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■10月30日
前に書いた、札幌の古本屋さんで買った図鑑の話。ネット通販サイト「日本の古本屋」にその本屋さんが出品されていた同じタイトルの図鑑と、値段がずいぶん違っているということですが、これはやっぱり旧版、新版の違い。
身の回りにあるのは文学書がほとんどであり、これは新版、旧版が(当時の物価による変化は別にしても)それほど価格が違うことはない。それどころかモノによっては旧版のほうがずっと高いことは、古本屋さんに入ったことのある人なら常識。
けれども考えるまでもなく、自然科学書は同じタイトルなら新しい版の方が良いに決まっています。情報の質と量が格段に進化している。この図鑑を作っている大学の出版会で、別の図鑑の新版を作ろうとしているその苦労話を聞いたばかりでしたから、そんなことは分かっているつもりでしたが。ついついケチな性分が、あのような筆走りに。古本屋さんの御主人にはとても失礼しました。汗顔の至りとはこのことです。
11月3日(10時〜16時)は小樽文學舎大古本市の日。一万点大放出、が売り文句ですが、図鑑はまず出てきません。圧倒的に多いのは文庫本でありますが、現代教養文庫の椎名麟三著『生きる意味』とか、旺文社文庫特装版『フランクリン自伝』なんていうのがあると(あんまり汚れているので廃棄寸前だったのですが)つい手が出ます。
とにかくシロートが無茶な値つけで放出してしまいますので、早い者勝ち(セドリも歓迎!)。ぜひ早めのお越しを。
■10月25日
ボランティアの人たちに並木凡平の歌集からいくつか歌を選んでもらい、「凡平カルタ」を作るプロジェクトが進行しております。
今月中に何とか一組はできる目処はついたらしいのですが、残る難関は絵札であります。
もちろん一々絵を描いたりなんかできないので、歌に何となく合うような情景をデジカメで撮ってくるのですね。なるほど、それは簡単そう、とお思いでしょうが、いや結構難しいのではあるまいか。
写真担当は小路君と千葉さんらしいが、私もお手伝いはできまいか。
それで選ばれた歌を眺め、これなら写真にできるのではあるまいか、などと。
一年に/一度は必ず/この歌碑に/酒を注ぎたい/手を合わせたい(凡平歌碑の写真をスキャンする)
朝市に/これは明るい風景だ/エプロンひろげて/花を買ふ人(明日の朝、妙見市場に行ってくるか)
生きるため/けふもコツプに歌刻む/手さきのふるえ/少し気になる(凡平コップを手にとって、文字を彫りつけているポーズを誰かに撮ってもらいましょう)
風荒く/ポプラに梢を泳がせて/ひょうひょうと鳴る/野幌の路(このあいだ台風なみの風が吹いていたとき文学館裏のポプラの写真を撮っておきました。野幌じゃないけどね)
外灯の/めぐりに網をはりつけて/蜘蛛は王者の/夢をむさぼる(家の壁にときどきビックリするくらい大きなクモが巣をはっております)
きりぎりす/なけば秋めく縁さきに/弱々しげな/蠅を拾ふた(私の部屋には虫の死骸がよく転がっている。ハエもあるんじゃないかな)
銀行の/曇硝子のドアおして/幸福そうな/顔が出てくる(旧日銀、今は金融資料館になっているお向かいさんで撮ってきましょう)
配りたての/牛乳を飲む妻の/喉笛を見て/朗らかな朝(家人に協力させましょう。ビン牛乳って売ってたかしら)
暮の街/公園通りの明るさが/却つて俺を/淋しがらせる(明晩、公園通りで撮ってきましょう)
こんな歌/書いたコップは売れもせぬ/この齢で知る/商売の道(これは凡平コップ広告かな)
酔ひはここ/都通りの舗道ふむ/夜ふけ妖しい/女は幻(明晩、都通りで撮ってきましょう。幻の女はともかく)
レコードを/買いたい秋が/また来たな/妻とラヂオを/聞きに行く秋(真壁さんからいただいた古いレコードプレーヤーとSPレコードを並べて撮ればいいですね)
月明り/すつくりのびた/白樺の/梢も見える/丘の一角(これも明晩、小樽公園の白樺の森で撮ってきましょう)
日本海/まつたく晴れて/はるばると/増毛の山は/裾にもやひく(気象条件さえかなえば、家の近くから望む港の向こうに増毛連山が見えます)
廃船の/マストにけふも/浜がらす/鳴いて日暮れる/張碓の浜
(これは、唯是日出彦氏の絵入り凡平さんの色紙をそのままスキャンすればいいですね)
相変わらず呑気なことを書いておりますが、実のところ私の頭は、夕張市美術館が来年3月をもって閉館する、という先だっての新聞記事でいっぱいになっております。ソンナバカナ、という文字がずっと頭のなかに谺している。それほどたびたび足を運んだわけではないが、数回の見学、スタッフとの会話で、私あそこの美術館がどんなに頑張ってきたか理解した、できたつもりでおります。だから口惜しい、めっちゃ口惜しい。新聞記事だけでは伝わらないところあるはずなので、近々夕張に行くつもり。慰め、励ましなんてのじゃなく、スタッフの人たちとのシンクロを試みたいと真剣に思っております。もうはっきりくっきり自覚している。「人ごとではない」
和田さんが、ぜひ読むように、と「日経新聞」の切り抜きをもってきてくれました。「ミュージアム拓く 個性で勝負」という連載です。なるほど、真剣なミュージアムは各地にある。みんな奥歯が砕けるくらい悩み、考えている。いくつかの館長さんの言葉が耳底に届きます。
「今まで美術館はこれが僕らの精いっぱい、というのを見せてこなかった。センスなんかなくていい。愚直にやる」
「万一ダメならほかの企画に切り替える。速さがコンビニ美術館の真髄だ」「コンビニと美術館の一番の違いは簡単に『退店』できないこと。百年、二百年続ける気持ちで知恵をため込む」
スゴいじゃないか。泣きそうだよ。
■10月18日
今月は小樽市文化祭というものをあちこちでやっているのですが、ウチと同じ建物にある美術館でも美術展、書道展、写真展などをやっておりました。
それで今日から始まったのが「和紙ちぎり絵展」であります。これの会場にあてられたのが、ふだん美術館の常設展、特別展をやっている展示室なので、そこを全面おばさま方の趣味のお披露目にあてられるのはどんなものかなあ、などと失礼なことを考えていたのですが、実際にその「和紙ちぎり絵」を見て、考え改まりました。
全部の作品が素晴らしい、とは言いませんが、いくつかのものは色合い、風合いが実に美しい。下地になるデッサンもとてもしっかりしています。そして何よりホッとするのは芸術である、表現であるという圧迫感が全くないことかなあ。
趣味ですよ、楽しんでますの。見ていただければもっと嬉しい。みたいな雰囲気がね。安堵します。「このアンドンはね、100円ショップで買ったものを使ったの」。ツバキの花を貼ったんですね。上品です。
ま、年齢のせいかな。昔はとりわけ「和の趣味ごと」は生理的に受けつけなかったんですが。
春の七草、秋の七草の小屏風なんて、マジ買ってもいいかな、って思いましたもの。売り物じゃないでしょうけど。あと、家には似合う部屋、ひとつもないな。
■10月14日
ウチが古本リサイクルをしていることは、最近、とみに有名になりまして、黙っていてもご不要の本を持ってきてくださる。量が多ければ、車を調達していただきにもあがります。
小樽だけじゃなく、札幌あたりからもヒキアイがあるのね。私は先週も、その前の前の週も、札幌まで古本をいただきに上がりました。物置に通されて「図書館にも話したんだけどね」「どうも消極的な感じだ」「そのうちに『小樽の文学館さんに話してみたらいかがですか』なんて紹介されてね」。うん、あの、図書館さんの困惑、理解できます。車に積み込んでたら運転手さんが、「ちょっと、漬け物くさいね」。……。
先日は、市内のある弁護士さんから打診あり。「事務所に『ジュリスト』のバックナンバーがあるのですが」。う、うーむ。『ジュリスト』ですか。量はいかほど。「段ボール箱20個」。う。「韓国の大学などにも送られる、と聞いたのですが、法律関係のものはご不要でしょうか」。うーむ、そうですねえ。
さきほど亀井館長にその話をしたのですが、「韓国の日本研究者もそこまで裾野が広いかどうか分かりませんが、そうしたものは案外日本国内で必要に思うところがあるかも知れません」「例えば新設の大学。最近は文化系の学問も、いわゆる境界を超えていかなければ広い視野が得られませんから」「あるいは事務所を構えたばかりの若い法律関係者だって、こういうものを新たに揃えるのは大変でしょう」「書物を必要としなくなったところから、切実に必要とするところへつないであげるのも文学館の仕事だと言っても、可笑しくはありません」
と、いうことで、ウチは内容、状態、一切問いません。実は少し前まで、これだけは、とお断りしていたものもありました。それは、百科事典。かつての書斎、あるいは居間の花形、百科事典の零落は目を覆うものがあります。でもこの立派な装幀、重量感。
よろしい、お受けしましょう。ウチがいただかなくて何処へ行く。
ここで疑問を持たれる人がきっとある。「おいおい、そんなやり方してたら、置いとくスペース多少あってもすぐパンクだよ」。はい、分かっております。何年置いても、引き取り手のないものは、やはりある。だから、最終的にはウチのほうで「処分」させていただく。
今年は、春と秋、近くの小学校の資源回収に乗っけさせていただきました。
手紙や写真と同様に、二度と読まない本でも、本は捨てられない。よく分かります。だからこそ、「文学館」であるウチの手で、最終的面倒を見ましょう。文学とは、断念の謂いにあらずや、なんて訳の分からないこと言っちゃったりしてね。
(追記)こんなことを書いていたら、「タマガワさん」と声をかける人あり。あ、A文学館の学芸員「だった」Yさんじゃないですか!ほんとうにお久しぶりです。こちらからお訪ねしたかった。「いろいろ、ありまして」。ええ。
ふとYさんの手をみると、ブリタニカの17巻?「いや、家のブリタニカ、17巻だけが欠けておりまして。ここで手にはいるとは思ってもいませんでした」。
やっぱり百科事典、ありがたく頂戴します。ウチがウチであるために、ね。
■10月7日
今日から「絵と書で描く 小樽・詩の世界コンクール全応募作品展」というのが始まったのですが、これの経緯は省略することとして、ウチで選んだ(選んだのは亀井館長。私はそのころ入院しておりました……)詩人の作品から受けたイメージを、小学生〜高校生が絵に描いたり、書で表現したりするというもの。
館長が選んだ作品は、つぎのとおり。
吉田一穂「ゆきまつり」「ぺんぎん」(小学生低学年)
大野百合子「のぞみ」「春のおもひ」(小学生高学年)「雪の夜」(中学生)
伊藤整「春を待つ」(中学生)「小樽は祭」(高校生)
小熊秀雄「馬の胴体の中で考えてゐたい」(高校生)
こうした「子ども(含む高校生)が主役」の企画は、ウチの苦手とするところ。これまでやったことのあるのは「マジ恐えぇ」展のみ。あれに比べれば、これはいかにも王道(フツウ)。でも(予想外に)おもしろい!
応募作品130点超。ハイケース裏という微妙ながら巨大な壁面埋めつくした「絵と書」を眺めて、私初めて理解した。子ども(含む高校生)の絵・書の良し悪しじゃないんだね。いや、それを「鑑賞」していただいても、いっこう構わないんだけど。
これでくっきり浮き上がってくるのは、むしろ「課題」の詩作品そのものの、イメージの喚起力だ。
そして、今回の課題詩で、どうやら抜群の反応を引き起こしたのが、大野百合子のつぎの詩であります。
のぞみ 大野百合子
夢に星を見た
花のやうに開いた星を
私が橋を渡り
ふり返ると
たつた一つのその星が
高いところから
私をめがけて
花のやうに開いた
これは小学生高学年の課題なんだけど、これに寄せられた絵だけでも約40点。その絵は実に様々です。
人の気配がまったく無く、赤い橋の上に微かな光を放つ星。内田百間やつげ義春を思い起こすような、周辺が闇のなかへ溶け込むような不安な絵。満天の星空を茫然と振り仰いでいるもの。広い野原に足を投げ出し、突然空に開いた巨大な花を眺めているもの。極彩色の光の雨が降り注いでいるもの。目の眩むような閃光が画面を覆うもの。
吉田一穂、小熊秀雄もマイナーといえばマイナーですが、大野百合子に至っては、名前知っている人ほぼ皆無?
けれども、有名無名なんて知ったこっちゃない子どもは、実に素直に反応するのですね。「強いことば」に。
絵を見て、私、はじめて理解した。この詩は、ものすごく「強い」。たった8行だけど、その一行一行が、もの凄く「強い」。
どうでしょう、皆様。この詩をまずゆっくり3回読んで(口に出しても出さなくても良し)みて、しばし眼を閉じ、脳内に沸きあがったイメージを絵に描いてみませんか。絵の具でも色鉛筆でも、何ならマジック、ボールペンでも良し。それを文学館に持ってきて、(そっと)子どもの絵と比べてみましょう。納得、あるいは愕然。人生の転機になるかも知れません。
ということで、この企画、一回こっきりにするのは惜しいような気になってまいりました。
■10月1日
いずこの文学館も同じだろうけれど、展示してある作家の作品を読むことができない、というナンセンス。
ウチでいえば、早川三代治、八田尚之、石塚喜久三、川端克二、田中五呂八などという人たちの作品をフツウの手段(街の本屋さんの棚にある、棚になくても注文して取り寄せてもらう)で手に入れることは、まずできません。岡田三郎、伊藤整だって読むことのできるのは、ほんの一部の作品だけ。古本屋を巡り歩く、インターネットで探し回る、なんてのは、やっぱり圧倒的多数には別次元の話であります。
いま小樽文学館で特別展をやっている口語短歌作家、並木凡平もご多分にもれず作品集は入手ほぼ不可能。そのナンセンスを何とかできる範囲でなんとかしよう、ということで『並木凡平歌集』(復刻版)を手作りで限定20部作ることになりました。
まず展覧会を見て初めて並木凡平の作品知って感心したお客様を優先したかったので、あえてここのホームページなどではご紹介しなかったのですが、それでも予定していた20部は予約いただき、大変嬉しいことでありました。
この限定出版の『並木凡平歌集』とは別に、出たり引っこんだりしていたもう一つのプロジェクト、『凡平カルタ』。
きょうは月一回のボランティアの集まり、「暇人クラブ」の日。「ヒマ人」のネーミング、ダテではありません。ボランティアの極意は「ヒマツブシ」(ひつまぶしじゃないスよ)の域を出ないこと。初代リーダーのコウジさんも、二代目リーダーのコウジ君も、その辺、実によく解っているのですね。
いつものようにカウンター越しに見ておったのですが、「本題」はどうやら20分ほどで終了。あとは概ねカイゴを巡る悲喜劇、というようなお話であったような。
かと思うと、いきなり「本題」に戻るのが「暇人クラブ」のいいところ。
「さっき提案があったんですが『凡平カルタ』」。ん、あれまだ続いていたの?
「ぜんぶ50音順に並べかえて、『あ』からひとつ、『い』からひとつ、というふうに気に入った短歌を選んでいこうか、と」。あのね、前から言ってるじゃない。一冊の歌集からイロハカルタ作るのは無理だよ。50音揃うわけないじゃん。百人一首式にさ、下の句か、上の句カルタじゃないと。
「ひとつふたつ抜けてもいいんじゃないか、って。タマガワさん、並びかえてみてもらえませんか」。簡単に言うなあ。そりゃテキストをDBソフトかエクセルあたりに読み込ませてソートかければいいんだけどさ。アタマ漢字で始まっている短歌に、ぜんぶ振り仮名つけるんだよ。
「ヒマ人、のあいだにやっててもらえませんか」。かんたんにいうなあ。
と、言いながら、やってみました。えー、2700首もあったのか。げっ、誤植(誤入力)もけっこうあるなあ(大汗)。そうか、何も別ソフトに読み込ませなくても、エディターにソート(並び替え)機能があるんだね。っと、できた。
あ、い、う、え、お、か、き、……、ら、り、る(あるのか!)、れ、ろ、わ。驚いたなあ、「を」以外、全部あるではないですか。こうやってみると、また凡平短歌の特徴が、あらたに見えてくるようだね。
で、『凡平いろはカルタ』。企画展終了までにできるのだろうか?
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