よもやま日記

過去の日記へ

文責/市立小樽文学館・玉川薫
直接メールくださるときは、こちらへ。


■10月29日
JJ's Cafe のカウンターによってきた小路君が、「疲れた、疲れた」って。
きょうは製本教室の日ですが、学校の講義があり、製本教室は休むつもりだったらしいのだけど、「学校のサーバーがダウンして、休講になった」。それで、江別から戻ってきたのか。

「私事にわたるのですが」。何だよ、急に。「私をボランティアリーダーにしてくれませんか」。?いやあ、それは、こっちからお願いしようと思っていたことだよ。「履歴書に書けるようなこと、あまりないので」。
あのね、小樽文學舎ボランティアリーダー、って、履歴書に書き込んでも、効果は保証せんよ。それはともかく、このところずっと考えておりました。ボランティアをお願いする、ってほんとうに難しいこと。ここまで書いて、試みにGoogleで「美術館 ボランティア」って検索してみました。出てくる出てくる、案の定。みんな、ずいぶん熱心だなあ。ただ、いちいちクリックしなくても、標題と内容の一部分だけでおおよそ見当つきます。続くのかな、かたちだけになってしまわないかな。
そうしたことに気がついてる人も、当然おいでになるので、偶然みつけたこの方の文章。的を射ていると思います。とりわけドキリとさせられたのは、「このような人々の存在は美術館スタッフにとっては脅威でもあり」というくだりですね。実は、ミュージアムのスタッフ、というか、ずばり学芸員なのですが、みな気がついている。気がついているけど、口に出さない、口に出せない。

暴論、もう口早にいってしまいますが、ミュージアムを地域に開放していく(あいまいないい方ですが、なによりも、その地域の人たちにとって掛け替えのない場所になっていく、あれ、もっと曖昧になったかな)ための、最後の、そしていちばん厄介なバリアが「学芸員」だったりする。いや、よそのこといえないから、ウチのことね。つまり私だ。
すなわち私は早晩消える。その前に、私がこの仕事をとおして得たものを能う限り還元する責任だけが残る。

何かシリアスな話になってしまいましたが、ボランティアリーダーになりうる人って、いくつかの資格っていうか条件があるんジャマイカ(使ってみました)。まずは、何が何でもマイペースを貫く、というか貫けること。あれ、これにつきてしまったな。私は、このボランティアさんは「使える」な、と思え、ボランティアさんは、この文学館(含む私)は「使える」な、と思うことができれば、それで良し。それで初めて対等になれる。それで初めて協同が始まる。

で、飄然としてつかみどころのないともみえる小路君は、十分ボランティアリーダーの資格あり。何より私には、気疲れしなくてありがたい。11月3日の古本市は、今年の小樽文學舎のイベントの山場だからね。売り場主任、任せたからね。

■10月28日
今朝いらした方は、小樽市内の建築会社の専務さんだったかな、そんな名刺をいただいたのですが、やや意外なお話。
「私たちは昭和37年頃、花園小学校の6年生でして」「先日、久しぶりにクラス会をやったのですが」「そのとき、『そういえば、あのころオレたち、みんなで映画に出たよな』『そうそう、「サムライの子」な』『どんな映画だったっけ』なんて話が出まして」「『もう一回見てみたいよな』『ビデオになんか、なってないよね。フィルム残ってるのかな』ってことで、ダメもとで日活に聞いてみたんです」。「そしたらフィルムはありまして、しかも16ミリ版もあってそれなら借りて上映するのも無理な料金ではない」「話、どんどん盛り上がって『やろうよ、上映会。今度の同窓会兼ねてさ』ということに」。
専務さんも、映画の内容うろ覚えだったので、図書館で山中恒(やまなかひさし)さんの原作本借りて読みなおしてみたのですね。そしたらこれがおもしろく、そして感動。で、話はさらに盛り上がる。
「どうせ上映会やるなら、花園小学校の体育館でやろうよ、今の子どもたちにも見せたい映画だと思うぞ」ということに。

「サムライの子」は、1963年日活作品。監督若杉光夫、脚本今村昌平!キャスト、浜田光夫、小沢昭一、南田洋子、田代みどり。なかなか豪華、そして懐かし。
この物語は、もろ小樽のお話。「サムライ」と呼ばれたのは、いわゆる「バタ屋」(死語だろうな)さんのことで、バタ屋さん必須の道具、火ばさみを腰にたばさんださまが「サムライ」。一種の「差別語」なんだけどね、でもユーモラスでちょっとシャレてます。
そうした職業の人たちが住んでた一画が、かつて小樽の町にありまして、主人公の少女はその「サムライの子」。

「私なんかは、その主人公のユミちゃんをいじめる、その他大勢の男子役。ユミちゃんに石をぶつけました」。あらら。「その石は、ジャガイモに色を塗ったものです」。あらら。
「その映画に大挙してエキストラ出演したのが、当時の6年2組。担任の名で佐藤組、って呼ばれてました。その佐藤先生もお元気です」。

何か、楽しげなお話じゃないか。もちろん、文学館、かませていただきます。とことん盛り上げてまいりましょう。
「おたくの部長さんは、私らの同期ですよ。隣のクラスだったけど」。ほんとですか!

■10月27日
小林多喜二の書き込みがある阿部次郎著『三太郎の日記』のことは、だいぶ前の日記で書きましたが、この本のもともとの持ち主(といっても多喜二の次ね、さらに多喜二は古本屋で買ったふしがあるので、もともとの持ち主の次の持ち主の多喜二の次の持ち主。ややこしいけど、この本はその後、更に転々といたしました)である、小林多喜二の姪御さんが文学館に寄られました。小林多喜二のお姉さんに(当然ながら)お顔そっくり。ということは、写真でしか知らない小林多喜二その人の面影あり。
すると美術館の副館長である奥山さんが、その多喜二の姪御さんに親しげに話しかけております。聞いてみれば旧知の間柄。小林多喜二のお姉さんや、この姪御さん、そして「多喜二の母」セキさんも、みな「朝里」という町に住んでおられました。奥山さんも、朝里の住人。だから、その人たちはご近所の人。「小林多喜二」抜きにしても、ご近所の間柄。
奥山さんの家は、お父さんの代から朝里にあったのですか。「うちは四代目ですよ」。へえ、北海道で四代目、ってちょっとすごい。「ひいじいさんは明治22年に亡くなったらしいのだけど造り酒屋やってたようです」。明治時代に朝里で。かなりすごい。
「それはそうと、小林多喜二が亡くなったとき、うちの親父が香典を出したらしいのですが」。ええ?!「父から聞いたわけではなく、小林多喜二の香典帳に、あんたのお父さんの名前があるよ、って知人にいわれまして」。ええ?!その香典帳って、ウチ(小樽文学館)にある香典控のことですよ。林房雄とか、中條(宮本)百合子とか、志賀直哉の名前が控えられている。「ここにあるんですか」。ご存じなかったのか。だいじな資料ですからね、しばらく出してはなかったのだけど。そうかあ、そういえば見覚えあるような、気がします。朝里・奥山って。
「見せてもらえませんか」。もちろん、よござんす。これですよ。3枚しかない。1枚目、2枚目、3枚目。あ、あった。しかも最後に。「金参円 朝里村 奥山」って、確かに。

奥山さんのお父さんのことですが、朝里移住後の奥山家二代目は、朝里奥山一代目が造り酒屋で築いた財産を、お酒に溺れてすっかり無くしてしまわれた。その父親をみて育った朝里奥山三代目(奥山さんのお父様ですね)は、一滴もお酒は召し上がらなかったそうな。そのお父様は役所勤めであった。その人が、小林多喜二の葬儀に香典を出しておられる。
「いや、近所づきあい長かったからね」。
当時の事情、過剰に想像するのは禁物ですが、でもやっぱり想像する。できてしまう。危険ですよ、ぜったい。ここにある、この香典控に、このとおり名前が歴然と残る。
「いや、近所づきあい長かったからね」。……。

二、三日前に奥山さんと小樽市の財政難の話をしていましたら、「親父も役所勤めだったんですがね、定年制というものがまだ曖昧だったころ、すっぱり勤めやめてしまいました。そのころは今以上に財政逼迫していたときで、身をもって、役人の処し方示したつもりだったんでしょう」。
そうかあ、意外な近場にもありました。小樽の町と人との深い物語。

※追記

一部の新聞ではもう記事になっているようなので、(株)北海道拓殖銀行から寄贈された資料のひとつである書類簿のなかの、小林多喜二の退職に関わる記載の全文、正確(読みとれた範囲で)に引用しておきます。これは行員の賞罰に関する部外秘の書類なので、小林多喜二の記載がある部分のコピーだけ、その部分は公開自由ということでいただいたものです。

役職氏名
小樽支店書記
小林多喜二

発令年月日
昭和四年一一月一六日

発令
辞令文
依願解職(諭旨)
事由
左傾思想ヲ抱キ「蟹工船」「一九二八年三月一五日」「不在地主」等ノ文芸書刊行
書中当行名明示等言語道断ノ所為アリシニ因ル

退職手当金
算出額
一、一二四円一四銭ナルモ半額ノ五六〇円給与

欄外
書籍発行銀行攻撃

「依願」と「解職」は並立し得ない語だと思いますが、この矛盾した表現や半端な退職金手当など、銀行内でも困惑のあげくの「処分」であったことが伺えるようです。拓銀が事実上消滅した今となっては、銀行側に少し同情の念、覚えます。反対に、多喜二には十分「想定内」の結果だったと思えます。上京の機は熟した、と決意もしたのでしょう。

■10月25日
急に寒くなりました。寒波到来か。

寒さにかじかんでばかりもいられません。「北の誉」(日本酒)からお電話。先日、ダメもとで出したお手紙、功を奏したか。さっそく奥沢の「酒泉館」まで飛んでいきます。
館長さんが、「最近いただいたものです。こんなのはどうかと思いまして」と見せてくださったのは、こも樽を象ったと思われる金の大看板。分厚い木製で、漆を塗り込んだ上に金箔をはったそうな。まんなかに太々と「北の誉」の墨文字。実に風格があります。
「これは先日、ある看板屋さんからいただいたもので、昔は『北の誉』商っていただいている北海道内200もの酒屋さんが、みな小屋根にこれを掲げてくださったものですが、残っているのはほとんどないでしょう。これなら、街並みの感じが出るのではないかと思いまして」。もう、とってもありがたいです。初っぱなから、こんな立派な物、出してくださるとは嬉しい誤算。

リトル・カブで帰る途中、思い立って奥沢十字街で写真を一枚。ふと喫茶店「コーナー」のドアをみると、「長い間ご愛顧賜りましたが、本日10月25日をもって閉店いたします」の貼り紙が。あわわ。あわてて、階段かけのぼり、あの、文学館のものですが、こちらのマッチか何か、いただけませんでしょうか。「うちは今日で閉店ですよ」。ええ、それみて驚いて。「マッチはないわね」。何か、お店の名前が入ったものでも(記念のために、っていいかけて、呑み込みました)。「混んでてね、手が離せないの」。そうね、お客様が4、5人。おそらく常連さんだろう。すみません、当方の勝手な思い入れ、押しつけるなんて、それこそ不躾。

ちょっとガッカリして、階段おりると、隣は餅屋さん、その隣は金魚屋さん。性懲りもなく、その菊地熱帯魚店に飛び込みます。「店の名前が入ってるものなんて、何もないよ」。そうですか。「昔の金魚鉢なら少し残っているけどね」。そ、そうですか。
こんなもんだけど、と出してくださったのは、角形の水槽ひとつと、円筒形のものふたつ。どれも小振りで、ガラスが分厚い。角形のものも角が丸くて、ガラスのゆがみがいかにも昔風で、ガラスの冷たさ感じさせない。いいなあ、きれいですねえ。「海ほおずき入れて売ってた天秤なんかあればいいんだろうけど、どっか行ってしまったな」。海ほおずき……。昔の金魚屋さんて、そんなの売ってたんですか。情感込み上げますね。私、海ほおずきがどのようなものか、知りませんが。
「こっちがおなじみの金魚鉢だよ。口が花のようになっている」。ああ、これは金魚鉢そのもの。「今も、同じ形に作った物あるけどね、だいぶ違うだろ」。ガラスの厚み、口の曲線の柔らかさ、これこそ金魚鉢。「お盆が過ぎてね、秋風が立つとその年買った金魚はたいてい死ぬんだ。そうすると、また新しい金魚を買いに来てくれる」。そうだったのか。「今は、サーモスタットいれたり餌も良くなったからね。金魚も長生きをする」。
夏の終わりに金魚は死ぬ。秋風が立つ頃、また金魚を買いに行く。その金魚を買うのは厚手のガラスで作られた小振りな美しい金魚鉢だ。それが、季節のめぐりだった。
大きな水槽にサーモスタットで厳重に水温管理して、だいじにペットの魚を飼う。それがまっとうというものなのだろうけど。
美しい金魚鉢に、儚げな赤い金魚。少なくとも、これだけは言える。昔の暮らしは美しかった。
「こんなんでよければ、貸してあげるよ」。ええ、もう喜んで。哀しくなったり、嬉しくなったりですね。

■10月21日
写真市展の表彰式というのを終えて、JJ's Cafe カウンターに戻りました。午後7時。寒い。歯が、痛む。ムシ歯の治療をした後に、ガム噛んだの、まずかったかな。つつつ。

「小樽論・2 まち見て歩き」ですが、前に書いたように、基本は北海道新聞小樽市内版に連載されたルポルタージュにマル乗りした、ま、安易といえば安易な企画。ならマル乗り徹底すれば、ちょっと面白くなりませんか。
挿絵の原画だけでは物足りない。記事中に登場するお店や会社や工場の「モノ」全部、並べられないかなあ。ちょっと抜き出してみましょう。

「海銭亭」の茶碗、「にしん場」の茶碗、「ガトーフレール」の菓子箱、「海商」の何か、「小樽浜市」の何か、「井原水産」の何か、木の店「AU・AU」の何か、保育所「こどもの森・おひさま」のこどもの絵、平田さんの山スキー、農学博士の阿部さんの標本、坂さんのスズメバチの標本、「ラブレター」のスチール、ドリームビーチ(海水浴場)の何か、JR銭函駅構内の「駅弁第一号」、銭函郵便局の何か、「銭函運河」の何か、「北の誉」(日本酒)、ミツウマのゴム長靴、丸美屋の茶碗、第一ゴムのプラスチック容器、共成製薬のバリウム、サイダ+ミツウマの帯電防止靴、「おたる式くま捕獲機」、田中工業のマンホールの蓋、菊地金魚店の金魚鉢、菊原餅店の餅、喫茶店「コーナー」のマッチ、中ノ目製菓の甘納豆、平野製パンのパン、藤崎最中種製造所の最中の皮、ラベンダーの鉢植え、釣崎たばこ店のたばこ、岡部仏壇店の仏壇飾り、野林家具製作所の家具、木下畳店の道具、「杜の樹」の何か、奥村豆腐店の何か、「魚商」の何か、水天宮の何か、花園町のスナックのマッチ、水族館の何か、高島診療所の何か、越後盆踊りの何か。

さきほど、思い立って市役所の新館・旧館つなぐ廊下にディスプレイされている小樽物産コーナーみてきたのですが、上記の会社のもの、いくつか飾ってますね。これ全部、展覧会中、貸してくれなかろうな。

腕組んで考えたはてに、上のお店だの会社だの工場だのに、片っ端からお手紙出すことにしました。「何か」貸していただけませんか、という趣旨の。驚かれるかしら。貸していただけるかな。帯電防止靴、マンホールの蓋、モナカの皮、仏壇飾り、スズメバチ。

これらのあいだを縫って、小樽の町を描き込んだ水彩画が並ぶのね。広島県の美術館から戻ってきたばっかりの「手宮線こすり出し」と、それからウインドウケースのガラス全面に書き込まれた「まちを歩く人々」のラクガキも。先日購入したホワイトボードのマーカーは、このラクガキに使います。お客様にも「小樽のまちを歩く人々」を描き足していただく。

どんどん、にぎやかになっていきます。スナック、ゴム工場、畳店、豆腐店、立ち並ぶ小樽の町を歩く人たち、どんどん増えていく。もう、淋しいなんていわせない。文学館のなかにいるあいだだけでもね。

つつつつ、歯が。今晩、眠れるかなあ。

■10月13日
秋晴れです。だが、週末天気は崩れるそうな。なら今日、行くしかあるまい。まち見て歩き。
一人で行くか。町のネームプレート体につけて撮してもらう、という斬新なアイディアあきらめて、テロップいれるか。と、考えていると現れてくれるんだな、小路君。

「きょうは車じゃないですよ」。いいさ、バスで行って歩こうか。いいかい、ビデオカメラは、これを押せば撮れるし、もう一回押せば止まる。これがズームとワイドだ。操作するのこれだけだし、ズームはそんなに使わないほうがいい。カメラもできるだけ動かさないように。撮ってるものが動いてくれるからね。それから。「あの、タマガワさん撮ってください。僕がネームプレートもって歩くから」。そうね、そうするか。

奥沢十字街から天神十字街へ向かって、奥沢1丁目、2丁目、3丁目、4丁目と。左手に喫茶店「コーナー」。この薬屋さんは古そうだ。銭湯、2軒目だね。このお蕎麦屋さんのラーメンのさ、スープがそばつゆだ。せっかくだから、お昼ご飯ここにするか。こっからずっとゴム工場が続く。窓から工員さん働いているところが見えるね。あのね、こうやってずっと腕伸ばして撮ってると、腕だるくなるね。今日は意外に暑いな。

このダラダラ映像を「まち見て歩き」の会場で、ダラダラ流しっぱなしにするのですが、私想像するに、映像そのものよりも効果発揮すると思う。町の音。静かな展示会場に小さいノイズが途切れない。そのノイズが「町」なのね。

天神十字街から裏に回って、勝納川沿いにまた奥沢十字街まで戻る。この辺りは工場裏に、また小さな町工場が連なる。テープも残り4分だ。これ撮りきればだいたいいいところだね。3分、2分、1分。そろそろ終了。あ、これ。共成製薬の稲荷大神の赤鳥居。良かったよ、これ撮れて。はい終了。つ、疲れたな。

■10月7日
「小樽論・2 まち見て歩き」ですが、「見て歩き」ですから、止まっていてはいけない。お客様に、歩きましょうと促しても、狭い展示室だから限界あります。じゃ展示しているものが歩けばいい。

すごい話のようだが、何のことはなくて、ビデオ映像流すだけ。それもルポ書かれた記者さんが歩いた道筋、私がそのまま歩いてその映像流すだけ。
重要なポイント、ひとつあります。会場に流れるビデオに、一人の人物が映っている。その人物は、どこかの町をあるいているのだが、どこを歩いているのか画面をみただけで分からなければならない。テロップ入れれば、いいじゃん、という話で、確かにiMovieか何かでコンピュータ編集すれば簡単だけど、もっと簡単にして明快な方法がありますが。歩いている人物に、町の名前が書いてあればよろしい。

きょう歩こうとしたのは、銭函。そこでA5判くらいの厚紙に大きく「銭函」とプリントし、それを体に貼って歩けば、一目瞭然。その人物がどこを歩いているのか。
とはいえ、リトル・カブで銭函まで行くのはちょっと厳しい。それに自分で自分をビデオに撮しながら歩くのは危ない。そこで小路君、ちょっと銭函まで連れて行ってくれないかい。小路君、「いいですよ」っていってくれましたが、いまいち顔色すぐれない。6月に免許とれたばっかりだからね。

でも、ま、行こうよ、とりあえず。免許持たない私は、運命を小路君に委ねます。出発寸前、天気激変。空が真っ暗になり、突風吹き、雨しぶき立ち。ああ、何者かの怒りに触れたみたいな。行くな、危険であり、かつ無責任である、ということで、銭函行き、中止しました。月曜日にでも、JRで行ってみるかな。

黒板とマーカー、何に使うの、って、また今度(引っぱるな)。

■10月7日
きょう、世田谷美術館の杉山悦子さんが寄ってくださいました。瀧口修造展の担当学芸員。みたかったな、ほんとうに。館長の酒井忠康さんが前に、「すごいよ」って仰っていました。杉山さんの仕事ぶり。
神奈川県立近代美術館の学芸員をなさっているご主人とごいっしょで、プライベートでお出でのようで、「いい町ですね」と、楽しそうです。私が酒井さんの前で口走った、いつかやりたい『夢の文房具展』、というの覚えてくださってて、「ぜひ。巡回なさってください」。うーん、巡回はムリでしょうが。「世田谷広いから、一部使ってくださっても」。なるほど、いいですね。隅っこ巡回展。私、大きなトランク持ってますから、それにパッケージして、巡回して回る。3時間ほど開陳して、いなくなってたりして。「ははは」。

でも、ほんきでやりたい。「瀧口修造の『夢の文房具展』」。これは瀧口修造が、かつて小樽に住まっていたお姉さんを訪ね、お姉さんがなさっていた小さな文房具屋にしばらく逗留したことがある、というれっきとした事実に基づく展覧会。ただし、この時期の瀧口修造の動向、詳細まるでわからない。でも、私、その話、聞いたとき、真っ先に思い浮かべた。「火のようにさみしい姉がいて」。清水邦夫さんの戯曲のタイトルですが、もとは旭川市在住の詩人、松島東洋さんの詩のフレーズでありました。美しく、イメージ鮮やか。
もう一つ、亀井秀雄氏(市立小樽文学館長)が教えてくれた、「明治の初め、「文学」という学問は、今よりずっと広い範囲を覆っていて、そのなかには『文房具』なんてのもあったんですよ」というお話(愉快!)。
イメージ、徐々に形をなしてきます。薄暗い店の構え。うずくまる人影。標本箱のようなケースに美しくレイアウトされた鉛筆や消しゴム、セルロイドの筆箱や小刀。に、交じる瀧口修造自身のコラージュや詩の断片、あるいは彼が集めたシュルレアリスムの美術品。ホンモノ、ニセモノ、混然とした展示。店の奥はさらに暗く、煙ったようにみえ壁と思い手を差し伸べれば……。

展示のしかたは、ともかく。「瀧口修造展」は、木ノ内洋二さんの「遺志」でもありますので、ぜひ実現したいのです。どなたか、お手伝い願えませんか。

「まち見て歩き」のお話は、また明日。

■10月6日
11月3日から、「小樽論・2─まち見て歩き」というタイトルの企画展を始めます。

何で「小樽論・2」かというと、「小樽論・1」という展示をやったことがあるからですね。これは、ちょっと凄まじい展覧会で、そのころようやくA3判のプリントに耐えられる程度の画素数のデジタルカメラの普及機が出たことと、プリンターのほうも速度が速くなったこと、そんなことより何より、トミタ・コウジさんという〈スーパーボランティア〉の小樽縦横駆けめぐりがなければ到底できなかった、ということは、今は(おそらく今後も)絶対再現できない展覧会でありました。
お客様も、あっけに取られたようで、アンケートの感想みても、7・3の割合で、むしろ戸惑い目立ったかな。可笑しいのが「もうちょっと撮影ポイントとシャッターチャンス、考えなさい」ってご批判。〈撮影ポイントとシャッターチャンスを考える〉ことを徹底して排した〈小樽市街地完全スキャン〉だったのだもの。
ほとんど唯一、企画者の意図にはまり込んで途方に暮れた果てに、〈ヴァージョン1〉の地平に立ってくださったか、と嬉しくなったのが、次のご感想。

最初は無機質だなと思った。どの写真もとりつく島がない。しかし上にあげた写真を見て子供の頃の血がさわぎだした。すると突然、写真の中の何パーセントかが、急に実感を持ちだした。……後、うまく書けぬ。HS

で、こんどは「小樽論・2」です。といっても、「小樽論・1」では、まがりなりに(20万円ね)ついていた予算もゼロだし、トミタさんは釧路に行ってしまったし、ごめんなさい、正直私も体力、気力衰えた。もう、あんな無茶はできない。
安易といえば、安易なんだけど、北海道新聞小樽市内版に随時連載されたシリーズ「まち見て歩き」に乗っからせていただいた。

といっても乗っからせていただいたのは、おもしろかったから。ありそうでなかったんじゃないかな、小樽の地区ごとのルポルタージュ。ちょっと概要、説明しておきますね。
第1シリーズが「小樽・銭函地区」。これは2003年4月7日に第1回目が掲載されています。このシリーズの担当は、山本陽子さん(記者)で、挿絵が菊地義美さん。第2シリーズは、「奥沢」で、文が津野慶さん、挿絵が笹川誠吉さん。第3シリーズは、「山田、東雲、相生地区」で、担当・奥天卓也さんと山本倫子さんの分担。絵・小川清さん。第4シリーズは「花園地区・パート1」。担当・猫島一人さん、絵・山下脩馬さん。第5シリーズ「祝津・高島地区」。文は山本倫子さんと中沢広美さん分担、絵は再び小川清さん。そして番外シリーズとして「伊藤整の愛した地」。担当・加藤浩嗣さん、絵・冨澤謙さん。
挿絵の原画、お借りしましたから、これ額に入れて飾り、記者さんが書かれた文章を拡大してパネルにして貼り、それだけで十分に面白い。なかなか表れにくい記者さんの顔立ちのようなものが、こうした文章だと自ずと滲み出もします。

がー、これだけじゃあ、さすがに楽してるなあ、小樽文学館。ヒンシュク必至ね。いや、ヒンシュクもされないか。さみしいな。
で、衰えかけた気力、すでにそうとう退化しているらしい脳力ふりしぼり、考えたあげく、私はまずPOSTERMAN.Wet-wipeを注文しました。そして今日お昼前、潮見台中学校におじゃまいたし、教材の部屋に入れていただき、世界地図や日本地図、北海道に小樽市街図が印刷された「黒板」(こんなのがあるんですね)をみてまいりました。

これをどうゆう風に使うか。ここで日記を続ける気力が途切れましたので、続きはまた明日(書けるかな)。