"RAISED ON RADIO" JOURNEY
ソニーレコード(SRCS-9813)
発売中

(P) 1986 CBS Inc.
(C) 1986 CBS Inc.
Manufactured by
CBS/Sony Inc.
(Tokyo Japan)
GIRL CAN'T HELP IT (3:50)
   ガール・キャント・ヘルプ・イット
POSITIVE TOUCH (4:17)
   ポジティヴ・タッチ
SUZANNE (3:38)
   スザンヌ
BE GOOD TO YOURSELF (3:51)
   トゥ・ユアセルフ
ONCE YOU LOVE SOMEBODY (4:40)
   ラヴ・サムバディ
HAPPY TO GIVE (3:48)
   愛の贈り物
RAISED ON RADIO (3:49)
   レイズド・オン・レイディオ
I'LL BE ALRIGHT WITHOUT YOU (4:50)
   アイル・ビー・オールライト
IT COULD HAVE BEEN YOU (3:37)
   過ぎ去りし想い
THE EYES OF A WOMAN (4:22)
   アイズ・オヴ・ウーマン
WHY CAN'T THIS NIGHT GO ON FOREVER (3:41)
   永遠(とわ)への誓い

JOURNEY are... (1985 - 1987)

NEAL SCHON (guitar,vocal)
STEVE PERRY (lead vocal)
JONATHAN CAIN (keyboard,vocal)

* support members(for album) *
STEVE SMITH (drums)
LARRIE LONDIN (drums)
BOB GLAUB (bass)
DAN HULL (saxophone,harp)
STEVE MINKINS (additional percussion)
MEGAN CLEARMOUNTAIN (special effects)

* support members(for concert) *
RANDY JACKSON (bass,vocal)
MIKE BAIRD (drums)

■背景

日本では1986年春に発売され、公式には10作目?となるオリジナルアルバム。
#「RED13」から逆算し直したんですけど、外れてます? いまいち自信ない。
ジャーニーはこの年のライヴ・ツアー終了後に活動を休止したため、80年代にリリースしたアルバムとしては最後に位置する作品です。

"SEPARATE WAYS" や "FAITHFULLY" 等のヒット曲を生み出した前作 "FRONTIERS" から3年の時を経てリリースされたこのアルバムにおいて、彼らはそれに与えた題名("RAISED ON RADIO"≒「ラジオ世代」。但し、このアルバムでは日本名「ラジオ」を「レイディオ」と表記している)に準じてか、当時すでに販促戦略の効果的なモデルとして広く用いられていた「ヴィデオ・クリップによる聴取者への訴求」を行わないと表明しました。

当該アルバムの約6年後に発売されたCD3枚組の年代記的楽曲集 "TIME3" のライナーには、コンセプチュアル・ヴィデオ・クリップを制作しなかったのは「それはスケジュールの都合による言い訳である」とも読めるような解説が書かれていますが、実際にはどうだったのでしょう? 反証として有効であるか否かの判定は読んだ方に任せるとして、とりあえず判断材料を提示しておきます。リリース直後の「ミュージック・ライフ」誌に掲載されたインタビュー記事からの引用をご覧下さい。
インタビュアー:
「アルバム・タイトルは "RAISED ON RADIO" だけど、今回プロモーション・ビデオを作らなかったのは、3人ともラジオを聴いて成長してきたということに関係があるのかな?」

スティーヴ・ペリー氏:
「それはどういう事かというと、僕達はラジオで育ってきたし、僕達の世代は誰もが皆ラジオを聴いて大人になってきたんだ。でも、今のグループは正確にはビデオで育ってきた世代なんだよ。ビデオ・グループさ。表現するジャンルが違うんだ。彼らは8万人もの人々が集まっている所へ入っていって、喧嘩したりエキサイトしたりする事なんかできやしない。すぐに力尽きてしまうさ。アメリカン・ロックン・ロールは、最良の質の高いプレイをしなければならないんだ。僕達は、プレイして音楽を聴かせるグループなんだよ。ラジオはそんなプレイの質を保ち、守ってくれる。ビデオは僕達にとって何の為にもならないね」

インタビュアー:
「じゃあプロモーション・ビデオを作る予定はないの?」

ペリー氏:
「作るかもしれないし、作らないかもしれない。別にビデオを作ることを拒否しているわけではないからね。ただ、今すぐには解らないし、それが今一番重要な事ではないんだ。もし作るとしたら多分、ツアーの最後のライヴの場面を数ヶ所入れる位のものだろう。コンセプトを持ったビデオは作らないと思うよ」

実際のところ、"GIRL CAN'T HELP IT"と"I'LL BE ALRIGHT WITHOUT YOU"、そして"WHY CAN'T THIS NIGHT GO ON FOREVER"の3曲についてはライヴでの模様が一部公開されており、それらがLDジュークボックスのソフトとして世に出た事もありました。
この事から、当時のジャーニーに対しては

「最初は”宣伝用のヴィデオは出さない”と言っていたのに結局出しているではないか」

という旨の批判が度々あった様です。
でも……。
(1)
世間一般において
「アーティストによる宣伝用のヴィデオソフト」
の内容が明確に定義されておらず
且つ、そうする必然性もはっきりしていない

(2)
「コンサート会場の模様を録画した映像」と
マイケル・ジャクソン氏の「スリラー」のPVに代表されるような映像とが
世間一般ではどちらも同一カテゴリーとして認知されている

(3)
ジャーニーは、上述(2)の前者と後者とは別物と位置づけている

以上三つの要因によりまして、小生はこれ以上の演繹を慎むことと致します。この件に関する議論は水掛け論にしかならず、そして「言葉の捉え方」の違いについてのみ論じる事は本稿の主旨ではないと判断しましたので。いずれまた別の場で書きます。

では話を戻し、アルバム発表当時のバンドについて。
このアルバムではバンドのメンバーは上述の3人とされており、スティーヴ・スミス氏(drums)とロス・ヴァロリー氏(bass)は脱退していました。その原因には諸説あるようですが、どうやら当アルバムのライナーにて音楽評論家の湯川れい子氏が挙げた説がもっとも真実に近いようです。また、それとは別の所で、ヴァロリー氏は自身とスミス氏について「自分たちはスティーヴ・ペリーにバンドを追い出された」という旨のコメントを残しており、メンバー間で何らかの原因による仲違いが生じた事は間違いない様です。
#ヴァロリー氏のコメントを、小生は当時TBS系列で放映されていた
#深夜の音楽番組#"PURE ROCK" にて知りました。
後に再結成盤 "TRIAL BY FIRE" において元通りのメンバーが集結するまでの経緯については、同アルバムのリリース間もなくペリー氏本人から語られました。彼が日本の音楽雑誌に対して電話で応じたインタビューの中での事です。詳しくは「懐燕の”よいしょ。”」第1回を参照願います。
上述のごとき経緯により、当該 "RAISED ON RADIO" アルバムではスミス氏がゲスト的扱い(と言うか、脱退前に曲が完成していたって事なのかしら?)で"POSITIVE TOUCH"、"THE EYES OF A WOMAN"、そして"WHY CAN'T THIS NIGHT GO ON FOREVER"の3曲に参加しているものの、ヴァロリー氏は一切加わっていないようです。また、このアルバムでは70年代の終盤以降ジャーニーの「顔」として活躍してきたスティーヴ・ペリー氏(現ソロ)が自らプロデューサーを兼任し、バックヴォーカルのプロデュースにおいてはペリー氏のソロ・アルバムにも参加していたランディ・グッドラム氏に加えてジョナサン・ケイン氏が名を連ねるなど、今まで以上にメンバー各位のアイディアを盛り込む体制を整えていました。因みに、ジャケットの原案を手がけたのはペリー氏。
そういう訳で、従来とはいささか異なる陣容によって制作されたこのアルバムにおいて、彼らは初めて新作のリリースまでに2年以上のブランクを置いた、という事と、その最中に音楽雑誌などで時折報じられていた暗い話題(メンバー間の確執や去就に関するもの)を払拭するインパクトを成り行き上課せられていました。

彼らが再び成功を収めるために設けられたハードルの高さを決めたのはゴシップ記事の類なのでしょうか? それとも、ファンが抱く期待感なのでしょうか?


■曲解説(一部)

GIRL CAN'T HELP IT
この曲は "RAISED ON RADIO" ツアーの起点となったカラヴェガス・カウンティ・フェアグラウンド(本国・カリフォルニア州)にて他の新曲に先立って披露されました。その模様は上述の選集 "TIME3" の中で鑑賞する事が出来ます。

HOT100にて17位、アルバム・ロック・トラックス・チャートにて9位。


POSITIVE TOUCH
サキソフォンが編成に加わっている異色作。ステージで演奏された事はない模様。

ジャーニーのオリジナル・アルバムの中でホーンセクション入りの曲が収められた例はなぜか非常に少なく、発表されたものの中では恐らくこの曲が初めてでしょう。この次は約16年後の2002年リリース作「RED13」の4曲目"I CAN BREATHE"までありません。
なんでだろう。いんや、単に好みの問題だろっていう気はするけど。

因みに、オリジナルアルバム外では日本映画「夢・夢のあと」のサントラの#3 "SAND CASTLES" がありました。奏者はスクエアの伊東たけし氏。


SUZANNE
ライヴでこの曲の前に行われていたケイン氏とショーン氏のソリは、かつて"TOO LATE"の前に行われていたそれを踏襲しているかのような雰囲気。

HOT100にて17位、アルバム・ロック・トラックス・チャートにて11位。


BE GOOD TO YOURSELF
ファースト・シングルになった曲です。"ANY WAY YOU WANT IT" や "SEPARATE WAYS" に通じるであろう、ジャーニー風ハード・ロックの代表例。

HOT100にて9位、アルバム・ロック・トラックス・チャートにて2位(2週)。


RAISED ON RADIO
良い意味で異色作揃いのこのアルバムに於いて、特に異彩を放つ1曲。
曲そのものは上述"BE GOOD TO YOURSELF"と同様にジャーニー風ハード・スタイルの代表作的内容なのですが、版権の都合により歌詞が公開されておらず、市販された楽譜にも載っていません。ヴォーカル部分は音符だけ書かれていました。

余談ですが、小生は初めてライナーを見た時、この曲の歌詞部分が空白になっているのを見て「お、久々にインストゥルメンタルの曲かあ」というボケをかまして後刻顔を赤らめた事が……さて、あったとか、なかったとか。

アルバム・ロック・トラックス・チャートにて27位。


I'LL BE ALRIGHT WITHOUT YOU
のちにリリースされたベスト・アルバムにも再録されています。
悲恋を綴った歌詞でありながら、メジャー・コードを基調としたメロディゆえにどこか穏やかな雰囲気が醸し出されています。近年のライヴでも時たま演奏されているようで、もしかするとこれからの定番曲として熟成されてゆくかもしれません。
少なくとも、私自身はかなり好きな曲なので期待しています。

HOT100にて14位、アルバム・ロック・トラックス・チャートにて26位。


WHY CAN'T THIS NIGHT GO ON FOREVER

最終トラック。

前述”TIME3”の中でジョナサン・ケイン氏は、ジャーニー加入当時の事について以下のようなコメントを残しています。
「欠けていたのは僕らの曲の中にファンのことを織り込むということだった。バンドに誠実な人たち……。ジャーニーに関して僕が変えたのは、僕らのことを大切に思ってくれているそんな人々のことを書き始めたという点だった。コンサートに行くと23,000人ものファンが集まってるんだ。まるで教会に行ったような神聖な気分にさせられたものさ」
同じく前述 "FRONTIERS AND BEYOND" の中でも、雑誌の中傷記事に対して憤然と抗議するケイン氏の姿が見受けられました。うろ覚えながら引用。
「ひどい記事をいくつか読んだが、ジャーニーをまるでコマーシャル・バンドの代表例みたいに書いている。フェアーじゃないよ。ハービー(当時ジャーニーのマネージメントを務めていたハービー・ハーバート氏のこと)だってサンタナを抜けてからは食うや食わずの状態だったんだ。みんなのそういう苦労を無視している。それが一番頭にくる」
そして、2001年1月に行われたジャーニーの日本ツアーの中においてケイン氏は、3代目リード・ヴォーカリストのスティーヴ・オウジェリー氏の誕生日と時を同じくする公演日に日本語で「今日はスティーヴの誕生日。一緒に歌いましょう!」と観衆を案内し、ほどなくショーン隊長の伴奏に併せてバースデー・ソングの唱和が行われました。
ファンやメンバー、そしてスタッフ各位が抱く想いを真摯に受け止めているケイン氏に、小生は常々感服致しております。

HOT100にて60位。


■総括

音楽評論家の和田誠氏は、1996年にリリースされたジャーニーの再結成アルバムの邦版ライナーにおいてかくの如き記述を行いましたとさ。
ついに積年の夢が実現した。『RAISED ON RADIO』以来、何と10年ぶりの復活である。いや、僕の気持ちを正確に現すなら1983年に発売された『FRONTIERS』から13年の時を経てJOURNEYはようやくシーンに帰ってきたという思いでいっぱいだ。つまり、彼等は『ESCAPE』アルバムで全米を征し、途方もない数のツアーをこなして『FRONTIERS』をリリース。誰もなしえない幾多の金字塔を打ち立て1984年、ピタリと活動を停止してしまうのである。
ちょっとお待ち下さい。違ってます。
小生もファンの端くれとして、贔屓のバンドの姿を栄光の中に見ていたいという心情は概ね理解したく望んでおりますが、しかしデマの跳梁を看過する訳には行きません。
という訳で補足説明を致しますと、現実世界において "RAISED ON RADIO" はアルバムチャートを全米4位まで登り、シングルでも6曲をチャートへ送り込む事に成功しています。すでに、各曲紹介の中でご覧頂いた通りです。

"RAISED ON RADIO" がリリースされた1980年代後半は、彼らが世界のそこかしこで大騒ぎを巻き起こしていた前作の頃とはまた異なる情勢へと変化を始めていて、いわゆるメロディアス・ハード系ロックバンドの大半が沈静化……早い話が「ブームの終わり」に差し掛かっていました。但し、それは聴取側が単に「飽きて手放した」というよりも、むしろ「従来にない動向」がそれに取って代わった結果であるように見受けられます。代表例で言うと、それはバンド・エイドやUSA・フォー・アフリカ等の平和祈念プロジェクトであったり、多分にアイドル性(日本的意味でのアイドル性)の高いカルチャー・クラブやデュラン・デュラン等の新進グループ各位の活躍であったり、はてまた映画「トップ・ガン」のサントラ盤あたりで確立されたのであろう新たなるヒット形態の誕生であったり etc...。
もしかすると、方向性と需要とがあちこちの彼方へと分化した現在の情勢に至る兆候は、この時期すでに見えていたのかもしれません。

もし仮にそうだとしても、あるいは違っていたとしても、この "RAISED ON RADIO" というアルバムに於けるジャーニーは後にも先にもない変容ぶりを見せてくれました。前作に代わる新味と成り得ず、しかもツアー終了後にバンドは活動を停止してしまった訳ですが、それでも上述の成績を以てその存在感を再度アピールし得たというのは、これまでに築いた実績と名声の裏付けである事もさりながら、アルバム自体の持つクオリティの高さが広く認められた事の現れでもありましょう。

■おまけ
(1)補足その1:LDジュークの件

LDジュークボックスは毎年1回ずつ月間スケジュールを決めて、毎月ごとに数枚ずつソフトの差し替えをしています。つまり、観たいものが必ず観られるとは限らないのです。あしからず。
件の機械はよく遊技施設(ゲームセンターやボウリング場など)に設置されているので、興味のある方は探索してみるのも一興かと。
小生が知る限りでは、以下の4曲がソフト化されています。

"WHEN YOU LOVE A WOMAN" (ヴィデオ・クリップ)
"SEPARATE WAYS" (ライヴ映像)
"GIRL CAN'T HELP IT"(ライヴ映像)
"I'LL BE ALRIGHT WITHOUT YOU"(ライヴ映像)

(2)補足その2:「8万人」の件

アルバム解説の先頭あたりでペリー氏のコメントを引用しましたが、その中で彼が「8万人」という具体的な観客動員数をすぐ例示した点について気付いた事があったので、最後にその事を少々……。

かの数字は、恐らくジャーニーがローリング・ストーンズの前座を務めたシカゴでの公演(1979年もしくは1983年?)を例示したものの様です。参考までに、ペリー氏の2ndソロ "FOR THE LOVE OF STRANGE MEDICINE" がリリースされた直後にTVK(テレビ神奈川)系列の深夜枠で放映された彼へのインタビューから一部引用します。
「シカゴのソルジャー・フィールドも思い出深い。ローリング・ストーンズと共演したんだよ。彼らの前座を務めたことは忘れられない。彼らはビッグなアーティストだけど、それまでにジャーニーはシカゴでアリーナ級の会場をソールドアウトしてた。だからジャーニーのファンはいっぱいいたし、シカゴから全米中に人気が広がったとも言えるよ。ストーンズはそれを知らずに僕達を起用したんだ。僕達はすばらしいショーをやったよ。8万人の前でね。しかも2回もアンコールに応え……ストーンズはずいぶんステージ脇で待たされたものだよ(苦笑)」
*文中に表記したヒットチャートの順位は「ビルボード」誌の公式発表に準じています。

http://homepage2.nifty.com/tavern_kaien/