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 鳥越信氏らの大阪府に対しての『大阪国際児童文学館存続請求(寄贈図書返還請求)訴訟』は
2012年5月18日控訴審第2回公判が行なわれました。同公判では、被告側から原告委任状について指摘があり原告側が次回までに対応することになりました。


なお昨年裁判継続費用のカンパをお願いいたしましたが、242件(個人、グループ、団体)のご協力をいただき、1,016,300円(2012年1月15日現在)に達し、全額弁護団にお渡ししました。ご協力いただいた方々のお名前は「大阪国際児童文学館現地存続・再生を求める会 会報18号」に掲載させていただきました。
(お問い合わせは同会連絡先;06-6387-2683 野々上律子、
072-833−8301田丸信堯(いずれも電話・ファクス共用) 
郵便振替番号 00920−1−27159

 皆様のご支援にお礼を申し上げ、
 
控訴審への更なるご協力、お願いします。
   

   
控訴審第3回公判
  2012年
 7月20日(金)10時30分開廷
   大阪高等裁判所 81号法廷(約40席)


 
存続求める会会報19号(2012年3月11日発行)
    
(ここをクリック)
  
  
控訴理由書(全34ページ)を是非ご一読下さい
 児童文学館とは何か、設立とその後のいきさつ、なぜ世界に稀れな独創的財産なのか、図書館とどう違うのかなどなど参考にしていただけることたくさんあると思います。
(ここをクリック)。

大阪国際児童文学館はいま・・・目前にこれだけの問題が
 
事態を動かすのは世論しかありません。
 みなさまのお知恵をお願いします

           (anb08006@nifty.com 田丸信堯)
 
1、専門員1.5人の雇用期限が2013年3月で切れます。学芸員のいない美術館、博物館状態になるといえばいいでしょうか。
 
2、財団法人・大阪国際児童文学館は指定管理者を打ち切られたままです。大阪府出資法人なのに、大阪府の財団運営予算はゼロです。わずかの収入の財団がいつまでもちこたえられるか・・・
 
3、中央図書館そのものの民間委託化の検討が進んでいます。大阪都構想のなかでの大阪市立中央図書館との関連も出てくるでしょう。
 4、大阪府立中央図書館の書庫スペースが極々近年、限界に達すると言われています。70万冊収容したのだから10年以上満杯が早まったわけです。
 蔵書資料の行方が気になるところです。

上の写真は 70万点を収納した大阪府立中央図書館(東大阪市荒本)地下書庫。
大阪府立中央図書館読書支援課所属
『国際児童文学館』
コーナー

大阪国際児童文学館できるまで物語
――〇月〇日に事件が起こる本を読みたい――

1、万博記念公園日本庭園前の広い敷地に、近代的な白い二階建ての建物があります。2009年、廃館になった旧大阪府立国際児童文学館(以後文学館と記します)です。
文学館は、鳥越信さん(以後Tさんと記します)が「鳥越コレクション」と呼ばれていた十二万点の本や資料を大阪府に寄贈されたことから始まります。

これは、その文学館ができるまでの物語です。

2、Tさんは子どもの時から本が大好きでした。でも、その頃、男子は本を読んではいけないといわれていました。日本が戦争をしていた頃です。目が悪くなる、目が悪くては特攻隊の飛行機に乗れない。物語や小説は心を弱々しくする。立派な兵隊になれない、というのです。読んでいるのが見つかるとこっぴどく叱られたそうです。
戦争が終わったのがT少年十五歳。価値観が逆転した時代でした。焼け跡の本屋さんで、本が飛ぶように売れました。しかし中学生のTさんに新刊書は買えません。新聞のユーモア欄に投書して原稿料を稼いでは古本を手に入れ、片端から読んだそうです。本がますます好きになり、本を集めるきっかけになりました。

3、本を買うために、電車に乗らずに歩いたり食事を減らすこともありました。
早稲田大学に進学し、二度と子どもたちを戦争に煽り立てるような日本にしてはならないと、過去から学ぶために近代日本の子どもの本を集め研究しました。

大学を出て、東京神田神保町にある岩波書店で子どもの本を作る仕事をしました。神田神保町は古本街です。毎日お昼休みは店を回り、店主ご自慢の「赤い鳥」(注1)という童話雑誌シリーズを給料四か月分前借してゆずってもらったこともありました。

4、Tさんが大学の先生になり、新聞や雑誌に子どもの本のことを書くようになると、著者や出版社が新しく出した本を送ってきました。十年二十年たち、家の中は玄関も廊下もトイレまで、本や雑誌などがうず高く積み上げてあるありさまでした。庭に二階建ての書庫を建てましたがそれもすぐ一杯になりました。
TT
さんの資料と資料研究が評判になり、学生たちが卒業論文の相談に訪ねてくるようになり、やがてさまざまな人々が、研究や読書の相談事をもってやってきました。
国会図書館は、出版社が寄贈すると決められた施設です。出版物なら何でもそろっているはずなのに、国会図書館まで「その資料ならTTさんのところへ行きなさい」というほど有名なコレクションになりました。それが「鳥越コレクション」です。

5、ある日、九州の図書館から東京のTTさんに電話がありました。小学生が来て「僕の誕生日、〇月〇日に事件が起こる本を読みたい」とリクエスト、館員がパニックになったというのです。「エエッ・・」さすがのTさんも絶句するほかありませんでした。答えるには、無数の本を読んでメモを取り、そのデータを整理する、そんな積み重ねが必要です。

どんな相談にも応じられる研究機関はできないものか。Tさんや多くの人々が、資料集めやレファレンスこそ社会に必要な公けの仕事と思うようになりました。

6、TTさんは、全国にアピールすることにしました。コレクションを寄贈するから、資料を集め続け整理公開する公的施設を立ち上げてくれないか、と。19793月、Tさん50歳の時です。
(鳥越アピール。アピールを伝える新聞記事)

全国の府県など30以上の応募がありました。Tさんは、最終候補地を滋賀県と大阪府に絞り関西に度々来て知事や教育長と話し合いました。その中で滋賀県は当時の県知事が自ら建設予定地に案内し、Tさんの東京の家に二度訪問してぜひ滋賀県にと要請しました。

7、さんが応募府県に繰り返し述べた施設の構想はこうでした。
@ 利用者のいろいろな質問やリクエストにこたえられる資料博物館であり、研究・研修のための専門機関であること、
A    そのためには児童文学の専門職員が欠かせないこと。
B    収集・保存のための広いスペースが必要なこと。

就任早々の岸昌大阪府知事は滋賀県知事に大阪府に受け入れさせてもらいたいと頼み、79年10月18日、Tさん宛てに文書で二つのことを約束しました。(注2

8、一つは「適地に建物を建てる」。適地とは万博記念公園のことです。集め続け保存する書庫スペースは、万博公園なら百年でも二百年でも大丈夫です。まだモノレールも開通していませんでしたが、IT時代が本格化すれば情報発信できます。近くに国立民族学博物館があり、万博記念ホールや国立国際美術館もありました。70年大阪万国博覧会の余熱が残る文化ゾーンでした。

二番目は「財団法人をつくって運営を任せ必要経費を援助する」。行政の直営にしないで民間と共同で柔軟な運営の施設にしたい、とのTさんの持論に応えたものです。

9、その十日後の新聞はこう伝えています(79779911002288日付朝日新聞より)。

日本児童文学館  万国博公園に建設

日本と海外の児童雑誌や絵本などをおさめ、一般公開する世界的規模の「日本児童文学館」(仮称)を吹田市の万国博記念公園に建設すると、二十七日大阪府が発表した。

当面は鳥越教授や夕陽丘、中の島図書館の職員や関西在住の児童文学者らで設立準備委を編成、文学館の基本構想を練る。一般閲覧と同時に児童文学の専門研究施設にする方針で、建物は子どもたちが喜びそうな「おとぎの城」のスタイルを取り入れていく考えだ。

岸大阪府知事の話 大阪の地盤沈下回復が望まれている今、鳥越コレクションが大阪に寄贈されることは、何よりの励みだ。関西はもともと児童文学の盛んな土地だし、今度は国際的な文学館を建設し、子ども文化の発展に努めたい。

鳥越信教授の話 立候補された自治体はどこも大変な熱意を示していただき、感激しています。コレクションといっても先輩や知人からいただいたものも多く、いずれは公共機関にとつねづね考えていました。

1100以後、その知事文書とこの新聞発表にそって具体化が進みます。翌11980077月には大阪府全額出資(10000万円)による、「財団法人大阪国際児童文学館」が設立され、8181月、大阪府は『大阪国際児童文学館基本構想』を発表します。

 財団法人設立直後の8080年88月には市民の自発的応援団体「大阪国際児童文学館を育てる会」が結成され、本の寄贈を広く呼びかけ、開館の準備作業に協力しました。

万博記念公園夢の池のほとりに建物も新築されました。

そして
1984年5月5日、大阪国際児童文学館は開館しました。

111、Tさんが半生をかけた資料収集と資料の系統的知識が、公共の財産、公共の事業として共有される第一歩を踏み出すことになります。それはまた、Tさんの、すべてを「公」に差出した心意気を、府知事、府関係者、準備委員会メンバーや子どもの本を大切におもう多数のボランティアなどが、それぞれの立場で熱く受け止め、世界にも日本にも、今までなかったものを誕生させる喜びが集約され、形になったのです。

1122練り上げた基本構想にそって、文学館はどのような施設として誕生したのでしょうか。

@まず、運営にあたる職員は、司書ではなく8人の専門員でスタートしました。Tさんはじめ大学教授級を含む児童文学・文化・外国語を専攻してきた研究者たちです。

A集める図書・資料は、文学作品、絵本をはじめ子ども向けに出版された図書、雑誌、漫画、週刊誌、新聞などなど。同人誌など書店に出ないものも。個々の価値判断は行ないません。紙芝居、人形劇台本ほか児童文学・児童文化に関連するすべてを、現在も未来も、そして過去にさかのぼって集めます。 

C    整理保存は、発行年ごとです。図書館分類はしません。
本にハンコを押すこともラベルを張ることもしません。表紙カバーも帯も中に挟んである印刷物も付録やおまけも、発刊された時の書店の店頭の姿にこだわります。その発刊時の、時代傾向や作者、出版社は何を訴えたかったのか、後世に残します。  

D    外国の本、雑誌もです。外国の研究者や関係機関との交流や情報交換もします。

E なによりも、それら資料の一つ一をすべて研究者の目で読み、文学館独自のデータにして保存・積み重ね、どんなリクエストにもこたえられるよう備えます。

1133小学生のリクエスト「僕の誕生日に事件が起こる本」、一年366日すべての日が出そろうのは、1990年代のはじめ。文学館スタッフの協力によるものでした。Tさんの著書「子どもの本のカレンダー」(19966年 ゆまに書房刊)が一つの回答です。後年、45人の研究者が分担して書いた同じ書名の増補改訂版も出ています(2009年 創元社)。

あの小学生、今は本が大好きな大人になり、お子さんたちお孫さんたちの誕生日に、本をプレゼントされているかもしれませんね。そうだとうれしいです。

1144開館から25年、当選早々視察に来た新知事は、文学館を読書支援機関と独断、「700万冊を早く子どもに見せたい」と府立中央図書館へ移転させることを決め、2009年12月、文学館は閉館されました。この間、文学館の所蔵資料は70万点、その7割が寄贈資料という、世界にここしかない成長をしました。国内外の支持と協力があったからこそです。

1155文学館へ行けば、私たちは、福沢諭吉が書いた子ども向けの本をTさんはじめ、以後150年間の図書や資料に出会えるようになりました。

子どもの本、それは子育ての消耗品。破損し捨てられます。ロングセラー以外書店から消えて行き、出版社も時とともに入れ替わります。子どもという社会的弱者の、その気になって一堂に集める努力をしなかったら散逸し永久に失われる文化財です。このことに世界に先駆けて気づき、文化遺産として築き上げてこられたのがTさんであり文学館です。

1166ただし、整理保存だけでは古本倉庫になりかねません。Tさんのような、生涯を児童文学の研究に情熱をもってささげる専門のガイド役がいてこそ、活用され宝の持ち腐れにならないのです。研究機能が継続され蓄積されてはじめて、資料が生かされます。

22013
年3月、府立中央図書館に雇用されていた財団法人専門員(それもわずか1.5人)の年の雇用期限が切れます。美術館や博物館から学芸員がいなくなるのと同じです。
「財団法人」は「管理運営の委託」も打ち切られ「経費補助」はゼロです。寄贈資料の窓口なのに、管理運営は府立中央図書館読書支援課に属します。
 いま、その中央図書館そのものの民営化が検討されています。
 中央図書館書庫スペースの限界も間近かです。

177「集め続けあらゆるリクエストにこたえられる研究機関を」。この熱い思いで誕生した文学館、はてさて、この物語の続編は如何に・・・・。   (22012年5月012.05.05 田丸信堯)

       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1、「赤い鳥」 作家・鈴木三重吉創刊(1918年・大正7年)の童話・詩・童謡誌。1936年・昭和11年、三重吉の死で廃刊となる。「くもの糸」「ごん狐」、「からたちの花」「かなりや」など今も愛好される作品が掲載された。刊行されたのは196冊。

2昭和54年(1979年)1018日付大阪府知事文書

鳥越 信殿

           大阪府知事 岸 昌(『大阪府知事印』押印)

・・・つきましては、このことに関連して大阪府として下記の用意があることを申し上げます。            

1、      コレクションを収蔵する児童図書館(仮称)を適地に設置すること。

2、       府も出資する法人を設立し、その法人に児童図書館(仮称)の運営を委託して、それの管理運営に必要な経費の補助をおこなうこと。

? なお、鳥越信氏の12万点余の資料寄贈申し込み文書と大阪府の受領文書は、文学館が開館した年の秋、198411月に交わされた。

? 児童文学館裁判では、被告大阪府は鳥越氏の寄贈を上記新聞発表の791027日とし、氏が大阪府へ「期待と希望」をもって行ったにすぎないと主張。地裁判決は「被告が負担を負うべき文書・文言がどこにも見当たらない」として被告の側に立った。


おっちゃん・ヤングのしゃべくりエッセー
      (毎月追加更新)

 



 判決文の一部(抜粋)をご紹介します

 

大阪国際児童文学館存続請求(寄贈物返還請求)訴訟判決(2011・平成23年8月26日)
         
大阪地方裁判所民事9部(矢尾渉裁判長 佐藤達文、松波卓也裁判官)

主文 1、原告らの請求をいずれも棄却する。

   2、訴訟費用は原告らの負担とする。

1 請求。 第2 事案の概要。 第3 裁判所の判断。 1 認定事実 (以上略)
2 争点(1)原告らと被告は、本件各資料等にかかわる贈与契約において、本件負担または本件解除条件(注:文学館閉鎖など事情変更の場合は返還すると)の合意をしたか。(以下判決文11ページから18ページ抜粋)

 原告鳥越は、被告との約束を「紳士協定」とか「相互信頼に基づいた約束」などと表現しており、贈与契約締結の際には、被告に法的債務を負担させる意志までは有していなかったことが伺われる。鳥越以外の原告らの多くは、なんらの留保も付さない寄贈申込書を交付しており被告の議会において負担付の寄付または贈与を受けることに関する承認手続きがなされなかったのであるから、被告が本件負担または解除条件の合意をしたと認めることはできないというべきである。(注:鳥越氏はじめ寄贈時の文書に、事情変更の場合は「返還する」と書いてない。)

争点(2) 原告らには贈与契約の締結について要素に錯誤があったか。

 (寄贈の)意思表示の時点の客観的事実と認識との間に食い違いがあることにはならない。

争点()被告知事は、原告らとの間で各資料を返還するとの合意をしたか。

 (原告らと知事の意見交換会の際「寄贈者の思いに反するのであれば本をお返しする」と発言したことについて)解決策の選択肢の一つとして提示したに過ぎないというべき。

5 争点(4) 被告が原告らの本件各資料などの返還請求を拒むことは、信義則に反するか

 信義則は、私法上の原理であって、それ自体から直接、物の返還請求権や返還義務のような具体的な権利や義務が導出されるものではない。

 被告は、昭和5955日の本件文学館の開館から平成211227日のその閉館までの約25年間にわたって、本件文学館を設置、運営して本件各資料などの収集、整理及び公開を行なってきたものであること、地方公共団体である被告は、本件各資料等の所蔵の補完に関する事業内容を被告の財政状況や住民の要望等に応じて見直すことについて、広い裁量を有すると解されることなどに鑑みると、被告による本件移転計画の決定および実行が上記寄贈の撤回を認めなければならないほど原告らに対する著しい背信行為に当たるとまでいうことはできない。

4 結論 以上によれば、その余の争点について判断するまでもなく、原告らの請求には理由がないから、これらを棄却することとし主文のとおり判決する。 (文責 田丸)

準備書面で縷々述べた文学館の設立経過や施設の意義、10人に及ぶ証人の立証などに一切触れず、
寄贈の授受の文書に負担の合意が明記されてない(「事情変更の場合は返還します」と書いてない)だけの判断です。
しかも被告は文学館を25年間維持してきた。行政は財政状況や住民要望に応じ広い裁量を有する。などと何の証拠立てもなく、橋下知事の証人申請をも却下して、行政に擦り寄った判断をしました。司法が行政の監視機能を失ったら、戦前の暗黒時代の再来です。

  


 
大阪国際児童文学館現地存続・再生を求める会会報no.20を準備中です

   
弁護団の力のこもった最終準備書面
                     (本文62ページ)
 準備書面参考資料   

 
1、準備書面16ページ甲42号証 岸昌大阪府知事(当時)が鳥越信氏手渡した寄贈「申し入れ書」(1979年10月18日付け) 
 朱印「大阪府知事之印」が色鮮やかに押された公文書。この10日後、10月27日、12万点のコレクションを大阪府に寄贈する意向を表明された鳥越氏と岸知事との共同記者会が行なわれた。この場で知事が、万博公園に、児童文学・文化の資料・研究センターを作ると発表された。
  
2、準備書面36ページ添付「別紙その1」
 2008年5月1日、知事との公開討論に臨み大阪府教育委員会が作った文書。
チャート上2行の「PT(新知事が作った財政再建プロジェクトチーム)の文学館閉鎖移転方針に、この段階では反対していた。
 3、準備書面37ページ別紙その2は
「大阪府立中央図書館要覧2010」です
  
要覧5ページ参照 文学館は中央図書館 読書支援課の下部に名前が残された。        
 
4、準備書面別紙3から8は40ページから44ページ参照

 原告 田丸信堯、正置友子 最終陳述


下の写真は、

大阪府が万博公園の大阪国際児童文学館から
2010年1月28日(木)11時、文学館資料を
搬出する第1便。
雨の中約70名が抗議の意思表示をしました。

幕の文字は「大阪国際児童文学館よ もどっておいで あきらめないよ
               大阪国際児童文学館を育てる会』

鳥越信著 『大阪国際児童文学館 蔵書解題』
(寄贈された鳥越コレクションと大阪国際児童文学館が
 30年にわたって集めてきた明治元年以来の貴重本を紹介)









創作鳩時計 帰りを急ぐ子どもたちを空から襲ったものは




戦後史原点
われら戦争責任追及せり
  テレビドキュメンタリーふう復元
掘り起こ史:讀賣争議1945〜1946
     ――りんごの唄の秋の陣――

     あとがき (はじめによんでいただいたほうがよい?) 
       秋の陣主戦場・有楽町

   目  次 
  序章 ツェツィリエンホーフ宮殿にて    

  T  夜明けの激突

  U  我ら戦争責任追及せり

  V  民 主 の 春      

  W  反     転     

  X  轟 音 消 ゆ 
   

  Y  スト・イースト 

  Z  鯨    波  

    エピローグ            
   
 讀賣争議年表

 
 大詰め・鯨波


    


 
   
        

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