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文責/市立小樽文学館・玉川薫 |
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■7月26日 月曜日は、いわゆる夏日だったのですが、30度以下は夏とは言えないだろう、というのはごもっとも。福井生まれ・育ちの私もそう思う。北海道生まれ・育ちの人はそう思わない。 この日は、札幌の著名な詩人のお宅(故人)へ蔵書を拝見にいきました。膨大なのでいきなり全部運ぶのは無理。段取り決めるために、頼りになる事務長、大須田さんも同行。 大通りから少し内側に入った閑静な住宅通りにあるそのお宅。私、これまでに何十回訪ねただろうか。もちろん詩人がお元気だったころからね。 私は重症の方向オンチ。地図はまったく読めないわけではないけど、描けない。簡単な道順も説明できない。性格にも問題あり、方向感覚ないのに行き当たりばったり。 伊藤礼さんのご本「こぐこぐ自転車」の話。私は『月刊百科』の連載「自転車日和」は読んでいなかったのですが、単行本になるのがとても楽しみだった。もう刊行されたと聞きつけ、買えばいいもの、厚かましく無心してしまいました。 私だけじゃなかろうが、読後、確実に自転車に乗りたくなります。すでに乗っている人は、地図を広げ次の休日の計画を考え始めるでしょう。かように自転車は楽しい。 礼さんはそもそも頭脳明晰に加え、父親ゆずりのずば抜けた方向感覚。私何度かそのことで顔から火が出る思いをした記憶。 周辺ぼやける遠近両用メガネ(慣れましたけれど)で、おぼつかなくリトル・カブに乗る私。小樽で暮らす人は自転車はムリだ(坂が多いからね)、と決めつける人少なくないのですが、私は乗りたくなった。長距離旅行はムリでも、まず通勤。 そこで、ちょっと前までマラソンランナー、その前はスポーツサイクリスト(その前はスキー教師)だった同僚の笹原さんに相談。「役所に自転車くわしい人いるから、その人たちに相談したほうがいいですよ」。一人は、いつもお世話になっている広報の課長さん。「そういうように見えないけれどトライアスロン経験者」。一人は確か私と同期の人。「あの人は、今でも腕と足に重りつけて走ってます」。あのね、私は鉄人めざしてるわけじゃないの。一年中カブだからさ、運動不足もはなはだしい。家のなかで、思い出したようにミニ一輪車のようなカタチのエクササイズマシンこいだりしてるけど。 「こぐこぐ自転車」笹原さんにも貸したのだけど、翌日、「ここに出てるこれいいですね。私、もうスポーツサイクルやるつもりないけど、これなら乗ってみたいな。ちょっと颯爽とね、坂駆け上る。ババチャリなんて冷やかされてもね、そうよ!なんて」。 でしょ、ミヤタのクォーツXLα。で、ご本は。「すごい面白かったですよ。礼さんって面白いんですね」。そうだよ。 ■7月23日 郊外型あるいは大都市駅前の大型書店にスポイルされて姿を消していく懐かしい小さな町の本屋さん、などと私などはつい感傷的になるのですが、書店組合のお仕事などでも苦労されたらしい大貫さんから見る書店業界は、かつて日本国内津々浦々の中小の書店経営を支えてきた業界独特のシステム(再販制度とか巨大取次店の小売店系列化とか)が、流通全体の変革についていくことができず、自縄自縛になってしまった。つまりはシステムに頼らぬ独自の経営の工夫を怠ってきた個々の店の「自己責任」である、という手厳しいものでありました。 大貫さんが語られたのはコンビニエンスストアの脅威、まで。私わりあい最近気がついたのですが、同じ系列のコンビニでも、その店の立地環境によって品揃えがずいぶん違うのですね。とりわけ雑誌。近くの店はファッション系がやや目立つけども、帰り道に立ち寄るあの店は車系が幅きかせてる。町はずれのあの店はパチンコ・スロット系、バイク系。店の前にも座り込んでる若者多し。いやそれは偏見。 コンビニ以上に既存の流通革命すること間違いないインターネット。本もタイトル検索すれば、新刊、新古本、古本とシームレスで探せるわけで、これは事実上の再販破壊。インターネットなんて十分普及してるじゃん、なんて、まだまだまだです。おじさん、おばさん、ジイさん、バアさんがコタツでテレビの感覚になってしまえば、ほんとに世の中激変するな。 というような話は興味深いが、必ずしも心楽しめるわけではない。実際のところ楽しいのは大貫さんが持ち込んでくださった販拡小道具、大道具。研修室の天井近くから下げても床をひきずる、小学館の学習雑誌の巨大垂れ幕とか、週刊新潮創刊のときの谷内六郎キャラ人形(お宝鑑定団で17万円の値ついたらしい)とか、お客様に抽選で差しあげた束見本(ツカミホン・中味が真っ白の本の見本です)とかね。そういうものが楽しいので、これはやっぱり町中の小さな本屋さんは地域住民のオアシス。流通革命乗り切って、がんばってほしいな、本屋さん。 きょうは月一回の製本教室の日。先月は入院直後で、中止にしようと思ったのだけど、北間先生と千葉さんのタッグで急遽豆本作りに切りかえて乗り切ってくれました。今回は、だから2か月前に続く『並木凡平歌集』下巻。作業は順調だったのだけど、「タマガワさん、最後のところノンブル通ってないですよ」。あれ、面つけがおかしくなっている。ページ数がオーバーしたんですね。ここだけ付けなおします。 この付けなおしのちょっとした作業がスムーズにできない。「疲れてるんじゃないですか」。うーん、そのつもりないんだけどな。思ったようにできないと苛つく。紙が手から滑り落ちる。そんなちょっとしたことが、現実からの乖離感。完調にはまだほど遠いのか。 ■7月20日 ただ、とりわけ街を歩くときの違和感、いかんともしがたい。昔の「遠近」みたいにレンズの真ん中まっぷたつにライン入っているわけじゃなく、ずいぶんスマートになっているようだけど、基本的に「やや遠い」ゾーンと「やや近い」ゾーンに分割されておりまして、「より遠い」と「さらに近い」はぎりぎり妥協線上にあるわけね。つまりこれを掛けて街を歩いておりますと、己は限られた存在である、ことを強い実感もって自覚する。 先日、病院へ行って、今回のことインターネットでも見てみました、思ってた以上にたいへんなことだったようですね、と言ってみたら、ドクターは「はい、黙ってましたけど死亡例も少なからず」。ということは、命拾いしたことになるのかな、自覚無いけど。 まあ、自分で気付かないだけで、実は間一髪命拾いしているなんてこと、世の中に一杯あるのでありましょう。ただ身体が赤くなったり黒くなったり白くなったりするの眺めながら、為すすべなく、それでも三度三度の病院食美味しくいただきつつあっというまに過ぎていった21日間、それを思い出すと、やっぱり思わざるを得ないのね、私は限られた存在である。 ということで(ということじゃないけど)、亀井館長と今日はより具体的に2年先の話。市立小樽文学館30周年を特別な年にしよう、ということでね。やってみましょう、「自力更正」で。「地方」にとことん拘泥することで初めてみえてくる「文学」の全貌。おそらく「日本近代文学館」以外のすべての文学館が宿命的に課せられたはずの「大命題」。 亀井秀雄さんという人は、やっぱり稀に見る人であり、市立小樽文学館長として自分が果たすべき役割と責任ということを全うすべく、自分の現在の年齢、体調を慎重に観察し、その上で使える時間を吟味し、さらにこれから先予測される事態を想定し、そこで初めて「なすこと」を決めていく。 動きだしますよ。近々。日本中、世界中、シリツオタルブンガクカンから目が離せません。 ■7月15日 それでレンズ割ったついでに、今の眼筋力?に見あったように調整した遠近両用眼鏡に作り直しました。それがやっと昨日できあがりまして、うーん、楽だなあ。何かいたわられている感じがするぞ。 そんなこんなで、中→高年の端境期になって、現実と微かな違和感ともなって生きていくんだね。眼鏡作って少し明るくなったら、こんどは差し歯が折れた。このポロポロとした崩壊感覚。これも中→高年端境期の「実感」かな。 あんまり私的に走るなよ、ですね。急速な高齢化進む地域における公共空間のあり方、をね。実感ともないながら思考、試行、実践していくつもりなのでね、プライベートをパブリックに変換していくのです。お見守りください。 ■7月12日 私は3週間、平気で無為ですごしておったのだけれど、メイワクかけたかどうかは別にしても、文学館のスケジュールは進行していったわけで、「私のいない小樽文学館」は、リアリティーを増したなあ。 小路君が「製本教室スタッフ用マニュアル」というのを見せてくれました。こんなのです。 12:30 「マニュアル」は、「文学講座編」「古本市編」「コンサート編」と次々できてくるのですが、すごいねえ。マニュアル必要だとは思っておりましたが、こんなの見せられたら歎声しか出ないね。 さっき亀井館長とも話をしたのですが、ふたり一致しているのは5年、10年先々のことを考え続けよう、ということであります。もちろんそのなかにはポスト亀井(ポストなんて考えられないくらい、はりきってくださってますが)、ポスト玉川のイメージも含まれるわけね。これからますますネットワークの重要性増すだろうけど、それでも「中核」が無であっていいわけない。ここでどうしても行き詰まるのですがね。果敢な人、いないかな。自分で思っている以上に、ね。 ■7月6日 この間(その前後も含め)、コンサート2、講座1、文学散歩1、あと製本教室、子ども劇場、そして企画展! 私、ウチの仕事に就いて27年(!)になるのですが、ウチのイベントに立ち会わなかったことは一度もありませんでした。だから今回、まず私自身にとってはまことに衝撃的事態であり焦りもしたのだけど、どうしようもないわけね。どうしようもないことも早々に納得。 「落ちて」いるあいだ、まったく無為なわけで、無為にしてる以外ないんで、それはそれで妙に落ちついてしまうのですが、肩の凝らない本くらいは読める。 奥田英朗氏の「イン・ザ・プール」他3部作。精神科医伊良部一郎シリーズね。 でも復帰して、JJ's Cafe のカウンターに座ってみると、キリンのスポーツドリンク「激流」口に含んだみたいに、すっと回復の実感あり、何のことはない、私が「ウチ」を必要としている、こりゃ単なるワーカホリック、依存症? やっぱり心身症か。しかも情けない。 いずれにしても、「こういう事態」はやっぱり想定しなければならないので、「仕事の仕組み」の重要、思い知りました。とくに「ボランティア」だなあ。 というわけで、やっぱりボランティア。個性的でありながら一般化しうる「ボランティアのお仕事」。私のアタマはそれで一杯です。 |