よもやま日記

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文責/市立小樽文学館・玉川薫
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■11月30日
先般の「古本市」の売り上げが良かったこともあり、懸案だったものをいくつか文學舎で購入していただきました。
ひとつはJJ's Cafe 専用のストーブ。ホーマックで16,000円。もう一つは講座のときに使うワイヤレスのピンマイク。通常のマイクはあるのですが、ご承知のとおりあれはできるだけ口に近づけないと、声が通らない。でも、それが苦手な講師も少なからず(例えば、亀井館長)。もっと近づけてしゃべってください!なんて言いづらい(カラオケじゃないからね)。ピンマイクなら、講師は気楽、板書しながら、人によっては歩き回りながらおしゃべりになっても自由であります。これが19,000円(意外に高い)。

それから展示室でフリーに使える軽量の展示台。これはサトウ君のウグイス家具店に作ってもらった。1台15,000円。
この展示台が、予想以上に使いやすいのですね。展示資料、ほとんどガラスケース入りだから、手に取りたくてウズウズしても意地悪く手を触れさせない。それなら、あちこちにこの展示台置いて、手に取っていただきましょう。まかりまちがって紛失しても真っ青にならないような、本とか複製ならね。
この展示台は普通に机として使ってみてもとても使いやすい。軽量だから気が向けばあっちこっちに簡単に移動。
それで思いついたのだけど、文學舎オリジナルの文学館グッズ(グッズは嫌いですが)。トートバッグや凡平カルタもいいけれど、思いきって読み書き机とそれに馴染む椅子、ブックラックなんてどうかしら。プロデュース・小樽文学館。制作・ウグイス家具店。販売・小樽文學舎。シンプル、軽量、リーズナブルでどこまでも美しい「書斎セット」。ユニークなミュージアムグッズ数あれど、「丸ごと書斎」は、「初」じゃない?

■11月28日
二、三日前、バスに乗っていたら、おたる水族館の車内吊りに目が留まりました。
秋の特別展「珍味魍魎」。ちんみ・もうりょう!?
思わず、遠近両用メガネを外して、よろけながら目を近づけます。サラダ菜の上のアメフラシ!
「ご来館の方に特別展で紹介した料理を抽選でプレゼント」って、宮沢賢治も愕然のブラックユーモアか。
いや、良く読めば「あなたの知らない海鮮料理」とサブタイトルがついていて、日本各地では思いもよらない海産物が食材として郷土料理に使われております、それをご紹介しましょうね、という企画でありました。オホーツクホンヤドカリの鉄砲汁は道東方面の漁師料理。アメフラシの和え物は島根地方の料理。(サラダとしては食べません)と、断り書きも(笑)。

いやあ、やるなあ。おたる水族館。昨日、バスでもう一度確かめようと見まわしたら、もう車内吊り貼ってありません。つまり11月26日をもって、冬期休館に入ったんですね。恐らくシーズン最後、9月から11月って、水族館では客足が落ちる時期でしょう。そんな時期だから、かも知れませんが、何て斬新な企画でしょ。

中川いさみさんのマンガ、思い出しました。「カニ食べてるときって、何で無口になるんでしょう」「それはね、ここが水族館だからだよ」「こら、お前ら何やってる!」(夜警さん)

私はすっかり感心してしまい、ひさしぶりに水族館のサイトを見てみました。公式ホームページ、実に良く出来ています。何より嬉しいのが、「必須プラグイン:なし」。
ちょっとした企業のサイトでも、やたらに絵を動かしたがるこのご時世。先日、ある映画の公式サイト映してみたら、画面ぴくりとも動きませんが。Mac OS9.2で、IE5.1でISDN回線、そりゃ一時代前の環境かも知れませんけどさ。モデム、ダイヤル回線でネットにつないでる人も、少なからず居るのです。
「本サイトにはスピーディーに更新可能なコンテンツ管理システム「SR」が導入されています。」という小さな表記。SRが何なのか、私は存じませんが、こういう配慮はほんとに嬉しい。
さらに「おたる水族館裏ホームページ」なるサイトも発見。可愛い(笑)

ほんとにしばらく行っておりませんが、なかからどんどん変わってきてるんですね。旭山動物園なみに化けるかも。連帯、呼びかけるかなあ。

■11月26日
「美味しい文学」の話から、小路君に借りた重金敦之『食の名文家たち』。そのなかで宮尾登美子の「菊亭八百善の人びと」に出てくる江戸時代からの老舗料亭「八百善」。
ここは戦後、店を閉じたのですが、両国の「江戸東京博物館」7階に復活。「普通のビルの二十七階に相当するというだけあって、隅田川左岸から東京を見下ろす眺望はすばらし」く、百二十人を収容し「モダンな中に江戸の伝統美が感じられる」内装は田中一光のデザインだそうです。
筆者がそこで試してみた一万円の懐石コースは「焼き甘鯛と海老いものしんじょのお椀」と「茶漬け」!

何も東京都立「江戸東京博物館」に対抗意識燃やすつもりはありませんが、我が小樽文学館ヴァージョンは「美味しい文学」展から発展し、「街のなかで対話が生まれる場所シリーズ」第5弾、「小樽・大衆食堂物語」。
小樽で大衆食堂と言えば、「はれるや」「大盛食堂」「松ヶ枝食堂」「五十番菜館」、あと、えーと。「市立小樽病院食堂があります」。なるほど。

小路君、××食堂、入ったことある?「子供のときに。チャーハンが甘かった」。?。「塩と砂糖を間違えたらしいです」。なるほど、それは衝撃。

考えてみれば、「文学のなかの美食」になっちゃっちゃ、詰まらない。「不味かった思い出」も立派な「食との出会い」ジャマイカ。

思い出すのは安岡章太郎。
「赤黒く焼けた膚をつっつくと、ずるりと滑って脂ぎったネズミ色の皮が剥がれ、白いぶよぶよした肉があらわれる。いつもならここで、ひるむところだ。しかし僕はひと思いにぱくりと口にほうりこんだ。歯にさわると気のせいか、キュッとあの断末魔の鳴き声みたいな音がする。つづいてもう一と切れ。……栄養、栄養、ビタミン、ビタミン、と僕は口の中で祈るようにとなえながら、つとめて機械的に咀嚼した」
何の小説だったか思い出せなかったのだけど、さっきネットで調べたら、やっぱり強烈な印象もった人いるらしく、これ引用してました。「ジングルベル」らしい。引用した方のコメント、笑います。「ウナギをこんなにまずそうに食う人はダメだと思う」。確かに。どんなに鰻丼好きな人でも怯むんじゃないでしょうか。

■11月23日
朝から、予定どおり落ち葉掃除。予想どおり濡れ落ち葉。雪に埋もれていなかっただけマシでしょうか。
私の顔を見て、「おや?」という表情がちらほら。出ないわけにはいかないでしょ?「そりゃ、そーだねー」。
落ち葉掃除隊、主要メンバーは「おもてなしボランティア」の方たちです。スタッフジャンパー着てるからすぐわかりますね。
総勢30人超。濡れ落ち葉かき集めてびっしり袋に入れれば、けっこう重い。それなりの労働ですが、これだけ人数入れば1時間半で、日銀通りはすっかりキレイに。

一応申しておきますが、私個人はいわゆる公共のために自発的に労働する、などということには極めて消極的。近所の雪かきだって億劫なのだもの。
ただし、ウチの前の大通りの落ち葉掃除。これは別でしょ。特別でしょ。先頭立ってもやらなきゃあ(って急にテンション上げても、しょせん付け焼き刃だけど)。

そして。(これが大事)やるからには、目立たなきゃ。うらやましいじゃないか、「おもてなしボランティア」のスタッフジャンパー。

落ち葉掃除隊の皆様は、一仕事終えて、JJ's Cafe で一服。
私は早速千葉さんに相談。「文學舎のスタッフジャンパー作ろうよ。ヲタブン君のマーク入れてさ。ユニクロあたりで安いの仕入れようか」。千葉さんには別ルートの心当たりがありそうだが、何でも良い。ただし、カッコいいのね。それは絶対譲れないのね。

地域に根ざした文学館とは何か。それはまず小樽市のことでしょ。いや、そりゃそうだけど、小樽は小さな街だがそれなりに広い。市民と連帯、なんて声高に言っても観念的、抽象的。

まずはご近所じゃないか。ウチはロケーションに恵まれている、それが素晴らしい。それはこういうことなのね。
旧手宮線→都通り→花園銀座街→日銀通り→堺町→運河沿い。
歴史的遺構、苦闘する商店街、観光ゾーン。小樽のカナメのそのまたカナメ的位置がこの場所であります。

だったら出ていこう。ここから出発しよう。そして目立とう。

目標?
そうね、まずウチの前の大通りの通称。「文学館通り」にしちゃおうか。

■11月21日
美術館のほうで先日やったこどもの教室。段ボールで恐竜を作ろう、というので出来た作品の展示を、年末にやります。

作品も、おもしろいのだけど、飾り付けのときの工夫が、ちょっと楽しい。
今回は恐竜だからね。恐竜が出るのは鬱蒼とした森でしょう。背景どうするの?
「文学館と美術館にあるフェイクの観葉植物かき集めます」って、それじゃあ寂しすぎないか。

今朝メールが回ってきて、23日(勤労感謝の日)に、日銀どおり、すなわちウチの前通りの街路樹の落ち葉掃除に小樽市職員も協力してくださいとのこと。通りに面してる市役所職員というのは、ウチしかないから、これはやらざるを得ないでしょう。

そのプラタナスの落ち葉見て考えた。プラタナスの葉っぱってわりと大きいから、これ新聞紙かなんかにペタペタ貼って、壁に貼るってどうかしら。落ち葉拾いで集めたのを何袋かもらえば、いいんじゃないかな。
「明日は雪の予報ですよ。濡れ落ち葉は始末に負えないですよ」。濡れ落ち葉か。言い得て妙な、ヤな言葉。
ということで、落ち葉清掃を待たずに、星田さん、石垣さん、佐橋君、そして居合わせた小路君と和田さんが落ち葉拾いに出かけました。

「集めてきたけど、黄葉はヘンじゃない?ジュラ紀って、羊歯みたいなのが繁っているんじゃなかった?」。えー、科学的正確にはこだわらないのね。「恐竜というより、タヌキかキツネが出てきそうね」。まあね。

■11月19日
JJ's Cafe でボランティアのご婦人たちが雑談をなさっている。「カイゴの仕事もハードな割に収入は厳しくてね。スナックでアルバイトした方がマシかも」「タマガワさん、カフェもいいけど、『スナック文学館』なんてどう?きょうのメニューはロシア文学にちなんでボルシチ、なんて」。
JJ's Cafe だって偽カフェですからね。スナックは無理だな。でもロシア文学でボルシチ、は面白し。企画展ならできるかも知れません。

タイトルは「美味しい文学」かな。糸井重里のパクリ。古今東西の小説や詩に出てくるお料理、実物は無理でもその写真とか、何ならレストラン・ウィンドウの蝋細工サンプル。それにレシピ、キッチン道具やスープ皿。どこかのレストランで提携してくださるなら文学館プロデュースで週に一度の特別メニュー。

ところでお料理が印象的な小説、って何。考え込んでも私の乏しい読書歴では難しい。伊藤整なんて「食べ物についての私の原点は、北海道のマサカリカボチャ、凍ったタラをカナヅチで叩いて食べるヤツ。すなわち質より量。これにつきます」って言ってるぐらい(記憶では)。
こないだテレビでやってた池波正太郎の藤枝梅安の必殺仕掛人。お茶漬けとか食べるシーン、ちゃんと作ってあったようですが、あれも原作のこだわり生かしたのでしょう(良く知らないのだけど)。
ロアルド・ダールには、その名も「味」という短編があり、あれはワインの話だけれど、底知れぬ蘊蓄ぶり、ではあるが、後に残るのは「美食家」に寄せるこの作家の嫌悪感。ダールは一筋縄ではいきません。

こんなふうにトロトロ書いてると、はがゆく思われるだろうな。こんなのも、あんなのもあるじゃない、って。ぜひ、それ教えてくださいな。

一個、思い出した。学生のころラジオで「朗読の時間」みたいなのやってて(ウチの「名作の時間」のラジオ版ね。あ、逆か)、延々と続いた明治の小説。聞いたことのない作家の。それが妙なお話で。続く続く料理のお話。それも作り方まで微に入り細に入り。それが村井弦斎「食道楽」。

もっともこれは特殊中の特殊。ここご覧になればお分かりのとおり、この小説だけで弦斎料理教室や弦斎弁当のメニューができる。それよりやっぱりね、さりげなくそのお料理で登場人物のキャラクター分かったり、ストーリーの伏線の、文字どおり匂いをたてるもの。そんな気の利いた文学展、よってたかってやってみません?

■11月16日
この建物の3階には美術館市民ギャラリーというのがあるのですが、今そこでは退職された先生達が中心になってなさっている創作グループの展覧会をやっています。

さきほど千葉さんが私に「タマガワさん、3階の受付やっているおジイさん、G4のPowerBook使って何かやってるよ」。ああ、そりゃ大黒先生だろう。高島町史の改訂版という分厚い本をDTP(デスクトップパブリッシング・印刷所に持っていけばそのまま商業印刷物ができてしまう「完全版下」を自分で作ること)で作って、自分で印刷、製本までやってしまったという「剛の者」です。

DTPは基本的にプロのお仕事で、私もその真似事くらいはするのですが、私の周りには印刷屋さん以外にそれ出来る人はいません。だから大黒さんのなさっていることがどんなに凄いか、ほんとにビックリできる人ってあんまり居ないんじゃないかしら。

大黒先生は、もともと何を教えていらした方か、私は知らないのだが、一般市民には「和凧作りの名人」として知られている方。ビデオ撮影などにも凝っておられ、そのほうで、ずいぶん昔にお世話になったこともあります。
その大黒さんが受付なさっている、と聞いて、さっそく3階に行ってきました。

そのPowerBookで、あの本作ったりなさったんですか。「これは遊びで使ってるんです。もう古い機械ですよ。本作りには家にあるデスクトップを使ってます」。(私のはG3シェル型のiBookだ……)。
最近、キリギリスの図鑑もお作りになったそうですね。「『小樽の鳴く虫』ね。そこにあります。一冊文学館に差し上げますよ。そのつもりで持ってきたんだし」。えーっ、これも手作りでしょ。部数もそんなにできないだろうし、もうしわけないなあ。パラパラ。やっぱり凄いなあ。

「これはPageMaker使いました。こないだの高島町史はInDesign」。……InDesignは私も勉強したいと思ってるんですけどね。
「私は全部ネットで勉強しました。掲示板やメールで、知りたいことは凄い人たちが寄ってたかって教えてくれます」。……。

「いちばん苦労したのは、レイアウトよりイラストなんですよ」。このペン画、(失礼ながら)市販の図鑑からスキャンなさったんじゃないですか(非売品だしな)。
「私がタブレットで描いて、PhotoShopで加工したものです」。えーっっっ!!!

いや手作りだってこと別にしても、図鑑として使いやすく専門的にも高度(シロート目にもね)、かつユニーク。「全国から問い合わせいただいてます」。

畏るべし76歳。畏るべし高島。高島は関係ないでしょ、って、でもこういう「地域の濃密」から体力・知力・気力を吸収なさっているとしか思えないのですよ。

■11月14日
「冬が近くなると ぼくはそのなつかしい国のことを考えて 深い感動に捉えられている そこには運河と倉庫と税関と桟橋がある そこでは 人は重つ苦しい空の下を どれも背をまげて歩いている ぼくは何処を歩いていようが どの人をも知っている 赤い断層を処々に見せている階段のように山にせり上っている街を ぼくはどんなに愛しているか分からない」
というのは、小林多喜二の文学碑文でありますが、これは1930年11月11日に豊多摩刑務所内より村山籌子さんに宛てた手紙の一節。
これには前後の文章があり、引用された文の後の、小樽の母親からたいへん重みのある蒲団の差し入れがあった、というくだりも感動的なのですが、この手紙の書き出しが、私はたいへん好きなのです。こういうの。

東京の空は何処まで深くなるのですか。ぼくは二十四カ年北の国を離れたことがない。それでこの長い、何処までも続く、高く澄んだ東京の秋を、まるで分からない驚異をもって眺めている。

小林多喜二自身もこの手紙文は気に入ったらしく、この日の前後、何人かの人達に似た文章の手紙を出しております。全集に書簡が収められるなど、さすがに予想してなかったでしょうが、ちょっと稚気も感じられて微笑ましい。
引用され、碑文に刻まれたところは確かに名文なのですが、手紙の冒頭。これは本当に実感だと思うのですね。いくら「北の国」の人でも、こんなに率直に「東京の秋」に感嘆する人もないのではなかろうか。

逆に東京、というより南東北以南、以西の人には想像しにくかろう北の国の秋。真冬ならいっそ居直ってしまい、有島武郎的に熱くなるのも解らなくはないのですが、秋、とりわけ10月半ばから11月。
一言で言えば、滅入ります。滅入る季節。大学時代、岡山出身のある友人は、「北海道の人は豊穣の秋、なんて言うけど、むしろ凋落の秋って感じだよなあ」と申しておりました。
けれどもモノは考え様。ホンモノの「鬱」は深刻だが、「プチ鬱」は詩的、文学的といっても当たらずといえど遠からず。「秋の日のヴィオロンの溜め息の、身に沁みてひたぶるにうら哀し」ってヤツね。

要するに「重つ苦しい空の下を背をまげて歩いている自分」を客観視してしまえば良い。とは言え、北風が身にも心にも沁みるときこそ、人間には和みスポットが必要であり、それが小樽文学館、なのですが、札幌タヌキ小路のはずれにその名も「十一月」というたいへん素敵な喫茶店があります。
このお店のことはいつぞや「日記」にも書きましたし、Googleででも検索かけていただければ、その雰囲気はすぐにお分かりになるでしょうから繰り返しませんが、何というかヒタイあたりに冷気を保ったまま和むことのできる場所。11月にぴったりでありましょう。

こないだ書いた「ミクシィ」ですが、小樽文学館というコミュニティも立っておりますので、ご関心のある向きはどうぞ(管理人は私ではありません、念のため)。ネット上の架空空間ですから、プラス・マイナス必ずつきまとうとは思いますが、発展途上らしい「ミクシィ」、パソコン通信初期時代以来の「和み電脳空間」を醸し出すことには今のところ成功しているように思います。

■11月1日
JJ's Cafe には古いiMac(今だったら数千円で手に入るヤツ)が3台置いてあり、インターネット常設(実は無線LAN環境にもなっている)なわけですが、今朝も何処かの外人さんがおずおずと中をのぞいて、「インターネット、OK?」。ええ、もちろんオーケーです。
まだ数少ないけど若い常連さんもいる。窓口で「パソコン使わせてもらいます」だけで、あとはフリー。

こんなに気楽に使えるインターネット。でも、何回も書いておりますが、この機械は、パワーユーザー>普通のユーザー>>>超えられない壁>怖くて触れない人たち(圧倒的大多数)。その壁を破る可能性があるのはニンテンドーの新型ゲーム機かも知れないけれど、それはまだまだ遠い道。

私の「よもやま日記」は、昔ながらにテキストをホームページ作成ソフトで作ったページに貼りつけ、ファイル転送ソフトでサーバーに送るというやり方ですが、いまどきは「ブログ」というものがあり、めんどくさいことをしなくても日記風サイトができるようになりました。
さらに最近は、ミクシィに代表されるソーシャル・ネットワーキング・サービスというものが盛んで(などと書いただけで、まだ大方うんざりされると思うけど)、「ブログ」に必ずともなうストレスをほとんど感じずに、お気楽日記を(なかば内輪に、ですが)公開できるようにもなりました。

いろいろご批判の向きもありましょうが、私は基本的には「いいこと」だと思っています。昨日も共同通信社の記者さんと、並木凡平の口語短歌に参加した人たちの話から、インターネットの普及は、既存のメディアには反映されるべくもなかったホントのサイレント・マジョリティー(これも好きではない単語ですが)が場所を得た、あるいは得る可能性を持った、ということでもある、なんて話になったのですが、そこにはどうしても「超えられない壁」があるわけね。

何でこんなこと繰り返し書いているのかというと、たまたま知り合いでやっているミクシィを覗いておりましたら、ウチでボランティアをなさっているご婦人が日記を書いておられる。自分の体験を踏まえて、現代社会の理不尽に怒りを表す立派な文章であります。
ただそのご婦人は、聞くところ家でパソコンお使いなわけではなく、ふだんもその経験はほとんどない、とのこと。さらに聞くと、この日記はJJ's Cafe でボランティアどうし顔を合わせたとき、小路君が「口述筆記」をしてあげている、とのこと。

「ルール違反ですかねえ」と小路君は言うのだが、そんなこたあなかろう。それどころか、すごい面白い試みではなかろうか。

もちろんこれはまず現実世界でのコミュニティが成立した後、初めて成立するヴァーチャルコミュニティという話であり、古い3台のiMacが並んでいるJJ's Cafe がそんな場所にもなっている、というお話でした。