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「革新自治体」時代終り
1975年3月10日 一 去る二月十六日、美濃部東京都知事は緊急記者会見を行い、四月に予定されている都知事選への三選出馬を断念したとの声明を発表した。こうして、昭和四十二年以来二期八年間にわたって続いた美濃部革新都政時代は、激化する社共対立のなかに、みじめな破局のときを迎えようとしている。 美濃部都知事が三選出馬を断念した理由は、同和問題をめぐる社共対立の激化にあると報道されている。だが、私の見るところ、この理由は単なる表面上の理由に過ぎない。むしろ同和問題をめぐる社共両党のいざこざは、都政を投げ出そうとしていた美濃部都知事にとって、文字通り渡りに舟≠ナあったように思われる。つまり、同和問題をめぐる社共対立は、責任転嫁の上手な美濃部都知事にとって、願ってもない口実≠ニして利用されたのである。それ以来、美濃部都知事とその側近グループ、社会党、共産党の三者は、互いに革新都政崩壊の責任を相手になすりつけるべく、醜い泥仕合と駆け引きに明け暮れている。この泥試合のなかで、かつて一世を風靡した「都民党」などという偽善の看板も完全に色あせ、ペンキが剥げ落ちてしまった。 美濃部革新都政の崩壊の最大の原因は何か?それは都財政の破産と、都の行政サービスの完全な行き語りにある。美濃部都政末期の昭和四十九年度に、都財政は一千億円の人件費を未払いのまま、事実上、破産し、東京都は実質的に赤字再建団体に転落してしまった。 ちなみに、地方財政再建特別措置法の施行令十一条二項は、「地方自治体の決算会計に標準財政収入(都税収入)の五lを超える赤字が出た場合、地方債の起債制限を受けるか、または自治省の監督を受ける赤字再建団体となる」と定めており、都の四十九年度標準税収は一兆三千億、この五lは六百五十億円に当るから、一千億円もの赤字となれば、自動的に再建法の適用を受けることとなる。 そのうえ、美濃部都知事が都議会に提出した昭和五十年度一般会計予算は、異例の骨格予算で、「財政危機で、住宅、高校、保育所も建てられません」という無茶苦茶なものとなってしまったのである。 この昭和五十年度骨格予算の提出について、美濃部都知事は、「春の知事選で選ばれる新しい知事のために、一千億円の財源を残してある。今回は骨格としたが、六月にはこの留保財源で補正し、肉付けすれば、正常予算となるはずだ」と弁明しているが、この弁明は途方もない虚偽に満ちている。第一に、すでに述べたように、未払いのままとなっている都職員給与の四十九年度ベースアップ分一千億円の支払いを、五十年度に繰り越してやらざるを得ないのであるから、それだけでこの一千億円程度の留保財源はふっ飛んでしまう。 そのうえ、第二に、当初予算に当然計上すべき五十年度給与改定費の八l、約五百億円と、一五lを想定してベースアップ分約五百億円の合計一千億円が予算案には計上されていないのであるから、その分はそのまま赤字となることは明らかであって、「肉付けすれば正常予算となる」などという弁明は質の悪いウソ以外のなにものでもないのである。 第三に、「選挙で選ばれた新知事に本格予算の編成をゆだねたい」という、もっともらしい骨格予算編成の理屈も、前回、昭和四十六年の任期終了時には、この理屈とは反対に本格予算を組んでいるという事実に照らしてみると欺職的というほかはない。四年前統一地方選を四月に控えた昭和四十六年の第一回定例会で、美濃部都知事は、「私は、四十六年度予算は新たに選ばれた知事が編成すべきではないかという点について、現行予算制度を民主主義の原点に返ってあらためて考慮してみました。その結果、私の義務は私を選んでいただいた都民に対して、私が知事である限り、正しいと信ずる年間予算を全力を尽くして編成し、これを議会に提案することが私の責任であると考えました」と明言していた。この四年前の理屈と今度の「本格予算は新知事の手で」という理屈とは全く食い違ってしまっているようである。なんと都合のよい、その場限りの「民主主義の原点」なのだろう。 骨格予算を編成せざるを得なくなったことについての先の美濃部都知事の弁明が、他愛のないウソにほかならないということを、だれよりも一番良く知っているのは、当の美濃部都知事自身に他ならないはずである。だからこそ、この都知事選挙まえの時期に、赤字とならざるを得ない本格予算を組んで都民から手厳しい批判を受けるのを回避するために、先のような屁理届をこねて四十九年度分の未払い分人件費は赤字承知で昭和五十年度に繰り越し、五十年度は人件費の増分も計上せずに異例の骨格予算を組むという偽善をあえてしたのであろう。そうしておいて、突如として、都知事選への出馬を断念したというのであるから、都民は不払いのツケを巧妙に押しつけられたまま都知事に夜逃げされたようなものなのである。憤激した都民が、「これでは、骨格予算どころか、骨までがたがたのガイコツ予算だ」と評しているのも、無理からぬことである。 だが、当の美濃部都知事は、八年間の放漫財政と失政の結果、都財政を破産に追いい込みながら、その責任をなんら感じていないらしいのであるから驚きである。赤字財政の責任をとって辞意を表明するならともかく、再出馬断念を表明した記者会見の席上でも、マルクスの『資本論』のなかから、「なんじの道を歩め、人をして言うにまかせよ」という言葉と、陶淵明の『帰去来辞』のなかの「帰りなんいざ田園将に蕪(@あ@)れんとす」という一句を引用しながら、あくまでも幼稚で、無責任な気取りのポーズを取り続けている。この『帰去来辞』から引用に対しては、早速新聞に陶淵明に心酔しているという一読者からの鋭い批判の投書が載った。いわく、「陶淵明は、小児輩のごとき上官が権威をカサにした、そのキザな態度に憤慨して五斗米(俸給)を棒に振って、田舎に帰ったのであった。しかるに美濃部知事は、社共両党の反目で、知事という、権威の座にすわる見込みがなくての断念である。陶淵明が権威に反抗して清節を守ったのと、権威が得られぬための断念とは、次元が全く違うのであり、知事が単純に帰去来の辞を持ち出すのは納得しかねる」と。 二 さて、美濃部都知事の再出馬断念の最大の理由が、実は同和問題にではなく都財政の破綻にこそあるということを私は強調してきた。ある新聞の報道によると、昭和五十年度の骨格予算を編成した直後に、美濃部都知事は、「都財政がこんなことになるのがわかっていたら、三選に出るなどと言うんじゃなかった」とグチをこぼしていたという。これは三選出馬辞退声明の一カ月ほど前のことだが、まさに、「語るに落ちる」とはこのことであろう。 ところで、「都財政がこんなことになるのがわかっていたら、三選に出るなどと言うんじゃなかった」という美濃部都知事の言葉には、またしても美濃部都知事らしい偽善と欺瞞が含まれている。 いま都民税を負担している一千一百万都民がはっきりと美濃部都知事に問い正すべきことは、「美濃部都知事、あなたは都財政がこんなことになるということが本当にわかっていなかったのですか?」ということでなければならない。「都財政がこんなことになる」ということを、「経済学者」美濃部都知事が本当に知らなかったとは、私にはとうてい信じられない。もしもこの程度のことが本当に予想できなかったのだとするならば、美濃部都知事の行財政のマネジメント能力が根本的に疑われるのみならず、「経済学者」としての最低限の学力すら疑わしいということになるであろう。なぜなら、都財政がこうなることは、財政や経済のメカニズムに多少とも通じしているひとならば、だれにも簡単に理解できる単純な事柄だからである。 第一に、美濃部財政は年率二〇l、毎年一千億円にものぼる都税収入の大幅増加によって支えられていた。昭和三十年から四十一年にかけての、安井、東両知事の時代には、都税収入の伸びは平均して年率一三・七l、毎年の増収分は安井知事時代で約百億円、東知事時代に約二百億円であった。これに対し、昭和四十二年以降八年間にわたる美濃部都政は、前述のように年率二〇l、毎年約一千億円もの都税収入の増加によって支えられていたのであるから、美濃部都知事は全くツイていたという訳である。 そして、この毎年一千億円にものぼる都税収入増が、高度経済成長とそのもとでの都民の勤労と企業の営々たる努力によってもたらされたものであることは、少し考えてみればだれにも簡単に理解できることであろう。ちなみに、法人二税(法人住民税、法人事業税)は都税収入の六〇lを占めていたのである。 ところが、どうやら美濃部都知事は、都税収入の増加が高度経済成長によってもたらされているものであるという単純な事実を理解していなかったらしい。彼の頭脳は、「マルクス経済学」の古いイデオロギーに汚染されて、現実をみることがでぎなくなってしまっていた。「イデオロギはひとを盲目にする」と言われるが、美濃部都知事もまた陳腐な「マルクス・経済学」のイデオロギーで完全に現実を分析する能力を喪失していたようである。 こうして、美濃部都知事は、諸悪の根源をすべて「経済成長」や「大企業」に単純に帰着させるという、短絡した経済成長悪玉論、大企業悪玉論を展開したのである。浅薄な「くたばれGNP」論や「企業追い出し」論などの流行のうえに、美濃部都地事の果たした功績は極めて大きい。そして、美濃部都政の最後となった昭和四十九年度に、日本経済はゼロ成長となり、ある意味で、美濃部都知事の期待通りにGNPは「くたばった」のである。だがGNPがくたばると同時に、都税収入増もくたばり、遂に美濃部都政自身がくたばったのであるから、美濃部都知事はもって瞑すべきであろう。なぜなら、都財政の赤字倒産は、予期せざる災害によるというよりは、美濃部都知事のイデオロギーにもとづく計画通りにことが運んだためにもたらされたものあり、文字通り計画倒産の疑いが濃厚なものだからである。 ちなみに、美濃部都知事が都議会に提出した昭和五十年度の一般会計予算は一兆七千三百二十二億円で、前年度に比べて六百三十三億円(三・五l)のマイナス予算であった。 これは六年間も続いた前年比増二〇l前後に終止符を打ち、昭和三十年度以来二十年振りのマイナス予算なのである。 しかも、成長の鈍化にともなう都税収入の伸びの鈍化は、少なくとも数年前から十分に予想されたにもかかわず、美濃部都知事は高度成長に安易に依拠した放漫財政を組み続けて、財政状態を年とともに悪化させてきたのである。 例えば、昭和四十七年度の当初予算の予算編成においても、税収の伸びが○・八lしか見込めないのにもかかわらず事業規模を縮小することをせず一三・八l増の大型予算を組んでいる。そのために都は住宅供給公社への貸付金を現金で支出することができずに、公社がその分を金融機関から借り入れることでその場しのぎの対応策を講じ、あるいは二年以上にまたがる事業について、初年度の負担比率を減らすことによって表面上、財政負担を回避するなどしてツケを先にのばしている。この種の財政を無視した無責任なやりくりが、そのまま翌年度以降の財政負担の重荷としてはねかえってきていることは言うまでもない。 さらに昭和四十九年度には、成長基調の変化のなかに国が歳出規模を抑えて、インフレ抑制、物価対策のための総需要抑制予算を編成したのに対して、美濃都都知事は弱者救済と都民の生活防衛に徹すると称して、実に二二・一l増の積極予算を組んでいるのである。それほど勇ましい予算編成姿勢をとり続けながら、わずか半年で都財政史にその例をみないという九月補正予算が組めないという惨めな事態に追い込まれ、挙句の果て実質上赤字再健団体に転落し、昭和五十年度は前年度比マイナス三・五lの骨格予算しか組めなくなってしまうというのであるから、美濃部都知事の財政運営能力は最低と言わねばなるまい。 新聞報道によると、昭和五十年度都税収入の暗い見通しをみた美濃部都知事は、「こんなはずはない。もっと多いはずだ」と珍しく声を荒らげ、「この試算の根拠を示せ」と事務当局に強く命じたという。美濃部都知事の「くたばれGNP」論はこの程度の経済学的能力にもとづくものだったのであろうか。 三 都財政が破産した第二の理由は、行政効率の低下、労働組合への迎合、綱紀の退廃などによる人件費の驚くべき膨張である。簡単に事実を列挙しよう。 @毎年三千人から五千人近くの職員の採用を続けたために都の職員数は急増し、美濃部都政の八年間に、実に五万人の増員が行われているが、この増員数は福岡県の総職員数に匹敵する膨大なものである。 A特に役付き職員が急増しており、昭和四十三年から四十八年までの五年間に、部局長の数は六一人から六二三人へと約十倍に増やし、課長の数を四八○人から二、八〇九人へと約六倍に増やしている。 B美濃部知事が就住した昭和四十二年当時、都庁の本庁および出先機関の局、部、課め数は千六百七十六だったのが、いはや二千三百二十四と六百四十八も増加し、行政機構をやたらに肥大化させている。 C給与水準は国家公務員に比較して一八・三lも高く、全都道府県中最高である。都の職員の給与を国家公務員並みにするだけで、昭和四十九年度約八百億円の節約ができることになる。 D都の退職金水準も極端に高く、財政を著しく圧迫している。例えば、ある新聞の調査によると、昭和四十九年度に知事部局の局長級退職者九人に支払った退職金が、実に最高四千五百三十五万三千円、平均四千三百五十三万三千四百四十七円(いずれも税込み)、この九人の総額だけで約四億円。しかもそのうえ、の九人には平均月額二十四万円前後の恩給がつくうえ、都住宅供給公社、環境整備公社などの都の出資団体の役員に天下りしている。ちなみに美濃部都知事の二期分八年間の退職金総額は五千五百万円をこえている。 このように、都の職員数を急増させ、部局の数や管理職を増やし、国家公務員を二割近くも上回る給与を支払い、高額の退職金を支出しているのであるから、人件費が膨脹しないはずがない。東京都の五十年度当初予算によると、一般会計の総額一兆七千三百億円中、職員の給与が六千八百億円も占めている。ところで、この数字は、先にも述べたようにベースアップ分を計算に入れていないので、その分を推定して加えると給与だけで約八千四百億円に達することとなる。三年前の昭和四十七年度の人件費は四千四十三億円だったから、人件費はこの三年間で倍増したことになるのである。 昭和五十年度の都税収入は、総額一兆一千六百億円と見込まれているので、この都税収入に対する人件費約八千四百億円の比率は、実に七割五分にも達しているのである。これでは、まるで、地方自治体は職員を養うためにあるようなものになってしまうではないか。われわれは地方公務員の高額の給料を支払うために重い地方税を必死に負担しているようなものだ。ちなみに、昭和五十年度の都民一人当りの都民税は約十万町、そのうち七万五千円が都の職員に支払われているという計算になる。だが、都民一人当りという計算のときには、稼得能力のない主婦や子供も含まれているので、四人家族の世帯の都民税負担は平均四十万円、そのうち三十万円が都の職員に支払われているということになるのである。 第一表は、地方自治体の人口を職員数で割ったもの、つまり、一人の職員を何人の住民で養っているかを表わすものであるが、都道府県平均では、住民一一三人で一人の公務員を養っていることになる。東京都では、住民六一人で都職員一をかかえているという計算になる。一世帯平均四人として、隣近所の一五軒での一人の都職員をかかえているというになっているのである。 しかも、これらの都の職員がきちんと都民のための仕事をていてくれれば、一千一百万都民も、その都民税の高負担に文句を言わないかもしれないが、そのサービスの質が低く、しかもろくに仕事をしない不良職員が少なくないとなると、地方税不払い運動を起こしたくなるひとがでてくるのも無理からぬこととなる。 試みに四十二年以来のストライキの回数を知事部局のみに限り年代別に挙げてみると、四十二年は一回もなかったのに、四十三年は二回、四十四年は十五回、四十五年は十回、四十六年は六回、四十七年は十一回、四十八年も同じく十一回、そして昨年は九回と眼に余るストライキ騒ぎを年中繰り返し、その都度多くの都民に多大の迷惑をかけている。 またこうして職場を放棄してストに参加した組合員に対しては賃金カットがなされるのが当然であるが、労働組合と野合している革新首長たちはこの規律を守ることができず、仕事を放棄してストに参加した組合員を甘やかし、これに給料をそのまま支払っているのであるから、驚くほかはない。例えば、昭和四十八年四月十七日と二十七日に行われた春闘統一ストのとき、都職労、都教組のなかでストに参加した組合員に対し、当然行うべき賃金カットが行われず総額約六千七百万円の都民の税金が不法に支給されていた。のちに、東京都監査委員会からきびしい勧告が出され、美濃部都知事に対しても強い注意が行われている。 さらに、組合のいわゆるヤミ専従≠フ問題も重大な問題である。ほとんど都民のための仕事をせず、労働組合の仕事に専従していながら自治体から給料が支払われているというケースである。これでは、住民が税金で社・共の活動家や労働組合活動家を養ってやっているようなものである。例えば、京都府職労では、府職員七千人のうちヤミ専従は実に五百人とも一千人とも言われており、東京都職労でも約一千人に達すると言われている。さらに、現在父兄が監査請求と立ち退き要求を出して大間題になっている渋谷区立中幡小学校都教組渋谷書記局事件のように、学校は教室を組合の事務所、活動家のアジトに使用し、日教組がその光熱費や電話代のツケまで学校に支払わせているというような不法行為が、革新自治体のいたるところでまかり通っているところに問題がある。 このように、都財政の破産を招いた人件費の膨脹は、都知事と社共、労働組合などとのなれあいと野合のなかに、財政を無視して進められてきたのである。この人件費の膨脹もまた美濃部都知事が計画的に行ってぎたことであって、決して「都財政がこんなことになるとは思わなかった」などとは言えない性質の根本間題なのである。 四 都財政が破産した第三の理由は、財源を無視した、人気取の「無料化政策」や場当り的な「福祉行政」の展開にある。 すでに述べたように美濃部都政は年率二〇l、毎年一千億円前後の都税収入の伸びによって支えられていた。この都税収入の伸びが、美濃部都知事が非難して止まない高度経済成長によってもたされてきたものであることは、すでに再三指摘してきた通りである。 ところで、美濃部財政なるものは、諸悪の根源を経済成長に短絡的に帰しながら、他方で、この成長のおこぼれにあずかり、この成長のおこぼれを人件費に回したり、「無料化政策」「福祉政策」の名のもとに少しづつばらまくというパターンの財政であった。こうした人気取りの放漫財政は、都税収入が急増しているという恵まれた条件のもとでは、ある程度まで続けることができるが、本来、財政的な裏付けをきちんと持っていない、場当り的な政策で、しかも一度やり始めると増える一方という性格の支出だけに、都税収入の伸びが鈍ると、たちまち破綻をきたすこととなるのである。 こうした放漫財政の「無料化政策」、「福祉政策」の例をいくつか列挙してみよう。 美濃部都政は、医療費の無料化ないし補助、し尿汲み取りの無料化、公衆浴場のフロ代の補助、学校給食の牛乳代の補助、「敬老金」、「福祉手当」、「児童手当」という名のお小遣い支給、老人への無料パス支給、動物園、有料庭園の無料入場などの政策を進め、水道料までも無料化しようというような構想をぶち上げていたのである。 なにからなにまでタダにしようというような政策は、一時的には人間のエゴをくすぐるものかも知れない。しかし、あるものがタダであるということは、実はだれかがどこかでそのコストを負担しているということを決して忘れてはならない。 例えば、牛乳代はいま一本につき三円を都が補助、フロ代も一回につき十円を都が負担している。牛乳一本にっき三円の補助でも、都全体では年に七億五千万円、フロ代が一回十円でも都全体では二十六億円となる。都民の多くが自分の家のフロ代のコストは自分の稼いだ所得によってまかなっているのに、そのうえこれらのひとびとは公衆浴場を利用する他人のフロ代まで負担させられているという訳なのである。 老人の無料パスについても同様である。美濃部都知事の思いつきで、昭和四十八年一月から、都電、都バス、都営地下鉄などすべての都営交通に、七十歳以上の老人四十万人はタダで乗れるようになった。四十九年十一月からは民営バスもタダになった。これに要するコストの都負担分は年間十億円に達している。タダのバスに乗って動物園や有料庭園に行けば、これもタダで入場できる。この無料化政策はやがて六十五歳以上の老人に枠が拡大され、さらに十二歳未満の児童や心身障害者とその付添人もタダとなった。 こうしたサンタクロース型福祉は、ほんとうに善政と言えるのだろうか。それは老人を大切にしない親不孝な息子を甘やかすことになったり、自立し、自活しようと真剣に努力する正直者が、馬鹿を見るような仕組みになる危険を持ってはいないだろうか。老人の福祉を考えたときにも、もっと根本的な生活環境の整備、住環境の改善を行い、それによって、家族的人間関係と心のふれ合いのなかで、老人が豊かな精神生活を送れるようにすることがより優先するのではなかろうか。 のちにも触れるように昭和四十九年度の都営住宅の募集はゼロであった。美濃部都知事が提案した五十年度当初予算でも都営住宅はゼロである。こうしたことと対比してみると、美濃部財政は、目先の、人気取りのためのカネのばらまき、いわば小さな親切にのみ大切な都税を濫費しつつ、根本的な福祉、住環境、生活環境の整備などはなにひとつやらないという奇妙な「財政」であった。それでも、こうした放漫財政による支出が続けられるあいだはまだよいのであって、すでに述べたように低成長時代に入り、これまでのように税収入の大幅な伸びが期待できなくなると、たちまち、こうした美濃部型「財政」は行き詰ってしまうのである。 かくして、高度成長時代の終りは、美濃部型「放漫財政」の終りであり、「革新自治体」の終焉となるのである。この不可避な帰結をなによりも雄弁に物語っているのが、美濃部都知事自らが編成、提案した昭和五十年度の骨格予算である。 五 すでに述べたように、昭和五十年度の都の一般会計予算は、一兆七千三百二十二億円で、四十九年度に比べ、六百三十三億円減(三・五l)のマイナス予算である。これは六年間続いた、前年比増二〇l前後の伸びという趨勢に終止符を打ったもので、昭和三十年度以来、二十年振りの異常事態である。その結果、歳出面では、看板の美濃部型「福祉」はもとより、「財政危機で住宅、学校、保育所も一切立ちません」、「防災対策費もありません」都市緑化の「街路樹整備のカネもありません」という調子である。 いくつかの主要な項目について、この骨格予算がいかに惨憺たるものかを列挙してみよう。 (1)住宅対策 美濃部都政のもとでは公営住宅の建設は完全に行き詰ってしまった。美濃部都政八年間の繰越分も含めて竣工戸数が計画戸数を上まわったのは四十五年度だけで、後はすべて計画戸数を下まわっている。特に四十七年度は計画戸数の一万九千戸のうち、一万五千戸分の国庫補助は国に返上してしまい、残った四千戸についても、着工できたのは僅か二千七百十六戸に過ぎない。四十八年度においては計画戸数一万九千戸のうち、九千戸分の国庫補助を返上して一万戸としたのに、本年一月三十日現在で着工できたのは僅かに三千九百八十三戸、四十九年度は当初計画戸数一万戸に対し、僅かに五十七戸にとどまる。 そして昭和四十九年度の都営住宅の募集はゼロ、昭和五十年度においては公営住宅、改良住宅のいずれも建設戸数がゼロである。繰越分で着工見込のあるものは四十八年度分が千二百三戸、四十九年度分が一、一七二戸に過ぎないから、都民の要望する都営住宅の建設は絶望的状況にあるといって過言ではない。 民間住宅建設資金の融資あっ施も既貸付分利子補給を認めているだけで、新規のあっ旋はゼロであるから、民間住宅の建設も当分停止されることになる。このように、美濃部都政の続く限り東京都の住宅問題は絶対に解決できないばかりか、悪化の一途を辿るであろう。 (2)福祉対策 美濃部都知事の再三の公約にもかかわらず、市町村立、区立、私立等の保育所の増設補助は昭和五十年度ゼロである。ちなみに、民生局は、予算要求二十三億七千五百万円で、新設百カ所、増改築十七カ所、収容人員一万五百人を要求していた。これは美濃部都知事が計画は必ず実行すると広言した東京都中期計画できめられた計画増であって、これに要する負担金補助や交付金をゼロ査定化したことは、都民を瞞したこととなるであろう。 老人ホームの建設、心身障害者(児)施設の建設はいずれもゼロであり、知事は老人、児童、心身障害者の生活防衛はべ極力確保するといっていながら、物価へのスライドは少しも考慮していない。ただ、給与がらみ増額と所得制限を若干上のせしただけで、一切の福祉手当は前年同額に据えおかれているから、物価の上昇を考えれば、実質的には約三〇lの減額といわなければならない。 また、民間の特別養護老人ホーム、老人病院等の建設費補助で、四十九年度、五十年度と両年度にまたがっている事業までゼロ査定にしたことは、工事の続行を不可能にし、関係者に大変な迷惑をかけている。このように、行き詰った美濃部財政のもとでは、看板の「福祉」もすでに実行不可能となりつつある。 (3)教育間題 父兄の関心が最も高い高校新設は九校の要求がゼロとなった。中期計画では、四十九年度から三年間に十五校の新設を公約しており、このうち初年度の四校は完成して、この四月から開校するが、二年目で計画はご破算になった。また、高校の木造校舎改築費、市町村立小中学校校舎建設補助なども、それぞれゼロである。私立高校から私立中、小、幼稚園などについても、授業料補助など主なものは額面アップが見送られ、四十九年度レベルで据え置かれたから実質的には大幅な減である。かくして、美濃部都知事のもとでは教育も行き詰まりつつあるのである。 (4)防災対策と都市再開発 いつ襲って来るかわからない大地震に対して、震災対策費が前年度の十六分の一にも満たないというのは重大である。消防庁の震災対策費は前年度当初の十五億八千三百万円に対し一割にも満たない僅か一億一千九百万円しか計上せず、防火用貯水そうの設置はゼ口である。 その他の防災対策については、災害復旧と既契約事業を除き亀戸、大島、小松川地区白髪西地区、飯田橋地区、柳町地区の再開発等すべてゼロであるから、建設局の予算総額は前年度対比で九百九十六億円減(六四・五l)というみじめなものである。 道路災害防除、河川しゅんせつ、河川防災はいずれもゼロ、そのうえ心配なのは、東京港整備(泊地しゅんせつ)、海岸保全(高潮対策)、島しよ整備(地方港湾建設)などがすべてゼロ査定ということである。 都市再開発関係では、土地区画整理事業助成、新都市建設公社助成、地下鉄建設費補助、鉄建公団の利子補給、首都高速道路公団助成、日本自動車ターミナル株式会社出資、市町村土木補助等が一切ゼロであり、このため、首都整備局の予算は前年度当初に比べ三百十二億八千五百万円の減(八二・三l)という削られかたである。これで美濃部都政には都市再開発をやる意思が全くないことが、明らかであろう。ちなみに、あれだけ対話だ、強制収用だと大騒ぎをした杉並清掃工場の建設には、建設協議会経費としてたった二百万円をつけただけであり、地元民は果たしていつ清掃工場ができるのやら、と不信感が高まっているという。 (5)交通対策 人間尊重を唱え、交通公害の防止に積極的と見られる知事が、道路補修や街路樹、緑地帯整備をゼロとし、交通安全施設も道路標示の塗りかえだけで、その他の施設をすべてゼロにしているのは全く首肯できない。 地下鉄十二号線も僅かに建設規模の五億しか計上していないので、これでは国庫補助は宙に浮くことになる。国庫補助のつくものまで予算に計上しなかったのは、それが都の義務的なものと考えられるので、計上しなかったのは如何なる理由によるものか、不思議である。 一般会計の繰入金は、多かれ少なかれ、すべて一様に減額され、ことに、高速電車の補助金は、原局要求の約一〇lに過ぎない。 これでは都民の足を確保するための施策としては極めて不十分であることは明らかであろう。 (6)公害対策 公害対策のうち、中小企業に対する公害防止資金の助成を打ちきって、既貸付分の利子補給のみとし、直接貸付は前年度当初の十三億円に対しゼロ、四十億円貸付のための原資預託も、前年度の八億円に対してゼロ査定である。 (7)水について 毎年夏になると水飢饉で都民が苦しむようなことがあってはならないように、知事は常に水資源確保に努める義務がある。ところが、来年度の予算をみると、都民の水の供給源の三分の二を占める利根川の水を引くために計画された第四次利根川系水道拡張事業が、水道局の六百億円の予算要求に対し、僅か二百六十億円しか認められていない。 また、三多摩水道の一元化に必要な多摩水道施設拡充事業も要求の半分しか認めていない状況である。水道の財源は国の許可した起債によることになっているのであって、もっと充分な予算をつけることができるわけであるから、以上述べたような予算のつけ方は怠慢であり、都民の不安解消に知事は誠意も持っていないということになりかねない。 (8)三多摩対策 来年度の予算案では、市町村への都市整備関係補助金が全く計上されなかったため、多摩地区の各市町村は予算案をどのように編成したらいいのかと途方にくれているといわれる。 都予算案の市町村施行事業に対する補助金の総額は百五十三億七千五百万円と前年度当初比五五・五lの大幅減であり、区の事業を合わせた都補助金では平均三九・六lの減であるから、区より市町村への補助金減の方が大きくなっている。 三多摩対策のうち、市町村振興交付金の一般交付金(前年度当初では十八億円が計上されている)、市町村振興基金繰り出し(公共施設整備のための貸し付けで、前年度は四十一億円)、河川改修(前年度は七千万円)、小中学校整備補助(同じく四十一億円)、市町村土木事業(同じく十二億円)が、いずれもゼロである。 都の補助が軒並みゼロとなると、市町村では市町村税収入と国の交付税をやりくりして事業を実施しなければならなくなるから、事業量が極度に圧縮されることになる。三多摩格差是正を公約した美濃部都知事はこの現状を何と見ているのであろうか。如何に都が財源難であっても前年度とのバランスを全く崩してしまうようなことでは、安定した地方自治体の事業継続はできなくなってしまうであろう。 かくのごとく美濃部都知事のもとでは、三多摩格差の解消は不可能である。 六 美濃部都政は、昭和四十二年以来、二期八年間続いたのちに、東京都を実質的に破産させ、赤字再建団体に転落させてその暮を閉じる。だがもしも仮に、美濃部都政がもう一期四年間続いたとすれば、昭和五十年代初頭にどういう事態が東京に発生していたであろうか。第三期美濃部都政が昭和五十四年まで仮に続いたと仮定して、そこで予想される深刻な事態をリアルに分析してみることは、東京の将来を考えるうえで、極めて大切なことである。 美濃部都政八年間の実績を冷静に総点検することなしに、いたずらにセンチメンタルな美濃部都知事再出馬要請運動などを繰り拡げるまえに、東京都民は少なくとも、第三期美濃部都政の将来を吟味してみる必要がある。そして、前述の昭和五十年度骨格予算は、この第三期美濃部都政の暗い運命を予見させる材料に満ちあふれているのである。 第一に、美濃部都知事は、過去八年間のように、スマイルをふりまき続けることはできなくなるであろう。反対に、行く先々で、美濃部都知事は、彼自身がふりまいた幻想と無責任な公約の手痛い復讐を受ける時期を迎えることになるであろう。美濃部都知事をもう一期やらせたかったという皮肉な主張は、こういう判断にもとづいているのである。 例えば、保育所へ行けば、都の予算がゼロで、すでに募集したひとびとの保育すら責任が持てないという保育所や母親にその激しい非難を美濃部都知事は浴びることになるであろう。先生やPTAの会合へ出れば、高校九校新設の約束をしておきながらゼロとは何事だと、激昂した父兄が美濃部都知事の背信行為を弾劾するであろう。地震でも襲おうものなら、防災対策費十六分の一というような無責任なやり方に怒りが爆発するであろう。 無料化の恩恵に浴したひとびとも、タダの有難さをいずれ忘れるときがくる。そうするとタダは当り前となり、そのうえ一層大きな施しを要求して切りがなくなるであろう。住宅は一戸も建たず、街路樹は予算ゼロで荒れ果て、三多摩格差は解消することがないであろう。あれだけの大騒ぎをしながら、僅か二百万円の予算しかなかった杉並清掃工場建設予定地の地元民たちは、美濃部都知事の対語行政の欺瞞を今度こそはっきりと思い知らされるであろう。 財政を合理化するために、人件費に手をつけようものなら、おひざもとの社共両党や労働組合から猛烈な反対の火の手が上り、ストの頻発で、都政は麻痺状態になるであろう。 私は、昭和五十年度骨格予算の分厚い書類を執務室で読んでいた美濃部都知事の脳裡に、こうした恐るべき悪夢がよぎったことを信じて疑わない。この「悪夢からの逃避」こそが、衝動的な美濃部辞任劇の最大の心理的動機であると私は推測しているのである。 いずれにせよ、幻想とともに始まった美濃部都政は、幻想の崩壊とともに滅びる。昭和四十年代に大流行した「革新自治体」への雪崩現象の時代はいま、昭和四十年代の終りとともに終焉するのである。新しい昭和五十年代は「革新白治体」の崩壊の雪崩現象とともに開幕し、新しい都市の蘇生の時代となることであろう。昭和四十年代の「革新自治体」の悲喜劇的な経験から、国民がなにを学ぶことができるか−−そこから、新しい都市の再生の展望が拓かれてくることであろう。 その新しい時代は、経済成長の悪口を言いながら、そのおこぼれにあずかるというような偽善の時代であってはならない。 その新しい時代は、エゴと甘えの時代ではなく、自立と連帯の時代でなければならない。その新しい都市の再生の時代でなければならない。 美濃部都政と「革新白治体」のもとで、都市は破産し、都市は死に瀕している。美濃部都政と「革新自治体」が崩壊し、死滅した地平から、新しい日本の夜明けがほんとうに始まるのではないだろうか。 福祉のマイナス副作用 福祉の見直しへ 長洲一二神奈川県知事は、去る十日、軽井沢で開かれていた日本生産性本部主催のセミナーで講演し、「従来の革新自治体がとってきた何でもタダ≠ニいう福祉行政の基本的なものの考え方は、改めなければならない。このまま住民の言いなりになると、老人医療の無料化で全国の病院は老人であふれ、乳幼児の医療無料化で全国の小児科病院はパンクしてしまう」と、これまで東京都など革新自治体のとってきた安易な行政姿勢を鋭く批判した。 「地域社会と企業」と題されたこの講演のなかで、長洲知事は「革新自治体はこれまで高度成長を批判しながら、この高度成長の恩恵を受けて福祉政策を行なってきたが、もはやこのような時代は終った」と指摘したのち「革新自治体といえども、いったい住民の要求通り何でも全部やるのが福祉か」と問題を提起し、「このまま進むと道路の工事だけにとどまらず、家庭内のふとんのあげおろし、朝晩の料理をつくる作業まで全部、革新自治体がやらなければならなくなる」と、福祉行政について、これまで革新自治体がとってきた安易な何でもタダ≠ニいう考え方からの脱却の必要性を強調した。 これに続いて、飛鳥田一雄横浜市長も十三日からの全国革新首長会などで「低成長時代の福祉行政見直し論」を展開、「老人にバスの無料パスを出した。善政だ≠ニかっさいを浴びたが、バスに乗ってみると若いものが座席を占め、お年寄りは吊り革につかまってよろめいている。これでは福祉のマンガ≠ニしか言えない」「タダにするだけの論理しかなければ民衆の無責任と怠惰をうむだけだ」、バラマキ福祉が「これまで思いつきや人気とりのために行われてきたきらいはなかったか」などと、革新自治体の総反省を訴えた。もっとも、この飛鳥田発言に対しては革新首長会内部から相当激しい反発があり、そのため飛鳥田氏は会長を辞任したいとまで言った一幕があったと伝えられているし、長洲発言に対しても、共産党は知事選のとき結んだ政策協定に違反すると早速、噛みついているという。 愚かな福祉信仰 しかし、私は先に引用した長洲・飛鳥田発言は、その限りにおいて、勇気ある、正論だと高く評価しており、この両氏が革新自治体内部の硬直化したイデオロギーやエゴや組織的圧力を排して、断固としてこの方向での発想の転換を促進し、その問題認識をさらに深化されるよう要望したいと思う。問題は一地方自治体や一党一派の利害を越えた、人間と社会にとっての根本問題であり、現在見られるような福祉についての誤れる考え方の拡大は、日本人の心を蝕み、日本の将来を危くするものと憂慮されるからである。 保守であると革新であるとを問わず――そして私はもともと保守・革新の二分法とその用語法は、全く有害無益なものと考えているが――現在、すべての日本人が福祉のあり方について基本的に認識しておかなければならない、極めて重要で原則的なことがひとつある。それは、繁栄や豊かさに、資源の枯渇、産業・生活廃棄物の増大による汚染や環境破壊、物質的欲望の肥大化、自制心の喪失、使い捨ての生活様式の普及による人間の精神生活の荒廃などの大きな代償やマイナスの副作用があるのと同様に、実は福祉にもまた重大なマイナスの副作用があるという冷厳な事実を、決して見落としてはならないということである。だが、人間社会にとって無視することのできない、恐るべき破壊力を持つ、この福祉のマイナスの副作用については、豊かさのマイナスの副作用についてほど国民に十分認識されているとは言い難いのである。福祉を無条件に歓迎さるべき善としか考えないような単純な「福祉信仰」は、かつての「GNP信仰」と同じように、否それ以上に一面的で、愚劣な誤りを犯しているものといわなければならない。 蝕む人間関係 福祉のマイナスの副作用として、私はさしあたり三つのことだけを指摘しておいたい。その第一は、経済的合理性を全く無視した何でもタダ℃ョの福祉は、資源の驚くべき浪費を産むであろうといことである。かつて美濃部都知事が赤字を無視して家庭用水道料金をタダにしたいと発言して、例によって人気取り政策をぶち上げたとき、ある都民はそれならこれからは高い電気料を払って冷房などせずに、夏中屋根から水を流しっ放しにして冷やすことにしようと言ってのけたものだ。ところがこの話を聞いたある革新系住民運動のリーダーは、家庭用の電気代もまたシビル・ミニマムを保証するためには本来タダであるべきものなのだと平然と言ってのけたという。いったいかれらは、このコストをだれが負担し、そこから生ずる資源の途方もない浪費にどう対処するつもりなのであろうか。 第二の福祉のマイナスの副作用として、われわれは、安かろう悪かろう≠ニいうプロセスを通って行政サービスの質の低下と、その結果産み出される新しい社会的不公正の重大さを指摘しておかなければんらない。このことは東京都立高校の授業料が月僅か八百円、私立高校平均授業料の十五分の一に低く据え置かれているにもかかわらず、教育の質の低下から多くの受験生と父兄が都立高校を敬遠するようになり、今年は受験棄権者と入学辞退者が二万一千余人に達し、入学者の合計が定員を三千五百人も下回ってしまった事実に、端的に示されていると言えよう。父兄や生徒たちはあえて高いコストを払ってでも、少しでも教育の質のましな私立高校へ流れているのである。 福祉のマイナスの副作用の第三として、われわれは人間の自立精神の衰弱と依存心の途方もない増大、家族的人間関係の崩壊など、人間精神の内面、人間関係の最も深い部分を蝕む恐るべき副作用を指摘しておかなければならない。そしてこれこそ福祉のマイナスの副作用のうちでも最も恐るべき破壊力を持つものであると私は考える。先に引用した飛鳥田発言のなかの福祉のマンガ≠フ話は、実はまさしく革新自治体の誤れる福祉がもたらした人間の道徳的退廃と家族的人間関係の崩壊の必然的帰結にほかならない。 年老いた親を大切にする義務と責任は、まずだれよりもその子供たちにこそあるのであって、国家や地方自治体にあるのでは断じてない。親不孝な若者をなくすこと、身勝手でエゴの塊のようんすさんだ心の人間をなくすこと、自立精神の確立と家庭の再建こそが、実は最善の社会福祉なのだということを、われわれは決して忘れてはならないであろう。 (50・7・23) 戦後「革新」の思想的破産 見抜かれてきた本音 「革新政党」「革新自治体」「革新団体」「革新勢力」などと、戦後、あまりにも乱用され続けてきた「革新」という言葉の真の意味はいったい何だったのであろうか――われわれは今一度この言葉の意味をクールに問い直してみる必要がありそうである。「革新政党」が分裂と昏迷を深め、「革新自治体」が総崩れのときを向かえつつある現在、その実体をあるがままに見つめてみることは、過ぎ去りつつある時代への総決算としても、新しい時代への展望を持つ上でも不可欠のことのように思われる。 戦後、「革新」とは、(1)平和主義、(2)民主主義、(3)進歩主義の少なくとも三つをその思想的前提とするものであると言われ続けてきた。だが、戦後史が一時代の終りを迎えつつある現在、多くの国民はこの一見美しいたてまえが、しばしばそれとは全く正反対の醜いほんねと結びついていたことを次第に見抜き始めており、言葉とそれに対応する実体とがあまりにもかけ離れてしまっていたことに、いまさらのように異様な驚きを感じ始めているようである。 あらためて言うまでもなく、人間とは言葉を操作する動物である。人間は決して常に辞書の定義通りに言葉を使用しているものでもない。極端な場合、言葉はそれが通常意味するものとは反対の意味に用いられることすら珍しくない。例えば、男女関係で「キライ」という言葉が「スキ」という意味を持ったり、社会関係で「正義」という言葉が恐るべき「邪悪」な行為の正当化に臆面もなく利用されたりするが如くである。よく考えてみると、「革新」という言葉は、実は戦後社会におけるこうした言葉の組織的、系統的乱用、誤用、倒錯の新しい、しかも著しい例のひとつであったように思われるのである。 たてまえとほんね、言葉と実体との関係を直視してみると、実は、戦後「革新」はこれとは全く正反対の思考的前提に立脚し続けていたのではなかったか。不思議と言えば誠に不思議なことではあるが、その事実は覆いかかすべくもないのである。簡単に先の三つの前提について吟味してみよう。 第一の平和主義について言うならば、「革新」とは、平和のスローガンのもとでその実は、最も好戦的、闘争至上主義的、軍国主義的な思想と心情を一貫して堅持し続けてきた奇妙な集団であり、勢力であったと言わざるを得ない。 戦争が終った昭和二十年八月十五日以降現在に至るまでの間に、戦争用語、戦闘用語を最も愛用し続け、平和な戦後社会のなかのあらゆる場面に争いを持ち込み、一貫して戦争を継続してきたのは、実はほかならぬ「革新」勢力であったようである。「昔陸軍、今総評」という台詞(せりふ)は誰が最初に言い出したのか判らないが、それは単にその横暴さや横車という点のみについてではなく、陸軍が闘い続けてきた戦争を、戦後は総評をはじめとする「革新」が継承し、闘い続けてきたという意味でもそうだったのである。 ただし、戦前の陸軍は敵を国外に求め、ソトと戦ったのに対し、戦後の総評や革新は敵を国内に求め、三十年間内戦を闘い続けてきたといことになる。陸軍の聖戦史観は、革新の階級闘争史観に衣替えをしただけで、人間の攻撃性への発散という動物学的要素はやや屈折しつつもそのままに「革新」のなかに継承されてきたのである。 これを冗談や皮肉と思う人は、例えば今年度の日教組の運動方針を一読してみるとよいであろう。そこには、「闘争」「たたかう」「攻撃」「反撃」「粉砕」「奪還」「かちとる」「勝利」「敗北」などという戦闘用語が、異常なほどの頻繁さで繰り返され、これが果たして平和を心から愛している教師の組織なのか、それとも軍事組織なのか、わが眼を疑わせるばかりなのである。「容器はそれが空っぽなときほど大きな音をたてる」と言ったのはジョン・ジュウェルであったが、いずれにせよ、この異常なまでの戦闘用語の氾濫は日教組の実体が平和団体ではなく、好戦的、軍国主義的、戦闘団体であることを雄弁に示している。この異常な戦闘用語の氾濫に驚いた名越二荒之助教授(月曜評論、七月三日号)が、日教組運動方針全文六万二千語(四百字詰原稿用紙一五六枚)のなかにいったい「闘」と「たたかう」という語が何回使用されているのかを一日がかりで計算されたところ、なんと四百三十六ヶ所、原稿用紙一枚に平均二・八ヶ所の割合で出て来たと言う。この戦闘用語の氾濫は、「軍の主とする所は戦闘なり」で始まる戦前の日本陸軍の「作戦要務令」の場合の七倍近く、ヒトラーの『わが闘争』、ゲッペルスの『勝利の日記』を遙に上回る異常な頻度数だと言う。 破産したイデオロギー このような実体を見れば、明らかに日教組をはじめ「革新」団体は平和団体ではなく、好戦団体であり、軍国主義団体である。ただし、その戦闘目標が国内の敵に限定され、内戦専門となっているがゆえに、逆に国外の脅威や敵に対しては全く無防備になり、内戦を有利にするためか国外の危険な全体主義勢力を同盟軍とみなしたりして国益を損なうという異常さを伴うものである。こうした軍国主義組織の教え子たちが成田や中近東の戦場に勇んで出かけていったとしても何の不思議もないであろう。 第一の平和主義のスローガンが好戦的性格のカムフラージュにすぎなかったように、第二の民主主義のスローガンについてもそれは反民主主義的、全体主義的本質のカムフラージュにすぎず、第三の進歩主義のスローガンについてもそれは反動主義性格のカムフラージュに過ぎないものであった。例えば、日教組は議会の民主主義的手続きを経て決定された主任制度を実力で粉砕するとしてこれに従おうとせず、他方、日教組の方針に反対する教師には、集団的、心理的圧力を掛け、つるしあげや村八分に狂奔したりしている。それは民主主義とは縁もゆかりもないものであり、全体主義的、ファッショ的性格と断ずるほかはないのである。歴史の進歩の方向についても、共産主義や社会主義を進歩の方向と見誤っているようではどうしようもないであろう。いずれにせよ今やわれわれはたてまえの美辞麗句によってではなく、そのほんねと実体によって物事を判断し、破産したイデオロギーに明確な終止符を打たなければならないときをむかえているのである。 (53・9・5) 英国病≠フ予防プログラムを 四つの社会病理症状 英国病の症状として一般に指摘されているものには、およそ次の四つの社会病理症状があると言ってよいであろう。 その第一は、経済の停滞症状でる。生産性、設備投資、成長率、技術進歩率、国際競争力などがいずれも低下し、経済活動は沈滞し、活力を失う。第二の症状は、財政破綻症状で、国家財政は、三〜四割を越える租税負担率にもかかわらず、膨張し続ける経費をまかなうことができず赤字状態になり、破綻していく。第三の書状は慢性ストライキ症状で、労働組合はいわば国家のなかの国家≠フ状態を呈するに至り、要求実現のための争議が年中行事のように繰り返される。第四の症状は政局不安定症状で、絶えざる政権交代と不安定な政治基盤のゆえに、強力な政治的リーダーシップが発揮できず、長期に至る政策の連続性、一貫性が確保できないために、対外的にも対内的にも国家としての自己決定能力を喪失してしまう。 ところで、高度成長を通じて日本が西欧先進国水準に追いつくとともに、上記の四つの症状もまた日本社会に急速に拡大してくることとなった。昭和四十八年の石油ショック以降の不況の長期化と経済活動の沈滞、国債依存度が三割を越えるという財政状態、国鉄、健保、食管会計、地方財政の赤字、交通ストの慢性化、政局の不安定などはいずれも先の英国病の諸症状に酷似している。 病気にかかった場合に一番悪いのは、病気であることをほとんど自覚しないことである。極端な場合、病気の状態を正常な状態と錯覚してしまうようなことさえ起る。例えば、スト慣れ≠キることが先進国の条件であるかのように主張したり、成長は悪で、経済成長がストップすることが理想状態だというような発想のなかには、すでにして病気を病気と感じないどの衰弱がしばしば見受けられる。 病理メカニズムの解明 病気にかかった場合に、次によくない対応は、的確な診断もせずに、単なる思いつきや目先だけの速効性の対症療法で対処しようとすることである。熱が出るにはそれなりの理由、因果関係があるからであって、その因果関係のメカニズムを無視して、熱だけをいきなりさげようとすれば、かえって悪い結果を招くこともあろう。これと同様なことは、社会にもあるのであって、ただやたらに物価だけを凍結すればよいとか、違法ストに妥協して、一時的にスト回避をすればよいというようなものではないのである。精確な診断と処方箋が必要なことは、社会の病気の場合にもあてはまる。名医は患者にあえて一時的苦痛を強いなければならないときもあるし、「良薬は口に苦し」なのである。 さて、日本が英国病におちいることを予防するためには、どういう対策とプログラムが必要なのであろうか。このことを明らかにするためには、英国病の症状を表面的に知るだけでは全く不十分であって、これらの症状を惹起するメカニズムの解明こそが要求される。そして、私のみるところ、このメカニズムは、大要次のようなものであったと思われる。 先進工業国英国は、早くから豊かな社会に変化し、福祉国家化の道を■ってきたが、そん過程で次のような一種の逆説的メカニズムが作用した。それは、@医療、年金、教育、住宅など公共サービスの量的拡大→A公共財依存心の増大、自立精神の衰弱→B自由競争原理の後退と自立自助の努力の低下、エゴの拡大→C公共財に一層の拡大→D国家財政の膨張、租税負担率の高騰→E高度累進所得税、高い法人税→F勤労意欲、創意工夫の低下、投資意欲、生産性向上のインセンティブの低下→G経済の停滞、生産性の低下→H歳出・歳入のアンバランスによる財政破綻→I社会的責任間の衰退と社会的統合の崩壊、政局不安定という悪循環のメカニズムである。そして、大衆民主主義のもとでの政治が、もしも目先だけの有権者の人気取りに終始ずると、こうした悪循環のメカニズムが急速に形成されてくることとなる。 目先の人気取りはやめよ 日本経済が先進国水準に到達した現在、最も重要なことは、こうした悪循環のメカニズムの発生を慎重に回避するような政策的、制度的選択を行うことであろう。与党も野党も、有権者の人気取りのために際限のない公共財拡大コンクールを続けるという従来の惰性を改めなければならない。 いまこそ政治が真剣に配慮しなければならないことは、長期的に日本社会の活力と健全な人間関係、社会的モラルを損なわないような公共財の提供の仕方とその限界をはっきりとさせることであり公共支出の膨張傾向に徐々に歯止めをかけていくことである。 先進諸国は全体として、これまでのような国家財政包丁の傾向に終止符を打ち、逆にチープ・ガバメント志向に財政の軌道を修正していかなければならない。それによって、自由民主主義社会における自立自助の精神の衰弱を防止し、社会的モラルと連帯心の崩壊を阻止しなければならない。 国家財政への過度の依存に代って、われわれが今後しっかりとした見直しをしていかなければならないのは、企業、職場における家族的人間関係の再建、強化、労使協調の推進、企業防衛を主軸とする生活防衛、企業福祉中心の日本型福祉の維持・強化であろう。 「低成長時代にあってはますます労組の社会的責任が増大している」として、「最悪の場合は来春闘の賃上げは消費者物価上昇率分だけでも止むを得ない」という新ミニマム論≠打ち出した鉄鋼労連の運動方針などをはじめとして、労働組合の社会的責任≠ノ対する自覚の高まりは、このような方向での国民的合意形成の動きがすでに着実に進行しつつあることを示している。 この際、政府も経営者も、短期的な考慮から仕事の機会を失った大量の年金生活者群を作り出すような選択をすることなく、終身雇用制、企業別組合の特色をむしろ活用して、定年を延長し、雇用機会を確保し、人間味ある企業、職場中心の分権的な自立と連帯、相互扶助の仕組みを助長していくようその長期総合判断を誤らないようにしてもらいたいものと思う。 (52・9・17) http://www.glocom.ac.jp/proj/kouyama/all/A_folder/A78_12_08/A78_12_08m.htm#05
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