坂 村 真  民  の  世  界

よ う こ そ タ ン ポ ポ 堂 ヘ(最終更新2004.5.25)

   ( 滋賀県大津市・義仲寺境内・翁堂(16.5.8) )

 

1.鳩  寿  第 4 号 2. タ ン ポ ポ 堂 か ら 
3.朴庵(ほうあん)例会・終了のお知らせ 4.坂村真民全著作一覧 
5.詩国バックナンバー 6.タンポポ堂ライブラリー(義仲寺・芭蕉墓)
7.作成者からのご挨拶 8.坂村真民関連HPリンク集
9.メッセージボード  

     あなたは  人目の来訪者です。 


坂村真民さんの略歴

明治42年1月6日  熊本県に生まれる。8歳の時に、父親

の急逝によりどん底の生活に落ちる。5人兄弟の長男とし

て母親を助け、幾多の困難と立ち向かう。昭和6年 神宮皇

学館(現皇學館大學)を卒業。25歳の時、朝鮮にて教職につ

き、36歳全州師範学校勤務中に終戦を迎える。昭和21年

から愛媛県で高校の国語教師を勤め、65歳で退職、以後詩

作に専念する。始めは短歌を志し、昭和12年『与謝野寛

評伝』を著している。四国に移住後,一遍上人の信仰に随

順して仏教精神を基調とした詩の創作に転じる。昭和37年、

月刊詩誌「詩国」を創刊、16年3月からは「鳩寿」と改題し、

以後毎月、一回も休むことなく発刊し1200部を無償で配布

 している。また詩の愛好者によって建てられる真民詩碑は

日本全国47都道府県に分布し、その数は現在,海外の32

基と合わせると約680基となる。         

主な著書は、4.「坂村真民全著作一覧」に載せてます。

(愛媛県県民文化会館にて(16.2.1撮影)

                                                                


1.鳩  寿  第 4 号 平成 16 年 6 月 1 日 発 行
             
 永遠の人

 芭蕉と言う

 永遠の人に

 会いたかった

 会って

 お礼を言いたい

一期 (いちご)

一会 (いちえ) の

 旅だった

 こ の ひ と

日本に
このひとが居たので
九十五年
詩に命を賭(か)けて
生きてきた

転転(てんてん)とした
生活であったが
このひと在りて
心は常に
あかあかと燃えていた

ああ
今も枯野を
かけめぐるひとよ          
墓石に手を置いて祈る

日本と
日本文化の
永遠(とわ)の栄えを

 そ の 夜

わたしが一番心ひかれるのは

息絶えた師匠を舟に乗せて

淀川を上りゆく弟子たちの

深い悲しみの姿である

実はそれが知りたくて

実感したくて

義仲寺への旅を

思いたったのである

川とのつながりは

明治で終ったと言っていいだろう

父の死も

川とのつながりが深かった

 
 
 
                   後        記
 
                 
        1 芭 蕉 の 母

 芭蕉の母は愛媛県の今治(いまばり)生まれの人であるというのは、定説と言ってよかろう。それで今度の旅は、母の日を

選んだのであった。母ありて、その人がある。これはすべてのひとが、そう思っていいだろう。特にわたくしは、母念の碑があ

るように、母との緑は他の方より、深いつながりを持っている。

                             2 タ ン ポ ポ

 芭蕉にはタンポポの句はない。タンポポは蕪村によって、初めて日本文学に登場している。これは特記しなければならぬ。

それでタンポポの種をたくさん持って行った。そのいくつかが来年は咲くだろう。

                             3 雲 に 鳥

 芭蕉の句の中で、

  この秋は 何で年よる 雲に鳥

 詩人としての最高の作と言ってよい。十七文字による最高のものと言ってよい。とり年生まれの私であるが、この一作あるが

故に、わたしは芭蕉に跪坐礼拝(きざらいはい) をする。

 この日は天候にも恵まれ、まことによい日であった。書けばきりがないから、これぐらいにしておこう。


 「鳩寿」第四号をお送りしますが乾皮症は、わたしを眠らせない。これは体験したひとでないとわからないだろう。天を仰ぎ、

地に伏しての毎日である。足らない処は、ごかんべん頂きたい。


                     

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