ユートピア  


思想の現在形 自由の条件B ユートピアは葬られたか

『京都新聞』1998年1月7日文化欄

稲葉振一郎

 ユートピアという言葉は、もともと16世紀のイギリス人トマス・モアが書いた本の題名で、その物語中に登場する架空の国の名前です。モアはその虚構の理想国家に照らして同時代の国家、社会の現実を批判し、そこから転じて「ユートピア」という言葉は現実の社会よりも優れた、理想的な社会のことを指すようになりました。
 しかしその後「ユートピア」なる言葉の評判は芳しくありません。ありもしない理想の異世界のイメージを頼りに現状を批判するより、実際に現状を改革していくことこそ大切だ、という考え方が有力になったのです。19世紀以降多大な影響力を持った社会変革思想としての社会主義の中で、更にもっとも有力となり、20世紀にはその思想のもとに数億の人々が暮らす国々を作り上げたマルクス主義は、自分たち以前の社会主義を批判の意味を込めて「ユートピア的」と形容し、それに対して自分たちの立場を「科学的」と称しました。
 これへの対抗思想としての自由主義もまた、ユートピアを復権させるどころではありません。むしろ社会主義こそ「科学」の名を騙るユートピア思想、できもしない理想社会の建設をできると称して人々を欺くものである、と告発したのです。そして20世紀の経験は、保守主義としての自由主義が社会主義に対して勝利した、という風に見えてしまいます。では、やはり社会主義は実現しえないユートピアだったのでしょうか? そして、自由主義の勝利は社会主義のみならず、ユートピアをも葬り去ってしまったのでしょうか? 
 ここで自由主義とは何か、復習してみましょう。人間の自由の意味を、私たちは普通「したいことをすること」である、と考えてきました。しかし「したいこと」と「できること」とは違います。このズレを「できること」の枠を「したいこと」の方に向けて拡大することによって解決しよう、というのが近代思想の主流でした。それは社会思想においては社会主義となりました。自由主義はこれとは反対に、たくさんの人々のそれぞれに異なる「したいことをする」自由を、お互いに迷惑をかけずに「できること」の範囲に制約しよう、という立場です。これと同様の構造が環境問題にもあります。「(開発)したいこと」と「(開発)できること」の間のズレを「できること」の枠を「したいこと」の方に向けて拡大することによって解決しようとするのが旧来の成長主義であり、それを批判して「したいこと」の範囲を地球環境、生態系のバランスを崩さずに「できること」の範囲に制約しよう、というのがエコロジー思想です。
 ここまでの議論を整理しましょう。虚構の理想社会としての「ユートピア」による現実社会への批判をあざ笑い、「できること」の枠を現実に拡大することによって、現実の社会の問題を克服しようとした社会主義、成長主義もまた、醒めた現実主義を標榜する自由主義、エコロジー思想からすれば虚構の理想、「ユートピア」を追うものということになります。しかしここで、モアやその他のユートピア物語の作者たちと社会主義、成長主義の重大な違いを見逃さないようにしましょう。社会主義、成長主義は自らの理想が「ユートピア」、虚構であることに気づかなかったのに対し、ユートピア文学者たちは、初めから自分が虚構を紡いでいることを当然に自覚していたはずです。事実と見まがわれた錯覚ではなく、自覚された虚構としてのユートピアならば、なお現実批判の刃として私たちにとって意味を持つのではないでしょうか? 
 最後にもう一つお話ししましょう。先ほど私は、人間の自由の意味は「したいことをすること」である、として話を進めましたが、本当にそうでしょうか? そもそも人間は、個人としても、人類社会のレベルでも、「したいこと」「できること」について、どれだけきちんとわかっているでしょうか? 社会主義や成長主義の誤りの多く、例えば計画経済が途方もなく困難であることも、炭酸ガスによる温室効果のことも、「わかっちゃいるけどやめられない」ものだったわけではなく、実際に経験するまで「わからなかった」のです。つまり人間の自由とは、ただ単に「できる範囲でしたいことをする」ことではなく「やってみなければわからない」ことについて試行錯誤することなのです。自由主義やエコロジー思想の強みもまた、単に「したいこと」を我慢する禁欲性にあるわけではなく、このような試行錯誤を安全に行う条件について真面目に考えるところにあります。そしてこのように考えるならば、自由主義やエコロジー思想と「ユートピア」とは案外と近しい関係にあるのではないでしょうか。我々が日々の試行錯誤の中で出会う現実の「異世界」こそ、私たちの思いこみを揺るがし批判する本当の「ユートピア」なのかもしれません。

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ユートピアを読み解く10冊

『論座』1998年10月号

稲葉振一郎

 「ユートピア」という言葉は、もともと16世紀のイギリス人トマス・モアが書いた本の題名で、その物語中に登場する架空の国の名前である。それはラテン語で「どこにもない場所」というほどの意味になる造語である。モアはその国を理想の国家として描き、それに照らして同時代の国家、社会の現実を批判した。そこから転じて「ユートピア」という言葉は現実の社会よりも優れた、理想的な社会、ないしそのような社会の構想のことを指すようになった。
 幸福な楽園についてのファンタジーは、その舞台が創世直後の黄金時代(エデン)であれ、未来における救世主の到来(メシア信仰、弥勒信仰)であれ、死者を迎える天国(『エッダ』ヴァルハラ)であれ、また海の彼方(「アーサー王伝説」アヴァロン、蓬莱伝説)や深山幽谷(陶淵明『桃花源記』)、あるいは別の惑星(ルキアノス『本当の話』)であれ、新しくもなければヨーロッパ文化圏固有でもない。しかしそれらモア以前の、つまり「ユートピア」以前の異境探訪の物語は、多くの場合、作者と読者の住む現実世界とは単に空間的に別の場所にあるだけではない、語の正確な意味での異世界への旅行記として語られた。そこへの到達は偶然になされ、旅人たちのそこでの体験や見聞は故郷=現実世界への帰還後は何の意味も持たない。極楽浄土もまた、「彼岸」であって生ける人間の赴くところではない。始源の楽園は過去に追いやられているし、救世主の到来は人間の意志でもたらされるわけではない。
 これに対してモアの『ユートピア』はヨーロッパにおいてユートピア文学という新たな伝統を創始した。その描くユートピア国の位置はアメリカ大陸に想定されており、その制度、慣習、風俗の描写においても、当時のアメリカに存在した土着文明についての情報を参考にした形跡がある。それはたしかに虚構の物語ではあるが、その想定の前提として、ヨーロッパ文明にとっては最近到達された新天地アメリカという事実を踏まえている点で、サイエンス・フィクション(SF)と考えることができる。
 モア以降おおむね18世紀頃までのユートピア文学はおおむね、たとえばジョナサン・スウィフト『ガリヴァー旅行記』のように、異境探訪記の形をとるものであった。現実に船団が地球を巡る航海を日常的になしている時代がこれら『ユートピア』以後の、新たな異境探訪記の前提としてある。虚構ではあるが、その内容があるいは十分に実現しうるかもしれない類の虚構、その実現の可能性が世俗的知によって予測、期待されるような虚構、それをSFと呼ぶとすれば、近世のユートピア文学はまさにSFである。
 「ユートピア」以降の、つまりユートピアとして物語られた異境は、現実世界を映す鏡、現にある社会の批判を意図して紡がれた虚構である。楽園伝承や千年王国信仰も結果的には社会の現状を批判するはたらきを持っていただろうが、それと意図して語られる社会批判の物語としてのユートピアとは明らかに違う。またユートピア探訪記の前提となっている現実世界での航海は、通商にせよ征服にせよ探検にせよ、すでに地球全体を覆う社会体制として運行しているものであり、かつての異境探訪記が想定していたような小規模で散発的なものではない。つまり、ユートピア物語において描かれる現実世界と異境との接触は、偶然の出来事としてではなく、現実の(西欧)社会システムの運行に伴って必然的に起こること、として描かれている。
 つまり『ユートピア』の前後では、異境物語における異境、異世界、つまりは他者のあり方が、それらと日常的現実世界との出会い方、関わり方が大変異なってきているのだ。『ユートピア』以前には、他者としての異世界とはただ単にそこにある(ない?)ものであって、それがあったから(あるいはなかったから?)といって現実世界のあり方が変わるわけではなく、当然、そのような他者との出会いを契機にして、日常的現実世界に生きる現実の人々が、その生き方や考え方を省みたり改めたりする必要はない。それに対して近世以降のユートピア物語においては、そこに描かれる異境、異文化、そこに生きる人々(時に人間以外のものも含む)のありようがまさに当時のヨーロッパの現実、そこにおける社会、人の生き方、思想の意義を反省するよう迫るものとして描かれている。もちろんユートピア文学のそうした重さ、真摯さは、そこに描かれる虚構の異世界、他者がヨーロッパが既に現実に経験した他者との出会いを下敷きに、将来ありうべき異世界、他者との出会いへの期待と不安を表現しているがゆえのものである。
 18世紀頃までは、ヨーロッパの覇権はまだ現実的に確立していたわけではないし、思想的にもヨーロッパ中心主義は未確立であり、人文主義、啓蒙思想の徒はアメリカやアジアに優れた異文明のあることに素直に驚嘆することができていた。この世界には自分たちのそれとは別種の文化、社会があることを知り、そこから自分たちの社会、文化の現在のあり方が逃れがたい必然ではなく、変わりうるし変えうるものであることに思いを致したのが、啓蒙思想であり、ユートピア文学はその一翼をなしている。
 ところが、ユートピア文学の末裔たる、20世紀の通俗文芸としてのSFにおいては更に事情が異なる。もちろんSFも基本的には現実世界とは別の異世界を舞台としているが、その異世界は、典型的には単なる時間的な未来、つまり作者と読者の住む現実世界の延長線上にあるものとして描かれている。それは一方の極に、バラ色の未来、発達した科学技術がもたらす幸福と希望で一杯の世界を、他方の極に、同じく発達した科学技術が人間の自由や尊厳を脅かし、あるいは自然を破壊し、といった暗黒の世界を描き出すが、どちらにせよ、我々の世界がこれからたどりうる可能性の範囲内にあるものとして構想されている点では大差ない。SFが、それを「鏡」として現実の我々のあり方を批判しようとする虚構世界は既に「私たちとは異質なもの」という意味においては「異世界」、他者ではないのである。それはせいぜいのところ自己の理想像か悪夢でしかない。
 このようなユートピア文学とSFとの相違の背後には、19世紀を中心とする世界の激変がある。市民革命、産業革命、を経たヨーロッパはいよいよ本格的に世界を植民地化していき、19世紀中にはヨーロッパ諸国による「世界分割」が完了する。これによってユートピアの意味も変わってしまう。一面では、異世界であったユートピアは人間が自らの手で作り上げることができるものとして考えられるようになる。しかし他面では、地球上から未知の場所、つまり「異世界」の存在する余地はなくなってしまったのである。
 19世紀におけるユートピアは、文芸の中よりも、市民革命と産業革命の嫡子である社会主義の実践の中に見いだすことができる。だがその社会主義の中でも「ユートピア」なる言葉は評判を下げ、罵り言葉となってしまった。ありもしない異世界のイメージを頼りに現状を批判するより、実際に現状を変革していくことこそ大切だ、という考え方が支配的になった。初期の社会主義者たちは小規模なコミュニティにおける実験を全体社会の改革への第一歩として位置づけたが、それは心ない批判者によって現実世界の変革を捨ててユートピアへ逃避すること、と曲解されたのである。
 しかし、まさにそのように先行諸潮流を「ユートピア的」とそしって社会主義のチャンピオンとなったマルクス主義は、来るべき新たな社会についての確たるイメージを持たなかった。マルクス主義にとって革命後の社会は、基本的には既存の社会の遺産の相続の上に成り立つものとされていたのである。その遺産とはもちろん、産業革命以降、ものの生産、交通、通信のあり方を、つまりは経済システムを、人々の日常生活を激変させた科学技術である。産業革命以降の科学技術は経済と生活のあり方を一回限りではなく、絶えず変革していく、つまり変化そのものが日常化する。
 変革に向けての空想的な設計図ではなく、現実に存在して世界を変革し続けている産業的科学技術の中に、マルクス主義は(敢えて言えば)そのユートピアを見いだす。そうした発想は、足下の現実、すでによく知っているはずの身近なもの、あるいは他ならぬ自分自身こそが未知なる他者であるのかもしれない、という偉大な知恵でもありうる。しかし実際にはマルクス主義は多くの場合、他者を無視し、踏みにじる尊大な自己肯定の思想としてはたらいた。マルクス主義が反体制思想であるのは、産業の覇権を資本家階級から奪って労働者階級の手に帰そうとする限りでのことであって、産業的科学技術の体制そのものを批判することはもちろんない。かえってそれは時代を代表する反体制思想として他の体制批判、とりわけユートピア的構想を圧迫することによって、結果的には産業社会、科学技術文明の翼賛思想となった。
 ユートピア文学の20世紀における末裔としてのSFは、このような歴史の展開の中で、産業的科学技術によって、想像力を型にはめられ、産業社会が日常的に紡ぐ、科学技術の発展に伴う未来への夢想、恍惚と不安を、現実世界の意義そのものを政治的に問う構想力の糧とすることなく、単に娯楽として消費する通俗的エンターテインメントとなった。そこにはたくさんの宇宙人もまた登場するが、語の真の意味でのエイリアン、他者はほとんどいない。
 もちろんこのSFの時代においても優れたユートピア文学は書かれたが、それらはほぼすべて、むしろ反ユートピア(ディストピア)小説、つまり暗い未来を描き出すものであったことは注目に値する。19世紀まではかろうじて成り立ち得た、明るい未来のヴィジョンによって現状を批判する、というやり方は20世紀においては失効した。それはもはや現状肯定の所作にしかならず、現状に批判的に向かい合うには暗いネガティヴな未来像を紡ぐしかなくなったのだ。その代表作がジョージ・オーウェル『一九八四年』である。それは他者のいない閉じた世界の恐怖を生々しく描いている。
 しかしディストピア小説の達成をも越え、「明るい」「暗い」といった得手勝手な意味づけを拒否する他者、異世界としての未来を描いたSFも少数ながらまた存在する。これらこそが20世紀における、ユートピア文学の伝統の正統な後継者なのだろう。その中でも戦後日本で書かれ、現在でも容易に読めるものをあげるなら、安部公房『第四間氷期』宮崎駿『風の谷のナウシカ』となるだろう。前者は日本SFの揺籃期に、現代を尺度としてはその意味をはかることのできないものとしての未来、をテーマとした最高の達成であり、後者は冷戦の終焉に伴走しつつ、人間の構想力の極限としてのユートピアが、気がつくと自立して人間にとっての他者として立ちふさがる様を描いて、日本SFの幕引きにふさわしい傑作となった。
 更に言えば、未来のみならず過去もまた本当はそのような意味での他者なのだ。我々は過去にあったすべての出来事を知っているわけではないし、またそのような過去の知識にしても、個人の記憶のような意味で「憶えている」わけではない。何より現在の我々と出来事の当事者とでは、同じ出来事に対する解釈も異なってしまっているかもしれない。20世紀後半の歴史学は「社会史」においてそのような問題系への目覚めを改めて経験した。またアカデミックな意味での歴史研究ではないが、ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論』は、ストレートにそのようなユートピアとしての過去(とりわけ「ユートピア的社会主義」への注目が興味深い)の救済を目指した作業である。日本においては中世史家網野善彦の、「封建」社会の中に着実に息づいていた自由の空間を描き出す作業(『無縁・公界・楽』他)にそのような問題意識を読み込むこともできるが、アカデミックに禁欲的な網野よりも無遠慮かつ鮮明に、日本の現在をも批判的に照射しうるユートピアとしての過去、まつろわぬ自由人たちの姿を描いたのは隆慶一郎『影武者徳川家康』、他)であり、更にその系譜の源流には幕末の混沌の中のユートピア実験の諸相を描く中里介山『大菩薩峠』がある。
 小説、歴史叙述、つまりは「物語」におけるユートピアの伝統について以上瞥見した。更にここに付け加えるならば、ジョン・ロールズ『正義論』に始まる今世紀後半のアカデミックな規範倫理学、政治哲学の展開は、抑圧装置としてのマルクス主義の陰りとともに隆盛を迎え、臆面ないほどストレートに「あるべき社会」の設計構想を語るユートピア的試みが多数現れている。その中でもロバート・ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』は、「多様なユートピア的実験の併存、つまりメタユートピアこそが「ユートピア」である」と主張しており注目に値する。それはある意味で「ユートピア的」社会主義の復権の宣言でもある。つまり、広い意味での文芸的伝統としてのユートピアはなお滅びてはいない、とたしかに言いうる。しかしながら、かつて19世紀のアメリカにおいて「ユートピア的」社会主義者たちが作り上げていったコミュニティの後継者は、実践としてのユートピアの現在はどうなっているのだろうか? 
 世界の「北」「南」を問わず、大都市のスラムや荒廃した農村の再開発において、住民主体のコミュニティ再生こそが鍵である、とはよく言われる。おそらくはそこにこそ今日の、実践としてのユートピアにとっての焦眉の課題があるのだろうが、本稿ではそれに関説する余裕は残念ながらない。

10冊
トマス・モア『ユートピア』
ジョナサン・スウィフト『ガリヴァー旅行記』
ジョージ・オーウェル『一九八四年』(ハヤカワ文庫)
網野善彦『無縁・公界・楽』(平凡社ライブラリー)
安部公房『第四間氷期』(新潮文庫)
宮崎駿『風の谷のナウシカ』(徳間書店)
隆慶一郎『影武者徳川家康』(新潮社)
ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論』(岩波書店)
中里介山『大菩薩峠』(筑摩書房)
ロバート・ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』(木鐸社)

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なぜユートピアがディストピアに変質したのか

 ソ連共産主義体制の崩壊という二十世紀末の歴史的現実を前にして、このマルクスやレーニンの予言が裏切られ、共産主義の福音が約束した「地上の楽園」が、この世の地獄ともいうべき『収容所群島』(ソルジェニーツィン)に変質、堕落してしまったことが明らかとなった現在、人類が二十世紀の教訓として学ばなければならない最大のテーマのひとつは、なぜに「ユートピア」が「ディストピア」(dystopia=逆ユートピア、ユートピアの正反対の社会)に変質してしまったのか、その理由を正確に認識することである。それは歴史のなかの「メビウスの輪」を解く作業でもあるといってよい。

 三つのことについて簡単に触れておくこととしたい。それは、@いわゆる「マルクス主義の三つの源泉」に関する問題、Aマルクス主義における歴史法則の必然性とアダム・スミスの「神の見えざる手」との関係に関する問題、Bマルクス主義の終末論とキリスト教の終末論との関係に関する問題ある。

 まず、マルクス主義の思想史的源泉としては、長い間、マルクス主義者たち自身によって、@フランス社会主義、Aドイツ古典哲学、Bイギリス古典経済学の三つの、当時の西欧において最も優れたものを継承しつつ、これを総合・発展させたものという説明がなされてきた。しかし、この説明は西欧文明の理解を妨げる誤った思想史的説明である。むしろ、その後のマルクス主義が辿った運命に照らして厳しく再検討してみると、マルクス主義はこの三つの思想史的源泉の最適結合どころか、最悪の結合を行ったものといわなければならないものである。

 @のフランス社会主義との関係で言えば、のちにベルンシュタインが『科学的社会主義は如何にして可能であるか』という論文のなかでも論じたように、マルクス主義はフランス社会主義のなかにあった人間的、理想的な要素を排除して、科学的社会主義であることを宣言し、これを疑うことを許さないドグマに転化してしまった。

 Aのドイツ古典哲学について言えば、既に述べたように、マルクス主義はヘーゲルの観念論的弁証法を唯物論的弁証法に転倒させることによって、歴史法則の必然性を身動きできない物質の運動法則と経済決定論に変質させてしまった。

 Bのイギリスの古典経済学との関係について言えばマルクス主義は、イギリスの古典経済学の伝統である経験主義的、実証主義的な要素を排除して、経済学をヘーゲル論理学の観念体系に変質させてしまったのである。すなわち、マルクス主義は、フランス社会主義からその理想主義的要素を奪い、ドイツ古典哲学からその論理性を排除し、イギリス古典経済学からその実証性を捨ててしまったのである。

 こうして構成されたマルクス主義の論理体系は、科学的真理の名の下に一切の批判を許さない非科学となり、空想を排除するという態度の下に人間的な、自由な思想を認めない独断に変質していったのである。

 第二に、イギリスの古典経済学との関係を、マルクス主義における歴史法則の必然性とアダム・スミスの「神の見えざる手」との関係で若干考察しておくこととしたい。既に関連する章で論じたように、法則とか必然性という言葉は、十八世紀から十九世紀にかけてまず自然科学のめざましい成功によってもたらされたものであった。中世の自然法思想の影響下に形成されてきたこうした法則の観念は、やがて経済学の世界における「予定調和論」となって体系化されてくることとなった。

 すなわち、アダム・スミスは『国富論』などの著作を通じて、自由放任(レッセ・フェール)の経済学を主張し、市場の自動調節作用に任せておけば、需要と供給は価格を媒介として必ず予定された調和を実現するに違いないと論じたのである。この市場における自動調節作用を支配するものは、造物主たる神の「見えざる手」(invisible hands)にほかならなかった。

 マルクスはこのアダム・スミスの「神の見えざる手」を歴史法則の必然性に置き換え、「予定調和」の楽観主義を「予定不調和」の悲観主義に置き換えた。すなわち、マルクスによれば、資本主義の経済的運動法則の必然性に従って、資本主義社会は大恐慌と破局を運命づけられているとし、そのときプロレタリア革命は不可避であると論じたのである。もっともこの「最後の審判」である大恐慌と破局と革命が訪れたのちに、歴史法則の必然性は共産主義社会という「地上の楽園」を予定していると約束する点においては、マルクスも予定調和論者だったといってもよいであろう。

 いずれにしても、マルクスは中世以来の古い自然法則思想の枠内で歴史法則の必然性を論じていたのであり、その経済学は経験科学、実証科学には程遠いものであった。しかもそれがヘーゲル論理学の影響下で絶対的真理の体系とされたことが、その後のマルクス経済学の衰退と堕落の根本原因となったことは疑いない。

 第三に、これまでの議論で明らかなとおり、歪んだ形ではあるが、マルクス主義はキリスト教的終末論の影響を強く受けていた。

 マルクスによれば、人類史の神話時代には原始共産制という「地上の楽園」が存在していた。しかし、キリスト教における原罪と楽園追放と同じように、人類は搾取と階級闘争の始まりとともにこの楽園を追われ、その後、古代奴隷制、中世封建制、近代資本制という各発展段階の階級社会を経て、最後に資本主義社会の破局という終末を迎える。そこで革命が起こり、人類は再び「地上の楽園」に至るというのであった。こうして、マルクス主義はキリスト教の福音に対抗しながら、無神論的宗教としての福音を広め、伝道する政治的メシア(救世主)主義となっていったのである。

 世俗化した政治的メシア主義は、古い時代からの宗教的メシア主義の諸要素を吸収しながら、進歩に対する信仰を科学や芸術の装いをこらした新しい二十世紀の政治的神話に仕立て上げていった。その最大のものが共産主義の神話であり、第二のものが今世紀半ばに衰亡していったナチズムの「第三帝国の神話」であり、第三に日本の超国家主義をも含めてさまざまなタイプの全体主義、国家主義の神話であった。

 実際にナチズムに理論的基礎を与えたローゼンベルグは、一九三〇年に『二十世紀の神話』という膨大な著作を発表している。ローゼンベルグは、

「新しい生命の神話から新しい人間類型を創造する――これがわれわれの世紀の任務である」「……かくの如き究極標的の一つはかつては『世界のキリスト教化』及び再来するキリストによっての世界の救済であった。もう一つの標的は『人類の人文主義化』なる夢であった。両箇の理想は世界大戦体験の血なまぐさき混沌と新生とのうちに葬り去られた」「今日の神話は、二千年前の世代の諸形態と丁度同様に英雄的である。あらゆる世界で、『独逸国』という理念のために死んだ二百万の独逸人は、突如として、彼等は十九世紀を放棄することができたのだということ、最も単純な農民や極めて質素な労働者の心の中には、かつてアルプスを越えて進んだゲルマン人と同じく、北方的人種魂の古い神話創造力が生きていたのだということを顕示した」

 と絶叫したのである。

 そしてこうした二十世紀の政治的神話がどのような悪夢を人類にもたらしたか――いまさら繰り返す必要はないであろう。人間は全知全能の神ではない。したがって、人間の意志や計画はそれがいかに善意に基づくものであったとしても決して予期した通りの結果を得ることはできない。だから人間は決してユートピアを一挙に手に入れようなどと考えてはならず、また何の実証もなしにユートピアの到来を約束するいかなるタイプの政治的福音をも軽率に信じてはならない。経験を大切にし、経験に照らして慎重に物事を進めなければならない。また歴史のなかには常に複雑な逆説的メカニズムが働いていることに十分注意しなければならない。

 二百年前のフランス革命がすでにして逆説的結果をもたらした典型例のひとつであった。それは自由な憲法と自由諸国の連合を意図していたはずだが、その結果は軍人独裁と帝国主義であった。それは平和を意図していたが、その結果は戦争であった。それは十八世紀末の一七八九年のことであった。しかし、十九世紀も二十世紀もこのフランス革命の逆説からほとんど何も学ばなかったといってよい。

 二十世紀の半ばにジョージ・オーウェルは『一九八四年』というディストピア小説を書いて、共産主義体制に内在する逆説的メカニズムを痛烈に批判したが、人類がこの小説のメッセージの真意を理解するのには半世紀もの時間と悲劇的体験が必要であった。二十世紀末の現在、人類は今度こそロシア革命の逆説から何かを学び取れるのであろうか。

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Uユートピアと社会主義

決定論的なマルクス主義

第一はユートピアと社会主義との関連についてである。産業革命以後の初期産業社会がその新しい矛盾をあらわしはじめるとともに、それに対する批判をひっさげて登場してきたのが、サン・シモン、フーリエ、ロバート・オーウェン、プルードン、あるいはグレー、ホジスキンらのリカード派社会主義者らに代表される初期社会主義者の一群であった。かれらのまえに現存していた社会は自由放任時代の初期産業社会であり、そこには貧困、不平等、抑圧、不安定などのさまざまな矛盾が渦まいていた。かれらはこのような矛盾のない産業組織や社会組織、つまり、ゆたかで、平等で、自由で、安定したユートピアをえがき、それを社会主義と名づけたのであった。この観点から、かれらばさまざまな社会改革案を提示し、あるいばまたそれをオーウェルのように実験したのである。そのなかには今日なお興味のある多くの着想や提案がゆたかにふくまれている。

 しかし、マルクスはこれらの初期社会主義を「ユートピア的社会主義」として批判し、これにいわゆる「科学的社会主義」を対置した。しかしかれは社会主義の現実の運営問題は、社会主義者が国家を支配するにいたってからはじめてとりあつかわれるべきことであるとして、かれのいわゆる科学的社会主義が現実にどのような組織と機構をもつかについて述べることを拒否した。資本主義社会が発展をとげて最後に到達する究極社会-すなわち、「各人が能力に応じて働き、必要に応じて分配を受ける」というルールが支配する、自由で、階級のない、「ゆたかな社会」としての共産主義社会-が、現実にどのような制度と組織をもつか、合理的な経済、社会計画はいかに行なわれるかといったことについては、マルクスの全著作をつうじてほとんど考察されていない。マルクスが未来社会の考察を拒否したことには少なくとも二つの理由がある。一方でマルクスは、すぐれた経験科学者たらんとして、経験のかなたにあるとかれが考えた未来を、科学的に分析することはできないと信じていた。事実、マルクスは『ドイツ・イデオロギー』(一八四六年)のなかで哲学の死滅を論じつつ、イデオロギーの終焉から経験科学への志向を熱っぽく叙述しているし、『資本論』自体が膨大な実証研究に支えられているのである。

 しかし、他方で、マルクスもまた一九世紀の子であった。マルクスの「科学的法則」の観念は、ガリレオやニュートンから光栄の雲をたなびかせながら伝えられてきた自然法的で決定論的な観念であった。そこには、二〇世紀的な仮説の観念が未確立であったために、かれのいう「科学的法則」は超経験的な絶対化を受けやすい性格をおびていた。ヘーゲルを否定しながら、マルクスのなかにはなおヘーゲル的な法則観が残っており、このことが法則の延長線上にえがかれる宿命論的な未来観を生みだしたのである。この決定論的側面はマルクス主義がエピゴーネン(信奉者)たちの手によって科学からイデオロギーに転化されるにともなっていっそう拡大された。この歴史法則の観念をめぐる問題については、のちにややくわしくふれることにしたい。

 さきにふれた『ドイツ・イデオロギー』のなかで「哲学の終焉」を論じたさいに、マルクスは「この哲学にかわりうるものは、せいぜい人間の歴史的発展の観察から抽象されるもっとも一般的な結論の総括」だけであり、「この抽象の結果えられるものも、それだけとしてば、すなわち現実の歴史からきりはなされては、皆目なんらの価値も持たない」と指摘した。こうした「一般的な結論」としてマルクスが提示したのが、いわゆる「唯物史観」であり、マルクス自身はこれを「資本主義の経済的運動法則の発見」を主題とした『資本論』において基礎づけようとした。『資本論』でマルクスが発見したと信じた「資本主義の経済的運動法則」は、たしかに初期産業社会に内在するある傾向を反映したものではあった。しかし、資本蓄積→資本の有機的構成の高度化→利潤率の低下と産業予備軍(失業)の増大→労働者階級の絶対的、相対的窮乏化→全般的崩壊と革命、というマルクスの論理展開にはいくつかの重要な論理的飛躍があり、また、いくつかの特殊な前提条件が不明確なままにふくまれていた。にもかかわらず、その一九世紀的な、決定論的性格のために、マルクスの唯物史観や「経済的運動法則」は、やがて一種の「予ことしで機能するようになり、マルクスの最初の動機に反して「現実の歴史からきりはなされ」て、社会発展の一般法則、疑うべからざる絶対的な科学的真理として、「科学的社会主義」の名のもとに信条に転化されるにいたる。マルクス主義のドグマ化の理論上、思想上の核心はまさにこの点にあった。

未来を忘れた社会主義者

こうしたことの当然の結果として、マルクス主義者の多くは未来への姿勢を忘れて「提案なき反対派」となり、その意味で極端な保守派に変質してしまったのである。かれらの多くの無責任で、独善的な態度は、その一九世紀的法則観のために未来を考えることを放棄したことに起因している。

 『資本論』第一巻の初版いらいすでに百年をへた現在、われわれはマルクスとその思想を一九世紀の思想史のなかに客観的に位置づけ、その功績、誤謬、歴史的限界などを厳密に評価できるだけの冷静な知的態度を確立しなければならない。マルクスをセンチメンタルに、あるいは狂信的に信仰するような精神は、マルクスをヒステリックに全面否定する精神とその本質において同じ古い構造をもっている。こうした精神態度は経験科学の方法とはまったくあいいれない。M・ウェーバーの指摘をまつまでもなく、こうした経験科学的態度と方法とを確立できたときにはじめて、マルクスをはじめ多くの社会主義思想家たちが産業社会と人間の将来についてもっていたヴィジョンや価値や方法のゆたかな宝庫から、われわれは未来のための教訓を批判的に摂取することができるのである。

 社会主義とは、ほんらいゆたかで、自由で、平等で、安定したユートピアに与えられたひとつの名称であった。社会主義が老化したドグマにならないで、永遠に生きた運動でありうるためには、このユートピアの姿をヴィジョンと社会的技術の両面からつねに創造的に追究しなければなるまい。社会主義がユートピアの探究をやめたとき、それは社会主義の死を意味するであろう。ひとびとば「社会主義」という言葉を捨てて、別な言葉でユートピアを探究しつづけていくことになるであろう。

 

 


 

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ユートピアの末路にあったもの

「マルクス主義者たち」をこうした「非科学的社会主義」への狂信に走らせた理論的欠陥はマルクス、エンゲルス自身の「科学観」、その自然法的な「法則の観念」の十九世紀的限界にあった。そしてこのマルクス主義の構造的欠陥が、レーニンの帝国主義論や国家論を産みだし、やがて「社会主義」の「ユートピア」がこの地上に現実に生まれたと信じられた瞬間から、恐るべき「ディストピア」(逆ユートピア)、ソルジェニーツィンの描く『収容所群島』へと奈落の底に落ち込んでいくことになったのである。

 マルクスの好きな言葉は、「すべては疑い得る」というものであった。だが、歴史の皮肉は、マルクスを偶像崇拝するグロテスクなまでに巨大化した国家社会主義権力のもとで、共産党機関紙『プラウダ』(「真理」)に書かれたことを「一切疑うことは許されない」社会が誕生し、マルクス・レーニン主義に疑問を抱いたすべての人間を粛正したり、強制収容所、精神病棟送りとし、数千万人のソ連国民を飢餓と流血のなかで大量殺戮しながら、その呪いと怨念のなかに、この国家社会主義体制は七十四年で死滅していくこととなったのである。

 それはマルクス・レーニン主義という原理・原則の絶対化の悲惨な結果であり、一元的なイデオロギー崇拝の惨めな結末であった。二十世紀初めの一九一七年に勃興した「赤い帝国」とその独裁政党である共産党は、こうして二十一世紀を待たずに衰亡、解体していく運命となったのである。

 一九九○年九月に発表されたソ連の「市場経済移行と経済安定計画案」は、革命後七十数年を経たソ連経済の真実を次のように分析していた。

「一、現在の政治的経済的不安定を通常の危機とみてはならない。社会経済システム全体の危機である。

 一、過去二年間絶えることなく経済成長の低下がすすんでいる。

 一、生産設備はここ十五〜二十年間更新されておらず、土地の肥沃度は二分の一から三分の一に落ち、盗みに近い資源の乱用、環境への重圧は限界を越え始めた。

 一、今日の危機は数十年にわたり蓄積されたもので、先鋭的かつ破壊的な形をとらざるを得ない。

 一、社会経済システムは全面的崩壊に近づいている。

 一、一九八五年に始まったぺレストロイ力は正しい方向を示したが、中途半端、決断力の無さ、急進的改革の欠如により状況を先鋭化させた。

 一、一九八九年の対外債務は八四年の二倍以上に達し、国は借金で生きており、破産寸前である。

 一、一九八八年に始まった工業成長率の低下は経済不振をもたらし、なお状況は月毎に悪化している。

 一、財政赤字、政府の債務、通貨供給量は加速度的に増大している。

 一、消費市場からますます商品がなくなり、社会緊張は極限状態にある。

 一、共和国、地方レべルの国家機関は中央を見限り、自力で生き延びるすべを探さざるを得ない状況に追い込まれ、危機を深刻化させている」

 これがマルクス・レーニン主義のユートピアと福音のあまりにも残酷な結末だったのである。

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社会主義理論学会編『20世紀社会主義の意味を問う』(御茶の水書房、1998年)所収

 


 

20世紀社会主義とは何であったか

 

加藤 哲郎(一橋大学・政治学)

 


 1 はじめに――インドで考えた「何が社会主義ではないか?」

 

 21世紀の社会主義について、インドで考えたことをお話しします。コラコフスキーというポーランドの哲学者が、1968年「プラハの春」の頃、ワルシャワ大学学生新聞の求めに応じて書き、それがもとで大学を追放された「何が社会主義ではないか?」という有名な詩があります。私の著書『東欧革命と社会主義』(花伝社、1990年)では表紙カバーに入れ、大変反響が大きかったものです。

 そこでコラコフスキーは、「現存した社会主義」の言論弾圧や恐怖政治、物資不足を風刺しながら「何が社会主義ではないか」と問い、「なんの罪もおかさなかった者が、家でじっと警官のくるのを待っている社会」「意見というものをぜんぜん持たない方が暮らしいい社会」「一部屋に十人も住んでいる社会」「自分のことをいつも正しいと思っている国家」等々と延々と述べ、最後に1行「さて、これから社会主義とは何かを申し上げるからご注意を。諸君、社会主義とはいいものである」と結んでいました。

 「ユートピア」の語源は「そこにないもの」ですが、「そこにあるもの」に対する「ないもの」からの批判と運動が、もともと「社会主義」だったわけです。20世紀に現存したソ連や東欧の体制をどう規定するかはともかく、「そこにあったもの」の批判的省察なしには、「21世紀の社会主義」は語れません。

 生産手段の国有化や計画経済、共産党の指導権やマルクス主義の国教化を前提としない、このような広い「社会主義」理解のもとでは、日本での社会主義論議でほとんど視野に入ってこなかった発展途上国インドでさえ、なにかしら「社会主義」へのヒントを与えてくれるでしょう。それが、これからお話しすることです。

 インドは、アジアでもっとも経済的に遅れた国の一つです。一人あたりGNPは300ドル、日本の100分の1です。イギリスの植民地から独立したのが1947年、つまり建国半世紀です。ガンジーの非暴力不服従運動がよく知られていますが、そのガンジーや初代首相ネルーの娘で首相であったインディラ・ガンジーが暗殺されたように、宗教的対立があり、カースト制度の残った国です。

 しかしインドは、社会主義国でもあります。冷戦時代に非同盟運動の盟主でありながらソ連と親しくしていたことはよくしられていますが、それだけではありません。インドの憲法に、はっきりと明記されているのです。政治学者として恥ずかしいことですが、私自身、昨1996年インドに滞在して、そのことを初めて知りました。

 インド憲法前文には、正式国名が「Indian Sovereign Socialist Secular Democratic Republic」とでてきます。「主権をもつ社会主義の宗教的に中立な民主共和国」というわけです。その理念は「正義・自由・平等・友愛」の4語にまとめられています。フランス革命の3理念に「正義」を加え、第一にもってきたものです。インド憲法は全395条の分厚い書物で、カースト差別の禁止から労働時間の制限まで、細かく規定されています。条文だけからみれば、すばらしい民主主義の国です。インドの日本研究者と「憲法からみるとわれわれの国は似ている」とジョークをいいあいましたが、それは「プログラム規定」とよばれる憲法の社会的定着度です。理想的目標はかかげていても、現実とはあまりに距離があるからです。

 「似ている」といえば、インドも1997年現在、連合政権の国です。長く国民会議派の統治が続いてきましたが、汚職や政治腐敗で国民から見放されました。といっても一党独裁ではありませんでした。政治的民主主義は、時に戒厳令で制限されることはあっても、建国以来保たれてきました。日本の「55年体制」における自民党支配と似ていないこともありません。しかしインドの連合政権には、14の与党のなかに旧ソ連派と自主独立派のふたつの共産党も加わり入閣しています。もともと人民党というヒンドウ原理主義に対抗して国民会議派も閣外協力した連合ですから、計画経済がとられているわけではありません。むしろ国民会議による長い「インド型社会主義の実験」が90年代初頭に終わって、外資導入型近代化に踏み出したところで、共産党が入閣しました。実際にはなお国有・国営企業、中央官僚制の力が根強く、共産党もその利権にくいこんでいるようです。

 9億の人口をかかえるインドは、多様性をかかえた連邦制の国です。宗教的には、インドの語源であるヒンドウが82%を占めますが、ムスリム(イスラム教徒)も12%、キリスト教徒も2.3%います。タクシー運転手などによく見られるターバン・髭のシーク教徒は2%ですが、絶対数では800万人に及びます。ですからブッダのふるさとであり、日本人観光客は仏教遺跡を好んで訪れますが、仏教徒は320万人で0.7%です。数千ともいわれるカースト(ヴァルナとジャーティ)は、もともとヒンドウー起源の内婚身分制度ですが、同時に異教徒をも組み入れた職業的・地域的分業の仕組みになっています。

 識字率は男性64%・女性39%・平均52%と1991年統計にありますが、25の州(state)と7つの連邦直轄区で、大きな差があります。例えば私が住んでいた首都デリー直轄区は識字率75%ですが、ケララ州では90%と高くなり、貧しいラジャスタン州では39%と低くなります。おまけに話し言葉が地域で異なります。最大言語のヒンドウでも43%の人口をカバーするにすぎず、ルピー紙幣には14の公用語に英語・アラビア語を加えた16種類の言葉が印刷されています。100万人以上が話す言葉が33、5000人以上だと281種、少数言語を加えると1600種類といわれます。大学教育で英語が用いられるのは、もちろん植民地時代の宗主国イギリスの影響もありますが、多言語国家での共通コミュニケーション手段でもあるからです。

 そんな国ですから、州政府の権限はかなり大きいわけです。カルカッタのある西ベンガル州では、長く共産党が政権与党です。そうすると、日本と違って共産主義政党が政権に入っていることで社会主義ということになるでしょうか? どうもそうではなさそうです。カルカッタでは1997年1月1日からインド名物、というよりアジアの風物詩の一つである「リクシャ」がダウンタウンから消えました。「人力車」から発して近代日本侵略史と共に日本語のまま広がったものです。日本人にとっては屈辱の遺産ですが、インドではもっともポピュラーな庶民の乗り物です。自転車こぎの力車のほか、バイクやスクーターのエンジンをつけたオートリクシャもあります。タクシーは高嶺の花の下層民衆にとっては手頃な交通機関で、私もよく利用しました。

 ところが共産党主導の州政府は、世界銀行の援助で都市再開発にのりだし、交通渋滞・大気汚染(足こぎなら環境にやさしいのに)の原因になるという名目で、リクシャの市内乗り入れを禁止、一挙に7000人の貧民(ドライバーの多くがバングラデシュ難民の出身なそうです)が職を失いました。実際は、世界銀行の融資条件を整えるためらしく、クリスマスにはリクシャ運転手たちの大きな反州政府抗議デモもありました。共産党政権が反労働者的に開発政治を進めている一例です。

 国有・公営企業の役割がなお大きく、経済官僚による計画経済の要素も強いのですが、カースト制度は厳然として残り、圧倒的部分を占める農村ではなお農地改革が課題になっています。コンピュータ・ソフト開発の世界的最先端にあるバンガロールを見てきましたが、IBMほかの工場・事務所が建ち並ぶ工業団地は大海の一滴で、バンガロール空港の電動掲示板が壊れたままでした。確かに工業化が始まり、中産階級が増えて、電気洗濯機ブームで洗濯を代々職業としてきたカーストの職を奪っています。マクドナルドのチキン・バーガー店さえ昨年開店しましたが、社会構造の基本はほとんど変わっていません。

 西洋史風に言うと、未開・野蛮・文明が共存し、古代・中世から超近代までの時間が重層的に作動し、空間的にもモザイクになっています。こんな国で単線発展型唯物史観や階級闘争一元論が適用可能とは思えません。階級関係とは異質な宗教的・言語的・文化的規制がはるかに生活世界を規定し、社会に構造化しています。そのうえ工業化の始まりで、自然環境破壊・古代遺跡破壊も急ピッチです。そこで独立時の国家目標とされた「社会主義」とは「セキュラー=宗教的中立」の形容詞にほかならず、9億の民がともかくも平和的に共生するための合言葉のようです。多様性の統合=平和と寛容としての社会主義です。

 私の友人のインド有数のNGO活動家は、政府開発援助(ODA)や世界銀行融資は政治家・官僚の汚職の温床になっているので、自分で直接世界をまわり、ドイツのキリスト教慈善団体からの援助で農村の開発教育にとりくんでいる、と話していました。かつて社会主義は、国有化経済、中央計画経済と同義と考えられてきましたが、20世紀後半の歴史は、貧しい国ほど対外援助依存度が高く、国家セクター中心の経済になりやすいことを教えています。政治的民主主義の媒介がなければ、国有化・中央計画経済は開発独裁の温床となり、社会主義どころか、逆に反民衆的なものとなることを教えています。共産党の入閣や社会主義者の政治指導も、それが下層民衆の福利にまわることを保証しえないのです。そしてそれが、外資導入型の経済開発の軌道に乗ると、中国沿岸部がすでにそうなり、インドもそうなりつつあるように、一方で政治的民主化を求める都市中間層を形成するとともに、他方で従来よりも大きな経済格差を生み、環境汚染や都市スラム化をもたらすのです。実際にはそれも、伝統的カースト・ラインに沿った社会階層分化になるのです。

 したがって私は、短いインドの生活体験からも、「何が社会主義ではないか」を考えることが重要だと痛感します。さしあたり、三つの点を考えました。一つは、18世紀に思想・運動として始まった社会主義と、20世紀に体制・国家として存在した社会主義とを区別することです。第二に、「資本主義がないこと」と「社会主義があること」との間には、広大なグレーゾーンがあることです。資本主義が未発達だから「社会主義」を求める人々もいるし、「社会主義」から資本主義への「発展」が現にみられるのです。20世紀の経済システムでは、どんなに工業生産力の高い国でも(ヘゲモニー国家アメリカにおいてさえ)「資本主義的なもの」と「社会主義的なもの」とがさまざまな程度で共存しています。その中で「何が社会主義か」を考えるには、「何が社会主義ではないか」を考えることが必要です。第三に、「社会主義(socialism)」を文字通り「社会(society)」から考えることです。それも還元主義的に経済システムや国家権力で定義するのではなく、人々の生活世界の織りなす日常的社会関係の次元で考え直すことです。以下ではこの観点から、皆さんの関心の中心であろうソ連型社会主義の歴史を振り返ってみようと思います。

 

2 「短い20世紀」に現存した社会主義の意味――「長い19世紀」との対比で

 

 「短い20世紀」とは、ハンガリー科学アカデミー総裁ベレントがいいだし、イギリスのホブズボーム『極端の時代――短い20世紀の歴史(1914−91年)』(原書199歴史家4年、邦訳『20世紀の歴史』三省堂、1996年)で世界に広まった、現代史像です。ホブズボームは1917年=ロシア革命の年の生まれ、周知のように長くイギリス共産党を代表してきた知識人です。彼は「長い19世紀」について革命・資本・帝国をキーワードに3冊の部厚い書物を出していました。二つの世界戦争を含む1945年までの「破局の時代」と45年以後の「黄金時代」(70年代からその分解・危機)を1冊にまとめたこの著書は、彼なりの「現存した社会主義」の総括を示しています。

 「短い20世紀」の始期が1917年ではなく1914年であることが、一つの立場です。和田春樹さんらの「世界戦争の時代」という規定と重なります。そしてそれが1991年、ソ連の解体と共に終わった、というのがホブズボームの立論です。彼の分析自体が大変面白く、特にロシア革命とレーニンの評価は共産主義者ホブズボームの自己批判として必読ですが、ここではその紹介ははぶきます。むしろ私なりの「短い20世紀」論を、先に述べたインド体験で学んだ視点で述べたいと思います。一つは、「長い19世紀」における「思想・運動としての社会主義」との歴史的対比であり、いま一つは「現存した社会主義」を――主に旧ソ連を念頭におきながら――「社会」として振り返ることです。

 第一にそれは、思想史的にいえば、マルクスや初期社会主義の理念の現実態ではなく、帝政ロシアのバイアスを帯びたレーニン主義の産物でした。19世紀の社会主義は、フランス革命の「自由・平等・友愛」理念の「自由」が資本主義的工業化で一方での富の蓄積と他方での貧困の累積につながりつつあったことへの「平等・友愛」理念からの抵抗でした。おおむね「財産共同体」を共通目標としましたが、その意味づけや実現方法については、実に多様な考えが含まれていました。マルクス派は19世紀後半に有力になった共産主義派の一つですが、労働運動では後の社会民主主義派やアナーキズムも有力でしたし、普通選挙を求める運動や協同組合運動、社会改良や小共同体主義、ウイリアム・モリスのような工芸文化運動も広い意味での社会主義に含まれていました。

 20世紀に有力になったのは、そのなかでマルクス、エンゲルスの正統的継承をうたい「社会主義革命」を成功させたボリシェヴィキ派であり――当然ロシアにもさまざまな社会主義思想があったのですが――、その体制・国家でした。それは、平等主義や財産共有の思想を19世紀から継承していましたが、同時に自由や民主主義の概念を階級還元主義的に分割し、「社会」を経済に還元し、そうして集権的国有化・計画経済に「社会主義」を矮小化してしまいました。

 その生成の条件は、ひとつは帝政ロシアというレーニンらの直面し打倒目標とした政治体制であり、いま一つは帝国主義列強間の戦争でした。工業的に遅れた後進国で組織労働者が少なかったというのは、後にソ連社会主義の問題性が露わになってきた段階で工業先進国共産党が「弁明」のためにつけた経済主義的理由です。今日では、むしろ工業的に発展し労働運動が強い国――例えば当時のドイツや現在ならスウェーデンのような国――では、なぜ20世紀に「社会主義革命」に到らなかったのかを、深刻に考えるべきでしょう。

 帝政ロシアでの社会主義運動は、ナロードニキの時代から非合法地下活動を余儀なくされました。そのなかで生まれた軍事的規律型の陰謀結社が、ボリシェヴィキの前身でした。19世紀後半の西欧社会主義の主流は、合法政治舞台と労働運動との結合の中で、ドイツ社会民主党に代表される契約的で分権的な大衆組織政党へと向かっていましたが、1917年のロシア革命勝利と、18年ドイツ革命が、その後の社会主義を分裂させます。帝政を打倒しワイマール共和制を樹立したドイツでは「社会主義革命」は流産しました。そのため国有化・計画経済への距離と、「プロレタリアート独裁」の承認・非承認によって、一方が「社会主義革命」、他方が「ブルジョア民主主義革命」と評価され、単線発展型唯物史観に沿って、価値的にロシアの方が「労働者の祖国」の現実化、ドイツは「挫折し敗北した革命」とされました。その後の労働者の生活世界から見たバランスシートは、「ベルリンの壁」崩壊で20世紀末には明らかになるのですが、共産主義が「社会主義革命」の担い手、社会民主主義は「修正資本主義」「資本主義の枠内での改良主義」というイメージは、ここで決定的になりました。

 ともあれボリシェヴィキ型の軍事的「党」による武装蜂起が、ロシアで帝政を打倒し政権につくことによって、20世紀の社会主義は、第二に、「軍事的社会主義」という性格を色濃くしました。それは、帝国主義世界戦争のなかで、「戦争を内乱へ」のスローガンをかかげた「階級闘争」として達成されることによって、理論的にも軍事への傾斜を深めました。「戦略・戦術」といった軍事用語が「党」の思考を支配しただけではありません。「前衛党」「赤旗」「民主集中制」「統一戦線」「革命戦士」「同志(コムラード=原意は戦友)」といった軍事的言説体系が「社会主義」の主流になりました。共産党は労働者の軍隊であり革命戦争の最前線の戦士であるというイメージです。ファシズムの獄中で機動戦から陣地戦へ、市民社会のなかでのヘゲモニー闘争を考えたアントニオ・グラムシの思考は、20世紀後半に影響力を強めたとはいえ、傍流にとどまりました。

 それは、19世紀にマルクスが「プロレタリアート独裁」を掲げた段階で定まっていたわけではありません。マルクス自身の軍事的比喩による社会主義・共産主義イメージは主旋律ではありませんでした。エンゲルスには相応の責任がありますが、むしろブランキ型陰謀秘密結社からロシア・ナロードニキ、レーニン=ボリシェヴィキの流れ、それが帝政ロシア軍内に勢力を持ち革命軍=赤軍に転化したことが決定的でした。「社会主義」思想の国家主義化、それも軍事的国家主義化は、時に唯武器論的革命論にまで純化され、第二次世界大戦後には「社会主義国の核兵器は防衛的で革命的」とするところまで戯画化されました。19世紀社会主義思想から発した協同組合主義や小共同体主義は、20世紀にひきつがれてもあくまで傍流とされ、ケインズ主義と結びついた社会民主主義の労働者的達成である福祉国家は「資本主義の枠内」ゆえに「改良主義的・欺瞞的」と軽蔑されました。

 じっさい「現存した社会主義」は、戦争と結びついて世界に広まりました。コミンテルン加盟の共産党=前衛党の軍事的規律が、世界の社会主義をおおうものと構想されました。民主集中制は、党ばかりでなく国家・経済・社会の組織原理とされました。それが第二次世界大戦での東欧諸国での赤軍支配下での「人民民主主義革命=社会主義革命」に受け継がれ、アジアでも中国・朝鮮・ベトナムと「共産党指導下の人民解放軍」により体制・国家となりました。こうした意味で、20世紀の現存した社会主義は、「世界戦争の時代」の副産物でした。

 こうした生成の論理に刻印されて、第三に、現存した社会主義の政治体制は、人間の自由と民主主義からかけ離れたものとなりました。共産主義政党は「労働者階級の前衛」と自称して、政権を独占しました。レーニン的意味での「社会主義」が国是とされ、「マルクス・レーニン主義」が国教とされることによって、19世紀社会主義に孕まれていた多様な可能性が一元化され、異なる考え方は抑圧されました。その教会=共産党内部では、司祭となった政治指導者の言説が正統とされ、異端審問は時に異論者の生命を奪うところまで徹底されました。それも「プロレタリア国家」の名によって、「国家反逆罪」という法的擬制をまとって、大量の生命が奪われました。

 確かに19世紀の初期社会主義のなかにも、「裏切り者は死刑」という陰謀的秘密結社の流れがありました。ブランキの四季協会やマルクスの加わった共産主義者同盟の前身である義人同盟がそうでした。私はマルクスの社会主義運動論での重要な貢献の一つは、共産主義者同盟に加わるにあたって「大衆的宣伝団体」にするために「組織内死刑廃止」を実現したことにあると思っていますが、20世紀「現存した社会主義」は、その歴史を逆転させ、しかも国家権力を用いてそれを結社外「社会」にまで及ぼしたのです。

 政治的司祭である指導部=「党」内部に「裏切り者は死刑」の思想があることは、被指導民衆の生活世界に恐怖政治が浸透することを意味します。異端審問や魔女狩りは、当の異論者への迫害もさることながら、その周辺に「沈黙」を強いるところに社会的効果があります。コラコフスキー風に言えば、「自分のことをいつでも正しいと考えている国家」「自分を批判する人間と批判の仕方を指定する国家」のもとでは、「自分の意見を言うと不幸になり、自分の意見を言わないでいると幸福である社会」「意見というものをぜんぜん持たない方が暮らしいい社会」になるのです。

 そこでは「ノーメンクラトウーラ」とか「長い手」とよばれた一握りの党官僚エリートたちが、「指導者たちが自分を任命する国家」をつくっていました。いや中国や朝鮮には現に残っています。19世紀社会主義の原点である「自由・平等・友愛」の現世での実現は、国家体制がかたまればかたまるほど遠ざかっていきました。レーニン風の「プロレタリア独裁=多数者の独裁=真の民主主義」「ブルジョア民主主義=ブルジョア独裁=欺瞞」という議論は、70年代ユーロコミュニズム期に一時話題になり、日本では訳語問題という喜劇的エピソードまで生みましたが、89年東欧革命後はだれも議論さえしなくなりました。それどころかヒットラーのナチスとスターリンのソ連をひとくくりにする冷戦型「全体主義」論が復活し、旧ソ連・東欧では社会科学・歴史学の支配的説明になっています。

 そこまでいかずとも、「短い20世紀」に一党独裁、権力集中・情報独占、言論・思想・表現の自由の欠如、秘密警察と強制収容所が「社会主義・共産主義」の代名詞になったことは、19世紀以来の社会主義思想と運動にとって、致命的です。学校教育でマルクス・レーニン主義思想を強制され、日常生活で沈黙を強いられた民衆は、それ以外の「社会主義」を知らない以上、「あれは真の社会主義ではなかった」という言説は無力になります。「社会主義=全体主義」を生活世界から感じ取った人々には、むしろ「資本主義」「自由民主主義」のもとでの労働者・社会的弱者の権利保障、民生向上・福祉国家実現に寄与してきた社会民主主義の方が、まだしも「自由と民主主義」の名に値するように映るのです。

 こうした党=国家体制を根拠づけ正統化してきたものが、第四の問題領域、「現存した社会主義」の経済体制でした。資本主義は私的所有・労働力商品化による無政府的な商品交換・市場原理の世界であるから、社会主義とは私的所有の否定、商品・市場の廃止であり、生産手段の国家的所有・中央計画経済であるというイメージです。マルクス『経済学批判序言』の「唯物史観の公式」、「生産力と生産関係の矛盾」「土台・上部構造」「階級闘争」論が根底にあり、近代国民国家と「プロレタリア独裁」論に媒介されているのですが、19世紀社会主義の平等主義・財産共同体論に起源があることは否定できません。

 つまり、社会主義思想の社会主義思想たるゆえんは、近代工業社会で支配的になった経済=エコノミーの領域にあり――ご承知のように政治が市民の義務とされた古代社会ではオイコス=家計は私事であり、中世には宗教が生活世界の中心であったとされます――、その社会の管制高地(これも軍事的用語です)たる国家権力を労働者階級が掌握し、産業国有化・計画経済で生産力を解放するという構想が、19世紀後半には社会主義の主流となりました。20世紀の社会民主主義が、共産主義の側から修正主義・改良主義として軽蔑されたのは、この点では両者が構想・目的を共有し、ただ平和主義的・漸進主義的方法か革命的・一挙的実現かという手段とテンポの違いとみなされたからです。ただし19世紀前半まで遡ると、オーウェンやフーリエには国家を媒介しない社会主義構想がありますし、じっさい協同組合主義やアナーキズムは、今日でも広い意味での社会主義思想・運動の有力な流れに属します。

 このレベルでの「短い20世紀」の総括は、実は「国有化か私的所有か」「計画か市場か」「労働の経済か資本の経済か」という争点が、本当に社会主義思想の生命線であり種差性であったのか、という問題を提起しているように思われます。

 二つの原理的問題があります。ひとつは、生産手段の所有関係で規定される階級という社会的存在形態が、人間の自由・平等・友愛の実現のためにどのような意味を持つかという点です。いまひとつは、社会主義は人間が自然を改造しての生産力の無限の発展を前提にできるか、すべきかという問題です。この問題を考えるためには、20世紀が「世界戦争の時代」で21世紀は「世界経済の時代」になるという和田春樹さん流の考え方もありますが、「短い20世紀」自身が人類史上未曾有の物質的生産力拡大の時代であり、地球環境・生態系破壊の時代であり、ホブズボーム流にいえば「極端の時代」であったことを、想起すべきだと思います。20世紀は、いわば「世界戦争=世界経済の時代」であったのであり、それはマルクスを含む19世紀社会主義者の想像を絶するものだったでしょう。

 もちろん生産力発展の基礎に資本主義があり、マルクス『資本論』はその蓄積メカニズムを原理的に洞察した「古典」です。しかしその資本主義も、20世紀に大きく変貌しました。市場と国家の関係は、資本主義の発展そのものによって、相互依存的なものになりました。社会主義者の構想した市場経済の国家管理・計画化は、資本主義そのものにもビルトインされ、労働者の貧困や失業の問題も、社会保障や社会福祉によって補われるようになりました。むしろ問題は地球大に広がって、顔の見える資本家から株式会社、所有と経営の分離、法人資本主義と脱人格化した資本が、世界市場を支配する多国籍企業となり、国家間・国民社会間の格差を拡大しました。レーニン『帝国主義論』は、これを「独占資本主義」「労働者階級の買収=労働貴族」として説明し世界戦争の不可避を説きましたが、今日の世界の生産統合・南北格差は、「民族自決権」による旧植民地の国家的独立では「国民経済の自立」を許さないほどに深化し、深刻化しています。いわば、20世紀資本主義主導の国家と経済の相互浸透と国民国家による地球的分割の完了が、「現存した社会主義」の国有化・計画経済構想を後発工業国の「開発独裁」の一類型と再把握させ、その生産力的パーフォーマンスの貧しさゆえに、社会主義そのものを魅力ないものとしたのです。

 国民経済内部に立ち入っても、国有化や中央指令型計画経済は、直接生産者に「労働の喜び」をもたらすものではなく、むしろ労働者階級の利益を潜称し「代行」した党=ノーメンクラツーラ層の非効率で無責任な経済運営を横行させました。情報独占と政治的民主主義の欠如のもとでは、生産指標の改竄やサボタージュが労働者の無言の抵抗でした。ソ連の経済統計の好い加減さや第一次5か年計画とウクライナ食糧危機の関係は、91年解体以前から論議されてきましたが、クレムリンの秘密資料の公開によって、いまや73年の全生涯にわたる洗い直しが進んでいます。戦時共産主義とネップ、強行的工業化・農業集団化、ある時期までの計画経済による生産力拡大とその後の停滞といった経済政策の吟味や時期区分は、歴史研究としてなお重要ですが、民衆の生活世界にとって「20世紀社会主義とは何であったか」という主題に即して言えば、「現存した社会主義」の経済的バランス・シートは、北欧福祉国家や欧米自由主義に比して、あまりに貧弱です。「後発工業化」「開発独裁」の原型としてみなしても、日本型企業国家や東アジア工業化モデルという、別のかたちがありえたことになります。

 しかし、19世紀社会主義にまで遡ってみると、そこには産業化・工業生産力拡大そのものに疑問を持ち、職人的小生産社会・農耕共同体に「平等・友愛社会」の原型を見ていた思想も含まれていたことに気づきます。エンゲルスにより「ユートピア」とされ、日本語で「空想的」と訳され蔑視された、いくつかの流れがそうです。マルクスの「アソシアシオン」概念が最近注目されているのも、「資本主義の生産力と生産関係の矛盾=社会主義による生産力解放」よりも、「労働の疎外克服」や「人間主義=自然主義」に社会主義の原点を見いだそうという原点への回帰でしょう。無論そこには、20世紀科学技術・生産力発展のもたらした環境・生態系破壊、生命・人間性破壊への危機意識が投影されています。いわば20世紀的生産力発展へのブレーキ・人間的歯止めとして、社会主義思想を再興させようという志向です。私も、それが可能ならば、そうした思考の組み替えを支持します。

 ただしこの面でも、「現存した社会主義」は反面教師です。環境破壊や人間性破壊では、貧困と言うよりミゼラブルです。私の推計では、1930年代後半の大粛清期には全労働力の1割以上を強制収容所の奴隷労働に依拠していましたから、一方でノーメンクラツーラ特権層の跋扈する経済的不平等社会であったばかりでなく、最近の歴史学のいう「奴隷包摂社会」でもあったと思われます。それが「一国社会主義」の限界であり、「世界革命の未達成」により強いられたものだという「弁明」は、あまり説得力を持ちません。そもそも「世界ブルジョアジー対世界プロレタリアート」というコミンテルン的階級闘争図式は、宗教や民族やカーストや階級内社会層を、生産手段の所有・非所有に還元して階級関係に従属させることで、現実の20世紀の歴史的展開には、無力だったのです。ましてや、女性の解放を階級闘争に従属させてきた点で、政治的にも誤っていました。今日では、国家主義の延長上で地球的世界革命政府・集権的計画経済を夢見るよりも、ローカルなコミュニティでアソシアシオンを構想し、そのネットワーク型共生のなかで多国籍企業や国家への抵抗を考える方が、はるかに社会主義的でしょう。むしろ「一国社会主義対世界永続革命」というレーニン死亡時につくられた争点をも、「短い20世紀=世界戦争・世界経済の時代」の歴史のなかで相対化する視点が必要でしょう。

 この意味で、私が考える「現存した社会主義」の歴史的教訓とは、思想の自由・文化的多元主義が、社会主義にとって不可欠だということです。それは社会主義の定義そのものにも適用されねばならず、「何が社会主義であるか」をも、後世の歴史の審判に委ねる思想的寛容が必要だということです。この点は、私自身の社会主義像として最後に述べましょう。

 

 3 21世紀における社会的にラディカルなユートピアの構想

 

 あらかじめ、私の社会主義イメージを示しておきましょう。アメリカ独立宣言やフランス人権宣言を継承した19世紀初期社会主義からより多くを学び、20世紀現存社会主義を反面教師としつつ、日本国憲法やインド憲法からも学んだユートピアです。それが社会主義であるかどうかという定義には、あまりこだわりません。簡単に言えば、「自由」と「平等」と「友愛」の両立する自律的最適社会です。「平等」は画一主義とつながるというなら「公正」といいかえてもいいし、「友愛(フラタニテ)」の原義は兄弟愛ですから姉妹愛も加えて「連帯」や「共生」といいかえてもかまいません。これにインド憲法風に「正義」を加えてもいいし、日本国憲法の「平和」主義や、最近政治学で脚光を浴びている「信頼」を加えてもかまいません。抵抗権や寛容の精神、権力分立や市民的公共性と具体化してもいいでしょう。要するに、社会主義と称すると否とにかかわらず、人類史に繰り返し現れてきた理想を、よりよく実現する社会です。

 このことは、社会主義との関係で、二つのことを意味します。ひとつは、19世紀の社会主義思想の生成に立ち返って、それをさまざまな宗教や救済思想を含む人類の「ユートピア」の流れの中に置き直すことです。もう一つは、社会主義を、19世紀後半以降の国民国家との癒着から切り離し、文字通りの「社会」主義として、再措定することです。これまでの私の著作では、「社会中心主義」「市民社会主義」「自由社会主義」「地球市民主義」などといいかえてきました。「革命」との関わりでは、『東欧革命と社会主義』で「労働生活における革命」「自由時間における革命」「世界空間における革命」「国家そのものに対する革命」を提唱し、そのプロセスを「永続民主主義革命」とか「ほめ殺しと脱労働の社会主義」と規定してきました。無論、たんなる思いつきではなく、マルクス『フランスにおける内乱』の「国家権力の社会による再吸収」、グラムシ『獄中ノート』の「政治社会の市民社会への吸収」を基礎に、20世紀のさまざまな解放思想に学んでのものです。

 第一の点は、19世紀社会主義、マルクス主義をも、歴史的近代に生まれた解放思想の一つととらえて、人間の尊厳と自由と人権を実現する方途を考えることです。近代的自由の概念が西欧キリスト教世界に起源をもつことを認めながらも、それがなによりも内面の自由・思想の自由として生まれ、抵抗権・革命権に裏付けられていることを重視し、その絶対性・普遍性を主張する点では、文化相対主義やポスト・モダンには与しません。したがってその政治の理念として、多元主義的民主主義を前提します。具体的には、身分・階級・階層、人種・民族、宗教・言語・文化・性の違いを超えて、あらゆる人間に人権・市民権が保障され、情報公開・参加と選択の自由をふまえたコミュニケーション領域・公共圏形成を構想します。選挙や議会、権力分立・地方自治などは、その系として出てくるもので、ここでは省略していいでしょう。政党や利益集団、レファレンダムやオンブズマン制度といった20世紀的手法も、ここでは立ち入りません。近代国民国家という圏域を必ずしも前提せず、ローカルなコミュニティ=アソシアシオンからナショナル、リージョナル、グローバルと、重層的なネットワーク社会をボトムアップにを考えることがポイントです。

 問題は、社会主義思想・運動が主として関わってきた「平等」との関連で、富と貧困、労働と所有、生産力と生産組織のあり方でしょう。ソ連型社会主義が国家資本主義であったか、国家社会主義であったか、過渡期であったか否かなどと問題にされてきた領域です。この面で、19世紀以来の社会主義は、「財産共同体」から「生産手段の社会的共同所有」へ、その「社会的所有」のあり方として国家的所有と国民経済の計画化へとシフトしてきたわけですが、政治の在り方を重層的・分権的に考えたように、経済のあり方をも「管制高地」のトップ・ダウン型ではなく考える必要があろうと思います。

 そもそも20世紀の資本主義市場経済は、一方で多国籍企業のような資本の高度な脱人格化・脱国民化形態を生み出すと共に、国有・国営はもちろん、自治体所有や第3セクター混合所有、協同組合所有から労働者持株制度にいたる様々な形態を組み込んできたことを想起すべきでしょう。また所有と経営の分離ばかりでなく、金融・信用制度のグローバル化と国民経済の相互浸透・相互依存が進んでいること、そのなかで労働条件や環境規制のグローバル・スタンダードも生まれてきていることに着目すべきでしょう。

 国有化・指令型計画経済の破綻で、メインストリームにおける新自由主義の台頭もあり、社会主義の流れでも「市場的社会主義」の議論が盛んです。しかし問題は、「市場の廃止か市場の利用か」という論点を超えていると思います。イギリスのアンドリュー・ギャンベルらが述べているように、「平等主義的市場経済」をどのように構想するかが、世紀末社会主義の現実的課題です。したがって所有と生産のレベルでは、現存するさまざまな所有・生産形態の重層的併存を前提しながら、一方で多国籍企業・銀行のような巨大資本への「市民的規制」のあり方、他方で「市民的蓄積」といえるような協同組合セクターの保護・育成、労働者の資本所有や経営参加、失業者や社会的弱者の救済・福祉、納税者・消費者の権利と参加拡大、総じて経済民主主義のあらゆる領域での徹底が必要となるでしょう。

 そのさい、私が理論的に重要だと思う問題が、三つあります。

 その第一は、生産力と労働に対する態度です。社会主義は、自由や平等・友愛を求めて出発し、資本主義のもとでは生産力が十全に発展できないので社会主義にするという理論構成に向かい、ついに20世紀には資本主義との体制間成長競争に入ったのですが、「短い20世紀」総体における飛躍的な生産力発展とその地球環境・生態系破壊、核兵器から遺伝子操作までを見てしまった21世紀の人類にとって、そうした無限の生産力発展のための社会主義、科学としての社会主義という構想は、魅力のないものになるでしょう。むしろ科学技術と生産力を全人類的に制御する思想として、鋳直すことが必要でしょう。

 その関連で、「労働を通じての解放」というナチスの強制収容所にもかかげてあった思想を、再吟味する必要があります。労働者が生産過程における直接生産者であり生産力の本来の担い手だから人類解放の主体たりうる、機械性大工業のもとで潜在的には全面的に発達した個人になり経済も政治も制御できるようになるといった観念を、20世紀の現実的展開に照らして、考え直す必要があります。私が「脱労働社会主義」というのはその趣旨ですが、古代ギリシャのポリス市民まで遡らずとも、近代社会の歴史的展開に即しても、労働時間を通じての解放よりも自由時間を通じての解放、労働による解放ではなく労働からの解放という視点が必要だと思われます。ハンナ・アレントやユルゲン・ハーバーマスは、それを労働と仕事と活動の区別と連関、道具的技術的コミュニケーションから理性的で人間的な公共圏構築へという論理で説いてきたわけですが、社会主義思想の出発点における共同的・友愛的オリエンテーションを考えれば、こうした大胆な発想の転換も必要と思われます。

 第二に、西欧近代の国家と市民社会の分離のさいにはらまれた「公私区分」を、再考する必要があります。端的にいって、19世紀の顔の見える資本家・工場主の時代ならともかく、多国籍企業段階に達した企業の生産活動を、もっぱら「民間」の「私的」なものと考えてよいのか、という問題です。西欧の場合でも、市場経済は市民社会の領域に属する私的活動とされ、企業に法人格が与えられて当事者間の紛争への国家介入は最小限に留めると理論構成されたのですが、いまや企業はジャイアントになり、普通の市民が対等・平等に争える存在ではなくなりました。ですから企業活動が市民社会を脅かすと考えられた場合には、たとえば工場法による児童・女性労働制限、労働時間短縮、公害規制など公論の対象とされてきました。企業の社会的責任やメセナ・フィランソロピーも当然のものとなりました。

 しかし、企業が市民の生活世界のあり方を規定し、国境を越えた生産・ビジネスの巨大単位になっても、理論的には商取引も労働契約も企業と市民間の関係も「私的」なものとして扱われます。日本の場合にはさらに、「市民的公共性」の観念が薄く、「国家=官=公」という観念が強固で、「私的」とされる企業の長時間拘束により、地域社会や家族生活が脅かされる構造になっています。まだ熟してはいませんが、生産・労働単位としての企業を公共性の領域に組み込み、家族や地域の私的「親密圏」からボトムアップに「公共圏」を組み立てる理論が必要だと考えています。無論、いわゆる新自由主義の「民営化」市場万能論を意識してのことですが、そのさい企業を「法人」と擬制する近代的思考の再考、R・ダールのいう「企業の市民的統治」がポイントであろうと考えています。

 第三に、「市民社会」なり「公共圏」なりの問題として、かつて松下圭一の提唱で革新自治体時代に使われた「シビル・ミニマム」の考え方を、平等主義なり公正主義という社会主義本来の思想と接合できないかと考えます。最低賃金とか環境規制ではすでにとられているものですが、平等主義を画一主義にせずに、人権・市民権としてのミニマム・スタンダードを社会が公共的に設定し保障することで、女性や老人・子供・障害者・外国人など社会的弱者の保護と差別解消・格差是正につなげ、労働条件や所得分配の社会的公正を保証し、さらには南北問題や地域統合にも及ぼしていこうというアイディアです。そのさい「社会」そのものを、ローカル・ナショナル・リージョナル・グローバルと重層化し、ローカル・ミニマム、ナショナル・ミニマムからグローバル・ミニマムまで組み上げていくのです。無論宗教的・思想的に寛容で、相互承認にもとづく討論が前提されます。

 かつて労働組合運動の力がロシア革命の頃にILOを創設し、1日8時間労働を世界的スタンダードにしたのですが、最近の核兵器の違法性をめぐるハーグ国際司法裁判や、日本も調印することになった地雷禁止条約は、ローカルな市民の始めた社会運動がナショナル・リージョナルからグローバル・スタンダードをつくりだした実例です。この関連で、「市民セクター」である協同組合などNPO・NGOの役割は大きく、労働運動を主たる担い手と想定してきた社会主義は、発想の転換を迫られるでしょう。地雷禁止条約を実現させた運動は、女性の発案でした。20世紀にようやく本格的イシューになったジェンダーの問題は、21世紀に本格的「革命」を迎えるのであり、人類の半数を占める女性を自立的主体として組み込みえない社会主義では、再生はおぼつかないでしょう。

 全体として、政治・経済・文化を含む「社会」を信頼と寛容に根ざした公共的アソシアシオンとして再構成し、重層的かつボトムアップに、共生型ネットワークに組み替えていくというのが、「21世紀の社会主義」でしょう。そうした発想の転換が必要なほどに、「20世紀の社会主義」の負の遺産は大きい、ということを申し添えておきます。

メタ・ユートピアの構図
 ロバート・ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』再読

                                   稲葉 振一郎
                              『情況』1996年8・9月号


 ロバート・ノージックの『アナーキー・国家・ユートピア』*1を今日読み返してみると、ともすればやや古くさいという印象を受ける。著者であるノージック自身、本書で提示されたリバタリアニズムの政治思想を今日では放棄しているというが *2 、その理由自体は私のあずかり知らぬところである。ここではもちろん、私自身におけるそうした感想の根拠を提示せねばならない。
 本書で展開された社会モデルは一見してわかるとおり、新古典派経済学のそれに大いにインスパイアされている。出発点としてのロック的自然状態は、道徳規範の確立された無政府状態であり、そこにおける道徳の根幹は個人の権利の不可侵性にある。ここで権利は実現されるべき状態として、あるいは行為の積極的領導原理として導入されるのではない。そうではなく他人の権利が「付随制約side constraint」としてそれぞれの個人の前に立ちふさがり、個人が正当になしうることの範囲を予め制約しているのである。個人の権利の具体的な内容は、本質的に自己のそれと同一である他人の権利を侵害しない限りにおいて、自由に行動し、自分の身体と財産を処分できる、というものである。財産の獲得は自己の労働によって、並びに他人からの双方の合意に基づく移転を通じてのみ、正当に行われる、とされる。
 この道徳的制約の下で、各個人は自己の利益を最大化するように行動する。この想定はいわゆるホモ・エコノミクス、合理的経済人のそれと矛盾するものではない。のみならず個人間の社会関係も基本的に自発的合意によるサービスの交換をベースとして展開されるものとしてそこでは描かれ、国家もまたこのような交換の連鎖の果てに、道徳規範の裁定と執行というサービスをそのメンバーに提供する自発的結社の変態したものとして構成可能である、とされる*3 。すなわちそこでは国家を含めたほとんどの社会的組織体が、市場における自発的交換の所産としてモデル化されるのである。その結果、自発的交換の域を超えた強制的再分配を国家が行うことは道徳的に容認されない、と結論される。つまり道徳規範の裁定と執行というサービスのみを独占し強制する「最小国家」のみが支持され、福祉国家と社会主義のプログラムが強く批判される。
 ところで本書が発表された1974年前後は、「経済学第二の危機」が叫ばれ、アメリカでは少なからぬ若手経済学者がマルクス主義を受容して、新古典派正統に挑戦するラディカル・エコノミクス運動を進め始めた時期であるから、本書の議論はその出版当時においても、少なからぬ人々にとってむしろ時代遅れの、反動的な代物と映ったであろう。それでもなお本書が現代の古典として生き延び、広く読まれたことにはだから、こうしたマイナス評価を跳ね返すに足るいくつかの理由があったと考えられる。
 第一に、ややシニカルな見方であるが、ディシプリンとしての規範的倫理学、社会哲学の相対的な後進性という事情が挙げられる。なにしろ本書が主要な批判対象としている先行業績たるジョン・ロールズの『正義論』*4の出版でさえ1971年のことであり、アカデミックな哲学サイドからの政治思想書として本書はなお貴重な存在であったはずである。
 第二に、本書はあくまでも規範的理論の書であって、現実の実証的な分析を主題としてはいなかった。それゆえに新古典派経済学のモデルを利用しても、「新古典派は経済の現実をよく説明できない」、といった類の批判からは身をかわすことができたのである。
 そして第三に、純粋に規範的な社会モデルの構想の道具としてみれば、新古典派経済学もそれほど捨てたものではない、との主張として本書を読むこともできる。本書は新古典派的な思考のポテンシャルを当の経済学者たち以上に徹底的に追究して、その予想外の魅力を説得的に提示したとも言える。
そして更に本書に対しては、その後の歴史の中で追い風が吹いた。石油ショック以降に先進諸国を襲ったスタグフレーションと財政危機は社会経済政策思想における古典的自由主義の復権を促し、その中で本書もまた古典的自由主義ルネッサンスの重要な理論的成果として読まれるようになった。
 しかしながらことに1990年代以降、思想としての古典的自由主義の復権も一段落し、それでは処理しきれない現実の様々な問題の噴出に我々はさらされている。古典自由主義的な経済政策は公企業の民営化、公益産業の規制緩和などにおいては一定の後戻り不能の成果を挙げたが、赤字財政の再建には決して成功せず、かえって総体としての福祉国家の解体がほとんど不可能であることが明らかになった。とりわけ80年代の間、福祉政策、社会資本投資をなおざりにしてきたアメリカ合州国社会の荒廃は深刻である。また社会主義経済圏は崩壊したが、その後の市場経済への移行は困難を極めている。そしてやはり社会主義圏の崩壊の帰結である民族紛争の多発は、政治統合の原理としての自由主義の有効性を、古典的、19世紀的自由主義についてのみならず、それが批判対象とした20世紀的、福祉国家的自由主義についてまで疑問に付している。
 また本書が書かれて以降、新古典派経済学も大いに様変わりした。ゲーム理論、ことに1994年度ノーベル賞受賞者の一人であるジョン・ナッシュの均衡概念を軸とした非協力ゲームの理論は経済学全体の基礎理論となりうるだけの射程を有するものとして自己主張を始め、新古典派の射程外にあった非市場的行動、制度や組織の理論をも一貫した形で組み立てるという作業が着々と進行している *5 。こうした立場からすれば、伝統的な新古典派のなかに潜在していた、完全競争市場の経済社会は「自由放任」状態の理想的な極限のモデル化である、という想定は根拠を欠くものとなる。とりわけ、古典的な一般均衡理論では、経済の均衡は技術や主体の選好、そして情報ネットワークの構造によって決定されており、初期の歴史的状態には依存しない、と考えられがちであったが、近年では同じ構造を持った経済においても複数の均衡が成立し、かつどの均衡が実現されるかは初期状態や歴史的経緯に左右されるという「経路依存性」*6が問題とされるようになり、完全競争市場という理想の自然さは大いに損なわれている。


 以上のごとき経緯のゆえに、『アナーキー・国家・ユートピア』という著作の説得力は、ドグマの提示としても社会理論としても、かつてに比べると減じてきていることは否めない。私はそれゆえに本稿冒頭で「やや古くさい」と書いた。それはもはや最新ファッションからは外れている。だがなお本書において決して古びていないもの、それどころかなお時代に先んじ続けているものもたしかにある。それは何か? 
 第一に、たしかに彼の描く完全競争市場の論理の支配する社会のモデルは全体としては古くさいものである。しかしながらここで見落としてはならないのは、そこに登場する人々が何を求め、何を行うか、である。人々はそこで自由な創意に基づき、自発的な合意によって連帯して多種多様なコミュニティを作り、それらのコミュニティ間で、より魅力的な生活、意義ある生のサポートを目指した公正な競争を行う。そのヴィジョンはたしかに自由主義的ではあるが、しかし決して個人の自由主義にとどまるものではなく、共同体の自由主義なのだ*7
 コミュニティ、共同体という言葉よりも、むしろここでは組織、ないしは自発性に基づく緩やかな共同性を含意したアソシエーションという言葉の方が似つかわしいであろう。翻って見れば、自由主義思想に対する批判として古典的なものの一つは、現代の我々は組織の社会に生きており、個人に定位するきらいの強すぎる自由主義思想はそこにおける生の指針としては無力になっている、というものであった。しかしながら本書は組織社会のための自由主義思想、組織をただ無視するのでも、反対するのでもない、組織のある社会、組織としての社会のための自由主義思想の可能性を示しているのである。


 第二に*8、本書の表題が『アナーキー・国家・ユートピア』となっていることの意味を軽く考えてはならない。本書は全3部で構成され、その第3部はまさに「ユートピア」と名付けられているのである。分量的にはこの第3部はただ1章のみからなり、本書中に占めるウェイトは一見少ないが、それにもかかわらず一つの部として独立していることの意義はどれほど強調しても足りない。
 この第3部「ユートピア」の課題は、「しかし最小国家の概念または理念は、渇望の対象となる魅力に欠けるのではないか。それは、心をぞくぞくさせ、人々に闘争と犠牲の気持ちを奮い立たせることができるだろうか。誰か一人でも、その旗の下にバリケードを築こうという気になるだろうか。」( 481頁)という一文に要約されている。つまり本書の叙述の順序に従えば、「最小国家」の概念はまずは一方の極のアナーキー、他方の極の福祉国家や社会主義体制を含めた「拡張国家」という、積極的な社会構想、それぞれ対極にありながら、共に社会の現状を批判し、人々のよりよい生き方へを可能とするユートピア的枠組みを追求する思想との対比において、消極的な形で導き出されている。そこでノージックは「最小国家」の理念が、あれも駄目これも駄目という手詰まりの中での消極的な選択肢などではなく、それ自体としての魅力を持つ積極的な選択肢でありうること、それは一つのユートピアでありうることを示そうとするのである。
 ノージック自身も認めているように、「最小国家がユートピアでないことは明白であるように見える。」( 481頁)実際、フリードリッヒ・フォン・ハイエクに代表される今世紀後半の新自由主義、古典的自由主義の復権の試みは、社会主義計画経済体制の批判から出発し、あるべき社会の枠組みを設計することを全体主義的な「理性の傲慢」として退けてきたのである。この伝統は一見、ユートピアからは最も遠いものであるようにも思われる。しかし実は新自由主義者たち自身の主張もまた、あるべき社会の枠組みの設計というべきものになってしまっているには違いない。ハイエクは社会主義や福祉国家を批判して、誰が設計したわけでもない「自生的秩序」としての市場経済や慣習法を中軸とした社会、一見不合理的に見えつつも、一種の進化の過程の中で生き残ってきた叡智の集積としての伝統に基盤を持つ社会を理想として描くが、それもまた現実の社会に対するトータルな批判と改革への指針である限りにおいて、多分にユートピア的である。確かに彼が生涯をかけて批判してきた社会主義計画経済体制は崩壊したが、やはり一見崩壊しそうにも思えたケインズ主義的福祉国家は、意外なほど頑強な生命力を保っている。この意味でハイエクが批判した「設計主義 constructivism」は、単に悪しきユートピア、20世紀の現実を侵してきたが、いまや歴史はそこから覚めつつある悪夢だったというのではなく、もはや我々にとって市場や慣習法と同じく逃れ難い伝統の一部となってしまった。つまりユートピア批判としての新自由主義もまた一個のユートピア思想であり、反面すべてのユートピア思想もまた我々の伝統の一部なのである。ノージックはこうした事情を明らかに自覚している。それゆえに彼は自らの著作の題名に堂々と、「ユートピア」の一語を刻み込んだのである。
 ではいかなる意味において「最小国家」の下における社会はユートピアであると言えるのか。ノージックの答えは「選択の自由」と要約してもよさそうである。しかしそれはハイエクの直弟子ミルトン・フリードマンの言うそれとは異なり、個人的な「選択の自由」に止まるものでは決してない。それは社会の選択の自由である。より正確にノージックの解答の要約を行なうとすれば、「ユートピアはメタ・ユートピアである」( 506頁)となるだろう。この点でノージックは新自由主義の本流ともいうべき、オーストリア学派やシカゴ学派の経済学者たちの大部分と決定的に袂を分かっている。
 やや長くなるが、以下、ノージック自身の言葉で語ってもらおう。

「ユートピアの特質を(顕著に)もつことになる社会に対して我々が課したいと思う様々な条件の全体は、総合的に見れば整合的ではない。社会的、政治的な良きもの(goods)のすべてを同時に実現しかつそれを継続することは不可能だということは、人間の条件に関する、検討し嘆くに値する残念な事実である。(中略)しかしユートピアは、ある限定的な意味で、我々すべてにとって最善、我々各人にとって想像できる最善の世界、でなければならない。」( 482頁)
「最初の道筋は、人々が異なるという事実から出発する。」( 502頁)
「全員が住むべき最善の社会が一つある、という考えは、私には信じられないものに見える。」( 504頁)
「導くべき結論は、ユートピアにおいては、一種類の社会が存在し一種類の生が営まれることはないだろう、というものである。ユートピアは、複数のユートピアから、つまり、人々が異なる制度の下で異なる生を送る多数の異なった多様なコミュニティーからなっているだろう。(中略)ユートピアは、複数のユートピアのための枠であって、そこで人々は自由に随意的に結合して理想的コミュニティーの中で自分自身の善き生のヴィジョンを追求しそれを実現しようとするが、そこではだれも自分のユートピアのヴィジョンを他人に押し付けることはできない、そういう場所なのである。」( 505-6頁)
「枠は、二つの点で他のすべてのユートピアの記述よりも優れている。第一にそれは、ほとんどすべてのユートピア主義者にとって、彼の構想の具体的構想の如何にかかわらず、将来のどこかの時点で受容可能となるだろう。第二にそれは、どんな具体的ユートピア構想に対しても、その実現や例外なしの勝利を保証しはしないが、ほとんどすべてのユートピア構想の実現と両立する。」( 517頁)
「我々は、三つのユートピア主義者の立場を区別することができる。つまり、全員に一つのパタンのコミュニティーを強制することを許す帝国主義的ユートピア主義、一つの特定種類のコミュニティーに住むことを全員に対して説得しまたは確信させようという希望をもつが、それを強制しはしない伝道的ユートピア主義、必ずしも普遍的にではなくともある特定のパタンのコミュニティーが存在し(存続可能であり)、そうしたいと思う者がそのパタンに従って生きることを希望する実存的ユートピア主義、である。実存的ユートピア主義者は、枠を心底から支持することができる。(中略)伝道的ユートピア主義者達は、その熱望は普遍的だが、彼らの好みのパタンへの支持が自発的である点が決定的に重要だと考えるので、実存的ユートピア主義者達とともに枠を擁護するだろう。(中略)他方帝国主義的ユートピア主義者達は、彼らに不同意の者が他にいる限り、枠に反対するだろう。」( 518-9頁)
「枠は自由尊重主義的、レッセ・フェール的であるが、その中の個々のコミュニティーがそうである必然性はないし、あるいはその中でどのコミュニティーもそうであることを選ばないかもしれない。」( 520頁)
「我々がこれまで述べてきたユートピアのための枠は、最小国家に等しい。」( 539頁)
「最小国家は我々を、侵すことのできない個人、他人が手段、道具、方便、資源、として一定のやり方で使うことのできないもの、として扱う。それは我々を、個人としての諸権利をもちこのことから生じる尊厳を伴う人格として扱う。我々の権利を尊重することで我々を尊敬をもって扱うことによって、それは我々が、個人としてまたは自分の選ぶ人々とともに、同じ尊厳をもつ他の個人たちの自発的協力に援助されて、自分の生を選び、(自分にできる限り)自分の目的と自分自身について抱く観念とを実現してゆくこと、を可能にしてくれるのである。どんな国家や個人のグループも、どうしてこれ以上のことをあえてするのか。また、どうしてこれ以下しかしないのか。」( 540頁)

 以上は『アナーキー・国家・ユートピア』の末尾を飾る、「ユートピアのための枠」のただ一章のみからなる第三部「ユートピア」からの抜粋であり、この章全体の要約ともなっている。
 ノージックのこの作業の面白味は、まずユートピアのメタ理論的作業、すなわち、「およそユートピアと呼ばれるものが満たすべき条件とは何か?」について、ロールズによって切り開かれた現代正義論の地平からの考察を行い、「唯一最善のユートピアなどは存在しない」と結論した上で、そこでユートピア論からの撤退をおこなうのではなく、逆にユートピアのメタ理論そのものを社会システムとして制度化するというアイディア、すなわちメタ・ユートピアを、単なるユートピア検証のための概念装置としてではなく、その中で人々が具体的な生を営む機構として構想してみせるところにある。そこでは「帝国主義的ユートピア主義」以外のすべてのユートピア主義が許容される。
 このノージックの作業が魅力的であるのは、ひとつにはそれが、現代正義論の地平の中でユートピアの問題を論じた点にあるのだが、それ以上に重要なのは、「帝国主義的ユートピア主義」以外のユートピア主義が一貫した立場として選択されうること、を示そうとしたところにある。近代の典型的な「帝国主義的ユートピア主義」としてのマルクス主義は、自分達以外の様々な社会主義を否定的な意味、「実現可能性がない」という意味を込めて「ユートピア的」と呼び、それに対して自らの立場を「科学的」と称したが、結局のところこの区別の眼目はオール・オア・ナッシングの思考法をとるかどうか、にあった。マルクス主義は、既存の支配的な社会経済体制の枠を総体としていったん解体(=革命)した後でなければ、新しいよりよい社会を打ち立てることはできない、とした。この大枠としての現体制を手つかずのまま残しておいて、その中でいくら社会主義的実験を行おうと、現体制のメカニズムによって排除されてしまう、と。ユートピア構想の具体的な内実において実は貧しかったものの、現実の社会体制の分析力においてそれなりの力を発揮したマルクス主義は、それが後に「収容所国家」を実現してしまったという実績を除外しても、ユートピア主義イコール「帝国主義的ユートピア主義」、という先入見をその批判者の間にまで広める力を持った。すなわち、ユートピアの実現を真摯に追求するならば、敵対者を暴力的にでも排除する強引な手段をとる他はない、という。そしてノージックの功績はこの先入見をひっくり返したところにあるのだ。新古典派経済学の推論方法を用いてこのような理論が提出されたことに、我々は素直に驚かなければならない。


 とは言え先に見たごとく、新古典派経済学の限界が1970年代とは異なりより内在的に明らかにされつつある今日、我々はただ感嘆してすますわけにもいかない。とりわけ経路依存性、つまり歴史の問題が根本的である。
 たとえ様々なユートピア的実験が日々新しく生まれてこようとも、そのすべてが十分な成功を収めうるわけではないことは、ノージックも認めている。ただしノージックによれば、最小国家が支える諸ユートピアのための「枠」、メタ・ユートピアは少なくともそれらの間での出発点の平等を保証する*9。しかしながら経路依存性の問題はそのような楽観を許さない。既存の諸コミュニティはしばしば、何ら直接的な実力行使による妨害によらずして、そしておそらく意図することさえなくして、新しい試みの発生と参入をブロックしてしまうことができるだろう。またそのようなブロッキングを考慮に入れなくとも、既存の諸コミュニティの配置は新しく行われうる実験の発生の頻度や総量にも影響を与えるだろう。ノージックが本書で期待しているような、そのときそのときで最大限に多様なユートピア実験が絶えず行われ続ける、というコミュニティ間の自由な完全競争を支える「枠」としては、「最小国家」では不足であり、少なくとも「完全情報」と新古典派で呼ばれてきた想定を実現するような制度的工夫がそこにはプラスされねばならない。実力行使だけを除外した「自由放任」では、それを実現したことにはならないのだ。
 「完全情報」が何を含意するかについては後で立ち戻ろう。しかしながら以上のごとき修正要求は考えようによっては二次的なものであり、本書の提示した「ユートピア的組織の自由主義」の意義自体は揺るぐものではない。上の修正要求はその否定ではなく、その(例えばゲーム理論の視点を取り入れた)洗練を要求するに終わっていると考えられる。だが私の考えるところでは、本書の「ユートピア的組織の自由主義」を今日意義ある思想として継承発展させるためには更にそれ以上の批判的吟味が必要となるのである。
以前私は本書におけるメタ・ユートピア論について、その当事者的視点の不足を指摘した*10。すなわち、そこでのノージックの口振りはあたかもユートピア実験の完全競争市場を管理する公正取引委員会のようであり、その市場のただ中で特定のユートピア構想に実存を賭ける主体のそれではない、と。しかしそれはいかにも舌足らずでないものねだりに終わりかねない論難である。そこでここではより具体的に、以下の二つの問いを立てることにしたい。


 第一に、特定のユートピア的コミュニティ実験にではなく、その「枠」そのものにおいて生きることに価値を見いだすような生き方があるとすれば、それはどのようなものか? ノージック自身の論法に即して考えるならば、「最小国家」のメタ・ユートピアのために人々が「心をぞくぞくさせ」、「闘争と犠牲の気持ちを奮い立たせ」、「その旗の下にバリケードを築こうという気になる」とすれば、そのメタ・ユートピアの「枠」それ自体のためにではなく、それが自分達の生き方の実験を支えてくれるがゆえにである、ということになる。すなわち、「枠」自体は人々にとって手段的な価値しか持たない。実際ノージックはこのように語る。

「私が構成要素であるコミュニティーの具体的性格を何ら提起しなかったのは、それをすることが重要でないとか、相対的に重要性が低いとか、つまらないとか(と私が考えている)と言いたいからではない。どうしてそんなことがあり得ようか。我々は、具体的コミュニティーの中で生きるのである。ここでこそ、人の理想的社会または善き社会についての非帝国主義的見解が提起され実現されるべきなのである。我々にこれを許容してくれることが、枠の存在意義なのである。望ましい具体的性格をもつ具体的コミュニティーの創造へと駆り立て鼓舞するこのような様々のヴィジョンなしでは、枠は命を欠くことになろう。」( 538頁)

 もちろん具体的な多様なコミュニティ実験の存在なくしては「枠は命を欠く」、つまりそれ自体として支持し追求する価値のあるものではなくなる。しかしながらこのような様々な生の営為が十分に行われているところにおいてもなお、「枠」それ自体は「命を欠く」空虚な形式に終わるだろうか? 果たして「枠」それ自体の実現、守護、それを「駆り立て鼓舞する」ことに捧げられた生は虚しいものだろうか? 
 しかしこの問いに解答を与えるのは後回しにして、第二の問いの方から見ていくこととしよう。それは以下の通りである。「枠」それ自体にではなくその中における具体的なユートピア的実験に賭ける人々は、一体どの程度まで真摯にメタ・ユートピアの「枠」を支持するものだろうか? 本書でのノージックの論法によれば、上述の通り、そうした人々にとって「枠」は手段的な価値以上のものと持たないように見える。しかしながら先にも引用したが、ノージックはこの点で非常に奇妙な、興味深い論述を行っている。省略した個所を補って再度引用すると、以下の通りである。

「実存的ユートピア主義者は、枠を心底から支持することができる。お互いの違いをすべて知った上で、異なった構想の支持者達が枠の実現に協力することができる。伝道的ユートピア主義者達は、その熱望は普遍的だが、彼らの好みのパタンへの支持が自発的である点が決定的に重要だと考えるので、実存的ユートピア主義者達とともに枠を擁護するだろう。しかし彼らは、多数の異なった可能性を同時に実現することを許すという枠の追加的利点を特別賞賛しはしないだろう。」(519頁)

 一体なぜノージックはここで「実存的ユートピア主義者は、枠を心底から支持することができる。お互いの違いをすべて知った上で、異なった構想の支持者達が枠の実現に協力することができる。」と言いきることができるのだろうか? ここでとりわけ問題としたいのはこの点である。「心底から支持するwholeheartedely support」とは非常に強い表現である。もちろんこれを例えば「自身の今一つの目的として支持するsupport as another goal of their own」とまで、あるいは更に「駆り立て鼓舞するimpell and animate」とまで言い換えて構わないかどうかには議論の余地があるが、それでもこの表現は、実存的ユートピア主義と伝道的ユートピア主義の間の微妙だが決定的な違いに深くかかわったものであると考えられねばならない。


 伝道的ユートピア主義者にとって「枠」が支持に値する理由は、まず第一にそれが自分たちの実験を許容するということであり、第二にそれが「彼らの好みのパタン」への自発的支持者を引きつけるための場としてふさわしいからである。だがこの人々にとって「彼らの好みのパタン」は彼ら彼女らにとってのみ望ましいものとは見なされず、その望ましさはすべての個人にとって普遍的に成り立つと想定されているため、「多数の異なった可能性を同時に実現することを許すという」メタ・ユートピアの特質は「特別賞賛」に値しない「追加的利点」に他ならない。正確に言えばそれは「利点」ですらないであろう。任意の特定の伝道的ユートピア主義者は自分たち自身のユートピア的実践以外の「多数の異なった可能性」に対しては、「枠」それ自体がそうするであろうと同様に、「許容」するだけであり、決して「駆り立て鼓舞する」ことはない。より踏み込んだ言い方が許されるならば、彼ら彼女らが「枠」に対して与える支持の方も、「許容」以上のものではない。伝道的ユートピア主義者たちにとって「枠」は単なる手段、それも他のやり方によって代替可能かもしれないという程度の手段である。
 具体的に考えてみよう。「付随制約」としての権利本位的道徳システムは、とりあえずすべての個人にとってさしあたりは「制約」として現れるのであり、積極的に支持可能なものとしては現れない。「枠」=最小国家がユートピアと呼びうる、というノージックの主張は、この「制約」が間接的に、つまりあくまでも各個人の生にとっての自体的な目的ではなく手段であるが、しかし最善の手段として、その限りにおいて副次的な目的として各個人にとって追求されうる、というものである。しかしながら、本書でのノージック自身はこのような思考法を許容しないであろうが、特定の自己の目的を優先する各個人の立場からすれば、あくまでも「枠」は、そして「付随制約」としての道徳は最善と言うより次善の手段でしかない。つまり各個人が反実仮想的に「もしこのような「枠」さえ、あるいは権利志向的道徳さえなければ……」と考えた場合には。そしてこのような「堕落」への誘惑は、伝道的ユートピア主義者たちにとっては決して小さなものではないように思われるのである。もちろんその時彼ら彼女らは、帝国主義的ユートピア主義者に堕落しているのであるが。
 さて、実存的ユートピア主義にとっても、伝道的ユートピア主義が「枠」を支持する最初の二つの理由は同様にあてはまるはずである。となれば、伝道的ユートピア主義と実存的ユートピア主義とが有意に異なるとすれば、後者にとって「多数の異なった可能性を同時に実現することを許すという」メタ・ユートピアの特質は「特別賞賛」に値しない「追加的利点」などではなく、より積極的な利点となっていなければならない。すなわち、ある特定の実存的ユートピア主義の立場を採用する任意の個人ないしその集団にとって、自分たちのそれ以外の(それが同様に実存的ユートピア主義的なものであるのか、あるいは伝道的、帝国主義的なそれをも含むものであるのかはさておいて)ユートピア的実験の「多数の異なった可能性」が存在しうることまたは現に存在していることが利益となっていなければならない。ここではそうした「多数の異なった可能性」がなければないで何とかなるが、あった方がよい、というケースから、「多数の異なった可能性」がなければ自分たちの実験の意義さえも減じてしまう、極端な場合には消滅してしまう、というケースまでの幅広い可能性を想定することができる。しかしいずれにせよ、任意のある特定の実存的ユートピア主義の立場からすれば、自分のそれ以外のユートピア的実験の「多数の異なった可能性」は単に「許容」されるだけではなく、「駆り立て鼓舞する」に値するものであることになる。もちろん帝国主義的ユートピア主義の営為に関してはこのように単純に言い切ることはできないだろう。それらは他のすべてのユートピア主義に対して直接に敵対行動をとるものであり、実存的ユートピア主義者たちもその脅威に対して自衛行動をとらざるをえず、その侵略的性格を「許容」することはできないだろう。しかしながら実存的ユートピア主義にとっては、帝国主義的ユートピア主義のある側面、すなわち、他者に自らのヴィジョンを強制しようという性質を取り除いた後に残った、そこにおける生へのヴィジョンそれ自体は「許容」し、「駆り立て鼓舞する」に値するものであるかもしれない。
 もしそうであるならば、実存的ユートピア主義者たちによる「枠」に対する姿勢は、伝道的ユートピア主義者たちのそれとどのように異なってくるだろうか? 具体的には、先述の反実仮想的「堕落」への誘惑について考えてみよう。実存的ユートピア主義者たちにとって、この「堕落」への誘惑は相対的に小さいはずである。何となれば、彼ら彼女らにとっては自分たちとは異なる立場を採る人々が現に存在していることそれ自体から喜び、利益が得られるはずであるから。もしそうであれば彼らにとって「枠」=最小国家はこの反実仮想を前提においた上でも各自の目的を追求するための最善の手段として「許容」どころか「駆り立て鼓舞する」に値するものとなるのではないか。
 しかし、更に推論を重ねるならば、上述の考察が妥当するとすれば、実存的ユートピア主義者たちにとって、権利志向的道徳はもはや単なる「付随制約」ではないことになってしまうのではないかと思われる。例えば本書における「付随制約」と権利義務関係をみなす道徳の解釈に対して繰り返し提起される疑問は以下のようなものである。すなわちこの解釈によっては、現実に行われている不正に対して、その直接の被害者はその不正をただす権利があり、加害者はそれをただす義務があるわけだが、第三者はその義務を持たないことになる。しかしこれは我々の常識的な道徳観と衝突する、と*11。第3部のユートピア論を念頭に置かない限りでは、本書においてこの問題は不正をただすという任務を受託された国家の導入を待って初めて解決可能となる。ところがノージックの言う実存的ユートピア主義者たちは、たとえ国家が存在しない自然状態においても、このような不正を放置してはおかないだろう。(伝道的ユートピア主義者たちでさえ、その不正が彼ら彼女らの観点からしても不正であるならば、同様の行動に出ると見てよい。しかしながらもちろん、彼ら彼女らは常にそうするとは限らない。彼ら彼女らの観点に照らして特に問題とならない程度の不正に対しては、静観を決め込んでもよいことになる。)このような彼ら彼女らの気質的傾向は、道徳的義務に関する我々の直観とよく符合するように見える。すなわち、義務は必ずしも「何々しなければならない/してはならない」という形をとるわけではなく、「何々した方がよい/しない方がよい」という形をもとる、という。つまり道徳的義務は二層構造をなしているのである*12
 もちろんこのように考えた場合、実存的ユートピア主義者たちは「枠」=最小国家以上の拡張国家を求めるかもしれない、という疑問が生じる。すなわち、ミニマルな道徳的義務のガーディアン(当然最小国家がそれにあたる)ではなく、マクシマルな道徳的義務のガーディアンとしての国家を。しかしながらここで彼ら彼女らはある抑制を行うかもしれない。すなわち、マクシマルな道徳的義務の要請に積極的に従いうるのは実存的ユートピア主義者と呼びうる人々だけであり、伝道的ユートピア主義者たちにまでその要請に応えることを期待することはできない。更にすべての人々の権利を単に保護するだけではなく、その現実的活用を促進するという業務を国家に委託することは、各個人間の権利、利害の衝突の可能性を念頭に置く限りでは、強制的再分配の導入に結びつくであろう。ここで実存的ユートピア主義者たちは、「もしもすべての人々が実存的ユートピア主義者だったら……」、あるいは「もしも各個人間の権利、利害間の競合性よりも補完性、相互促進性が高かったら……」といった反実仮想との間で葛藤に直面し、いわばフェアプレーの精神に即した次善の策として「枠」=最小国家が選ばれる、ということになる。だから実存的ユートピア主義者たちにとっても「枠」=最小国家は次善の選択である、と言いうるが、しかし伝道的ユートピア主義者たちに比べればその選択はより積極的なものであることにかわりはない。


 これでようやく、先の第二の問いに対して暫定的な解答を与えることができた。そこで第一の問いに立ち返らねばならない。実存的ユートピア主義者たちには「枠」=最小国家を「心底から支持する」理由があることは分かった。それでは、この最小国家のサービスの遂行を具体的に担う「官僚」としての生は、それ自体として善き生でありうるのだろうか? 
 ここで我々は再び、今日的観点からの新古典派批判のインプリケーションに立ち戻ることができる。本書でノージックが無視している、完全情報という条件を近似的にでも実現することの困難さは決して些末な問題ではない。新しい試みを行おうという者が登場してきた場合、その事実をできるだけきちんとメタ・ユートピアを構成する社会全体に周知すること、逆に新規参入者に既存の状況がどのようであるのかについての的確な情報を提供すること、これらもまた「枠」の提供しなければならないサービスである、と少なくとも実存的ユートピア主義の立場からは判断されるはずである。残念ながらこのような情報システム構築に割かれうる資源の制約と、そこから将来的に期待される新規参入の実験から得られるであろう利益との均衡によって現実の情報システムの充実度は決まるであろうから、技術的に可能な最大限の能力を持つ情報システムの実現はありそうにない。しかしそれゆえにこそこうした情報サービスを含めた「枠」の構築と維持は、実存的ユートピア主義者たちにとってはやりがいのある事業となるであろう*13
 このような情報システムの構築の問題について、別の観点から眺めてみよう。いわゆる共同体主義の観点からする、ロールズ、ノージックらの権利・義務本位的自由主義政治哲学に対する批判の論点は多岐に渡るが、根幹にはその個人観、そして個人の権利観についての批判があるように思われる。すなわち、あらゆる社会関係に先立って個人の人格とその権利というものの実在を想定する、というその論法に対して。共同体主義者によれば、個人の人格と権利は実際には具体的な社会システムの作動の中で初めて形成されるのであるから、権利本位的自由主義者の描く社会のイメージは事実に即して不適切である。しばしば規範的にも個人の生を支える社会システムの尊厳を個人の尊厳の前提として理解することさえ求められる。更に、個人の人格を尊厳あるものとして支える社会システムは大体の場合、現代の大部分の国家よりは小さく、家族よりは相当程度大きいコミュニティを単位として捉えられている*14
 さて、本稿で見てきた『アナーキー・国家・ユートピア』のメタ・ユートピア論は以上の批判にどのようにして応えうるだろうか? 共同体主義者の考えるコミュニティとノージック的メタ・ユートピアの中の実験的コミュニティは概念的に異なる……前者は個人に先立って存在するとされ、後者は個人のイニシャティヴによって形成されることになるが、具体的な善き生の場であるという点では共通しており、かつ共同体主義者は相異なる各コミュニティの間に平等な尊厳を承認するため、ここでは敢えて両者を同じ土俵上に乗せて理解することにする。
 共同体主義者によれば、諸コミュニティ実験の尊厳はそれが良好に存続しうることによって初めて確保されることになる。その中での個人の尊厳もまた、コミュニティによる生存の保障と、コミュニティ自体の文化的活力の存続によって初めて確保できる、とされる。これに対して本書でのノージックによれば、コミュニティの存続はその尊厳の条件とは見なされていない。第一にそれは初めから尊厳ある存在として承認され、かつ生存している(ノージックはミニマムの生存のための社会保障は承認している*15。)個人の営為であるからこそ尊厳を有するのであり、その各個別のコミュニティの存続自体は要請されていない。要請されるのはせいぜい、多様な諸コミュニティ実験の間の競争の存続である。
 こうしたノージック的思考法に対しては共同体主義者ならば、ただ単に生きているだけでは個人に尊厳があるとは言えず、実際の生の営為の中で確証されることなくしては権利も空手形にすぎない、と批判するであろう。これに対して本稿で解釈されたようなノージック的立場からは、「枠」こそが様々な相異なるコミュニティ間に対して平等な処遇をなしうる最も確実な方法なのだ、と反論できる。しかしここに私は、更なる一言を付け加えたい。
 果たして尊厳の確保は、その尊厳を認められるべきものの生存を必須の条件とするのだろうか? ここで私が念頭に置いているのは古代的思考法であると言ってもよいが、現代におけるその最もクリアーな提示はハンナ・アーレントによるものである。彼女によれば行為するものとしての人間の尊厳は、見られ、聞かれ、記憶されることによって確保される。政治的共同体とは行為の舞台であり、そしてその記憶を保持し、物語として語り継ぐ装置である*16。もちろん現代の我々は純粋に古代人流の尊厳観、とりわけ栄光ある死、尊厳ある死の観念をそう簡単に受け入れるわけにはいかない*17。しかし自発的組織の構築、コミュニティ実験のレベルにおいては、この尊厳観がなお有意に当てはまるのではないだろうか? 
 実際ノージックもこうした「記憶」の重要さにある程度気付いている。

「人々の歴史的な記憶と記録を前提にすれば、すでに否定された代替案(またはそれに少々の修正を施したもの)を、あるいは新しいまたは変化した条件によってそれがより有望または適切になるために、試し直すことができる、という側面をこれ(「枠」……引用者)は持つことになる。生物学的進化では、以前に否定された変異種を、条件が変化したときに簡単に呼び戻すことはできないから、これは生物学的進化とは異なる点である。」(514頁)

 もちろんすでに指摘したとおり、「経路依存性」の重要性を学んだ我々は、「枠」の機能をノージックが考えているよりもはるかに拡張せねばならないことを知っている。しかしそのようなものとしての「枠」は人の営為の尊厳を保障する装置として、それなりの機能を備えている、と考えることもできるのである。


 私はすでに十分遠くまで来てしまったし、すでに紙数を超過している。だが『アナーキー・国家・ユートピア』の限界と射程距離を、これまで十分に検討されてこなかったそのメタ・ユートピア論に即して測定する、という作業の先鞭は付けられたように思う。メタ・ユートピア論の含意を徹底的に追究したとき、我々の前には、自由主義思想の新たな可能性が開かれてくることだけは、示し得たはずである。
しかしながら最後に小さな留保を付けておこう。本書でのノージックによる「実存主義的existential」という言葉には、独特の意味が込められていたことはすでに見たとおりである。すなわち彼の言う意味での「実存主義者」は自分に固有の実存的な生があるように、すべての他人にもまたそのようにそれぞれに固有の実存的生のあること、そしてそれらはすべて平等な価値を持ちうることを確信している。だが「実存主義」という言葉から我々が得る印象はいま少し広い。そこには己のただ一つの生に固執するエゴイズムもまたそこに含まれると考えてよいだろう。しかしエゴイズムは必ずしも反道徳的立場であるとは限らない。それは単に道徳を無視する、という以上の含意を有してはいない*18
 人々の共同社会のただ中では確かにエゴイストの存在は難しい問題を引き起こすかもしれない。彼/彼女は当該社会における道徳(例えばノージック的道徳)の支配力が大きく、自分一人でそれに逆らうことが得策でないと見て取るならば、大体の場合は道徳に従うことが自己の利益に適う、と判断するであろう。しかしそれが望ましくかつ可能な場合には、彼/彼女は道徳の裏をかくことを試みるだろう。この場合確かにエゴイストは反道徳的に振る舞う。それでもなお、あくまでもエゴイストが少数派である場合*19は、彼/彼女は道徳に対する消極的支持者であり続ける、例えば本書における権利本位的道徳の下ではミニマルな道徳的義務(付随制約)を守る存在であると考えられる。「枠」=最小国家にとっては、道徳を「心底から支持」しないエゴイストと、道徳を「心底から支持する」が、その執行権を手放そうとはしない独立人*20のどちらが脅威となるのか、一概には言えない。更にこのようなエゴイストが人々の共同社会から遠く離れて没交渉のままに生活する(ルソー的な意味での)自然人であるときは、ほとんど問題は起きないだろう。
 結局のところエゴイストは、いかなる意味でもユートピア主義者ではない人々、という程度の存在である。メタ・ユートピアの中でも彼らは当然に固有の生を営む権利を有することになる。更に実存的ユートピア主義者であれば、彼ら/彼女らに対してさえマクシマルな道徳的義務の要請に従ったサポートを辞さないであろう。しかしながら問題はその先にある。ここでエゴイストにもいくつかのタイプがあると考えてみよう。例えば井上達夫は正のエゴイズム(利己主義)と負のエゴイズム(禁欲的博愛主義)とを区別しているが*21、ここで私はタフなエゴイズムとひ弱なエゴイズムとを区別することにしよう。具体的に言うと、タフなエゴイストは、隙あらば道徳の裏をかこうとする反面、それが自分にとって都合がよい場合は道徳を利用する。これに対してひ弱なエゴイストとは言ってみれば自閉的人間である。直観的に言えば、人付き合いが限りなく苦手な人である。彼/彼女には道徳の裏をかくほどのヴァイタリティーはない。ただ無難にやり過ごすだけである。例えば最近の日本語で言えば、ある種の「オタク」はこの1タイプをなす*22
 こうしたひ弱なエゴイストたちの存在は、「枠」=最小国家にとって、そしてその積極的担い手としての実存的ユートピア主義者たちにとっていったい何を意味するだろうか?権利本位的道徳の中で、人はもちろんひ弱なエゴイストである権利を持つ。そして実存的ユートピア主義者たちはマクシマルな道徳的義務の要請に基づき、こうしたひ弱なエゴイストたちにもサポートをするだろう。しかしながらこのようなサポートはひ弱なエゴイストたちにとっては、ありがた迷惑かもしれない。この意味で、ひ弱なエゴイストたちは、メタ・ユートピアにとっては時に道徳に敵対するかもしれないタフなエゴイストたちよりも、面倒な存在となる可能性がある。ひ弱なエゴイストたちの尊厳をサポートする方法は果たしてあるのだろうか? 


*1嶋津格訳、木鐸社、1985年、1989年。 Robert Nozick, Anarchy, State, and Utopia, Basic Books, 1974.以下本書からの引用に際しては邦訳書を典拠とし、上下巻の通し頁数を示す。
*2例えばノージック『生のなかの螺旋』井上章子訳、青土社、1993年。
*3ノージックによれば、実際には国家は自発的結社であることから逸脱する。つまり国家への参加を自発的に合意したメンバーから私的な裁定と執行の権利を信託されるだけにとどまらず、一定の地域(領土)内に居住するすべての個人から、つまり国家への参加に合意しない個人(ノージックの用語では「独立人」)からも、私的な裁定と執行の権利を剥奪する。
 この国家による裁定と執行の権利の独占がどのように正当化されるか、については三段階に分けて考えるとわかりやすい。まず、このようなサービスの供給主体は一定の地域内で競争相手を正当な競争の結果として排除する、自然独占にたどりつく傾向がある、とノージックは論じる。第二に、このような独占体となった供給主体は、それだけではなおその独占の正当な権利を主張できない。それはただこのようなサービスを自発的に購入する消費者の形成する市場においてのみ達成された独占であり、そもそも消費者になろうとしない、つまり自力救済を志向する「独立人」の問題が残される。しかしこのような「独立人」の自力救済活動を放置していては、サービス供給主体はよくその業務を達成できない。そこで第三に、サービス供給主体は「独立人」に対して自力救済を禁じ、その補償として「独立人」に対してもサービスを(場合によっては無償で)供給する。
*4矢島釣次監訳、紀伊国屋書店、1979年。John Rawls, A Theory of Justice, Harvard University Press, 1971.
*5簡明なサーヴェイとして、神取道宏「ゲーム理論による経済学の静かな革命」、岩井克人・伊藤元重編『現代の経済理論』東京大学出版会、1994年、所収。この立場からする制度理論のより具体的な試みの例として、青木昌彦・奥野正寛編著『経済システムの比較制度分析』東京大学出版会、1996年。
*6ゲーム理論的観点からのこの問題の取り扱い方については例えば青木・奥野前掲書を参照。これ以外に、「規模の経済性」の問題を強調する松山公紀「独占的競争の一般均衡モデル」、岩井・伊藤前掲書所収、「履歴効果」に着目する大瀧雅之『景気循環の理論』東京大学出版会、1994年、等も参照。
*7だから井上達夫も指摘するとおり、「自由主義は正義を重視して善を軽視する」との共同体主義からする批判は本書に対しては当てはまらない。井上達夫「共同体の要求と法の限界」『千葉大学法学論集』第4巻第1号、1989年。
*8本節は拙著『ナウシカ解読 ユートピアの臨界』(窓社、1996年)、第5章第3節からの抜粋に、若干の修正を施したものである。
*9本書でノージックは「機会の平等」に対して否定的な結論を下している。(388頁以下。)しかしながら彼の理論の出発点には、個人の権利と人格的尊厳の不可侵性が置かれており、これだけはすべての個人の間に平等に分配されているのである。そしてユートピア的実験は個人が自分にとって有意義な生を目指して努力することと同義であるから、ユートピア的実験への参加の権利は個人の間で平等に配分されていることになる。我々が通常「機会の平等」と呼ぶものは、ノージックが否定するような、任意の制度や組織が個人に対して与えるアクセスの権利の平等のみならず、この意味での平等までをも含んでいると考えるべきである。あるいは本書の権利志向的・義務論的道徳のシステムをそれ自体制度と見なすならば、それは機会の平等をすべての個人に対して保証していることになる。
 本書における「機会の平等」批判が果たして妥当なものであるのかどうか、に関する検討並びに私自身の見解は、現在準備中の拙著『リベラリズムの臨界(仮題)』(紀伊国屋書店より1997年中に刊行予定)で詳論する。
*10『ナウシカ解読』第5章を参照。
*11例えばAmartya Sen, On Ethics and Economics, Blackwell, 1987, pp.71-73.
*12この点で興味深いのが、マイケル・E・ブラットマン『意図と行為』門脇俊介・高橋久一郎訳、産業図書、1994年、320-321頁における「義務論的制約の脱神話化」についての論及である。彼はこの著作において、行為における意図された結果と、単に予見されただけで意図されていない結果との区別について論じている。そして義務論的制約は意図が行為に対して課す制約と似た性格を有しているのでは、と示唆している。
*13もちろんこれは国家が情報操作を行ってもよい、ということを意味しない。国家の任務はあくまでも情報インストラクチャーの整備であり、そのためには再分配も正当化される、という意味である。情報インストラクチャーには規模の経済性が働く可能性が高いので、再分配問題はそれほど深刻にはならないかもしれない。むしろ、インフラストラクチャーの性質によってそれに乗りやすい情報と乗りにくい情報ができてしまう、という問題の方が深刻であり、できるだけ多様なインフラストラクチャーのあることが望ましいことは、言うまでもない。
*14共同体主義のサーヴェイとしては、Stephen Mulhall and Adam Swift, Liberals and Communitarians, Blackwell, 1992.が有用である。
*15『アナーキー・国家・ユートピア』42頁などを参照のこと。
*16ハンナ・アーレント『人間の条件』志水速雄訳、ちくま学芸文庫、の特に第5章を参照。
*17しかしながら現代の生命倫理、医療倫理においてしばしば論じられる「尊厳死」はこうした古代的な尊厳ある死とはほとんど関係がないように思われる。いわゆる「尊厳死」においては目的としての死の選択が自己決定権の領域として主題となっている。そこでは単なる延命が尊厳ある生をもはや可能としないので、尊厳ある生を可能とする唯一の選択として、逆説的にも死が目標とされることになる。そこでの尊厳の根拠はあくまでも個人の自由な権利に基づく決定にしかない。これに対して、ここで問題としているような古代的尊厳観における死はあくまでも栄光ある生の帰結でしかなく、目的ではない。そして尊厳を支えるのは、共同体によるその生の物語の記憶である。
*18この点で示唆深いのがバナード・ウィリアムズ『生き方について哲学は何が言えるか』森際康友・下川潔訳、産業図書、1993年、である。
*19厳密な意味でのエゴイストは定義上徒党を組むのが苦手であろう。徒党を組める程度の道徳感覚を持ったエゴイストであるならば、支配的道徳に対する決定的な敵対者となる可能性はそもそも低い。であるならば、厳密な意味でのエゴイストが社会において過半数を占めたとしても、彼ら一人ひとりはなお依然として少数派であり続ける他はないのではないか。
*20独立人については『アナーキー・国家・ユートピア』の特に85-89、139-42、151-9頁を参照のこと。
*21井上達夫『共生の作法』創文社、1986年、第2章。
*22「オタク」についての実証的研究としては宮台真司『制服少女の選択』講談社、1995年、社会哲学的考察としては中島梓『コミュニケーション不全症候群』筑摩書房、1991年、を参照のこと。

NOTE
(いなば しんいちろう 1963年生 岡山大学経済学部教員 関心領域 社会哲学(リベラリズムの可能性と限界 インダストリアリズム再考) カルチュラル・スタデイーズ(特に日本のエンターテインメント SF、マンガ、ゲーム等)
 カルチュラル・スタディーズ第2弾として、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の分析の準備をしています。注でも触れた現在書き進めている本の作業が終わってから、そしてレーザーディスク版が完結してから本格的に取りかかろうと思いますが、現時点、つまりTV放映版終了の時点での中間考察を行う用意もあります。興味のある方、紙面を提供してもよいという方、おられましたらご一報下さい。)

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現代政治理論「The Needs of Strangers」「市場と共和国」要約


1 p152 l1

 政治的ユートピア、未来に投影されたポリス

政治的ユートピア

=ノスタルジアの一形式

=想像上の過去を願望として未来に投影したもの

=古典的ポリスのビジョン(都市国家)

ポリスの人間的要素、帰属の条件

→適度な規模、私と公の領域の連続、同等の人々の共同体、協働の企て

 

2 p153 l1

 18C世界資本主義の現実、反作用としての古典的共和主義実現の理想

18世紀末、古典的共和主義の自己支配としての理想的政治体、ポリスが世界資本主義経済の現実に直面

・アメリカ独立(世界帝国的市場の中での共和主義実現の試み)

・帝国主義による非ヨーロッパ人のニーズ変容

→帝国主義のコンテクストの中で古典的共和主義実現の理想が生じる

・自己抑制的な集団的制度に人々を従属

・物質的進歩の螺旋への隷属から人々を解放

 

3 p154 l4

 ルソーとスミス、共和主義の理想と神の見えざる手に支配された世界

1750年代、初期資本主義社会に対する最も洞察力に富む批判者ルソーと最も見識に富む理解者スミスの知的邂逅

 

4 p155 l2

 ルソーとスミスの共通点−進歩観、歴史観

ルソーとスミスの共通点

進歩→歴史的、道徳的、経済的次元の理解が必要

歴史→野生から私的所有と不平等の近代社会への過程

歴史の推進力→分業、余剰、新ニード、私有財産、余剰の不平等な配分

 

5 p155 l16

 相違点−ニーズの螺旋への両者の見解の相違

スミス→ニーズの螺旋の闇雲な上昇が人類を自然の欠乏から救い自由を拡大

ルソー→ニーズの螺旋は疎外(alienation)の悲劇

∵自然状態、無余剰の世界に欠乏は存在しない、ニードの限界が欲望の限界

 

6 p156 l10

 人間の本性、協働についての見解の相違と分業に対する歴史観の共有

人間の社交性(human sociality)の根源には違った理解

・ルソー→自然状態で協働の必然性はない

・スミス→本性が共同的

分業の歴史が経済的不平等の歴史と見る点で共通

→分業 →余剰→生産手段の個人化→不平等

→欠乏の拡大

→欲望をニーズの限界から解放

 

7 p157 l15

 スミスの所有・不平等・分業への評価−近代性・資本主義擁護

スミス→必要以上の財産の個人化・所有は欺瞞ではあるが、勤労を駆り立て運動を継続するよう人々をだます点で良いこと

欲望と不平等の調和→「見えざる手」(invisible hand)

→進歩が社会的不平等と最貧の人々に十分な食糧を与えることを一致(reconcile)させた

→近代性の擁護論(defense of modernity)

「諸国民の富」の問い→近代の商業社会で不平等と最低限度の配分的正義が両立するのはなぜか、遅れた社会ではずっと平等でも貧民が飢えるのはなぜか

スミスの分業論

→商業社会における貧者の生産労働の増大で非生産労働者を支えられるようになる

→富者と貧者の配分をめぐる闘争はゼロサムゲームでなくなる

 

8 p161 l2

 スミスの考えのまとめ

近代資本主義の擁護論

私有財産システムだけが技術革新と経済成長に必要なインセンティブを与える

資本主義が欠乏を征服し自由の前提条件を万人に拡大する唯一の生産体系

 

9 p161 l7

 ルソーの進歩・近代と人間の社会的不平等との関連性の指摘

進歩→自然の疎外から社会の疎外へ(私有財産制度が社会的不平等と苛烈な競争を作る)

 

10 p161 l12

ルソーの再配分的政治による歴史潮流制止の主張、ニードの主人になるための共同体−ユートピア

豊かさの平等な配分が有徳な社会、成員の自他への和解に必要

→政府が富の極端な不平等を防止する必要(不平等は法と政治で是正可能)

→再配分的政治(これは共産主義−私有財産否定ではない)

ルソーによる唯一の正しい再配分

→道徳的かつ政治的な税

→状況に正確に比例した資産と所得への頭割り税

→地位へのインセンティブを弱め不平等の再生産を抑制

人間の共同体がニードの主人になるのは富の不平等への集団的制限を民主的に決定した場合だけ

→達成は困難(ユートピア)

 

11 p164 l5

 ルソーのユートピアと近代資本主義との調和の試みと国家の内外の脅威

ユートピアと近代資本主義との調和の試み→ユートピアが威圧的に

∵安定と徳性には自由という代価

・国外貿易による脅威

→商人の寡頭支配と富の不平等は最低限に抑制すべき

→立法による不平等への介入

→しかし、貿易と贅沢から利益を得る者が市民にいる限り直接民主制は絶望的

→立法者に自由を委ねる危険

・近代国家化による共和国内部の脅威

官僚制と軍隊→公共社会の一員としての職分、果たすべき義務と市民の間を介在

→私事と公的領域の深淵

近代国家→ニードの歴史に不可欠

国家の歴史→人間の疎外の歴史、本性を喪失していく歴史の一面

自然の必要性から次第に解放されても人間性の拡大には資さない

 

12 p166 l7

 近代のスミス的余暇自由の幻と真の自由としての「公共」への参加

近代国家における労働に費やす時間の節約

→自由時間は公共的営みでなく利益増大へ

→スミス的主張、基礎的ニードからの解放からの時間の節約による余暇という自由は幻

真の自由は公共のものへの参加

 

13 p167 l1

 ルソーの議論のまとめ

国際的分業の内部での市民たちからなる平等主義的共和国の可能性を擁護

 

14 p167 l6

 ルソーへのスミスの反論

ルソーとその共和主義的言語体系へのスミスの反論

→社会のニーズの抑制は貧者のニーズを満足させる経済成長を危うくさせる

∵生産性の向上は分業の進展に、分業の進展は市場の拡大に依存

→国際市場・国際的分業の必要

→集団的に決定された法に基づく共和主義的自由の代わりに見えざる手による自然的自由を擁護

→分業と専門化、見知らぬ他人たちからなる社会(A society of strangers)だけが進歩を達成するダイナミズムを持つ

 

15 169 l3

 見知らぬ他人からなる社会での公私の分裂、調和への解決策の困難さ

見知らぬ他人からなる社会の分裂

→公的人間としての役割と私的人間としての役割を調和させることが困難

・スミスの解決策

→分業の徹底化=専門化による教育を通じた共通の信念の再生産

・ルソーの解決策

→共和国の規模の制限

どちらも希望的観測、市民的参加のための共通の言語体系を見知らぬ他人たちが樹立する能力に期待する点で同じ

 

16 p170 l2

 ルソーとスミスの商業社会での市民の徳性(civic virtue)の将来への評価

人間の社交性の心理学への見解の違い

一致→徳性へのありふれた脅威は嫉妬と競争心→欲望が自他から人間を疎遠にする

ルソー→余剰により欲望はニードの限界から解放、自己愛の喪失、他者との比較により自己認識

→相互の依存により他者の意見に内面的に従属

→相手より優位な立場にいたい欲望の満足のためだけに他者のニーズを利用し合う

→ニーズの螺旋に従属(虚偽意識)

スミス→人間は自制と超然という能力、意志の言語体系、ストア主義の言語体系を持つ

→自己愛と利己愛を区別し争奪合戦から超越した有徳な態度が可能

※ストア主義の前提をめぐる対立

ルソー→意志は人間の生き物(社会の前段階)としての前提

スミス→意志は社会的世界においてのみ発揮される

 

17 p173 l5

 二つの政治的言語体系、二つのユートピア

ルソーとスミスによる最も基本的な政治的選択=政治に関する二つの言語体系、二つのユートピアは現代に継承

→そのどちらもが到達不可能な世界としてのユートピアで、既にどちらも現代の私たちのあるがままの世界を描き出し得ない

 

18 p173 l11

 ルソーのユートピア

ルソーのユートピア=ニーズの共和国(公的生活の私的生活への優先性を確保するためにニードの枠内に欲望を抑制)

規模と外部との接触、国内消費の民主的方法による制限

→不平等と嫉妬と競争を緩和

経済停滞を招き、基礎的ニーズが充足できず、個人の欲望の抑制が共和国の存在理由である自由を危機にさらす

制限が各人の意志に基づいて選択された場合にのみ市民は自由であり得る

欲望に軛を課し、情念の誘惑を拒むよう市民が備えるべき特性に過酷な要求

 

19 p174 l17

 スミスのユートピア

スミスのユートピア→欲望の無限の拡大を経済の動因とするような集合体としての未来社会

→欲望の螺旋は無限

→世界市場にまで分業が拡大し、永続的な経済の拡大が可能

ただし不平等、嫉妬、競争といった脅威、公的自由と私的自由、能動的市民精神と私的な受動的自由が交換、市場社会の自由は富者の専制に堕する危険

→市場社会が自由かつ有徳であり続けるのは市民生活がストイックに自制し得る場合だけ

スミスも市民に厳格な徳性を求める

 

20 p176 l6

 マルクス−前提と状況分析

マルクス→どのようにすれば市民共同体の内部で自分に必要なものを自由に選択できるようになるかを説明しようとする

前提

・自由放任主義(いかなる社会もその成員のニーズを制限すべきではない)

・進歩の役割→労働生産性を高め基礎的ニードから人間を解放、欲望の自由選択を可能に

→しかし、資本主義社会では貧しい人々は基礎的ニードから解放されたが賃労働と商品の物神性の奴隷に

→余暇が与えられ自由に時間の使い方ができる場合のみ公共社会の一員として市民たりえ、公私を乗り越えて類的存在(species being)を取り戻せる

 

21 p177 l3

 マルクス主義 ルソーとスミスの和解、公私の対立の乗り越えの試み

生産手段を集団的所有化、全住民(the population)の満たされていないのニーズの満足に振り分ける

→資本主義の束縛から生産手段を解放、効率化し、ニーズは充足、労働時間も短縮

→不平等を克服し労働生産性を高めれば全ての人間の相対的かつ絶対的な商品のニーズは充足される

→物質的充足により私的利益と公共善の対立を乗り越え、欲望は道徳的知的陶冶や公共精神の領域へ

 

22 p178 l5

 マルクス主義における幻想

人間のニーズは互いに補い合うものではない

→しかし、マルクス主義は人間のニーズの間の本質的対立を、生産主義がもたらす充足という幻想でなきものとしようとする

 

23 p178 l13

 歴史の終わりでの充足という幻想

・マルクス主義→ニードの悲劇的螺旋に方向性を与えることを企てる

・共産主義=時間の終末における充足という神話

・マルクス→共産主義=人間のニードと人間的労働の間の悲劇的弁証法を超えたエデンの園の国家

しかし、人間のニーズは本質的にダイナミック

ニーズの飽和や、商品から自己陶冶(self-cultivation)への方向移動はありそうにない

スミスとルソーが直視したように、人間が必要なものを求める行動は歴史的

→進歩によって救われるのはたった一つの両義的な善=ニードと欲望の間で選択する個人の自由の増大

人間がストア主義的な選択の重荷から解放される未来は来ない

※マルクスは自己統治の共同体と国際経済との関わりの問題も世界革命の論理で回避

→これも黙思録的な歴史からの救済の幻想

 

24 p179 l14

 現状認識

「現存する社会主義(actually existing socialism)」=ソ連

→自然の欠乏を克服したが社会的欠乏を増大(国家権力の入り口での差別に基づく階級対立を再生産)

→物質主義的社会

→西欧資本主義の豊かさが社会主義にとってのユートピアに(西欧世界は自己祝福)

しかし、資本主義、普遍的市場は自分たちの社会的ニード(their societies’ needs)を支配(master)していない

・国際経済に多くの国はますます従属

・国家規模の政治体の主権は地球規模の市場の挑戦を受ける

→しかも世界市場は常に変動し、市場の未来を予測する力には限界

→世界経済は人間の制度で人間が理解、コントロールできるはずだが、現実の世界市場の秩序は見知らぬ他人たちの秩序

スミスの見えざる手の文明化作用は世界市場を主権下に置く帝国主義的秩序が前提

しかし多極的世界は将来も帝国を許さず、経済は政治体の束縛を離れてしまった

 

25 p182 l9

 人類の一体化の状況、普遍への求心力と遠心力の拮抗、差異の安らぎの場の必要

私たちが継承した共通善の言語体系では公共善とは都市の善

→世界市場に生きる私たちを導いてはくれず、市民のニーズを代弁するが、人類のニーズは代弁しない

だが、人類の一員という普遍的アイデンティティ感覚が差異に基づくアイデンティティ感覚を克服できるかは疑問

→ニードの悲劇的な歴史は私たちを生態系・核のカタストロフィーと世界市場の下で一つにし、全てを絶滅の危機にさらしている

しかし、人類の種としての共通のニーズが明らかになると差異の要求はいっそう残忍になる

→人類を一つの生物種として結び合わせるニード、労働、科学の求心力が、部族、人種、階級、地区、地域、国家の要求といった遠心力と拮抗

→一九四五年以来戦争、革命、内乱で命を落としてきた大部分の人びとは自由の名の下に、解放の名の下に命を落とした

差異の要求を擁護するためには死を厭わない男女に、共通の人間としてのアイデンティティをもつよう要求しても無駄

差異に安らぎの場所が与えられ、人殺しも厭わぬほど激しく帰属を求めるニーズがなだめられているときにだけ、わたしたちの共通のアイデンアィティが声をあげることもできる

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ユートピア物語


 SFの世界では、ユートピアものや逆にディストピアと言うものは少なくは無いので、教養を付ける意味で読んでも悪くないのではないかな・・・と思う。例えば『所有せざる人々』「アオサギの目」「オメラスから歩み去る人々」といったル・グインの作品の話をする場合、ユートピア論をかじっている方が、そうでないより、様々な観点から理解できるかもしれない。
『ユートピア』Utopia (1516) 平井正穂訳(岩波文庫)
 作者は、サー・トマス・モア Thomas More(1478〜1535)である。イギリスの重鎮であり、断頭台の露と消えた方である。そのモアが1515年ぐらいから書き始めた架空の国ユートピア(ユートピアの意味はラテン語で「何処でもない」である)の話は、ある旅人が、理想郷と思える国をモア達の前で開陳するという構成である。このユートピアの話は実は原始共産主義である。モア達の時代は、絶対主義の時代に入りかかった頃なので、当然こういう思想は、問題になるが、それを伝聞という形でごまかしている。
 現代的に見れば、ソ連の崩壊を見るまでもなく、共産主義と言うのは理想論であり、人間の性善説に依り掛かっていることが、見て取れるし、作中のモアの言葉にしても肯定的ではない。
 今一つ、問題なのは、『ユートピア』の中では、女性には人権がないことである。人間が平等である筈の世界で、奴隷というのが犯罪に対する刑罰でしかなくても、なお女性はモノ=財産と見なされるのである。
 『ユートピア』がSFであるかないかと言う議論では、無論SFではないが、R・A・ラファティが、主人公にトマス・モアを扱った作品『トマス・モアの大冒険』を書いているため、私は食指を動かす気になった。しかし、SFの世界では、ユートピアものや逆にディストピアと言うものは少なくは無いので、教養を付ける意味で読んでも悪くないのではないかな・・・と思う。

『太陽の都』The City of the Sun/LA Citt`a Del Sole (1602) 近藤恒一訳(岩波文庫)
 作者は、トンマーゾ・カンパネッラ Tommaso Campanella(1568〜1639)で、モアの死の33年後に生まれています(カムパネラと言うと、ジョバンニとカムパネラと言うわけで、「銀河鉄道の夜」を思い出しますが、宮沢賢治のカムパネラの由来は、私は知りません)。時代背景は、宗教改革の頃で、カトリックも逆に異端審問を強化していた頃で、カンパネッラのこの作品も獄中で書かれています。従って、歯にものがはさまったような、カトリックよいしょ的な事を書かねばならなかったのは分りますが、その分、作品の価値を落しています。
 特徴的なのは、占星術がかなりのウェイトを占めることで、ガリレオらと親交があったのに、科学的な裏づけのない占星術を信じていて(カンパネッラは、占星術の本も書いている)、作品中に星の良し悪しについて延々と書いている。『太陽の都』と言うのも、占星術的な意見合いのある名前である。
 しかしながら、モアと共通する点もあり、共産主義と言う理想論で、人間の性善説に依り掛かっていることである(とりわけ、妻も共有財産であるとかの話になると、女性の権利を十分考慮しているのか? と疑問に思ったりする)。

『エレホン』Erewhon (1872)山本政喜訳(岩波文庫)
 作者はイギリスの作家、サミュエル・バトラー Samuel Butler(1835〜1902)である。題名の Erewhon は Nowhere をひっくり返したものである。Nowhere 「何処でもない」つまり”ユートピア”と同じことである。尤もバトラーの描く”ユートピア”すなわち”エレホン”は理想郷としては些か変っている。アンチ・ユートピアとしても成立するお話であるから。
 物語は、主人公の回想をまとめた形で語られる。まず主人公がエレホンに至るまでの冒険が描かれる。作者バトラーは牧師の跡目を次ぐ筈だったのだが、肌に合わずにニュージーランドに牧羊に行き、それで成功したのだが、それがそのまま主人公の境遇に反映している。何処とも知れぬ土地で、牧羊のための新たな土地を探して、現地人と共に山脈の中に入る。それが副題の「−山脈を越えて−」である。ところが魔境と思われていた場所であったため、この従者に逃げられて、苦心惨澹した挙げ句、エレホンに辿り着く。そこでの見聞は、まさに異文化の国の見聞にそういない。
 このエレホンでは、病気になることは犯罪である。盗みや横領は精紳の病気であり、矯正者の手によってむち打たれることで、直される。但し真面目が尊重されるかと言えばそうでもない。不合理な国としか言いようがない。機械の類は破壊されているため、懐中時計を持っていた主人公は危うく投獄されそうになる。その機械破壊の元となった書物は機械が人間に取って代わることを危惧して書かれているが、論旨が破綻している。そもそも合理性の破綻がエレホンという国の特徴である。二重の通貨制度による音楽銀行と他の銀行との共存というのがある。音楽銀行というのは形骸化したイギリス教会の風刺である。そして前世の世界の話。普通死後の世界の話を描くが、それを逆手に取った風刺である。不合理大学は役に立たない人間を作るところだとか、当時の(現代もか)当てこすりに事欠かない。
 というわけで、ユートピアの話なのだろうかアンチ・ユートピアの話なのだろうかと考えてしまう話である。なんとなくR・A・ラファティのようなほら話のようにも思える。
『ユートピアだより』News from Nowhere(1890)松村達雄訳(岩波文庫)
 作者はイギリスの詩人・工芸家・社会主義運動家のウィリアム・モリス William Morris(1834〜1896)である。
 主人公は、モリスの友人で、或日激しい討論の後、気がついたら二十一世紀の未来にいた、あるいは夢を見ていたと、その話をモリスにうちあけるという、モリスが友人に仮託して始まる物語である。結局のところ、モリスらの社会主義・共産主義に基づいた、未来の理想郷を描くのが目的である。そう、1890年代からの社会主義運動が紆余曲折の末に現れた世界として、理想郷が描かれる。
 人間が生れながらに、愛他的に理性的にあり、誠実で勤勉であるなら可能なことかも知れない。理想を旨とする、詩人ならばこそ、それを物語として展開する/できるのであるが、現実には起こり得ない夢でもある。
 孟子の「性善説」を信じるほど、私はウブではない。一方、荀子の「性悪説」を信奉するわけでない、できればそれが無視できれば良いと思う。しかし、人間というのは、腐敗しやすいもの。古今東西の王朝・政府の政治を見れば、最初は理想的国家を目指しているのに、その末路は似たりよったりである。また、人間を動かす動機を考えた場合、労働に意欲を生じさせることは難しい。資本主義が幅を利かせるのは、勤労意欲が、同時に利潤追求と重なるからである。ある意味、人間は業が深い生き物なのである。
 だからこそ、幾人もの人が牧歌的理想郷を夢見るのであろう。その結果、人間に根本的欠けた理想郷建設能力を発見してしまうことになってしまっても。昔は地球のどこかにある国を、近代は未来にある国を、想像する。それは現状の否定であり、より良き世界というものが考えられる、つまり存在できるという可能性があるからこそ、想像してしてしまうのである。

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