よもやま日記

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文責/市立小樽文学館・玉川薫
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■5月22日
掲示板に、SHさんが書き込まれたとおり、漏れ聞こえるリハの音、春の文学館にふさわしい。とりわけ昨日のかとうかなこさん、途中でちょいちょい切れるリハーサル、大阪弁でのおしゃべりのようにチャーミング。

きょうはピアノの音が聞こえる。弾いておられるのは、ウチではかつて「さすらいのピアニスト」といっていた方。ピアノマンとは違って、この近所でフツウに仕事しておられるのを、千葉さんが「見たよ」といってたような。
私がだいぶ前に、やや冷たい調子で、「お弾きになるのは構いませんが、ほかのお客様がおいでのときにはご遠慮を。それとできれば20分くらいでお止めいただきたい」と申し上げたことがあり、それからしばらくはおいでにならなかった。
この方、けっしてヘタではありません。原曲に華やかな装飾音符をつけ朗々とお弾きになる。ただそのアレンジのしかたが、ちょっとヘン。少しずつヘン。それが気になる。音楽をたしなむ人なら、おそらくもっと気になる。
ヘタじゃあないんだから、いちど楽譜を勉強して、正確に弾くことからやり直してはいかがか、とも申し上げたくなるのですが、この方、我が道を譲らぬ。恐らく絶対に譲らぬ。
その「さすらいのピアニスト」氏、最近になって、またときどき見えるのですね。土曜日の昼過ぎか、日曜日の夕方だな。以前に来ていたころよりは、ほんとに稀なのですが。

それからウチではセイちゃんと呼んでいる人。この方は、おもにチラシを集めている。いろんなところのね。目的は誰も知らぬが、いつもちゃんと職員に断って、チラシを大量にお持ち帰りになる。
それから「ここは4時までかね、5時までかね。古本市はもう終わったのかね、いつやるのかね」。と来るたびにたずねるご老人。「喉が渇いた。コーヒーをいただくよ」。どうぞ。「お代は」。いいえ、よろしいのですよ。

この文学館の、そしてサトウさんがブラッシュアップに余念がないレトロモダンのJJ's Cafe の「リピーター」の核の一部はこういう人たちだ。ときどき腹も立つのですが、それでも私、知ってるつもり。こういう「リピーター」を失ったら、ウチの存在価値などない、って。

■5月11日
ゴールデンウィーク明けの振替休館というもので、文学館は明日までお休み。この振替休館というものも、風当たりがありまして、そろそろ考えどきか。もっとも年中無休がいいわけでは決してないとは思いますが。館も人も、お休みは必要。目に見えぬ疲労は蓄積していって、気がつけば臨界に、ってこともあろう。
人のことではありませんで、私は今月に入ってから、休んだことあったっけ。自分でも記憶さだかではないのだが、ずっと館に来ているような。例年、この時期かきいれどきではあるんですけども。お客様のではなく、たいていは遅れっぱなしの特別展の準備のね、取り戻し。でも、そんなムリもきかぬ年齢。だいたい、そんなムリしないほうがいい。ムリ重ねた結果が……、って、この話題も気が重い。
ムリしない、って決めた私が、なんで休みに連日「出勤」してる。それは、サトウさんがJJ's Cafe の「仕切り」を作っているからです。
何回か、書いていますが、私はデザインでも、設計でも、まあ、話をきけばだいたいイメージできるほう。しかし、サトウさんのセンスは、やっぱり想像を超える。
どんなに、複雑なことをしてるの、って、その反対ね。シンプルすぎるほどにシンプル。さっき覗きにきた守衛さんとの短い会話で、どんなものを作ろうとしてるのか、ちょっとはイメージできますか。
守衛さん「すごいねー、もう本が一杯はいるよね」。サトウさん「いや、本は、入れないんです」。守衛さん「本を入れるんでしょ。いくらでも入るよね」。サトウさん「いや、本は。入れてもいいか」。おいおい、入れないよ。
これで、イメージできたかどうか分かりませんが、つまりものすごく贅沢な空間になる。ゼイタクって、使えるものを、使わないことでしょ。彼ほど、おそらく先天的に贅沢なイメージを脳内に備えている人、私知らない。
繰り返しますが、作るのは仕切りというか棚だけですよ。サトウさん、今はウチのアルバイターだから、かかるお金は棚板の原材料費のみ。

これだけ簡素になっていくと、ほんとに余計なもの気になってきます。その余計なもののほとんどが、私の持ち込んだもの(哀)。今はテーブルクロス掛けてるから、本来の姿だれにもわからないが、このフーズボールゲーム台、このままここに置いといても、いいのかなあ。持って帰ってくれ、といわれても、私の家には置くところがない(なら、何で買ったんだ、って話だよ)。
サトウさん、ちらとJJ's Cafe の反対側に眼を走らせる。「あっちを」。ん。「こどもの部屋に」。ん?ここからサトウさんが切れ切れに発射し始めたコトバは、私をまた異様に興奮させてきた。サトウさん、基本的にコトバの人じゃないからね。ものすごく断片的。「本を読む人が、思いがけない場所にいたりする」。「あっちにいたり」と天井の一角を。「こっちにいたり」と床のすみを。
そ、それは、本を読む人のオブジェ?と、私はどこまでもマヌケ。「いいえ、人間が」。そんな設計、可能なの。「ムリだと思いますが」。いや、やるな、この人。

この4月、「料金改定」で、それは一般のお客様、とりわけお年寄りにはちょっと辛かった。けれども一方で中学生以下は無料になった。ただし、それをどうやってアピールする。どんどん「自主学習」に使ってね、じゃあ何も変わらぬ。こどもはタダだよ、どんどん奥までいけるよ、じゃあ、その奥にはいったい何があるの、って話だね。

私、ほぼ確信しはじめているのだが、サトウさんとのこの一年。きわめて重要な一年だ。この人、普通名詞としての「文学館」そのものを根こそぎ変革するパワー潜在させてるな。
言葉と論理で強靱なリベラルを着実に構築していく亀井秀雄氏、イメージと技術で、それをカタチにしていくサトウ君。ものすごい両輪が揃いました。私の役目は、ちょっと辻褄を揃えることぐらいね。前代未聞の自由空間としての、文学館にリニューアルしていきますよ。

■5月7日
古本市初日。一日中小雨模様の、とっても寒い日。
でも、お客様はまずまず。何といってもありがたい、ボランティアの人たち。
今回、じつは、改まってお願いしていない、お手伝い。もしお手伝い、一人もこられなかったらどうなってる。最悪、私ひとりでも何とかなるか、などとぼんやり思っていたのであるが、何とかなるはずがない。何とかなるはずがなかった。
毎度毎度の小路君には、頭があがらないが、小路君だけじゃない。どうも、ほんとうに自発的に動き出したのは製本ボランティアを核にした皆さんですね。
先月の製本教室で、あまった材料がもったいないからって、北間さんにいわれ表紙と表紙カバーを6冊分プリントしておきました。これは北間さんがお一人で作ってくれるのだろうと思ってた。
そしたら、先週の土曜日かな、製本教室のメンバーの人たちが5、6人集まってるのね。つまり、もう私のあずかり知らぬ所で、ボランティアの人たちが自発的に行動を始められたということだ。
きょうの古本市にしても、確かに先月の製本教室のときに、その予定をお話しし、もしお時間があれば、お手伝い願えればありがたい、とは確かに申し上げた。けれども、今月に入って、あらためてお願いしてませんからね。正直、あてにはしてなかったんだ。
だから、ちょっと感慨深いものあります。ボランティア育成、いや「育成」はゴーマンだな。とにかく自発的なサポート体制を作っていく、って並大抵のことではございません。

ゴールデンウィークの最終日の二日間、そりゃお天気良くて暖かいにこしたことはありませんが、ぼちぼちぼちぼちと人の絶えぬ古本市も、古書須雅屋店主にして第四回古本小説大賞受賞作家、須賀章雅さんのお話「古本屋のゆくえ」も、小雨模様の肌寒い文学館に、何だか妙にふさわしい、心なごむイベントでありました。
明日も、ご来館、お待ち申し上げております。

■5月4日
再度、手宮へ。こんどは奥山さんの案内で、さる老人クラブの会長さん宅。ものすごく急坂の、しかも細くくねった道をのぼりつめたところ。「まんなかが盛り上がってるのは、冬にしばれるからですよ」、と奥山さん。のぼりつめたら、眺望一気に広がる。それが手宮の町だ。
「不便なところだけど、いちど住んだら、海が見えないところには住めなくなります」と、これは会長さんの奥様が帰り際におっしゃった。

肝心のお話。フロッタージュなんてコトバは使いません。やわらかい鉛筆つかって、歴史の跡をこすり出し。たくさん集めて、ひとつの大きな作品にする。できあがったら、交通記念館の大きな壁に飾ります。
会長さんは、なかなかうなずきません。「何かの手伝いだと思ってたからな。今の話だったら、わしらがゲージュツをやるってかい」。「じいさんたちがよ、鉛筆わたされてもな。何やったらいいか困るだけだが」。かんたんなんですよ。小学生が図画の時間にいちばん初めにやるような。
奥様が、汽車の絵がレリーフになってるプレートみたいなの持ってきてくれたから、目の前のチラシの裏に、鉛筆でこすってみせる。そうか、この会長さんは、国鉄のOBか。
「わしらは、あんたみたいなゲージュツカじゃないからな」。いや、私はゲージュツはやりませんが。「こんど、役員会があるから、そこで話してもいいが、みんなわかるとは思えんな」。「あんたが、目の前でやってみせんと、わしもまだようわからん」。
わかりました。やりましょう。会長さん、明日。ご足労お願いできますか。「これでも忙しいからね。午前中ならな」。わかりました、道具そろえて、また参ります。
特別な鉛筆、使うらしいけど、そのへんの文房具屋さんにも売ってるよね。札幌の事務局の樽野さんに電話。「ええ、シン鉛筆というものを使われるそうです。鉛筆全体が、シンになってるようなものらしいのですが」。この辺にも売ってますかね。「さあ」。
ネットで調べてみました。これか?月光荘でしか買えないの?
カブを飛ばして文教堂へ。何とかちょっと似てるの買ってきました。これを明日までに、削っておかねば。
帰りに、奥山さんと交通記念館敷地内の鉄道遺跡をつくづくと観察。「レールの肉厚がね、この時代のものは薄いんですよ」「このつなぎめあたりに刻印があるでしょう。これでおよそ時代が分かるらしい」。くわしいじゃないか、奥山さん。

文学館にもどってから、夕方に、こんどは文学館側の手宮線観察。「ここが色内駅のトイレだったと聞いてます。窓が当時のままだそうです」。え、ここって、交番ですよ。「壁の色を塗り替えただけじゃないかな」。
驚愕の事実です。伊藤整の「幽鬼の街」に出てくる、主人公が捨てた女の亡霊に腕をつかまれる色内駅の便所って……、現交番?!

■5月3日
「伊藤整の『日本文壇史』」展のときの、展示リストを探したのだけど、どうにも出てきません。
出てこないのも道理ね。こりゃ「桐」で作ったデータベースじゃないか。
そうか、7年前になるのか。7年前は、まだPC使ってたのね。DOSマシンの。
このときの図録は、完全にDTPで作ってるから、もうMacはかなり慣れたころだけど、データベースだけは、まだこれ使ってたんだな。使いやすかったものね、「桐」。その高機能の100分の1も使ってなかったんだろうけど。
で、ほこりだらけのPC-9801ひきずりだして、スイッチオン。ピー。
how many files(0-15)
はぁ?なんじゃ、これ?うーん、すっかり忘れてるなあ。で、runとか、w/dirとか(恥)、無茶苦茶打ってみる。汗が流れる。パワーユーザー、ビギナーなんて「死語」が浮かぶ。
config.sys が書けて、ま、ようやっとビギナー卒業かねえ、なんて言われていた時代です。永遠のビギナーの烙印押されて終わり(私だけじゃないだろうけど)。
そうか、ハードディスクの電源、先に入れないと。ガタガタ、キー。ピー。あ、メニューが立ち上がった。
3時間ほど格闘して、何とかデータ取り出しましたが。何だか、自分が苦労してきたこと、みんな砂みたいに崩れ去ってるんじゃないかしら。記憶力ないから、わりにポジティブなんだ、といつもはノーテンキな私だが、ちょっとガックリ。

記憶って不思議なもので、何回か書いているけど、ウチにおいでのお客様、しばしばあり得ない「記憶」を言い募る。ここには、ぜったいに、こうこう、こういうものが展示されていたはずです、のタグイね。
先日いらした方々には、少し驚かされました。お年を召した方々、5、6人かな。「あのね、大きな古い地図を出していたでしょう」。それは、展示のテーマによってそのようなものも。「窓、いっぱいになるような」。え?「ここじゃないな、そっちの美術館だ」。え?そこの窓に、何か展示することありえません。それに美術館で古地図を展示したことは、ないな。「まちがいないよ。わしだけじゃない、息子も別なときに見ている」。?「わしの家が、むかし商売をやっていたときの屋号が、ちゃんと出ていた」。
ついてこられた方々も、ここに至って、顔を見合わせ始められたのだけど、けっきょく、何をどう、記憶違いなさっておられたのか、未だに分かりません。

昨日は文学館はお休み。報告遅くなって心配かけたであろう、岡部昌生さんのワークショップの事務局なさっている樽野さん訪ねた帰り、狸小路歩いてみました(札幌に出るのも稀になりましたが、出れば狸小路歩いているな。新しいデパートとか入る気にならない。トシ取ったんだな)。
1丁目の「デリー」に入る。20年振りかなあ。店の構えさえ覚えてないんだけど、カレーはおいしい、やっぱりね。で、あれがあるはず。ん?まさか……。「記憶の捏造」?本気で心配になってきた。
ごちそうさまでした。あの……、この店に、昔ありませんでしたか。夏目房之介さんという方が描いた絵。「ありましたよ。四つの小さな絵をあわせたの」。ほーっ。で、今それは。「家にあります」。ほッ。
よかったなあ、この絵だけはありありと覚えている、つもりだった。一瞬これも幻だったか、って思ってしまった。4コマみたいになっててね。正面から見た同じ男の顔が連続してる。これは、カレーの辛さの段階によって、人間がどのように変化するかを描いたらしい。
1コマめ。男は無表情だ。2コマめ。額にうっすら汗をかいている。髪も少し乱れ気味、ネクタイも少々ゆるんでいる。3コマめ。ありえないくらい汗だくになっている(私と同じ状態ね)。襟元もすっかりはだけている。4コマめ。ん、一線を超えたのね。ゲダツ状態。
私には、この絵と「デリー」のカシミールは一心同体だったから。マチガイじゃなくて、ほんとによかったけれど、絵の内容はもう確かめようがないな。まあね、現実が〈現実〉じゃない。記憶が〈現実〉ですからね。