よもやま日記

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文責/市立小樽文学館・玉川薫
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■2月15日
図書館など必要不可欠な施設を除いて、不採算の文化関連施設は閉じたらいいのではないか、例えば文学館。なんて教育委員会あての匿名(何で匿名?)文書が回されて来ていて、ややムッとしながらも、ま、一理ないわけではないな、などと思っておりましたら、「タマガワさん、おいでですか」という声。っと、今日だったっけ。

だいぶ前にメールくださっていたのは、ソウル大学の学生さん。「小樽運河保存運動のことについて、お聞きしたいので」。私に聞いてもしょうがないですよ、とお答えしつつ、お出でになるまでに多少勉強しておきますので、と、いつもながらのその場しのぎ。

あ、今日だったっけ。私、何にも知らないんですが、前の館長がこんなに膨大な記録を作っている、と本を持ってきたところ、「小笠原先生のご本などは、ひととおり読んでいるんです。私が知りたいのは半分埋め立てられた1986年以降のこと」。そうか。
今やってる「雪あかりの路」なんかもそうだと思うけど、街おこしとか、観光とかで中心になって活動している人たちって、ほとんど「運河保存運動」に関係されてたのじゃないかな、と心当たりに一軒電話するもお留守。

それじゃいっそ、と、「小樽運河を守る会」の会長さんだった峰山冨美さんにお電話。90歳を超えておられるはずだが、声はとてもお元気。すぐにでも会ってくださる、ということでタクシーに学生さんお乗せして峰山家へ。

きょうは館も手薄なので、私、中座のつもりでおりましたが、峰山さんのお話、熱が入るにつれて席立てなくなりました。
私、峰山さんのお話を脇でずっとお聞きしながら、思っておりました。街が街の体裁をなすというのはどういうことだろう。それは街としての機能に違いないのだけれど、その中核に不変の、とは言わぬまでも、なかなか変わりがたいカタチがある。そのカタチは機能としてはすでに無用のものとも見えかねない。
小樽の場合は、それが「運河」であった。今でも賛否はあるだろうし、「運河」をどう使うか、というような思惑、理屈づけも様々なされるのですが、「運河」のほとりに佇めば胸が熱くなる、という峰山さんのようなテコでも動かぬパトスが核心にあって、初めて街が街の顔になりはじめる。

文学館が運河と同じだ、って言うつもりはないし、運河よりは役に立ってますよ、などと言えないこともないのだけれど、機能論に徹すれば「無用」に違いはないのね。

ただね、ウチの街には図書館がありますよ、って話は続けようがありませんが、「文学館」がありますよ、なら、へえ、と返ってくる可能性少しあり。さらには、え、あの「文学館」?と返ってくる可能性も、僅かながらあるのですよ。

■2月9日
「小樽雪あかりの路」、本日オープン。例年に比べ、寒さは和らいでおり少々ユルめの「雪あかり」。
明日は、これに乗じた「雪あかりの古本市」の日で、きょうの夕方から、ボランティアの皆様がJJ's Cafe に古本運び込み、すっかりセッティングしてくださいました。
JJ's Cafe も明日一日限りは、文字どおりの古本カフェね。こっちの方が、JJ's Cafe の名前にふさわしいかもね。
美術館の方は、星田さんが頑張って建物のライトアップにこぎつけましたし(少〜しインパクトには欠けますが、この程度が上品かな)、メイン会場の手宮線から文学館まで誘導する看板、グリーンライオンズクラブ(もとをたどれば、文学館のまさしく生みの親であります)の皆様が、「小樽雪あかりの路」実行委員会にかけあって建ててくださった。

つまりね、前に私が書いたこんなこと、おのずと為され始めているのです。突っ張らかる必要もなし。同時に、何だかずいぶん淡々としてきてしまったな、ワタクシ。

先日、小路君およびボランティアのおばさま達が、私を遠くから見かけたらしく、後ろ姿に中年の哀愁が漂っていたそうな。そうかな、やっぱり。

■2月4日
きのうから始まった「鉄道と文学」展。永山則夫さんの「ノート」、さり気なく展示しております。
永山氏と小樽駅との「関係」、その程度にさり気ない。ただ、さり気なさと、その濃淡とは比例しないのであってね。
ノートもさりながら、新日本文学賞受賞作『木橋』贈呈者すべてに添えたという、自筆の「読んでくれてありがとうさん」の律儀な文字が胸に沁みます。

「鉄道と文学」展、取材してくださった「小樽ジャーナル」の山田さんが教えてくれた、女優園井恵子さんの詩。まったく知らなかったなあ。この詩を刻んだ碑を、水天宮に建てようかという声があるそうな。「いいんじゃないかな」、と山田さんが言い、いいんじゃないですか、と私も言う。

昔はね、あっちこっちに石碑作ってもなあ、木柱なら朽ちて消えるけど、石はなかなか風化しないからね、などと軽く批判的だった私ですが。今はね、いいんじゃないかな。

「文学碑めぐり」などというのを30年もやっていて、ようやく気がつきます。「自然」や「風景」に意味など無し。意味をつけるのは人間であり、一人あるいは数人の深き思い、あるいは執念が「石」になってもいいじゃない。「石」を訪ねて、深き藪をかき分け、路なき路をたどり、荒れ果てた風景にたどり着いたとしても、忽然とあらわれた「石」と「碑文」が、「あるべき風景」「あるべき故郷」を現出してくれるわけです。

「小樽ジャーナル」の「石碑めぐり」には載っていて、文学館製作の『小樽の文学碑』には載っていない洋菓子「ルタオ」の社長さんが建てられた詩碑も、お寿司屋さん「多喜二」の店主が建てられた文学碑も、大いに意味あり、と今なら思う。
たとえ10年後、20年後、堺町通りがかつてのように「雪の降る町を」そのものの寂しさ切々たる「思い出だけが通り過ぎてゆく」町に逆戻りしたとしてもね、その石碑が「観光時代」の栄華を呼び起こすでしょう(嫌味のつもり毛頭なし、です)。

「小樽ジャーナル」さんとのコラボ企画、「オタル縦横文学碑めぐり」の詳細はいずれ(まだ何も決まってませんが)。