よもやま日記

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文責/市立小樽文学館・玉川薫
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■4月29日
手宮てごわし。ここはひとまず出直しね。

つらつら、私など一人では何もできぬ。援軍はもっとも身近にあり。美術館副館長奥山さんは、ここにくる前の仕事で、小樽市の各町会との連絡をひんぱんにしておられた。心強いぞ、その人脈。
「まずは、ウチの近所の町会たずねてみましょうか」。ん、すぐ近くの八百屋さん、名刺屋さん、クリーニング屋さん?
「どうも、しばらく。その節はお世話になりました」。んー、敷居がすっと引っこむ。話、スムーズに切り出せる。

説明のために何もっていこうかと考えていた。星田さんに頼んで、岡部さんのアート・ワークの記録とか図録とかひととおり眺めた。うん、うん、よく分かる。けど……。
私、けっきょく以前岡部さんが小樽で断片的になさったフロッタージュの展示を、この近くの喫茶店でなさったときの新聞記事を、向かいのコンビニでカラーコピーして持参しました。
これまで何度もウチの企画の取材受けてきた。記者さんの質問に答えてきた。そして内心、たびたび思った。(んー、こんなに説明しても、わかってくださったのかどうか。え、まさか、こんなことご存じない?)。でも、いまは大反省。美術とか文学とか、近代とか、フロッタージュとかワークショップとか、どうやって説明する。学生さんや、カルチャー教室通い詰めてとっても賢くなられた奥様にじゃないですよ。近所のおじさん、おばさん、じいさん、ばあちゃん、がきんちょたちにだ。
わかりやすい!わかりやすいじゃあないか。この新聞記事。「街の皮膚に触れる楽しさ」「芸術家岡部さんフロッタージュ展」「第二埠頭のマンホール」「龍徳寺の石碑」「作品と岡部さん」。見出しと写真だけでわかっちゃうじゃないか、だいたい。

学芸員25年目にして反省することだらけですが、「穴」を書いたのが、3年前だ。書いてから3年目にして、ほんとに「穴」を一歩踏み出た感あり。「小樽・雪あかりの路」が終わって、しばらく「穴」はじゃばらの扉でとざされていたのですが、ゴールデンウィーク初日のきょうから、また開けたのかな。私は、奥山さんと二人で、「穴」を抜け、手宮線沿いに10メートルほど歩いて左に折れた。徒歩2分ね。もう、そこがキーパーソンのお一人たる八百屋さんなんだもの。
「わかったよ。町会の日が決まったら連絡してやるよ。10分くらいならそこで話すればいい」。
稲穂2丁目町会って、この近所14、5軒って話じゃありません。都通りからこっち文学館までの一帯を含む文字どおりの街の中枢。
歩き出した。後には戻れぬ。自分で書いたこととはいえ、緊張いたしますし、ちょっと楽しく興奮もしてる。

悼。JR福知山線の事故で亡くなった方たち。一両目の原形とどめぬ車両に命懸けで入っていったレスキュー隊員、その方の報告。「乗客のてもとの携帯電話が、ずっと鳴り続けていた。着信画面に〈実家〉とみえた。その電話をとって答えたものか、どうかと」。胸が詰まる。ブレーキレバーを握りしめていたという若い運転士の遺骸までたどり着かれたのも、この隊員か。

■4月27日
手宮線こすり出しイベント(シンクロ+シティ2005)の相談をしに、小樽交通記念館へ。学芸員の佐藤さんとお話。ポイントは二つで、交通記念館の敷地内にある手宮線の起点、すなわちゼロマイルから「こすり出し」を始めることができるかということと、出来上がった作品を、交通記念館のなかで展示することができるかということ。
何かを始めようと思うと、つくづく何も知らないことを思い知らされるのが常でありますが、手宮線ゼロマイルって、今は記念碑みたいなのが建ってるのですね。起点そのものは、その記念碑の下にあるそうな。今残っている手宮線の端っこは、記念館の敷地外。道路挟んで向こう側だ。
でも手宮線の歴史をこすり出すという話なので、やっぱり記念館の敷地のなかでこすり出すことになります。入館料減免の手続きとか、重要文化財のこすり出しとかいうことは、でもそんなに難しくはなさそうでした。
二つ目のポイント、交通記念館のなかでの展示ですが、これはむしろ歓迎していただけそう。あそこのエントランスの大壁面とか、吹き抜けになった回廊部分とか覆えるくらいの作品ができれば、大迫力ですね。展覧会の始まりは交通記念館で、後半はウチでできると、二つの館が手宮線でつながっているということも改めて意識できます。

それよりも何よりも、大問題は、どなたたちが、何人くらい、このイベントに参加していただけるかということ。
そこで夕方、観光協会をたずね、佐々木さんとお話。「まず手宮の人でしょう」「手宮の町は手宮線とともに発展したのだもの」。そうかあ。戦後60年とか北海道近代とか以前の話だ。手宮線はなぜ手宮線かということですね。それは手宮を起点としているから。手宮、手宮か。小樽って、だいたい濃いめの街だって思われてるし、私もそう思うことありますが、なかんづく手宮。といっても私何も知らない手宮のこと。25年も小樽に住んでね。

小林多喜二の時代から濃かったんだろうな。「地区の人々」。そうだ、去年の文学散歩、「太宰治の津軽を訪ねて」、あのとき太宰の乳母たけさんの故郷、小泊から、私たちが泊まった竜飛のホテルまで来てくださって津軽の昔話を語ってくださった対馬てみさん。そのお名前は、かつてお父様が暮らしたことのある美しい町の名前から取られた。その町「手宮」を、いちどは訪ねてみたいと、対馬てみさんはお話を締めくくってくださった。

といっても私何も知らない、手宮のこと。明日から、そこの人たちを訪ねてみよう。んー、ちょっと緊張するなあ。

■4月24日
きょうはヨシイさんが寄られたのですが、ヨシイさんはフクジュソウを見にこられたのですね。
ヨシイさんは、前小樽文学館長小笠原克さん(故人)の教え子で、小笠原さんが好きだったハクウンボクとハタンキョウを、文学館の庭に植えられました。
文学館の庭って、そんなのあったっけ。ありません。正確には小樽市分庁舎の海側外壁際の駐車スペース脇の小さな空き地ね。白樺が一本植わっているだけね。そこにハクウンボクとハタンキョウの苗木を植えた。
小笠原さんが亡くなってからも、ヨシイさんはその苗木が気になっておられるのですが、ただのちっぽけな空き地だから誰も面倒なんかみません。3年ほど前「冬囲いをどこかにお願いできませんか。代金は私が払いますので」と頼まれ、シルバー人材センターにお願いしてみたら、「こんな小さな木、代金なんていらないよ」ってサービスしてくれました。つぎの冬も去年も、何も頼まないのにいつもやってくれています。どなたか知らないのだけど、ありがたい。シルバー人材センターの人。
ハクウンボクの脇に小石で丸く囲い、フクジュソウを植えたのもヨシイさんですが、それが気になってる。咲いてますよ、一個だけ。黄色い花をつけてる。
「このへんは土がね」。何だか石だらけですね。「このあたりまで埋立地だったんじゃないかしら。掘り返すといろんなものが出てくるの」。このくらいの空き地なら、少しお金かかってももう少しましな土を入れますかね。「私、ときどき、土入れてるんです。自分で持ってこられるだけの量だけね」。ヨシイさんは展示室を一回りされて、「また夏ごろ、来ます」って帰られた。
ヨシイさんにとっては、小樽文学館の「庭」が主であって、展示室その他は従だ。ヨシイさんは誰がみても庭にはみえないこの「庭」で、小樽文学館につながっておられるわけね。もちろん、大切なリピーターの一人であります。

サトウ君が、ドリルでJJ's Cafe の壁に穴あけだした。亀井館長が少し驚いたらしく「何をしてるの」。JJ's Cafe を作り替えようとしてます。仕切りはあるけど、いっそう開放された空間に。「最近、何冊かタウン誌みてたら、この文学館のここのカフェが隠れたスポットみたいに紹介されてましたね」。小樽全体のなかで、ここはそういう位置になりうると思っています。「そう。よろしくお願いしますね」。サトウ君、館長がよろしくってさ。「あ、はい」。

4時半か。まだ間に合うかな。博物館までカブを飛ばす。博物館のフォトライブラリーを検索するのね。あちゃ、こどもが座ってる。先こされたな。石川さんが説明してます。「どうやればいいかわかるかな」「分かんない」。明日、石川さんフツウに出勤?じゃ、明日出直しますね。先は長い。って、模型担当の真理ちゃんに叱られるな、「時間ないですよ、ぜんぜん」って。

■4月23日
「料金改定」の影響は、これはもうないはずがないのですが、私は基本的に一日中カウンターに座っておりますから、その「影響」のかたちがモロに見えるのであります。
古本だけ見にくるお年寄りが途絶えた。ネットチャットだけやりにくる高校生が途絶えた。ヒマツブシにだけくるオバサンが途絶えた。
数少ないからお客さんの顔は、一人一人見えますね。数少なくなってしまったが、なじみの人が寄ってくださる。
ダークスーツとアタッシェケースの二人連れ。こうゆうタイプ、ウチではめずらしいお客様ですから、だからこそ見覚えあります。前にもいらした。二、三時間話し込んでいかれた。
「んー、お茶だけなんだけどね」。いいんですよ、こっちのカフェ。お休みになるだけなら入館料はいただきません(さりげなく申しましたが、ここ重要)。「あ、そう」って、やはり小一時間、お仕事の打ち合わせ?
おっと、○ちゃん、ひさしぶり、ほんとうに。受付の料金表示みながら、コインパスさぐってる。あ、こっち。こっちにいるだけだったらお金いらない(さりげなく申しましたが、ここ重要)。
「ごぶさたしてました。青春日記終わっちゃったんですね。3月に最後の書き込みしようと思ってたけど、いろんなことあって来れなかった」。ん、卒業だったっけ。「できなくなりました」。?。「実はこどもが」。??!!!。「まもなく籍も入れるんだけど」。!!!!!。
んー、何ともいいがたいけれど、話きけば、それなりにしっかり考えてます。「単位そろえて、高校卒業の資格だけは、今年のうちにとります。あとしばらくは育児に専念するつもり」。
身体に気をつけて、がんばんな。としか私にはいえぬ。キンパチ先生じゃないからね。また、寄んなよ。「こどもを連れて」。うん、待ってる。

きょうは製本教室の日。いつもより早く終わりました。伊藤整のポスター作っておりましたら、北間先生バタバタと走り込んできた。「あと6冊作れるから、それ仕上げないのもったいない」。中身作るの少しセーブしとけばよかったかな。「来週、二、三人のボランティアでそれ仕上げますから、表紙作っておいてください」。カンベンしてください、とはいえないです。

北間先生が帰られたあと、入れ替わりに小樽文學舎会員、観光ガイドクラブ会員、シニアネット会員(ほかにもたくさん入っておられるらしい)マカベさんが入ってこられ、「スクリーンを置かせてもらおうと思うんだけど」。このあいだ、ほぼ新品のプリンタ置いてってくださいましたね。「文美室でね、とりわけ年寄りがさ、パソコンとかプロジェクターとか、いろいろ好きなように使ってもらえるようにさ」。そうゆう風に徐々にしていきたいですね。そういえば、こないだシニアネットの方が打ち合わせか何かなさるのに、文美室を貸してほしい、って申し込まれたな。マカベさんは、かなり年期の入った会員のようです。現状にはいろいろ意見もあるようですが。
で、気になってきたシニアネット会則第5条本会の会員はつぎのとおりとする。概ね50歳以上のシニア。えー!ただし、シニアの心を持つ者は年令を問わない。ううむ。縦からみても横からみても、私は十二分に資格があるわけね。
見やすくて軽い、よいサイトです。おれの小樽道案内、スタッフジャンパー、ううむ。これも気になるな、百花繚乱@シニア。秘かな楽しみ、のお題で、「由美かおると握手」か。やるもんだなー。

客足とだえてますが、今は産みの苦しみ(何もやってませんが)。私のアタマのなかはスパークしはじめている。女子高生が学校帰りに立ち寄る駄菓子屋喫茶、シニアネット、本が好きなだけなんだ、ひとりにしといてくれないか君とかが三々五々寄っては帰るブンガク・カフェを、作る。絶対。デザイナー、サトウ君の天才を借りてね。飛ぶ。I can fly!(by クボヅカ君)。おっと、危。

■4月20日
何でもかんでも安請け合いしなさんな、という話ですが、つぎのようなことをやるので、協力してくれろというお話があり、また請けてしまいました。

岡部昌生プロジェクト企画書

1.名称
岡部昌生 シンクロ+シティ 2005 プロジェクト
OKABE MASAO SYNCHRO + CITY PROJECT 2005
2.趣旨
岡部昌生はフロッタージュにより都市の街路や建物を擦りとり、その場に刻まれた時間や記憶を紙に呼び覚ますことを仕事とする作家である。ライフ・ワークは1986年以来、戦時における加害者と被害者の性格を併せ持つ広島の街を擦りとる仕事であり、2004年、かつての軍港宇品港につながる宇品駅プラットフォーム560メートルをすべて擦りとり、ひとつの到達点を得た。
被爆60周年の2005年9月「岡部昌生展 SYNCHRONICITY(同時生起)」が広島市現代美術館と旧日本銀行広島支店を中心とした数箇所における同時開催展が開催される。この展覧会は「岡部昌生展広島市民サポーター会議」によって計画され、ヒロシマを擦りとる1万人のワークショップの参加費を基金にして運営される。
岡部の出身地北海道では、この広島のプロジェクトとリンクするプロジェクトとして「岡部昌生 シンクロ+シティ2005 サポーター会議」を設置、「岡部昌生 シンクロ+シティ 2005」を展開する。北海道内の各都市の近代の記憶をつなぎ、また広島の記憶へとつなぐ、時空間を横断して人と都市を結ぼうとする行為である。
3.主催
岡部昌生 シンクロ+シティ2005 サポーター会議
4.プロジェクト事業
ワークショップ「北海道の近代を擦りとるワークショップ」(仮称)
日本近代の象徴となる建造物を擦りとり、展覧会「岡部昌生展 SYNCHRONICITY」に出品する。参加者は会費1,000円、でサポーターとなり、フロッタージュ・キットを受け取る。
開催地:・札幌・小樽・釧路・根室・帯広・旭川・夕張
・室蘭・函館・苫小牧

企画書を作られた方のご苦労には申しわけないけれど、私は、このプロジェクトの趣旨は\ ("\) (/")/(おいといて)、街をフロッタージュするということ、それも不特定多数の人たちが参加してそれをやるということ自体に、大いに関心をもちます。

フロッタージュとかワークショップとか、こうゆうのやってる人は、もうみんな知ってるような気になってたりするのだけれど、ほとんどの人は、いうわね。それ何じゃ?
フロッタージュって、実はこれ誰もがやったことあるはず。私もやった。小学校とかの授業中。傷だらけの机のこすりだし。ガリ版のわら半紙にちびた鉛筆でね。こすこすこすって。そうすると、真っ黒のカーボンのなかから浮かび上がる。ろくでもない落書きのあと。ヤスコ・ナオヒコ・らぶ、とか、ハチロー参上、とか、3月マデマテネー、なんて。これがセンダツの歴史の跡です。

それを街なかでやる。おもしろそうでしょ。ただ、漫然とあっちこっちこすってもね。何やってんだろう、この人たちは、って、あわてて目をそらされるだけね。
私は、これをやるならここしかなし、って決めてました。旧国鉄手宮線。何で手宮線か。理屈は好きなようにこねてよろしい。線路こすることに意味がある。

このあいだ岡部さんとお話したときにも申し上げた。小樽には小樽の思惑があります、って。岡部さん、さすがにすぐ理解してくださったように思いますが、もっと正直にいえば、小樽っていうよりこの文学館、もっと素直にいえば、私の思惑。それは、こんなこと
つまりね、この文学館から100人が、塀の「穴」を抜けて外へ出ていく。出たとこ、すぐそこにあるのが手宮線だ。そこをこすり出すのね、100人で。グループ二つに分けようか、片方は小樽交通記念館、すなわち手宮線のゼロマイル地点まで。片方は南小樽まで。いきおいつけばマイカルまで?

また繰り返しますが、やることに何の意義があるって、それはおいとく。でもこれだけは予想しております。線路をね、一心不乱にこする。延々、延々と。すると指先から脳が覚醒する。そして廃線を走り出すのね。どこまで走るか、それは私は、責任もちませんが。

■4月14日
小樽文學舎扱いで、文学館内で販売している書籍には、オリジナルの図録やパンフレットなどの他に、市販されている本を委託されて販売しているものがあります。委託販売というと、頼まれて販売してあげているようですが、もちろん何でもかんでも置いているわけではなく、お客様がここで入手できることに意義があるもの、おもに小林多喜二や伊藤整などの著書を販売しているのです。『ザ・多喜二』小林多喜二全作品まるごと一冊、なんてのも置いています。
メジャーな作家のものだけではなく、当地在住の方が自費で出された書物なども、ときにはしばらく置かせていただくことがあります。
このへん、何を何冊、どのような条件でいつまで置かせていただく、などスタッフの笹原さんがしっかり管理していてくれるので安心なのですが、あずかる期限がきたので、きょう残部を取りに来ていただいたFさんは、文學舎の会員。Fさんは文学研究者ではありませんが、その著書は北海道の文化と歴史、ひいては文学にも係わってくるような分野のもので、またどなたにも親しく興味を持ってもらえるような易しいもの。
残部ひきとっていただき、見本にしていた一冊は、文学館に収蔵するつもりだったのですが、笹原さんのいうことには、「こういう本、文学館の収蔵庫にしまい込まれてしまうと、ほとんど手にとって見られること、なくなりますよね」。まず、そうだね。「せめて、文學舎の会員さんが苦労してお書きになって出されたような本くらい、お客様に気軽に手にとってみてもらうこと、できませんか」。そうだね。自費で句集や歌集、最近だったら手作りでエッセイ集や自分史みたいなの出す人も、いるもんな。「小樽文學舎コーナーみたいなの作って、そこの本棚にある本は文學舎の会員さんが書いたり、作ったりしたもので、お客さんに手にとってみてもらえるように出来ませんか」。それ、いいね。だいじなことだな。すっかり軌道に乗った「製本教室」の成果も、もう7、8冊にはなるはずだ。これもそこに置いて、まず見てもらおうか。あと文學舎でやってることも、そのコーナーで積極的にアピールしていこう。韓国で日本文学研究している大学に図書を贈ったりしていることとかね。

小樽文學舎は、いまや名実ともにこの文学館の事業を支える存在になっております。会員も順調に数を伸ばし、安定してきている。小樽文学館の「支援団体」ですからね、大きな存在ではあっても、「縁の下の力持ち」。私たちスタッフも「縁の下の人」ですが、それよりももっと深いところで支えてくれてる存在。
でもね、もう、むしろ前面に出て、うんとアピールしてもらっていい時期になってると思う。団体、という漠然としたものじゃなくて、会員ひとりひとりにね。やるからには、お座なりなんじゃなく、ちょっとカッコいいコーナーにしようよ。明るくて楽しくて、こういう会なら入ってもいいな、って思えるような。

この文学館は市民に支えられている。それは自明であります。その「市民」は、まずはここに出入りする不特定多数の人たちだ。けれども、その不特定多数の「市民」(市民だけではありませんが)が、確たるカタチとなってこの文学館の一角を占める。そうであっていい、むしろ、そうであるべき時期に来ているということです。

で、このコーナー作りは笹原さん指導のもと、千葉さん主任でお願いね。サトウ君、ちょっと口挟んであげてね。私は、ちょっと仕事溜めてしまった。

■4月8日
朝、ウチの美術館に入ったら何だか暗い気がしまして、カウンターにいた夏秋さんにそういったら、「あ、そうだ。朝いちばんに着くアルバイトの人が変わったものね。ちゃんと伝えてなかったのね」って、館長室のほうへ入っていくドアを開放し、窓のブラインドを上げました。つまり、このドアはいつも開放してあって、窓のブラインドも日中は上げておき、展示室内の作品に影響を与えない程度に外光を入れていたのですね。
ドアやブラインドを閉めると室内は暗くなります、って何てことはない話なのですが、私は差し障りない限り、ありとあらゆる「閉ざすもの」を開放、あるいは撤収したい。それはその気になれば、そうできるものがずいぶんあります。
事務室のドアに窓がついていると、それにペンキ塗ったり、紙貼ったりしたがる人も世の中にはおられるのだが、なぜなんだろう。人に覗かれると落ち着かない、ってのは分からないこともないけれど。でも、少なくとも公務員の仕事はオープンにしましょうね。求められたら情報開示、ってレベルの話してるわけじゃない。つねに衆目に露わに仕事してましょう、ってことです。仕事するほうも気分がいい。んじゃないかなあ。
JJ's Cafe を分かりやすくフリースペースにするための要点。これは仕切のカタチにつきるわけで、こんな前フリをしてみました。バリアはあるのだけれど、同時に開放されている。そんなアンビバレントへ回答するデザイン。サトウ君が昨日15分で描き上げたプランは、そんなカタチだったわけ。
「このガラスケースも移動して、チラシ(フライヤー)を置く棚にしたらどうでしょう」。いいね、でもいまガラスケースに入れてるもの、どこに置いたらいいだろう。「基本的に、モノ置かない」。う。そ、そうね。すっきりするね。
この場所がJJ's Cafe となづけられた由縁は、そもそも植草甚一さんの資料をアレンジするための模擬カフェだったからであり、沼田元氣氏とサトウ君と、センエツながら私のコラボレーションで出来上がったのですが、「小樽・札幌喫茶店物語」展終了後、JJ'こと植草甚一氏の資料が撤収されてしまったら、やっぱり淋しすぎ。サトウ君は、「いいんじゃないすか。これはこれで」なんていってくれたんだけど、やっぱり淋しすぎ。で、空っぽのガラスケースに、少しずつモノを入れだした。おもに60年代の小型家電とかキッチン用品ね。レトロフューチャーっぽいヤツ。日本のものも、フランスとか北欧の小物もあり。もちろん私のなけなしのポケットマネーでね。みな安物だけど。
コレクションのコンセプトはひとこと「カワイイ」です。このニッポン・オリジナルの形容詞については日を改めて詳説したいのだが、セレクトのセンスにはちょこっと自信持ってた。前にニュージーランドの美術館から来たキュレーターも、他の展示よりもこれが気に入ってくれたみたいだし。「グッジョブ!」なんてね。
それをサトウさんに「なくてもいいんじゃないすか」と一蹴されて、私少しメゲもしましたが、目が覚めたような気もする。ハマりかけてたな、って。ハマるのは、けっして悪いことじゃない。けれども、それはおのずから一般多数を排除していく。その行き着くところが、いわゆる「オタク」。くりかえすけど、悪いことじゃあない。でもドアを閉め、ブラインドをおろす。
なくてもいい、か。とはいえ、誰にも彼にもは譲りたくないな。「十一月」さんにでも持っていくか。

■4月7日
ハリマ君のあとに、一年、ウチでアルバイトをやってくれるサトウ君ですが、彼は家具職人というか、デザイナー。JJ's Cafe の椅子、テーブル、カウンターはすべてサトウ君の作品。というより、JJ's Cafe 全体がサトウ君の作品。
JJ's Cafe ができたのは、もう3年前になるかな。「小樽・札幌喫茶店物語」展のときだが、あれをプロデュースしてくれたヌマゲンこと沼田元氣さん。ヌマゲンさんのこだわり、妥協を知らぬスピリットには、嘆声あげながら、往生もしたのですが、そのヌマゲンさんがほとんど唯一才能を認め、一目二目置いたのが、サトウ君のデザインセンス。
その天才、私も同意する。天才、とは何か。私の予想を超える仕業を成す才のことね。
有能な人は世の中、いっぱいおります。優れたアーチスト、デザイナー、ま、レベルの幅はありますが、いる。その仕事は私を感心させるけど、なるほどね、に止まらせる。でも天才は眼からウロコを落とすのね。私にとって宇宙とは、ひとまず私の眼の届く限りの空間でありますが、その宇宙のカタチを変える。それが、天才さん。
あのね、サトウ君。私は、このJJ's Cafe をほんとにフリーなスペースにしたい。ここと展示室の仕切をさ、ちょっと工夫してみてくれないかな。この本棚ずらすだけでも、いいとは思うんだけどね。サトウ君、少し眼を空に泳がせた。しばし後。「あのう、へへ、ちょっと描いてみたんですけど」。え、仕切のデザインプラン。早いな。ん、何これ?! ……!!!!!
そうかあ、なるほど、JJ's Cafe ってこんなん「だった」んだ。ね、これが天才。変わりますよ、変わり続ける文学館。いやが上にも、期待はふくらみます。完成は、ゴールデンウィーク明けかなあ。

■4月2日
会津若松から帰ってきて、新年度初出勤。やっぱり気になる、料金改定後のお客様の入り方。
昨日からきょうにかけて、千葉さん、どおお、毎日みたいに来てたおジイさん。「来てないね」。そうか。

見なれぬ制服の女子高生3人組。「え、150円なの」「100円って言ってたじゃん」「こないだまでそうだったの」「50円か、イタいねー」。彼女たちは、もちろんまっしぐらに端末へ。ん、Macの調子よろしくないか、誰かハンパに詳しいヤツがいじったみたいな。これで、いいだろ。「どーもー」。

うーん、100円から150円、タダから150円かー。まだ、二日目だしね、そのうち慣れるよ、って、ここに限っては私は楽天的になれないな。観光客なら100円が300円でも気にならぬ。私は鶴ガ城の天守閣には昇りませんでしたがね。入場料200円だったが。
でもウチの「リピーター」にはどうかな。さっきもボランティアのマカベさんと、カウンターで話してたんですがとにかく切実、マジ切実。居場所づくり。子供だけじゃないの。お年寄り、高校生、フリーター、ニート、若いママさん。
ときどきここで引き合いに出してるNデパートのロビー。タダで日がなボンヤリしていられる稀な場所。あそこに学ぶべきところ少なくない。ただ、もうちょっとスガスガしい場所。一日いてもムダじゃなかったよね、って思える場所。声かけあわなくても、何となく近いところにいる人たちに親しみ持てる場所。
ウチは、そういう場所になれる可能性ある。事実、なってきた。ここで躓きたくはないの。絶対に。

パソコン女子高生、二人先に帰って、残った一人に思いきって声かけました。あのね、友達とか誘ってくんないかな。端末いくら使ってもいいしさ。小樽文學舎ジュニア会員、年間1000円ってのもあるんだ。7回くれば、もと取れる。「はぁ」。ん、ロコツに、うぜぇな、おっさん、って顔されたな。
んー、いかんな、二日目であせっちゃ。けれども、かくのごとき危機意識を私は抱いてる。打つ手はあるか。あの女子高生は、また来るか。