自己紹介
浜松市で生まれる。
音楽の好きな子だった(らしい)。
幼稚園でオルガン教室を、また、市内のパレードで先頭の味をしめる(楽器やんないわりに目立つし)。ここで棒振りはおいしいことを知る。
小学校ではリコーダーと鍵盤ハーモニカにいそしみ(普通か!)このころまでにオルガンを忘れてしまう。小学校の発表会では金管バンドの奴が棒を振るのでうらやましく思う。
中学校では剣道部に入部、戦うことを覚える。親がどこかから持ってきたギター(アコースティック;いわゆるフォークギター)で遊ぶが、きちんと教えてもらわなかったので、コードを覚えるのみにとどまる。でもコードが弾けりゃバンドはできる。と言うことで、学園祭にて母校の中学校初のライブに成功。中坊相手(あっ、自分も中坊だった。)だが、1000人程度の観客相手のステージの味を覚える。
静岡県立浜松北高校入学。入学前から「ラッパが吹けるといいな」と思っていたので(ちなみに浜松でゴールデンウィークに行われる、”浜松まつり”では、ものすごい数のラッパ(信号ラッパ)がかっこいいのです。)、友人と共に吹奏楽部へ。知識に乏しかった私は、「トランペットやクラリネットは難しい旋律を吹くから大変だろう。音の少ないチューバがいいな。」といういやらしい理由でチューバを希望。さらに「ついでにチューバでメロディーを吹けるようになれば、みんなもあっと言うだろう。」なんてやましい気持ちもあったのだが…。
入部締め切りの直前現れた経験者のTくんによってこの目論見は潰えてしまう。
先輩の一言「チューバ、経験者がきたから。きみラッパにいかない?」
ここでゴネてもしかたないと思い、3年間トランペットへ低音ばっかり練習していたので、必然的に3番へ。ときどき2番へ。ここで3声部の下吹きの味を知る。結局高い音はでませんでした。
高校1年の時知り合った友人からヴォーンウィリアムズのコンチェルトを紹介される。「チューバで旋律を吹く奴がいる。しかもうまい、きれい。」とこの時すでにチューバの虜に…。なんたってアンドレプレヴィン、LSO、ソリストはジョン・フレッチャー。うまいわけだわ。は〜っ。と言うわけで、この曲は現在に至るン十年、いや、これからも永遠の課題、そしてバイブルになっています。
さて、これもスケベな理由で昭和薬科大学へ。ここでようやくチューバへ。
学食で飯を食っている際、突然肩をたたかれ「きみ、チューバ吹かない?」。二つ返事で吹奏楽団へ「はいどうぞ」とばかりに楽器を渡され調子に乗って吹いていると…。
よく見ればチューバ、俺しかいないじゃん。
ある日のこと、サックスの子に「あんたの音はロータリーチューバの音じゃないね。ラッパで言えばコルネットみたい。」と言われる。「ん?俺の音はチューバじゃないのか?コルネット?なんでじゃー!」とここで初めてテューバとバスの違いを知る。テューバの吹き方を練習する。
でも、ジョン・フレッチャー氏のことが忘れられず、たまたま行った楽器屋(確かNeroだった)でヴォーンウィリアムズの譜面を見つけ衝動買い。そのとき「そうだ!Ebバスを買おう!」と思いつき、先輩(この人は、Euphです。)に相談すると…。
「おまえじゃあ、Bessonは100年経っても鳴らせない。」
しかたなくYAMAHA YEB321Sを在学中まるまるローンで購入。ヴォーンウィリアムズの練習を始める。当時は全く歯が立ちませんでした。
またある日のこと、高校で一緒にラッパを吹いていた奴と再会。そこで彼が”マジオ・リップス”と言う訓練をしていることを知る。「まじお・りっぷす?えっ?トリプルハイBbまででるようになる?えっ?ダブルペダルBbをフォルテでロングトーン?でないじゃん!」といいつつまねしてやってみることに…。
同じ奴からある日ビデオを見せてもらう。彼は某大学のジャズ研だったが”オーレックス・ジャズ・フェスティヴァル”というのにチューバがでていると言うではないか!それは(たぶん87年)あの天才ベーシストジャコ・パストリアスのライブだった。確かにチューバはでていた!くたびれたBessonの3本ピストン(サテン)だった。次の瞬間俺の目から大きなうろこが一枚おちた。!!!「おっ、音が二つでてる〜っ!奴のニンマリした顔を俺は一生忘れないだろう。それがドッペルトーン(ダブルトーン)という奏法だと知ったのはそれから…年後のことだった。
ダブルトーン、実は大好きです。(やるときないんだけどね。)
大学1年の時から学生指揮者として育てられた俺は、高校の3つ下のやまだくんと知り合いになる。やまだくんはとても吹奏楽にとても熱かったのでおれも熱い指揮をめざす。最近やまだくんがとても立派になった(某東京の電話やさんの常任指揮者)のを知りうれしいような寂しいような気分になる。