よもやま日記

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文責/市立小樽文学館・玉川薫
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■3月31日
小樽は本日の最高気温が3度。風も強く、体感温度はマイナス。
東京は桜が八分咲きで、気象台ではこれをもって満開というらしい。花曇りの二日間(出張)でありました。
ある作家のご遺族を訪ねたのですが、その方は今は90歳を超えられたお母様と二人暮らし。壁に色紙が貼ってありまして、「春 うふ」と書いてあり、お母様の署名がある。いいですね、これ。
「おふくろがね、まちがえたんですよ」。?。「ショートステイでね、そういうところで簡単な習字とかやらせるでしょ。その手本をね、よみちがえたらしい」。手本は何と。「春うらら、って」。なるほど。でも「春 うふ」のほうが、ずっと春らしい。「僕もそう思ってね、ちゃんと書けたのもあるんですけどね、こっちのほうがいいな、と思って」。
私はお宅を辞すときに、できたばかりの小樽文学館オリジナルトートバッグを差しあげました。

この一年間、小樽文学館の専属デザイナーのようだった臨時職員、サトウ君のきょうは最後の勤務の日。JJ's Cafe は、全面的にサトウ君の作品。JJ's Cafe の「モノを置けない格子棚」をはじめ、サトウ君のデザインは、常に私の意表を突いた。そのデザインは、まちがいなく、この文学館という小さな宇宙を一回り大きくするものでした。このトートバッグもサトウ君のデザイン。これを示されたときも、私、絶句した。め、めだつよね。でも小樽文学館ってどこにも入らないの。「バッヂでも着けましょうか」。あ、それいいね。さりげなくてね。
サトウ君、バッヂどうしたの。「バッヂ作るオモチャが壊れてしまったみたいで」。ああ。「バッヂ、いるかなあ」。あ、そうか。小樽文学館の「文」。いいか、これで。「文」といえば、小樽文学館。すごいね、これ。

トートバッグを差しあげた方、喜んでくださいましたよ。日本中、いや世界中で、遠くからでも目立ちますよね、このバッグ。ああ、あの人は、小樽文学館につながっている人だ、ってね。

オリジナルバッグ、近々通信販売開始です。一箇1000円(送料別)ね。

■3月23日
先日の夕方、茶碗を洗っていたら、小路君のMy Cup (新潮社のYonda?パンダのヤツ)に文学館の湯呑みが重なって、はまり込んだようになりにっちもさっちもゆかなくなりました。外からお湯をかけたり、洗剤を注いで滑りやすくしたりしてみたのだけど、ビクともしないらしい。

この「My Cup」ですが、小路君はしょっちゅう文学館に来てくれるので、使い捨てのプラスチックカップを使うのが気が引けるらしいのですね。それで「My Cup」を持ってくる。自分だけじゃなく、私がプラスチックカップを使うのも気になるらしい。しょうがないので、私もミスドで貰ったカップを使うことにいたしました。
そのうちに、小路君にならって他のボランティアの人たちも、「My Cup」を持ってくるようになりました。おや、これは日清のミニ・チキンラーメン用のカップですね。ま、ボトル・キープならぬカップ・キープみたいなものね。これがボランティアの「居場所感」を高める効果があれば、いいね。

カップ・キープもいいけど、だいじなのは、ボランティアにどんなルーチン・ワークがあるか、ということだね。何かイベントがあるときにボランティアに手伝っていただく、というのはずいぶんスムーズにできるようになってきたと思う。でも本当は、とくに用がなくても文学館に来てほしい。小路君みたいにね。その小路君でさえ、このあいだなどは「暇だー。やることないかなー」と何度かつぶやいておりました。そうだね、来てもやることないって、そりゃ居心地よくないね。
だからルーチン・ワーク。うんと長いスパンで目標さだめ、毎日でもコツコツ作業積み重ねれば、いつかは目標達成できるようなお仕事。誰でも、おしゃべりしながらでも時間さえかければさ。そんな仕事が、うーん、考えつかないなあ。だんだん、ますます重要なことに思えてきたな。

さっきの重なったカップですが、世の中にはきっと同様の羽目に陥った人がいるのジャマイカと、検索かけてみたところ、案の定。で、この方の苦闘を参考に、片側硬質プラスチックのハンマーで、重なった湯呑みを両側から軽く叩いてみたところ、あっさり外れてくれました。めでたし、めでたし。

■3月21日
さきほどいらした鵜沼けい子さん。前に電話をくださって、「文学館で朗読をしたいのですが」とのこと。朗読ですか。リーディング・ジャムというのがあったな。中心になっていた方、結婚されて新潟かどこかに行かれてしまったから、あの会、続けていくんだろうか。ええと、構いませんよ。そんなに人集めたりできないけれど。

JJ's Cafe で少しお話。これまでも朗読などなさっておいでなのですか。「ええ、くすみ書房さんで」。ああ、有名なお店。気になる本屋さんですね。「天国の本屋」みたいに、店内で朗読なさるって、バスのなかから看板も見たような。くすみ書房さんて、今でもときどき店内で朗読なさっている。「あそこは毎日やってるんです」。ええ!毎日?そんなに読む方、いらっしゃる?「はい、私も何人おいでなのか知りません」。そうか、読み手の顔もお互いにはよく知らない。それにしても、毎日はすごいな。あの、お客さんがいてもいなくても?「読み手の方は、他の方が読むのを見にも来られますので」。ああ、読み手と聞き手が交替するんですね。「そんなお客様もいない日は、店員さんが聞き手に」。そうかあ。

そこで、気になっていたこの本屋さんのホームページにアクセス。そこの「朗読やってます」をクリック。すごーい。ほんとうに毎日やってる。しかもラインナップほとんど載せてる。

読み手に何か条件って、あるんですか。「持ち時間は20〜25分。それ以上長くなるとダレるからって」。なるほど。「こんどの文学館での朗読のとき、私とちゅうでハモニカ吹くんですけど」。そんなふうに楽器の演奏入れてもいい。「オカリナ吹いたり、ギターひきながら朗読する人も」。

もいちど、ラインナップ眺めてみます。「思い出トランプ」「小僧の神様」。なるほど。「ライ麦畑でつかまえて」。ええ!これ、20分ずつ読んでいかれる。この方は、月に二回くらいのペースでなさるのかな。何か月かかるだろう。うーん、お客さんついてくるのかしら。

どうだい、小路君。これならウチでもできるけど。「パクるんですか」。まあね。毎日はアレだが、週一くらいなら、できないことはない。
朗読はね、そりゃ上手いのと下手なのと天地の差かも知れないが、ヘタなりに思い入れがあれば味わいもでる。歌はそうはいかないからね。朗読ならさ、読み手がいなきゃあ、オレでもできなくはない。イベントのない土曜日、2時から20分。読むのは古本から手当たり次第ね。

ところで小路君、これってさ。……おもしろいの?「それいっちゃ、おしまいですよ」

■3月15日
ようやく春の陽射し。陽射しは降り注げど、お客様は少なし。制服の女の子は高校生か、それとも卒業式帰りの中学生か。
「あの、ここの本、借りられるんですか」。あー、持っていってもいいんですよ。「え」。古本だからね、持っていってもいいんです。受付にあるキャンディーのビンみたいなのに、いくらかでも入れていってもらえばありがたいけれど。

小路君がちょくちょく手を入れてくれるので、以前より古本がとても綺麗に並んでおります。のぞき込んで、「図書館……、かしら」などと呟くお客様もあり。入ってみても良く分からない。文学館って、いったい何。

整然と並んでいる本、持っていってもいいんですよ、と言われても戸惑う人もいるだろう。なら、ちょっとシッケイする、と、ドロボーのふりをしてみる、ってどうかしら。
女の子が出ていったあと、私が何気なく手にした本のタイトル『怪盗ルビイ・マーチンスン』by ヘンリイ・スレッサー。
えー!和田誠監督+小泉キョンキョンの快作「怪盗ルビイ」の原作、ルビイって男だったんだ!ちなみに、あがた森魚さんの歌う「怪盗ルビイ」、とっても素敵です。
ね、「怪盗ルビイ」をきどって、文学館から(古本コーナーからですよ)本をシッケイ。怪盗って、どこが?いえいえ、ひょっとしたら古本コーナーに埋もれているかも知れません。市場に出せばン千万円の稀覯本(無いと思うけど)。私ら吟味しているわけじゃないからね。そいつをサッと抜き取る。抜き取るだけじゃあ、怪盗の名がすたる。だから、この名もなく貧しくウツクしい文学館にチャリンと寄付を置いていく。

そんな遊びをアナタも、いかが。

■3月11日
このごろ、小路君と和田さん、ときには+1人くらいで、「啄木かるた」というのをやっております。これは戦前の「少女の友」の附録か何かで、中原淳一が一枚一枚美少女の絵をつけてるヤツね。もちろん復刻版で、ホンモノはとても高い。
このかるた、絵はほとんど読み札と関係ありません。よくみると、下の句のアタマだけ書いてある。だからとっても取りにくい。そこがおもしろいといえば、おもしろいらしいのですが。

それを横目で見ながら、「オタルノホッツキカタ」のプリント取りにいらしたDENZIさんと、先日から文学館でも売り始めた『啄木キネマ』を眺めたのですが、これもまた、歌と写真とモロの関係はない写真集。それでも歌自体のイメージ喚起する力が強いから、写真と相乗し、それぞれが新しい光を放つ。

それで、かるた。今年、並木凡平という愉快な名前の歌人の展覧会を予定しております。その人の短歌はたとえばこういうの。

あの丘に
青いペンキの家たてて
住んでみたいと
思ふ秋晴れ

前に、やっぱり小路君と、展覧会に合わせて「凡平かるた」って作れないかな、と話していて、でも絵札作るの難しすぎるよね。だいたいさ、

ゴム靴の修繕直しが街かどに新聞を読む昼の静けさ

なんて、もうそんな風景ありっこないから、絵を描きようもないですね。
それで思いつきました。写真撮るならできようか。『啄木キネマ』のようにエッジのたったイメージなんて求めません。ユルユルで良し。

品切れのバットがほしく湯もどりを遠い街まで小走りにゆく

なんて強引に写真にして、かるたに作ればおもしろくないかな。凡平さんの短歌って、デジカメのユルい写真にとってもよく合うのジャマイカ。また募集かけてみようか。

本日の、その2

北海道新聞(小樽市内版)にも載った「私の小さな文学館」。7月からの企画展のなかで、ガラスケースと壁面を皆さんに提供いたしましょう、というコーナーね。文学館のガラスケースは、そのほとんどが長さ1メートル80センチ、奥行き60センチ、高さはガラス部分だけで20センチ(全体90センチくらい)。その長さの半分と、それに見あう壁面を差しあげる。
つまり90×60×20のガラス箱と90×2メートルくらいの壁がアナタのものだ。アナタは、そのミニ文学館の、絶対館主にして全権を持つチーフ・キュレーターだ。

取材してくださった中沢さん。「あのー、ほんとにテーマ何でもいいんですか」。(私)何でもいいのです(キッパリ)。「ええと、フーゾクとか宗教、政治絡みでも?」。うッと、れいコンマ3秒くらい詰まりましたが、(私)はい!「自由」です。なぜなら「自由」こそがブンガクの生命線なのです!(きっぱり!!!)

ハタを立てようが、おダイモクを連ねようが館主・キュレーターの裁量にゆだねる。考えてみれば、意識的無意識的にかかわらず、ブンガクが政治・宗教・商業、ええと、あと何でもいいや、プロパガンダ的性質一切もたない、って、ほとんどあり得ない。プロレタリア文学はそもそもそれを前提としていたわけだし、宮沢賢治など、洗脳というより洗魂のプロパガンダ。
ちょっと怖いのは無自覚な方々のほうなのだけど、これも相対化されることで、ユーモアを帯びる。

ケース12本用意するつもり。それを半分ずつ使っていただくから合計24。24のミニ文学館が、小樽文学館内に林立するのですね。どんなに強い個性も、プロパガンダも24の多種多様。いやでも相対化されますが。

千葉さん「タマガワさん、電話あったよ。自分で作ったもの出してもいいのか、って。手芸でも並べるつもりなのかもよ。何でもいい、って新聞に出てた、って」。うッ。うん、何でもいいんだよ(きっぱ……り)。いいさ、そこにポエムのいっぺんでも添えてもらえりゃ。

さっきはさる教会の方から電話。「個人的に古い洋書を集めているもので。きれいな挿絵の描かれた革表紙の聖書とか。マーガレット・ミッチェルの『風とともに去りぬ』の初版本があります。彼女が亡くなったことを伝える新聞の切り抜きと。古い書票も50枚くらい」。そりゃすごい。「図書館で皆さんに見てもらいたかったけど、ケースがないので、と断られました」。うん、もったいないです。90×60センチではね。
でもね、文学館にキセンなし。文学館は観るのも楽しいけれど、やるのがもっと楽しいのです。阿波踊り的基本原則ね。

楽しみですね。24のミニ文学館、小樽文学館に乱立し、同館乗っ取らる、なんてね。

■3月4日
亀井館長が、朝、にこやかに「雛祭り、お客さんがずいぶん入ったようですね。行列ができるほど」と、私に言います。
行列?新聞でご覧になったのですか。「いや、人に言われました」。……、いや、それは博物館の話です。その方が新聞でご覧になって、勘違いなさったのでしょう。館長は、そのように、街なかで声を掛けられるんですか。「いつも行く、コーヒー屋さんとかね、歩いていても、このごろ声を掛けられます」。……、まあいいか。お客さん大入りなのは博物館ですが、亀井館長が歩いていれば、(この館長さんのところの、ハクブツ、いやブンガクカンだったかな、どっちかのことが新聞に出ていましたね)って、人が声を掛けてくださる。けっこうなことじゃないか。もうね、ハクブツ、ブンガク、どっちでも、いいじゃないか。

ウチは一日遅れの雛祭り。これでもけっこう前からやっているんですが、博物館がわりに大がかりなので何となく後塵を拝してる感じ。それでも何人かのオバ、いやボランティアの女性が張り切って抹茶をたてて、小さなお菓子をご馳走してくださいます。
ただ私が、いまいち消極的なのでポスター貼ったり告知したりって、ほかのイベント以上に遅れ、遅れ。っていうか、きのうダメもとで新聞社にファックス送りました。
今朝、それが片隅に載っていたのですが、10時になっても11時になってもお客さん、パッと来ません。一日遅れじゃあねえ。お雛様って、さっさと片づけるんじゃなかったかなあ。
ところが昼近くになると、「あの、お茶くださるってこちら?」ってお客様が一人、また一人。あら、ずいぶん賑やかになってきた。

階段のところですれ違った女性連れ。「ねえ、文学館って入ったことある?」「んー、どんなとこなんだろう」。そうか、抹茶とお菓子とお雛様に惹かれて来るか。「へえ、こんなとこだったんだあ」。それでも、いいか。

つまりですねえ、私がどんなに奇抜な企画考えついたつもりでも、それは所詮ブンガクカンの文脈をはずれない。映画館であろうが、流行歌であろうが、小樽論であろうが、ね。私の文脈から、「雛祭り」は出てこない。
でも、出てこないからこそ「雛祭り」という国民行事が、文学館の間口を広げる。「へえ、こんなとこだったんだ」のお客様は、私の文脈では限度がある。

そうかあ、雛祭りね。ああ、お帰りですか。ご苦労様、どうもありがとうございました。
「タマガワさん、あのね。来年もやるんだったら」。はい。「少なくともひと月前に、ポスター貼ってください。広報紙や新聞にも早めに出してね。それやってくれないと、もうやりませんからね」。ははー。確かに、承知つかまつりました。

■3月1日
テープ起こしで、まぶたも痙攣する。
「手分けしてできないんですか」と小路君。これは他の人できないよ、と私。そんなに肩いからせるような仕事でもないけどね。

まあ、私は入力は早い。並よりそうとう早いと思う。だって年季が入っているもの。
はじまりは梅棹忠夫氏の『知的生産の技術』。名著は時間を経て名著になるもの。この本は、いきなり名著だったけれど、書かれて40年近くたって、いまだにコレをしのぐ「くらしのための情報処理」の手引きがないのは、ビックリだ。
読後、いきなり行動に走らせるのも、コレのきわだった本力(ほんぢから・私の造語だ)。B6、すなわち京大カードを買いに行くのは洗脳の度合いまだ軽い方。私は、丸善のひらがなタイプライター買いました。笑っちゃいけない。私の狭い周辺だけでも3人買った。
あの本には、梅棹氏がこの「ひらがなタイプライター」で打った私信が、カットとして使われておりましたが、知人は「この手紙が美しいと思えるかどうかが、この著者の思想に共鳴できるかどうかの分かれ目ね」と言い、なるほど、それは至言。知人はとても美しいとは思えなかったわけね。
それほど、梅棹氏の、情緒を排し伝達の機能を極限まで洗練せしめよ、というメッセージは強烈だったのです。
その、ひらがなタイプライターで、ホームポジションがブラインドタッチのキモだといち早く理解できたのですね。それだけだったけど。あの当時、このタイプライターどのくらい売れたのだろう。手紙をひらがなタイプライターで押し通せるニッポン人なんて、ウメサオ氏くらいなものなんだ、って気がつかないほうが、どうかしていたのであります。

ワープロ、パソコン時代になりまして、ローマ字入力になってからも、ホームポジションのキモさえ押さえておけば、ブラインド入力は難しくない。後はほとんどリズムを一定に保つことくらいかな。すなわち平常心ね。逆にブラインド入力を延々とやっていれば平常心に、言い換えれば一種のトランス状態になります。キーボード・ハイね。

その入力ボランティアというのを、広報紙で募集してみたのですが、初日電話くださったのはお一人だった。福祉関係のボランティアの経験などもなさっている方のようで、ふつう使っておられるソフトもちょっと特殊なもののようでした。でも楽しみだな、この入力ボランティア。どういうふうに育てていくか、いや、どんな+αを付加していくかさ、いろんなアイディアわいてきそうだ。