
われわれはどこからきたのか われわれはなにものか われわれはどこへいくのか ……これは、私が敬愛してやまない人物、村井啓哲氏が、「人間にとって大事な問いは3つしかない」という言い方で教えて下さったことばです。それ以来ずっと、この言葉を忘れずに大切にしてきましたが、教えていただいてから6年経った1998年になって、それがポール・ゴーギャンが描いた畢竟の大作絵画の題名であることを知りました。この絵を描き始めたのは1897年、ゴーギャン49才。
私のプロフィール ……これは、1985年の夏、初めてヨーロッパへ行ったときに、モンマルトルの丘で、芸人に頼んで1分ほどで作ってもらった切り紙細工です。今はそれからずいぶん経っていますので、首や顎や頬がかなりゆったりしていますが(苦笑)、目や鼻や口は、私を知っている人ならすぐに見分けてくださることでしょう。そう、学生時代の私は、鳥打ち帽が大好きだったのです。今はソフト帽ですが。
われわれはどこへいくのか ……この問いに答えた、あるいは更にその先を考えた続けた人物がいたことを、ほどなく私は知りました。それは、私が敬愛してやまない(しかしすでに故人)ジョン・ケージの書物の中にあったのです。『サイレンス』という彼の本に収録されたレクチャーの原稿のタイトルは、こういうものです……「われわれはどこへいくのか そしてなにをするのか」……。そう、それこそが私にとって、嬉しいことであり、また歴史にとらわれず、かつ歴史を尊重する生き方なのだと思わず膝を叩きました。このテキストが書かれたのは1961年、ケージ49才。
49才になるのは2013年。私はそのとき、なにをしてるんでしょう?
1998.12.02記 2001.10.29補筆改定 pagetop
川村龍俊略歴
1964年 [00]
4月5日、東京に生まれる。
1979年 [15] 中学3年
読売新聞社主催「全国小・中学校つづり方コンクール」東京1位・全国2位を受賞。
1980年 [16] 高校1年
国際基督教大学高等学校入学。
遠藤賢司に惚れ込み、私設応援団を結成、渋谷ワルツに出入りする。
演劇(部長)/オーケストラ(指揮)/合唱(バス・指揮)/フォーク(ボーカル)/ロック(ベース)/文芸・シャーロック・ホームズ研究・男子バレーボールの各部に所属。
安部公房作「棒になった男」より「鞄」を上演、『鞄』役で初舞台。
池田満寿夫作「ラ・ジョコンダ嬢に関するもう一つの物語」を上演、初演出・出演。
ヘンデル作曲オラトリオ「メサイア」から「ハレルヤ・コーラス」で指揮者デビュー。
ジョン・ケージの存在を知る。
1981年 [17] 高校2年
別役実作「スパイものがたり」を上演、演出・主演。
1982年 [18] 高校3年
6月5日、来日していたケージと対面。同日、西脇順三郎死去。
1983年 [19] 大学1年
国際基督教大学教養学部人文科学科入学。
Contemporary Artistic Nation (CAN) 設立/軽音楽(ボーカル・ベース)/劇団青年団(平田オリザ主催)/縞十字倶楽部設立/映画研究会/合気道部に所属。
青年団旗揚げ公演「海神」で主役『ポセイドン』を演じる(詳細が平田オリザ著「地図を創る旅―青年団と私の履歴書」白水社2004に)。
平田オリザ自主公演「おしばい」に出演。
アンディ・ウォーホールの『LOVE#3』のポストカード購入、いつか本物を買ってやろうと決意する。
1984年 [20] 大学2年
青年団公演「弁明」に出演、『大人の玩具屋』役。
奥村千恵自主公演演劇に主役で出演、『太郎』役。
暗黒舞踏団「百虎社」の合宿に参加、スカウトされかけたので脱走する。
別役実作「舞え舞えかたつむり」を上演、演出・出演。
1985年 [21] 大学3年
人形劇「ジェニイ(ポール・ギャリコ作)」に出演。
プロジェクトN公演「木綿のハンカチーフ」を演出、出演。
初の海外旅行「ヨーロッパ美術館巡り」3週間。
1986年 [22] 大学4年
人形劇「モモ(ミヒェル・エンデ作)」に出演。
ONE NIGHT SHOW PRODUCTION 公演「日本語版ロッキー・ホラー・ショー」に演技指導として参加。
音楽科助手の田中直子氏の誘いで神田サウンドスケープ研究会(鳥越けい子主催)に参加。
1987年[23] 大学5年
自主企画にて江戸川乱歩「赤い部屋」を朗読。
宗務部主催タイ・ワーク・キャンプに参加。
1988年 [24]
国際基督教大学卒業。卒業論文「日本におけるサウンドスケープ研究の展望」。
STT開発(株)に就職、千代田カントリークラブにて研修後、高額ゴルフ会員権営業に従事。
1989年 [25]
法人接待用新設超高額ゴルフ会員権営業に転属、三井グループ担当。
1990年 [26]
(株)明工社に就職、総務部に配属。
近藤幸子と結婚、『LOVE#3』購入。
1992年 [28]
第45回日本アンデパンダン展参加 富塚研二作“Capricorn”&“Cancer”(東京都美術館)。
「第3世界とわれわれ展」パフォーマンス出演(東京都美術館)。
<ケージ死去>
1993年 [29]
P3 art and environment でのケージのサウンド・インスタレーション展「ESSAY」の夜の部として大掛かりな演奏会・食事会を企画、出演。
京都大学にてケージの演奏会。
1994年 [30]
複合パフォーマンス「ハイパー那珂太郎」出演(早稲田奉仕園スコットホール)。
日本サウンドスケープ協会第3回研究会にてレクチャー・パフォーマンス「日本に於けるジョン・ケージ受容第四世代の活動報告」(東京湯島聖堂)。
桐朋学園大学短期大学部(音楽史研究会)にてレクチャー・パフォーマンス「ジョン・ケージについて何も言いたくない」。
水戸芸術館「ジョン・ケージのローリーホーリーオーバー・サーカス」にて美術教育ボランティアへのアドバイザー、オーディトリウムプログラムの企画、出演4回。
1995年 [31]
慶應義塾大学大学院にて講義(社会学研究科)、国際基督教大学(一般教養『音楽の世界』)にてケージについて講義。
劇団「指輪ホテル」公演「Butter Formation」「ピッチとロール」の音楽を侘美秀俊君と担当。
川村記念美術館「マーク・ロスコ展」を見て衝撃を受ける。
ギャラリエ アンドウ「さかぎしよしおう展」で作品購入、コレクター人生始まる。
1996年 [32]
ニフティサーブの「芸術フォーラム」スタッフに就任(〜1998年4月)。会議室「音楽」議長。「音楽オフ」と題して月に1度の集会を企画(翌年 WINDS CAFE としてリニューアル)。
過労で倒れ、(株)明工社を休職。
1997年 [33] 大学院1年
陶芸家板橋廣美氏の協力を得て無料イベント+パーティー「 WINDS CAFE 」 を毎月1回、開催し始める。
企業派遣として産能大学大学院経営情報学研究科修士課程に入学。
経営情報学会会員となる。
日本サウンドスケープ協会理事となる(〜1998年3月)。
MACA GALLERY にてケージの演奏会。
1998年 [34] 大学院2年
純心ギャラリーにて「川村龍俊コレクション展〜ジョン・ケージから広がった美の世界〜」開催、ギャラリートーク、ケージのコンサート2回。
慶應義塾大学三田キャンパス内ノグチ・ルームにて講演「ジョン・ケージの地平」。1999年 [35] 大学院3年
「川村龍俊コレクション展メモリアルCD-Extra」限定136枚制作。
(株)明工社・明工商事(株)・明工電器(株)・(株)福島明工社・明工産業(株)……明工グループ5社に同時再入社。「明工グループ社長室」を新設、社長室室長に就任。
ミッション経営研究会会員となる(〜2001年3月)。
再度日本サウンドスケープ協会理事となる(〜2001年3月)。2000年 [36] 大学院4年
中世音楽団デモソ公演に西脇順三郎の朗読で出演。
明工商事(株)営業本部長に就任(社長室室長兼務)。2001年 [37] 大学院5年(9月修了)
再々度日本サウンドスケープ協会理事となる(〜2003年5月)。
明工グループ配線器具部門4社《(株)明工社・明工商事(株)・明工電器(株)・(株)福島明工社》の取締役に就任。
産能大学大学院修了。特定課題の研究「経営理念を持った事業承継の研究〜明工グループの将来構想〜」。
日本サウンドスケープ協会2001年度研究発表会にてレクチャー・パフォーマンス「ジョン・ケージ:われわれはどこへ行くのか、そしてなにをするのか。」(福島清陵山倶楽部)。
JR可部線ミュージサーカス公演にて「ジョン・ケージ:われわれはどこへ行くのか、そしてなにをするのか。」再演(広島JR可部線可部駅〜三段峡駅間列車内)。2002年[38]
過労のため2週間休職、箱根にて療養。
明工グループ配線器具部門の社長室を閉鎖(明工産業社長室は現存)。
明工グループ配線器具部門のCOO(最高執行責任者)に就任(明工商事営業本部長兼務)。
ジョン・ケージ生誕90年・没後10年記念企画CD3種のライナーノート執筆(ソニー・クラシカル)。
詩のボクシング第2回東京大会予選通過。2003年[39]
詩のボクシング第2回東京大会出場、1回戦敗退。
過労のため1ヶ月休職、長野県飯山市戸狩温泉にて療養。2004年[40]
明工電器(株)取締役を辞任。
ポエマホリックカフェ最終回出場、トリをつとめる。2005年[41]
WINDS CAFE 100回記念で西脇順三郎「失われた時」を全編朗読。2006年[42]
明工産業(株)を退社。
明工グループ配線器具部門COO(最高執行責任者)退任、明工商事営業本部長退任。
(株)明工社・明工商事(株)・(株)福島明工社取締役副社長に就任(設計・製造・品質保証担当)。2007年[43]
株式会社福島明工社代表取締役社長に就任((株)明工社・明工商事(株)取締役副社長(設計・製造・品質保証担当)は兼任)。
WINDS CAFE 124 にて「松井茂:虚の風景論──あるいはジョン・ケージのパセティック・ファラシーに関する戯曲的現代詩」を初演(朗読)。ケージの「龍安寺」を演奏。
後藤國彦企画「目から耳へ」ピアノの朗読 + 詩の演奏 poetry recital / music reading に出演、詩を8編朗読。2008年[44]
「吉村津さんの地唄舞を観たい会」を開催。
福島民報の「民報サロン」欄にエッセイを6回掲載。
福島県須賀川市立岩瀬中学校で職業講話学習の講師。
福島放送で幹部社員研修の講師。
後藤國彦企画 続「目から耳へ」ピアノの朗読 + 詩の演奏 poetry recital / music reading に出演、詩を6+1編朗読。2009年[45]
『詩と思想』2009年7月号に、生まれて初めて人に見せるつもりで書いた詩が掲載。
福島県いわき市立磐崎中学校で職業講話学習の講師。2009.7.29改定