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■12月29日
先日、平田敏夫さんからお借りした資料のなかに『HARBOUR LIGHT』という雑誌がありました。1951年11月25日小樽『映画の友』友の会発行とあります。昭和26年ですね。
この雑誌がたいへん洒落ている。ザラ紙、ガリ版刷りの粗末な小冊子ですが、レイアウトのセンスがハクライな感じ。とりわけ感心したのが表紙ね。ゲーリークーパー主演の何かの映画のワンシーン?これが色刷りなんだな。もちろんガリ。何版も重ねている。淡い色で陰影をつけている。
モダンですね。「この雑誌の編集してる河野潔さんは、版画家の河野薫の弟さんですよ」と平田さん。へえ、お兄さん譲りのセンスと技術。初期の号が少ないのが残念。これを何点か額に入れて飾ってみたいな。「小樽・映画館の時代」は、モダニズムの時代。
美術館の学芸員星田さんは、ついこのあいだ「河野薫展」手掛けたばかり。潔さんて。「お元気ですよ。開会式にもお見えでしたが」。そうだったのか。知らぬこととはいえ失礼を。
それで早速お電話しました。「ああ、『ハーバーライト』ね。あれは表紙もなかのカットもみんな兄がやってくれたのですよ」。そうだったのか。「名前はまったく出してませんが」。すごい技術ですね。「懐かしいな。古い雑誌、私も探してみます」。
河野薫さんといえば、「野ばら社の本」。私もこのあいだのウチの美術館の展覧会で初めて知った。ねえ、資料のケースに何で「野ばら社の本」こんなにたくさん並べているの?「ここの本に掲載されたカットや写生画、ずいぶん河野薫が手掛けているんですよ」と星田さん。
そうだったのか。「野ばら社の本」はね、私もとても懐かしい。こどものころ家にも二、三冊転がっていたような気がする。気のせいかも知れませんが。恐らくかなりの方が、「野ばら社の本」を手にすると、私と同じようなデジャヴに捕らわれるのジャマイカ(もう止められない)。
懐かしさも道理でね。例えば1949年初版の本が、重版に重版重ねてついこの間まで、ほとんど同じ体裁で書店に出ていたのです。ロングセラーにも程がある。
「野ばら社の本」が有名になった(でもないか)のは、嶽本野ばらさんの『下妻物語』。嶽本野ばらさんは沼田元氣さんからのご紹介。ウチで文学講座やってくださいました。途中でおトイレにいらしたくなり、「乙女(またはゴスロリ)なファンの夢を壊したくないから」ということで、私、壁の裏をお通しし、非常口をお通しし、1階のおトイレまでご案内し、また壁の裏を抜けてスマートに席に戻して差しあげた思い出あり。
その『下妻物語』(深キョンと土屋アンナ主演で映画化されました。映画は観てないけれど)は、これは痛快な任侠小説。仲間のリンチにあうヤンキーちゃんを、単身原チャリ飛ばして助けに行くロリータちゃん。ここぞ、というときの河内弁の啖呵が、鳥肌ものです。つるむ、群れる、が何より嫌いなロリータちゃんの人生哲学にも、熱く共感。
なんで「野ばら社の本」か。ヤンキーちゃんの人情に珍しく心動かされたロリータちゃんが、ヤンキーちゃん一張羅の「特攻服」に刺繍をしてあげるシーンがあるのですが、その字体(フォント)の参考にするのが、野ばら社の『図案辞典』であります。なぜ「野ばら社の本」か。どうして「野ばら社の本」じゃなきゃダメなのか、それは小説読んでいただくこととして、河野薫(戻るのに時間かかりました)。
小樽美術館の河野薫展は、やはり国際的な評価が高かった著名な版画作家の展覧会に続いて催されたのですが、同じ国際的木版画家でも対照的(とは星田さんの弁)。何ていうか、河野薫さんはご自身の作品に対して至って淡泊。必要なら何枚でも刷りますよ、的態度。
そういう淡泊さ、ノンシャラン(私にはやはりカッコ良くみえますが)、野ばら社の社員、職人としてカット(事実上、著作権放棄、でしょう)描きまくってる時代に身につけたのではあるまいか。
『HARBOUR LIGHT』の表紙手伝ってあげてたの、年譜みると潮見台中学校の図工の先生をしていたころだね。美術館と同じ作家を扱っても、文学館的企画にアレンジできるかな。「河野薫と野ばら社の本」。ゲストスピーカー、嶽本野ばらさん再び。「野ばら社の本」への思いの丈を語っていただく(ペンネームと関係はないらしいのですが)。「野ばら社の『図案辞典』」に想を得たアンチームな刺繍も一杯並べてね。またゴシックロリータさん、全国から押し寄せるかも、です。
■12月21日
映画のことになると、まずウチでお世話になるのは下田さんと平田敏夫さんですが、その平田さんが昨日、古い小樽の映画サークル誌や、小樽の映画館のパンフレットなどを持ってきてくれました。
そのなかに私がときどき思い出している「サードベース」で、開館以来月1出していたパンフレットがひとかたまり。
今、その第1号をみているのですが、1983年3月から4月のラインナップ「グッバイガール」「フェイム」「殺しのドレス」「博士の異常な愛情」「ローリングサンダー」!「情事」。マニアックに偏らず、俗に阿ず、センスの良いセレクト。
年間上映52本。パンフレットの片隅に、「できるなら52本観て、ステキな賞品を差しあげます」と書いてある。平田さんは、ほんとうに52本観られたそうです。賞品は?「3RD
BASEのロゴ入り時計をもらいました。もう動きませんけどね」。哀しい。
デザインも凝ったパンフレット、並べてみるとスタッフの奮闘ぶり伝わってまいります。1本500円にこだわった料金も、まもなく値上げせざるえなくなった。
私が場内二人しかいない客席で震え上がった「エイリアン」、1985年12月だったんだな。その12月から1月にかけての他のラインナップ。「終電車」「銀座の恋の物語」「愛と青春の旅立ち」「アウト・サイダー」。開館以来、変わらぬ軽やかなセンス。そして表紙はその「アウト・サイダー」のスチールに、どうやらスタッフを一部コラージュしたらしい図柄に、このようなコピー。
「彼らはスクリーンの向こうで僕らはこの街で 今年も戦う!! '85」。泣けますが。
懐古趣味でも何でもなくてね。ドアを二枚開けますでしょ。客は5、6人かも知れません。知らない人だし、知人かも知れないけど顔みないもの。でも映画終わって、場内に明かり点れば、場内の5、6人は、同志。熱い感動、あるいは恐怖、あるいはバカ笑いを共有した同志。どこの誰だか知らないけれど。
やっぱり大事だ、そういう場所。何とか復活の道、ないものかな。ミニシアター。ビデオ使ってもいいからさ。あいかわらず配給とか、著作権とか、ネックになってるんだろうか。だとしたら、映画文化を守るため、っていいながら、けっきょく息の根止めてるんジャマイカ。
ここに滅多に写真載せないけれど、平田さんが撮した客席40のサードベース全景。貼っておきますね、あんまり綺麗だから。
■12月18日
昨日の石曽根正勝さんの講座「あなたの知らないジブリアニメ−アニメーション『てにをは』事始め」(長いタイトルです)。ほんと、おもしろかった。主催者側の私だけがそういうのではなく、聴講者がそういうのです。聴講者数いまいちだったのが、ほんとにもったいない。これは主催者側の責任。聴講者もそのように申しており、ぜひアンコールお願いしたい。
どんなに面白いお話でも1時間30分を超えると少々辛いもの。でも、昨日の講座に限って1時間30分は短すぎた。石曽根さんにも申し訳なかった。映像駆使されましたからね。
私の方は、薄暗い会場で老眼じみてきた眼をこすりながら、液晶プロジェクターのAVケーブルをDVDプレーヤーに差したり、ビデオデッキに差したり、書画カメラがわりに使ったデジタルビデオカメラに差したり、またDVDプレーヤーに差し直したりと悪戦苦闘。それでも映像の説得力は実に大きい。
石曽根さんの解説もポイントを実によく抑えておられた。宮崎アニメというと、まっさきに論じられがちな作品のテーマ、思想を論点からひとまず外したのが大正解。ジブリアニメのこだわりを、作用・反作用の動きを正確に描写していること(それがジブリアニメに共通する浮揚、落下、飛翔感にリアリティを与えている)、左右の移動に比べて、アニメーションでは困難な画面の奥から手前、手前から奥への動き。そしてフルアニメーションにこだわらずリミテッドアニメーションの利点を巧みに生かした手法。
フルアニメとリミテッドアニメは説明必要で、フルアニメの代表は一昔前のディズニーアニメね。アニメーションは基本的に1秒に24コマの画面を使うのだけれど、フルアニメは24コマ全てに違う絵を作画します。それに対してリミテッドアニメは秒8枚の絵しか使わなかったりする。3コマずつ同じ絵を使うのね。もちろん経費節約のため。これはディズニーアニメと、わがニッポンのテレビで毎日流れているアニメ(とくにちょっと昔のヤツ)を比べれば一目瞭然。ニッポンアニメの動き、カクカクしすぎ。表情動かなすぎ。
で、ジブリアニメ。今も昔もハンランするニッポンテレビアニメとは比べ物にならないくらいお金掛けてる。だったら当然昔のディズニーと同じフルアニメでしょ、っていうと、それは違う。基本はニッポン伝統のリミテッドアニメ。経費ケチっているわけではなく、リミテッドのなかにさりげなくフルアニメを挿入するタイミングが絶妙なんだな。これによってもともと静止画であるマンガの、絵としての美しさを損なわず、そこに滑らかな動きが入り込んだときのショックを鮮やかにみせるんだ。
何回か書いたとおり、正直私ジブリは食わず嫌いでした。でも見直したくなったな。「紅の豚」とか「ハウルの動く城」。
そんな元ジブリスタッフにして現文学研究者の石曽根さん(早稲田仏文卒)が案内してくださるジブリ美術館メインの文学散歩。行きたくなりませんか。参加者、一向増えないな。ほんとに今日、ギリギリ明日が、最終締め切りですからね、受付の。ジブリマニアならずとも、空前絶後のラストチャンスです。
前の日記をまた訂正。下田さんのお宅で見せていただいたラストショーの記録映像は、小樽東宝スカラ座ではなく、花園映劇でした。よって1992年の映像。同行した小路君のご指摘です。「あの映画館は、僕のもう知らない時代の映画館。僕が知ってるのはスカラ座だけ」。そうか、小路君、21歳だっけ?21歳の小樽の青年が記憶している単館はひとつだけなんだね。たかが10年、されど10年。「映画館の時代」は、どんどん記憶の彼方に遠ざかってゆきます。いま喋らなきゃあ。エンジン、掛かってまいりました。
■12月16日
企画展「小樽・映画館の時代」
趣旨
かつて小樽は映画館の街であった。
映画が発明されたのは、1895年フランス。リュミエール兄弟が、エジソンのキネトスコープをもとにして大画面に投影するシネマトグラフを考案した。
早くもその2年後の明治30年(1897)8月、小樽の末広座、住吉座でシネマトグラフ「電気作用活動大写真」が上映されている。小樽で最初の映画興行であった。
明治42年(1909)には活動写真常設館第一号として神田館が妙見河畔に開設。その後、公園館、稲穂館(富士館)、電気館と映画興行専門館が、あいついで開館。大正末期にはすでに10館を数えた。
ちなみに、小林多喜二はたいへん映画が好きで、大正末ころから昭和初めにかけて公園館、電気館、寿館、中央館などでさかんに映画をみてその感想を日記につけている。代表作「蟹工船」など、彼の作品の多くが映画から大きな影響を受けている、とみられる。
戦後、昭和30年代に入り、映画館は急激に増加。昭和31年(1956)から36年にかけて市内の映画館は23館に達し、小樽は人口比で8000人に1館の映画館を持つ、北海道随一の映画館の街となったのである。
映画館入場者数は、昭和32年(1957)度、延べ591万7228人、市民一人が年間30.5回映画を鑑賞したことになり、小樽の映画館は、この年に絶頂期を迎えた。
けれども昭和30年代半ばには映画人気は陰りを見せ始め、37年〜40年にかけて、小樽市内の映画館の廃業、転業があいついだ。
昭和50(1975)年には、入場者数は全盛時の20分の1の30万人を割り込みながらも、7館の映画館が営業を続けていたが、56年から58年にかけて、富士館、小樽東映、小樽東宝、電気館、小樽にっかつ劇場があいついで閉館。
平成3年、花園映画劇場廃業、6年、小樽中劇会館閉館、そして平成7年(1995)小樽最後の単独映画館、「小樽東宝スカラ座」が閉館し、「小樽・映画館の時代」は、事実上、幕を下ろしたのである。
企画展「小樽・映画館の時代」は、かつて映画館で使われたポスター、看板、時間表、プログラムなどを展示し、往時の映画館の一画を再現する。また小樽でロケーション撮影が行われた映画、小樽出身の映画人を紹介する。小林多喜二、伊藤整、八田尚之、山中恒、石原慎太郎ら小樽ゆかりの文学作家と映画の関わりも紹介する。
家族、恋人、知人、あるいは見知らぬ他人どうしが一枚の銀幕に心を集め、ともに笑い、泣き、ときめいた「映画館」という特別な空間が、ひしめくように軒を連ねた時代を振り返り、「街のなかの文化的空間」のありようを、あらためて考えてみる企画展としたい。
会期 平成18年2月2日(木)〜4月2日(日)
というような趣意書を作ってみました。さきほど小樽最後の(じゃないかも知れませんが)映画看板絵師、工藤英晴さんが描きおろしの看板を持ってきてくださった。映画は黒沢明監督の「乱」。縦横ともに2メートル70センチの大きさ。そもそも3年ほど前、札幌で「実演」を頼まれ、ステージ上で1時間で描き上げた、というもの。「このあいだ引きずり出してみたらずいぶん傷んでたんで」「描き直しました」って、びっくり。も、申し訳ない。
街のなかで高いところに掲げられたらさほどに思わないかも知れませんが、間近にみれば大きいなあ。大迫力です。
手書きの映画看板って、庶民にもっとも親しい大作絵画でありました。そして上手か下手か、誰の目にも歴然。美術館に飾られている「芸術作品」は、うっかり上手いとかヘタとか口にしにくいかも。そっと回りうかがって、これって、あの、上手い絵なの?でも、映画看板は歴然。何、これ?全然似てないじゃん。
で、工藤英晴さん。間違いなく最高レベルの看板絵師です。描き下ろしてくださった大作もさることながら、「まだ若くて馬力が溢れてたころだから」と見せてくださった、昔手掛けた看板の写真。「七人の侍」「嵐を呼ぶ男」これほんとうに手書きなの!何でここまで描き込めるの!そして原節子さんが夕暮れの港に佇む「東京物語」。美しい。誰が何と言ってもこれはもう立派な芸術。
もとの看板そのものはもちろん存在いたしません。もってせいぜい数週間。映画看板って、そんな存在。そんな存在に全身全霊挙げて集中。その行為を芸術という。
映画作品はもとより、興行師、看板絵師、映写技師、そして観客。それぞれの体温が一体となったとき生まれるエネルギー。その発生の場所。映画館はそんな「文化装置」でありました。
誤解気にせず言い放ってしまいますが、「映画館みたいな文学館でありたい」。
■12月14日
小樽文学館次回の企画展は、「小樽・映画館の時代」。年明けて2月2日にオープンです。
映画館といえば、電気館。私が小樽を初めて訪れたのは昭和49年頃だったでしょうか。今も忘れない。うろうろと迷い込んだ都通り。何の気なしに入った喫茶店「光」。大国屋デパート!の手動式エレベーター、そして「電気館」。もう完璧タイムスリップ。本気でタイムスリップ。そのころ流行り始めたレトロ趣味なんてナンパな「趣味」とはレベルが違う。私は今どこにいるのか、そもそも今はほんとに今なのか、と暮れなずむ「小樽の街」で、ひとり途方に暮れるのでありました。
そんなインパクトある電気館。その後、思いがけずも住みついてしまってからも何度か足を運びました。「アルタード・ステーツ」は、絶対ここで見たし、「スーパーマン」もここで見たように思います。
その電気館閉館は昭和57年。56年から58年にかけて、ぱたぱたと映画館が閉まっていくのね。でも気がつかない。けっきょく最後まで気がつかなかった。小樽から「映画館がなくなる」なんて。
このあいだ、下田修一さん(詩人。小樽で計4館の映写技師を勤めた人。文字どおり「映画館の時代の終焉」を看取った人)のお宅で、小樽最後の単独館「東宝スカラ座」のラストショー(「トータル・リコール」だったんだ!じゃあ、私も見に行ってたよ)のようすを、入り口、モギリから映写室のなかまで、下田さん自ら8ミリフィルムに収めた5分程度の映像を見せていただいたんだけど、ビデオとはひと味違う8ミリフィルム独特の色合いのせいかなあ、蒼く寒く昏く沈んでいく最後の映画館、もうこれ自体、故藤田敏八監督の名作「妹」「赤ちょうちん」の世界ね。たった10年前のこと、なんてとても思えない。ああ、かけがえのない「場所」を、僕らは失ったんだ、10年経って、そのことに、つくづく思い至るのであります。
企画展、タイトル決まりました。じゃあ、これから勉強しましょう、小樽の映画館の歴史(あいかわらず付け焼き刃だなあ)。まずは例によってアンチョクに「Google」で。うーん、だめか。めんどうだが(オイオイ)、『小樽文化史』で。えーっ、映画館のことなんて一行もありませんが。映画館は「文化」と認定されてなかったんだね。
こういうテーマで困ったときには、亀井館長もしばしば手に取り愛読しているという岩坂桂二氏(文学館・美術館ができたばかりのころ、館長さんだった人)の「小樽市史軟解」(『月刊ラブおたる』連載)をひもといてみる。文字どおり、「正史」には出てこない小樽の色街やカフェや女給さん、ゆかりのスターや流行歌手。正直、昔、私、岩坂さんの興味関心の方向、ナナメに見てた。通俗な、と内心思った。今は猛烈に反省してます。これこそ貴重な仕事。小樽市史のむしろ神髄。
そうか、記憶に新しい「小樽中劇」、あれが往時の「公園館」、そしてもとをたどれば「北海座」。明治42年にできたのか。昭和31年には20以上も映画館があったのか。北海道で最初のシネマスコープも小樽だったのか。スパル座(スバル座、じゃありません。なんで半濁音)、って、へんな名前……。んー、ちょっと断片的だなあ。
困って下田さんに電話(順番が逆、逆ですね)。趣意書書き始めて、ハタと困りました。映画館の歴史、よく分かりません(恥)。「ああ、『小樽市史』みるといいよ」。ええ?『小樽文化史』には全然……。「『文化史』っていったかなあ。新しいヤツだよ。けっこう詳しいよ。僕も少しお手伝いしたんだけど」。ああ、わりに最近出た『小樽市史』。ちゃんと見てなかったな(恥もこの年になるともうヘーキ・最悪)。
で、あらためて『小樽市史』最新版。その別巻「文化編」。どれどれ、なるほど、こんどのには「映画」で一章割いたんだ。
一読三嘆!なお六嘆!凄い、おもしろい。よく調べられた。やっぱり間違ってなかった(何いばってんだか)私の直感。小樽は掛け値なし、日本でも稀なる「映画館の街」だったのです。
この項目の執筆者、菅谷英孝先生に早速電話(こういうことだけは私、素早い。臆面ない)。「執筆したのが、もう十年ほど前ですからねえ、記憶も薄れたし、資料も、もう手元にはひとつもありません。でも」。でも?「企画展の趣旨、よくわかりました。お話うかがっているうちに、私自身、懐かしさ込み上げてきました」。「いちどお目に掛かりましょう。小樽に帰ること、ときどきありますので」。
待たれよ、つぎの展開。
※日記書いた10分後(速!)にkokuzoさんからツッコミあり。『小樽市史文化編』は最新版でも、別巻でもなく、延々続いてきた『小樽市史』の完結巻『第10巻文化編』でありました。よって訂正。でも……、小樽市史って、完結しちゃったの?
■12月10日
きょうもJJ's Cafe には、いろんなお客様が来ます。必ずしも主用私にあるわけではない。
フルブライト留学生のワインバーガーさんご夫妻は、亀井館長の指導を受ける前後に、JJ's Cafe か「夢喫茶」で自学自習。新選組の永倉新八の曾孫にあたられる杉村さんは、私との話は早々に終わり、大石章さんと永倉新八および石原裕次郎についての談義。新八の紋付き携えてこられてました。
そんなこんなで私は脇役ですが、なぜか昼ご飯食いそびれる。合間に北間先生、製本の原稿取りに来られるし、小路君は黙々と、お客様へのクリスマスプレゼント用の古本選びしてくれてるし。
外は吹雪、年の瀬間近で気ぜわしいような呑気なような。
もっとも心に焦りあり。「ジブリアニメと三鷹・荻窪文学散歩」参加者がまだ少なすぎ。締め切り16日まで延期しますので、ぜひご参加ください。「もののけ姫」の演出助手なさった石曽根さんとか、東京文学散歩のエキスパートの萩原先生とかウチの亀井館長とか超豪華な案内講師。ワインバーガーさんご夫妻も飛び入り参加されるらしいし。
まだ間に合いますよ。こちら、どうぞ。
■12月6日
先日(12月3日)開かれた、第1回ボランティア会議の結果について、一応ご報告。
当日、小路君が決定版として持ってきてくれた「議題レジュメ」を以下に抜粋いたします。
〈小樽文學舎ネットワーク:OBNT 第1回会合 議題レジュメ〉
議題1 今年文学館で行われたイベントにボランティア活動してみてのご意見・ご感想
議題2 来年からOBNTの年会費徴収について
・新規(初期または紛失等)〜会員証代で100円を徴収。
・登録(個人情報の保護は厳守)代は無料
・「エコマネー」システム導入
議題3 古本市時期の固定化について
→5月ゴールデンウィークの2日間/11月3日文学の日/2月小樽雪あかりの路の文学館夜間開放日2日間
→11月は大規模に。在庫を一掃する感じで。
→5月と2月は小規模に。その代わりに何か特定のテーマ(コンセプト)の1コーナーを設ける。
→このコーナーは企画から運営、反省会まですべてOBNTが実行
→これにより、ボランティア員同士の親交を深め、同時に文学館スタッフとの連携も密にする。また、文学館を支えている文學舎ならびにその傘下のOBNTの活動を一般市民にアピールすることも重要である。
議題3─1 来年2月の古本市に設けられるコーナーのテーマを考える。
→ちなみに、その頃の企画展は「映画館の時代」
議題4 今月のクリスマス(23、24、25の金土日)に小規模ながらでも、OBNT側で何かできることはないか。→ドネーション菓子
議題5 文学館で行われるコンサートのチケット代免除の特権について
→あくまでもボランティア員としての特権
→お客様優位であること
→お客様より先の場所取りは不可、またビスケット等のサービスは受けられない。
議題6 その他(会員募集の方法など)
「会議」の結果でありますが、ほぼ議案どおり「可決」。ただ、「エコマネー」は、見送られました。エコマネーであろうとポイントであろうと、「報酬」「成績」が気になり始めると、やっぱり鼻白むというようなことです。こういうシステムも難しいところありますね。まずそれありき、では無理が出る。機が熟すのを待つしかないでしょう。
いずれにしても、前のレジュメ案で整理されていたことですが、ボランティアの対象を、とりあえず4つの「事業」に絞ったことで、方針を考えていく上でとても分かりやすくなりました。
・文学講座
・製本教室
・文学館コンサート
・文学館古本市
このように整理できるようになったのは、これらの事業が恒例となってきたからであります。逆に、ゼロからボランティア頼みで事業立ち上げるのは、とても困難なのではないでしょうか。
当面は、23、24、25日のクリスマスの3日間のささやかなお持てなし。ビスケットもいいですが、前に沼田元気さんからいただいたアイディア、古本のなかからクリスマスに開くのにふさわしい「物語」(詩でもいいけど)を、オリジナルの包装紙でくるんで小さなリボンでも付けてお客様にプレゼント。そんな準備を、12月17日土曜日の午前11時から文学館でやりましょう、ということで、第1回目の会議終了です。
■12月4日
「まち見て歩き」展に、お二人の「作品」を追加させていただきました。
ひとつは、銭函在住の藤田八三(ひろぞう)さん(71歳)のCG作品。CGといっても比較的シンプルなものですが、先だってその作品を、3階の市民ギャラリーで開催されていた「小樽しりべしシニアネット会員美術展」で拝見したとき、軽い衝撃。
ひとつは、小樽公園あたりから小樽港を俯瞰した写真。そこにポケモン柄の旅客機2機飛来しております。私、ボンヤリと小樽上空にもポケモン飛行機来たんだな、って、そんなわけないじゃない。
もうひとつは、これは図書館の写真ですね。壁に「小樽市図書館」と大きな浮き文字、まちがいない。その図書館が大きな朝顔の花で足もと華やかに埋められております。朝顔の花が、ずいぶん大きいですね。大き……過ぎるな。
いうまでもなく、これは合成。デジタルカメラでとった小樽の街角の写真と、飛行機や藤田さんが丹誠込められた花の写真を、パソコンで組み合わせたので、つまりCG。シンプルにして大胆。
そこに私、まち見て歩きの、ひとつの神髄見た心地。
前にも書きましたが、かつて行った「小樽論・1」。小樽市街を等間隔に1000等分した無機質な写真。非人情の小樽の素顔。打って変わって「小樽論・2」それは、思い入れの街、小樽の表情。愛憎あるいは悲喜こもごも。
思い入れが高じて、小樽の港の上空、ああ、ここにポケモン飛行機、飛んでくれば、ウチの孫もさぞ嬉しかろう。じゃあ、おじいちゃんが飛ばせましょう。
小樽の図書館、シックな佇まい。でもちょっと色味があれば。ウチの朝顔で飾ってみたいな。ちょっと大きさの比率を間違えたけど、まあ、いいか。壁に「図書館」と書いてあれば、図書館だってわかりやすいのではあるまいか(そういや、図書館の壁に「小樽市図書館」なんて書いてありませんでした)。
鮮やかな紅葉で埋めつくされた公会堂の写真とともに、これは、71歳藤田八三氏の、かくあれかし、我が小樽・夢の街。で、あります。ここに、デジタル・アナログの感動的出会いがありました。
掲示板に書き込んでくださったDENZIさんの「小樽ノホッツキカタ」。
ご本人の了解をいただき、全頁をプリントアウトさせていただきました。
これもまた、達人の「まち歩き」。DENZIさんのプロフィールご覧になれば、この方も根っからのアナログ人間ジャマイカ。
ネットもメールもいいけれど、パソコンを捨てよ(捨てなくてもいいですが)、町に出よう。町にはGoogleで検索しまくっても、けっして見つからないユーモアがあり、品格があります。何より、そこには生活している人々がいる。デジカメ向けて叱られて、そこから始まる信じがたい物語もありうる。
遠くで、この「日記」読んでくださっている方も、いつか、かならずお会いしましょう。一言、二言お話しましょう。JJ's
Cafe のカウンターに、たいてい、居りますので。
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