俳句解釈法講義
口上
俳句を人に講義し続けて早十五年余、松岡先生には及ばぬながら、それなりの見識も批評眼も身に付けてきた積もりです。こんな事を書くと竹下君からまたひけらかしが始まったなどと陰口を叩かれそうですが。とにもかくにも本稿を一読すれば、句会あたりで幹部と称し、年ばっかり食っていて、主宰の腰巾着の鸚鵡にしか過ぎないのに、季重なりの句でも発見しようものなら鬼の首取ったみたいに攻め立てる輩を、痛快にやり込めることくらい朝飯前。勿論こういう裏技は古今伝授よろしく内緒にしておいて、いつまでも人前で威張っていたいのですが。尤も私がここに書く程度のことを知ったからと言って、例の幹部クラスには十分通じても、それで事足りるほど俳句が甘くないのは勿論の事です。最終的には俳句にどこまでのめり込めるかが問題でしょう(さらに生まれ付いての天分と言う奴もあるし)。さて、連載は六回の予定、眉に唾して聞き給え。
その壱
まず、以下の五項目を瞬時に判断して、自分がこれから論じようとする俳句が、いかなる傾向のものかのおおよそを認識し、作戦を立てるのが第一歩。形式面から見ると、俳句はこれらの項目の様々な組み合わせと言えるでしょう。
●定型/非定型
●文語/口語
●有季/無季
●二句一章/一句一章
●切れ字の有無
では、例をあげながら説明しましょう。松岡達宜の好きな西東三鬼の句から、皆さんも考えて下さい。
中年や遠くみのれる夜の桃
答えは〈定型・文語・有季=桃、秋・二句一章・切れ字=や〉ということになります。各項目のうち上の要件を揃えている句が、形式面に限って言えば、有季定型俳句(伝統俳句)の典型と言うことになります。ここに上げた三鬼の句がそれです。ちなみに「二句一章」というのは、大須賀乙字が、彼の芭蕉を中心とする古典研究から抽出したてもので、「俳句の中に断切を置いて、季語を含む分肢とそれ以外の分肢に分けると、二つの概念が融合して一章をなす」(俳句用語の基礎知識・角川選書)というものです。これは俳句創作の上でも基本的な方法ですのでよく覚えておいて下さい。俳句における様々の方法、たとえばモンタージュとかシュール・レアリスムとかいっても、つきつめていけばこの伝統的「二句一章」に至ることが多いのです。伝統詩俳句が現代文学としての可能性を主張できるのもこの俳句固有の方法によるのです。「一句一章」は乙字に対して臼田亜浪が主張したもので「断切を入れずに、十七音でできるかぎり表現の自由を求める」(同前)というもの。これもやはり古くからある考え方です。切れ字は句中、句末に用いられ感動が那辺にあるかを示すもので、「や・かな・けり」などが主なものですが、十八字切れ字説にはじまって、芭蕉の四十八字皆切れ字にいたるまで様々な考え方があり、現代においても俳句の短詩ゆえの中心的テーマとなっています。それから言わずもがなのことと思いますが、歳時記の勉強はきちんとやっておいて下さい。それでは宿題。以下の俳句に関して三鬼の例にならって答えて下さい。御機嫌よう、次回は分析批評入門、乞う御期待。
啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々 水原秋桜子
みんな夢雪割草が咲いたのね 三橋鷹女
陽へ病む 大橋裸木
月光にいのち死にゆくひとと寝る 橋本多佳子
稲雀風の形をつくりけり 米沢吾亦紅
しんしんと肺碧きまで海の旅 篠原鳳作
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