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■6月24日
暑い。昨日の札幌の最高気温は、東京を上回ったそうです。
家のものも、館の人たちも、へばっておりますが、私はそうでもない。
先日の委員会でも、私一人最後までスーツの上着を脱ぎませんでした。「クール・ビズ」に抵抗しているわけではありませんが。
まあ28、9度は暑いうちには入らない。私の感覚では「暑い」とは、じっとしてても汗がしたたり落ちるような状態。もっとも汗をかかなくなったのは、年取った証拠か。
そもそも私は暑さに弱い(と思っていた)。福井から北大めざしたのは、夏でも涼しかろう、あと蚊が少なかろうと思ったから(マジです)。でもドサンコは、ほんとに暑さに弱いなあ。
旧北海道拓殖銀行から呼び出しを受けまして、私は爽やかな暑さのなか、札幌へ行ってまいりました。同行が消滅してから8年ほども経っておりますが、残務処理は、なお続いている。北海道を支えてきた巨大銀行だから残された書類も膨大。そのなかに小林多喜二の辞令簿や、名前その他が記載された職員録も残されていたわけね。生誕100年記念展のときに貸してくださったそれらを正式にご寄贈くださるとのことで、同銀行へ伺ったのです。
「遅いですね、玉川さん」。2年前にも叱られたな。11時「ごろ」って申したのですけどね。
「今、オタクの事務室に電話したところです。職員の方が、玉川さんの携帯の番号を教えましょうか、と申されましたが、私は電車のなかで、あるいは歩きながら携帯電話で話すような人たちを好まない」。私は割と好きなんだ、このプライド高いおジイさん。「それでは、これがお約束のもの。受領書書いてください」。はい。
「ほんの先程、おいでになる2時間ほど前ですが、こんなもの出てまいりました。ご自由にお使いください」。ほお、これは。驚いたな。「ご足労いただきましたからね。喜んでいただければ何よりです」。ううむ。何をくださったのか、それは近日発表いたします。
「これらも黙っていれば焼却処分です。すでに八、九割方処理は終了しました。でもまだ今に至るまで影響を及ぼしかねない書類も少なくない」。ほんとうに、たいへんなお仕事だな。気骨が折れるし、徒労感も否めないだろう。ひょっとするとこのご老人、小林多喜二の名前の残された書類が出てきたことを、私以上に喜んでおられるのかも。
私の傷だらけのリモワのアルミトランクを見て、「玉川さん、車ではなくJRでいらしたのですか」。2年前にも同じこと聞かれたな。私はたいていの場合、電車と徒歩です。「暑いなか、ご苦労様です」。ご老人もたいへんなお仕事、どうかお身体に気をつけて。
名札に何とか局長、って書いてあったな。偉い人なんだろうか。
■6月22日
余市一泊文学ツアー(伊藤整・青春旅行)も無事終了。
特別展オープン、講演会・シンポジウムと連続四日に及んだイベントで、生誕100年事業のヤマは、越えました。
自画自賛は見苦しき仕業ですが、けれども咎められることはないでしょう。とても高いレベルで越えました。想定内、といいたいが、想定外の高いレベルでありました。
講演会・シンポジウム入場者数は延べ300人。なかでもシンポジウム「伊藤整の戦後と『チャタレイ裁判』」。
今回の講演会、シンポジウムの講師は、皆様ご想像のように、25年間の小樽文学館の活動で培ってきた人の縁に加え、とくに大学教官時代後半、海外の研究機関に招聘される機会が増えた亀井秀雄氏の個人的人脈からセレクトされました。人脈は限られているが、それは選りすぐりであるといってよろしかろう。けれども人脈に寄りかかった人選では決してありません。
横手一彦氏。この人と亀井秀雄氏は、パーソナルな接点はほとんどなかったと思います。また、今回の講師は、皆さんが「伊藤整の専門家」ではけっしてないのだが、なかでも横手氏にとって「伊藤整・チャタレイ」は、氏が拡げていこうとしている膨大な網の、ほんの一端。
けれども亀井館長は、まっすぐこの人を指名した。そしてその指名は、みごとに的を射抜いていたと思います。
気が急き、うわずるような横手氏の発表で、シンポジウムは、静かに、けれども一気にヒートアップしたようでした。
シンポジウムの詳細は、数か月後にできあがるはずの(これが、もう一つのヤマですが)、「講演会・シンポジウム『よみがえる伊藤整』全記録」を、ご来場の方も、残念ながらお越しになれなかった方も、どうか楽しみにお待ちいただきたい。
横手氏には、余市一泊文学ツアーまでお付き合いいただいたのですが、私は、謙虚で生真面目なその人柄にも惹かれました。軽い雑談のつもりで話しかけても、横手氏は、つい早口に、つい熱がこもってしまい、はっとなさったように口をつぐまれる。お一人で、考え込んでおられるようなところも、しばしば見受けられました。
横手先生は、お生まれは青森だったのですか。昨年のウチの文学散歩は「太宰治の『津軽』を訪ねて」だったのですよ。「『津軽』の、あのラストは」。と横手氏顔を上げられる。「戦時の抑圧のなかで、わずかに心が癒される故郷に辿りつく、そのような太宰の抵抗文学ともみなされる」「けれども、私は、あのシーンにも戦時の濃い影を見出します」「『津軽』は、太宰が書きたかったであろうことも書けていないし、書くべきであったことも書いていない」。私が、やや慌てた風をみせてしまったのを見て取って、横手氏も、また、はっとなさったように黙られる。
しばらくご無沙汰していたノーマ・フィールドさんからメールをいただきました。ノーマさんは、東京にご用があり、シンポジウムの途中で会場を出なければならなかったそうですが、その前半だけでも「すばらしかった」とのご感想。
ノーマさんも横手さんの発表に強く感じるものがあり、会場でその著書(『敗戦期文学試論』)も買われ、出発時間の迫るなか、横手さんと自己紹介も交わされたらしい。そして、初対面の横手氏から、いきなり「米国の議会図書館に眠っている小林多喜二の資料を見てきてください」と言われた。ノーマさんのメールには、こう続けられていました。「彼は入れてもらえなかったそうです」。
謙虚と含羞が一転する、ひたむきと率直。日本と米国の二人の研究者が、正面から対峙し、連携する。
私は、ひとりでひそかにエキサイトしているのですが、私たちがやってきたこと、それは、このように発展する。それがさらに、どのように発展するか。ほんとに「縁の下」冥利に尽きるな。
■6月16日
会津若松方面から、たくさんの高級バナナをいただきました。
千葉さんが、「バナナは吊しておくと、長持ちする」ということで、脚立にたくさんのバナナの房をさげていきましたので、文学館はバナナの良い香りが充満しております(どうすんだよ)。
展覧会の準備に費やせる時間は、明日一日だけ。今朝は、私は8時にJRで余市に向かい(ほんとうは、もっと早起きする予定だったのですが)、余市駅で下車し、20分くらい時間をつぶして、またJRに乗って小樽へ戻ってまいりました。
時間がないのに、何をやってるか。少しヘンになっていないか。
いや、その、ビデオを撮ってきたのですね。伊藤整が通学列車の車窓からみたであろう風景を。
この手も、最初やったときは、そこそこザンシンであったのですが、科学館でやった宮沢賢治展を含めて3回目じゃなあ、新鮮味も薄れますが。遅く起きたせいで、こころなしか車窓を流れる「伊藤整、青春の風景」も、やや瑞々しさが足りないような。
いつもの調子で、こんな瀬戸際になってから、ウチでお預かりしている伊藤整の膨大な資料をひっくり返しているのですが、そのつど結構たいへんなものが見つかるのですね。亀井館長がみつけた「チャタレイ夫人の恋人」の翻訳者伊藤整の大量の書き込みなど、その最たるものですが、片々たるメモ帳の類にも、おや、と思わせるものが混じっております。
例えばこんな。「青春」の(おそらく)原構想メモ。「幽鬼の街」で、小樽の街を、主人公が逃走する順路のメモ。「櫻谷多助のノオト」のノート!
どうやらウチで、生資料のおもしろさに目ざめたらしい亀井秀雄氏をはじめ、曽根博義先生、ウィリアム・タイラーさんなども目を引かれそうな気がしますが。
私?いや、私は人に喜んでもらえれば、それでいいんで。などと書いてるヒマはない。どうするかな。バナナ1本食べるかな。
■6月13日
コンビニで夜ご飯を買ってきて、守衛さんに扉を閉めるように頼んできました。えーと、扉を閉めるということは、私も朝まで文学館から出られなくなるということで、つまり徹夜ケテーイ(使ってみました)です。数年前は、ほぼ一週間泊まり込んだこともありますが(いばってもしかたないけど)、初老となった身にはツラい。気候的には、北海道もようやく初夏っぽくなりまして、凍えることはなかろうが。
徹夜ケテーイで、日記書いてるのも、我ながらどうかと思いますが、ここに、も一つあの写真ほしいな、確かあったよな。なんて、昔の展覧会で使ったものひっくり返していると、それだけで3時間くらいあっというまに経過するのでありますが、それよりも大量に出てくる昔使った写真や記録写真、ほんとにいろんな人たちと交わした手紙など、手に触れるだけで、アタマのなか走馬灯のように駆けめぐりはじめてしまいます。25年の、この文学館の歴史と、うーん、公私混同ってゆわれても仕方ないけど(より近いのはメッシボウコウだけどね。いや、ま、この仕事、嫌いなわけじゃあないですから)、やっぱりイコール私の25年だ。
懐かしいとかじゃなくてね、つらい。切ない。胸が痛む。ほんとに遠くに去っていった人たちも、少なくない。25年ですからね。などと落ち込んでたら、それこそ何のための徹夜だ。
で、サクッと切り替えて、テンション上げよう。真夜中に一人で(淋しい……)。
■6月12日(その2)
JJ's Cafe は、みごとにスッキリ。リピーターも、徐々にではありますが、復帰しつつあります。
古本リサイクルコーナー、毎日のようにいらしていたのに、4月以降、ぱったり姿をみせなくなったご老人も、久しぶりにいらした。「(入場料は)いいの」。うん、いいんですよ。「文庫本の背文字は細かいなあ」。いつもライト付きの天眼鏡(大型ムシメガネ)持ち歩いておられるのか。
その古本コーナーですが、すっきりしたJJ's Cafe のカウンターから眺めると、ゴチャついた感じ、暑苦しい感じ、気になってきたな。
このゴチャゴチャこそ、古本の魅力。伝統的古本屋さんのミニチュアね。といってきたのは、この私だし、確かに乱雑なのが気楽でいいね、とも言われ。
うーむ、でも薄暗い、暑苦しい。サトウさん、まずさ、大窓ほとんど覆っているそのカーテン、はずしてくれないか。「ずいぶん汚れてますね」。お金かけてクリーニングしても、しょうがなかろう。捨てましょう。うん、ずいぶん明るくなった。涼しげになった。実際は、これからの季節、西日ガンガン差し込むんだけどね。それでも、いいさ。
こうして大窓が露出して、かの小坂秀雄氏が設計したこの建物(旧小樽地方貯金局)の建物本来が持っていた魅力の一端がふたたび現れたのね。なにより明るい。開放感、溢れてくる。
となると、つぎつぎ気になってくるのね。
うん、古本の棚が多すぎるね。少し整理しましょう。ストックもあるし、ときどき手を入れ、良さげな本を揃えましょう。JJ's Cafe
の明るさ、開放感をいっきょにそっちのコーナーと共有してしまいましょう。無料コーナーの一体化ね。
もっと思いきるか。デザインしてみないか、サトウ君。何か、アイディアないか。
「青竹」。はぁ?「青竹をブラインドみたいに並べ、アールをつけ、小上がりみたいな場所を作る」。うーん。「年輩の方、多いですよね。靴を脱いで、くつろいでもらう」。ううむ。サトウさん、今まで家具とかに竹を使ったことってあるの?「えーと、昔」。昔?「釣り竿を」。釣り竿って、竹のまんまじゃない。よく青竹なんて、思いついたね。「前から古本コーナーを眺め、あっちは和っぽい感じが合うかな、って思ってました。竹って意外に安いみたいだし」。ううむ。
伊藤整展控えてそれどころじゃないのだが、困った。私のアタマに鮮やかな青竹のイメージ染みついてしまった。敷きつめられた青竹、爽やかな竹の香り。吹き抜ける微風。手に触れ、蹠に触れ、背中にふれる青竹の凹凸。古本手にして横になり、つい、うとつく、文学館の昼下がり。
そのコンセプトは。世界一気持ちの良いうたたねのできる、文学館です。
■6月12日
急ぎのお知らせ。6月20日(月)・21日(火)両日の小樽・余市文学ツアー、まだ定員に達しておりませんので、本日いっぱいまで受け付けます。市立小樽文学館長亀井秀雄氏のHPに、このツアーの詳細があります。参加費用15000円が高いか安いか、人それぞれに感じ方が違って当然ですが、こんなメンバーが同乗するバスツアーは、これまでありませんでしたし、今後もちょっとあり得ないかな、とは思います。
それ抜きに、水明閣ご一泊、イチゴ狩りとジンギスカンだけでも、15000円くらいかかると思えば、やっぱり激安。
ハガキでは間に合いませんので、文学館までお電話0134-32-2388くださるか、「上の直接メールくださるときは、こちらへ」のところをクリックして、私、玉川あてメールください。お待ちしております。
■6月11日
亀井館長の、シンポジウムのための関連講座「『チャタレイ裁判』とはどんな裁判だったのか」。無事終了です。講座の内容は、(もちろん)たいへんおもしろかったのですが、本日の講座のミソは、「会場」。ウィングベイ小樽1階中央イマジネーションチャンバー近くの店舗跡。ながいなー。説明しづらいですね。
そもそもの発端は、ふつうなら文学館の一階の研修室と呼ばれている部屋でやるのですが、たまたま今日6月11日は、はやくから予約が入っておりました。困りましたね、近くに適当な場所がないですかね、って話から始まったのですが、私思いつきました。喜久屋書店。今回の講演会・シンポジウムにも協賛してくださっているウィングベイ小樽3Fにある大型書店。
前に喜久屋書店本社の社長さんと、小樽店の店長さんといっしょに文学館に寄ってくださったことありまして、その若い社長さん、ウチの雰囲気やJJ's
Cafe や古本リサイクルなど、当方とまどうくらい感心してくださって。「書店も今までみたいにお客様待ってるだけじゃだめだ。積極的に地域の人たちと繋がっていかないと」などと。その発展線上に、今回のご協賛もあったわけですが、「協賛」という言葉そのものには、さしたる意味なし。それが外へ向かっても分かりやすいカタチを作っていかないと。
喜久屋書店さんでやらしてもらいましょう、以前ノーマ・フィールドさんが、書店のわきのカフェみたいなところでお話しされたことがある。
喜久屋書店さん、積極的に動いてくださった。「あのカフェでは狭いでしょう。一階に格好のスペースがあるのですが」。ということで、先日その場所を拝見にあがりました。あ、ここか。
ここなら知ってる。こないだまでBrooksBrothers(ただしOutlet店)あったとこじゃないか。
私マイカル(現ウィングベイ小樽)のなかでは数少ない、ちょくちょく覗いたお店。ヴァン・ヂャケット世代ですからね(笑いなさんなよ)。先だって亡くなった石津謙介氏や、くろすとしゆき氏(アイヴィースタイルの理論的支柱?)から影響されたというより、この人たちのおかげで、私は身につけるものについて考える必要がなくなった。特にくろす氏あたりが連発した、「〜は、〜でなければならない」的「決めつけ」(ボタンダウンシャツはオックスフォードの○番手、糊付けはもってのほか、みたいなね)は、当時から今に至るまでしばしば揶揄されたりするのですが、これは有効。私は、石津氏、くろす氏らの保証によって、安心してお葬式も結婚式もミッドナイトネーヴィーのスーツで済ませてこれたわけです。その私らには永遠に手が届かない世界であろうと思われていたのが「BrooksBrothers」のゴールデンフリースのマークだったのだけど。当時は、小樽のデパートにアウトレット店ができる時代がくるなんて、夢にも思いませんでした。
って、話、大幅にズレまくり。いまやその店も空き店舗(かなしい)。その隣の海に臨んだお店も空き店舗(かなしい)。でもそんなロケーションだから、そこはあの巨大商業施設のなかでもたいへん明るい開放的なホールになったのね。いまのところ「ウィングベイ小樽1階中央イマジネーションチャンバー近くの店舗跡」としか説明できないのが、唯一の欠点ですが。
もちろん講演にむいている場所ではありません。ウィングベイ小樽に札幌側から入っていきましょう。左手には巨大な100円ショップが続きます。右手はマクドナルドとか石焼きビビンバとか激安ラーメンなどのファストフード店が並んでおります。それを過ぎたらスーパーマーケット、ケータイ電話屋さんなどね。そうした喧噪を抜けたところに、その「空き店舗」がある。
いちばん喧噪な部分は抜けたとはいえ、ひっきりなしに人が通る。家族連れが多い。泣きわめきながらママを追っかける三歳児ちゃんとかね。
そういうところで亀井秀雄氏が講義をするわけです。「きょうのは自信があるんですよ」。こんな場所なんですが。「おもしろいですね」。たまたま近くで用事があったらしい市長が覗かれて、市長も思わず笑っておいででした。
まあね、私も亀井さんの講座、でなければ、さすがにここでやる度胸はないです。声張り上げたり、感情盛り上げたり、パフォーマンスっぽいこと一切やらない人ですが、内容に自信持っておられる。その内容だけで、どんな場所であろうと、聴衆を引きつける自信を持っておられる。
だから、私は、ここを会場に選んだ。成功かどうか、じゃなくて、私断言する。きょうの講座の会場を「ここ」にしたこと。これは小樽の街の何かを変えました。後々まで尾を引きます。どういうふうにか、それは私も皆目見当つきませんけど。
■6月10日
こすり出し。とかく手強いでしょう、といわれる学校へ。お宅の近辺なら、あっちの校域ですよ、とある校長先生にいわれてしまい、その学校、堺小学校へ。文学館から歩いて5分です。坂のてっぺんだから、息が切れますが。
ここでも生きる、奥山さん(美術館副館長)の教育方面の人脈。顔をだしてくださったのは奥山さんの学校時代の同期生であるベテランの先生と、若々しいスポーツマンタイプの教頭先生。
お二人とも真剣に聴いてくださったのですが、話し終えるころ、教頭先生が、「私、美術のほうなので、岡部さんもよく存じております」。おお。「私自身もフロッタージュ、こころみたこともあります」。おお。「まだ、先生たちにはお話ししてなかったんですが、来年の卒業生たちには、学校の壁をフロッタージュさせ、そこに自画像を描かせてみようかと思っていました」。おおー。「7月3日か、スケジュール確認します。うーん、この町内会のこども会議があるな、私もそれに出なければならない。ちょうど10時からですね」。ううん、残念。「そのこども会議にでるこどもたち連れて、フロッタージュやってから、学校に戻ってもいいんですよ」。やった。
手宮線沿線が校域になっている学校って、どれも歴史が古い。でもおしなべて児童数、きょくたんに少なくなっている。奥山さんとベテラン先生が、帰りがけに話を交わしてます。「おれは、今二学年いっしょに教えてるんだ。複式学級だよ」。教頭先生が、学校をフロッタージュしよう、それを卒業生の思い出にさせよう、と思いつかれたの、何となく分かるのね。ちょっぴり胸が痛い。そして、なおさら、参加してほしい。そのこどもたちと親たちと先生たちに。
文学館に戻ってみると、お昼ごろにいらしていたコートにレインハット、眼鏡の、ちょっと年がいった学生さんらしい方。この方、数日前にいらしており、「ここで本を出していると聞いたのですが」。ん、製本教室のことですか。あれは半ば趣味的な集まりですが、だいぶ技術も上がってきましたので、文学館に飾られてるような古い作家の小説とか、小樽在住の方の作品なんかも本にして、うまくできれば少しずつでも皆さんに頒布もしようかと。とっても地味だけどウチみたい文学館じゃなきゃできない「事業」になるかも。
「私の原稿、本にしていただけないでしょうか」。は?。その方の胸には、おおきめのネームプレートがあり、お名前とH大学という文字と、SN高校というその方の母校らしい名門校の名が。ん、近くで同窓会か、学会でもあってのお帰りなのか。でも、ちょっと……。
「これ、S社に送ったこともあるのですが、返されてしまいました」。ええ、拝見。うーん、後の方、ずいぶん薄くなってますね。コピーしても写らないなあ。もういちどプリントしていただくか、この部分だけでも打ち直していただかないと、まず読めないのですが。
「私の機械、壊れてしまって」。……。「あの、近くのコンビニで、何とか文字が読めるようにコピーしてきます」。そうですか……。
堺小学校から戻ったら、この方がまたいらしていたのです。「何とか」。ああ、読めますね。まず私がワープロで打ち直してみます。それをみていただいて直すところ直していただき、北間先生たちと相談してみましょう。一、二冊なら製本できるかも知れない。
「うれしいなあ。本ができたら売れるかも知れない。今、いろいろ困っているのです」。そりゃ、ムリですよ、できても一、二冊だもの。お金にはなりません。「そうですね。でもうれしいなあ」。さっきチラリと見えた、その方のカバンのなかには、小さなビニールの袋がいっぱい。
よけいなこと聞いちゃいけない、と思いながらもつい。あの、大学出られてどうしておられるのですか。「大学院進むつもりなんですが、何度も失敗して」。……。
いや、やってられません、すみません、と断ればいい。だいたい引き受けといてほんとに月末までにやってあげられるのか。来週始まる伊藤整展、どうなってんだよ。いちばんだいじな仕事手え抜くギゼンの八方美人のエセ学芸員、それが私だ。けど。
そんなことやってくれる文学館、ないじゃないか、ウチ以外に。
■6月5日
きょうまで東京。小坂秀雄が設立した丸ノ内設計事務所と伊藤礼さん宅。
用事がわりあいに早く済んだこともあり、ひさしぶりにアキバを歩いてみました。
話には聞いていましたが、様変わりしましたね。猥雑なのは昔からだけど、その猥雑が新しいものを生み出すエネルギーを感じさせなくなってる。ITの成熟した段階なのかも知れませんが、デカダン。コンピュータもゲームも全体としては新しい展開がみえなくなっている。萌え〜だけが氾濫しているのにはさすがに辟易。
Apple専門店も目についたのは一軒だけ。それでもそんな状況のなかで、AppleとNintendoは、一貫したポリシー崩さなくて好感もてます。両者に共通するのはワキミね。多機能化とか画質音質向上にまっしぐらになるんじゃなくて、ときどき方向をずらすのね。遊びとは何か、マンマシンインターフェイスとは何か、それをいちばんに考えてるから。
だいぶまえに雑誌でみかけた「iPod」の開発者へのインタビュー。名前と風貌から察するにチャイナ系米国人?その方のおっしゃるiPodのツボとは、「大量」ということ。容量最大のiPodは1万5000曲をポケットに入れて歩ける。途方もない曲数。実感としてほぼ無限。そこまでいって、初めて音楽とライフスタイルの関係に劇的な変化が起こりうる。ウォークマンのデビュー以来だ。SONYが悔しがるわけです。でも今のSONYには、あのころの画期を起こす予感が感じられない。
iPodに戻るが、量が一定のラインを超えたとき劇的な質の転換をもたらす。唯物弁証法ね。
話は更にいっきょに小樽に戻りますが、私は今度の手宮線こすり出し、最低でも100人以上、できればマジに300人を動かしたい。それも「こうしたこと」に全く関心もたなかった、てゆうか、関心持つ機会がなかった人たち。手宮線沿線でリアルな生活を送っている住民を。
ちょっと語弊があるかも知れぬが、10人、20人の有志、精鋭じゃ仕方ないの。それでもいいものはできるだろうし、プロジェクト全体の質も高めるでしょう。でもそれは「想定内」。私が向けようとしている方向性は、ありとあらゆる想定を裏切るもの。意識が高かろうが低かろうが関係ない。ただし大勢の参加。これが絶対に必要だ。
どうなるかな。スリリングですね。ウチの根幹だって揺るがせかねない。そんな楽しみな覚悟もしておるのです。
■6月2日
私はたいへん小さな八百屋のこどもでありまして、10年以上前に自分の店の前でバイクにはねられて死んだ父親は、農家の三男坊、戦争に行って怪我して帰ってきても、財産もなければ教育もない。
そんなんで始めた小さな店、それなりに知恵を絞って商いを生涯続けた。
そんな親父のDNA私も受け継いでいる。だから商い、といっても0が5つ以上つくとよく分からなくなる小商いの世界ね、それに興味がとてもあります。
現在、ウチの美術館で開催中の斎藤清展。展覧会の内容はもとより、豊富にある記念品コーナーがとても人気。種類もたいへん豊富です。初め、これが届いたときは、私も美術館のスタッフも少し驚いた。そのくらい大量。
でもお客様にとっては楽しいのですね。入手しやすい絵はがきから、なかにはかなり高価な複製画まで。それは買えない、買わなくても何となく楽しい。高価なものをみて、驚きながら感心しつつ、手頃な絵はがき買って帰る。それは展覧会のトータルとしての楽しみの、かなり大きなウエイトを占めるのであります。
ただ最近みかける、あまりにも巨大なミュージアム・ショップは鼻白む。やっぱり嬉しいのは、ぜったいそこでしか手に入らぬレア物だ。美術館特別展の記念品、売れ行き好調なのを横目で見てうらやましいわけですが、ウチ小樽文学館にもレア・グッズ(グッズはやだな、文学館土産と呼びましょう)あり。その最たるものは、例の沼田元氣さんことヌマゲン凝り捲った喫茶店本ですね。この文学館のカタチも変えてしまったといって過言ではない一冊です。その他、オリジナルの原稿用紙とか根強い人気があるのだが、全部紙モノなのがなあ、ちょっと物足りない。
そこで私思い出した。だいぶ前、東京駒場の日本近代文学館で研修受けたとき、参加者皆にくばられた厚手の布製のバッグ。日本近代文学館というネームもちゃんと入っているのですが、あれ非売品なのかな。売店ではみかけませんが。でもあれは、まず重宝だった。研修中のテキスト他の資料類、相当な量になりましたが、それすっぽり放り込んで持ち帰れた。
いいんじゃないかな、あれ。トートバッグって作るの、そんなに難しくなさそうだ。アルバイトのサトウ君の弟さんは、やっぱりユニークなセンス持ってる洋服仕立屋さん。サトウ弟君に頼んでオリジナルトートバッグできないかしら。小樽文学館ってネームタグつけるだけでいいね。ウチの図録とか古本とかポンポン放り込んでお帰りになれるような。
さっき私を訪ねてこられた方は、名刺の肩書き日本見世物学会評議委員総務局長の方。本職、飴細工師ね。山口昌男さんのご紹介で寄られたそうですが、もちろん私興味津々。「うーん、昔はね、おもしろい三寸(露天商のことをなぜ三寸と呼ぶのか、この方もよく知らないそうな)たくさんいたんだけどな。怪しげなドイツ製の糸通しだかを売りつけるのとか、こんな太い針金を素手で曲げて細工するやつとか」「法律つくられて登録とか前歴とか、ずいぶんうるさくなって」「みんないなくなりました」「だいたい祭りにしか表に出てこない連中だ」「その祭りがずいぶん健全になってしまって」「けっきょくその人たちは世の中から消えた」。
ぜひその人たち、探し出してください。私は、伝統芸とかサブカルチュアとか興味ないの。興味あるのは小商いの世界。騙し騙され半ば腹立ち、けれども仕方ねえなあ、祭りだもの、の世界。それをやりたい、文学館のなかで。
よさこいソーラン?いや、あれは。
■6月1日
亀井館長と小樽商大学長を訪ねたり、NHKの取材に応じたりしている間隙ぬって、できあがった手宮線こすり出し展のチラシをもって、奥山さんといっしょに手宮の老人クラブの会長さん宅へ。もうすでに幹事会ではお話ししてくださっているようで、幼稚園のこどもたちにもこれからゆきわたっていきそう。どうやら手宮地区では、まちがいなく核ができたようです。あとは皆さんにおまかせしておいた方が良さそうね。
5時過ぎの教育委員会の課長会議のちょっとまえ、また隙間時間ができましたので、旧色内駅近辺こすり出しの核となるであろう日の出町内会長さん宅へ。会長さんである八百屋のご主人お留守でございましたので、副会長さんかな、名刺印刷所のご主人宅へ。こっちの方向も明るし。近々行われる稲穂地区の複数の町内会の連合会でもお話ししてくださるとのこと。いいね、手宮線起点近辺地区住民と、旧色内駅近辺住民のコラボレーション。まさしく手宮線が沿線住民を再びつないでゆくわけね。こすり出しで。
ところで日の出町会の皆さんは、この12日だったかな、ウチの三階に集まられるそうだ。またまたPRの良いチャンスなわけですが、ウチの三階は美術館の市民ギャラリー。なんでそこに集まられる。こすり出しでご縁はできそうですが、ふだんから美術フゼイにご縁のある住民ではない(私がいったのではなく、会長さんがいっておられた)。ならどうして三階に集まられる。よく聞いてみると、避難訓練なのね。一年に一回の。日の出町会では、一年に一回律儀に避難訓練を行っておられる。不意の災害に、常日頃より備えておられるのです。それにしても、何でウチの三階。今年の避難訓練は、どんな災害を想定された。え、津波?津波って、あのTSUNAMI?
小樽湾口に津波が押し寄せたら町民糾合し、ウチの三階に駆け上られる。そんな緊急事態、私も皆さまとともに三階へ駆け上らせていただきますが……、助かりますの?
ま、何でもいいや(良かないですが)。TSUNAMIと「こすり出し」の、意外な接点がウチにあったと(どっか不謹慎な気配漂うな)。
手宮線こすり出し(正式名称OKABE MASAO SYNCHRO + CITY PROJECT 2005 OTARU WS)のチラシ、明日にでもアップいたします。手宮地区、稲穂地区の皆さまはじめ、地域住民の皆さまどうかよろしくお願い申し上げまする。
てゆうか、きょうアップしてしまいました。これです。
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