よもやま日記

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文責/市立小樽文学館・玉川薫
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■5月26日
エンゼル第3ビル店、特別に開けて見せてくださいました。もう来月初めからビルそのものが取り壊される。

ガランとした店内を予想もしていたのですが、ほとんどそのまんまです。入り口や壁の飾り、椅子、テーブル、ガラスケース、飲み物、食べ物のサンプルまで。電源もはずされてるから、店内真っ暗。でも窓から地上の明かりが斜めに差し込む。紅色の椅子のビロードに濃い影を落とす。

店内ドアのガラスの弓矢のマーク。「これだけでも切り取って持って帰りたいのだけれど」と、奥様が笑われる。

惜しいのだけれど。とっても、惜しいのだけれど。これらの調度、できることなら引き取りたい。できることなら店ごと引き取りたい。

それって、もう私の「下心」越えてる。何で壊す、何で消えてく。こんな場所。もはや怒りにも似た気持ちが込み上げる。

ドアの上の文字「ENZEL」。私、初めて小樽にきたとき、あちこちにこの名前が目についた。スペル、間違っているんじゃなかろうか、って思った。
でもいいじゃないか。「ENZEL」。かつて6店舗もあった小樽だけのチェーン店。

「10分歩けば店がある、ってあの人の夢だったんですよ。ほんとに無理しちゃって」、と奥様。いいじゃないですか、無理だったのかもしれないけれど、夢はかなった。夢は無理しないとかなわない。

「本屋さんの二階に出したお店、内装もいちばんお金を掛けました。あのとき初めて食事のメニューを作った」。「当時の喫茶店組合から、とても反発されましてね。食事は出さないから、『純喫茶』なんだって」。ああ、その話、亡くなった御主人からも直接聞きました。「それでも主人は譲らなかった。開店のとき、入り口でビラを撒かれたんですよ」。そこまで……。それは、知らなかったな。「でも主人は、いいました。オレが勝った、チラシ撒かれたのを見て確信した、って」。「私、ほんとうに思いました。この人は凄い、主人は偉いなあ、って」。奥様、また涙ぐまれる。

もう、私、後に引けないじゃないか。やるしかないじゃないか。「さよならエンゼル、ありがとう、オタルの天使」展をさ。

■5月26日
私は一部で新しいモノ好きと思われてるフシがありますが、そんなこたあない。それにお金もない。愛用しているiBookはハマグリのカタチ。osは9.2。

ただ技術を誇示するだけじゃあないモノ。むしろ「枯れた技術の水平思考」(by 横井軍平)的な革新。それには心うばわれる。

いまのSonyは、ちょっとガッカリだよ、から抜け出せていないようなのですが、かの初代ウォークマン。超ミニサイズ(あくまで登場当時の話です。今の感覚だったら若い女性の弁当箱くらいにはみえる)のカセットレコーダーにすぎない。ただ単三2本ほどのバッテリーで長時間駆動して、超小型ヘッドフォン(あれは今でも十分つうじるセンスでした)標準でついていて、逆に本体にスピーカーついてない(ここが肝心)。
つまり、屋外で、ひとりで(ここが肝心)聞くためだけのステレオ装置。こりゃ世界を変えるな、と直感しました。

いくら直感しても、私は昔からケチだから、新品は買わないのですが、これは無理して買ったのかなあ。そして、今でも覚えております。もう日が落ちて暗くなった街、しかも雨がけっこう激しく降っていた。私は傘を差し、ヘッドフォンをつけて(けっこう思いきって)、歩き始めました。曲はフィーリーズだったかな。
やっぱり世界は一変していた!滲む街灯、水しぶきを上げて疾走する車。カサをさげてうつむいて走る人。無音の世界の「クレージーリズム」。

でも、その日以来、ヘッドフォンつけて外を歩いた記憶がない。音楽人間でもないですし、今と違ってやっぱり目立ったし。けっきょくはもったいない買い物。やっぱりただの新しいモノ好きじゃん、と言われても仕方ない。

私は2週間ほどまえから「歩いて通勤」を始めました。運動不足にもほどがある、とようやく自覚したからであり、体育館などものぞいたのですが、奥様たちとボクササイズ、ご同輩と脱メタボ体操、うーん……。二の足、踏んでしまった。いやそりゃ、かっちょいいスポーツなどと生涯無縁はよくわきまえているのですが。

たまたま入った薬屋で眼に付いたパンフレット。「歩け、歩け、歩け」と大文字。それによると健康増進には走るの×、テニス×、ゴルフ△、水泳すら△、ひたすら歩くの◎なそうです。それも週に3回30分、60分なら週1、2回で十分らしい。ちょうど文学館から家までの距離じゃないか。

小樽ですからかなりの起伏がありまして、けっこうな運動量。20分歩いたところで、一直線の上り坂が15分。パンフレットによると20分歩き続けて、やっと体脂肪が燃え出すらしいのですね。ちょうどそこから15分。汗が猛烈に噴き出し、体脂肪が音を立てて燃えているのを実感(むろん錯覚)。

ただし飽きる。それで久しぶりに(さすがに初代ウォークマンは壊れた)iPod(むろん中古格安品)からイヤフォンつないで歩いてみました。
「春の嵐の夜の手品師」(あがた森魚)、「スターマン」(デヴィッド・ボウイ)、「にぎわい」「裏窓」(浅川マキ)、「みんなのうた」「勝手にシンドバッド」「Ya Ya」「夕方HOLD ON ME」「BOHBO No.5」(サザンオールスターズ)、これでだいたい35分。

それにしても「三年前はまだ、若かった」(「裏窓」作詞;寺山修司)なんて聴きながら暗くなっていたのは22歳頃の記憶。「心なしか今夜波の音がしたわ」(「勝手にシンドバッド」)は30年前、「いつの日かこの場所で逢えるならやり直そう」(「みんなのうた」)で涙ぐんだのが20年前。

あのー、何にも変わってないんですが。この選曲、ウォーキングには合ってなかったかなあ。

おっと危ないじゃない。歩行者、ちゃんと確認してよ。ってアブナイのは薄暗くなってきた雨のなか、密閉型イヤフォンさして競歩みたく歩いている53歳のこのワタシか。

■5月25日
明日からの美術館展覧会のために、総動員態勢。
もっとも文学館の「オタル縦横文学碑めぐり」展も一週間後なんですけど。

ひがんでいても仕方ないので、私はひとりでリトル・カブにまたがり、近場の文学碑の写真撮り。
いったん戻って、こんどは歩いて堺町にできた「文学碑」撮り。文学碑なのか石造りの看板なのかやや微妙なところですが、建てられた店主の思い入れは確かに伝わりますので、それは尊重すべきである。

けれども観光ゾーンというより、ミヤゲモノ(あるいは「ボッタ」ぎりぎりのスシ・ラーメン・カニなどの店)通りと化した堺町通り。

何回か書いたように、私が30年前初めて訪れた頃、堺町の冬は「雪の降る街を」そのもの。それが、もはや誰も同意なさるでしょう、小樽でもっとも見苦しいエリアとなり果てました。

それは仕方ないのね。単純なメカニズム。同種のお店が並べば、少しでも目立ちたい。まずおずおずと「イエロー」な看板かかげてみます。くすんだ家並みに、それは意外なほどの効果。つぎの業者は、じゃもう一回り大きいの。それじゃあ、こっちは「サーモンピンク」で。あとはもうナダレ状態。

「景観条例」か何かの網はかけられるはずだけど、すでに無政府。連鎖爆発のごときエネルギーなら私も共振するものあるのですが、いったん陰り始めれば、ひたすらさもしいだけ。

歩いていても、足がどんどん重くなる。昨日の塚田先生の言葉がよみがえる。「危惧しています。小樽の人が気づかなかった、小樽にしかなかったおもしろいモノが、すでに半分失われました」。

じゃあさ、やっぱりウチが砦でしょ。って、ちょっと疲れて元気が足りません。

■5月24日
さきほどまで、札幌篠路高校の塚田敏信先生たちがおいでになっていたのですが、学校図書館を、そこから街へ出ていく拠点になさろうとする塚田先生の行動力、ものすごいものがある。

かつて札幌の市場や、銭湯など、先生のご指導で生徒さんがなさったルポの『報告書』(それぞれ昔の東京の電話帳ぐらいのボリューム)をみて仰天したことがあるのですが、そのエネルギーいまだ少しも衰えず。

その塚田先生が、札幌以上に歩き回っておられるというのがこの小樽。
さきほど小樽商大から電話くださったようですが、なぜ商大?「小樽にはどうして餅屋が多いのか、というレポートを書いた学生さんがおられると聞いたので」。ああ、それなら私も新聞でみて興味は引かれましたが、先生みたくすぐに商大に飛んでいくことはなかったな。

「商大に行く前に、小樽市役所の食堂で昼食とりました。タマガワさんもあそこを使われる?」。いや、その、私、味とか値段がどうのより、知り合いの人々が大勢おられるとどうも落ち着けず。正直、今まであそこで食事をしたのは、初任者研修のときだけ。つまり、30年前……。
「私は、よその街に行くとき、よくそこの役所の食堂でご飯を食べるんです。小樽市役所食堂、美味しいですよ。役所の食堂のベストワンかな」。初めて聞いたな。「記念に、写真を撮ってきました」。厨房の人、びっくりしたでしょう。「みんなを集めてましたが」。

そもそも、今回はどのようなことで。「まもなく生徒の自主研修が始まるんですが、毎年私は小樽に行かせてるんです。それで何も教えないで行かせると、けっきょく堺町とか運河沿い歩いて帰ってくる」。フツウの観光客と同じですね。
「それで、生徒が出かける前に、私たちは毎年図書館で『小樽展』をやるんです」。へえ、初めて伺いました。
「図書館にある、小樽を舞台にした小説を読ませたり、私が小樽を訪ねるたびに集めたオミヤゲ並べたりね」。そりゃおもしろいなあ。
「その展示会を見せてから行かせると、生徒たちの歩き方が全然かわってくる。裏小路を歩き出すんですね。そのレポート集は『小樽探検日和』と名づけております」。

あの、それ、とってもおもしろいんだけど、高校図書館のなかでだけ、って勿体ない。ぜひ、ウチでやってほしい。生徒さんのレポートの成果をプラスして。つまり札幌の高校の先生、および生徒さんがみた、感じたオタルをこの文学館のなかで再現してみたい。
「私は、ときどき生徒のお母さんたちも引率するんですよ」。それなら、札幌の主婦の皆様がご覧になったオタルも、それにプラスできますが。

タイトルも、もう決まってしまいましたよ。もちろん、「オタル探検日和」です。えっ、そのままいただくの?

■5月23日
文学館の傍らを走っている廃線手宮線跡。かつて荒れ放題だったころ、ここは街なかの野性地帯。雑草のジャングルでありました。それがたいそう趣あったのですが、その後小綺麗に整備され、小さな公園のようになってしまった。しまった、というのは語弊があるけどね。

それでも、枕木の間、レールの隙間から、それこそ隙あらば雑草は延び、はびこっていきます。それでこそ雑草。

しかも初夏。風薫る、風光る、山笑う(これはもっと早い季節でしたっけ)初夏。雑草も可憐な花着けます。水色の、ベージュの、淡いピンクの。

名もない草花、などとつぶやいてみるわけですが、それはただの無知。ほんとに名もなければ新種発見ね。すなわち私らの目に入る草花にはすべて学名はむろん、和名、俗称、その地方でしか通じないようなのまで含め複数の名がつけられている。

名もない草花、名もなく貧しく美しく、それでいいじゃあないか。いいんですけどね、それじゃ話は終わってしまいますが。
つまり「名もない草花」とうそぶいておれば、それは草花ではなくただのノイズである。それが可憐な花を着ける草花のひとつひとつに名があると知れば、世界の輪郭が明瞭になるのではあるまいか。理想的な遠近両用メガネがこの世にあるなら、近いところから遠くまで、ピントが随意にあうわけね。それこそ「知」というべきもの。

なーんちて、昼休みのひととき、『北海道の花』(1977年初版)を小脇に、手宮線廃線跡に咲く可憐な花々を観察。この図鑑は花の色で分類するという画期的な方法で大人気。今に至るまで改訂を繰り返し、最新版も出たばかり。

目の前に細かい淡いブルーの花。図鑑の青い花のページを開き、似ているが葉のカタチが違う。これは私でも知ってる全然別の花。うーん、まちがいなくこれというのがなかなか出てこないな。あれ、青い花のページ、終わってしまいましたが。
じゃ、こっちだな。黄色い花。「垂直に伸びる茎の上に一輪の花を着け」……。違うな。「高山の岩場でまれにみつかる」。こんなところに咲いてるわけないじゃない。……、黄色い花のページ終わってしまいました。

うーん、最新版の値段みて、格安初版の古本に手を出したのが失敗だったか。出てる植物、少なすぎ。

けっきょく昼休み、初めての身近な植物観察。いきなり挫折してしまいました。しょせん、そんな柄じゃなかったのね、ときびすを返しかけ、あれ、このページの花、このちょっと妙なカタチ。さっきの線路端でみかけたような。
これこれ、まちがいない!ヒメオドリコソウ。姫踊り子草。皆さん、文学館の脇を走る廃線手宮線跡には、姫踊り子草が、いま可憐な淡いピンクの花を着けているのですよ。
と書いておかないと、明日には忘れそうだよ。

■5月20日
午前中、喫茶店「エンゼル」の奥様が来館されました。
「たいへんお世話になりました」。ああ、やはり。

「エンゼル」は、かつて小樽市内に5店舗ほどもあった、ローカルチェーン店のはしり。飲み物だけではなく、けっこうしっかりした食事も提供する「カフェ」の先駆者でもありました。いまどきのこじゃれたカフェとは対照的な、レトロ喫茶ではありますが。

私たちニッポン人にとって「喫茶店」とは何であったか。「エンゼル」ほどよく体現していたお店もない。これからもあり得ない。

そこはなにより応接間であり、ビンボーな私たちにとってのアコガレの居間だったのね。とうぜんその空間は、私たちがイメージするところの「ヨーロッパ」に満たされておりました。エンタシス風の柱、アールヌーヴォー「まがい」の壁飾り、石膏の裸婦像。お店の名前の由来にもなったエンゼルフィッシュ。現代カフェ的センスからみれば、すなわち「悪趣味」。

けれどもその悪趣味空間がもたらすこの安らぎは何?ハンパに洗練されたモダンファニュチュアのなかでは、しょせん落ちつかぬ私たち。

けれども、そのニッポン独特の喫茶空間は消えていきます。ぎりぎりまで持ちこたえた、この小樽の街からさえもね。

駅前どおりの拡幅で、エンゼル駅前店が閉店、解体されたのは5、6年前でしょうか。ウチが「小樽・札幌喫茶店物語」展をやってからそんなには経ってないころ。
私は当時のボランティアリーダーだったトミタさんと一緒にエンゼル駅前店に駆けつけました。トミタさんは、どうやら心からそのお店の閉店を惜しんでいたようなのだけど、私は正直下心。もう使わなくなった使えなくなった喫茶店小物。捨てられるなら、文学館にいただけませんか。
その一部を、いま文学館の「夢喫茶」に飾っているわけですが、奥様「あんなものをあのように飾っていただいて」。

駅前店閉店後、残った最後のお店が第三ビル地下店。そして第三ビルの再開発が決まり、エンゼルの最後のお店も閉店が決まった。
新しいビルではお店はなさらない?「昨年、主人が亡くなりました。私一人で新しい店を創ることはできません」。……。

「ほんとうにお世話になって」奥様、涙ぐまれる。涙ぐまれるようなこと、私何にもしていない。私にあったのは下心。
お店、閉じられるのなら、その記憶をカタチでとどめるためにも、お店の思い出になるようなものを何か。
ここまで来ると、人の哀しみにつけこむサギ師とあまり異ならぬ。

ただ私、分かってもいるのであります。私は下心あって、涙ぐまれる奥様に「お店の思い出の品物を」とねだっているのですが、私を、この文学館をそのような行為に走らせているものがある。それがこの小樽の街にある。私のような小さいものは、その「街の力」に逆らわない。

「たいへんお世話になりました」。奥様、また深々と頭を下げられる。そんな喫茶店が、かつて小樽にあったということを、まず、ここに書き留めておくものです。

■5月18日
三階、市民ギャラリーでやっている「アルテ展」を観覧。アルテの意味は分からねど、いい展覧会です。ここでやっている展覧会がたいていそうであるように、アルテ展もアマチュア、それもご高齢の方が中心の美術展。自分が、すでにその範疇に入っているせいだろうけど、最近、とみにこういう空気がこころよい。いわゆる「洗練された」美術展よりね。

気安いだけじゃあありません。実は豊かな可能性秘めた才能の宝庫であります。ウチの人も、もう少し足を運んだほうがいいんじゃなかろうか。
前から注目し、感心していた切り絵の早川昌利さん。その技術はハンパじゃない。カットのスキルはもとよりのこと、デッサンが完璧。
何よりも私がすごいなあ、と思うのは、「切り絵」はしょせん「美術館的美術作品」とは見られない、ということをよく理解しておられ、その上で生温い「ファインアート」を驚倒させるごとき刃の切れ味であります。私、すぐに思った。その凄味、流行歌に直結いたします。

そこで7月7日から始まる企画展「昭和歌謡全集パート2 小樽編―流行歌にみる戦中・戦後」のアート部分、ぜひご助力いただきたい(ちなみに、パート1 北海道編のアート担当は彼の異能マンガ家根本敬さんでした)。
受付の方にお電話聞いて、不躾ながらいきなりご依頼。昼過ぎ、すぐに早川さん来てくださった。
「昔は、カミソリで切っていたんですよ」。へえ。「もう40年くらいになるかな。今のカッターが出来て、ずいぶん楽になりました」。あのパキパキ折るの、画期的発明ですよね。今は、ずいぶん種類もあるみたいだし。「私は、初めにできたカッター、あれしか使いません」。え、あの細かい作業を?「プロの方は、今でも小刀を一本一本研いでおられるようだけど、そんな面倒なことはしません。所詮、素人ですし」。うーん。

早川さんにお願いして良かったです。企画展のイメージ、すっとまとまった気がいたします。パート1が根本さん以外にありえなかったように。

話変わりますが、パラレルワールド(変わりすぎ)。ひとりひとりの人生には数限りない選択肢があります。
私とて同じ。幼いときから中高年の(そろそろ「中」さえはずれるか……)今に至るまで、数限りない人との出会いがあった。当然ながらその濃淡は多種多様、ほとんど通りすがり、勝手な思い入れ、強い縁。
その結果として、「今の私」があるわけですが、過去にさかのぼり、その「ときどきの私」の前に横たわる無数の選択肢、そこでほんの少し違った力学が働けば、まったく異なる「今の私」があったわけか。
いったんはずした選択肢は二度と眼前にはあらわれません。というふうに誰でも思う。でも実は無数の選択肢による無数の人生は、ひょっとしたらすぐそばに今でもあるのかしらん。それがいわゆる「パラレルワールド」(私の理解、オオマチガイ?)
最近ちょっとした体験(私にとっては「ちょっと」でもないのですが)して、つくづく思うのですが、ネット社会って、パラレルワールドの存在を日常に繰り入れるのかも知れない。

先日に続き、誰にもつうじぬ意味不明の独り言。まずいな、季節柄、気をつけないと。

■5月16日
昨年、思いがけず入院してしまったとき、退屈だろうと家人が文庫本を数冊買ってきてくれました。それも分厚いやつ。最近世評も高かったもので、いくつかは映画にもなっている。
どれも面白かったのだけど、思っていたほどでもなかったものもあり。少〜し興ざめるのは、文末に「参考文献」みたいなのが並ぶのが、二、三もあったこと。
恐らく、ひとつには、「無断引用」あるいは、それに近いことに、世間がずいぶんうるさくなってきたせいがあるのでしょう。だから、とりあえず参考にしたものを全部お見せする。
ただ、そういう風にされると、どうしても、データで書いた小説、と感じてしまうんですね。もちろん、そんな安易なものではないのだけれど。
自分がそうだから、でもあるのですが、ネットでサクっと検索してみて、役に立ちそうな本、やっぱりネットで取り寄せて、サッと目を通して……、というイメージがどうしても本の面白さ損ねてしまう。そうして、文章、文体もデータつなげて、という印象ぬぐい切れないのですね。

そんななかで、昨今とくに話題にもならない山田太一。ドラマじゃなくて、小説のほうだけど、うーむ、やっぱり「若い人たち」とは一枚も二枚も上手ジャマイカ。この時読んだのは、「弥太郎さんの話」というのです。
山田太一の小説、ドラマもそうですが、だいたい主人公は平凡。人間も生活も平凡。その平凡な主人公に、ある時「事件」が起きる。それも実にささやかな事件。
例えば見知らぬ人から、あるいはずっと前に知っていた人から手紙が舞い込む。知っていたとしても、まったくささやかな関わりだったり、一方的な思い入れだったり。つまり現実の上では、「関係性」が切れてしまっている人。
その人から手紙が舞い込む。あるいは、まったく偶然に「出会う」。
そんなささやかな「事件」が、主人公の平々凡々たる生活に波乱を起こす。主人公およびその周辺(家族とか知人)を巻き込み、ときによって深刻な悶着を起こし、けれども大概の場合、結局は平々凡々とした「もとのさや」に収まります。ただ実はその「事件」、主人公およびその周辺、あるいは思いもよらぬ彼方の方まで、ビミョーな変容を起こしているのですね。

何となく、身につまされるわけです。フィクションとは言えね。

けれどフィクションはフィクション。山田太一的リアリズムでも、そんな「ささやかな事件」が我が身に降りかかることは、残念ながら、ない。

しかし〜。恐るべしネット社会。「事件」は起こりうるのです。あり得ないことが。と、書けるのはここまで。
「何が何だかわからねーだろ!」。お怒りはごもっともですが、「事件」は起こり得たとしても、その後の展開はフィクションならぬ文字どおりの現実、どうせ平々凡々たる現実に収斂していくのですが、ちょっとした、あれ、いい夢みたな、くらいのことは起こりうる、ということです。お終い。

■5月8日
きのうは丸一日雨に降り込められていましたが、きょうは朝から五月晴れ。
「タマガワさん、きょうはお休みですよ」。ん。今年から、ゴールデンウィーク中と直後の休館日を最少限にしましたので、その分職員のローテーションが複雑になりました。私にも応分の休務日が割り振られているのですが、古本市に当たったり、文学散歩の日だったり、けっきょく私が出なけりゃ始まらない。
いや、実際には私がいなくても物事は「粛々と」(重々しい響きなのに、こんなにカンタンに振り回されるコトバも珍しい)進行していくことは、昨年の入院で十分分かっているのですが、年老いたダメな私でも、いなきゃ誰かを困らせる、というのも無理に否定はできません。
そんなこんなで、え、そうか。きょうは私の休みの日か。ま、いいや。

「窓ガラス拭いていきましたから」とオオスダさん。そうか、JJ's Cafe 一杯の窓ガラス。ほんとうに綺麗になりました。せいぜい年に一回のガラス拭き。翌日にはほんの少しでも汚れるわけだから、きょうは一年で窓がいちばん美しい日。しかも五月晴れ。そんな日に、朝からJJ's Cafe にいられる幸せ。公私混同と言わば言え。

言わずもがなのことですが、このガラス拭きの費用は1万ン千円。市費ではありません。小樽文學舎で行っております。私は市の職員。むろんその自覚もあるつもり。それでもJJ's Cafe のことは(文學舎の)「自前」でやる、というのが「何とかできている」というのは、とても嬉しい。誇らしい。

先日の古本市が無事終了した後のボランティアさんとの打ち上げ。私は、基本的に宴会嫌い、飲み会嫌い。それでもこの日の打ち上げは、とても楽しかった。長足の、とは敢えて言いませんが、確実に前進しています。ボランティアが動かしていく文学館。そのようなシステム作り。

光満ちるところに、必ず影あり。それも私は分かっているつもり。影を強引に排除すれば光もともに消滅する。それも私は知ってるつもり。克服できます。絶対にね。

忘れないうちに、きょうの話を一コ追加。地元の方ではなさそうな中年のご婦人。受け付け窓口の説明パネルを読んでおられましたが、「あの、これ使えるんですか」と、恐る恐るという感じで障害者手帳。「いいですよ、どうぞ」とウルシハラ君。
遠目でみれば、とくにご不自由そうなところ、見受けられません。ウルシハラ君に、そっと聞いてみる。さっきのお客様が障害持っておられる?「大きな手術をなさったそうです」。そうか……。「無料でお入りいただける、と言ったら『いいこともあるものね』と」。そう。

そんな「小さなこと」が、身に沁みて、嬉しい。

■5月5日
端午の節句古本市。11月の古本市に比べれば、質量ともにささやかだし、2月の「雪あかりの古本市」に比べれば告知まったく不十分だし、ということで、玄関と駐車場側入り口に「大古本市」という大きな文字を貼り出しました。ま、いわゆる「羊頭狗肉」ではありますが。せめて看板だけでも、志を高く掲げよ!ということであります。
この大看板がキキメ発揮するのは、午後2時あたりからかな、と睨んでいるのですがね。すなわちメインの観光にもそろそろ飽きた、通りすがりの人々が、ふと見上げて、なんじゃいな?と、つい入ってしまう。何人ぐらいかなあ?

亀井館長はいつも以上に楽しげ(北大教授時代や、「ブログ」の厳しい調子のときの亀井秀雄氏しか知らぬ人は想像できないかも知れないくらい、ウチではいつも楽しげなのですよ)。
ボランティアさんが付けた200円という値段にびっくりして私がよけておいた小林秀雄著『本居宣長』を見て、「いい買い物したんじゃないですか。私は、これはずいぶん繰り返し読みました。ちょうど『小林秀雄論』書いているときだったし。『新潮』に連載中も全部読んでましたが、雑誌に載せた文章、本にするときにずいぶん削っているんですよ。そこ比べてみると面白い」。うーん、それはお仕事とはいえ、こんな分厚い(アンド分かり易いはずはない)本、そんなに繰り返して読めるものなのだろーか。
戦後すぐに出版されてるサルトルの『水いらず』を手にとって、「戦後になってようやく出された初めての本ですね。みんな先をあらそって読んだものです」。何だかひどい印刷ですね。インクが薄くてほとんど読めない頁もあるな。「粗悪ですけどね。ものすごく売れたんですよ」。
やっぱり古びた本のなかから落ちた新聞の切り抜き。匿名批評論争、なんてタイトルの記事。「タマガワさん、この切り抜きの筆者、白井明ってご存じですか」。いや、聞いたことないです。「林房雄が、戦後文壇から追放状態になっていたでしょ。その頃使っていたペンネームなんですよ。自分の名前が出せるころになって、『白井明遺稿集』なんていうのを出版してる」。へえ……。「この『白井明』が、『チャタレイ事件』を引き起こした、といってもいい」。へえ!「その名前で『チャタレイ』の出版を激烈に攻撃しまして、それで警察が動きだしたようなのです」。へえ……。

亀井秀雄氏の「雑談」は、実におもしろい。物知り、というような次元じゃないからね。その知識のはしばしに、緊張した批評意識が漲っているのがよく分かるから。

そんな亀井秀雄氏がウチの館長をしているのは「勿体ない」のか「相応しい」のか。私は無論「相応しい」と確信しているわけですが、それを広く伝える努力は、うーむ、まだまだですねえ。