よもやま日記

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文責/市立小樽文学館・玉川薫
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1月31日
■雪が降り止みませぬ。
昨日の日曜日は、午後1時ノーマ・フィールドさんのマンションに集合、ときおり吹きつける吹雪のなか、真冬の小林多喜二文学散歩です。小樽の小笠原さんご夫妻を案内役に、札幌大学の石塚先生ご夫妻、大学生の小路君が参加。私は最後尾をついてゆく。
小路君、ジャケットの下はシャツ一枚、帽子、手袋なし、って、20代初めって、私もこんなんだったかなあ。その私は、パーカの下はツイードのジャケット、ネルシャツ、その下にユニクロのヒートテックのシャツを着込んでます。ズボン下もね。フリースのナウシカ帽に、娘のネックウォーマーを無断で拝借。スパイク打ち込んだ靴には、コンビニで買った滑り止めも被せる念の入れ方。
これだけの重装備でしたからね、平気な顔してついて歩いてました。しかし。何でみんな、こんなにタフ。朝は6時30分に家を出て、最上町から駅まで徒歩で通われる小笠原さんはともかくとして、ノーマさん、楽しそうだな、ほんとうに。「これ、どう?私のダウンジャケット。ヨシヤで2000円。難あり、って書いてあったから、店員さんと二人で隅から隅まで調べたの。でもどこにも難なんてみつからなかった」。ヨシヤですか。小樽でも長崎屋のエントランスホールと双璧の、庶民御用達の、なごめるお店ですね。ええ、とても2000円なんて想像もできません。
3時間あまり歩き回って文学館に戻ったのですが、実はヘトヘト。私はわりに若く見えるとかいわれることがあって、内心嬉しかったり(恥)するのだけど、先日バスのなかで衝撃を受けた。つり革につかまってたら目の前に最新のケータイの広告が。思わず前のめりになって眺めておりましたら、中学生男子が、すっと席を立って「どうぞ」。えっ。思わず顔を見る。坊主アタマの丸顔に満面の笑み。「どうぞ」。あ、あー。どうも。よく話には聞きますけれど、我が身に起これば、やっぱ衝撃。丸顔の男子中学生には見えるわけですね、まぎれもなく疲れ果てた初老のオヤジの姿が。他人にみえる姿が「私」の全てだ、とは大学生のときに読んだ小林秀雄の「モオツアルト」で、とっくに学んでいたつもりでしたが。

話はガラリと変わりまして、ウチのリサイクル古本コーナーはリピーターの方が数人。そんなにしばしば仕入れがあるわけではないのですけどね。亀井秀雄館長も、出勤日の帰りには、必ず覗いていかれる。「これ借りていきますよ」。いえ、リサイクル本だからお持ちになってもいいのですが。石坂洋次郎と、ノーマン・メイラーですか(変な組み合わせ)?「『石中先生行状記』と『裸者と死者』が、候補だったらしいですよ」。?ああ!チャタレイ夫人!「なぜ『チャタレイ夫人の恋人』に絞り込まれたのか」。ねらい打ちですか。偶発したワイセツ文書摘発じゃなかった。「そうです。ここにあって良かった。読みなおしてみます」。亀井館長、平然たるもの。
おもしろいなあ。前にも聞いたな。「性的表現こそ、どんな時代、どんな権力にとっても最も危険な存在なのです。すべての秩序を脅かす」。そうですね、そのものを抑圧しようとする「権力」。「権力」はそんなに解りやすい顔かたちは、していない。ソレが「自由と民主」を標榜し、「抑圧からの解放」を吹聴していたとしても、驚くにはあたらない。この続きは、また後日。

1月23日
■帰ろうとしたら、夢喫茶のメールボックスの上に淡いピンクのリボンで縛った小箱を発見。「JJ's Cafe に置いていただけたら」と小さな文字でメモがあり、開いてみると陶製のコーヒーメーカーのミニオブジェ。
メールボックスを逆さにしたら、プレゼントしてくださった方らしいお手紙が。
何度でも、くりかえし、確かめるように戻っては、ほっとする。故郷とは違うけれど、捨てることはきっとないでしょう。
私にとって小樽は、いつまでも懐かしい、大事なまちと思っていました。そして今日ここに座り珈琲をいただきながら、事の次第を知りました。忘れていたのでした。思いだしてよかった。
また来ます。ありがとう。

伊藤滋氏の講演会の原発起人、星さんからのメール。
P.S 小生、ここのところ、日々その詩や文章を読み、合唱曲を聴いて、伊藤整で頭の中がいっぱいです。この年になって、こんなに感激できるのはとても幸せだと感じています。だからこそ、このイベントの成功のために没頭しているわけですが、それがとても嬉しいです。

私は毎日、この文学館に通う。毎日、小林多喜二や伊藤整や小熊秀雄やの顔をみる。で、やっぱり麻痺していくわけですね。自覚症状のないまま、感覚ずいぶん鈍麻している。
このようなお便りをみると、心が洗われます。夏の朝のシャワーのように(真冬だけどね)。

さっき夏秋さんが収蔵庫整理してくれていて、古い石膏のプレート出してきた。見たことないはずはないのですが、すっかり忘れていました。昭和二十六年と書いてある。小樽公園に建てられた石川啄木歌碑の裏面に嵌め込まれたブロンズの原板に違いない。
啄木自筆の走り書きでも出てきたんならさあ、って以前の私ならほざいた。でも、今は違う。違ってきたと思ってます。こっちの方がずっと大事だ。こういうものを大切にとっておかなきゃ、って。作品に感激する心。作家を慕う思い。それが結晶したかたち。

深いっしょ?文学館。

1月21日
■東田さんから電話。「朝、メール開いたら、何か凄いことになってるね」。半ば呆れ、やや溜息。スパム襲来か!っていうくらいの勢いだったでしょう。
これは、今回の伊藤滋氏講演会の発起人のお一人から、このイベントに関連するやりとりは、直接の関係者には原則同報通知で、とご提案があったから。つまり、同報の必要があろうがなかろうが、コレに関しては、コレに関する人たち全員に同じメールが届くわけです。
私もこういうやり方は初めてで、東田さんの(ちょっとウンザリ)の感じもよく分かるのですが、私は面白く思っております。
メール、普通は一対一ですから、同じことに関わっていても、当面の相手以外の方がどのような動きをしているのか、事後報告でしか分からない。でもメールのやり取りが、全部同報通知で届けば、四方八方の動きがリアルタイムで伝わってくるわけですね。
で、注意すべきところはメールを見る人それぞれによって微妙に異なるので、それ以外は眺め飛ばしていればよいのですが、合間合間に入るムダ口、吐息が(こっちの方が)おもしろい。お互い、離れたところで気分昂揚したり、アタマ抱えたり、軽く舌打ちしたり、そんな「空気」がみえてくるような。
これは、電脳空間のもっとも際だった特徴である開放性がもたらすものですが、同報通知は半ば限定された空間ですから、漂う空気がよくみえる。
なんて、人ごとのように呑気なこといってられない。同報通知、すなわち全て共有することが義務づけられたわけだ。気分昂揚、だけじゃなく頭痛も吐息もね。

さてと、どうすりゃいいのかな、私は。

1月20日
■駒木定正先生と、東田秀美さんご来館。お呼びしたのは私。用件、この文学館の建物、正式呼称小樽市分庁舎=旧郵政省小樽貯金局の設計者小坂秀雄氏の引いた図面を見ていただくこと。
昭和25、6年頃のもの。そんなに大昔じゃないんだけれど、ボロボロの青焼きね。広げるのもおっかなびっくり。1から23まで通し番号を打ったものが一組と、1から13まで打ったものが一組。ボロボロで、あちこち変色もしかかった青焼きコピーですが、私はドキドキしてまいりました。美しい。
天才だった、と小坂秀雄氏を知る人は仰有います。大柄でワイ談好きな生粋の江戸っ子。いったん仕事に掛かると、大きな図面にまっすぐな線を、少しも迷わずぐいぐい引いてゆく。馬のような鼻息。小坂氏ほど一気に、小坂氏ほど美しい図面を描ける設計者は類をみなかったそうな。
この人、自分の引いた図面に、往々にして署名なさらなかったらしい。小坂氏没後、その仕事を整理した方が困ったそうな。「建築に、設計者の個性が顕れるなんて野暮天だよ」(なんていったんじゃなかろうか)。
けれども、小樽文学館(と言ってしまうのだけど)の図面には、はっきり「小坂」の捺印がある。捺印以上に、鮮やかな線が、小坂秀雄以外の何者でもないのですが。
前に一原有徳さんの展覧会をやったとき、貯金局時代の写真を見て、私確信した。驚くほど明るい空間。天井が高くて、窓が大きくて、広々としたオフィス。
「合理的だったんだよ」と、元貯金局職員だった一原さん。「指示系統が、一目で見えたからね、縦にも横にも」
外光が溢れ、白いシャツを腕まくりした人たち、颯爽とした女性職員、漲る活気。「ここ」で働く喜び。
「建築の存在感を、華奢に軽く、みえなくなるまで」。鉄骨とコンクリートをとことん愛しながら、その無粋をところん嫌った人。
向かいの日本銀行小樽支店、国家の威信を背負った石造りの重さ、その冥さ。それと対極をなす光の零れる(だから街にとけ込んでしまった)この建物。

きょう、何が始まったか。私が何を始めたか。「〈公共建築家〉・小坂秀雄展」へ向けての第一歩を踏みだしたのね。その展覧会って、何がメダマの展示品なの。よく聞いてくださった。モンキリ型のご質問。最大のメダマはねー、彼が小樽という街の、その真ん中に一息で描いた逸品「市立小樽文学館」です。

1月19日
■伊藤滋さんの講演会の発起をなさった方々と先日顔を会わせたのですが、皆さん意気軒昂。地味な私は、かなりたじたじ。都市工学系統の皆さん、やっぱり絶対的熱量が違うなー。
冗談、奇談、ホラ話?飛び交うなかで、ちらりほらり耳をそばだてるお話も。
小樽でご講演なさるに至った始まりは、札幌での何かの学会での雑談から。
伊藤先生、小樽の「雪あかりの路」って、地味なお祭、ご存じですか。伊藤滋氏「見てないな。イベントは知らないけど、『雪明りの路』って詩集は、オヤジの仕事のなかで、いちばんいいもんだよ」
いちど、機会つくって小樽にいらっしゃいませんか。せっかくなら、小樽でお父さんのお話、なさってみませんか。伊藤滋氏「そうだなあ、まともにオヤジの話、したことないものな。文学賞のことや何かで、小樽の人たちにもずいぶん世話になってるしね」
このへん、断片的な情報から、勝手に私が再現した会話ですので、念のため。このあたりでは、伊藤滋氏、話のはずみでつい「安請け合い」なさったのじゃないかしら、今回の私と同様。
けれども、さらに断片的情報つないでみると、どうやら伊藤滋氏、その後マジメに考えこまれたよう。「小樽でまちがったことしゃべるわけにいかないから、弟のところでオヤジの資料、借りてくるよ」。(えッ、ほんとうですか?)
何だか、私の先入観と少し違ってきた。北大のK教授「伊藤さんは、今回のこと、ほんとうに喜んでるらしい。昔と違ってね、人と話をするとき、どんな相手にも正確に伝わるように、気をつけて気をつけて話をするそうだよ。例えば首相にも」(えッ)。
わいわい飛び交う話のなかから、不思議なことに「孤影」がかすかに浮かび上がってまいりました。伊藤整長男、伊藤滋氏の。父親との対峙、その原郷、冬の夜の小樽で。

と一昨夜の回想をしているあいだに、札幌の原発起人、星さんから立て続けにメール3本。覚悟はしてましたが、どっから湧いてくるのか分かんないような情熱の人いなければ、できっこないですね、短期間でのこんなイベント準備。私も、覚悟決めました……。

1月14日
■正月以来、テレビばっかり、それもお笑い系ばっかり見てるようで(当たらずといえど遠くもない)気が引けますが、先日の教育テレビのトップランナー。良いセレクションでした。生きの良い三組。アンガールズとフットボールアワーと劇団ひとり。
三組に共通するのは知力の強さ。みため天然ボケ風のフットボールアワーの岩尾さんも、アンガールズの田中さんも、笑いが生ずるツボを実に正確にイメージできている。岩尾さんなんか、あの風貌からちょっと驚くぐらい、強烈な自負自信。
この日、いちばん感心したのは劇団ひとりの川島さん。岩尾さんや田中さんの「天才」は感じられないけれど、この人もまた自分の妄想力を笑いに変換させる術に、自信を持っている。番組で披露したネタに私はびっくり。「日本がアメリカを相手に戦争をしていた時代のお話です。東京への空襲も激しさを増してきたころ、私は動物園の象の飼育係をしておりました」という語りだし。いきなり、暗い。「動物園が被害を受けて、猛獣、巨大動物らが逃走するようなことがあれば、たいへんな事態になる」「軍部から薬殺せよと命令が出されました」。これ、有名な史実じゃないか。お笑いのタブーその1、戦争。その2、「史実」。
初め客席からは、クスクスと小さな笑いがところどころで発生。もちろん、このままで進行するはずはない、という期待の笑い。でも川島さん、ひっぱる。「私の担当していた花子は、とりわけ賢かった。花子に気づかれないよう、毒の入ったリンゴを、ただのリンゴに紛れさせて与えた。花子はそれでも何かに気づき、慎重に毒リンゴを避けた。そしていつものように前足を上げてバンザイのポーズをしてみせるのです。私は涙がこみ上げてきました」。って、どこまで続けるのか。会場がすっかり静まりかえってしまったではありませんか。女の子を抱いている若いお母さんなんて、もう何か別の種類の舞台を真剣に見つめる風。こりゃ、まずかろう。川島さん、お構いなしね。思い詰めた語り。潤んだ遠い眼差し。「来る日も、来る日も、私は毒リンゴを混ぜたエサを与え続けました。けれども花子は、敏感にリンゴを分かち、私にバンザイをしてみせるのです」。しばし黙り込む川島さん。これ以上緊張が続けば、後に戻れなくなりそう。と、ためらいがちに、言葉を継ぐ。「来る日も、来る日も。私は、ちょっと、何というか、その」、沈黙。「腹が立ってきました」。会場どよめく。すごいな、ここで一挙に悲劇をひっくり返してしまった。あとは一気呵成。象の花子とリンゴの投げ合い。生き残りをかけた二人(一人と一頭)だけの戦争。畳みかける笑いの波状攻撃。
うーむ、けっこう危険な芸だなあ。悲劇というのはね、心地よい。展開も分かっているし、「史実の重み」も濃いめの味付けを施してくれる。それをおちょくるのは、ま、タブーです。けれども「何だか腹が立ってきました」の転換は、悲劇の安堵から、一挙に私たちのあしもとを崩し、痙攣させ、それが笑いとともに、実はリアリティを回復させるのね。安心して〈感動〉したり、〈公憤〉したりできる「史実」に、決定的に欠けていているリアリティを。

川島さんの〈妄想〉からストレートに連想は及ぶ。川島さんは〈妄想〉をお笑いに転換する芸を持っているのですが、〈妄想〉がほぼダイレクトに現実化するのが〈性的行為〉。危険な話題ですので大急ぎでいってしまいますが、異論まったくといっていいほど聞かれぬまま、急激に取り締まりが強化されようとしている性的犯罪。さらに速くいってしまいますが、性的犯罪とあらゆる性的行為は、ミクロン単位の紙一重。これを仮面的日常の場にさらけ出すには〈芸〉の力を持ってするしかない、と考えたのが伊藤整。その伊藤整も、まさか自分の肉体が「法廷」という場にさらされるとまでは思い及ばなかったのが、チャタレイ裁判。そのとき伊藤整氏の頭脳はどのように回転し、肉体はどのように反応したか。どこまで踏み込み、どこでとどまったか。

伊藤整展、ぜんたいとしては和やかに推移させますが、賢い花子さん、毒リンゴにご注意あれ(つまんないオチね)。

1月8日
■先日、経済部観光振興室の保科さんと総務部企画振興室の東田さんから、あいついで同じお知らせがありました。それは、伊藤整のご長男の伊藤滋氏が、父親についてお話になる講演会が、2月、「小樽雪あかりの路」の最中に、小樽で行われるかもしれない、その節は、相談に乗ってほしい、とのこと。
伊藤滋さんは都市工学の専門家で、さまざまなプロジェクトの責任者も務めておられる方ですが、父親のことは英文学者である弟の礼さんにお任せになっている、と伺っており、確かにお父さんについて書いたり、語ったりなさったのは私もほとんど見聞きしておりません。おそらく、ある時点で、礼さんは、文学と父親・伊藤整を引きうける覚悟をなさったのであり、ある時点で、滋さんは父親・伊藤整を礼さんにお任せするという決心をなさったものと思われます。
ただ、珍しく滋さんがお父さんに触れたご講演の記録を、いちどだけ目にしたことがあります。それは北海道のどこかの自治体の招聘で行われた講演で、テーマは滋さんのご専門の都市防災のお話だったと記憶しておりますが、そのなかで父親や母親、祖父の履歴やエピソードに触れておられる。私は、それを読みながら一人で爆笑いたしました。卓越したユーモアのセンスは礼さんに共通するものがおありになるのですが、それに加えて、恐らくは(「父親について語る責任」は弟に任せた。自分がもし語るとしたら、それは「父親に関しては無責任」な長男として語るしかない)というスタンスが、マジメな聴衆を唖然とさせかねない語り、いや騙りを生んだのだと思いました。誤解のないようつけ加えるのですが、私は爆笑しながら、どこかで、これはやはり礼さんと共通する「醒めきった透徹した眼差し」を認めてもおりました。それだけに、私自身がいちばん〈ナマで〉聞きたい。「伊藤整と小樽」それをメインテーマとした滋さんのご講演。
会場は、別のところを想定なさっていたようですが、私は、保科さんにも東田さんにも、せっかくなら文学館のなかで講演をなさっていただけないだろうか、と申し上げ、お二人とも賛同してくださいました。講演の後、市役所のグリークラブが伊藤整の詩に曲をつけた合唱組曲を演奏するのだそうで、東田さんは、「文学館にはピアノもあるの」と、少し驚いた様子。「コーヒーとかのホットドリンクも出せるよね」。それは、もちろん。

これは決定したイベントではないので、詳細が決まれば後日またお知らせいたしますが、実のところウチが経済部や総務部方面「から」相談をもちかけられること自体、以前はほとんどなかったこと。私はこのようなことを考えました。小樽はすでに半ば以上観光都市。けれどもその観光は、どこまでも小樽の歴史と文化の上に乗っているもの。その歴史と文化の痕跡をも削り取ってしまえば、残った観光は砂上の楼閣に過ぎない。ということは皆さん観念的には十分承知なさっているのですが、現実的には「歴史と文化の痕跡」を次代に伝える仕事を担わされている場所は、当然ながら地味。ここが「観光」にとって、実はとても重要な場所なのだ、ということは、外の人ばかりか内部の人間も真剣には意識できなかった(むろん私を含めて)。
今、小樽は(地方都市はいずれも、でしょうが)厳しい財政状態が続いております。砂上であろうが岩盤上であろうが楼閣自体築くことが不可能。そうなってくると初めて目に見えてくる。文化が地味に、けれども「露出している」場所が。
決してカラ元気ではないつもりです。文化施設冬の時代、なんてどうして口にするのかしら。そういうのって、「おこぼれに預かることができた」時代を懐かしむ、とても貧しくさもしい心根。やってることはさほど代わり映えしなくても、少なくともチャンスは拡大している。街に文化をはびこらせる、私たちは街に出、人々がここにくる。そういう時代だということです。

1月6日
■明けましておめでとうございます。
私どもは、本日(1月6日)が、いわゆる「仕事始め」です。そう書いただけで、四方八方から「白い視線」が飛んできそうですが。

この6日間の休日を、私は文字どおり無為に過ごしました。いちばんの遠出は「南小樽生協」……。
三浦つとむの本などを数冊買い込み、たまには勉強らしい勉強を、などとも思ったのですが、案の定、3頁くらいしか読めなかった。これは数十年繰り返してるから、少しは学習してもよさそうなものなのだけど。すなわち、正月なんて何もできない。する気が起きない。
フジフィルムか何かのコマーシャルでやってた、「出た!正月名物『どこのチャンネル回しても同じだな』(全部見てんじゃん)」そのまんま。

同じではありますが、今の時期、いちばん勢いのあるタレントが出ているわけで、それはそれなりに面白い。やっぱり同じような顔ぶれだったけど、ひとつ、ギョッとするようなのがありました。ダウンタウンが進行を務める「笑いの祭典ザ・ドリームマッチ'05」っていうの。
けっこうキャリアを積んでるのも比較的若いのも含めて、でも確かに「第一線」に立ってるコンビをシャッフルし、一晩限りの(仮)コンビを8組つくってコントを競わせるという、実にシンプルな企画。でもお見事。「お笑い芸」の緻密な計算、個々の能力、適性、本番直前の緊張、本番中の客席の反応をみながらの焦り、動揺。残酷なくらい剥き出しにしてみせた。編集の妙も見せ所だったのでしょうが、これ、ナマで放映したら、観てる方も胃が痛くなったんじゃないかしら。
3組目の(期待どおり)カミカミ・スベリに笑い転げていた松本さんの、4組目の意表を突く展開、加速度を上げていく掛け合いを口を結んだまま睨みつけるようにしていたその眼を、カメラはしっかり捉えておりました。
明石家さんまさんがトーク番組中に、ときどき冗談とも本音ともつかぬ調子で口にする「僕ら、毎日、ほんとに怖いんです」って、程度の差があるかもしれないけど、この人たちがいちばんよく自覚してると思う。明日、どうなるか分からない。舌が廻らぬ、ネタが浮かばぬ、空気が読めぬ、客席がみるみる引いていく、滑り出したら止まることができぬ。誰も助けてくれない。「相方」は、今の時点でベストかも知れないが、もちろん、その相方にとっても自分は「相方」に過ぎぬ。
「打ち上げ」もちょっと流していましたが、「ダウンタウンさんがこっち(シャッフルされる方)に入ってくれたら、来年もやってもいいですよ」と言い放った宮迫さんの眼も笑っておりませんでした。

それから昔のビデオを2本。これは、昔泣いた映画・ドラマに今でも涙するものだろうか、と思いまして、久しぶりに。フェリーニの、これは名作中の名作「道」。そして山田太一の、これももはやテレビドラマ史上永遠に記憶される名作となった「冬構え」。テーマに共通するところあり。人は普通に生きているうちは支えられていることに気がつかない、けれども、嫌でも最後に気づかされる。「一人だ」という絶望に。この映画とドラマには、両方とも主人公が、一人で声を上げて泣く場面があるのですが、私はそれが長い長いシーンだと思いこんでいた。記憶というものは曖昧で、このあいだ見直したら、ごく短い嗚咽。でもアンソニー・クインと笠智衆の眼に映っていたものは全く同じ深い闇。

あっちこっち不義理と不人情ばっかりで、こんなことやってたら早晩私自身が誰からも見離され状態に。休み明けのブルー・サースデイ。不義理しているお一人、一原有徳さんから意外(失礼!)なほどしっかりした文字のお手紙と雑誌が。昨年7月にお書きになったその文章に再びびっくり。「趣味」というタイトルの、けっこう長目の文章なのだけど「趣味、同じことを繰り返して愉しむ余技。」という書き出しで、一原さんの小学生のころの「趣味」であった箱庭と豆盆栽!から切手、郷土玩具集め、究極の趣味といわれる石集め(フツーの石ね)を経て、究極のまだ次があった、ということで「第五番目の趣味は美術であった。/ながらく趣味ではないと思いつづけて来て反撥しては来たが、九十三才にしてはじめて趣味であったと、その方がすべてに説明できる」。この一節だけで、絶句、です。その一原さんがあたため続けておられた構想の一つ「私は森林の多い村を対象に、森林の切り込みをして、見えない線の作品化にしたい」ですって。単独行の名登山家としても知られる一原さんですが、凡百のヒューマニスト、エコロジストが聞いたらやっぱり絶句しそうな「趣味」の構想。

一原さんは、覚悟とか悲壮とか無縁の人。「人は一人です。それが何か?」の非情の人。こういう人がまだまだ元気で(〈信頼すべき筋〉の情報によりますと、一原さんはデイ・サービスでやってる手先を使うリハビリで、すっかりリフレッシュされたそうな)「(最初の)私の見えない線の面の構想はこうであった。ビール瓶とコップの二つが置かれてあるだけ、この二つの上部が斜めに一線上に切れ落ちているだけの作品」(この工作は、北大の地質教室の技師に実際にしてもらったが、技術的に難しすぎて完成しなかったそうです)から「森林にかこまれた村に走る見えない線」を構想しているご様子を想像するだけで、私も元気を回復するわけです。