ロプノール


風の音で軋む窓辺に、ふと窓越しに空を見上げる。
高い位置にある雲が今が秋である事を実感させる。

──この空の下、何処かにあの方もいらっしゃるのだろう、独りで……


「兄様は、元気でいらしているのかしら?」
不意に質問を投げかけたのは、このエリミーヌ教の教会に訪れていた
プリシラであった。
彼女にはおよそ不似合いな、質素なテーブルセットに行儀よく腰掛けている。
「兄様は、こちらにはたまに訪れているようですけど、私のところには全く
姿を見せないものですから、心配ですわ……」そう溜息混じりに続ける。

「そう言えば、エルク様は魔道軍将になられたとか?」
ルセアは、プリシラの質問には答えずに、別の質問で返す。

「ええ、一度は魔道軍将のお話は辞退して、他の方が就いていたのですけれど、
その方が急に病に倒れてしまったものですから、結局王宮付きの魔道指南役である
エルクに白羽の矢が立ってしまって、エルクも無理には断れなかったようですわ」

「エルク様なら、きっと立派な魔道軍将におなりですよ」

「そうね、でもエルクは少し人見知りなところがあるから……。
魔道軍将ともなると弟子などもとらなくてはいけないみたいで、困っているようですわ。
それが嫌で、魔道軍将を辞退していたみたいですし、
……あの調子では、一体何人弟子をとられることかしら?」
今迄のやや硬い表情が崩れて、くすりと笑う。

「レイモンド様……いえ、レイヴァン様はお元気でいられると思いますよ」
ルセアが急に先程のプリシラの質問に答える。
「……多分、ですが」言いながら、プリシラのやや斜め向かいの席に
腰掛ける。
「たまにこちらに訪れる事があると言っても、1年に1度来るかどうか……といった
感じですから、私もレイヴァン様にはもう何ヶ月もお会いしていないのです」

「そう……でしたの。もっと頻繁にこちらには、顔をお出しになっていると思って
いましたわ。今日だって、もしかしたら会えるかも……なんて、少し期待して
しまって……」
恐らくプリシラは、勝手に想像して勝手に嫉妬心を抱いていたのだろう。
安堵からか、恥ずかしさからか、少し頬を赤らめる。と、同時に
兄に会えるかもしれないという淡い期待は失われた為であろう、
やや俯き加減で瞼を伏せる。
「兄様は、もう私には会って下さらないのかしら……?」
ルセアさんには会っているくせに……言外にそう含まれていると、ルセアは感じた。
「せめて、一つ処に落ち着いて下されば、私だって……」
そう言ってプリシラはますます俯いてしまった。

「その願いは、恐らく叶わないでしょう」
ルセアは静かに言い放った。

「──あの方は、人生を彷徨っていらっしゃる……」

「さまよ……う?」プリシラはやや首を傾げ、ルセアの方を見る。

「以前、エリウッド様の軍にいらした軍師様にお聞きした話があります。
軍師様の故郷近くには、『ロプノール』と言う湖があったそうです。
その湖は、不思議な湖で、川の流れの影響を受けて永遠に砂漠の中を
彷徨い続けているそうです。
そのため、『さまよえる湖』とも呼ばれる……と」
ルセアは静かに立ち上がり、窓を背にしてプリシラの方へ向いた。
「レイヴァン様は、その湖と同じです。
一つ処にはとどまらず、永遠に彷徨い続ける……」

「どうして、そんな……」
ルセアのいつもとは違う、どこか冷たい口調に、寧ろプリシラは動揺した。

「それに、以前、ルセアさんは傭兵稼業に戻った兄様と、供に旅をなさって
いたのではないのですか?
……何故、今は、兄様御独りで……」

「ええ、確かに暫くの間は、供に旅を続けていました。
しかし、傭兵の仕事は想像以上に過酷で、結局身体の悪い私は供に旅を
続ける事が出来なくなってしまったのです。
それに、恐らく、レイヴァン様は敢えてそういった、過酷な仕事ばかりを請け負って
おられた様な気がします。
今も、その方針は変わっていらっしゃらないのでしょうが。
今、私に出来る事は、此処で、この場所で、レイヴァン様が
たまに帰られる日を待つばかりで……」
ルセアは、プリシラには当然、自分が心の病である事は告げていなかった。だが、
レイヴァンが引き受けるような仕事は、常に血を見るような仕事ばかりで、彼の病を
悪化させる一方であったのも、紛れも無い事実だった。

ルセアは、ここで一旦、一呼吸というよりも、溜息に近いものを吐いた。
「──実は、このお話は、プリシラ様にすべきかどうか……迷っているのですが」
「どんなお話なの?」兄に関する話なら、例えそれがどのような話でも、聞かずには
いられない、そう言わんばかりの気迫でプリシラは迫った。

「供に傭兵稼業をしていた頃の話ですが、レイヴァン様は、オスティア候の密偵と
連絡を取り合っていらっしゃったのです──」
ルセアは、どこか遠いところを見るような面持ちで、語り始めた。


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「──申し訳ありません、それ以上詳しい事は、調べられませんでした」
「……そう……か。いや、手数をかけたな。礼を言う」

人気の無い、主道から少し外れた木陰で、レイヴァンはどこかで見たような顔の男と
話し込んでいた。

「レイヴァン様?今の方は、オスティア候の……」
レイヴァンは、その言葉に振り返り、余計なところを見られた……と言わんばかりの
表情をした。
「まだ、何かオスティア候の事を、お疑いなのですか?」
「違う、オスティア候への疑いは完全に晴れている、それはお前も分かっているだろう?」
「では、何故?──何を、話していらしたのです?」
「ルセア、俺はコンウォル家を陥れた奴が一体何者なのか、はっきり知りたいんだ。
確かに、オスティア候は無関係だった。だが、それだけだ。

オスティア候の話によれば、横領を行ったのは確かに父達かもしれない。
だが、その横領額は単に友人の借金を肩代わりした為だけとは思えない程
桁外れな金額だったという……。
恐らくは、何者かが人の良い両親を唆し、陥れたのであろうと──。
ルセア、お前だって、コンウォル家は誰かに陥れた事には間違いないであろうと、
そう言っていただろう?

という事は、だ、コンウォル家を、俺の父と母を陥れた者がいなくなった訳ではない。
今でも、何処かでのうのうと暮らしているという事なんだ!!」

ルセアは、レイヴァンの面に現れた情念に、彼がまだ復讐を諦めたわけでは
ないのだと、悟らざるを得なかった。
オスティア候への誤解も解け、復讐はもう諦めたのだと、そう信じていた。
だが、諦めたのは飽くまでもオスティア候への復讐であって、
コンウォル家を真に陥れた相手に対する復讐の炎は未だ衰えてはいなかったのだ。

「では、レイヴァン様、もし……もし、コンウォル家を陥れた者が、誰なのかはっきりと
分かった場合は、一体どうなさるおつもりなのですか?」
「今更、復讐なんて……馬鹿げていると、復讐の事など忘れるべきだと、お前は
そう思っているんだろう?」
レイヴァンは拳を握り、微かに震えている。
「──確かに、コンウォル家が取り潰しになって、もう何年も経つ。分かってはいるんだ。
今更復讐する意味など殆どない事は……な。
だが……」と、レイヴァンは、瞼を硬く閉じ、一呼吸置いてから続ける。
「コンウォル家を陥れたのが誰なのか、はっきりした時、正直俺は自分を抑える自信がない」
ふと、レイヴァンは空を仰ぎ見る。
「きっと、なりふり構わずに、そいつの屋敷に押し入るだろうな……」

「……レイモンド様……」ルセアは思わず、呟く。

「もう、その名で呼ぶ名と言っているだろう」諌める様に言った後、軽く苦笑して続ける。
「だが、今でも、その名に囚われているのは、寧ろ俺の方なのかもな……。
コンウォル家のレイモンドという名に……、いや、コンウォル家そのものというべきか……」
言い終えて、レイヴァンの口元から漏れる嘆息には、諦めにも似た感情が垣間見える。

掛ける言葉もなかなか見つからず、暫くの沈黙の後、思い切ってルセアは切り出した。
「レイヴァン様、それでしたら新しいご家庭を作ったらいかがですか。
コンウォル家とは違う、新しいレイヴァン様のご家庭を……。
お嫁さんでも貰って、ほら、前にも帰る家が欲しいと仰っていたではありませんか」
努めて、明るい口調で、明るい表情で……。兎に角、今のこの場の空気を変えたかった。

「俺は、生涯、結婚する気は──ない」断言口調で、あっさりと返される。
「先刻も言っただろう?
復讐の相手が分かったその時、俺は自分を抑える自信がない、と。
その時、家族がいたら、どうする?俺は家族を捨ててでも復讐に向かうだろう。
家族がいようと、誰が止めようと、俺はきっと自分を抑えられない。

そして、もし復讐に失敗したら──?
捕らえられ、俺の両親が受けた以上の屈辱を味わう事となったら?
その時、俺に家族がいれば、巻き込まれ、恐らく無事ではいられないだろう……。

だから、俺に、家族は要らない。

プリシラも、もう妹とは思っていない。
例え調べても、兄妹だとはっきり分かるようなものは残さないように、生きてきたつもりだ」
そう一気に吐き出したレイヴァンの言葉には、未だ正体も分からぬ復讐者への怒りも
混じっているようであった。

「レイヴァン様。
……でも、かつて私の事を家族だと、仰ってくれた事もあるではありませんか。
あの言葉は偽りだったのですか?」

「いや、お前の事は本当に家族のように思っている。
だが、お前とは血の繋がりがある家族という訳ではない。単なる主従関係だ。
いざとなれば、簡単に断ち切る事が出来る。

その時は……お前を解雇すればいいだけの事だ」

ルセアは、両手で口元を抑え、崩れ落ちそうになるのを堪えて、震える膝で必死に立っていた。
ここで彼から目を離してはいけない。そんな気がして、その蒼い瞳をレイヴァンから逸らす事が
出来なかった。

「レイヴァン様、まさかずっとそのように、私の事を考えていらっしゃったのですか?」
ルセアは問い掛ける。震える声で、縋るような瞳で──。

「俺とお前は、血の繋がりや家系的な繋がりが無い。
だから、家族だと思う事が出来た。
──お前の事だけは……」

ルセアの蒼い瞳を水分が覆う。
「それだけ、ですか?
例え家族のように思っても、簡単に切り捨てる事が出来るから、だから、私を……。
それだ……け……」嗚咽でくぐもり、後半は言葉を紡ぐ事が出来なかった。

「お前が俺にとってかけがえの無い存在である事には替わりない。
勿論、簡単に切り捨てられる存在でも無い。

でも、だからこそ俺個人の事、しかもコンウォル家に関する事で、お前を巻き込みたくない。
いや、お前だけじゃない。プリシラや、今まで出会った友人達……。
況してや、一緒に家庭を築きたいと思える程の女性ならなおさら、
俺の身勝手に付き合わせる訳にはいかない」

だから、結婚は出来ないのだと、家族と思えるのはルセアだけなのだと、最後にそう呟いて
レイヴァンは、その場を立ち去った。

──崩れ落ち、膝をつくルセアを残して……


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ルセアは、静かな口調で話を続ける。
「本当にコンウォル家を陥れた人物が誰なのかは、勿論、未だ分かっていません。
しかし、例え生涯、その者を突き止める事が出来ないとしても、レイヴァン様は今の生き方を
変えられるつもりはないのです。

御自分の幸せを追求しようとする事は決してなく、かと言って復讐に生きようとも、
復讐の相手すら明確ではなく、それでも、何時来るとも知れない復讐の時に備えて、
身近に大切なものは、何一つ置かず……」

プリシラにとっては、垣間見る事はあっても殆ど知らなかった兄の一面。
恐らくは、レイヴァンが意図して妹には見せなかった一面を聞かされ、プリシラは言葉も出ず、
ただただルセアの言葉を聴き続ける事しか出来なかった。


「御自分の幸せの為に生きる事も、復讐に生きる事も出来ず、
レイヴァン様は人生を彷徨っていらっしゃるのです。

……ロプノールのように、永遠に……──」




        ロプノール

          さまよえる湖

            永遠に、砂漠の中を彷徨う




       ──どんなに彷徨っても、そこは砂漠の中──




end

2004/08/08



〜あとがき〜
長くなってしまったので、あとがきは別ページに……(汗)