坂 村 真  民  の  世  界

よ う こ そ タ ン ポ ポ 堂 ヘ(最終更新2004.9.25)

   ( ギリシャ・オリンピア市の「念ずれば花ひらく」碑・建立地 )

 

1.鳩  寿  第 8 号 2. タ ン ポ ポ 堂 か ら 
3.朴庵(ほうあん)例会・終了のお知らせ 4.坂村真民全著作一覧 
5.詩国バックナンバー 6.タンポポ堂ライブラリー(彼岸花)
7.作成者からのご挨拶 8.坂村真民関連HPリンク集
9.メッセージボード  

     あなたは  人目の来訪者です。 


坂村真民さんの略歴

明治42年1月6日  熊本県に生まれる。8歳の時に、父親

の急逝によりどん底の生活に落ちる。5人兄弟の長男とし

て母親を助け、幾多の困難と立ち向かう。昭和6年 神宮皇

学館(現皇學館大學)を卒業。25歳の時、朝鮮にて教職につ

き、36歳全州師範学校勤務中に終戦を迎える。昭和21年

から愛媛県で高校の国語教師を勤め、65歳で退職、以後詩

作に専念する。始めは短歌を志し、昭和12年『与謝野寛

評伝』を著している。四国に移住後,一遍上人の信仰に随

順して仏教精神を基調とした詩の創作に転じる。昭和37年、

月刊詩誌「詩国」を創刊、16年3月からは「鳩寿」と改題し、

以後毎月、一回も休むことなく発刊し1200部を無償で配布

 している。また詩の愛好者によって建てられる真民詩碑は

日本全国47都道府県に分布し、その数は現在,海外の

32基と合わせると約680基となる。         

主な著書は、4.「坂村真民全著作一覧」に載せてます。

(愛媛県県民文化会館にて(16.2.1撮影)

                                                                


 鳩  寿  第 8  平成 16 年 10 月 1 日 発 行
             
パルテノン神殿

神殿で

命拾いをした

そういうことが

あるので

忘れ難い処

二千四年の

オリンピックは

アテネで

行われ

無事に

終った

神のおかげである
 


念ずれば花ひらく
第七百九番碑よ

(材はギリシャ産大理石
 日本語、ギリシャ語、英語の文字
 オリンピアのへラ神殿のすぐ下に建立
 代表建設者「進級グループ」主宰 松岡功)


 
 第七百九番碑

戦いは終ったが
記念の碑は
永遠(とわ)に
残るだろう
市当局も
感謝された由
古国(ふるぐに)ギリシャと
日本を結ぶ
平和の碑よ

  走り続ける人よ

女子マラソンは
始めから終りまで
テレビで見続けた
それも他の人と違って
住んでいる人たちの
暮しぶりや
風景が見たくて
一心に見つめた
ああ先頭切って
走り続ける人よ

最後は
進級グループの人たちが振る
「念ずれば花ひらく」の
大きな横断幕が出てきて
びっくりした

マラソンはオリンピックの
花である
ああ日章旗をかかげた
野口みずきさんの笑顔よ

 
 
 
                   後        記


 オリンピックも終りました。勝負の世界とは縁のないわたしであるが、このたびはそうもゆきませ

んでした。
 
 松岡さんを中心とする進級グループの方々が、オリンピック追っかけ隊として、アテネに渡り、

「念ずれば花ひらく」の横断幕を持ち、アテネ行きをなさいました。そして、そのうえ、「念ずれば花

ひらく」碑まで建設してくださり、日本とギリシャとを結びつけてくださり、永久(とわ)なるものとし

て、歴史に残してくださいました。なんという、ありがたいことであろうか。

わたしの拙ない詩は消えてゆくでしょうが、「念ずれば花ひらく」真言碑は残って、人々の心に、

光と希望とを与えてくれるでしょう。

 わたしの生も残り少なくなりましたが、このたびの御厚意の数々に対し、心からお礼を申しあ

げます。

 わたしの体も、ガタガタになり、乾皮症は、足から、頭のてっペんまで猛威を振るい、安眠でき

ないあけくれです。「鳩寿」も、きちっと毎号刊行できないかも知れません。どうかすべて御寛容

ください。
             
     

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