あんな店、こんな店、思い出す人たち、あの町。心に浮かぶコトバの切れ端を綴っていく頁です。ここはハンドル(ニックネーム)で、かまいません。どうぞごゆっくり。


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小路嘉文
2002年1月22日
「ふみや」とは?

今日、行きつけの古本屋(めんどくさいから以下、H書店)にいって前回の「宝石」他のやつを見せてもらった.ビニール綴じされてて中までは見えなかったが、表紙には若き頃の山本富士子が..♪(他にも源氏鶏太や横溝正史などの名があった)その後話が弾んで戦後直後の話へ突入.
戦争がいよいよ危なくなる時小樽中の古本をかき集めて蓄えていた店があったらしく、戦争が終わっても営業できるようにしたそうです.(H書店は一時休業.)その店が今の和賀内科?外科?ちょっと忘れた.の近くにあったそうで、名を「ふみや」だとかなんとかいってました.いつも質問ばかりで悪いんですが、その店を知ってますか?

追伸:奥沢十字街の「コーナー」って花月堂と花屋さんに挟まれたところにあるやつですか?毎日前通っているのに名前なんて意識した事無かったから見るまで分かりませんでした.あそこの店先前に出てる看板に「急募」のポスターが張ってあるんですけど、私の記憶が正しければ(ちょっと古いフレーズ)そのポスター、自分が潮陵に入学した頃から(実際はもっと前から存在する可能性大)あったんですけど、これは「急募」とは言えるのでしょうか?


タマガワ(店主)
2002年1月22日
「ふみや」さん。

小路さん、いらっしゃい。
「ふみや」さんは、ここを目当てに小樽を訪ねる人も少なくなかった、って古本屋さんですね。なるほど、そうやって仕入れていたんだったら、戦後、まさに活字の飢餓状態のときに本好きの目を奪ったというのも納得。
で良くも悪しくも、やっぱり小樽的、であって、すなわち「玉石混淆」。山口昌男先生のいうとおり、価値を自分で発見することに古本屋さん探訪の醍醐味があるのだとすると、まさに「ふみや」さんこそ、「理想の古本屋」。
いつまで営業されてたんでしょうかね。実はワタシは古本屋さんもちょっと苦手(おいおい……)。理由は喫茶店とおんなじで、「顔なじみ」になっちゃうのが、すこしツラい……。「店主の存在感」って、ふつうの本屋さんと比較にならないでしょ。あれがね、ちょっとワタシには。
ま、ワタクシも「店主」なんて名乗ってますが(いつからだ)、できるだけ展示室の片隅で影薄くしておりますよ。
えっと、「ふみや」さんに通ったもんだ、って方のフォローお願いいたします。

それにしても、「コーナー」って、意外に知られた店なんですね。おもしろいな。何でもない店なのに、いろんな世代の人が、ああ、あそこねー、ってゆうお店。


畑山栄作
2002年1月29日
お気に入りの喫茶店。

今晩は畑山です。私のお気に入りの喫茶店を紹介します。
『自家焙煎珈琲はち』です。住所は住吉町12−1(住吉クラブの斜め向かい)tel.0134-27−6408
コーヒーは企業秘密の独自ブレンドで,良い豆だけを手作業で選び自家焙煎している。ゆっくりとくつろげる雰囲気と美味しいコーヒーとクラシックやジヤズが流れる。壁には何故か一原有徳さんの版画が6点も飾ってある。
建物はかなり古い民家を利用。お薦めです。木曜日が定休日。

タマガワ(店主)
2002年1月29日
「はち」さん。

畑山さん、こんにちは。連続講座も皆勤ですね。ありがとうございます。
「はち」さんは、富岡町にあったときから有名でしたね。文学館のポスターも貼ってくださっていたとのこと、私はとうとう行きそびれてしまいました。
住吉町移ってからは、一度。沼田さんがいらしたときに、ぜひ寄りたいとおっしゃって。それに同行。そうだ。一原さんの版画がありましたね。
絵といえば、喫茶店は街の小さな美術館でもあったり。意外な人の絵がこの店に!っていう情報があれば、ぜひお寄せを。美術鑑賞兼喫茶ツアーをやりましょう。


札幌市・斎藤洋一
2002年2月24日
「6ペンス」。

マスター、軽く小耳にはさんでください。
私の好きな喫茶店を少し語ります。
小樽では「6ペンス」咽せるようなジャズ喫茶です。
札幌から小樽へ帰る最終列車を降りて、花園方面に直行していた日々が、思い起こせます。
好きだったなぁ、この店。
テロンテロンに酔っていても、ウェザーリポートを聴かせてくれた。
苦いコーヒーだったけど、妙に不良になった気持ちにさせてくれる、喫茶店です。
ゆくりなくも、私の喫茶店のキーワードは不良という形なのです。
不良、反語としての大漁、親父が高島の漁師なもので。
そんなことが妙に心に引っかかっております。

札幌に住んで随分経ちますが、私自身は.喫茶店というよりも居酒屋父さん状態ですが、三岸好太郎さんの美術館の「きつつき」が館内喫茶店の理想型だと思います。
美味しいコーヒーがカップになみなみと注がれて出てきます。(330円税込み)
節子さんのリトグラフが一枚静かに飾られております。
なみなみと注がれたコーヒー、或る意味「もっきり」です。
抜けだせないなぁ。
居酒屋、「もっきり」みたいな事象及び言葉から。

多喜二さんと殉職警官に関してのマスターの難問について、私なりの回答を。

小野忠重が版画に残したのが多喜二だった。

この20文字でどうでしょう。

一原有徳さんの石は、まだ観られますか。まだ、購入は可能でしょうか。


タマガワ(店主)
2002年1月29日
「咽せるような」。

斎藤さん、いらしゃいませ。ちょっと開店休業状態でしたが、ひさしぶりのお客様。
6ペンス!初めて聞くお店。どうして知らなかったんだろう。
うーむ、「咽せるようなジャズ喫茶」は、懐かしい、ですねえ。
「ジャズ喫茶」が、ひとつの文化であった、少なくともそう思われていた、いま考えればちょっと不思議な時代……。ジャズ喫茶はいまもあるのでしょうが、「咽せるような」はもうないだろうな。禁煙ジャズ喫茶があっても驚くにはあたらないかも。タバコはともかく、「咽せるような」に含まれていたものが、すっぽり無くなったのでしょう。

もっきり、よろしいではないですか。ちょんびり、が高級だ、ってのは蕎麦屋か何かの隠謀かも。三条堺町のイノダのコーヒーは、おおぶりのカップにミルクも砂糖も初めからたっぷり入ったコーヒーでありました。

一原さんの石は、家に持って帰っておりません。文学館にあります。いまは「値段」をつけておりませんが。つげ義春ならずとも「石を売る」というのはそうとう高等な商売ですね……。

小林多喜二は、……。私にも答えられません。たぶん、永久に。


小樽市・千葉乙代
2002年3月2日
「みゅーず」の人。

昨日、文学館に朝も早くからかわいらしい女の子一人。
古書見たり、朗読したり。なんか気になる。

「どちらの方?」
「京都です。京都に戻ったらすぐに実家の岡山に帰ります。」
「へえ〜」
「この辺にいい喫茶店ありませんか?」
「いい?古い喫茶店とか?お洒落かっふぇ?」
「古いとことか・・・。わたし、京都の「みゅーず」というお店で働いていてここにくる前日にやめました。」
「みゅーず?ミューズ?みゅーず。嶽本野ばらのヤツに載ってたやつ!!」
「そうです。」

おいら最近知ったばかり。「みゅーず」。京都にある昭和2?年くらいにできた名曲喫茶。行ったことはねけど。ああ、「カフェー小品集」(著:嶽本野ばら)みといていかった。

「お昼食べましょう。」
「いいですね」

乙代を待つ間、文学館でひっそりと眠っている彼女はお人形のようだ。

「mikumariってゆうお洒落かっふぇなんだけど昭和初期を思わせるとこです。参りましょう。」
「すてき。」

二人で昼飯を食べ、たわいのないお話をして、陽当たりのいい2階は低い窓から真っ直ぐな光が入って、とても暖かかった。

「またね」
「ありがとう、またね」

こうゆう風に出会ってしまった人は、なぜか心に残る。


タマガワ(店主)
2002年3月2日
いつかまた。

いらっしゃいませ。オトヨさん。ヒナの節句なのに吹雪ぎみ。お客様も少な目ですが、オトヨさんの手製のケーキと、山崎さんと横田さんのお抹茶でどうぞごゆっくり。って、私は何にもしてませんが。
旅の人。「みゅーず」の人。かならず、また小樽にこられます。この夏にか、あるいは何年かたってから。そのころ、mikumariも「光」も文学館も。そのまま、だったらいいですね。


しゃんず
2002年3月2日
亀井先生の、がつん。

3月9日、亀井館長のお話が聞けるということで楽しみです。(参加の場合は、連絡などしたほうがいいのでしょうか。)最近先生のホームページを拝見しました。それで、先生はやはりかっこいいな、と思いました。私は物事をわりとうじうじと考えるたちなので、先生の言葉を前にすると、トンカチかなんかでがつんとなぐられたような、そんな気がします。季節がらか、色々と考えて不安になることもありますが、こういうときに必要なのは空虚な言葉やもってまわったぐちではなく、がつんという一撃なのです。そう思います。

追伸 悲しげな歌をご愛好の方には「チェブラーシカ」というロシアのアニメーションをお勧めしまーす。劇中、チェブラーシカ(薄汚れたモンチッチのような生き物)の歌う歌声がなんとも悲しげです。たぶん第3話だったと思います。


タマガワ(店主)
2002年3月2日
亀井さんの「怖さ」。

しゃんずさん、いらっしゃい。9日にはぜひお越しください。事前のお申し込みはとくに必要ありません。お知り合いの方もぜひお誘いください。
小樽文学館での亀井館長はいつも優しく柔和な笑みを湛えておられますが、まれに「こわい先生」のヘンリンをみせられることがあります。それは、自分の尺度で他人(他国の人も)を計ることを戒める、といった単純なことでもありますが、絶えずそれを自分に課しつづけることは並大抵のことではありません。今度のお話も、基本はそこにあろうか、と思います。メディアの冷淡、というよりも鈍感には歯がゆい思いもいたしますが、館長はこのほうはまことに恬淡たるものですね。講座の全文は、3月末に出す館報にも掲載しますので、ご希望があればお送りします。
私は悲しげな歌がとくに好きではございませんが、「チェブラーシカ」、薄汚れたモンチッチ、がそれだけでもう悲しげな。そういえば、最近ここでも何かと話題の嶽本野ばらさんの「カフェー小品集」の最終話「光」を舞台にした作品の名は、「モンチッチの誇り」でしたか。


小路嘉文
2002年3月2日
「雪あかりの路」のゴミ。

昨日、運河のほうへ散歩に行ったら、「雪あかりの路」のゴミがとてもたくさんありました。一番多いのはロウ、続いてそのロウソクの銀紙、某会社の絵柄の紙コップやその他諸々、平生の運河よりも汚かった.
「雪あかり」はとてもきれいでしたが、あかりがない時でもきれいなほうがいいと思った。


タマガワ(店主)
2002年3月2日
とほほ。

こんにちは小路さん。お風邪は治りましたか。
そうですね。きれいなお祭りで、でもあとがゴミだらけ。と、乱暴できたなくてエネルギッシュで、でも祭りが終われば跡形もなく撤収、とどちらがステキか。
私は乱暴狼藉はたらいても、風のようにいなくなるほうが好き。どっちかというと。


ソレックスコルテッド
2002年3月6日
「ゴーゴー松本カフェ」

初めまして。
私はカフェが大好きで週末になるとカフェ探しの探検に友達と出るのですが、すんごいマニアックな場所に今週見つけました。
お店の名前もヤバイ。(笑)「ゴーゴー松本カフェ」だって(笑)とりあえず皆さんにも一度行ってもらいたいと思い報告をしま〜す。
場所は北広島の駅近くの学生寮?みたいな建物の地下にあって中には雑貨屋さんがあって奥にカフェがありました。今まで私のカフェ感は渋〜いおじさんがやってる感じだったのですが、マスターはメチャメチャ若いお兄ちゃんで、珈琲はココでしか飲めない珈琲があったり、内装はすんばらしい感じになってました。(このお店いくべきだね!)
なんかカフェは副業らしくて本業はデザイナーらしいです。数々の建物や映像を手がけてる人みたいです。何をデザインしたとかは今度きたときね!とかって言われてウ〜〜〜〜ン。
いま私のいち押しのカフェです。
あと、なんか若いマスターなのになんか不思議な空気をかもちだしてる気さくなマスターにやっつけられた一日でした。(笑)
(この人まだまだ何かある!みたいな感じ。)
名刺をもらったので場所書いておきます〜す。
北広島市美沢ニの七の一で、011−372−7707です。
今週末もマスターの謎に迫ってみようとカフェ好き女三人組で行こうと思っているので、カフェでお会いしたら仲良くしてください。


タマガワ(店主)
2002年3月6日
ゴーゴー!

ソレックスコルテッド様。ようこそ。
ちょっぴり謎なハンドル。さきほど検索かけさせていただきました。下宿屋さん?!
「ゴーゴー松本カフェ」! これはゴーゴー。ひょっとしてマスターは松本大洋ファン? ちがうか。私の机の上には「鉄コン」のシロとクロのフィギュアが。
「北広島」にいっしゅんためらいましたが、JRに乗れば札幌も北広島下車も同じこと。ではためらいもなく。「ゴーゴー松本カフェ」で逢いましょう!


仙台市・畠山朱美
2002年3月8日
「カフェドラペ」

こんにちは。マッチ箱の件でメールさせていただきました仙台の畠山と申します。
タバコもすわないのにお店に有るマッチ箱をちょくちょくいただいて来ていました。私の収集癖はマッチ箱ではなくハシ袋なのですが、基本的になんでも集めてしまうので、その後、それらの処理に途方に暮れます。
しかし、いざ見てみると喫茶店のマッチ箱は3つしかありませんでした。食べものやさんや飲みやさんが多いのだとあらためて確認した次第です。
と云うわけで、3つだけですみません。
それも、仙台に住んでいながら仙台のものが無いと云う……どれも私が仕事で出張のときに寄ったお店です。
特に「カフェドラペ」は青森に出張に行ったときに入ったお店なのですが、実はこの店、主人が学生の頃にアルバイトをしていた喫茶店で、ナポリタンのつくり方を学んだ(?)ところでした。それを伝授され、我が家のナポリタンはカフェドラペ風なのでした。そのカフェドラペを私は出張先で偶然見つけました。思わず扉を開け、注文は、もちろんナポリタン。すでに20年近く経っていますので、味はわが家のものとは少々違うような気もしましたが、妙な感激をしつゝ、マッチを手に帰りました。夫に話をするとものすごくなつかしがっていました。
それから1年以上過ぎて今度は夫が出張で青森を訪れ、ふと思い出して、カフェドラペに寄ってみようと行ってみると……思いでのカフェドラペは閉店してしまっていました。夫はとてもがっかりして帰ってきました。
というわけで、今は無くなってしまった思いでのカフェドラペのマッチとなりました。
喫茶店は現在の時代、チェーンのコーヒー店におされて、消えていく店も少なくないですよね。喫茶店好きな私としてはさみしいかぎりです。
マッチ箱をあつめると云うことは、そんな消えてしまった思い出もポロポロと出てきそうな感じですね。
では、3つだけですけれど送らせて頂きます。お役に立てれば良いのですが……


タマガワ(店主)
2002年3月8日
ナポリタン。

畠山様。仙台から、いらっしゃいませ。マッチ箱ありがとうございます。送っていただいた方は初めて。
20年前のナポリタン。いいお話。味と香りは脳の深いところに記憶されると聞きました。マッチ箱を手にしただけで、目の前にあのナポリタンが。
こんな小さいものなのに、うーん、なんて深い、マッチ箱。


杉の目和夏
2002年3月16日
「光」

「光」は私にとって青春だった場所です。
その青春というのは、厳密には高校〜大学のときですが、日曜日幾日かの例外を除いて殆ど毎日、学校の帰りに行ってました。当時はコーヒーに長方形のカステラがついてきて、夕飯のまえの小腹の足しにしたものです。

その頃いらしたウェイトレスさんは、無愛想でしたが、毎日通ってくる私たちのことを覚えてくれて、どんなに長い時間いても、嫌な顔をせずに、お冷をこまめに注ぎに来てくれました。
そして、レジのところにレコードプレィヤーが置いてあり、いつもクラシックが耳に優しく流れていました。

マッチ。。。普通のマッチの半分ほどの大きさで、白とオレンジの背景にランプの絵が描いてあり、光の1文字が描かれていました。今も同じ図柄のマッチを使っているのでしょうか。
その後、殆ど足を向けることがなくなりましたが、コーヒーの味はよそのそれとは違って、特徴のあるものでした。
レトロなカップに真っ黒といってもいいくらいのコーヒーは、口に含むと、苦味と甘みが程よく、見た目とはずいぶん違うなと思いながら、味わってました。

その後のその後、高校のときの同級生と光で待ち合わせをしたことがあって、店内は変わってなく、懐かしい感じがしました。
でも、トイレが驚くほど豪華になっていて、靴を脱いで行くようになってました。まるで五つ星のホテルのトイレのようでした。

長く、取り留めなくなってしましましたが、玉川さんの日記を読んで、切ないほどの郷愁に駆られ、つい支離滅裂に書いてしまいした。お許しください。


タマガワ(店主)
2002年3月16日
恋愛小説の生まれる場所。

和夏さん、いらっしゃい。
「光」ですね。こんどの喫茶店展の最大の見せ場になりました。もっとも「光」だけじゃないんですけどね。いろんな喫茶店・カフェが登場します。それでも「光」、やっぱり「光」。私も、初めてこの店に入ったとき(大学生のころでしたが)ほんとうにびっくりしました。郷愁の深み、に落ちていく感じでしたよ。
今度の図録というか、関連本ですが、嶽本野ばらさんもエッセイを書いてくれるかもしれません。もちろん「光」の話で、タイトルは沼田元氣さんが、もうつけてしまいました。「恋愛小説の生まれる場所」。どうですか、和夏さん。


犬飼陽子
2002年3月16日
「みゅーず」

先日お邪魔させて頂いた際、文学館でとても楽しく過ごさせて頂きました。
「光」には立ち寄れなかったものの、貴重な煙草をお譲り頂けて、とても嬉しかったです。本当に有難うございました。
昨日、京都の部屋に戻り、一週間の北海道旅行を思い返しましたが、本当に楽しくてあっという間だった旅のうち、小樽では貴文学館に立ち寄ることが出来て良かったなあと思って居ります。
また北海道に行く機会に恵まれたら是非また寄らせて下さい。
お約束したみゅーずの備品を本日、土産の六花亭チョコを届けた際、貰って参りましたので、お役立て頂けたら幸いです。


タマガワ(店主)
2002年3月16日
「光」の煙草。

いらっしゃいませ、陽子さん。
千葉さんが3月2日の「お茶して」に書いてた「みゅーず」の人。お約束どおり「みゅーず」のマッチ、紙ナプキン送ってくださいました。どーゆうわけか「ソワレ」のカードも混じっておりましたが。
ワタシが陽子さんに差し上げた「光」の煙草、は。「光」開店50周年を記念して小さい箱にマイルドセブンを5本入れたやつ。「光」のカウンターで100円で売ってます。開店50周年って「光」が開業したの昭和8年ですからねー。開店50周年のこのタバコ、昭和58年製造よ。賞味期限そーとー過ぎてますよ。ちゃんとカウンターにも注意書きがあります。「吸えませんが、それでもよかったらどうぞ」ってねー。



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