1スウェーデン・モデルの行方


発行:第一勧業銀行

編集:第一勧銀総合研究所

調査リポート

2000 10 25 日発行No.8

福祉国家の経済再構築と

スウェーデン・モデルの行方要旨

1.スウェーデンは高度な社会福祉国家としての印象が強いが、1930 年以降、独自の経済・

社会政策を世界に先駆けて導入し、「経済・社会の実験室」としても世界に注目され

てきた。この背景にあったのが「スウェーデン・モデル」と呼ばれる同国独自の経済・

社会運営方式であり、「完全雇用と福祉の充実」と「経済の効率性」を同時に求める

という、一見矛盾した目標を持つものであった。

2. スウェーデン経済は、このモデルの下、1970 年代前半まで順調に成長したが、オイル

ショックを契機に減速し始めた。「寛大すぎる」社会福祉政策による公共部門の膨張

や強い労働組合が産む高い人件費負担などに起因する財政赤字の拡大や、賃金格差の

極端な縮小による労働意欲の減退など、多くの解決すべき課題が浮上してきた。これ

に対し政府が経済政策として打ち出した通貨切り下げと総需要拡大策は失敗に終わり、

1980 年代前半までには政府債務残高も対GDP 比70 %を占めるまでに悪化した。

3. 1982 年、スウェーデンは、「第三の道」と呼ばれる積極拡大策と緊縮策の混合ともい

うべき独自の経済運営策を採用し、生産の拡大・社会福祉の充実・長期的雇用の安定

と、国際収支の赤字縮小・インフレの抑制、の同時確保を目指した。この結果、一時

的ではあるが経常収支・財政収支は黒字に転じた。

4. 一方、1980 年代に入り段階的に進められてきた金融規制の緩和を背景に株価や不動産

価格が急騰し、1980 年代後半にいわゆる「バブル」が発生した。この後急拡大したバ

ブルが崩壊した1990 年初頭、スウェーデン経済は大恐慌以来のリセッションに突入、

バブル期の好景気で一時的に黒字転換した財政も再び赤字に転落した。

5. 深刻な経済・金融危機を脱するため、政府はまず経済危機克服のためのパッケージを

発表し、経営危機に陥った銀行救済のための公的資金投入策を迅速に実施した。さら

に政府は大規模な政策の発動や改革を次々に行った。具体的には、@インフレ・ターゲ

ティングの導入、A限界税率の引き下げなどの税制改革、B財政赤字克服のための(i)

予算のシーリング制度導入、(ii)財政赤字削減法の制定、(iii )EMU 加盟に向けての

収斂基準達成も視野に入れたコンバージェンス・プログラムの設定、C社会福祉関連

では(i)高齢者福祉政策の改革、(ii)大規模な公的年金改革、などである。

6. 経済・金融危機をきっかけに、より根本的な問題である構造問題の解決に着手したス

ウェーデンは、1998 年にふたたび財政の黒字転換に成功、現在各種経済指標も安定し

た動きを示している。今後は、実質経済成長率の伸びに比して改善が進まない失業率

や、相変わらず「大きな」政府に対する国民負担の縮小、が課題となってこよう。

7. 1970 年以降、スウェーデン・モデルは何度も「崩壊」が囁かれたが、時代の変遷と共に

修正を加えながら何とか機能してきた。数々の新たな政策の導入や改革によって経

済・金融危機を乗り越えた「新しい」スウェーデン・モデルは、矛盾を孕むと言われた

その目標を実現するために、より現実的なモデルとなったと言えよう。

2000 10 20 日 国際調査部 辻 敦子)目次

. はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1

. スウェーデン・モデルの特徴と問題点・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2

(1) スウェーデン・モデルの特徴・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2

(2) スウェーデン・モデルの問題点・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2

a. 普遍主義的社会福祉政策に関連して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3

b. 労働市場政策に関連して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3

c. 国際競争力の低下懸念・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4

. 1980 年代までのスウェーデン経済とその経済・財政政策・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4

(1) 1960 年代までのスウェーデン経済の歩み・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4

(2) オイルショック以降の経済減速・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4

(3) 膨張する財政赤字と赤字削減努力・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5

(4) 財政の黒字転換と経済バランスの悪化・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6

. 1990 年代以降の経済と新しい試み・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6

(1) バブル経済の崩壊と金融危機・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6

(2) 財政黒字への歩み・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7

. 1990 年代の主な政策と改革:・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8

(1) 公的資金投入による金融危機の克服・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8

a. 危機の背景・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8

b. 政府主導による銀行救済策・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8

c. 具体的支援方針と金融機関救済・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9

d. 金融機関救済策への評価・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・10

(2) 金融為替運営とインフレ・ターゲティングの導入・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・10

(3) 税制改革による限界税率の引き下げ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・11

(4) 財政関連改革・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・12

a. 財政支出削減のためのシーリング制度の導入・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・12

b. 財政赤字削減法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・13

c. 財政健全化策・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・13

(5) 社会福祉関連改革・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・13

a. 高齢者福祉政策の改革(エーデル改革)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・14

b. 公的年金改革・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・15

. 改革の成果とその評価・課題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・17

(1) 改革の成果: マクロ経済のパフォーマンスから・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・17

(2) 改革の評価・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・17

. 終わりに: スウェーデン・モデルの行方・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・18.1

1.はじめに

国土面積約440,000 q、人口約886 万人。スウェーデンでは、日本の面積の約1.2 倍の

広さの国土に、日本の人口の15 分の1 に満たない人間が暮らしている1 。このような人口

1 千万人にも満たない小国であるにも拘わらず、スウェーデンが世界中から常に注目され

てきたのは、世界一の福祉国家という理由だけでは無い。

1930 年以降、スウェーデンは独自の経済・社会政策を世界に先駆けて導入することによ

って数々の困難を克服、高い生活水準と低い失業率、高度な福祉国家を達成すると同時に、

多数の国際的企業を生み出してきた。30 年代初頭に導入されたケインズ的不況対策2 、後に

日本もモデルとして参考にした「2 階建て」年金制度3 、高い女性の就業率と低い男女賃金

格差の達成、等々、スウェーデンにおいて試みられた数々の経済・社会政策が自国にも適

用可能かどうか、他の先進諸国は非常な興味を持って注目してきた。スウェーデンが「経

済・社会の大きな実験室4 」と言われる所以はここにある。これら経済・社会政策の背景と

なったのは、「スウェーデン・モデル」と呼ばれる、普遍的5 福祉政策と完全雇用を2 つの

柱とするこの国の社会・経済運営方式であった。

しかし、このモデルのもとで発展を続けたスウェーデン経済は、70 年代になると翳りを

見せ始める。70 年から80 年初頭にかけ、2 度のオイル・ショックを契機に経済成長率は急

速に鈍化し始め、失業率は拡大、財政収支・経常収支は大幅な赤字に陥り、インフレは高

進した。スウェーデン・モデルの揺らぎが囁かれ始め、70 年に世界4 位だった一人当たり

GDP も80 年には8 位まで後退(図表1 )した。82 年、政府は当時の英国のサッチャリズ

ムに代表される改革路線とは異なる「第三の道」と呼ばれる政策を選択、一時的には高い

インフレ率と失業率は鎮静化したかに見えたが、80 年代後半の経済バブルの発生と崩壊に

より、90 年代初頭には29 年以来といわれる経済・金融危機にみまわれ、大規模な景気後退

に直面した。

その後、スウェーデンは再びドラスティックな税制改革、年金改革などを始めとする改

革/政策を推進したことにより、94 年以降の同国経済は全般的に改善し好調な成長を記録

している。98 年には懸案の財政収支の黒字転換にも成功した(図表2 )。これら同国が90

年代に実行した数々の政策や経験からは、金融危機、高齢化社会への対応など共通する問

題に直面した日本が解決の糸口を見出すことができるかもしれないのである。

本稿では、90 年初頭の深刻な経済・金融危機を中心に据え、その前後のスウェーデンの

経済・社会政策の変遷を見つつ、スウェーデン・モデルの行方を展望してみたい。

1 スウェーデンは2000 1 月末現在、日本は1999 11 月末現在の数字。

2 ケインズが公共事業の拡大による不況・失業対策を発表した1936 年よりも前だったことから、「ケイ

ンズ以前のケインズ政策」と呼ばれる。

3 基礎年金+現役時代の報酬に比例した年金、のこと。

4 arge (ull-scaleeconomic and social laboratoryAssar Lindbeck(1997)

5 全国民に等しく適用される、という意味。2

2.スウェーデン・モデルの特徴と問題点

30 年代頃にその原形が創られ、40 年代に確立したと言われる「スウェーデン・モデル」

とはどういうシステムだったのか。以下その主な特徴および問題点を挙げてみよう:

(1)スウェーデン・モデルの特徴

まず第1 は、社会保障をはじめとする福祉政策が、全国民に対して普遍的に、すなわち

すべての国民に対し所得による格差を設けることなく等しく、行われていることである。

第2 は、完全雇用を維持することが重要な政策とされ、その柱として「積極的労働市場

政策(ALMP 、“Active Labor Market Policy ”)」を採用したことである。この政策は、失業

者に手厚い失業手当を給付するだけでなく、できるだけ短期間のうちに失業者が再就職す

るのを助け、長期失業者の増加を防ぐこと、また同時に、斜陽産業から発展産業への人的

移動を促進し、雇用のミスマッチを調整し産業の発展に寄与することを目的とした。具体

的には、政府の全国的な雇用情報を用いて求職と求人をできるだけマッチングさせるほか、

再訓練事業、あるいは臨時の公共事業や民間部門での労働者採用そのものに対して補助金

等を出すことにより労働者を失業から救い上げた6

第3 は、民間企業と自由市場という市場経済原理を基本としながらも、そこから生まれ

る果実を社会保障、雇用の維持などの形で国民に広く再配分する役割を政府が積極的に担

うという、独自の「混合経済システム」を採っていることである。中でも特に公的部門の

占める比率は高く、政府の介入の度合いが大きい。

4 は、労使の関係が平和的・協調的でストライキなどの紛争が少いことである。労働

側も経営者側も大きな組織を持っており7 、労使間の問題は、労使の民主的交渉によって解

決されることが多い。賃金交渉も、従来よりこれらの組織の中央レベルで行われる「中央

賃金交渉」で決定されるシステムをとってきた。その賃金政策の基本は、企業の生産性や

利益率に関係無く同一労働(同一職種)同一賃金を原則とする「連帯的賃金政策」と呼ば

れ、賃金格差を小さくすること、および労働組合間の連帯強化をはかることがその目的であ

った。

このように、スウェーデン・モデルが究極の目標としたのは、その実現を阻むインフレ

や効率性の欠如の克服を常に課題としながら、市場経済原理の土俵の上で、完全雇用と平

等を達成することであった。

(2)スウェーデン・モデルの問題点

しかし70 年以降、スウェーデン経済の国際化や世界経済環境の変化に伴い、当初のモデ

6 一方、失業給付の受給には厳しい試験を受けることを条件とし、職業訓練への参加や就職を拒否すると

受給が停止される等の受給資格制限も設けた。

7 雇用者の連合体であるSAF(Swedish Employers Confederation)と労働組合の連合LO(Swedish

Confederation of Trade Unions)を指す。3

ル自体が時代の変遷に合わない部分も多々生じてきた。

a.普遍主義的社会福祉政策に関連して

全ての国民に対し普遍的な社会福祉政策を基本とするスウェーデンの「寛容すぎる」福

祉は、政府支出の急速な拡大(図表3 4)と、その財源である税負担の増加(図表5 )を招き、

「高福祉・高負担」というスウェーデンの象徴とも言うべき現象をもたらした。充実した

年金、手厚い失業手当や疾病保障、児童手当、親の直接費用負担がほとんど不要な教育等々

は、これら福祉政策を支える重い税負担、社会保障への拠出金として国民の肩にのしかか

った。こうした現象は国民の勤労意欲を削いだだけでなく、貯蓄をして自ら将来に備える、

というインセンティブを阻害してしまう(図表6 )。また一方で、公的部門8 に働く人々が

国民の約3 分の1 以上を占めること(図表7 )、年金生活者、傷病手当受給者等、公的支出

に依存して生活している人が増大したこと等で、ますます税金や社会保障支出の拠出金な

どの国民負担が重くなっている。更に、公的支出の恩恵を受ける人々が増えれば増えるほ

ど、現状の福祉コストの削減は難しくなる。

b.労働市場政策に関連して

次に、「産業民主主義のジレンマ9 」と呼ばれる問題がある。スウェーデンは、政府が完

全雇用の維持を展望していること、全国レベルの強力な労働組合組織が存在することなど

から、労働生産性を上回る賃金上昇率を記録していた(図表8 )。これが物価水準を押し上

げ(図表9 )、輸入の増加による経常収支の悪化を招いただけでなく、公的部門に働く人々

の人件費などの負担も大きく、財政赤字拡大の要因となった。

また、前述の連帯的賃金政策は、職種毎の合理的賃金水準設定のための評価システムの

構築が難しく、労働組合は中央賃金交渉を通じて低賃金層の底上げを行うことで、労働市

場全体の賃金格差を縮小しようとした。すなわち、労組は賃金の「連帯性」を極端に進め、

一つの職種内の賃金格差縮小に留まらず、異なる職種、異なる能力の間の賃金格差をも縮

小しようとしたのである。この結果、熟練労働者と未熟練労働者の賃金格差が極端に小さ

くなり(60 年代54 %→80 年代25 %)、これが労働者の訓練意欲、ひいては労働意欲その

ものさえも削ぐこととなった。さらにスウェーデンの極度に累進的な所得税制は、手取り

額の格差をさらに縮小させ、労働意欲減退に一層の拍車をかけることとなった。

8 一般に「公的部門」といった場合、@政府のみ、A政府および政府の商業的活動、B政府および政府の

商業的活動と国・地方自治体が所有する会社(公営企業)、の3 つの定義が挙げられるが、スウェーデ

ンでは、@を公的部門の定義としている。さらに「政府」とは、(i)「国」そのもの、(ii)「県」や「市」

などの地方自治体、(iii)社会保険部門を指す。従って、スウェーデンの公的部門は、日本における計算

方法と比較するとやや狭い範囲を指すと言える。

9 「強い労働組合→過大な賃上げ率→物価上昇→賃金コスト高騰→企業の国際競争力弱体化→経常収支悪

化および経済成長率低下」といったつながりを指す。4

c.国際競争力の低下懸念

また通常高福祉国家は、社会保障、労働、住宅、環境等にかかるコストが高く、よほど

生産性が高くないと、その国より福祉レベルが低い国々とのコスト面での競争に勝つこと

が難しい、という問題がある。スウェーデンのような輸出貿易立国の場合、国際競争力の

低下は経常収支の悪化や通貨安を招くなど、そのまま経済の悪化につながり、破綻をきた

す恐れがある。しかも、経済のグローバル化の進展に伴い、もはや一国が他の多くの国と

の関係を無視して全く違う政策を追及することは極めて困難であり、95 年のEU 加盟以降、

この傾向はますます強くなっている。

3.80 年代までのスウェーデン経済とその経済・財政政策

それでは、実際のスウェーデン経済がどのような変化をたどってきたのか、その時々に

採られた種々の政策を含め、時代を追って見てみよう。

(1)60 年代までのスウェーデン経済の歩み

かつて労働人口の7 割を農業従事者が占める典型的な農業国であったスウェーデンは、

20 世紀初頭から半ばまでの比較的短期間のうちに工業国家へと転身を遂げた。貿易面でも、

豊富な森林資源や鉄鉱石などの原材料輸出国から、20 世紀初頭からノーベルをはじめとす

る発明家が次々に開発した新たな技術を基に、今日の森林産業や機械・船舶を中心とする

体制へと発展した。現在スウェーデンを代表する企業の多くが産声をあげたのもこの頃の

ことである10

この間の大きな危機、29 年の世界大恐慌は大規模な財政支出による公共事業の拡大によ

って切り抜けることに成功した。32 年には社会民主労働党(以下社民党)が半世紀に及ぶ

政権をスタートさせ、低い失業率、安定した物価、強い国際競争力、安定した経済成長を

実現させていった。更に、第一次・第二次いずれの世界大戦にも参戦せず中立を維持した

スウェーデンは、平和のうちに社会資本の充実が進み、破壊された他の欧州諸国の復興需

要もあいまって50 60 年代に高度成長を遂げることができた。このような豊かな経済を背

景に、充実した社会福祉制度の建設が始まった。

(2)70 年代〜80 年代前半:オイルショック以降の経済減速

70 年まで順調に成長したスウェーデン経済にも、第一次オイルショックを境に転機が訪

れた。石油価格の上昇により、石油輸入国である同国の経常収支は悪化した。

ところが、この状況に対し政府はインフレ抑制政策をとるのではなく、内需拡大のため

の財政支出を拡大することで完全雇用政策の維持に努めた。これにより、失業率の上昇は

抑えられたものの(図表10 )、賃金コストの上昇と社会保障負担の拡大に加え、積極的労

10 世界一のベアリング・メーカー「SKF 」(1907 年)、欧州最大の家電メーカー「エレクトロラクス」(1910

年)、自動車の「ボルボ」(1927 年)など。5

働市場政策を維持しようとしたことから大幅な労働コストの上昇を招き、これが輸出製品

価格に反映されたことで、更に国際競争力を失うことになった。

第二次オイルショック後も、80 年代前半に経常収支の赤字が大幅に増加したが、政府は

経済のプラス成長実現のため、第一次オイルショック時同様積極的な財政政策による需要

創出を推進した。この結果、財政支出は拡大を続け80 年にはGDP の6 割を占めるまでに

至り、インフレは加速した。それと同時に、この公共支出を賄うために対外債務も急拡大

した(図表11 )。

結局、74 年から84 年までの間の平均経済成長率は1.3 %と、直前の10 年間より約2 パー

セント・ポイントも低下した。この間経済低迷を背景に社民党は政権を失い保守・中道連立

政権がスタートしていたが、76 年、77 年の2 度にわたるスウェーデン・クローナ切り下げ

による通貨防衛と総需要拡大政策を中心とする経済政策は失敗に終わり、政府は81 年、更

なる通貨切り下げを余儀なくされた。この通貨切り下げの繰り返しは輸入物価の高騰によ

るインフレを招き、経済不安定の大きな要因となった。

(3)80 年代前半:膨張する財政赤字と赤字削減努力

80 年代初頭、スウェーデン経済は、高いインフレ率と財政赤字の拡大に悩まされていた

(図表12 )。政府の財政赤字は82 年にはGDP の7 %にまでのぼり、70 年後半から80

初頭にかけて急拡大した政府債務は、84 年にはGDP の62 %を占めるまでに至った(図表

13 )。

82 年、再び政権に復帰した社民党は、従来の、雇用を創出するケインズ的リフレーショ

ン政策でもなく、供給面を重視するサッチャー的政策でもない、「第三の道」と呼ばれる、

積極拡大策と緊縮策の混合ともいうべき独自の経済運営策を採用した。具体的には@81

10 %)に続く82 年(16 %)の通貨切り下げ(輸出競争力の回復を通じた経済活性化と国

際収支の改善、および資本の国外流出の阻止を狙ったもの)、A82 10 月から83 2

までの物価凍結と賃金上昇抑制(通貨切り下げがもたらす輸入インフレの抑制が目的)、

B財政赤字削減のための各種増税(財産・相続・贈与に対する課税の強化、配当課税優遇

制度の廃止、付加価値税の引き上げ等)C失業保険基金負担金の引き上げ――等を実行す

る一方、D失業保険日額の引き上げ、基礎年金額の物価スライド制の回復、E児童への補

助金増額等で社会福祉給付の拡充を図り、またF民間事業の活性化、雇用創造につながる

政府関連支出を拡大し、それ以外の政府支出を抑制する、といったものであった。すなわ

ち、生産の拡大・社会福祉の充実・長期的雇用の安定と、国際収支の赤字縮小・インフレ

の抑制・をすべて同時に確保しよう、というのがその狙いであった。

この結果、82 年から86 年までの間の世界経済の回復も追い風となってスウェーデン経済

は回復に転じ、84 年には一時的にではあったが10 年ぶりに経常収支が黒字に転じ、87

には財政収支も黒字に転じた。6

(4)80 年代後半:財政の黒字転換と経済バランスの悪化

80 年代に入り、政府は国内の各種規制をEC (当時)に調和させる目的で金融の規制緩和

を進め、85 年に従来銀行に課されていた貸出金利規制および貸出量規制を自由化した。こ

れに税制上の恩典11 があいまって実質金利が大きく低下したことを背景に、民間部門の借入

は急増し、折りからのオフィスや住宅建設ブームも手伝って不動産を中心とする投資や個

人消費に向かい、企業部門、個人部門で負債が急増した。また、物価・賃金は再び急激に

上昇し不動産価格や株価が急騰した。いわゆる「バブル」の発生である。さらに政府が89

年に外為市場規制を完全撤廃するまで外国為替管理を行っていたことから、海外に出るこ

とのできない資金はもっぱら国内に向けられ、バブルを煽る形となった。

一方87 年からの4 年間、好調な景気と赤字削減努力によって財政は黒字に転換し、政府

債務も減少した。もっとも政府は黒字維持のための明確な政策を持たず、もっぱら財政政

策による完全雇用の維持とインフレのコントロールに注力していた。88 年を過ぎると消費

ブームは一巡し、賃金コスト上昇によるインフレ懸念が台頭した結果、消費マインドの低

下により個人消費は急速に冷え込み、国内経済が大きく減速した。1889 年予算時には、社

民党政権が付加価値税の引き上げ等の財政改善策を提案してみたものの、他党の充分な支

持が得られず、限定的な引き締め政策を通過させるに止まらざるを得なかった。

80 年代後半の好景気を背景とする輸入の急速な拡大から、86 年に一端黒字に転換した経

常収支は再び赤字に陥り、90 年にピークに達した。また景気の過熱によって失業率は低い

レベルで安定していたものの、需要が高まる一方で生産性の向上は低く、さらに勤労意欲の

低下が労働需給の逼迫を助長し、賃金コストインフレが表面化してきた。同時に輸出産業

の競争力は再び低下、市場シェアの縮小と収益の圧迫を余儀なくされた。

4.90 年代以降の経済と新しい試み

(1)90 年から93 年まで:バブル経済の崩壊と金融危機

90 年初頭、バブルはついに崩壊した。世界経済の減速もあり、スウェーデン経済はリセ

ッションに突入し、主要金融機関の経営が危機に陥るなど29 年の大恐慌以来最悪の経済・

金融危機を迎えた。

政府は90 91 年に税制改革を実施し、所得税・法人税の限界税率の大幅引き下げを行う

一方、支払金利の所得控除を含む税控除措置を廃止した。この結果、所得税は引き下げら

れたものの借入コストは上昇し、個人消費も活性化しなかった。

これに対し同年、一連の経済危機の影響で議席数を減らした責任をとって辞任した社民

党カールソン首相に代わり政権についた保守・中道政権は、社民党との合意のもとに92

9 月「経済危機克服のためのパッケージI 」および「II 」(図表14 )を相次いで発表した。

その内容は、「通貨不安の責任は政府の経済政策の失敗にあり、早急に財政赤字を解消す

11 当時スウェーデンでは、銀行からの借入に対する支払金利は所得控除の対象となっており、高い限界

税率と高インフレの下で実質マイナス金利での借入が可能な人が多く存在した。7

べき」とした中銀総裁の批判に応えたかたちで、財政支出削減と増税による財政の改善を

意図したものであった。12

急速なインフレの進展の中で同年5 月にはクローナをECU にペッグさせる等の政策を

採ったことが効を奏し、インフレ率は90 年の10.4 %から92 年には2.6 %へと鎮静化したも

のの、経済の後退に伴うスウェーデン・クローナへの信用失墜が通貨価値の低下圧力とな

った。更に、92 9 月の欧州通貨危機の勃発に際し、スウェーデン中銀は通貨防衛のため

貸出金利を一時500 %まで上昇させることによって一時的には通貨価値を維持したものの、

クローナの海外流出は止まらず、同年11 月ついにスウェーデンは変動相場制に移行した。

一方、多くの企業の倒産と不動産価格の下落による担保不足から銀行を中心とする金融

機関で不良債権が激増し、金融危機が生じた。政府はこの危機克服のため、92 年から93

年にかけて、総額653 億クローナに上る公的資金を投入することになった。

これら数々のマイナス要因が重なり、91 年から93 年には実質経済成長率はマイナスを記

録、失業率は90 2 %から93 年には8 %にまで悪化した。景気の後退と失業率の高騰によ

り失業手当受給者数は増加し、政府の財政支出は急速に拡大、一方で雇用者の減少などか

ら歳入も減少した。

さらに金融危機による銀行救済に使われた多額な支出のため、財政収支は急速に悪化し、

91 年再び赤字に転落した。赤字幅も91 年のGDP 比1.1 %から93 年には11.8 %に、また政

府債務も90 年のGDP 比42.1 %から93 年には73.4 %にまで急激に拡大した。

こうした危機を背景に、従来の財政政策や財政制度の持続性に対する懸念が広がり、93

年には、財政政策の焦点がついに「経済刺激および完全雇用の維持」から、「赤字の削減」

と、「政府債務を安定化させることにより財政を管理可能なところまで戻すこと」へと移

ることとなった。

(2)94 年以降の経済:財政黒字への歩み

94 7 月、にスウェーデン最大の生保社長の発言13 をきっかけに国債の利回りが一挙に

0.5 %上昇した後、8 月には、政権復帰が確実視されていた社民党の選挙公約における財政

支出削減策が充分でなかったとして更に利回りが上昇し、クローナは大幅に下落した。

しかし、こうした経済・財政危機を背景に、94 年の総選挙では国民全体に「危機感」が

浸透した。どの政党も財政赤字削減と経済回復をその目標に掲げ、常に財政支出増加に繋

がるような新しい公約を掲げてきた過去の選挙とは明らかに雰囲気が異なった。

94 年後半、3 年振りに政権に復帰した社民党は、財政赤字削減法、財政健全化策や福祉

財政縮減策を打ち出す一方、予算の編成プロセスの見直しを行い、また「世紀の改革」と

いわれた年金改革も行うなど、従来のスウェーデンモデルに修正を加える形で後世に繋が

12 「スウェーデンの経済」早稲田大学出版部。

13 「政治家が真剣に財政赤字削減に着手すると確信できない限り、スウェーデン国債を買わない」とい

う内容の発言。8

るような政策/改革を実施して行った。

スウェーデン経済は、クローナの対欧州通貨安を背景とする輸出増加を皮切りに生産が

回復し、個人消費や住宅関連の設備投資の伸びが景気を牽引、欧州諸国の景気回復も反映

して堅調な回復を示すに至った。これを受けて財政収支も好転し、98 年にはついに黒字に

転換した。また失業率は、93 年のピーク時に9.6 %だったものが99 年に5.6 %までに低下し

ている。

5.90 年代の主な政策と改革:

(1)公的資金投入による金融危機の克服

a.危機の背景

90 年代初頭、北欧諸国(スウェーデン、ノルウェー、フィンランド)の主要商業銀行は

いずれも深刻な経営危機にみまわれた。

スウェーデンでは、80 年代の貸出金利や貸出量の自由化といった金融規制の緩和に伴い、

好景気を背景に銀行貸出が拡大し14 、ストックホルム都市圏の商業地の不動産価格が10

に膨れ上がるなど資産価格の高騰を招いた。

しかしその後の景気の後退に伴うバブルの崩壊により、不動産価格の暴落と企業倒産が

増加し、銀行に巨額の不良債権が発生した15

特に資産規模国内第2 位のノルドバンケン(Nordbanken)は、同行筆頭株主の経営する企業群

(同行主要貸出先の1 つ)が91 8 月に倒産したことにより巨額の貸倒損失が発生し、急

速に業績が悪化、政府は準国営銀行16 である同行の株式買い増しを行った。また最大の貯蓄

銀行であるフェルシュタ貯蓄銀行(Forsta Sparbanken)も貸倒損失の処理により債務超過にな

ったことを発表、更に92 年には、国内第5 位のゴータバンク(Gota Bank)も翌年債務超過に

陥る懸念が表面化し、政府が全株式を買収するなど、スウェーデンは多くの銀行を巻き込

む金融システム危機に陥り、政府の果断な対応が求められることになった。

b.政府主導による銀行救済策

90 年代初頭のスウェーデン金融市場は6 大商業銀行グループ(図表15 )による寡占状態

にあり、もともと国内金融機関の数が少なかった上、問題金融機関の数も限られていた。

このため、政府は当初問題金融機関への資本注入や、当該金融機関が資金調達する際に政

府保障を付すといった個別の対策を実施した。しかし、ゴータバンクの経営危機が続くに

至り、さらに抜本的な対策が必要となった政府は、92 9 月に「スウェーデンの銀行免許

14 ピークの1988 年には増加率が30 %を超えた。

15 6 大商業銀行のうち、最も多額の資金投入がなされたノルドバンケンとゴーダバンクにおいて、それ

ぞれ670 億クローナ、390 億クローナ、と、この2 行だけでGDP の7.3 %に上る不良債権が生じた。

16 総発行株式の70 %を政府が保有していた。9

を持つ全銀行の債務17 を政府が保障する」旨の発表を行い、同年12 月には「金融システム

強化策」が議会で承認された。

93 5 月には「金融機関支援委員会(BSA Bank Support Authority )」が設立され大蔵省

から救済業務を引き継いだ(図表16 )。BSA は、経営の悪化した銀行に対する出資を行っ

たほか、特別債権回収銀行(Bad Bank)を設立して銀行の不良債権を分離・移管しつつ、優良

資産の部分を銀行に残して存続させるといった施策を行った。

c.具体的支援方針と金融機関救済

「金融システム強化策」は、政府が経営回復の見込みがあると看做した金融機関が業務

を継続できるようにすることを主な目的とし18 、その金融機関支援の原則を@支援にかかる

政府の財政支出は最小限に抑えること、すなわち支援費用は極力回収し、最終的には被支

援金融機関が負担すること、A支援措置は、支援対象金融機関に対し不当に有利にならな

いよう、中立かつ商業ベースで行うこと、B当該支援は特殊な状況下での一時的措置であ

り、金融システムの安定性と債権者の権利が危険にさらすことなく終了できるようになっ

た時点で終了すること、等が盛り込まれていた19

6 大商業銀行グループに対しても、これら原則に基づき、それぞれのケースに合った対策

がとられた。政府の対策は、大きく分けると次の3 つに分類される:

@ スカンジナビスカ・エンスキルダバンケン(Skandinaviska Enskilda Banken )とスベンス

カ・ハンデルスバンケン(Svenska Handelsbanken)については、政府の支援を受けずに新

株発行による増資を行って独力で危機を乗り切った。

A フォーレニングス銀行(Foreningsbanken)は、株式発行時に自己資本比率保証の形で支援

を受けたが、資本基盤の強化により、結果として保証の発動はせずに済んだ。スウェッ

ドバンク(Swedbank)も同様に新株発行時、部分的に政府の支援を受けた20

B ノルドバンケン、ゴータバンクについては、その経営難の深刻度から、多額の公的資

金投入を伴う本格的な国の支援を受けた。両行は株式買収と資本注入によって100 %国

有化された後、各々のために創設されたBad Bank 「セキュラム(Securum)」と「レトリ

ーバ(Retriva)」に不良債権を分離・移管した上、93 年に合併して新ノルドバンケンと

なった21

一連の金融危機対策に要した政府の公的資金投入総額は、最終的に653 億スウェーデン・

17 株式と永久社債は除く。

18 回復の見込みの薄い金融機関については、再建の支援を行うか清算するかを決定することとした。

19 「外国の立法203 」国立国会図書館調査及び立法調査局1998

20 フォーレニングス銀行は「協同組合銀行の銀行」、スウェッドバンクは「貯蓄銀行の銀行」と呼ばれ、

それぞれ中央機関としての業務を行う一方、独自の資格で商業銀行業務も行っており、法的にも商業銀

行として扱われた。

21 「セキュラム」と「レトリーバ」も合併した。10

クローナ(約8,800 億円)に上った(政府保証を含めた支援額は881 億スウェーデン・クロ

ーナ(約1.2 兆円))22 が、このうち98 %が前出のノルドバンケンとゴータバンクへの支援

に投入された。この金額は、当時のGDP の4.3 %、また92/93 会計年度における財政支出

11.5 %にも上るものであった(図表17 )。

新ノルドバンケンは、その後徹底したリストラと合理化で業績を回復し、再民営化に着

手した(政府保有株式の34.5 %を市中に売却(95 10 月)、同行による株式買い戻し償却

96 年9 月))。さらに97 年、フィンランドのメリタバンク(Merita Bank)との合併で北欧

最大級の金融機関となった際、政府は株式持分の一部を売却、新銀行の25.7 %の株主とな

った23

また「セキュラム」と「レトリーバ」の不良債権回収には目覚ましいものがあり、設立

から5 年後の97 年、その役割を終えて清算された際には、同行に投下された278 億クロー

ナのうち、178 億クローナを政府に返還することができた。

政府は、98 7 月の時点で、前述の一連の保有株式売却(114 億クローナ)、株主配当

収入(56 億クローナ)、「セキュラム」(合併前の「レトリーバ」を含む)の清算(178

億クローナ)に加え、保有株式の時価評価額(322 億クローナ)を合計すると、公的資金投

入額を上回る額の回収に成功したと見られている24

d.金融機関救済策への評価

このスウェーデンの経験は、バブルの発生と崩壊といった経済状況や金融緩和政策等危

機に至った背景や、不良債権の急増に伴う大手主要銀行の経営危機とそれによる銀行の信

用失墜、不良債権処理機関の設置と公的資金の投入等、日本の不良債権問題/金融システ

ム危機と共通する部分が多くある。スウェーデンの金融危機はほぼ2 年で収束したが、そ

の成功の背景には、@危機が表面化してからその対応策の策定、そしてその実行に至るプ

ロセスが迅速であったこと、A各銀行に対する支援額は、銀行側の各種データを提出させ

た上で、支援する政府側で決定したという透明性があったこと、Bこの危機を解決するこ

とが、政治的にも社会的にも最重要課題であることを国民に対して明らかにし理解を求め

たこと、などがあった。

(2)金融為替政策運営とインフレ・ターゲティングの導入

外的要因に影響を受けやすい貿易立国である小国スウェーデン経済にとって、通貨の強

弱が輸出競争力に与える影響は非常に大きく、為替レートは特に重要な要因である。この

ため、自国通貨を他国通貨のバスケットに連動させるペッグ制を採用し、77 年にはクロー

22 1993 年当時の為替レートによる。

23 さらに、この新銀行メリタ・ノルドバンケン(Merita Nordbanken)は、デンマークのウニダンマルク

Unidenmark )との合併を発表、政府のシェアは18.1 %となる見込み(2000 3 月現在)。

24 JCIF 「トピックスレポート」(1998 8 月)。11

ナを主要貿易相手国15 カ国の通貨バスケットに、また91 年からはECU に連動させ、間

接的に物価の安定を図ろうとした。しかし92 年の通貨危機に際し、スウェーデンは前述の

とおりクローナの防衛に失敗し変動相場制に移行することとなったため、為替相場に重点

を置いた金融政策運営は機能しなくなった。一方、インフレについては、財政政策による

需要創出を続ける中でコントロールを試みたが、結局経済のオーバーヒートが生じ、イン

フレ上昇圧力を抑えることができなかった。

そこでスウェーデン中銀は、インフレ管理には限られた効果しか無かった従来の政策に

代わり、93 年にインフレ・ターゲティングを導入し、金融政策への信頼の獲得と強化を図っ

た。それと同時に、4 半期毎に2 年先までのインフレについての見通しを発表することで

金融政策運営の透明性を確保し、その裁量範囲にある程度の枠を設定した。

同国の具体的なインフレ目標値は、99 1 月に施行された新しい中央銀行法により独立

性が強化された中銀が決定するが、現状、消費者物価指数から変動の激しい品目を除いた、

いわゆる「コアCPI 」の前年比に対し、「2 ±1 」%としている。25

(3)税制改革による限界税率の引き下げ

スウェーデンの旧税制は、その制度に内在する複雑性・不公平性などから、労働意欲や

貯蓄インセンティブを阻害するなど、数々の問題点を抱えるものであった。具体的には、

@個人・法人共に高い税率が課されており、そこに税源が集中する形になっていたこと、

A多くの例外・免税措置や抜け穴26 が存在していたこと、B勤労所得や貯蓄に対して高税率

が課されていたため、特定の低税率の投資商品等に資金が流入したこと、また非課税であ

るフリンジ・ベネフィットが肥大したこと、などである。これらの問題を是正すべく、政府

は、91 年から92 年にかけて全面的に27 税制の見直しを行った。

その柱は、所得税・法人税の税率の大幅な引き下げである。これにより、個人の勤労所

得に対する最高限界税率は、89 年の73 28 から51 %(国の所得税20 %+地方税31 %(全

国平均))へと引き下げられ、しかも国民全体の8 割を占める年間収入18 万クローナ(約

400 万円29 )以下の人々は、国の所得税が免除となり、地方税のみの負担となった30 。法人

税についても、57 %から30 31 に引き下げられた。

また政府は同時に、@利子・配当所得とキャピタル・ゲインに勤労所得とは別に一律30

25 日本銀行調査月報2000 6 月号。

26 例えば、前出の支払金利に対する所得控除を用い、多額の借金に対する支払金利を所得から差し引い

て高税率の適用を避け、借入金は低税率資産(住宅等)や免税機関へ投資する、といった、急角度の累

進課税に対する抜け穴的行為が実際に行われていた。

27 富裕税を除く。

28 1980 年代初頭には85 %であった。

29 1991 年現在の為替レートによる。

30 1999 年現在、219,300 360,000 クローナの所得に対して20 %、360,000 クローナを超える所得に対

して25 %の国の所得税がかかる(所得税の最高税率が25 %に引き上げられた)。

31 2000 5 月現在、28 %に引き下げられている。12

を課し、キャピタル・ロスの所得控除は限定的なものとする、A不動産所得に対する付加価

値税の増額、B賃貸・居住権所有、持ち家の評価額に対して課される財産税の導入、C支

払金利の税額控除の制限、D各種会社経費等の税控除縮小、などによるタックス・ベース

の拡大を行った(図表18 )。

本改革により、政府は所得税を低く抑えて国民の重税感を和らげる一方、減税による税

収減を上記@〜Dで埋めることで政府の税収は確保しようとした。また、収入が最も低い

レベルの国民は、改革以前も所得税を支払っておらず、この改正で間接税の負担が増える

だけになるため、児童手当を引き上げるなどの救済策も導入した。

この税制改革における「税負担の再分配(“Redistribution of the tax burden”)」は全体でGD

P の6 %にも及び、「世紀の税制改革(“Tax Reform of the Century”)」と呼ばれた32

(4)財政関連改革

94 年9 月の政権復帰以降、社民党は財政赤字削減に向けて様々な方策を採った。その主

なものが次の3 つの取り組みである:

a.財政支出削減のためのシーリング制度の導入

スウェーデンの財政収支改善に大きく寄与したと評価を得ているのが、97 年度予算に導

入された、3 年間の税年度にわたる財政支出に上限=シーリングを置く制度 (“Rolling

three-year spending ceilings”)である。

まず当該予算年度とその次の2 年間、計3 年分の財政支出全体のシーリングおよび27

分野各々にシーリングを定めた。新たな財政支出シーリングは、常に3 年先のものを決定

して行くが、その際に既に決定されている最初の2 年間のシーリングは基本的に変更しな

いこととした。もし当該年度のある支出項目が予定支出額を超過した場合、同年度の類似

支出項目か翌年度もしくは翌々年度の当該支出項目からその超過額分を削除しなければな

らない、というルールである。

具体的には、まず議会が、政府の最終予算案提出の3 ヶ月前までに3 年分の合計支出レ

ベルを定めた法案を通す。政府はこのレベルに見合うような予算案を提出し、これを受け

て議会は27 の各支出項目に分配していくのである。従来、議会の支出は政府の提出した予

算案を超過するのが常であったが、この制度の導入によりこれを防ぎ、財政支出の拡大を

抑制するのに大きく貢献した。

この制度の大きな特徴は、まず、@アメリカの同様の制度(90 年予算合意など)が裁量

的支出だけを対象としているのに対し、スウェーデンのシーリング制度は、社会保障支出

など既定の義務的支出も対象としており、より歳出抑制力が強いこと、さらに、A複数年

32 各国がしばしば税制改革の参考にしている米国の1986 年の税制改革でも、GDP の1 〜2 %の規模で

あった。13

の歳出制限制を敷き、既に設定されている翌2 年間のシーリングは変更不可とし、3 年目

のシーリングのみを新たに設定していくことで、財政状況が予測より改善しても、改善分

をあらたな歳出の増加に充当することが困難な点である。これは特にスウェーデンの財政

が黒字に転換した後に重要な意味を持ってくるため、将来を見据えた決定だったと言える。

b.財政赤字削減法

94 9 月に政権に復帰した社民党は、同年11 月に財政再建計画を発表、多方面にわたる

社会保障関係費の削減を盛り込んだ「財政赤字削減法」を成立させた。年金の物価スライ

ド幅の抑制等の歳出削減策、医療保険の保険料率引き上げ、特定分野での増税等の歳入増加

策が主な内容である。

さらに、95/96 年度予算では、医療保険の自己負担引き上げ、疾病手当の給付率見直し、

児童手当や失業手当、年金給付の切下げなどの歳出削減が上積みされた。

c.財政健全化策

95 1 月にEU 加盟を果たしたスウェーデンは、同年6 月、EMU 加盟のための収斂基

準達成に向けたコンバージェンス・プログラムを設定した。この中で、財政健全化に向け

た目標として、@96 年までに政府債務の対GDP 比率を安定させる、A97 年までに財政赤

字をGDP 比▲3 %以内に収める、B98 年に財政収支を均衡させる、の3 項目が盛り込まれ

た。この財政健全化策は議会で圧倒的多数の賛成を得、大半は財政支出削減により、それ

以外は増税によって実現するとした。

更に、96 4 月には、追加財政堅実化プログラムや、財政支出削減のためのシーリング

制度の導入(前述)等の施策を打ち出した。これに経済の堅調な成長もあって、財政赤字

は改善し、98 年には景気拡大に伴う税収の伸びを反映して、わずか3 年での財政の黒字転

換に寄与した。

(5)社会福祉関連改革

80 年後半の先進諸国では、国民の高齢化、経済の低成長による財政赤字の拡大により、

社会保障財政の逼迫が起こり、社会福祉関連支出の削減/抑制を目的とする改革を行う動

きが共通の現象としてみられた。スウェーデンでも、傷病保険33 ・失業保険34 などの社会保

障給付の給付率引き下げが行われたが、これ以外にも以下の2 つの大きな改革が行われた。

33 労働者の病気、けがによる欠勤に寛容な所得保障を行い、スウェーデンの高い欠勤率と短い年間労働

時間の背景の一つであったが、1991 年には待機日(給付を認められない日数)が導入され、給付水準

についても90 %から1996 年には75 %に引き下げられた。その結果、欠勤率は大幅に低下したものの、

これを原因にさらに10 万人分の職が減り、失業保険の給付が増えるという皮肉な結果を産んだと言わ

れている。

34 5 日間の待機日が導入され、さらに給付率が90 %から75 %に引き下げられた。14

a.高齢者福祉政策の改革(エーデル改革)

92 1 月より導入された一連の高齢者福祉政策は、これを審議した政府委員会

Adredelegation (老人委員会)」の下線部分をとって「エーデル改革(Adelreformen)」と呼

ばれる。社会の高齢化が進み80 歳以上の「後期高齢者」が増加すると、痴呆症や病気・障

害などを持つ高齢者の増加により、医療費が増大し医療財政を圧迫する。このような老人

医療費の急増を防ぎ、高齢者ケアの質の向上と効率化、さらにはコストダウンを同時に実

現することを目的に行われたのが、本改革である。

エーデル改革で導入された主な施策は以下のとおりである。

(a)高齢者医療と福祉の総合化

従来スウェーデンでは、高齢者の「医療」は「県」の担当、「福祉サービス」は「コミ

ューン35 」の担当、と分けられてきた。しかしこの境界線のあいまいさが時に問題を引き起

こしたため、まず高齢者と障害者への福祉サービスを全面的にコミューンに移管、次いで

県が担当してきた高齢者の在宅看護サービスと長期療養ケアもコミューンに移した。これ

により、長期療養ケア、在宅看護、初期医療がコミューンの管轄下で一元化された。

(b)重点施策の転換による医療コスト削減

上記を受け、県からは看護助手、ケースワーカー、理学療法士、作業療法士などのうち、

老人医療を担当していた職員約5 万人がコミューンへ異動した。また、老人医療担当の医

師は県に残ったが、その「医療」と「治療」の権限の一部が看護婦へ委譲され、看護婦が

職務権限の拡大により初期医療も行えるようになったため、より総合的な医療福祉サービ

スが可能となった。「医療」から「福祉」へ、「治療」から「予防」へ、また「入院・施設

介護」から「在宅介護・看護」へと政府の重点施策を移すことによって、政府の医療コス

ト削減が実現し、より多くの人がより安いコストで安全に医療サービスが受けられること

になった。

(c)基礎自治体レベルへの権限と財源の分権化

高齢者医療と福祉サービスの総合化推進のため、(a)で述べたサービスの分権化と同時に、

財政の責任もコミューンに委譲された。90 年代初頭、治療が終了したにも拘わらず、住居

(老人ホームや介護付住居)が提供されないためにやむなく病棟に入院し続けている「社

会的入院者」の増加が問題となっていた。病院は県の運営であるため、コミューンが、介

護ヘルパーや住居の不足を理由に安易に高齢者を病院に入院させ、費用は県に負担させる、

という現象が多く見られたのである。しかし、財政責任の分権が行われ、「社会的入院」

の費用支払いもコミューンの負担となったことで、コミューンは治療終了後の患者の生活

35 1970 年初頭に行われた市町村合併以降の基礎自治体を指す。15

の場として、各種老人ホームや痴呆性老人用グループホームなどの住居施設の建設を急ぐ

ようになった。

エーデル改革では、高齢者の医療費削減という経済合理性の追求と同時に、高齢者に対

する福祉の質の向上も図られている。「高齢者の自己負担が増える」、「未だ医療領域と

福祉領域の境界が不明確」等の課題が残るものの、特に介護付き住宅の増加によって社会

的入院者を減らし(図表19 )、スウェーデン型福祉の理念ともいうべき「ノーマライゼー

ション36 」の実現を支えていることが評価されている。

b.公的年金改革

60 年に導入されたスウェーデンの旧公的年金制度は、基礎年金に加えて現役時代の所得

に比例した付加年金が上乗せされる「2 階建て」構造で、日本の現行の年金制度のモデル

にもなったものである。政府は、細かい見直しや「年金委員会」設置など、新しい制度へ

の検討を進めてきたが、94 1 月、与野党の代表者から成るワーキング・グループが91

より検討を重ねていた老齢年金改革法案がまとまり、99 1 月、実施に至った。

(a)改革の背景

この大規模な改革の背景には、大きく分けて3 つの要因がある。まず、@旧制度が所得

再分配の観点から公平性に欠けるものであったこと。またA旧制度は、物価スライド制の

みが適用されていた結果、年金受給者と現役世代の間の受益にゆがみが生じたこと、そし

てB財政が苦しくなったという問題、である。

まず@の公平性に欠けた問題についてであるが、これは旧制度の付加年金の給付額が「15

年ルール」と呼ばれる方式がとられていたことに起因する。このルールは、受給者が所得

を受けていた期間の中でもっとも所得の高かった15 年間を抽出し、これを15 で除して得

られた数字を用いるというものであった。この方式をとった場合、たとえ生涯賃金が同じ

だとしても、ブルーカラーに代表される「キャリアは長いが生涯比較的フラットな賃金体

系」の人は、ホワイトカラーに代表される「年功的に徐々に上がっていく賃金体系、ある

いはアップダウンのある賃金体系」の人に対し、保険料に対して受け取る年金額が少くな

る。この同世代間に起こり得る不公平は、本来期待される所得再分配とは逆の効果である

と言える。また、保険料には上限が無いにも拘わらず、付加年金は給付額に上限が付いて

いる。これでは働くことへのインセンティブが湧いてこない。これが新制度では、後述の

とおり生涯を通しての所得を基に算出されるようになった。

Aの要因は、旧制度に組み込まれていた物価スライドについてである。多くの国の年金

36 1982 年施行「社会サービス法」第一条に表わされた人間性追求の理念。具体的には「個人が(高齢・

障害・要介護等に拘わらず)できる限り通常の環境の中で生活を続けられるようにすること」を指す。

スウェーデンの福祉政策は常にこのノーマライゼーションの理念の上に成り立っているといえる。16

制度では、経済成長の度合いに応じて年金保険料や給付水準がフレキシブルに上下するよ

う賃金スライド制が適用されているが、旧制度には物価スライドだけでこれが無かった。

このため、年金給付額は将来ずっと相対的水準が固定された形になる。一方、保険料の方

は賃金の多寡を通じて経済成長に対応しているため、経済が好調な時、その成果(現役世

代の賃金上昇による保険料増加)が年金受給者へ渡らず、逆に不況時には年金受給者の生

活水準が現役世代より良くなる、という現象が起った。60 年に旧制度が創られた際、将来

の経済成長は最悪でも年率3 %との見込みで計算されたが、先進国経済が低成長時代に入

った現在、スウェーデン経済が将来にわたって3 %の伸びをコンスタントに実現できると

は考えにくい。また、平均寿命が伸び続ける中経済の低成長が続けば、旧制度を維持して

いくには、現在所得の18 %となっている年金保険料を30 %程度にまで引き上げなければな

らないという試算もあり、将来の世代の負担を著しく増加させることになる。

さらにBの高齢化を背景とする財政悪化の問題がある。付加年金が60 年に導入されて以

来積み立てられてきた年金基金は90 年代にGDP の約40 %になったが、ベビーブーム世代

が年金受給者となり国民の5 人に一人が受給者になるとみられる2020 年までには、これが

枯渇してしまうのではないかという見方もある。また同時に、80 年には16.4 %であった老

齢化率が2020 年には20 %を超える見込みであり(図表20 )、世代間の不公平感も増幅さ

れることとなる。

(b)改革の概要と特徴

スウェーデンの公的年金制度は、日本と違い、全国民を対象とする単一の制度である。

本改革ではまず、従来「基礎年金」と所得比例型の「付加年金」の「2 階建て」であった公

的年金の給付構造を、所得比例年金(以下、「老齢年金」)一本の「1 階建て」に変えた。

しかし、基礎年金に代わり、所得調査を行ったうえで給付する「保障基礎年金」を設置す

ることにより、すべての高齢者に最低所得を保障した。

次の変更点は、付加年金を「確定給付型」から「確定拠出型」に変えたことである。最

初に給付を定め、それを達成するために保険料を決める従来の「税金方式」では、被保険

者当人ではなく国や企業がリスクを負う構造になっていた。これに対し、新しい「保険方

式」では、拠出型を採ることでまず各人の負担額が決められ、その運用成果によって給付

額が決まることになる。

さらに、この年金の保険料を経済成長率を勘案する賦課方式で運用される部分(16 )

と、個人が積み立て方式で運用する部分(2.5 )に明確に分けたこと、がある。賦課部分は

現在の年金受給者の年金原資に、積み立て部分は金融市場に投資・運用される。これによ

り、各世代毎の生涯年金受給総額は各世代が支払った保険料の運用実績によって決まるこ

とになるため、各世代の受給額は平均寿命によって異なり、世代間の公平感が保たれること

となった。また経済効果的に見ると、他国に比べ低レベルの貯蓄率引き上げは政府の課題

の一つであったが、この積み立て方式の導入により、実質的に国民に「強制的貯蓄」をさ17

せる効果が生まれた(新旧制度の比較:図表21 )。

(c)改革の意義

このスウェーデンの年金制度改革は、「高齢化リスクは将来(=そのリスクが実現した

時点)の現役世代が負うべき」という従来の考え方から「リスクの大部分は、『将来の年

金受給者本人』が、『働いている期間』に負うべきであり、将来の現役世代や、年金受給

開始後の個人が負うべきではない」という考え方への転換が根底にある。また本改革は、

新制度の透明性、効率性という特徴のみならず、国民に働くインセンティブを失わせず、

経済の好不調や平均寿命の変化に対応可能なシステムと、「リスクを他の世代に転嫁しな

い」という個人間・世代間の公平性を保つ理念に基づいている点で、画期的な改革と言え

る。また確定給付型から確定拠出型への移行で、その移行時期に親の世代のコストと新制度

を立ち上げるためのコストの両方を負担することになる世代にかかる重荷(burden )と金融

リスク(financial risk)に尻込みする国が多い中で、スウェーデンのこのドラスティックな改

革実行への決断は高く評価すべきであろう。

6.改革の成果とその評価・課題

(1)改革の成果: マクロ経済のパフォーマンス

99 年のスウェーデンの実質経済成長率は、拡大する個人消費に支えられ、3.8 %の伸びを

記録した。2000 年はさらにこれを上回る4.4 %の成長が見込まれ37 、政府の目標である4

の達成はほぼ確実と見られている。

民間部門の賃金の上昇も安定しており、他のEU 諸国の平均をやや上回る程度で、イン

フレ率も、99 年初頭以来のスウェーデン・クローナの対ユーロ高を背景に他のEU 諸国を

下回るレベルに落ち着いており、今後も低いレベルでの推移が見込まれている。

財政も98 年に黒字転換した後、好調な景気を背景に歳入が伸びていることからGDP 比

2 %の黒字を維持している。政府債務の残高も順調に減少し、97 年末にはGDP 比76.1

を記録していた一般政府債務残高は99 年末には同65.5 %にまで低下、政府の見通しでは

2000 年末にはさらに57.5 %まで低下すると見ている。2000 5 月、スウェーデンは総額550

億クローナの国債の期限前償還を発表したが、前述の政府債務の減少とあいまって国債の

利回りが急低下、ドイツ国債の利回りを初めて下回るまでに至った。この国債利回りの低

下は、同国のマクロ経済政策が「信頼できるものであった証拠」と看做されている。

(2)改革の評価と今後の課題

30 年代以降、経済の後退や失業率の悪化といった事態が起こるたび、スウェーデンは財

37 OECD 2000 5 月現在の見通し。18

政を出動させ景気の刺激と雇用の維持に努めてきたが、90 年初頭の経済・金融危機をきっ

かけに、より根本的な問題である構造問題の解決に着手、危機を脱することができた。 この

間実行された諸政策/改革の中でも、バブル経済の崩壊による深刻な金融危機を克服した

金融システム再構築、高齢者福祉の分野で地方財政の効率化に成功したエーデル改革、そ

して高齢化と経済変動への対応を目指した公的年金改革の3 つは国際的にも特に高い評価

を得ている(図表22 )。

公的資金の大量投入による金融危機克服策が成功したのは、比較的小国であることもあ

って、不況と失業の深刻さや現制度の欠陥・問題点といったものが広く国民に認識された

こと、さらにそれらに対する危機感が共有され、早急にこの状態から脱しなければならな

いという国民的合意が形成されたことにあったと言える。また一方で、政府が問題の深刻

さや財政の悪化状況を国民に明確に伝える姿勢や政策決定の透明性が、金融機関救済のた

めの公的資金投入に対する国民の反対を説得する上で大きく貢献したものと思われる。

今後の最大の課題は、94 年から実質経済成長率の伸び率に比して改善が進まない失業率

の問題であろう。スウェーデンでは、60 年代から「大きな政府」を背景に不況時の失業者

の吸い上げに公共部門の雇用が重要な役割を果たしてきたが、財政再建の一環で公共部門

はもはやこの役割を果たせなくなっている。またEMU 加入条件をクリアするための財政

赤字削減とインフレ抑制に力点を置いた取り組みが優先されてきた結果、雇用政策が後手

に回ったとの見方もある。引き続き賃金格差が乏しい労働市場に残る労働意欲の減退の解

決を含め、労働市場の構造改革は避けて通れない課題だと思われる。

また、IMF はスウェーデンに対して減税が必要とし、「政府債務の削減は現在の計画

以上のスピードで進める必要は無いと思われるため、今後スウェーデンは財政黒字のすべ

てを減税に回すべき」と提言している。この背景には、政府の財政支出が対GDP 比大幅

に削減されたにも拘わらず、依然として政府が経済に大きな役割を果たし得るのは国民の

種々の税金がこれを支えているからであり、このことは国民の労働・貯蓄・投資に対する

インセンティブを削ぐ原因となる、との懸念がある。

7.終わりに: スウェーデン・モデルの行方

70 年以降、徐々に「崩壊」の声が聞かれるようになってからも、スウェーデン・モデルは

時代の変遷とともに、都度若干の修正を加えながら機能してきた。1870 年から約1 世紀に

わたった豊かな経済が「伝統的」スウェーデン・モデルを生み出す土壌となったが、その

副産物とも言うべき@手厚い失業手当や低い所得格差による労働インセンティブの阻害、

A公的部門の規模と支出の膨張、B重い負担による企業の弱体化、に加え、C強い労働組

合に起因する産業民主主義のジレンマ、等はすでに限界に達しつつあり、変わって行かざ

るを得なくなったことがその背景にあった。

スウェーデン政府は、その2000 年度予算案の中で、90 年代の経済危機が完全に終結した

ことを宣言した。更に、国民へのメッセージとして、「公平な分配というベースの上に、19

経済成長、雇用、健全な発展への安定的なルール作りを行い、更には社会福祉とその財源

を保障する」ため、将来的には更に税制改革を行うことが必要となることを明らかにして

おり、これに支持を呼びかけた。また同時に、「完全雇用政策に対するでき得る限りの支

援を行っていく」ことを約束している。ここからは、同国が前述のような課題を充分認識

しつつ、福祉の無駄を無くし、寛容過ぎる基準を見直すことによって福祉の効率化を実現

し、高い福祉の「質」を維持して行くという強い意志が読み取れる。

90 年代、数々の改革によって深刻な経済・金融危機を乗り越えた新しいスウェーデン・

モデルは、残る課題に挑みつつ、「質の高い福祉実現」のために必要な「強い財政基盤」

の確保、そして「強い財政基盤」を支える基礎となる「安定した経済成長」の持続的実現

を目指している。

以 上

【参考文献】

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November, 1999

OECD Economic Surveys--Sweden ”各年

Assar Lindbeck “The Swedish Experiment” The Journal of Economic Literature, 1997

Pam Woodall “The Swedish Economy on a Different Tack” Economist, 1990

Burkhard Drees and Ceyla Pazarbasioglu “The Nordic Banking Crises ? Pitfalls in Financial

Liberalization?” IMF Occasional Paper, 1998

Claudia Dziobek and Ceyla Pazarbasioglu “Lessons and Elements of Best Practice” Systemic Bank

Restructuring and Macroeconomic Policy, IMF, 1997

Ministry of Finance “The Swedish Tax Reform of 1991, ”1991

Edward Palmer “Coping with the Pension Crisis ? Where Does Europe Stand?” National Bureau of

Economic Research, 2000

Ministry of Finance “From the Swedish Budget Bill of 2000”

・ 丸尾直美「スウェーデンの経済と福祉」中央経済社、92

・ 岡沢憲芙・宮本太郎編「スウェーデンハンドブック」早稲田大学出版部

・ 奥島孝康編「スウェーデンの経済」早稲田大学出版部

・ 石弘光監修「財政構造改革の条件」東洋経済新報社

・ 宮本太郎「福祉国家という戦略」法律文化社、99

・ 丸尾直美・塩野谷祐一編「先進諸国の社会保障Dスウェーデン」東京大学出版会、99

・ オロフ・ペタション「北欧の政治」早稲田大学出版部

・ 岡沢憲芙「スウェーデンの挑戦」岩波新書、91 20

・ 経済企画庁編「世界経済白書平成8 年版」

・ 宮本太郎『90 年代危機とスウェーデンの福祉改革』「労働調査」、97 3 月号

・ 益村眞知子『スウェーデンの経済構造変化とその課題』「経済学論纂(中央大学)」、

98 3

・ 益村眞知子『スウェーデンの金融危機と経済政策運営』「経済発展と制度転換」、97

・ 樋口修『スウェーデンの金融機関救済策』「外国の立法203 」国立国会図書館調査及び立

法考査局、98

・ 野村証券調査部『北欧諸国の金融機関救済』「財界観測」95 5 1 日号

JCIF 『北欧金融危機における公的資金の投入および回収状況』「トピックスレポート」、

98 8 7

・ 日本銀行『諸外国におけるインフレ・ターゲティング』「日本銀行調査月報」2000 年6 月

21

(図表1 )主要国の一人当たりGDP の推移

1970 年1980 年1998 年

1 スイス1 アメリカ1 ルクセンブルグ

2 アメリカ2 スイス2 アメリカ

3 ルクセンブルグ3 カナダ3 ノルウェー

4 スウェーデン4 ルクセンブルグ4 スイス

5 カナダ5 アイスランド5 デンマーク

6 デンマーク6 フランス6 アイスランド

7 フランス7 ノルウェー7 カナダ

8 オーストラリア8 スウェーデン8 ベルギー

9 オランダ9 デンマーク9 日本

10 ニュージーランド10 ベルギー10 オーストリア

11 イギリス11 オーストラリア11 オランダ

12 ベルギー12 オランダ12 ドイツ

13 ドイツ13 オーストリア13 オーストラリア

14 イタリア14 イタリア14 アイルランド

15 オーストリア15 ドイツ15 フランス

16 ノルウェー16 日本16 フィンランド

17 日本17 イギリス17 イタリア

18 フィンランド18 フィンランド18 スウェーデン

19 アイスランド19 ニュージーランド19 イギリス

20 スペイン20 スペイン20 ニュージーランド

()1 .ドイツは統一後の数字

2 .購買力平価調整後の数字で比較

(資料) SAF Fakta om Sveriges Ekonomi 2000 22

(図表2 )スウェーデン経済の概観

インフレ率

実質経済成長率

- 3.0

- 2.0

- 1.0

0.0 1.0 2.0 3.0 4.0 5.0 6.0 7.0

60 年65 70 75 80 85 90 95 2000

(%)

EU 圏スウェーデン

経常収支

- 4.0

- 3.0

- 2.0

- 1.0

0.0 1.0 2.0 3.0 4.0

60 年65 70 75 80 85 90 95 2000

スウェーデン

EU 圏

(%)財政収支

- 12

- 10

- 8

- 6

- 4

- 2

0 2 4 6

60 年65 70 年75 80 85 90 95 2000

(%)

スウェーデン

EU 圏

悲惨指数

0 5

10 15 20

60 年65 70 75 80 85 90 95 2000

EU 圏

スウェーデン

(%)

失業率

インフレ率

()1 .悲惨指数は、失業率+インフレ率。インフレ率はGDP デフレーターを使用。

2 .財政収支と経常収支収支は名目GDP に対する比率。

3 .スウェーデンの財政収支は1996 年まで年度ベース。それ以降およびEU 圏は暦年ベース。

4 .2000