坂 村 真  民  の  世  界

よ う こ そ タ ン ポ ポ 堂 ヘ(最終更新2005.3.20)

   ( 愛媛県双海町の菜の花:17.2.26撮影 )

 

1.鳩  寿  第 13 号 2. タ ン ポ ポ 堂 か ら 
3.朴庵(ほうあん)例会・終了のお知らせ 4.坂村真民全著作一覧 
5.詩国バックナンバー 6.タンポポ堂ライブラリー(双海町の菜の花)
7.作成者からのご挨拶 8.坂村真民関連HPリンク集
9.メッセージボード  

     あなたは  人目の来訪者です。 


坂村真民さんの略歴

明治42年1月6日  熊本県に生まれる。8歳の時に、父親

の急逝によりどん底の生活に落ちる。5人兄弟の長男とし

て母親を助け、幾多の困難と立ち向かう。昭和6年 神宮皇

学館(現皇學館大學)を卒業。25歳の時、朝鮮にて教職につ

き、36歳全州師範学校勤務中に終戦を迎える。昭和21年

から愛媛県で高校の国語教師を勤め、65歳で退職、以後詩

作に専念する。始めは短歌を志し、昭和12年『与謝野寛

評伝』を著している。四国に移住後,一遍上人の信仰に随

順して仏教精神を基調とした詩の創作に転じる。昭和37年、

月刊詩誌「詩国」を創刊、16年3月からは「鳩寿」と改題し、

以後毎月、一回も休むことなく発刊し1200部を無償で配布

 している。また詩の愛好者によって建てられる真民詩碑は

日本全国47都道府県に分布し、その数は現在,海外の

35基と合わせると約730基となる。         

主な著書は、4.「坂村真民全著作一覧」に載せてます。

(愛媛県県民文化会館にて(16.2.1撮影)

                                                                


 鳩  寿  第 13  平成 17 年 4 月 1 日 発 行
             
  朴の花の咲く限り

 朴(ほお)の花の

 咲く限り

 稲荷(いなり)

 喜久夫(きくお)さんは

 生きておられる

 砥部に来て

 よかったのは

 この人に

 お会いしたからである

 対面五百生

 まったくその通りの

 お方であった

  
 
「鳩寿」は小さい誌だが、追悼号を出したい思いに駆られ、

詩と文を書いた。

 読者は、わたしの心を知ってもらいたい。
  


        朴から?へ

 
 朴庵例会の会長

  稲荷喜久夫さんは

  天国に行かれ

  わたしは

  朴(ほお)と別れ

  ?(ぶな)と共に


 
 旅して行くことになった

  これはわたしの

  新しい出発だ

  お互い

  夢を持とう
 
  古国(ふるぐに)の

  阿蘇の幣立(へいたて)神宮には

  大宇宙大和神という

  神がいられる

  わたしの余生も

  少ないが

 夢だけは大きく持とう

 ※ ? は「木偏に無」と書く

  陰 徳 の 人

  砥部に来てよかったのは、稲荷喜久夫さん にお会いした

 ことである。

  毎月の朴庵の会が続けられたのも、この方がおられたから

  である。

  人には陰徳というのがある。喜久夫さんは、そういうものを

 持っておられた。

  長い人生の中で、どんな人と会うか。それは天なり、命なり

 かも知れないが、わたしはこの人を失って、大きな宝をなくした

 思いがする。

 

 

             後          記
                    

 乾皮症は猛威をふるい、夜は殆んど眠れない。でも、生きている限り、わたしはわたしの夢を実現したい。

 日本は今、かつてない危機に立っている。四国の片隅で 「鳩寿」 を刊行するのも、何かのお役にたて

ばと思っているからである。

 明治・大正・昭和・平成と生きて来て、少しでもお役にたてばと念じている。

 稲荷さんも帰らぬ人となられ、淋しい限りであるが、せめて追悼号と思い、皆さんにお送りする次第で

ある。
                   2

 わたしは自分を一新させるため、朴の会を解散しようと思っている。昨夜など二階の仕事場でころび、

背筋を打ち寝ることもできなくなった。

 自分の体であっても、自分の体でないほどになった。

 また、わたしは朴から、?に変り、?を信仰の木としている。

 朴から?への別離も、わたしの新しい世界となった。

    ※ ? は「木偏に無」と書く

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