそのこと自覚できない。書肆アクセスさんで諸地方の出版物をずらりと眺めてみて初めて気がつく。
気がつくのは、やはり情報集積している東京。でも気がついてみれば、世はインターネット時代。もう口の端に上せるのも恥ずかしながら、ようやくこなれてきた情報アクセス縦横無尽。
ウチは来年の伊藤整生誕100年記念展で、有名作家これでもか的展覧会は小休止しようかと。無名作家掘り起こし、いや、別に掘り起こさなくてもいいから無名文芸集。何もいちいち顕彰するわけじゃない。どこのどなたか存じ上げぬ人たち、その言の葉を拾い集め、つぶさに眺め舌上に転がし、リアル小樽に迫っていこう。

とりあえずその方向の企画は二つ。ひとつは口語短歌。小樽に並木凡平というほぼ無名の天才歌人がおりまして、この人が主軸となって仕掛けた文芸。これはみごとだった。一気に文芸のバリアを引き下げた。これについてはまた後日。

きょうはもう一つの企画。前に書いたことあるような気がするけれど(トシ取ってくるとね)、「故郷の話をしよう」っていうの。歌謡曲のタイトルそのままパクリです。ジャスラックに眼をつけられるかしら。表記変えてもダメなのかな。
私この歌に忘れられぬ思い出がある。大昔に北原謙二という歌手が若かったころ歌った、そのころから好きだった歌なのだけれど、忘れられないのは、それから何年もたったころの話。大晦日、紅白歌合戦も終わって、行く年来る年なんてのがあって、そして深夜から明け方まで、懐メロ版歌合戦みたいなのをやってますでしょう。ただでさえ、複雑な思いいたします。懐かしい、だけじゃあ済まない胸の痛くなるようなね。でも久しぶりに見た、北原謙二さんの姿、そんなレベル超えていた。この人、もう何年も前に脳梗塞の発作を起こされたそうな。歌手としては再起不能といわれたのだけれど、必死にリハビリを繰り返されて、というアナウンスがあって、本人が登場された。感動的な場面、になるはずだった。でもこの人が歌い始めたとき、ちょうどテレビを見ていた私と兄は思わず顔を見合わせた。会場も静まりかえった。声量とか、ブレスとか、立っているのが辛そうとか、そんなんじゃなくて。音程がまったくとれない……。
ようやく歌い終えた歌手を送る司会者も動揺し、言葉を失っていたように思う。けれども私、感動した。何というか、タマシイ的に。
「君の、知らない、僕の、ふるさと。ふるさとの……、話を、しよう」。

港街小樽の伝統って、何か。流れ者の吹き溜まり、なんていったら叱られる。でも不肖私だってその一人。ふだんお国自慢なんて、どうでもよいというか、むしろケーベツ。そんな私でも発作的にこみ上げてくることは、ある。「ふるさとの話をしたい、ふるさとの話をしよう。君の知らない、ぼくのふるさと」。そして「僕は聞きたい、君のふるさと、ふるさとの話を、しよう……」。ジャスラックから削除要請くるかな。うろ覚え、間違いだらけだからいいのか。
でも、おそらく、これは普遍。無作為に100人選ぼうか。外国の人も入ってよし。はじめはみんな戸惑うだろうけど、何かのはずみで堰を切ったように語り始めるだろう。写真とか本とかも持ちよられるかも知れませんね。食べ物まで持ってくる人いるかも。

ああ、ほんとにやりたくなったな。書肆アクセスさん、その節は、ぜひご協力くださいね。

11月29日
■小春日和。数日前までの小樽も小春日和であったけれど、季節感は相対的なもの。東京の小春日和は、ほんとにコートがいらない。これがホンモノね、などとつぶやきながら、RIMOWA(トランク)を引きずって歩く。家からのメールでは、小樽は一面の銀世界だそうだ。何か申し訳ないけれど、のどかな気分で、ゴトゴト歩く。
久我山、伊藤礼さん宅。ここ数日風邪を召しておられたようだが、あいかわらず自転車三昧の日々であるそうな。礼さんが二階に上がっているあいだに、奥様から聞いたのだが、平凡社の『月刊百科』というミニ雑誌に「自転車日和」というエッセイを連載しておられるのですね。自転車と日和は、なるほど、実に親和する単語。ただし、礼さんの自転車はやや過激。今年はオランダまで遠征されたそうです。
「先日は、玉川さんの郷里にも行きましたよ、三国まで」。三国は、福井市からは近い町なのですが、私は中学校以来行ってないような気がするな。「良い町ですね、古い町なのに、それを売り物にしてなくて」。高見順とか三好達治の文学碑を見に行ったの、いつだったかな。春の岬/旅のをはりの鴎とり/うきつゝとほく/なりにけるかも、か。
礼さんと、こんな暢気な話をしにきたわけではなくて、来年の生誕100年伊藤整展のご報告とご相談。「『チャタレイ夫人の恋人』の伊藤整書き込み本は、もうひとつありましてね」「父親が亡くなる前に、もしいつか完全版を出すつもりなら、オレが書き込んでおいた本をみておけよ、っていわれたのを思い出しまして」「それ思い出したのが、私、新潮文庫のアレを出した後だったから」「遅ればせながら思い出して、父親の部屋をひっくり返してましたらほんとにありました」。えーッ。「ちょっと探してみましょう」。しばらくまた二階へ。期待半ば、でも、おそらく……、と思いながら、テーブルの皿の、鮮やかな緑の餡がかかった小さな餅をいただく。これはきっと仙台名産の「ずんだ餅」。初めていただくのだけれど、思ってたとおり美味しい。
「ごめんなさい、玉川さん、整理がわるくて」。あ、やっぱり。「でも、こんなものが」。
すり切れたような名刺大の箱に、割れたガラス片。こりゃガラス乾板ですね。よく見えませんが。
「玉川さん、こんな機械ご存じ?、ネガフィルムとか見るのに、便利なんですよ」。何やら、奇妙な形の道具を、カタカタと変形させながらテレビにつないでおられる。いちど見たことがあるな。富士フイルムのデジタルビジョンというの。「ほらね」。へえ、これは。ずいぶん鮮やかですね。ガラスが割れているのだけれど、ちょうと人物が写っている部分は残っている。伊藤整の、これは小樽高商時代かな、塩谷の自宅の前ですね。こんな綺麗な写真、プリントではみたことない。もうひとつは、ああ、これは川崎昇さんだ、伊藤整の親友だった人。川崎さんのご遺族に、見せてあげたい。あとの破片は粉々に近いから、どこまで再現できるかわからないけど。「持ってってください、玉川さん」。い、いいのかなあ。

これは昨日のお話。きょうは、中井英夫氏の助手を務められた本多正一さんといっしょに、中城ふみ子のご息女で、昨年亡くなられた厚美雪子さんのご主人と、お嬢さんにお悔やみを申し上げに、亀戸のご自宅まで。帰りに、本多さんと連れだって神田古書店街に。玉英堂、巌松堂、一誠堂、ほんとに久しぶりだなあ。地方出版物をおもに扱っておられる書肆アクセスというとっても楽しい本屋さんにも連れていっていただきました。それらの話は、明日にでも。

11月22日
■先日の旭川でのシンポジュウム(どうもこの言い方には引け目を感じてしまいますが)で、私は、展覧会を共同企画された旭川、練馬、足利各美術館の学芸員の方々が、旭川や東京の小熊秀雄ゆかりの場所を丹念に歩かれたことに触れ、私もまた小熊秀雄の生まれた場所を毎日のように訪れている、なぜならその場所は、小樽文学館と道路を挟んで筋向かいにあたるところで、現在は歯医者とセブンイレブンが並んでいるあたりだからだ(ほぼ毎日コンビニ弁当なのでね)、などと亀井館長が聞いてたら怒られるような無意味な冗談を飛ばしました(少し受けた)。

それはともかく、ウチは小熊秀雄を常設している。ささやかではありますが、小熊秀雄若き日のインパクトある肖像写真、名作「夕陽の立教大学」をふたまわりほど小振りにしたような、でもまた別の寂寥感のある、しかも小熊秀雄手作りらしい額で飾られた油絵、まだまだ片田舎じみていた当時の池袋駅前のスケッチ。家賃不払いで追い立ての連続だったはずの当時の「転居通知」。どれをとっても、小熊秀雄その人に違いなし。

ここで常設展示の意味を考えてみるのですが、私はどこで聞いたかは忘れたある逸話を思い出す。それは毎月一度は動物園を訪れる女の子の話で、彼女は、他の動物には目もくれず、まっすぐにカバの檻に向かう。そこで1時間も2時間もカバを眺めて、そして帰るのでありました(例によってうろ覚え)。彼女にとって、そこに、その同じ檻に同じカバがいることが、かけがえのない心の安らぎ。彼女が大人になるに連れて、動物園を訪ねることはだんだん間遠になっていくだろう。数か月に一度、数年に一度、すっかり大人になり、中年になり、初老になり、そして幼い日々を忘れたころ、孫にせがまれて動物園を訪れ、その檻に、すっかり年老いたそのカバが、昔と同じように眼を瞑って静かに佇んでいたなら。

常設展示ってそのようなもの。私はかつて博物館の常設展示は、宿命的に、ある「権威」に陥る、それを避けるためには(仮設)の連続である企画を打ち続けるしかない、という山口昌男さんの説にいたく共感したものでしたが、今は、やっぱり常設展示は大切、と思い返している。
常設展示は作家の定位置、その作家にいちばん頻繁に顔を合わせるのは、他ならぬこの私。稀にカミさんが弁当を作ってくれた日でも、常設コーナーの小熊秀雄の詩に私の眼は触れる。それはこのような詩だ。

魅力あるものにしよう

友よ、
私が突拍子もない声を出しても
驚ろいてくれるな、
君が悲しんでゐるときに
私が楽しく歌つてもゆるしてくれ、
君が笑つてゐるときに
私が悲しんでゐるときもあるのだから。
共に自由に
泣いたり、笑つたりしよう、
そして私達の将来の運命について考へてみよう、
たがひに離れ離れに住んでゐても
寝床の中で、そのことをじつと考へてみよう、
明日は街角で逢はう、
感想を述べ合はう、
私は夜通し泣いてゐても
君にはきつと笑顔をみせるだらう、
――私はさうした性格なのだから、

私を誤解しないでくれ友よ、
私はほんとうに
我々の運命を愛してゐるのだから、
――よし今日の運命が
  よきにつけ
  悪しきにつけてもさ、
私達は明日を約束できるのだから、
おゝ、我々が今現に立つてゐるところ
そこは曾つて我々が
遠くでみつめてゐた地平線であつたのだ
さらに、私達は眼をあげよう、
前方をみよう、
そこには新しい、暁の地平線があるだらう、

いくつかの地平線を越えた、
このやうに我々は前進してゐる、
その証拠には
君は靴の裏をみせ給へ、
そんなに減つてゐるではないか、
我々は約束しよう、
全感情をもつて――、
我々は共に旅をつゞけると、
あゝ、運命よ、
我々の運命よ、
私は幾度もこの言葉を
繰り返していつも心におもふ、
なんと魅力たつぷりの
言葉だらうと――
更に、更に、我々の運命を
魅力多いものにしよう、
我々の運命は我々の手によつて
如何やうにも切りひらかれるのだから。

シンポジュウムの前夜に、美術館の学芸員の方たちが話していた、小熊秀雄をプロレタリア詩人と呼ぶのは間違いではないか、ということを受けて、私は、小熊秀雄こそプロレタリア詩人なのであり、そのように見えないのは、あの時代に実は真実のプロレタリア詩人が小熊の他にはほとんどいなかったからではないか、などと述べました。言葉足らずは否めませんが、これは私の実感。私の定義ではプロレタリア文学は、現実を直截的に変革していく文学。私は、小熊の詩を意識的に眺めるときも、無意識に眼をよぎるときも、まちがいなくそこから「元気」を吸収している。

明日は街角で逢はう、
感想を述べ合はう、

私は、小樽文学館を、小熊のいう「街角」にしたいと考えております。そのように変革していきたいと思っております。そのように働きかけてくるもの、それが小熊秀雄という詩人だと思っております。

11月21日
■さきほど、視覚障害者の方たち(3分の1ほどは健常者ですが)の前で、お話を済ませてまいりました。北海道としてはめずらしい(ほんとに)ここ数日間続く小春日和のせいでもありますが、案外心地よく話し終えることができました。

実は、旭川に出かける前日、思いついて古いカセットテープかき回してみた。そうしたら、やっぱりありました。伊藤整の声が吹き込まれたテープ。一本は、日本近代文学館開館のときのインタビュー。もう一本は、小樽中学校の同級生だった人との雑談めいた対話。

旭川でのシンポジュウム(というのかな)も、それなりにおもしろく参加させていただきました。そのことは、いずれの機会に。おとといの夜、シンポジュウムに参加する練馬、足利、旭川各美術館の学芸員さんと小熊秀雄協会の玉井五一さんと、そして吉田美和子さんと同席したのですが、そのとき吉田美和子さんに、きょうのお話のことを申し上げました。どうにも、気が重くて、と。

私は、昨年、確か、つぎのようなお話をした。昔、小林多喜二の友人だった村山知義(美術家、劇作家)のご子息とお孫さんが文学館においでになった。そのお孫さんは、視覚に障害を持っておられ、そうしたこともあって、作品を直接さわれる美術館をご自分で創られた。その方は、小林多喜二のデスマスク(当時は半球形のアクリルケースに入れ、壁面に固定していた)に直接触ってみたいと申され、私はドライバーでケースを外して、触っていただいた。その方は、しばらくの間、静かに小林多喜二のデスマスクを触り、そして父上に車椅子を押させてお帰りになりました。
その後、ずいぶん立ってからその方、ギャラリーTOMの館長、村山錬さんが亡くなられたと聞きました。そのとき、私は小林多喜二のデスマスクをケースから外し、常時露出展示をすることにしました。もちろん、自由に触れてよい、と注記して。
私は、その後、渋谷区松濤にあるギャラリーTOMには何回か足を運びました。おとといの夜、吉田美和子さんに私は、そのギャラリーTOMで観た先天的に視覚障害のある子どもが作った塑像のことをお話ししました。それは「よだかの星」というタイトルがつけられていました。私はその塑像を眺め、更に眼を閉じて触ってみました。衝撃を受けた。異様な生物。大きく裂けた口。ほとんどが裂けた嘴だけの物体が地べたにはいつくばっている。宮沢賢治の「よだかの星」の冒頭、「よだかは、実にみにくい鳥です」、そのものの物体がそこにある。生きていく限りは、他の生命を喰らい、殺し続けなければならない。そのことへの覚醒、戦慄、絶望。あの童話のテーマが、直接私の掌に突き刺さった。

けれども、こういうお話は、むしろ健常の人たちの前でこそ、お話しすべきこと。「ふつうのお話をなさると、いいですよ」と、吉田美和子さんにもいわれました。

それで、カセット。伊藤整のインタビュー。質問する記者の方が偉そう。謙虚で、関係各位に配慮して。いかにも、伊藤整。そして旧友との対談。友人「小樽はね、和菓子と蒲鉾が美味しい」。伊藤整「カマボコはね、おいしいでしょう。和菓子の伝統が小樽に……、そうでしたか」。友人「あなたは、食べるものは」。伊藤整「私は……、あのね、ニシンの押し寿司が」。友人「ニシンの」。伊藤整「ええ、あの冷たくなったのが」。これも、いかにも、伊藤整。
私、きょうは、ゆっくりのんびり伊藤整のお話をすることが、できました。あとで、伊藤整本人がしゃべるから。
私がラジカセをしまいかけていると、会場の方が、「楽しかったです。伊藤整の声、初めて聞きました。優しい声ですね」と。「来年も来てください」と。
良かった。小春日和だったし。

午後の製本教室。ノーマ・フィールドさんも来てましたよ。本作りを教わりに。「教えてもらうことって、楽しいですね」とのご感想でした。

11月18日
■どうも気勢が上がりません。上がらないわけは、明後日、明々後日と人前で話をしなければならないことで、20日は旭川で小熊秀雄についてのシンポジュウムというか、パネルディスカッション、21日は小樽で視覚障害者の人たちのための講座。
で、情けないというか、ひどいことでもありますが、何をお話しするか、まだ何も浮かばない。小熊秀雄の方は、吉田美和子さんがお出でになるから、お客様はそれだけでも満足されるでしょう。だから少し自責の念薄し(それもひどい話ですが)。
問題は明々後日の視覚障害者の人たちの前でのお話。実は、昨年もこのご依頼を受けて、私は何とかしゃべってまいったのですが、主催の方が予定されていた時間を30分近くも短く終えてしまった。長すぎるよりはナンボか良かろうと勝手に思ったのですが、来聴者よりも主催者の方々が少しお困りになった由。なら、どうして再度私風情にご依頼になる、って逆ギレしてどうする。話す材料に困るくらいなら、どうして受けるんだということですが、正直申し上げます、私安請け合い。安請け合いにも多少の言い分はあり、私、とにかく受けてしまわないと何もやらない、何も考えない。それで主催者のためでもなく、来聴者のためでもなく、私自身のためにやる。と偉そうに弁じてどうする。
でもね、皆様。視覚障害者の方たちの前で、1時間半、文学館の学芸員がおしゃべりすることって想像できますか。想像するだけで脂汗が(もらい汗?)流れませんか。って、同情引いてどうする。
というような恥をさらしてしまったからには、実際どうなったのかもご報告せねばなりませんが。ということで明日明後日は小樽を離れておりますので、恐らく惨憺たる結果報告は早くて明々後日以降。お楽しみに(誰が?)。

11月17日
■出勤してきた亀井館長に、先日、たいへん有名な人たちを集めて小樽で行われた「笑い」というテーマのシンポジュウムのご感想を。「皆さん盛んにジョークを飛ばしておられましたが、お話そのものは開化以来の西洋文明の無批判無節操な導入で、それまでの洗練された笑いのセンスをすっかり失ってしまったという毎度おなじみのものでした」。そのあとの懇親会は。「シンポジュウムはまだしも、あれは勘弁」ということで、これで「地方の時代」だの「小樽からの文化発信」などとおだてられ、その気になったとしたら、それこそお終い。やっぱりウチがやるしかない、とさらに闘志を燃やされていた様子。
私のほうは、その「伊藤整講演とシンポジュウム」の会場をどこにするか思案。ほんとは文学館の一階窓の開閉もままならぬ研修室でやりたかった。音が響いて聴き難いなら、タマゴの紙パック壁に貼り付けて吸音はかってみるか、なんてね。特別展との一体感、薄めたくありませんから。
でも来年の講演とシンポジュウムのレベルは、さすがにここの研修室に収めきるのは困難。うーん、じゃあ、マリンホールかなあ。お金かかるけど。とりあえず空いてるかどうか、料金どうだったか、まず見に行ってみるか、と三輪バイクに乗りかけた瞬間、ひらめいた。っていうか、思い出しました。小樽商科大学!来年の企画、伊藤整、小林多喜二の母校との提携、これは自然な成り行き。でも具体的にどうする。その具体が目の前にありました。それを亀井館長に話してみたら、館長の動き、まことに迅速。どうなるかは、また次回。

「天国の本屋」のロケセット、残念ながら解体の方向ということ、先日報道されたとおりですが、本のほうは、処分方法もとくにない、とのことで大方ウチのリサイクル本として引きうけさせていただけそう。出来るだけ早いうちに運び込み、年明けてまた整理作業が始まる。韓国の大学への寄贈は継続するのだけれど、こないだフラリと立ち寄られたモンゴルから札幌大学に留学中のバイさん。モンゴルに自費で日本文庫創るのが夢だそうな。「日本文学とかもアレですが、日本語版の海外文学全集などもぜひ欲しいのです」これこそ、ウチでも最後まで売れ残るヤツですね。「つまりね、中国語に翻訳されてモンゴルに入ってくる海外の本は、たいがいもう……」。だいたい予測されましょうが、バイさん偉く憤慨しておられる。なるほどなあ。ウチの地味な事業も、それなりに意外な波紋を世界中に及ぼしていくのかも知れませんね。

4時頃にノーマ・フィールドさん。みすず書房の編集者のかたとご一緒に。小田節子さんからお聞きになった製本教室に興味を持たれたそうな。今度21日の教室にぜひ来てください。途中参加大歓迎ですから。ノーマさん達は、ゆっくり展示室のほうもご覧になっていましたが、先日、古本屋展終了したばかりで空っぽのガラスケース並んだままになっている。スカスカになってますでしょ。また常設少しいじろうと思っているんです。「じゃまた、楽しみに」と帰りかけたノーマさんに、やっぱり思わず声かけた。ノーマさん、永山則夫という人をご存じでしょうか。「ナガヤマ……、いいえ存じません」。その人、犯罪者で、後に作家にもなり、結局は処刑された人ですが、獄中で綴ったノートが『無知の涙』というタイトルで刊行されて各方面に衝撃を与えた。縁あって、そのノート原本をウチでお預かりしているので、それはぜひいちどノーマさんに見ていただきたい。(作家の自筆原稿、ノートの展示など何ほどの意味が、とずっと思っていた私の不遜を、このノートは完膚なく吹き飛ばしました)。ノーマさんなら、どのようにご覧になるか。
私の口早の説明をうつむいて聞いておられたノーマさん、「ナガヤマノリオ……、こんどぜひ」。どうなるか。これが小さな、けれども新たな波紋を起こしそうな予感がする。だから私はノーマさんを呼び止めた。

11月16日
■一昨日、H新聞社から電話。「紀宮様が文学館・美術館をご覧になったことがあると思いますが、そのときの印象や、ご記憶などをお聞かせください」とのことです。そうか、「あれ」というより、「あれ」からひと月ほどたってから、数か月にわたって起こった事件、電話をくれた新聞社はその一連の出来事の重要なファクターを担っていたはずですが、そのようなことはもうとっくに失念しているのだな、と私は思いました。などと思う方がどうかしているのであり、今日のマスメディアの徹底したデジタル思考、いまさら批判の対象にもなりません。あれ、そんな記事ありましたっけ、もう毎日毎日が事件の連続なもので……。そうね、同情も申し上げる。でも、衰えたりといえど、マスメディアのマスに及ぼす力、未だに絶大。そのことだけは、ときどき省みていただきたい、と、申し上げてだけおきます。
さっき、その2002年1月と2月の「日記」を読みなおしていた。確かに我ながら少し呆れる。ただし呆れるのはその書きっぷりだけであり(カミさんに見せたことがありますが、彼女はチョロっと読んで、すぐ興味なくしたらしく「いい気なもんだ、って思われても仕方ないかもしれないね」とだけご感想。私がいただいた批判のなかで、唯一的を射た批判かも知れません)、書いている思いは、もちろん一字一句訂正するつもり、今も毛頭ありません。
さすがに少々ぶっきらぼうに一通りお話しし、受話器を置いた後、当時のことを何も知らない事務の人たちには、「いや、ちょっとイヤな思い出もありまして」などと弁解しましたが、ほんとうは別にイヤな思い出ではない。半ば以上、ある種の人たちや、メディアはこんな反応するかも知れないな、と思っていたら、本当に絵に描いたような反応が始まったというだけで、やはり予測するのと、実際に渦中の人間になるのとは納得度において大差がある。「メディアの文法」とか、「意見の匿名性」とか、そういった暗黙のお約束がどのように動いていくのか、実感をともなって確認できたこと、私には得難い学習でありました。
その数か月間のメディアの反応、間接直接に届けられた匿名の手紙やメール、これらは細大漏らさずとっておきました。もっとも学習修了の私は、そんなものは必要なし。直属の上司、というより文体、表出、そこに潜在する意識と感性の研究者としての亀井秀雄氏に、サンプルとして全部差し上げております。

ここまで書いて少しまた反省をするのですが、私がブッキラボウな応対をしてしまったのは(そのことにすら気がつかれたかどうかはともかく)記者さんに少しの罪もなし。まして。
遅ればせながらお祝い申し上げます。もっともご婚約発表というわけでもないのにね。

11月14日
■古本の棚を整理してくれていたハリマ君が千葉さんに声をかける。「オトヨ、これ子どもの本だろうけどさ、このタイトルありえねくね?『手紙をだしに』って」。千葉さん「どこがよ。フツーじゃん。ハリー、何かとんでもねーカンちがいしてねーか」。ハリマ「だってさ『手紙をだしに』……。あ、『手紙を出しに』か。フツーだな」。千葉さん「まさか」。ハリマ「い、いや『手紙をダシに、ゲーセンへ』とかさ。最近の子どもは、ってね」。千葉さん「ありえねー」。

まあ、児童文学のタイトルとしては『手紙をダシに』のほうが、深みが出そうですね。ちなみにウチは小樽ゆかりの作家ならびに文学作品などと申しているのですが、そこで思考停止してちゃあしょうがない。小樽をダシに作家を語るとか、作品をダシに小樽を語るとかしてれば、ほとんどエンドレス。今、気にしている作家が3人。一人は宮澤賢治、そして中城ふみ子、さらに永山則夫。この3人、確かに小樽を通過した。けれども「小樽にゆかり」というのはムリあり、というか、そんなバカげた理由では出せない。けれども深みにおいて繋がる、小樽と。と、私は強引にこじつける。そこで考えました、ミニ常設のタイトル。「眼をよぎる小樽」。一瞬の光景が、その作家を生涯の果てまで追いつめる、そのようなこともありえましょう。

千葉さんとハリマ君は古本の整理を続けている。「これはOL思想、こっちはファミコン小説」。ゲーム攻略法はそこじゃないの?「それは学習コーナー」。ザンシンだなー。

11月11日
■まだ古本屋展の後始末をゆるゆると。昨日は、文学館からの帰り、「ブックス2分の1」さんに本をお返しに。このお店の店主さん、こちらがうろたえるほど恐縮してくださる。何だか申しわけなくもあり、お店にいく前から、本を買ってかえろうと思っていた。もちろん個人的にね。
『20世紀少年』ありませんか、浦沢直樹さんの。「こちらに。入るとすぐに売れてしまって、この2冊しかありませんが」と申しわけなさそうに。あれ、12巻と14巻か、微妙だな、まあいいか……。
前に札幌の「帝国図書館」なるマンガ喫茶に入り、『20世紀少年』既刊16巻一気読みしたことを書きましたが、その後17巻が発売され、迷ったもののやはり買ってしまった、もちろん新刊で。これはつまり私がワナに嵌ったわけですね、コミック業界の。

帰宅して、例によって風呂に浸かりながら12巻を読んでおりましたら、はらりと一枚の紙切れがあやうく浴槽に落っこちる寸前。見てビックリ。ずいぶん手の込んだ、というか、まあ気の利いたイタズラをやるヤツがいるもんだと思いまして。やっぱり面白いなあ、古本屋。などと感心しつつ、娘に報告したところ、「オヤジ、あれは初めから入ってるんだよ。マンガ喫茶の本にはなかったのか。誰か抜いたんだな」。え、そうなの?何が入っていたのか、ネタバレになりそうだから伏せておきますが、うーん、やるもんだなあ、コミック業界。気がつけば、すっぽり嵌り込んでしまいかけております。

11月10日
■毎度のことですが、ひとつ展覧会が終われば、ボルテージが3分の2くらいに落ちる気がいたします。秋眠暁を覚えず、どころか日がな半ば微睡んで(まどろんで、ってこうやって書くんだな。パソコンの変換で初めて知りました)いるような。怒られますね、まなじり決している人たちに。

亀井館長は、来年の伊藤整関係のイベントに、例になくテンション高まっているような。当方の返答を終いまで待たずに、引き取って話し始めるというのは、やや珍しいことで、これはたいへんに乗っているのが覚えず外に表れるのですね。何回か書いてもいることだけど、亀井秀雄という人が、これほど「文学館的な仕事」にのめり込んでくれるというのは、昔のこの人を知る人を、けっこう驚かせるのではなかろうか。
講演会、シンポジュウムはともかく、小樽〜塩谷〜余市へ、余市一泊の伊藤整文学散歩。来年のその頃、通常の日程では市議会の各委員会などに当たって、ひょっとしたら私は行けなくなるかも知れません。
「いいですよ、S先生が来てくれれば、彼と私とで十分に御案内ができると思います」。
あれ、ちょっとガックリ。まあね、それならそうで、私は旅行代理店に徹す。亀井氏、S先生のみならず、伊藤整の伝記研究のパイオニアT先生、北海道文学散歩ではこの人措くべからずK氏など超豪華な案内人を仕立て、小樽、塩谷、余市の各所にもディープな解説者に待ち受けていただくべく手配し、さらに随所に驚く仕掛けを施し、って意地でも、至上の伊藤整文学散歩をご提供。
ふと気がつくと、こうして私自身の存在は薄らいでいくのだな。これが正しい筋道ですけどね。残り10年だからね。

11月6日
■朝は晴れておりましたが、いつの間にか雨が降りだしている。
けっこう長丁場だなあ、と思っていた「小樽・札幌古本屋物語」展も、きょうを含め、残すところあと二日。
必ずしもこの企画展に関連して、というイベントではなかったのですが、「Reading Jam.in 小樽文学館」という朗読会がありました。主催されている方からはいちどお話を伺っただけなので、きょうまでどんな会になるのか想像もできなかったのですが、「夢喫茶」の大テーブル囲んで、短めの詩なんかをポツポツ読むだけね。お手製のケーキなどもふるまわれるし、とっても楽です。私も、ちょっと感想申し上げたんだけど、イベントというより、この文学館の日常の一コマみたい。人それぞれかも知れないが、「朗読らしい朗読」というのは、私は苦手。もちろん、白坂道子さんみたいにプロ中のプロの朗読は別だけど。詩人が自作をやや陶酔気味に朗唱するのなんかは……。
でもね、これならいいや。雨の午後の文学館に、とても似合った「Reading Event」でした。

11月3日の「大古本市」もそうだったのですが、ムリしなくてもよくなってきたな。あれもほとんど宣伝できなかったんだけど、300人以上も入ってくれたし。適度なにぎわい、それ以上の和やかさ。

平和な、ね。私にできることは、私がやらなければならないことは、そういう場所を守るために、新しく創るために、細かい手を打ち続けることだけだ。

しばらく更新しなかったけど、やっぱり書き付けておく。悼・香田証生さん。第一報で流されたビデオのなかで用意されたメッセージを読み上げたあと、一瞬置いて「すみませんでした。日本へ帰りたいです」というその声の微かな震えが忘れられない。そのコトバが忘れられない。そこから誰が何を語りだしても、それは構わないけれど、私は繰り返し、その声、そのコトバに立ち返る。