よもやま日記

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文責/市立小樽文学館・玉川薫
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■8月28日
今週、火曜日から昨日まで休暇をとり、ひさしぶりに郷里(福井)へ帰省してまいりました。
これまでの人生、トータルするとすでに3分の2ほど北海道に住み、福井の実家は今は無人、それでも帰省する、帰省できるのは私にはそこしかない。

そこは福井の市街地のはずれ、ま、場末です。ここ数年のあいだにも様子が変わったといえば変わった。近くに大きな漫画喫茶(某チェーン店ですね)ができてました。そのまわりにも学生相手とおぼしい居酒屋風な店とかペットショップまでできてた。
けれども場末感、薄らぐどころかいや増した。向かいのお米屋さんが無くなっている。となりの靴屋さんも無くなって、その後やっぱり小規模の漫画喫茶開店した形跡あり、ただし数カ月で閉店した形跡あり。

伊藤整の詩集のなかに「故郷も貧しくなったなあ」という一節があったように思いますが、昭和初年の感慨は、ひょっとしたら日本の「近代化」に一貫してつきまとってきたものかしら。
散歩してても哀しくなる、鬱になる。

大学生になった家の娘らが、「小さいときにマンガ買った古本屋さん、まだあるかなあ」。その古本屋さんは、もともと板金か何かのお仕事をしておられたお宅だと思いますが、ご主人が亡くなって奥さんが小さな文房具屋を始めた。その奥さんも亡くなられ、息子さんがその後に古本を並べて置かれた。だから決して何十年も前からのお店ではありません。ただ娘たちにとっては、数少ない福井での懐かしい思い出のあるお店。
ほんとうに小さいお店だからね、もう閉めてるんじゃないかなあ。え、まだやってるの。ちょっと入ってみようか。奥からご主人が出てこられました。「何にもないでしょう」。こんにちは、タマガワです。「ああ、顔をみればわかる。よく似てるね」(母親に、だと思います)。本はほんとうに少しだし、何だか背中も表紙も色あせている。けれども整然と並べられています。
また、来ます。こんどゆっくり(けっきょく行きませんでしたが)。

駅前から家の近所までバスで走っても、子供の頃から覚えがあるお店は、もうほんの僅か。みんな小さな店ばかり。本屋さん、模型屋さん、美容院、自転車屋さん、洋品店、医院……。
でも、ほんとうにほっとする。ああ、まだやっていてくれた、って。

私の家も小さな八百屋をしていた。私ら兄弟は家の稼業を継ぐなんて考えたこともなかったし、父もそんなことを言ったことはない。父は歳とって、少しずつ商売をさらに小さくしていったし、交通事故で父が死ぬと同時に、店は完全に消滅しました。

だから何なんだ、私か私の兄弟が、あんな店を継ぐ気あったの、と言われれば一言もなし。
ただ、この歳になると、つくづく思います。老舗なんてほどじゃなくても、よく細々と続くよねえ、なんて店でも(そういう店ほど)、その町を構成する大きな大切な要素なんだね。
あの店は、父さんが子供のころ、よく通った店なんだよ。いや、おばあちゃんが若い頃からあったよ。今は、その娘さんの息子さんでもやっているのかねえ、なんて話が、できる。十年、二十年と、そういう話を繰り返して、できる。

11月に「小樽論2」という展覧会を始めようとしておりますが、その町論には、この文学館も当然のように組み込まれます。まるで小さな古本屋かオモチャ屋のように。まだあるのかな、あの、えっと、そうブンガクカン。(あるよ、なんてね)。

■8月11日
熱い。誤変換ですが、実感。館内34度。

これも考え物ですが、開館以来、特別展は真夏にやるものと決め込んでおりました。
思い出します。中城ふみ子展。

息きれて苦しむこの夜もふるさとに亜麻の花むらさきに充ちてゐるべし

彼女の命日は、8月3日。昭和29年、その日の帯広は朝から異常に蒸し暑く、そのなかで病の恐怖と苦痛とによく戦った彼女も、ついに絶息したのですが、あの展覧会場自体が、中城ふみ子、中井英夫の往復書簡の文字をたどるうち、感動のためか、暑さのためか、息切れ、意識遠のき、昏倒しそうでありました。
「昭和歌謡全集北海道編」(内容想像なさって来られた方々が、良くも悪しくも絶句なさった特別展)のときも凄かったなあ。氷柱建てたんですけどね。一日で、どのくらいコストかさむか分かってしまって、続けるのをあきらめました。展覧会の主人公の一人、永山則夫(刑死)の命日が8月1日か。

汗と涙でぐしょぐしょになる感動巨編も悪くはないが、私も体力気力おとろえた。お客様にも、汗と涙、強制するわけにもいかないでしょう。ねえ、またウチワ作ろうよ。前に作ったのなかったっけ、千葉さん。
「あったよ、すずぽん(鈴木さん)が見つけた」。あれ、ウチワの骨、こんなにたくさん買ってあったか。ああ、思い出したよ。ヤフオクで買ったんだ。ウチワの骨100本なんてねえ。ネット・オークション、何でもありだな。

デザイン、みんなで適当に作ってよ。明後日くらいからいらしたお客さん、ウチワレンタルいたしますよ。文学館スタッフオリジナルデザインの。

それにしても、あちいな。

追記
あんまり暑くて、今日書こうと思ってたこと、忘れてました。
You might think head today at fish.
いふまいと思へどけふの暑さかな
なんて、固まるジョークの典型ね。

きょういらしたお客様。「あのさ、伊藤整の『青春』のさ、本人書いたヤツないの」。『青春』ですか?『青春』の自筆原稿は、ないですね。
「あれなくて、伊藤整展って、いえるの」。いや、確かに初期の代表作だけど……。
「あれなくて、何出してるの」。初めて出した詩集『雪明りの路』の原稿とか、『若い詩人の肖像』の下書きとか、『日本文壇史』の年表原稿とか、それから今回は何といっても「『チャタレイ』関係」が。
「チャタレイ?俺らの世代じゃ誰も知らないよ。伊藤整ったら何といっても『青春』でしょう」。『青春』ねえ、皆さん、もっと知らないと思うけどなあ。初版は出してますし、ああ、そうだ。『青春』関係なら、ちょっと凄いのありますよ。執筆前の構想ノートね。研究者なら驚かれるようなものです(でもマニアック)。お見逃しに?こっちですよ。
「ふーん、青春の課題、沖豊作─白い脂ぎった顔、ぼうぼうの髪……。……インパクト、ねえなあ」。インパクトって。「ほら、伊藤整書いてたでしょ。ええと、青春とは、っての」。ううむ、それはエッセイか何かで。「何か知らんけど、伊藤整ったらアレだ。アレがなきゃダメだよ」。
ちょっと、不本意気のご様子のまま、お帰りになりましたが、昔の私なら、(トホホ)ったろうなあ。
でも今はね、「伊藤整ったらアレだ」「多喜二ったらアレでしょう」「啄木ったらアレがなきゃあ」で、いいと思うの。そういう、ものだと思うの。それに出来るだけ応えていきたいな、って思う。

こうやって、何年も経ってみんなが思い出す。「あの、小樽文学館」、「オレの、アタシの、あの小樽文学館」。

青春、そうねえ、私が語りましょうか、伊藤整になりかわり。「いいよ、もう」

■8月9日
版画家の一原有徳さんをショートステイ先の朝里川温泉に訪ねました。
一原さんは今月23日に満95歳になられるそうで、確かに耳がだいぶ遠くなられ、お話しも少し、しづらそうですが、元気。
それは95歳で、山に駆け上るとか、大車輪をしてみせるとかいう種類の元気とは違う(そういう人も世の中にはおいでのようですが)。
でも元気。一原さんはアーチストだから、元気はやっぱりアートとなって溢れ出すのですね。
一原さんといろいろお話しをしながら、さっきから気になっていた。足もとの紙袋。インクのこびりついた版画用のベニヤ板?まだ版画、お作りになる。「いやあ、もうダメですよ」と一原さん。その様子みてたヘルパーさんが、「先生、すごいんですよ。ほら廊下の絵、ぜんぶ」。ああ、あの墨絵。廊下に出て、あらためて拝見しました。色墨でさらりと描かれた山岳、山村の絵に俳句。ときにクレパスを使われる。あるいはこれまで見たことのないような太々とした書。
みるほどに、興奮。一原さんの版画は、基本的にモノクロームの世界。無機質、非人情、冷酷なマシン、あるいは冷たくヌルリとした有機体。
それが、どうだろう。95歳の覇気と、微かなエロス。夢で一瞬花の香りに触れたように思い、振り返ると茫洋と消えてゆく風景。
「雲」と、まんなかに大きく書き、そのまわりに小さく遠く、また近く、雲、雲雲雲と文字で埋めつくした書。「あいうえお」「かきくけこ」「さしすせそ」とだけ綴った文字のひとつひとつが、生命をはらみ、顔を上げる。
私がいちいち嘆声を上げるので、ヘルパーさんも嬉しそうだ。「すごいでしょう。廊下に貼りきれないんですよ。こっちにあるのも見ていただけますか」。何枚も重ねてあるのを、一枚一枚みせていただく。

私、一原さん訪ねたのは、辛い悲しい知らせを伝えるためだった。一原さんも「そうでしたか」と、黙然とされた。でもヘンですね。一原さんがショートステイのそのホームで描きまくっておられる絵や俳句や書を見ていくうちに、私の体内から熱いものが込み上げてくる。これこそ「元気」ね。

だいぶ前のことですが、アートの公共性みたいなことの話になって、一原さん、何を今さらという風情「アートは、元来パブリックなものですよ。建築とか美術に著作権がどうのこうのいうこと自体、おかしいと思う。ほんとは署名だっていらない」。なるほどね。公園にハダカの彫刻おいたり、大きなモビールに頭をぶつけたり、という話ではない。アートが個人にとどまるはずがない、そんなものアートでも何でもなかろう、ということ。
今、一原さんのアートは、ショートステイ先のホームで、一原さんの個室からその廊下にはみ出していき、溢れそうになっている。それを私に見せるために、一周ぐるりと案内をするヘルパーさんも、得意げに顔が輝く。「ねえ、先生すごいでしょう」。ほんとうに。

ほんとのアートはこうして世界を変えてゆく。それはもう抑えようがないんだね。たかだか「ホーム」のなかじゃない、って?そこ変えられないで、どこを変えるの?

■8月2日
小樽地元情報月刊フリーペーパー『たるぽん』の原田さんから、『たるぽん』発行一周年パーティーのご招待メールをいただいたので、昨夜、会場の「あじや」に行ってまいりました。
『たるぽん』の熱心とペーパーならびにウェブのクォリティーには、頭がさがるのですが、昨夜はウチとしても収穫多かった。

隣に座られた「アルバコール」のマスター佐藤さんから、ライブハウスとしても活動されている方たちのご苦心の話。
「それは、やっぱり苦しいですよ」。ここ数年、とくにそうですか。「先がみえない」「きもちの上で辛い、もたないってことかな」。

昨夜の会場では、小樽市民の高齢化(この点で、全国の先端を走っているのね)の話も出たのですが、これは必ずしもマイナス要因ではない。つうか、先端を走っているのなら、全国のモデルケースになれますが。グチこぼしても始まらない。お金もなくなる一方だし、まわりを見回すとジーサン(私も含めてね)、バーサンばっか。それを「街の成熟のかたち」と規定するのね(強引に)。

とはいえ、辛いのは辛い。じゃ昔の話をいたしましょう。
佐藤さん「ナンシー梅木。小樽出身のジャズシンガー。日本人初の(そして未だに唯一の)、アカデミー賞を俳優として取った人。この人の話をやりませんか」。いいねえ、ハリウッド、ブロードウェイで「戦後のアメリカのニッポン人」として成功し、ニッポンを捨てた女性。「サヨナラ」(アカデミー賞受賞作)って見れるんでしょうか。
すると前に座っておられた高橋明子さんが「ビデオ持ってますよ。先日、たまたま買ったの」。えー!「こんど貸してあげますよ」。いいですねー。ジャズシンガーとしての実力ってどうだったんだろう。ひょっとしたら、「哀れで可憐な戦後のニッポン女性、でも意外に歌うまいじゃないか」って(私のなかに巣くう超偏見)。
「いえ、実力十分にあった人です」と佐藤さんが断言。「フランク・シナトラがね、寝る前にいちばんお気に入りの音楽をかけてたんだけど、そのなかでもいちばん好きだったのがナンシー梅木のレコードだった」。「哀れで可憐なニッポン女性」のフィルターなどかけなくても、掛け値なしのジャズシンガー。

やりましょう、ぜひ。ハザマに生きた人。ハザマに生きざるを得なかった人。ハザマに生きる不利と偏見を逆手に取って生き抜いた人。私がいちばん惹かれる人だ。小樽っぽいじゃないか(これも偏見と思いこみ?)。